第1章 原子の構成


【わかるまで素粒子論「入門編」 第1章 原子の構成】

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1.原子

分子の話はせずに、最初の素粒子として原子の話を始める。
なぜなら、科学史においては、分子の概念より先に原子が登場するからだ。それは古代ギリシャ(およそ紀元前400年)に遡る。科学史と言ったが、当時は原子を実証したわけではないから、科学というより、むしろ哲学である。
デモクリトスが言い出した「アトム」が多分最初の素粒子である。これ以上分割不可能で不変な最小単位としてアトムは考えられ、そのアトムが存在しうる場所として、「真空」がある、と彼は言った。これが原子論の始まりである。

しかし、それに待ったをかけたのがアリストテレスである。アリストテレスは、「自然は真空を嫌う」という考えの持ち主だったので、デモクリトスのアトムを激しく批判した。真空なるものを自然は嫌うのだから無い。従って空間は必ず「何か」で満ちている。だから物質はどこまでも分割可能だ、としたのである。アリストテレスの影響(この場合は悪影響と言える)は大きく、再び原子論が世に出るのは、17世紀に入ってからのことである。

余談
アリストテレスが「自然は真空を嫌う」と考えた根拠は、簡単に説明できる。ストローを液体(水でよい)に突っ込んで吸うと、水はストローを上がってきて、口に入る。水がストローを上ってくるのは、口が空気を吸い出して「真空」を作ろうとしたからである。アリストテレスによれば、自然は真空を嫌うので、水が真空をうめようとして上って来る、というわけである。さて、みなさんはこれに反論できますか? 「トリチェリーの真空」というキーワードで調べてみてください。


さて、デモクリトスの「アトム」が、その種類に関しては言及していないのに対し、19世紀、ドルトンは化学変化の際の質量保存の法則、および定比例の法則を矛盾なく解決するために、原子という概念を提唱した。それは次のようなものである。

   (1)同じ元素の原子は、同じ大きさ、質量、性質を持つ
   (2)化合物は、異なる原子が一定の割合で結合してできる
   (3)化学変化は、原子の結合状態が変化するだけで、新たな原子を生成したり、消滅させたりしない

要約すれば、自然は新たに生成したり、消滅したりしないものの結合(組み合わせ)で出来ている、ということであり、原子は、ものの性質を維持する最小単位である、ということである。

1869年、メンデレーエフにより、元素の周期律表が作成され、それまでに発見されていた元素ばかりでなく、未知の元素の存在まで予言されたのである。(現時点でも未発見の元素は数多く存在する。)

ここで、「原子」と「元素」は何が違うんだ、思ったあなた、ここでは同じものと考えてよい。(元素とは原子番号だけで区別されるのに対し、原子はそうではない。さて何が違うのでしょう?)

「原子」が素粒子であった時代は、20世紀初頭に終わる。ラザフォードが、原子核を発見したからである。このことにより、原子とは、原子核の周囲を電子が回る、という内部構造を持つことが判明したのである。

一言いいたい!





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2.原子核

前項で述べたように、それまで物質の最小単位と思われていた原子には、内部構造があることが発見され、それは、正の電荷を持つ原子核と、負の電荷を持つ電子から成っていることが判明したのである。

それまでは、J.J.トムソンが言い出したスイカモデル(本当は、プラム・プディング・モデルというらしいが、私はスイカモデルで押し通す)が主流だったのが、ラザフォードは、金箔にアルファ線を照射し、惑星モデルが正しいことを確認した。(詳細は、「なにはさておき量子論」第1章 3項参照)

さらに、ラザフォードは、アルファ線を窒素ガスに当てた時に出てくる正電荷の粒子が水素原子の原子核と同じものであることを突き止め、これを「陽子」と名付けた。水素原子は、最も軽い原子であることは早くから知られており、つまり原子核も最も単純な構成(何か一個の粒子から出来ている)と考えられた。この一個の正電荷粒子を陽子であるとしたのである。

そして、ラザフォードは、金箔に照射したアルファ線の散乱角度から、原子核の大きさ(この場合窒素)が10-14m以下であることを確認した(実際には、10-15mのオーダーだった)。原子の大きさ(軌道電子の広がり)が、10-10mであることを考えると、原子核はとてつもなく小さいことが理解できると思う(原子核は、なんと原子の大きさの10万分の1だ!)。これを例えて言うと、多分皆さん聞いたことがあると思うが、次のようになる。


東京駅に直径1mのボールをおいて、これを原子核に見立てると、原子の大きさを決める電子は、だいたい甲府、銚子、宇都宮を通る円軌道となる。図では、東京にあるボールが大きく書かれているので錯覚するかもしれないが、実はあれは直径1mの玉なのだ。実際の大きさに書いたら見えるものではない。つまりは、そのくらい原子核というのは、原子一個の大きさに比べて小さい。(原子の大きさというのは、量子論では、電子の広がり、と言った方がよいのだが、詳細は、「なにはさておき量子論」第3章 4項の後半部分を参照)

続いて、ラザフォードの弟子であるチャドウィックは、アルファ線を比較的軽い原子核にぶつけた場合、電荷を持たず、陽子とほぼ同じ質量をもつ非常に透過力の強い粒子が飛びだして来ることを発見し、この粒子を「中性子」と名付けた。これにより、原子核とは、少なくとも、陽子・中性子から出来ていることが解ったわけである。

当時、元素は、92種類発見されていた。(ちなみに元素番号92はウランである。)原子が素粒子であった時代は、その種類は少なくとも92個あったのである。(メンデレーエフ元素周期律表には、260あまりの元素が書き込まれている。)この多数の原子が、たった3種類の粒子から出来ていることが分かり、電子・陽子・中性子が素粒子である時代がやって来た。時に1932年である。



前項で問いにした「元素と原子の違い」の答え
元素というのは、原子の性質別の種類を表す名前のようなものである。元素の性質は、原子核内の陽子の数(電荷)で決まる。ところが、同じ元素でも、異なる原子が存在するのである。それは中性子の数が異なる「もの」だ。これを元素の同位体(アイソトープ)という。要約すると、元素とは種類であり、原子とは実態である。

一言いいたい!





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3.核子

原子核を構成する粒子、陽子中性子は、電子に比べて格段に質量が大きく、原子のほとんどの質量は、陽子・中性子であると言ってよい。参考のために質量を書いておくと、

   電子 :9.1094×10-31[Kg]
   陽子 :1.6722×10-27[Kg]
   中性子:1.6749×10-27[Kg]

となる。中性子は陽子より若干質量が大きいが、ほぼ同じであり、電子の1836倍余りにもなる。電荷が異なるだけで、性質のよく似た陽子と中性子を総称して「核子」という。

さて、ここで問題である。

   正電荷の複数陽子が、極めて狭い原子核に閉じこめられているのに、なぜクーロン力で反発しないのか?

当然の疑問ではないだろうか。原子は、水素原子を除き、複数個の核子(但し、中性子だけでできた原子核はない)が、10-15mという極々狭い領域に閉じこめられている。同じ電荷同士が反発することは周知の事実である。それなのに、なぜ原子核はバラバラになってしまわないのか? 不思議と感じたことはないだろうか。

実は、この問題に対する答えは、そんなに難しくはない。核子間には、電荷による斥力より大きい力が働くのだ、と考えればよい。(コロンブスの卵でしょ。)そして、その力は当然、電磁気力(クーロン力)とは異なる力である。

ここで、電荷による斥力(電磁気力)は、何に基づいて発生するのかを思いだしてもらいたい。(「なにはさておき量子論」の第4章参照) 電磁気力は、荷電粒子光子キャッチボールすることにより発生する力であった。「」の概念では、近接力すなわち粒子と粒子が何か別の粒子を交換することにより粒子間に力が働く、と考える。とすれば、核子間に働く力も何かの粒子をキャッチボールしているのではないか、と想像するのは無理な話ではない。

ご注意
核子とは、実験により、少なくとも陽子(Proton)、中性子(Neutron)とから出来ていることが解ったのである。この読み物では、今後何のことわりもない場合は、その頭文字から、陽子を「p」、中性子を「n」で表すことにする。ちなみに、電子(Electron)は「e」である。

ここまでで、私たちは、素粒子候補として、次の粒子を知ったわけである。

   (1)光子(電磁気力を媒介する粒子)
   (2)電子(負電荷を持ち、原子核の周りにあって、原子を構成する粒子)
   (3)陽子(正電荷を持ち、原子核を構成する粒子)
   (4)中性子(電荷を持たず、電子核を構成する粒子)
   (5)?粒子(核子間に働く力を媒介する粒子)

ここで、次の疑問を持った人は素晴らしいセンスを持っている。
核子には、「p」と「n」がある。とすれば、そこに働く力の種類はひとつでなく、

   @p−p間力
   An−n間力
   Bp−n間力

の三種類ではないのか? うーむ、鋭い。さて、どう考えようか。

以下、次章  一言いいたい!