野宿者ネットワークの2000年度の活動報告

(1)西成公園の労働者の支援


 @公園整備工事をめぐって
 2000年の公園整備工事は、公園南東エリアの東側部分を対象に、工事区域の労働者が公園内の空きスペースに移動することで5月にはじまった。工事は11月には終了したが、整備された区域は開放されることなくフェンスに囲われ封鎖されたままである。広域避難場所への改修という名目はどこにいったのであろうか。野宿労働者締め出しの意図をあからさまに示している。
 97年度予定の公園整備計画で残ったのは南東エリアの西側部分だけとなった。ここには現在70人の労働者がテント生活をしている。公園内の空きスペースはますます狭まっており、これまでのようなやり方では工事は進められないところにきている。

Aこのような中で、昨年末、西成公園での仮設一時避難所(シェルター)建設計画が浮上した。長居公園での仮設一時避難所建設に続くものである。
 すでに昨年秋以降、野宿者ネットワークは交流会の場を使って長居公園の状況や自立支援センターの状況を労働者に報告してきたが、いよいよ西成公園でも仮設一時避難所計画が動き出す中で、今年1月より西成公園労働者学習会をこれまで2回開催した。
 1月27日の第1回学習会には40人を超える公園の仲間が参加した。まず野宿者ネットワークから自立支援センターの実態と問題点を整理して伝えた。「自立支援センター」は就労自立を図る目的でつくられたが、現状では基本的なところで機能していない」「自立支援センターで仕事を見つけることができなかったときには再び野宿状態に戻らざるをえない」「西成公園で対策が動き出したら行政に労働者の意見を聞く機会をつくらせ、行政の責任をはっきりさせ、それに基づき要求すべきことを要求することが必要だ」。
 これをうけて労働者からは切実な意見が多く出された。「もっと頻繁に情報を提供してほしい」「自立支援事業の全課程にわたる行政の責任体制や相談窓口がはっきりしていない」「わしらは、いま現にテントで生活をしている。しかし、シェルターや自立支援センターは生活の場とは言えない。仮設住宅や低家賃住宅なら生活の場と言えるが、わしらの生活の場を捨てて入所しろというのは納得いかない」「夫婦連れの場合どこの誰に相談したらいいのか」等々。
 そして3月2日の第2回学習会には16人の仲間が参加した。第1部の最初に遠藤弁護士から法律的な立場から居住権や行政代執行、テント撤去の際の同意書の問題について話をしていただいた。これをめぐる質疑応答では「人間の生きる権利はどこまで主張できるか」「行政代執行に対してどのような抵抗ができるのか」「西成公園で公園整備工事が終わった場所を封鎖している。これは法的に許されるのか」といった質問が出された。
 そして第2部では行政に望むこと、シェルターができたときの身の振り方などをアンケートに記入してもらい、仲間の声をだしてもらった。最後に行政に対する要求作りをみんなで力を合わせてやっていくことを確認して学習会を終わった。
 西成公園の仮設一時避難所計画は2001年度の大阪市の予算として計上されている。7月頃には具体的なところが浮かび上がってくるだろう。仮設一時避難所計画にいかに莫大な税金を投入しても、就労一住居一生活保障の抜本対策を打ちださない限り、なんの前進ももたらさないことは明らかである。道は険しいけれど、労働者の団結を固めてあくまでも抜本対策を行政に求めていくことを基本的なとりくみとしてすすめていかなければならない。

B野宿者ネットワークと公園の労働者との交流会はほぽ月1回の割合で定期的に開催してきた。また昨年9月2日には暁光会、カトリック南港チーム、SVPと野宿者ネットワークの合同で盆踊り大会を盛大に開催した。また今年1月1日には毎年恒例の団結もちつき大会を開催した。労働者の参加を広げていく努力など課題も多くあるが、このような日常的なとりくみは我々も労働者との交流を深めると同時に、労働者の団結固めを支援していくうえで大きな意義をもってきたと言える。

(2)関谷町公園の労働者の支援

 関谷町公園では咋年12月、地元の町内会の人から公園の労働者に日本橋中学の改修工事の件が告げられた。日本橋中学の校舎の改修工事に伴い仮設校舎を関谷町公園に建てるので公園から出ていってもらいたいというものだ。ただちに労働者と野宿者ネットワークが連絡を取り合い、大阪市教育委員会に事実確認を行ったところ、2001年度の予算で改修工事を計画していることが明らかとなった。すぐに公園の労働者の交流会を開催した。交流会では「学校の改修工事に必ずしも反対するわけではないが、公園の労働者には生活がある。公園から追い散らすようなやり方は認めることはできない。仮設校舎を建てるなら公園ではなくグランドに建てればいい」という態度を確認し、警戒を怠ることなくのぞんでいくことを意志統一した。この問題での労働者の動きはすばやかった。
一このことは毎月第1士曜日に開催している交流会の蓄積が生み出した成果といえる。
 新年度に入ってまだ行政の動きは具体化していない。公園からの排除の策動に対しては労働者の団結した力で打ち返していきたい。

(3)小林俊春さん追悼

 2000年7月22日、天王寺駅前商店街で野宿を余儀なくされていた小林俊春さんが、若者4人に襲撃され殺害された。8月1日には襲繋グループの4人が逮捕されたが、このグループは、「こじき狩り」と称し襲撃をその年のはじめから周辺の公園、路上などで繰り返し行っている。小林俊春さんは67歳、広島県福山市出身。釜ヶ崎で長い間仕事
を求めてきた労働者だ。若者らに暴行をうけるいわれなど何もない。若者らが日頃の憂さを晴らすために、野宿を余儀なくされている労働者に殴る蹴るの暴行を加え、あろうことか命を奪うなど断じて許すことはできない。小林俊春さんを無念追悼する。
 野宿者ネットワークは事件当日の7月22目が定例の土曜夜回りであったが、それを天王寺に一本化して、現場での情報収集を行い、翌23日立て看板を設置して小林さんの追悼と目撃情報の提供を訴えた。さらに、釜ヶ崎反失業連絡会など釜ヶ崎で運動する諸団体に呼びかけ、現場での追悼集会を8月2日に行った。追悼集会には約100人の労働者、市民が参加した。また、追悼集会に先立って、野宿者ネットワークはマスコミ各社に野宿者襲撃事件の資料を公表した。2000年3月から7月までの5ヵ月間に日本橋で発生した44件の襲撃事件をまとめたものである。放火6件、エアガン10件など悪質化の一途をたどる襲撃事件の実態を明らかにしたものである。8月2日の追悼集会の模様はマスコミでもとりあげられた。その影響もあってか襲撃事件は1ヵ月ほど影を潜めた。しかし、襲撃はその後も至るところで続いている。
 野宿労働者への差別襲撃をやめさせていくとりくみを、野宿労働者と共に杜会的な世論に訴えることも含めてねばりづよく進めていかなければならない。

(4)路上での追い出しに対する支援        

 大阪市建設局中央工営所は2000年5月以降、日本橋高速下東側で野宿する労働者に対し工事を口実とした追い出しをかけてきた。工事の分割や工事終了部分への移転を認めず、あくまでも工事区域の労働者の排除をはかろうとするものであった。野宿者ネットワークは8月に中央工営所と2回交渉をもち、何らかの手だてを示すことを求めたが、誠意ある回答を示すことはなかった。中央工営所は秋に入って追い出しの圧力を強め、労働者を追い立てながら工事を強行していった。この過程において野宿者ネットワークとしては部分的な関わりを持ちながらも、労働者を支えきることはできなかったことは反省する。

(5)土曜夜回り

 野宿者ネットワークが2001年4月下旬の土曜夜回りで確認した野宿者数は次のとおりである。北心斎橋筋104(102)、日本橋(東)路上部分72(80)、日本橋(西)路上部分110(143)、阿倍野方面130(79)。カッコ内は2000年4月下旬の数字である。
 日本橋(西)路上部分の減少はでんでんタウンの工事による締め出しのためである。
繋華街のあちこちで工事などを口実に締め出しが行われている。

(6)生活保護のとりくみ          

@西成公園や土曜夜回りでの生活保護の相談に対応してとりくみをすすめた。高齢者、障害者、病弱者を対象に施設退所時、病院退院時の敷金支給はほとんど問題なく認められている。
A野宿から居宅保護を求めた佐藤邦男さんの裁判は釜ヶ崎医療連を中心に闘われている。佐藤さんの裁判は野宿から居宅保護を切り開くためにぜひとも勝利しなければならない裁判である。
B野宿生活経験のある生活保護受給者の当事者グループであるささきつつじ会やつきみそうの会は、生活保護を活用して地域に根ざした生活づくりのとりくみをすすめている。野宿者ネットワークとしても連携してともに進んでいきたい。

(7)2000年ー2001年第31回釜ヶ崎越冬夜回り     

 野宿者ネットワークは例年通り、釜ヶ崎越冬パトロ一ル活動の一環として釜ヶ崎北回りと釜ヶ崎地区外を中心に越冬夜回りを担った。釜ヶ崎地区内の野宿労働者数、臨時宿泊所入所数とも減ってきており、釜ヶ崎地区外に出て野宿している傾向がさらに進んでいることがわかった。

(8)野宿者ネットワーク通信とニュースの発行

 野宿者ネットワーク通信公園版は、2000年5月から2001年5月にかけてNo51〜60を発行した。路上版はNo49〜51を発行した。
 野宿者ネットワークニュースはNo10〜12の発行にとどまっている。会員、読者のみなさんにはこの場をかりてお詫びします。少なくとも年4回の発行をめざしたい。

この1年は自立支援センターと長居公園をめぐり大阪市行政め野宿者対策が本格的に動き出した年であった。西成公園もいよいよ仮設一時避難所の建設が進められようとしている。労働者の生活にいかに向き合っているのかが掛け値なしに問われる。このことを肝に銘じて今年度も活動していきたい。