皇 居 の 門 皇居一周散歩

平成18年5月4日(木)・6日(土) 撮影

 中学校入学以来、20・30代には都内に25年間住んでいたが、皇居を一周する散歩などしたことは無かった。お上りさんよろしく5月4日は車で行き、6日は徒歩で散策した。東京駅から再開発中の丸の内街を皇居に向かって歩くと、最初に和田倉門跡の交差点に出て噴水公園に着く。東隣りはパレスホテル。折畳み自転車を積んで出かけたので、ここから時計回りに周遊して見ることにした。順に桔梗門から廻る。皇居の北側にある「北の丸公園」と「武道館」へは田安門と清水門がある。東側の「東御苑」へは大手門・平川門・北桔橋門がある。皇居内へは5ケ所の入口があり、旧江戸城と大いに関連があり歴史がある。6日は逆周りで皇居東半分を歩いてみた。一日置いて二度出掛けたのは写真では田安門・平川門・大手門の区別が着かなかったからである。

 二重橋と伏見櫓 橋・堀・櫓の眺望できるこの堀の手前は集合写真の定番スポット
@桔梗(ききょう)門
三の丸に入る南門で、江戸時代は内桜田門と云われた。由来は太田道灌(どうかん)の桔梗紋の屋根瓦がこの門に残っていたからとのこと。今ここを出入りするのは皇宮警察関係者のみ。
A坂下門
幕末、将軍家茂への和宮降嫁に激怒した水戸浪士が、老中・安藤対馬守信正の登城行列を襲った「坂下門の変」の場所。「終戦の日」にも襲撃があった。現在では「宮内庁」への通用門。
B皇居正門
皇居の正門。現在二重橋とは、この正門前の「石橋」と、その奥にある「鉄橋」を指すものとされている。天皇誕生日の12月23日・新年1月2日の皇居一般参賀はこの正門から入場する。
C桜田門と警視庁
桝形門の完全な姿の遺構で国の重文。幕府崩壊の一因の井伊直弼の襲われた「桜田門外の変」があったところ。今はこの門のすぐそばに警視庁があるので警視庁を言う隠語になっている。
D半蔵門
江戸城警備の伊賀同心組頭・服部半蔵の屋敷があったので「半蔵門」と名付けられた。当時は緊急の門としても使用された。現在は高麗門だけで使われて居ない。開かずの門と云われる。
E乾(いぬい)門
皇居となってから明治時代に建てられた京都風の門で、春になると、枝垂桜の名所となる。現在は主に皇族方の通用門。北の丸公園との境目には「首都高速環状線」が地上に顔を出す処。
F北桔(きたはね)橋門
門を入ると直ぐに天守閣跡がある。往時は深い濠に囲まれた断崖絶壁に位置し、桔橋として戦に備えて遮断できる橋だった。今はここから「東御苑」に入れる。月曜・金曜は休園との由。
G田安(たやす)門
今は靖国通りから「日本武道館」への入口の門である。田安門・平川門・大手門の形が写真で見ても区別が付かない。8代将軍吉宗の3男宗武が徳川三卿の「田安家」を興して住んだ処。
H清水門
田安家と同様徳川御三卿。9代将軍家重の二男重好が清水家を興す。兄は10代将軍家治。武道館近くに両家があった。池波正太郎『鬼平犯科帳』長谷川平蔵の役宅が「清水門外」である。
I平川門
この門は江戸城の鬼門にあたるため、不浄門とも呼ばれ、城内の死者や罪人を出す門でもあった。また大奥女中の通用門としても使用された。現在の地下鉄「竹橋駅」毎日新聞社がある。
J大手門
江戸城への正門で、高麗門と石垣が現存。築造は仙台藩主の伊達政宗。この渡櫓門を通り、三百諸侯が登城した。本丸までいくつかの番所があった。今の大手門近辺はビジネス街である。
K和田倉門
和田倉門と馬場先門は、日比谷通りに交差点の名前として残っているのみで門は無い。外堀の馬場先堀・和田倉堀にあったため、取り壊されてしまった。南側は丸の内街。東京駅も近い。