第3章 素粒子論に至る道


【わかるまで素粒子論「常識編」 第3章 素粒子論に至る道】

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1.改めて語っておきたい

『わかるまで素粒子論【入門編】』は、『なにはさておき量子論』を読んでいることを前提として書いた。そして、これは罠であって(笑)、『なにはさておき量子論』を読もうとすると、その前に『わかっても相対論』を読まなくてはならないようになっているのである。あはは。。。

ただし、これは決して意地悪や宣伝でそうしたわけではなく、ある種の必然だったのである。量子論、そして相対論を知っていると、実は、素粒子論を100倍楽しむことができるのである。いやホント。

ところが、極めて迂闊な事なのだが、私はこの『物理学喫茶室』において、古典物理を語っていない。いや、各エッセイの端々で取り上げてはいるのだが、きちんと体系立てた話をしていないのである。
この『物理学喫茶室』を取り上げていただいたあるサイトの記述では、読者層の欄に「大学生以上」と記されてあった。これは、私自身の意図とは少しく異なっていたため、そのときは考え込んでしまったものだ。しかし、取り上げているのが「相対論」「量子論」「素粒子論」であれば、いたしかたないかと思い至った。(但し、それぞれの内容は、決して大学生でなければ理解できないとは今も考えていない。)

とにもかくにも、一度、古典物理から、素粒子論に至る道程を語っておくのは無駄ではないと考え、そのために一章を割くことにしたものである。(一章で終わるだろうか(^_^;))

さて、まず「古典物理」とは何であるか。結論を言ってしまうと、「『ニュートン力学』『マックスウェル電磁気学』である」というのがとりあえず無難な答えである。
「無難」などという歯切れの悪い言葉を用いたにのには理由があって、実は、一般には、『相対論』も古典物理に含めるのである。驚いた人も多いかと思う。「何、相対論が古典物理だと!」という驚きであるはずだ。よって、その理由を以下に述べよう。

18世紀のフランスにラプラスという人物がいた。かの有名な皇帝ナポレオンの内相まで務めたことのある人物である。功績から言えば数学者と言ってよい。Δの記号で有名なラプラシアン(二階線形偏微分方程式を表す記号)に、その名を残している。(二階線形偏微分方程式の意味など理解できていなくて全然かまわない、深く考えないように)

このラプラスは、いわゆる決定論の嚆矢となる人物でもある。「決定論」とは、(人間をも含む)物質全てを粒子の集団として捉え、その粒子集団の現在の状態が全て分かれば、未来は全て予測(というより計算)できる、という主張のことである。現実には、この宇宙の全ての粒子などあまりにも多すぎて現在の状態を全て把握できないから、未来は決定(計算)できないが、原理的には、「超人」がいればそれは可能だ、としたのがラプラスである。

実は、この「決定論」がまかり通る(というより、排除できない)物理を、「古典物理」というのである。
つまり、古典物理とは、物質の現在の状態と、そのかまいあい(相互作用と呼ぶ)が全てわかっていれば、この宇宙の過去も未来もお見通し、という物理のことである。

実は、この決定論を打ち破ったのが量子論なのだが、相対論は、量子論を全く考慮に入れていない。だから相対論ですら古典物理なのだ。

一言いいたい!





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2.慣性の法則

ニュートン力学に、慣性の法則というものが出てくるのは、ご承知と思うのだが、これは、「力を加えなければ、物体は静止または等速運動を続ける」ことを言う。その意味は明確なはずだ。言いかえれば、「何かをしなきゃ、止まっている物は動き出さないし、動いている物は同じ速さで動き続ける」ということになる。

余談になるが、今の話の後半部分には、今でも「?」の人がいるはずである。「動いている物は同じ速さで動き続ける?」、おかしいよねぇ、「動いている物は、力を加えなければ、そのうち止まってしまう」。これが、実は常識。
ところが、動いている物は、この世界では、力が加わるから止まってしまうのである。ここをきちんと説明しないから、高校物理が分からなくなってしまう。そう、動いている物体には、摩擦力が働く。だから止まる。
しかし、ここまでは習っているはずだ。問題は、「摩擦力」って何なのかをちゃんと説明してもらえないから問題なんだね。と言うより、高校では、「力」という奴をきちんと定義しないから問題なんだ。

閑話休題
この慣性の法則が成り立つ座標系を、慣性系という。

先程、意味は明確と言ったが、実は、この「慣性の法則」、完全に理解できていない人がいるというのも事実なのだ。
例えば、ネットのQ&Aなどにこんな質問が出ることがある。
「走っている電車の中で飛び上がったら、電車は動いていて、自分は空中にいるのだから、降りる場所は列車の後ろになるはずなのに、どうして元の場所に戻るの?」
これが実は、慣性の法則のおかげなんんだね。列車に乗っている人は、列車と同じ速度で走っている。だから列車と同じ慣性系にいる。だから、列車と乗客は、静止していると言ってもよい。止まっている列車の中で飛び上がったのと事情は同じというわけだ。

誤解を招くと困るので、きちんと言っておく。互いに静止している物体同士は、同じ慣性系にいる。ところが、相対速度を持つ物体同士は同じ慣性系にはいない。

もう一つちゃんと言っておかなければならないことがある。
先程の例で、人が飛び上がって降りてくるまでの間に、列車が急ブレーキをかけたらどうなるか。そう、降りる場所は、列車の前方になる。これは、人と列車が非接触状態にあるときに、列車が速度を変えたために、人と列車が同じ慣性系ではなくなったからだ。
これは、列車が走り出すときは、乗客が後ろへ引っ張られ、列車が止まろうとする場合は、乗客が前のめりになるのと事情は同じだ。

この項で、最後に言っておきたいことは、厳密に慣性系という場合は、あくまでも等速直線運動をする系をいう。
物体に力が加わり、物体の速度が変化する場合(この時、物体は加速度運動をしている)には、その物体は、慣性系を時々刻々乗り換えていることになる。

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一言いいたい!





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3.ガリレイの相対性原理

いきなり相対性原理と言われても、面食らった人が多いと思う。しかしながら、この考え方は、ガリレオ・ガリレイの時代から存在しており、もちろんそれは、ニュートンにも、アインシュタインにも受け継がれている。
相対性原理とは、どのような慣性系においても同じ物理法則が成り立つという主張のことである。
当たり前と言えば、これほど当たり前のことはないのだが、これを押さえていて貰わないと、古典物理がよく見えてこない。

まずは、ガリレイの相対性原理から話を始めよう。
簡単に言い切ってしまうと、ガリレイの相対性原理とは、『慣性系にいる人は、どんな力学的手法を用いても、自分の走っている速度を知ることはできない。』ということである。

仮に宇宙に、物体Aただ一つしか存在しなければ、Aがある速度で等速直線運動しているのか、静止しているのかを区別することは不可能(というより無意味)であることは納得して貰えると思う。
同様に、物体Aと物体Bがある場合、AとBとの間の速度は分かっても、どちらが静止していて、どちらが動いているのかという議論に意味はない。どちらも自分が静止していると主張しても、間違っているとは言えないだろう。つまり、AとBの間には、相対速度があるだけである。

まだ、頭の中に『?』が瞬いている人のために、次のような実験を行ってみよう。

互いに相対速度(V)で走っている2つの慣性系を考える。
物体Aがいる慣性系Kでは、時刻(t)に、点P(x、y、z)で何かがピカッと光ったとする。この慣性系Kに対して一定速度(V)で走っている物体Bの慣性系をK’とし、K’でも、点Pで光った何かを観測した。そのときの時刻を(t’)、場所は、(x’、y’、z’)であった。便宜上、AとBは、座標系のx軸上に相対速度があるとする。
そうすれば、次の関係が成り立つはずだと、ガリレオは主張した。
x’ = x - Vt
y’ = y
z’ = z
t’ = t
何も難しいことはない。時刻tには、K系から見て、K’系の原点がVtまで走ってしまっているので、K系から見たPの座標xは、K’系でのPの座標x’にVtを加えなくてはならないと言うことを言っているだけであって、以下の図を見れば一目瞭然である。



上の式を、ガリレイ変換という。つまりP点がピカッと光ったという出来事は、ガリレイ変換により、K系の座標からK’系の座標に矛盾無く書き換えることができるということだ。
ガリレイ変換の式を眺めていると気づくと思うのだが、この変換は、相対速度Vと時間tをかけた距離だけ空間座標がずれている。これは、第三者(例えばC)がいるとすれば、CとAとの相対速度VCA、とAとBの相対速度VABがわかっていれば、CとBの相対速度は、加算つまり、 VCB = VCA + VAB で求められるということだ。
ガリレイ変換をもっと簡単に言えば、速度の足し算が可能であるということでもある。
もっと身近な例を上げれば、地面に立っている人の前を自動車が時速40Kmで走っているとし、自動車乗っている人が時速30Kmでボールを進行方向に投げれば、地面に立っている人には、ボールの速さは、時速(40+30=70)Kmと観測されるということだ。

一言いいたい!





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4.ニュートン力学

ニュートン力学と言えば、理想の上に立脚した理論である。
「何が?」と思った人も、「そうだね」と納得した人もいると思うが、高校物理は、この理想的状態の元でしか、全く成立しない。

ニュートンと言えば、運動の三法則 + 万有引力理論。
 (1)運動の第一法則:慣性の法則
 (2)運動の第二法則:運動方程式
 (3)運動の第三法則:作用・反作用の法則
 (4)万有引力の法則:物体同士が引き合うことの法則
「慣性の法則」については、第2項で述べたので多くは語らない。ただ、摩擦力って何? という問いに明確に答えていなかったので、それだけは補足しておく。

驚いちゃうと思うのだが、摩擦力に限らず、私たちが普通感じている「力」というのは、重力」を除けば、電磁気力なのである。

例えば、氷の上を滑っているカーリングのストーンに働く力は、氷の分子と、ストーン分子との間に働く電磁気力の集積なのだ。もっと言い切ってしまえば、重力を別にすれば、私たちが、通常感じる「力」という奴は、「電磁気力」しか存在しない。なぜかと言えば、原子と原子との間に働く力というのは、突き詰めれば、原子核電子との間に働く力しかない。
ここまで言えば、いくらなんでも納得してくれるよね(半分脅迫)。というわけで、カーリングのストーンから、台風でなぎ倒される木まで、そこに働いている「力」は、電磁気力に他ならない。

そのように考えてくれば、逆に、「電磁気力」が働かない現象、という代物が、ものすごく希なことだと気づく。いや、たった一個の原子しかない場合ですら、原子核と電子の間には、電磁気力は嫌でも働くのである。

だから、「慣性の法則」において、「力が働かない」という前提が、既に怪しくなっている。力が働かない物なんて、どこを探してもない。ならば、「慣性の法則」なんて、どうやって実証するのか?

さらに不思議なのは、「質点」である。「質点」は、質量は持つが、大きさを持たない物質である、物質と言っているが、大きさを持たない物を物質と呼んでいいのか、という疑問は当然。そんなものがあったら、密度が無限大になってしまう。極論を言えば、そんなものは、ブラックホールである。

まだ不思議なものはいくらもある。例えば「剛体」。これは、どんな力を加えても、全く変形しない、大きさを持った物体のことである。どんなに微小な「延び」も「歪み」も「破壊(割れる)」もない物体である。そんな物はない。

更に、よく出てくる前提は、「完全弾性衝突」というやつである。俗に言う、「跳ね返り係数が1」という現象である。衝突の前後で運動エネルギーが全く変化しない衝突である。運動エネルギーが保存されるということは、衝突で、運動以外のエネルギーが発生しない、ということだ。衝突した時に何の音もせず、床を変形させることもない。地上1mから物体を落とすと、かならず元の位置まで戻って来て、いつまでも弾み続ける訳だ。

「ニュートン力学」の話を始めていたのだが、「第一法則」で、もう躓いてしまった。高校物理で、ニュートン力学から先へ行けない理由はここにある。現実に則して話を進めると、最初から一歩も進めなくなってしまうのである。
「慣性の法則」も、「運動方程式」も「作用・反作用」も、所詮は、力が働かない質量を持った物質(質点)を前提にしないと、説明そのものが不可能なのだ。

但し、だから「ニュートン力学」は無意味である、という結論は間違っている。確かに、質量だけがあって、大きさのない物質(質点)なんてものは存在しない。しかし、夜空の星々の一個づつを「質点」と考えた時、ニュートン力学は、その威力を遺憾なく発揮する。星と星の間に働く力は、もちろん重力であるが、万有引力の法則は、天体の動きを見事に説明し、コペルニクスやガリレオの地動説の正しさを証明した。

そして、摩擦力や空気抵抗も力であることを正しく認識すれば、運動方程式は、非常に高い精度で自然界における物体の振る舞いを説明することができたのである。

一言いいたい!





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5.マックスウェル電磁気学

次は、マックスウェル電磁気学である。

『電磁気』『学』が付いているわけで、この文字を見ただけで及び腰になる人が多いことだろう。しかし、そんなに恐れることはない。実は、電磁気学の根本について皆さんは小学校で既に実験をしている。
(1)磁場には源がない
(2)磁場の時間変化は電場を発生させる
(3)電場の源は電荷である
(4)電場の時間変化、または電流は磁場を発生させる
というのが、それなのだが、これではまだ何のことかよくわからないかもしれない。そこで、次のように言いかえる。
(1)磁石は切っても切っても、その両端にN極とS極が現れる
(2)自転車についている発電機、あれは磁石を回してまわりのコイルに電流を発生させている
(3)電流とは、電子の流れである
(4)鉄の棒にまいたコイルに電流を流すと、鉄の棒は磁石になる
ねっ、みんな小学校の実験だよね。
マックスウェルは、この四つを数式化して電磁方程式というものを作ったのである。つまりは、それが、『マックスウェルの電磁気学』である。

どういうわけか、電気と磁気はきれいな対称になっていないことがわかると思う。
電気のプラス、マイナスは単独で取り出すことが可能である。ただし、人間の手で、電気を取り出せるわけではない。物質を細かく分けていったら、物質は究極のマイナス粒子(電子)と究極のプラス粒子(陽子)からできているということだ。
ところが、磁石のN極だけ、S極だけというものは、多分聞いたこともないはずだ。それで、磁場には源がない、という表現をする。磁気というのは、N極とS極が必ずペアで現れるのである(これを磁気双極子と言うことがある)。だから、磁流というものがない。なぜこういうことになるかというと、電子一個、陽子一個が、既に磁石になっているからだ。(これをスピンという。)だから、物質に単独のN極、S極がないのである。だって原子を構成する粒子が既に磁石なんだもの。

ここまでの話が、(1)と(3)である。

(2)と(4)は、共に、ファラデーという人が発見した。
(4)は、電流が流れている針金に棒磁石を近づけると、針金が動くことである。つまり電流は物質を磁石にする。(電磁石のことだよ)
(2)は、輪になった針金の近辺で棒磁石を急激に動かすと針金に電流が流れることである。(これを電磁誘導という)
さて、重要なのは、電場の変化が磁場を作り、磁場の変化が磁場を作る、という事実である。これは何を意味するかというと、電荷が動くと磁場が発生し、その磁場が電場を発生させ、その電場が磁場を発生させ・・・、と続いて行くことである。マックスウェルは、この派生的に移動する状態を電磁波と呼んだ。

針金内の電子(電気)の振動により発生する磁場がついて行けないほど電子が激しく振動すると、空間に磁場が放り出される。するとそこに現れた磁場の変化によって、電場が発生し、更にその電場で磁場が、という具合に次々と伝播する現象が電磁波なのである。

そして、マックスウェルは、理論的に、この電磁波が真空を走る速さを求められることを発見した。

つまり、電磁波とは、真空中で一定の速さを持つのである。

一言いいたい!





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6.アインシュタインの相対性原理

さて、相対性理論といえば、誰もがアインシュタインを連想するだろう。
しかし、彼の『特殊相対論』における二つの原理のうち、光速度不変の原理は、前項で述べたようにマックスウェルの電磁気学に既に登場しているのである。(この項で、相対論を詳細に説明するつもりはない。ここを読んでいるみなさんは、『わかっても相対論』を読破していると信ずるが故である。)

よって、特殊相対論は、決してアインシュタインの思いつきで生まれたものではない。電磁波も電磁波である)は真空を走る時、一定の速さであることは、アインシュタイン以前に知られていたのである。

19世紀の終わりに、『ニュートン力学』と、『マックスウェル電磁気学』が出そろって、物理学は理論的に完結したと考えられた時期があった。力学電磁気学が綺麗な形で出そろえば、あとは、工学的応用があるだけで、物理学は完結したと思われたのである。

ところが、である。相対論以前に、光速度不変が知られていたということは、それまで物理の集大成と考えられていた『ニュートン力学』と、『マックスウェル電磁気学』とが矛盾することに他ならない。この溝を埋めない限り、物理学は完結した、とはとても言えないのであった。しかしながら、この齟齬は、なかなか誰にも気づかれぬまま、20世紀を迎えることになる。

『ニュートン力学』は、ガリレオが提唱したガリレイの相対性原理を元に構築されている。(なんで、ガリレオの相対性原理と呼ばないかは謎である。)

そもそも、相対性原理とは、どのような慣性系においても同じ物理法則が成り立つという主張のことである。
アインシュタインの相対性理論においても、その意味する所は同じである。ならば、ガリレイの相対性原理アインシュタインの相対性原理特殊相対性原理)は何が違うか。

回答をずばり言ってしまえば、慣性系を乗り換えるときの座標の変換方式が異なるのである。

と言われて、「ああそうですか」と、納得できてしまう人は極めて希有であるから安心して欲しい。わからなくても、あなたは極めて正常である。

ガリレイ変換とは、3項で示したように、速度の加法則が成り立つ、以下のような変換であった。

互いに相対速度(V)で走っている2つの慣性系を考える。
物体Aでの慣性系Kでは、時刻(t)に、点P(x、y、z)で何かがピカッと光ったとする。この慣性系Kに対して一定速度(V)で走っている物体Bの慣性系をK’とし、K’でも、点Pで光った何かを観測した。そのときの時刻を(t’)、場所は、(x’、y’、z’)であった。便宜上、AとBは、座標系のx軸上に相対速度があるとする。
このとき、ガリレイ変換は以下が成立すると主張する。
x’ = x - Vt
y’ = y
z’ = z
t’ = t
3項では明確に述べなかったけれど、これは、暗黙に、Aにとっての時間もBにとっての時間も同じであることを前提にしている。つまり、いかなる慣性系でも、時間の進み方に違いはない、という『絶対時間』が仮定されていた。

ところが、光速はいかなる慣性系でも同じにしか観測されないという、光速度不変の原理を前提とすると、ガリレイ変換が成立しなくなる。

次の状況を考えてもらいたい。 慣性系(K系)において、時刻0に原点(0,0,0)から発射された光が、時刻(t=T)にP点(x、y、z)に到達した。
同様に、K系に対し、相対速度Vを持つ慣性系(K’系)でも光が発射される瞬間に、時刻が0、原点がK系と一致するように調整した状況にあったとする。

さてK系では、時刻Tに、光は原点を中心に半径cTの球面を作る。従って、
2 + y2 + z2 = (cT)2
が成立する。
今度はK’系を考える。もしガリレイの相対性原理が正しいのなら、光の速さとK、K’間の速度の加法則が成り立ち、式は次のようになるはずだ。
x’2 + y’2 + z’2 = ((c - V)T)2
だって、K’系はK系に対して速さVでx軸方向に動いているのだから、それを追いかけた光の速さは、加法則(この場合は減算になるが)に従うはずだ。

ところが、これでは、K'系において、光速度一定にはならない。なぜなら、K’系では光速が(c - V)に観測されてしまう。ところがどのような実験の結果もそうならない事を示すのだから、式は次のように書き換えられなければならない。
x’2 + y’2 + z’2 = (cT’)2
ただ眺めているだけなら、何事もないと思うかもしれないがよく考えてみて欲しい。これには大きな抵抗感があるはずだ。

光が発射された場所は、K系とK’系で同じ(原点)だったのだ。ところが、ある時間後の光の場所は慣性系によって異なってしまう。だって光速度一定のために、K及び、K’系のどちらが見ても、自分の座標原点を中心とする球面上に光はいる。しかし、相対速度を持つ系同士は、ある時間たてば、原点は離れている。

頭が混乱して来たって? 当然である。ここですんなり納得できる人ばかりであったなら、アインシュタインは、多分、相対論でノーベル賞を貰っていただろう。
つまり、同じ場所(空間)を発した光が異なる慣性系から見ると、発した時間が同時ではなくなってしまうということだ。

光速を一定にするために、K系とK’系の時間を同じ変数(T)で書けなくなってしまった。つまり異なる慣性系での時間の流れが別物(TとT')になってしまったのだ。

一言いいたい!





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7.ローレンツ因子

今、私は古典物理の話をしている。
とても、古典物理とは思えない方も多くいるだろうが、量子論を考慮しない物理を古典物理と呼ぶ考え方が主流である現在、相対論といえども古典なのである。

そして、これから私は、『わかっても相対論』でも書いていないことを述べようとしている。

あなたは、『『わかっても相対論』第2章 はじめに光速度ありき 5.美しいと思うか?』を読まれた時、疑問を感じなかっただろうか? それは、4次元時空間ピタゴラスの定理である。
その部分を引用してみよう。
さて、時空間の場合の、空間の棒にあたるものはなにか?
3次元空間のピタゴラスの定理は、棒の長さが不変だった。4次元時空間では、時間を含めた事象の隔たりが不変量になるのである。よって3次元のピタゴラスの定理から、これを4次元時空間に応用して

   (x2 - x1)2 + (y2 - y1)2 + (z2 - z1)2 - (ct2 - ct1)2 = τ2

である。
そのように書いた。
問題は、「3次元のピタゴラスの定理から、これを4次元時空間に応用して」という文章である。
復習であるが、3次元のピタゴラスの定理とは、
(x2 - x1)2 + (y2 - y1)2 + (z2 - z1)2 = L2
である。
ここに出てくる(L)というのは、三次元空間にある棒の長さのことであるから、空間のどこへ持って行っても棒の長さは変わらない、という当たり前のことをいっているだけなので、多分、誰にも疑問はないだろうと思う。

ところが、4次元(空間時間)になると、「事象の隔たりが不変量になる」という言葉に、なるほどそうだ、と納得してしまった人は少ない、というよりほとんどいないのではないかと想像する。だって、3次元空間にある棒のように、4次元時空間内の出来事(事象)の隔たりがどこへ持って行っても一定だなんて、聞いてすぐ腑に落ちるわけがない。

自分で書いておいて、なんという言いぐさか! と怒られて当然なのであるが、言い訳させてもらうと、これを説明するのは、結構面倒なのである。つまり、4次元棒の長さ(時空間における出来事の隔たり)が、いかなる慣性系でも一定だなんて、全然自明なことではない。ましてや、普通の脳内回路を持つ人にこれを納得することは、まず不可能である。

さて、ここから先で、私は4次元棒の長さの話をする。敬遠して逃げずに是非呼んで貰いたい。多分、相対論の理解で挫折する人の大半は、この理解(といようより納得)を拒否するところにあると私は考えている。相対論で遊ぶためには、重要な関所である。ゲーム感覚で乗り切って貰いたい。

まず前提を書いてしまおう。それは前項で書いたことだ。
慣性系(K)でも
2 + y2 + z2 = (cT)2

慣性系(K’)でも
x'2 + y'2 + z'2 = (cT')2
が、成立する。なぜなら、いかなる慣性系でも光速度は一定値(c)に観測されるという実験事実があるからだ。
勘違いを払拭しておこう。

たまたま、原点が一致していた二つの慣性系(K及びK’)のまさに原点において、光が放射された。K系とK’系は相対速度(V)を持っているため、ある時間の後には二つの慣性系の原点は、距離(V×時間)だけ離れている。
ところが、それにも係わらず、光速度が一定のため、光源から出た光は、双方の慣性系の原点から同一距離の球面上にいる。(ガリレイの相対性原理ならば、K’系では、x軸方向に縮んだ楕円球に見えるはず。)

つまり、光速度不変の原理のために、ガリレイ変換が成り立たない。
そこで、ガリレイ変換を次のように改訂する必要が生ずる。
x' = (x - VT)
y' = y
z' = z
T' = x +
言いたいことは、次のことだ。
光速度を一定にする(実験の結果、光速度が一定となることを忘れないように)ためには、速度を構成する要素(速度=距離/時間)の中の、『距離(空間)』『時間』の双方が、それぞれ相手の影響を受けると考えなければならない。
だから「K’系の『空間(x')』は、K系の『空間(x)』とK系の『時間(T)』に影響される関数になる。同様にK’系の時間もK系の『空間(x)』とK系の『時間(T)』に影響される関数になってしまう。
あとは、次の連立方程式を解いて、を決定すればよい。
2 + y2 + z2 = (cT)2
x'2 + y'2 + z'2 = (cT')2
x' = (x - VT)
T' = x +
これを解く過程は省略する(興味のある人は是非解いて貰いたい)が、結果は以下のようになる。
= = 1/√(1 - V2/c2)
= -(V/c2)/√(1 - V2/c2)
さて、整理してみよう。元の式に、を代入してみると、
x' = 1/√(1 - V2/c2)(x - VT)
T' = -(V/c2)/√(1 - V2/c2)x + 1/√(1 - V2/c2)T = 1/√(1 - V2/c2)(-Vx/c2 + T)
となる。
今、1/√(1 - V2/c2)をγとおけば、
x' = γ(x - VT)
T' = γ (-Vx/c2 + T)
と、纏めることができる。ちなみにこの、γ = 1/√(1 - V2/c2) を、ローレンツ因子と呼ぶ。

一言いいたい!





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8.ローレンツ変換

おさらいをしておこう。
光速度が、いかなる慣性系で測定しても一定値になるという事実は、ガリレイの相対性原理が正しくないことを証明してしまった。
ガリレイの相対性原理から導かれる座標変換は、次のようなものであった。

x’ = x - Vt
y’ = y
z’ = z
t’ = t
Vは、相対速度であり、ガリレイの相対性原理では、相対速度に時間をかけた分だけお互いの距離は離れることになる。
今、物体AとBの相対速度をVABとし、物体BとCの相対速度をVBCとすれば、
x’ = x - VAB
x'' = x'- VBC
であるから
x'' = x - VABt - VBCt = x - (VAB + VBC)t
と、速度の加法則が成り立つ。
これを、ガリレイ変換と言うのであった。

対して、アインシュタイン特殊相対性原理から求められる変換は、次のようになった。
x' = γ(x - VT)
y' = y
z' = z
T' = γ(-Vx/c2 + T) = γ(-(V/c2)x + T)
但し、γは、ローレンツ因子であり、γ = 1/√(1 - v2/c2)である。
また、ここでは、相対速度は、x軸方向に限定しているので、yとzは変わらない。
この変換を、ローレンツ変換と呼ぶ。
なぜ、アインシュタイン変換と呼ばないのかというと、この変換に登場するローレンツ因子(γ)は、その名の通り、ローレンツが導いた式であるからだ。

ローレンツ変換は、ガリレイ変換のように、単純な速度の加法則には従わない。

一言いいたい!