うこそ  私たちのふるさと 雑賀崎へ


雑賀崎は 和歌山市の南部 瀬戸内海国定公園の東端 和歌浦湾につきだした岬だ。

青い空と 青い海。 
南に開かれた斜面に 台風の風に耐えられるようにと屋根を小さくした 四角い家々が建ち並ぶ。

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田信長に抵抗した 鉄砲衆の雑賀一族にちなんで 雑賀(さいか)と名前のついた地名が 和歌山市内にいくつかあるが
雑賀崎も その一つ。
○○ヶ崎(○○がさき)とは 意味が違うので 「さいさき」ではなく「さいかき」と 濁点の位置に注意。

昭和の初め頃は 集落の9割の人々が 漁業に何らかの関わりを持って暮らしていたそうだ。
今では  漁業就労者人口も減るばかりで 和歌山市中心部からも近い 住宅地
・・・・いやいや 実は 若い人口の流出が激しく 空き家の目立つ高齢化した集落になってきている。
                                                         


 *迷宮*

急傾斜に 家々が建ち並ぶ雑賀崎は 
車の入る事のできない 狭い路地と階段が 複雑に入り組んで まるで迷路。

すれ違うにも ぶつかりそうな 狭さこそ 
人と人のコミュニケーションを作る。

「おはようさん」
「おはようさん。どこに 行かぇ?」
「ちょっと 2丁目まで」

ところで・・・
「2丁目」と言ったら 和歌山市本町2丁目 ぶらくり丁。
今は どこの商店街も不振なように シャッター街になってしまったが
昔は 大阪南部も含めた近隣随一の繁華街だったらしい。
*灯台*

雑賀崎鷹の巣と呼ばれる崖の上には 雑賀崎灯台がある。

初点灯は1960年3月31日と 比較的新しい灯台で 和歌山市が 観光用展望施設を建設したとき 
紀伊水道に面しているということで 展望台の上に灯台を設置したと 記されている。

灯台が出来た時 おじいさんと記念式典を見に行ったこと 覚えているよ。

灯台の高さは 地上から14メートルだけれども 海上からは 75メートルもあるらしい。

「この灯台が 数十年の歴史の中で 数多くの船人の命と貴重な財貨を 人知れず救ってきたであろうことを想うとき
 これからも毎夜 美しい光を 沖ゆく船に 投げ掛け続けるよう祈念するものであります」
と 書かれている。
素直に 灯台さん ありがとう と 言いたい。

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*夕陽・ハナフリ*

お彼岸の夕日に ハナガフルという言い伝えが雑賀崎には ある。
五色の綺麗な物が キラキラ輝いて 見えるらしい。

「彼岸」という考え方は 大陸にはない日本独自の思想だそうで 
夕日や夕焼けに対する日本土着 独特の感性と
西方浄土の 阿弥陀仏への信仰が重なって 生まれたらしい。

彼岸には 太陽が 真西に沈み 
その西には 阿弥陀さまがおられるという信仰と 関係があるのか ないのか
・・・・ちょっと 曼荼羅を連想してしまう・・・
とにかく ハナフリは 美しい光景だったと 年寄りたちは 言う。

「雑賀崎ルネサンス」で ハナフリ伝説は 少しは知られた行事となったが
ハナフリが見られても 見られなくても
雑賀崎は 自慢できる 夕陽日本一のポイントの一つだと思う。




*ご誕生日*

ご誕生日って 一体 どなたの?

雑賀崎の多くの住民の菩提寺は 極楽寺。
親鸞上人が開かれた 浄土真宗。

ご誕生日は 親鸞上人の生誕日 5月20日。
家々の門に 5色の旗を飾って お祝いする。
3色の饅頭や餅 お赤飯などを 仏さんにお供えする。

お寺では この日に 海難犠牲者の追悼と お魚供養の法要が行われる。

 *ちょっと昔のこと*

昭和初期に 和歌山市へ統合されるまで 雑賀崎は 海草郡雑賀崎村だった。
岬につきだした離れ小島のような集落は 独自の方言や 習慣があった。

ちょっと前の写真とともに 紹介しよう。





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*旧正月のこと*

雑賀崎には昔から 旧暦のお正月を祝う風習がある。

今は 学校も社会も 新暦中心なので 旧暦正月は 漁師家庭か高齢者以外 あまり関係ないかもしれないけれど  大漁旗で彩られた漁船団の浜に 露天も並ぶので 子供たちは結構 旧暦正月を楽しみにしていている。

雑賀崎は 大陸系の人々が住んでいるわけでもないんだけれど 漁師が旧暦正月休みを捨てがたいのには 理由がある。
厳寒期には シケが多くて出漁できる日和が少ないということ。
1月2月は 魚の消費額が下がるということ。
だから 近隣の漁港の漁師たちが 正月休みをしている間に 雑賀崎が出漁して 
雑賀崎が旧暦正月休みをしている間に 近隣漁師が働くと 魚価の安定にもつながる。

だんだん 風情も薄れる 旧暦正月なので 写真を残しておこう