『二億の訴状』

下書きの原稿は、完成された本の3倍から4倍はありましたでしょうか。読者の方々からは賛否両論を頂いておりますが、裁判で使用した文書を入れますと、どうしても長くなり、読み物としてのまとまりがつきにくくなります。社会に警鐘を鳴らすため、被害者以外の方でもテンポよく読めるように割愛いたしました。

過誤といっても千差万別。個人の状況も千差万別。私の訴状や準備書面・答弁書など特に有効な手が探し出せるとも限りませんが、各個人での訴訟で、そのまま引用することは難しいでしょう。

本来、裁判関連の書面上では情の部分はおざなりにされます。弁護士が被害者の感情を書き連ねる事もありません。ある意味不要な部分です。かといって本人訴訟でダラダラと書き込みすぎても裁判官に読んで貰えるかどうか疑問です。その辺は臨機応変に。     

医療裁判での因果関係の立証は、専門知識の無い弁護士にとって一番頭が痛い問題でしょう。素人の本人訴訟の場合は、消去法が有効な手段に思います。下手に因果関係に争点を持っていくと、裁判が長期化し、被害者存在の無視の状態になりえません。要は素人色が出ても、それがまた強みになるわけです。それでも法律に則った書き方は必要です。書き方のルールさえ守られればいいでしょう。

また、セカンドオピニオンの存在が裁判に大きく影響します。ですが彼らを味方にしようとして、いらぬ工作はやらぬ事です。彼らはなかなか診断書を作成してはくれません。裁判での証言も喜んで引き受ける事はないでしょう。彼らは裁判所命令によって法廷に引っ張り出せばいいのです。あとは当事者が受診時に交わした会話記録や、ようやく手にした診断書をもって、彼らに立証責任を負わすのです。これは私の勝手な想像ですが、○本医師会に所属している医師は、味方にはなりにくいように思います。現に私の担当医は、その○本医師会には所属しておらず、あまりいい印象を持っていなかったように感じましたから。

また、被害者の生活状況にまで及んでくる何がしかの苦境は、裁判にとって有効になりえます。法律の上で戦う裁判ですが、判決をくだすのは血の通った裁判官です。中には冷血な人もおられるでしょうから、一概には言えませんが運も実力のうちです。最終的判断をくだす際、公正中立とは言え裁判官の心象を如何につかむかを心掛ける事です。社会に対しての影響力を考え、次の被害を食い止めるが為の大義名分を大いに使うことです。

最後にもう一つ。いきなり弁護士を使わず本人訴訟に持っていっては、司法側でおかしな目で見られる事になりかねません。扶助協会の弁護士をあたるなり、事が運びにくく逆に障害となってしまうようであった時、その事実を陳情書などに書き込んだ末、本人訴訟に持っていかれた方が妥当な判断かと思います。

参考になるかどうかは分かりませんが裁判で使用した書状の一部を裁判終結から2年が過ぎた今、公開いたします。好き勝手な事を書いておりますが、興味のある方はどうぞ。



 答弁書 ・・・一審判決後、相手から控訴状が送られてきて、それに対して徹夜で書き上げた答弁書です。

今思えば、よくこれだけ好き勝手に書いたものだなと思います。

プロが見たら「こんなもの通るかいっ!」と、きついご批判を受ける事でしょう。

しかし、プロでは書けない素人の本人訴訟の強みが出ておると自負してます。

当時はこれを必死で手書きで書いたものでした。こうして一字一句打ち込んでいますと、よく補正を求められなかったなと思います。誤字脱字など訂正し、多少手は加えましたが、ほとんど再現しております。