第1章光ってなにもの?


【わかっても相対論第1章光ってなにもの?】

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1.光の速さ

そもそも「速さ」とは何か?である。自動車を運転する人なら、納得していただけると思うが、「速さ」とは、「移動した距離」を「かかった時間」で割ったものである。
時速60Kmで走る自動車は、一時間に60Kmを走るので、速さが、「60Km/時」なのだ。ちなみにこれを、1秒間に何m走るかであらわせば、「16.66666・・・m/秒」となる。(時速60Kmって意外と速い、ウサイン・ボルトの全力疾走の二倍まではいかないが、まあ、そんなもんである。)

ガリレオの時代から、の速さというものは考えられていた。ガリレオは数キロメートル離れた山の頂に二人の人を配置し、片方がもう片方に光を発し(懐中電灯というものは、ガリレオの時代には存在しなかったので、多分ランタンに覆いでもかけたものを使用したであろう)、それを認めたもう片方は最初の片方に光を発する、という手段で二つの山頂間に光を往復させ、その時間を計って、光の速さを求めようとした。

ところが、後に精密に計測された光の速さは、とてもとてもそんな手段で測れるほど遅くはなかった。ガリレオ方式で測れる速さは、精密な光速の誤差の範囲にもならないものであった。理由は簡単である。光の速さは、人間が、光を見て相手に送り返すという生物学的反応速度を遥かに超えていたからである。

ここで、普通は皆さんよくご存じの説明がなされる。「光は一秒間に地球を七周り半する」という聞き飽きた例え話である。光が1秒間に走る距離の桁違いの大きさを表現したい意図は理解できるが、私は個人的に、この説明が好きではない。光が地球の周りを回る?そんなことは、地球がブラックホールでもないかぎり起こらない。しかしここで引用したブラックホールは、実は一般相対論から導かれる結論であり、ここで引用してはいけないのである。だからいい直す。地球の近辺を発した光は、ほとんど地球など無視して、彼方へすっ飛んで行くのであり、光が地球の周りを回るなどという現象は絶対に起こらない。誤解せぬように。

アメリカのマイケルソンは、巧みな工夫で、精密に光速を測定し、ノーベル物理学賞を受賞する。
ここで気にとめておいて欲しいことがある。ノーベル物理学賞というのは、実験物理学者にもえこひいきなく贈られるのである。(理論物理学者にばかり贈られているのではない。意外とその辺知らない人が多い。)プロローグで述べたように、「物理学」とは「人間が認識しうる自然現象を説明する学問」である、のであって、「人間が認識しうる」という事は、言葉を換えていうと「観測できる」に非常に近い。したがって実験物理と理論物理は、物理学の表と裏であり(どちらが表で、どちらが裏ということはない)、実験物理が観測した事象を理論物理が説明したり、理論物理が予言した事象を実験物理が確認したりしている。むしろ、理論物理学者がいい出したことが、実験物理学者によって確認され、「晴れて両者がノーベル賞」ということが普通なのである。
みなさんの多くは、ともすれば実験物理を軽く見る傾向があると思われるので、ここは強調しておきたい。

話が飛んでいる。今回の結論、光の速さは、約300000Km/秒である(正確には、299792.458Km/秒なのであるが、まあ300000Km/秒と覚えて問題はない)。
この速さを実感できるだろうか?この速さで地球を発した光は、1秒ちょっとで月面に到着する。(アポロ11号とNASAとの交信に2秒程度間が入ったのは、光(=電波:後述)が地球と月面を往復するのに2秒ちょっとかかるためであった。)

マイケルソンが光速を精密に求めた方法は、ここで詳しくは述べない。なぜなら後に出てくる、マイケルソンとモーリーの実験の方が有名で、こちらと混同するおそれがあるためである。決して私が怠けている訳ではない。



一言いいたい!





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2.マックスウェルの電磁波

さて、「光の速さは、約300000Km/秒である」ことがわかった。前項で書いたのは実はそれだけのことである。

前項では、は地球から月まで1秒ちょっとで走るといった。もう少し付け加えると太陽までなら8分程かかる。なんだ意外と光って遅いではないかと思う人、それは認識が違う。宇宙が大きすぎるのだ。太陽に一番近い恒星(ケンタウルス座アルファ星)まででさえ、光で4年かかる距離なのである。これを4光年という距離単位で表すことは多分承知であろうと思う。

次に、光は、約300000Km/秒で走ることは、わかったとして、いったい何が、約300000Km/秒で走るのか。バカなことを言うな、光だといったのはお前ではないか、と怒らないように。空間を走るものには、二種類あって、それは、「粒子」と「波」なんだぞ、といえば、ふーん、と納得してもらえるであろうか?「ホントかい?」と、疑う人は少し考えてみてちょうだい。

人とか新幹線とか川とか風とかは、どうも「粒子」が走っているようだ。それでは、海面を進む「」は何が走っているのだろうか?海水が走っているのならそれは粒子が走っていることになるが、実は違う。
海の上に浮いているボートの下を波が通り過ぎる、と言っても不思議には思わないだろう。ボートは上下に揺れるだけで、海の上を進まない。なのに波は進んでいる。これは、水面の揺れ(高い、低い)という状態が進んで行くのであって、海水の分子が進んでいるのではない。(岸壁で砕け散る波や、海水浴場に押し寄せる波は例外。これは実際に水分子が動く。)

実は、揺れなどのような「状態が進んで行く」ものを、「波」と呼ぶのである。風は空気分子の移動だが、音は空気分子の粗密という状態が移動して行くので波なのである。えっ、「空気の粗密」ってなんだって?うーん、詳細は略す、と言いたいところであるが、お前は、都合悪くなるとみんな、「詳細は略す」ではないか、と言われるのは火を見るより明らかなので、一応説明する。
空気は気体なので、分子と分子の間にすきまがある。で、空気に圧力がかかると、すきまが縮まって、その圧力がかかったところで少し分子が混むのである(すし詰め状態)。満員電車と違って、空気には囲いがないので、混んだ分子は反動で、広がって、そのとき思わず広がりすぎて薄くなる(すいた状態)のである。この状態が次々ととなりの空気分子の中を伝わって行くのが音なのである。すいた状態を「粗」といい、混んだ状態を「密」というので、音というのは空気の分子の「粗密」という状態が進んで行くので「波」なのである。
とこれでいいかな。
ついでにいうと最初に空気に圧力を与えるものが人間の喉だったら、その音波を声という。
(うーむ、この調子で行くと、相対論にたどり着く道のりは遠いぞ)

さて、本項の結論であるが、マックスウェルという人がいて、この人は、電気振動の研究をしていて、電気が振動するとそこから磁気が発生し、その磁気が振動すると電気を発生することを発見し、これが空間を伝わっていくのが電波であることを示した。そして、計算によってその速さが、299792.458Km/秒になることを発見した。どっかで聞いたことのある速さだなあ、と考えてみて、ああ、光と全く同じだ、ということに気がついた。

それで、光も実は電波と同じものであることがわかり、この電気と磁気が相互に発生し、派生的に移動して行く状態を電磁波と呼んだ。つまり、光は波であることを示したのである。
で、それまでいろいろな名前でよばれていた以下のものが、全て電磁波であることがわかった。そして電磁波の波長(波の高いところから次の高いところまでの長さ)の順に次のようになることもわかった。
電波・・・マイクロウェーブ・・・赤外線・・・可視光(一般の光)・・・紫外線・・・X線・・・γ線
さて、ここで問題が持ち上がる。それは光という波(電磁波)は、いったい何が揺れる状態が伝わって行く波なのか、という問題である。

一言いいたい!





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3.エーテル!

光は電磁波というである、という話を前項でしたのである。そこで問題になったのは、電磁波は何が揺れている波なのか、ということであった。

音なら空気、海の波なら海面が揺れてできる波であることは容易にわかる。しかし、は、何も存在しないはずの宇宙空間を伝わって来るのである。揺れるものなど何もないはずである。誰もそれに答えることはできなかった。

そこで、ホイヘンスという人が、「エーテル」という「なにものか」が、宇宙には満ちており、これが揺れているのだ、と言い出した。ここで、ことわっておかなければならない。この「エーテル」とは、化学でいうところの麻酔薬のエーテル(化学式C25OC25)のことではない。紛らわしいが間違わないように。

要は、電磁波を伝える媒体として、宇宙空間に満ちている物質(というか存在というか)を「エーテル」と呼んだのである。このエーテルなるもの、その詳細についてはなにもわからないまま、存在のみが信じられた。(実はこういうことは、物理学の世界ではそれほど珍しいことではない。なんだかわからないけれど、『あるもの』を仮定すれば、現象がうまく説明できるものを物理学は数多く使用してきたし、今も使用している。しかし、何度もいっているように、この『あるもの』は、実験によって確認されなければならない。
さて、このエーテルには、ひとつ絶対に持っていなければならない条件があった。
それは、「光を伝えるエーテルこそが、この宇宙で唯一の静止物質である」ということである。

なんで急にそんな結論が出てくるんだ?と思った人は、とっても健全である。しかし考えてもみて欲しい。この宇宙で、止まっている物体って何だ?地球は太陽に対して動いているし、太陽だって銀河系内で移動している(らしい)し、銀河系だって、アンドロメダ星雲に対して動いている(らしい)のだ。そして、その合間をぬって走って来る電磁波は、エーテルという媒質が揺れて伝わって来るのだよ。

考えてみよう。この宇宙のあらゆる物体が他の物体に対して動いているとすれば、エーテルはそれらに対して止まっていると考えなければ、存在する意味がないではないか。だって、電磁波は、何もないはずの宇宙空間を走って来るのだ。その何もない空間を満たすものをエーテルと決めたのだから、エーテルは宇宙に対して静止している、というより宇宙そのものでないと、話ができない。ここのとこ、納得行くまで読み返してみてね。

次に、波の速さというのは、何に対して一定か、というのが必ずあって、音なら空気に対して、海の波なら海水(海そのものと言うべきか)に対して、その波の速さは一定なのである。そこで、電磁波は、何に対して一定の速さなのか、それはエーテルに対してである、ということになるのである。

少しわかりづらいと思うので、例をひいて説明する。
音波は、風がないと仮定したとき、空気に対して一定の速さである。(だって音は空気が伝えているのだから。)従って空気に対して静止している人(立ち止まっている人のことよ)には、近づいてくる救急車の音も、遠ざかって行く救急車の音も同じ速さなのである。(違っているのは音の高さであって、近づくときは高く、遠ざかるときは低く聞こえる。これをドップラー効果と呼ぶが、それはどうでもよろしい。)結論を言うと、音は空気に対して一定の速さなのであるから、聞く者が(空気に対して)動いている場合は、音の速さは変わる。(早い話、音速を超えて飛ぶジェット機には、自分が出している音は絶対聞こえない。)

さて、これで波は、それを伝える媒質に対して一定速度ということがわかったであろう。光はエーテルという媒質に対して一定の速さになるのだ。光という波はエーテルという媒質(宇宙)に対して一定速なのである。

若干補足しておく。私たちの「常識」の確認である。
(1)物質(粒子と言ってもよい)は、それを発射する者の速さで、観測される速度は変わる。
(2)波動(波のこと)は、波源(波を発射する者)の速度に関わりなく媒質に対して一定速度になる。
光は、電磁波という波だというのであるから、光を発射する者の速度に関係なく、「エーテル」に対してその速さは一定になる、これが前提(常識)である。

従って、300000Km/秒という光の速さは、宇宙に対してなのであった。
これで一件落着と思ったのだが、さらに重大な問題が表れた。エーテルの存在を証明するために、マイケルソンモーリーが行った実験が、物議をかもすのである。

一言いいたい!





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4.エーテルが確認できない!

エーテルは、ホイヘンスが考えた想像の産物である。従って、それが本当に存在することは、実験で確かめられなければならない。(実験物理が大事というより、確認されない理論は無意味ということを前に書いた。)

しかし、どうやってエーテルの存在を証明できるのか?それには、前項で書いたエーテルの条件である、「宇宙に対して絶対静止」という事実を証明すればよい。つまり地球は、太陽の周りを回っているのだから、少なくともエーテルに対しては動いているはずである。一方、は、あくまでエーテルに対して一定の速さで走るのであるから、そのエーテルに対して動いている地球から観測する光は、来る方向によって速さが変わって観測されなければおかしい。
それを証明するため、地球上を発した光は、地球の進行方向に往復させた場合と、それに直角の方向に同じ距離を往復させた場合、そこに時間差が出るように観測されるはずである、という事実を確認しようとした。

なぜ、こんな面倒な実験をしなければならないのか、と考えた人もいると思う。単純に、東から来る光の速さと西から来る光の速さの違いを見ればよいのではないか、という疑問である。しかしこれではダメなのだ。なぜなら、この時代は、地球が光源とならなければ光の速さを決定することができなかったからである。つまりよその星から来る光の速さはわからなかったのだ。これは、速さが「距離」を「時間」で割ったものである以上当然のことだ。地球の外にある光源までの「距離」も届くのにかかる「時間」もわからない。なにか一工夫必要なわけである。

そこで、音を例に説明を試みる。

音源が(空気に対して)右の方向に秒速100mで走っているとする。そして音速は(空気に対して)秒速300mであるとする。(本当は秒速340mくらいであるが、話を簡単にするため300mとした。)今、点Aにいる音源が、音を出した。そして点Aから発した音を右へ1200mはなれた点Bで反射して音源に返すとする。(図1参参照)

図1

音源から見て、音波が走る距離をを計算してみよう。(注意:点Aも点Bも空気中を右へ動くので、AとBの距離は常に1200m)行きは、点Aから点Bまで音波が走るので、音源の動きに対して、空気は逆方向に走っているように見える。従って、行きに走る見かけの音速は(300−100=200)である。戻りは逆に(300+100=400)になる。あとは図1の通り、往復にかかる時間は9秒となる。
ところが、真横へ発した音は、高さが1200mの二等辺三角形の等辺部を走る(図2参照)ので、ピタゴラスの定理から、図2の通り、往復する時間は、8.485秒である。

図2

面倒な人は、図の計算を正確に理解する必要はない。とにかく、波を進行方向に往復させたときと、垂直方向に往復させた時で、速さに違いが出ることを認めてくれればよい。(一般的なケースをどうしても勉強したい人は、ここを見てちょうだい。)

というわけで、マイケルソンモーリーは、これを光に応用して、精密に測定したのである。(地球がエーテルに対して進んでいる方向とそれと直角方向とに、光を往復させ、その時間差を測定したのだ。)そもそもマイケルソンは、初めて現在の最新技術を使った光速度とほぼ同じ結果を出した実験をした人であった。(それでノーベル賞をもらったことは、すでに書いた。)実験の精度に問題はなかったのである。

その結果、本来違いが出るはずの光の速さに違いはなかった。

言っておくが、この結果を納得できないマイケルソンとモーリーは、何度も何度も、場所や季節を変えてまで実験をやり直したのである。それでも違いを検出することはできなかった。
マイケルソンとモーリーは、「エーテルの存在」を証明しようとして実験を行ったのである。この実験のおかげで、結果的にエーテルが否定されたことで、マイケルソンとモーリーが、悪者にされて、この実験は間違っているから、相対論も嘘である、と主張する変な人たちが今でもいるようであるが、これはちゃんちゃらおかしい。いまも言ったように二人は「エーテル」の存在を証明しようとして実験をしたのであり、時間差が出ることを期待していたのである。また仮にマイケルソンとモーリーの実験が間違っていたとしても、そのあといろいろな物理学者が様々な実験で、この結果を支持しているのだから。(当然のことながら、現在では、地球外に光源を置いて、それこそ、「東から来る光」と「西から来る光」の比較も行われ、それでも違いは検出されていない。)

というわけで、当時の物理学者は困った。エーテルの存在を確認することができなかったのである。
これは何を意味するか、いろいろなな人がいろいろななことを言った。次項はその話を書く。

一言いいたい!





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5.えっ、物体が縮む!?

さて、マイケルソンモーリーの精密な実験によっても、エーテルの中を走る地球上で測定した光の速さに差はみつからなかった。この不思議な事態に対して、おおよそ四つの意見(いいわけ)が出た。
(1)地球はエーテルに対して静止している。よってこの宇宙は地球とエーテルに対して動いている。
天動説の再来である。ガリレオに叱られるので、この説は無視。
(2)地球が、エーテルの中を動くときエーテルを引っ張って動くので、光速の差が発見できない。
地球外からの星の光が季節によって来る方向が微妙にずれる現象(光行差)を説明できずに、没。
(3)光は、エーテルでなく、光源の速さに対して一定である。
もともとの前提であった、「電磁波を走らせる媒質がエーテルである」、に反するので、ダメ。
(4)物体は、エーテルの中で、その圧力により運動方向に対して長さが縮む。
縮む比率まで計算され、これがマックスウェル電磁気学に矛盾しなかった。
どうやら、(4)が最も有望な気配である。この縮む割合を計算したのがフィッツジェラルドという人であり、マックスウェルの電磁気学を用いて、電子の運動を研究していたローレンツが、この計算式を支持したので、この物体の縮みを現した式を、フィッツジェラルド−ローレンツの変換式という。そして、その縮む割合を示した係数をローレンツ因子と呼ぶ。

余談
相対論は、アインシュタインという大天才がいなければ、とうてい出来なかっただろう」という伝説があるが、それは嘘だ。少なくとも特殊相対論に関しては、この「ローレンツ因子」が登場した時点で、ほとんど完成していたと言っても良い。ただその変換の意味する所を誰もが取り違えていただけである。(但し、一般相対論は、アインシュタインがいなければ、半世紀くらい遅れていたと思う。)


上式を覚える必要はない。ただローレンツ因子というものがあることだけ記憶してもらいたい。
上式で、(c)は光速度、(v)は観測者の速さである。前にも書いたが光の速さは、300000Km/秒と、とてつもなく速い。だから分母に現れるv2/c2は、通常の地球上の速度に当てはめるとほとんど0に近いので、物体が縮む割合は限りなく1であり、それが縮んでいるとはわからない。
なに、「精密な測定ができるはずではなかったか?」って。その通りで、原理的には、いくら縮みが少なくとも、どれくらい縮んだかは測ればわかる。ところが、この場合、大問題があるのである。エーテルに逆らって突き進む物体は、みんなローレンツ因子分縮むのである。

何を言いたいかというと、「物質は、エーテルに逆らって進むとき、ローレンツ因子で割った分縮む。しかしそれを測定するものさしも同じ割合で縮むので、縮みを検出することはできない。」というのが結論である。

さて、この結論をどう思うだろうか?なんかだまされた気分?それとも納得した?

プロローグで、「宇宙は1時間に全てのものが2倍になっている。しかし何もかもが2倍になっているので、それを宇宙にいる者には認識できない。」という理論は認められない、という話をした。上記のローレンツの収縮も、同じことが言えないだろうか。

つまり、「物体は、エーテルに逆らって動いている方向に縮んでいる。しかし、全ての物体が同じ割合で縮んでいるので、そのことは絶対に認識できない。」似ていますね。

いくら状況を説明できても、人間が絶対に認識できないものは対象にしない、というのが、物理学の立場であった。だから、いくらローレンツの収縮が、状況をうまく説明できても、それは、エーテルの存在を示す証拠にはならないのである。

さてどうしよう。ここで、アインシュタインの出番が来た。

一言いいたい!





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第1章のま・と・め

さてここまでで言ってきたことを纏めてみよう。これは、アインシュタイン以前の話である。

(1)物理学では人間が認識できない理論は相手にしない。
(2)光の速さは、約300000Km/秒である。
(3)光は電磁波という波である。
(4)光という波を伝達する媒質をエーテルと呼び、エーテルこそが、この宇宙で絶対静止している。
(5)エーテルに対して動いているはずの地球を光源として、光の速度を測ったら、エーテルに対して突き進んでいる方向と、それに直角な方向で、光の速度が変わらなかった。
(6)エーテルを認める限り、物体は、エーテルに逆らって進むとき、その長さが縮むけれど、ものさしも縮むので原理的に縮みを検出できない。従って、(1)の要請により、エーテルは認められない。
(7)困ったよ。

以上である。この後、いよいよアインシュタイン登場。

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