2──実例としての

 1945年、55歳のウィトゲンシュタインは「哲学探究」の序文でこう言っている。
「4年前、わたくしは、自分の最初の書物を再読し、その思想を解説しなければならない機会に見舞われた。そのとき、突然、旧著の思想と新しい思想を一緒にして公刊すべきではないか、新しい思想は、わたくしの古い思想との対比によってのみ、またその背景でのみ、その正当な照明がうけられるのではないか、と思ったのである。/すなわち、16年前ふたたび哲学に従事するようになって以来、わたくしは、自分が最初の著書の中で書き記しておいたことのうちに、重大な誤りのあることを認めなくてはならなくなった」(藤本隆志訳 強調引用者)。
 最初の書物とは、もちろん「論理哲学論考」である(ウィトゲンシュタインの生前に出た本は「論理哲学論考」と、あとは子供向けの「辞書」だけ!)。
 よく知られているように、ウィトゲンシュタインは1918年、29歳の年に「論理哲学論考」の草稿を完成し、その序文にこう書く。「この書物で伝達される思想が真理であることは不可侵であり決定的である、とわたしには思われる。従って私の見解は、問題は本質的な点では究極的に解決された、というものである」(奥雅博訳)。哲学の問題をすべて、彼によれば消去したこの「ライフワーク」(モンク189)の完成後、ウィトゲンシュタインは哲学をやめて、まったく別の人生を歩み始める。
 そして、ウィトゲンシュタインはそれから10年後、哲学へ復帰する。だがそれ以降、彼はそのほとんどの時期をかつての「論理哲学論考」への徹底的な批判に費やすことになるだろう。そして、それは主として「哲学探究」としてまとめられる。つまり、「哲学探究」はそもそも「論理哲学論考」への徹底的な批判である。言い換えれば「哲学探究」は、ウィトゲンシュタインが自身の「論理哲学論考」の「あらゆる側面について再考することを余儀なくされた」(ブーレーズ)結果のものである。
 しかし、合冊本に収められる2つの著作の関係は、実際にはどんなものだったのか?
「ウィトゲンシュタインは、たびたび『論考』をけなすようなことをいろいろと私に言っていた。けれども、この本が、やはり、重要な仕事であるとみなしていたことは確かである。だいいち、『探究』の中で、この本の誤っている箇所を是正するために懸命になっていた。また、『論考』の中で自分はすでに完全にでき上がった見解を示していて、今度の本はそれに対してちがった見方をするだけだ、と私に言ったこともある」(マルコム「回想のウィトゲンシュタイン」板坂元訳)。
 つまり、「探究」は「重要な仕事である」「論考」の誤りを「是正する」、いわばそれを補完する試みだった。言い方を変えれば、「探究」は「論考」がなければ絶対に存在しないという意味で、前者に完全に依存した哲学なのである。
 それに対して、次のような反論はここでありうるだろうか。つまり、以前の哲学にかかわっているよりは、それから離れて自由な発想で哲学を考えていくべきではないか。未練がましく前の哲学の補充をするよりは、別の独自のものを求めていくべきではないか。他の人ならともかく、ウィトゲンシュタインほどのオリジナリティにみちた天才ならそれくらいのことは当然できるし、またそうすべきなのではなかったか?
 しかし、ウィトゲンシュタイン自身はこう言っていた。「私の思考は本来的に再生的でしかないと私が考える場合、そこに一つの真理があると信じる。私は思想の運動をいちどもつくりだしたことはなく、それはいつも誰か他の人たちから与えられたと信じる。私はたんに明晰化という自分の仕事に熱中し、その思想運動に進んで飛びついた。このようにして私はボルツマン、ヘルツ、ショーペンハウアー、フレーゲ、ラッセル、クラウス、ロース、ワイニンガー、シュペングラー、スラッファから影響を受けた。ユダヤ的再生の一例として、ブロイアーとフロイトをあげることができるだろうか――私がつくるものは、新しい比喩である」(336)。
 ウィトゲンシュタインの言うところによれば、彼の思考は「つくりだす」ものではなく「いつも誰か他の人たちから与えられた」。例えば、「論考」はラッセルの論理学への批評であり、「探究」は「論考」への批評であり、そしてその発想は特にスラッファによってヒントを与えられた。「私の思考は本来的に再生的でしかない」。つまりウィトゲンシュタインは、自分は本来的に「第1の思考」に対する「第2の思考」の哲学者だと言っている。
 
 しかし、なぜ「探究」は「論考」と一緒の合冊本として出されなければならないのか?
 「探究」は、おそらく「論考」の立つ前提を指してこう言っていた。
「この考察が、およそ興味あるもの、すなわちすべて偉大にして重要なるものばかりを破壊しているように見えるのに、どこからそれが重要であるなどと言えるのか(いわば、すべての建造物が石の破片と瓦礫だけを残しているというのに)。しかし、われわれが破壊しているのは空中楼閣だけなのであって、われわれはそれが立っていた言語の地盤を露わにしているのである」(「探究」118)。
 「建造物」は、「偉大にして重要なるもの」と思われた。しかし、それは実は誤った前提に立った「空中楼閣」なのだった。こうして、「真理」はその地盤を失う。しかし、そうだとしてもこの建造物は消え去りはしない。なぜならそれは「空中楼閣」だとしても、我々がなおそこに住もうとせざるをえないような空中楼閣なのだから。
「ふつう哲学では、ある概念を、ある決まった見方で見るように強いられていると感じるものだ。私の教えることは、べつな見方がありうるということを教え、あるいは進んでそういった見方を創造することである。今まで考えたこともないような見方がありうることを教える(1946年頃)」(マルコム52)
 ここで言う「強いられていると感じるもの」とは、我々がそれを欲せざるをえないという意味で必然的なものである。それは、理論的にどれほど「破壊」しても、人間のある種の性向が変わらない限り、繰り返し再建されるのだろう。
「ウィトゲンシュタインは、哲学的思考を水泳にたとえる比喩を好んでした。水泳では人間のからだは自然に水面に浮かび上がる傾向がある。人間は水中にもぐろうと努力せねばならない。哲学も同じようなものだ、と」(マルコム60)。「論考」は、人間の言語の持つこの「強いられている」「決まった見方」、いわば「人間のからだ」の自然な傾向を精緻化し理論化している。そのために、「探究」による徹底的な批判によってもその意義は決して消えない。
 
 では、合冊本の中で「論考」と「探究」の対比によって示されるものは何だったのか?
「哲学から生じた諸結果は、ある種の単純な無意味さと、悟性が言語の限界につきあたった際に生じた瘤とが発見された、ということである。これらの瘤が、当の発見の価値をわれわれに認識させてくれる」(「探究」119)。
 ここでいう「瘤」とは、一つには「論考」の言語観が、言語の実際の慣用との間に発生させるパラドックスのことである。具体的にはそれは、「探究」にとって中心的な問題であり、かつ「論考」のような言語観がそこでは破綻する「ウィトゲンシュタインのパラドックス(クリプキ)」として現れるだろう。つまり「探究」は、「論考」という必然性がそこで破綻する領域を作り出し、そこから新たな次元の思考を発生させている。こうして、
「探究」は「論考」の真理性を延長するのでもなく(論理実証主義)、それを無視する(ハイデガー、サルトル、レヴィナスなどなど…)のでもない「ねじれの関係」を描く。
 
「『論考』を書いたとき、単純な対象の例として何か決めていたかどうかを、私はウィトゲンシュタインにたずねた。彼の答えは次のようであった。その当時は、自分は論理学者だと思っていたので、論理学者としては、あれこれの例が単純なものか複雑なものかを決めるのは、必要のないことで、そんなことはまったく経験世界の問題で論理学の問題ではないと思っていた、と。この答えの口ぶりからして、彼は当時の自分の考え方をバカげたものと見なしているのは明らかだった」(マルコム111)。
 つまり、ウィトゲンシュタインの「論考」に対するかつての(キルケゴールの言葉を借りれば)「極まりない信頼」は、そのままそれへの「刺すような風刺」となったのである。「探究」は、「論考」を「重要な仕事」だと認めると同時に「バカげたものと見なしている」。しかし、「探究」の「論考」に対するこのアンヴィバレントな評価は、合冊本全体の中での「探究」への評価にも返ってくるのである。1949年、「探究」を仕上げたばかりのウィトゲンシュタインは、主治医に自分の哲学を説明していて「ひょっとしたら全部まちがいかもしれません!」と叫ぶ(マルコム68)。
 そして「論考」に対する態度の転換は、ウィトゲンシュタインに突然訪れた。それは経済学者スラッファによる批判である。
「スラッファは、あれやこれやの細かな点ではなく、彼の全体の展望に関してウィトゲンシュタインに再考させる力をもっていた。このことを例証する一つの逸話がある。それはウィトゲンシュタインがマルコムとフォン・ウリクトとの両人に話し、そのとき以来何度も繰り返し語られてきたものであった。それは、ウィトゲンシュタインが命題と命題が表現している事柄は同じ「論理的形式」を表現していなければならないと主張した会話に関するものである。この考え方に対して、スラッファは指先で顎をこするナポリ人特有のジェスチャーをし、そして尋ねた。「その論理的形式は何か」。その話によれば、この発言によって、命題はそれが表現する実在の<像>でなければならないという『論考』の考え方をウィトゲンシュタインは主張するのを断念した」(モンク277)。
 実際には、この「断念」から「ウィトゲンシュタインのパラドックス」の発見までの距離はまだ遠い。しかし、おそらくその一瞬から、ウィトゲンシュタインは「探究」のウィトゲンシュタインへと変わり始めた。「どんな人の人生も、それがどれだけ複雑かつ充実したものであっても、実際は一つの瞬間からなりたっている」。あの複雑で見通しのつきにくい「探究」は、しかしこの「一つの瞬間から成りたっている」。
 
 結局、合冊本「『論考』+『探究』」は「論考」の「是正」となっているのだろうか?
 しかし、「探究」と「論考」とは足し算や修正によってより「真理」に近づくという関係に立ってはいないのではないか? むしろ「探究」が見せているものは解決が絶望的に見えるパラドックスであり、そこから展開される、いわば「単純な話が形のゆがんだものになってしまう」「非現実的な」「不慣れな思考法」(カフカ)だった。そのパラドックスは、クリプキの言うように「哲学的懐疑論の新しい形」であり、おそらく哲学に永遠に残る問題を提出する。一方、その「真理であることは不可侵であり決定的である」はずだった「論考」は、このパラドックスによって空中楼閣化を余儀なくされる。
 そして、2つを両方肯定できるような視点もウィトゲンシュタインによって与えられてはいない。なぜなら、そういう超越的地点はおそらく存在しないからである。この2つの哲学の間にある中心的なパラドックスが解決不可能であるように、合冊本「『論理哲学論考』+『哲学探究』」は、哲学がもはや決して扱いえない領域が出現する場所となる。そしてそれは同時に哲学の「腐朽した柵を打ち破る」。言い換えれば2つの思想の対比は、単独の哲学の範疇でもなく、またすべてを統一する超越性でもない、別の次元を生み出している。
 この次元では、合冊本「『論理哲学論考』+『哲学探究』」は、相手を「重要な仕事」と認めると同時に「バカげたものとみなしている」だろう。そして自分をその「論考」の「是正」とみなすと同時に「全部まちがいかもしれません!」と叫ぶだろう。それは、自分と相手との致命的限界を笑っているが、同時に互いの存在を肯定している。それは「狂気」と紙の裏表のユーモアである。多分こうしたユーモアによって初めて、自殺スレスレの世界を生きていたウィトゲンシュタインはその危険から逃れることができたのかもしれない。「まじめで立派な哲学の論文が、はじめから終わりまで冗談をつかって(もちろん、ふざけた態度ではなくて)書けると、いちどウィトゲンシュタインが言ったことがある」(マルコム18)。
 ウイトゲンシュタインの構想した合冊本は、哲学の「価値」は他の哲学との「関係の価値」であり、そして「単独の哲学」なるものはむしろ形而上学的な仮定であるということを即物的な形で示している。ウィトゲンシュタインは、「探究」の序文で2つの哲学の対比によって「正当な照明」が与えられると言った。だが、この「『論理哲学論考』+『哲学探究』」という合冊本が生み出す「正当な照明」は、同時に単独の「論考」をも新しい光で照らし出すだろう。それは、単独の「論考」も単独の「探究」も知らない光、互いに合致する統一不可能な「複数の思考」からはじめて差し込む光なのである。


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