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22・ 父

昨日は父の誕生日だった。今年で68才になる。
普段はすぐ怒る父。
しかし、その父は、事件を起こし皆から責められていた時に
「おまえの気持ちもわかる」と、かばってくれた。
私が職を無くし、父の許で暮らし始めた時も
「ワシが、もうひとがんばりしないとな!」と仕事に行った。
そして、脳出血で倒れた。心労からだった。
手術の結果、命は取り止めたものの、言語障害と歩行困難に陥っている。

父もまた、きっと私の被害者である。
もしかすると一番の被害者かも知れぬ。
それでも彼は、今なお、話せぬ言葉を使いながら私を励まし信じてくれている。

私は父のような父になりたいし、いつか、ならねばならない。
(2000/11/09)

23・犯罪と保証

私の口頭弁論が法廷で行われた時、次のようなやりとりがあった。

検事:「もう犯罪を起こしませんか?」
私:「はい、犯罪を起こしません。」
検事:「何故、犯罪を起こさない。そう言えるのですか」

一度、法を犯した者を人は特別扱いしがちである。
実際、私が今だ職につけない理由ともなっている。
(もっとも、はっきりとは言われないので断定できないが)
何故「特別扱い」するのであろうか?
思うに「犯罪を起こした彼」を「犯罪を起こす人」と理解し、
彼に犯罪を「起こさない保証」が欲しいのだと私は感じる。
だが、犯罪を起こした人も起こしていない人も、
これから先、犯罪を起こさない保証など何処にもない。
更には今、生きている人々の誰にもそんな保証など無い筈である。
成る程、置かれている立場を考えてそう思うのかも知れない。
それなら、権威や地位が高い人々は絶対に犯罪を起こさないのだろうか?

何度も言うように誰もが「犯罪を起こす可能性」を持っている。
そう考えると「犯罪を起こした人」についてだけ
「起こさない保証」を求めるのはおかしいし、
又、そのような保証など出来るものではない。
今日と同じ明日は続かない。
どんな常習犯でも、最初は初犯であり、その前は一般の人々だったのである。
ここにも、法を犯した人間を「特殊な人種」と理解し
「自分達とは異質な人々」と捉える
「誤った」考え方が見てとれるのではないだろうか。

同時にその考え方は「自分は犯罪を起こす筈が無い」という
「過信」に繋がりやすい。
罪を犯すのは、特殊な人々の異質な行為であるから、
きっと相当な覚悟が要るだろうと、たがを括ってしまうのである。
実際、私がいい見本である。

さて、先のやり取りで私は
「私自身に法を犯すつもりがないからです。」と答えた.。
言葉で保証を述べる事自体、何の意味も無いと思う私には
それ以上、犯罪を起こさぬ保証を表わす言葉など見つからなかったのである。

果たして、検事はどのような答えを期待していたのであろうか。
また、同じ質問を検事にしたなら、
彼女は(女性検事だった)何と答えるのであろうか。
今だに謎であり、その答には、大いに興味がある。
(2000/11/10)

24・被害者と誠意

私は、被害者についてこれまで余り述べていない。
実は何度か書こうとして中断している。
それはどうしても自分によって被害に遭われた方々が重なってしまい
文章に表れてしまうからである。
その結果、万が一にも彼らに迷惑が及ぶのを恐れるからである。
それでも避けては通れない話であるのでまとめてみた。

事件後、私は何度か被害者と会い、謝罪している。
先日も弁護士と共に被害者と被害者の息子さんに会った。
息子さんは私をののしった後、拳を握り締めながら
「立ち去れ!」と叫ばれた。
「いやぁ、殴るかと思いましたよ。」後で弁護士がそう言ったので、
傍目にも大変な勢いだったのだろう。
私は殴られても構わなかった。
それで例え何分の一かでも怒りが治まるのなら、それで良いと思った。

誠意とは何だろう。
誠意は、総て金に換算してそれで終わるものなのだろうか。
正直なところ、私は被害者との付き合い方に悩んでいる。
一つの事件で傷つくのは被害者だけではない。
傷つけた筈の加害者もまた傷ついているのである。
だから、お互いの傷を理解しあえ、
許しあえた時に初めてその事件が終わるのだと思う。
ただ、それは理想であって、被害者が心底加害者を許す事など出来ないだろうし
それを加害者から言われるのはますます以って「誠意がない」行為だと私も思う。

何れにしても被害者と加害者が出会う機会は必要である。
本当の意味で事件を終わらせる為には必要だと私は思う。
だが、加害者と会う事を被害者は必ずしも望まないだろう。
会えば事件の記憶が蘇るからである。
また、簡単に事件を終わらせたくないのである。
一方、加害者も、ののしられる事が判るので、
いけないことだが足が遠のいてしまう。
結局、事件は、お互いのあきらめと記憶の忘却に頼らざるを得ないのが
普通なのかも知れない。
だが、あきらめや記憶の忘却は誠意なのだろうか。

現在、少年法の「厳罰化」が議論されている。
現実に実現可能かどうかは別として、
例えば強制的に加害者が被害者に償う機会を作ってみてはどうかとも
感じる事がある。「きっかけの場」を与えるのである。
「被害者と遺族のマッサージ二年」とか「被害者宅の庭掃除三年」とかでもあれば
少しはお互いの為にマシかもしれないと思ったりする。

一つの犯罪はどんなものであっても必ず被害者を生み出す。
そして、被害者のケアを考えながら
加害者は社会的制裁の中で自分の傷をも癒さないといけない。
それは、進歩ではなく、以前の状態に近づく努力である。
被害者への誠意を思う時、
犯罪を起こす行為とは、
つくづく愚かで無駄な行為であるのを改めて感じるのである。
(2000/11/11)

無用の人 ( the True Value of A Man )

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