▼刊行された著作について


ルポ 最底辺 不安定就労と野宿(2006.8.29〜2007.7.10)
(ちくま新書 2007年8月刊行)

はじめに 北海道・九州・東京…その野宿の現場
第一章 不安定就労の極限 一九八〇〜九〇年代の釜ヶ崎と野宿者
第二章 野宿者はどのように生活しているのか
第三章 野宿者襲撃と「ホームレスビジネス」
第四章 野宿者の社会的排除と行政の対応
第五章 女性と若者が野宿者になる日〜変容する野宿者問題〜
第六章 野宿者問題の未来へ
あとがき


内容は、一般向けの「(釜ヶ崎をはじめとする)寄せ場と野宿者問題について」。
北海道から沖縄まで、非常に多くの地域や問題について触れている。何人かには該当箇所の確認をお願いしたが、あまりに多くの問題について触れているため、何らかの間違いや問題を含んでいるかもしれない。(気づいたら、教えて下さい)。
タイトルだが、後書きにも書いたように「ルポ 最底辺」は編集者の命名である。個人的には気が進まなくて、「他のタイトル、たとえば『究極の貧困としての野宿』ではどうか」と言ったが、編集者から「ぜひとも「ルポ 最底辺」でいかせてください」(大意)ということで、不承不承、承諾した。しかし、これも後書きで書いたように、この永田さんが声をかけてくれなければ、このような本を書く機会はなかっただろう。ぼくに本を書かせようとしたこの奇特な編集者に感謝している。


フリーターニートひきこもりホームレス――ポスト工業化日本社会の若年労働・家族・ジェンダー
(2004.8.3〜2005.6.27 2007.3月加筆修正)

T・労働のインセンティヴの変容
U・カリカチュアとしての日本の家族―「会社人間+専業母親+専業こども」
V・「フリーター・ニート・ホームレス」そしてジェンダー
π・「W」へ向けての間奏
W・労働・家族・ジェンダーのリストラクチュアリング(闘争としての協力ゲーム)

「フリーターズフリー」創刊号(有限責任事業組合「フリーターズフリー」)に掲載


〈野宿者襲撃〉論(一部を除き2003.3.22〜2005.10.29)
(人文書院 2005年12月刊行)

前篇
T・「人の命は大切」なのか?
U・野宿者襲撃は「正義」だったのか?
V・「90年代、少年犯罪は凶悪化した」のか?
W・少年たちが野宿者襲撃をしているとすれば、少女たちは何をしているのか?
X・「まったり革命」とは何だったのか?
Y・「まったり革命」が追い抜かれたとき、何が語られるべきなのか?

後篇
T・野宿者襲撃の性質は変化しつつあるのか?
U・アンケートに見る中学・高校生の野宿者への意識
V・「1968年革命」と共同体の崩壊
W・「学校内虐待=いじめ」と「学校外虐待=野宿者襲撃」と
X・なぜ野宿者襲撃は思春期に特有な行為なのか?

終章・日本における「89年革命」とは何だったのか?

付録「野宿者問題の授業」



2000年4月1日から仮に「文書」として 

T―▼1990年10月2日「暴動」 ▼1990年秋「反差別共同闘争」 U―▼「2000年12月31日〜2001年1月1日」 V―▼「2001年2月7日 フリーターは野宿生活化する?」▼「2001年3月6日 フリーターに未来はない?」 W―▼「野宿者襲撃論」

という構成で書いてきた文章は、最終的に2つの「フリーター論」と「〈野宿者襲撃〉論」にまとまった。
「〈野宿者襲撃〉論」の「前篇・後書き」で書いたように、ぼくは1986年から釜ヶ崎で日雇労働運動と野宿者支援運動に関わってきて、襲撃の話を日常的に 見聞きしていることもあって、この問題に長く関心を持っていた。この文章は、これまで考えていたことをまとめたものである。
「〈野宿者襲撃〉論」は、ぼくが長く考えてきた事の一つの面をすべて投入した内容になっているのかもしれない。そして、2つの「フリーター論」と「野宿者襲撃論」を書き終え、今までとは全く別の方向へ向かわなければならない位置に自分が来たことを痛感している。


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