漁師のくらし

雑賀崎へようこそ へ



つごろの写真なんだろうね。
向かいの 鷹の巣の上に灯台が映っていないから 昭和35年以前のことなんだろうね。
岬めぐりのバスが 和歌山市内と 雑賀崎をつないでいたよ。
和歌浦も 旅館が立ち並び 観光地として 栄えていた頃。
バスの乗客も 多かった。
 の防波堤が 転んだままだから 平成16年23号台風の翌年
 平成17年春の写真だと思う。
 ちょっと アングルが 雑賀崎寄り。
 浜が随分埋め立てられて 漁港が整備されている。



 和11年か12年ごろの 雑賀崎小学校1年生入学の写真。

 校長先生の髭が 時代を感じさせるね。

 特別の日だからなのか 子供たちの身なりもいい。

 雑賀崎は 貧しい集落ながら 明治9年(1876年)に小学校が創立された。
 松本開智学校が 明治6年だから その3年後という 早い時期に
 教育とは無縁のような 田舎の漁村に 小学校を作った人は
 本当に 偉い人だったと思う。

 「大空高く 輝くいらか〜♪」で始まる校歌は ずっと変わっていないから
 親・子・孫・ひ孫 と 3代・4代が一緒に歌えるところは
 雑賀崎小学校の自慢の一つ。




 
 賀崎には 「連中」(れんちゅう) という システムがある。

 幼なじみの男友達が 5〜6人で グループを作る。
 義兄弟の契りを交わした 特別なグループだ。
 
 遊ぶときも 一緒だし 仕事については 良きライバルでもある。
 結婚してからも 夫婦共々 友達兼親戚のような付き合いは続く。

 写真は オヤジさんと 連中で 撮った写真。
 どんな場面で こんな写真を撮ることになったのか?

 


  の子のグループが 「朋輩」(ほうばい)
  
  古い写真で 見にくいが 左は おふくろさんと朋輩。
  来て着る着物など 流行なのか どこかにライバル心があるのか 
  同じような 格好だね。

  連中や 朋輩よりもっと 大きな括りで
  若い男の子のグループが 「若い衆」 女の子のグループが「あねさん衆」

  それぞれには 宿 と呼ぶ 溜まり場 があって そこで遊ぶ。
  
  時に ○○丁のあねさん衆の宿に △△丁の若い衆が 遊びに来る。
  今で言うところの 合コンかな。
  ○○丁のイロハちゃんは 気立てがよくてべっぴんだとか
  △△丁のホヘトくんは 男気があって格好いいとか・・・・
  そんな話をさせたら おふくろさんの口は 締まることを忘れる。


 
 真 左が おやじさんと おふくろさん。
 右が おじさん おばさん。
 どちらも 新婚さんの時の 記念写真らしい。

 雑賀崎では昔 結婚は 親が決めた。
 そして 結婚しても すぐには 籍を入れずに
 新所帯を持つ場合もあれば 通い婚の場合も あったらしい。

 子供が生まれて 初めて籍を入れる。

 結婚を 親が決めたのは なんとも 封建的だが
 どうしても 嫌な時は 破断にすることも あったらしい
 親公認の お試し期間があったのは 合理的。
 昔だって 今だって 結婚は 結局 本人次第ってこと。
 

から 叔母 叔父(まだ婚約中かな) おふくろさん
漁協に勤めていた叔母は べっぴんで
昔 映画の撮影で 高倉健さんが 雑賀崎を訪れたとき 
「お茶を出したのは 私」・・・・と それが自慢。

 
学校の運動会なのだけれど
ほとんど 親たちの アウトドアパーティ。
一人一升づつ瓶を持っている?

おやじさん 子供が徒競走で何位だったかなんて
きっと 見ていなかったと思う。
 
れも 小学校の運動会。
おふくろさんも 楽しそう。

小学校の運動会は 
地域みんなの楽しい行事だった。





  この写真も 誰が いつ撮ったのだろう。
  よくある 家飲みの光景。
  叔母の後ろのテレビ。足つきの 懐かしい形。
  アテは魚
 の間の旧正月に 友達の家で飲んだところ。
 相変わらず アテは 魚。



師仲間の旅行。
昭和39年ごろ 山陰方面。
旅行のために 男は滅多に着ない背広を新調し 女は着物にコート。
皆 子供を親にあずけて 夫婦揃っての旅行。
誰もが 嬉しそうに 笑っている。
大好きな写真だ。


代は 高度成長。
観光バスを仕立てての 漁師仲間の 白浜旅行。
今度は 小さな子のある家は 子連れで。
男はジャケットか背広 女はワンピースかツーピース。
ミツヨさんのネッカチーフ姿 似合ってる。
いとこのナツミは かわいいピンクのバックを買ってもらっている。
昭和を感じさせるね。