■大阪YMCA国際専門学校・国際高等課程の生徒・先生の感想文


■注■
ボランティアクラスで野宿者問題の授業を聞いた1年生から3年生までの生徒たちのうち、何人かに感想文を書いてもらいました。以下は、そのうちの比較的まとまった内容だった幾つかです。この他にも何人分かありますが、例えば「こどものことをやりたいと思っていたので、ずっと野宿者のことばっかりだったで残念だった」というものなどでした。
また、今回の一連の授業の担当だった2人の先生にも感想文をお願いしました。お二人は、まったくの初心者であるわれわれを常に支えてくださいました。前例の少ない「野宿者問題」の授業をここまで長い間一緒にやっていただいたことを、ありがたく思います。

 生徒の書いた文章について、幾つかコメントをします。
 2番目の感想の中に、「大阪市はその人達のために何の行動も起こさない」という箇所があります(授業では、「行政の対策はあまりに不十分」程度の触れ方でした)。ただ、実際には大阪市は自立支援センター、南港臨時宿泊所、三角公園と西成公園シェルターなどを作り、特別清掃などの事業を行っています。その意味で、何もしていないわけではありません。ただ、野宿者の置かれている状況と比べれば「瀕死の重傷にバンドエイド」の状態であることは否めません。さらに、各公園からの、何の解決にもつながらない、野宿者を苦しめるだけの追い出しを大阪市が常日頃繰り返していることなどを考えると、「本当にいらだちを感じ」る他ない、というのは妥当なところだと思います。
 3番目の感想に、「初めてかまがさきを見学したとき、ホームレスのいるばしょなどをチラチラみんなでみまわったとき、ホームレスの人に『なんやねんコイツら』って言うてるのが聞こえた。そのときはあまり気にしていなかったが、今になって思えば自分がホームレスの気持ちになってみればそれはいやであると思う」とあります。彼は、授業でもこの点を言っていました。これは確かにポイントを突いています。(他の生徒にも釜ヶ崎に行ったことについてどうだったか聞いてみると、「実際に行ってすごいショックだった。それで、あらためて関心を持った」という意見も出ました)。それであらためて思ったですが、現地に行くこと、さらに授業に野宿当事者を呼ぶことには、われわれはもっと慎重であるべきでした。現地に行くことについても、最初に「見学に行って、釜ヶ崎の人は『見せものじゃねーぞ』と思うかもしれない。でも実際に行かないとわからないこともいっぱいある。その点をふまえて、相手の気持ちを常に考えながら見ていこう」みたいな事を言っておくべきだったようです。
 4番目の感想、5番目の「プロフィール」(論文「Affluent society」をぜひ見てください)は3年生のもので、どちらも授業をきっかけに「夜回り」や「炊き出し」などで自ら釜ヶ崎に積極的にかかわってきた生徒たちです。彼女たちについては、これだけ激しい反応を示したことに、驚きと感激とを感じています。5番目の英文の生徒は、文章の中で自分の関心について触れていますが、4番目の「野宿者問題を知って」の生徒もバングラデシュとのフェアトレードなど、すでにいろんな活動にかかわっていました。こういった生徒と出会い、かかわりを持てたことは、(授業など初めてであるわれわれの)ビギナーズラックだったのでしょうか。しかし、おそらく若者のうちのかなりの部分は、われわれの持っていく野宿者の問題にやはり激しい反応を示すのかもしれません。野宿者問題の授業は、社会を変えていく火花を点火させていく可能性を持ちえるのかもしれません。
 1番目の感想にあるように、生徒たちは「家に帰って親とかとホームレスのこととかを話し合ったりして、しんけんに親ともめた」りしています。残念ながら野宿者への偏見が社会全体に蔓延している現状では、野宿者の問題に目を向けた生徒は、周囲の偏見との衝突に見舞われています。できればこの生徒の家のように、「でも、ちゃんと説明とかして親もわかってくれるようになって、とてもうれしかった」となってくれることを、われわれは願っています。



生徒の感想から




はじめにボランティアの授業にでたときに、ホームレスのことするとはおもわなくて、ちょっとびっくりしました。はじめはホームレスの人たちのことを勉強しても意味があるのかなあ?とか思っていたけど、勉強するにつれて、いろんなことがわかってきて、今まで持っていたホームレスのいんしょうとぜんぜんちがうかった。前は、しょうじきゆって、ホームレスの人にたいして、いいイメージとかなくて、汚いとか怖いとかゆーイメージがあったけど、じっさいにしゃべったりしてみて、いい人だなあとか思いました。家に帰って親とかとホームレスのこととかを話し合ったりして、しんけんに親ともめたこととかありました。親もこうゆう話がいっしょにできるようになってうれしいとゆってました。やっぱり親もボランティアの授業にはいる前の私と同じようないけんでした。でも、ちゃんと説明とかして親もわかってくれるようになって、とてもうれしかった。でもやっぱり私がしたいボランティアは、ろうじんホームとかいっておじいちゃんやおばあちゃんと話したりしたいです。家が遠いからあまり遠くへは行けないけど、やっぱりいきたいです。



私はこの授業をうけてきての感想は、今まで普通に生活してては気にもとめてなかった野宿者問題について深く学ぶ事が出来て本当に良かったと思います。この授業で勉強する前は、ぐうたらに毎日生活しているホームレスの人達に対して偏見の目でいつも見ていました。だけど、その人達は(つまらない理由で)実際仕事をしたくても見つからないとか、夜普通に寝ているだけなのに悪質な襲撃をする人がいるのだという事などいろいろな問題があるのだという事に、深く考えさせられました。そして、そういう問題がたくさんあるにもかかわらず、大阪市はその人達のために何の行動も起こさないところに本当にいらだちを感じました。
こういう授業の仕方は私は本当にいいなと思いました。実際そういう仕事の関わりを持った人が授業に来て話すというのは、せっとく力もあるし、わからない事があったらすぐに質問出来るというところでいい点だと思います!! みんなでかこんでいろいろな話をききあったり意見をいいあうのは楽しかったです。こういう授業のし方を通して、この授業を受ける前の私は、自分の意見や思っている事をいうのが難しかったけれど、今は前に比べたら、そういう事をいえるようになって、本当に嬉しいです。ホームレスの人達の事について少しでも知識が増えたので次は何も知らない人達にこの授業で学んできた事をつたえていきたいと思います!! ありがとうございました。



はじめてこの授業を受けるとき思ったのが、なんでホームレスについてのことがボランティアなのだろうと思った。当時はボランティアということはにまったく興味がなく、もちろんホームレスのことで自分が知っているといえば、仕事がなく、道ばたでただ寝ているだけのひとかと思っていた。
しかし、このボランティアの授業を受けて、だんだんと考え方が変わっていきました。まず、ホームレスになるというのなどは、やっぱ一生けんめい働いている人でもやっぱりなってしまうときはあるんだと知った。そして一度、職をなくした人がそこからまた新たに職につくのがどれだけ難しいことかということがわかった。そしてホームレスになってからの生活がどれだけ大変かということも知った。ホームレスのだいたいの生活は、かんかんをあつめたりするか、肉体労働である。そして、そのどちらも普通に職についているものからすればとても安い給料である。かんひろいなどはゴミ回収車がくるため朝はやくからかんをあつめ、そして夕方まであつめるらしい。そんなに大変なのにとても安いお金しかもらえない。肉体労働のほうにいたってはまだましな給料だが、毎日その仕事ができるとはかぎらない。ならんでチケットみたいなのをとってやらなければならないらしいです。ねるとこをかくほするのもいっしょらしいです。ホームレスだって一日一日を生きようとひっしなのであるとそういうとこから思った。もちろん何を考えてるかもわからないグータラな人もいるけど。そして初めてかまがさきを見学したとき、ホームレスのいるばしょなどをチラチラみんなでみまわったとき、ホームレスの人に「なんやねんコイツら」って言うてるのが聞こえた。そのときはあまり気にしていなかったが、今になって思えば自分がホームレスの気持ちになってみればそれはいやであると思う。自分をそんな「見学」というみかたで見られるのはとても気分がいいものではないと思った。しかし「見学」だけというのじゃあなくホームレスを助けてあげるために何かしにあげに行くというのはいいことである。ただホームレスの過去を聞き、なにもしてあげないのなどはとてもボランティアとは言えないと思った。


■野宿者問題を知って
 今、こうして感想文を書くために、授業に参加する前の自分を思いだしてみると、少し怖いような不思議な気持ちになります。仕事のない人達がどうしようもなくなった時、野宿をするのは考えてみればあたりまえのことなのに、どうして冷めた視線を送ってしまうのか。考えれば、「ホームレス」という言葉で野宿者をひとくくりにして、個人として、それ以前に人間性とか人格とか、そんなものに、思いを寄せることはありませんでした。
初めてバスで釜ヶ崎を訪れた時、タイの街角に立っているような感覚になりました。日本というものに持っていたイメージがガラリと変わりました。それは同時に、(とっても個人的なことで恐縮ですが)私がいかに箱入り娘のおじょうさん育ちな人間であるかを痛烈に感じさせられて、なさけないし、ショックだしで、とりあえず、初めての釜ヶ崎は私の中でこんな印象で始まりました。今でも、訪れる度に、ちがう側面を見ます。その度に複雑に感じますが、最初の時に感じた距離は、少しだけ短くなった気がします。
 ボランティアの授業や夜回りでキーワードになっている「襲撃」についてですが、加害者が私と同じ世代ということで複雑です。YM外の友達に、夜回りやボランティア授業の感想とか内容を話すことを意識していますが、それ以上踏み込んでいけないところにジレンマを感じます。
 野宿者問題から社会の様々な問題が見えます。日常の何気ない会話に偏見や悪意を見つけます。それは、本当になにげなく使われていて問題の根深さを見る気がしました。
 生田さんの授業を聞く機会を得られて、本当によかったと思います。学校の授業の中で野宿者問題を取り上げることは意味のあることだと思います。特に私達は社会に出ていない学生という立場なので、なんというか、だからこそ、社会というものを客観的に見やすいところにいると思います。公立や私立の学校へもっとこの授業がしんとうすれば、野宿者問題の理解だけにとどまらず、社会全体が協力的な方向へ変わっていくと思います。


■Profile
 I am a student in Osaka YMCA Internatinal High School. My area of interest used to be outside of the homeless issue. I was originally interested in poverty-stricken people in Africa or South East Asia. At school, I was given a lot of oppotunities to study about street children or girls involved in sexual exploitation. We had a weighty discussion and I felt really passionate about it. In the future, I would take action to help these prople, I said. However, thinking of it now, I feel ashamed of myself. My school is twenty-minutes walk from Umeda, where a vast number of homeless people lie down or hopelessly wander. I had a lot of chance to see their miserable condition, but never thought of them until I met Ikuta-san. He actually came to my school and told us about the reality of homeless people. I was tempted to look into more about Kamagasaki, and shocked that how ignorant I had been and how wrong the society was.
 I believe emotion without action is useless.
It is not enough to feel bad about homeless people.
It is not enough to feel bad about poverty.
It is not enough to wish that we would give the future the better society because we are the future.
I wrote this essay because I wanted you to know that homeless people are desperate to get away homelessness, and we can actually help them. they are waiting for us to come.

Affluent scirty
(英文であるのは、この学校では英語に力を入れていて、レポートも英語、日本語のどちらでもいいため)


                      担当の先生の感想


■大場智美
今回、ボランティアの授業(前期、週1回2時間)にて、釜ヶ崎に現場で関わっている方々を講師に迎え、野宿者問題を全面的に担当して頂きました。

授業ではまず基本的な知識をはじめ、全国の野宿者数、野宿化した幾つかの原因、野宿者の生活、そして野宿者自身の声等、私たち教員の知識や経験では補えない所を深く教えて頂き、私自身も大変勉強になりました。

野宿者問題は授業から発展して現場に携わっていく必要があります。実際、今回の授業が終了した後、生徒側から自主的に勉強会をはじめたり、釜ヶ崎勉強会メーリングリストを作ったりと、ボランティア精神に則った動きが表われたのも、授業の成果だと言えます。

野宿者の現場と教室がリンクされている授業は非常に大切であると私たちは考えています。そして、授業外でも現場の方々に末長く色々と指導して頂けるのも有難く思います。

授業における重要な点は、学校側が野宿者を講師として迎え、学ばせて頂くという態度を保つ事です。日ごろ周囲から偏見を持たれている野宿者を敬うという「逆転の発想」によって、生徒の物の見方がかわる可能性があります。そして、私たち教員が野宿者に頭を下げる事がきっかけとなって、人は皆平等なのだと教える事が出来るかもしれません。若者による野宿者襲撃が後を絶たないこの時代にこそ、私は一教員として、教育の現場に携わっている方々に、「教師が野宿者に頭を下げる事の大切さ」を力説したいです。

東京で中学生が野宿者を撲殺した時に、その担任教師が「アメリカのテロ事件以来、学校では「やられたらやりかえせ」という報復がまかり通っている風潮がある」と言い、最後まで一言も被害者に対するお詫びやお悔やみの言葉がなかったことに、同業者として多大なる怒りを感じました。TVでの会見でしたので、もしかしたらTV側が意図的に詫びている部分を削除したのか、又は単に私が見逃していた可能性もありますが、学校側の会見で被害者に対する誠意がまったく感じられなかった事に対して、私なりに学校荒廃の危機を覚えます。

「すべての人命は平等に尊い」―――そう教える為には、まず第一に教員の心が改革され、偏見が取り除かれなければなりません。教員が他人を敬う姿勢をとった時にこそ、人権教育が生徒に浸透しはじめるのではないでしょうか。私はこの点を心がけたいと思い、実行したいと願っています。

人権教育は決して机上の空論ではありません。私たちは「野宿者の為に学ぶ」といった他人行儀な態度ではなく、「野宿者から学ぶ」といった、自分たち自身が直接問題に関わっていく姿勢で人権教育を進めていきたいと願っています。


■大見泰子
ボランティアという学校授業を担当するようになって、かれこれ4年が過ぎようとしている。ボランティアという教科に単位をだすことの矛盾はジレンマを抱えながら、試行錯誤を重ねながら、いろんな方の助けを借りながら、なんとかやってきた授業である。これまでにとりあげた内容は、障害者問題、高齢者問題をはじめ多岐にわたる。やり方としては、基本的に担当教員である私が、諸問題の概論的なところをビデオ教材などを使いながら話し合った後、時にゲストとして現場で働く方にきていただいてお話をしていただいたり、また、現場に出向いてイベントのお手伝いをさせていただく、といった風であった。今期、野宿者問題という一貫したテーマで、しかもそのことを生活の中心において活動をしておられる釜ヶ崎の方々に、50分×2時間の十数回の授業内容を構成からお任せして私達担当教員がサブにまわるという方法は今回が初めての試みだった。様々な条件が整って今回の試みが実現するに至ったわけだが、これまでの授業を行う中で私自身がどの問題についても恒常的に関わっていないのは生徒と同じで、各テーマごとに一回ぐらい現場の話を聴いたところで結局問題の表層部分をなぞっているだけなのではないか、という思いは、この試みに関していえばおおいに解消されたはずである。さて、その成果はいかがなものだったのであろうか。生徒自身の内面に起こった変化はそれぞれの生徒が書いた最後の作文をみていただければよく分かる。

週一回の授業の枠の中で、ボランティアの活動を実際にやることはかなりの制約がある。私は、この授業の目標はやはり、主には実際にどれだけの活動ができるか、ではなくこの授業で出会った問題へのいろんな人の関わりや考え方によって授業の外でどれだけ実際の問題と向き合っていこうとする気持ちが生まれるか、だと理解している。今回の試みによって、生徒たちが現代の社会の構造を怒りと痛みをもって理解することに役立ったことは彼らの作文からよく読み取れる。これは、ひとえに生田さん、松本さん、本間さん、大北さんたちのこの問題に向き合う真摯な態度と熱意、そして、彼らに繋がるヒューマンネットワークの賜物だということに感謝をしたい。あとは、彼らのこれからの人生においてこの学びが正しく活かされる事を祈るばかりである。

今後の授業の展開の方法については、まだまだいろんな意味で改良を重ねる必要がありそうだが、今回の授業を通して何人かの生徒は確実に生田さんたちと個人的に活動を共にする事で繋がり始めているようでもあり、こうした延長の上に生徒たちが野宿者問題にいかに効果的に向き合っていけるかを考えて授業を創っていくのは楽しみである。しかし、私自身の中での重要な課題、そして、それはある意味では最も根本的で大切なことであろうことは、私個人がまず、この問題に本当の意味で出会い、向き合えているのだろうか、ということである。生徒の学びをクッションにして私は私自身が野宿者の問題に向き合う努力を怠っているのではないか。小さい子どもがいることで、なかなか現地にも頻繁に足を運べない。そのことを理由にこの問題に関わる人の痛みや怒りを理解することが不充分であることも仕方ない、と心のどこかであきらめているのではないか。生徒に何かを伝えよう、伝えたい、わかって欲しい、と本当に思うなら、まずは自分自身が問題と出会って、感じ、考えなければならないのではないか。言い出せばきりがない。が、ここで私が自信をなくして手を引いてしまってはせっかくの試みを全く無駄にしてしまうかもしれない。この矛盾をどう考えるべきなのだろう。

野宿者の問題にYMCAの学生がこのように継続的に関わるようになったのは、そもそも何年か前、国際専門学校の教員である夫がボランティアコースの学生に、授業の中で一枚の新聞記事をみせたことから始まった。日照りが続いた夏、全国で米不足が叫ばれる中、野宿者のための炊き出しの米不足が深刻化している、という内容のものだった。米がないのなら米を集めてもっていこう、とすぐさま立ち上がった学生達はキャンペーンをはってある期間に集められるだけの米を集めて西成の金井愛明牧師を訪ねた。そのときの金井先生がいわれた、「米を集めてくれることはありがたいが、君達に本当にやってほしいことは、なぜ、ここには米がいるのか、ということを勉強しなさい。そうでなければ、ここでの米不足は永久になくならない。」という言葉に学生達は大きな打撃をうけ、この言葉が彼らの社会の構造理解への動機づけとなった。

この言葉を私も今一度しっかりとかみしめたい。教員としての私は、生徒の心が揺さぶられる体験とそこからの学びを、私自身も主体的に感じとっていける感性をもっているべきだろう。授業を担当された釜ヶ崎にかかわる方達は、深刻化する野宿者問題に、たとえば野宿者に襲撃を加える青少年、その親や教育者の立場からの視点でなく、なにより襲撃され続けている野宿者自身の側に立った視点で運動・活動をしてこられた。この方々と同じ目標を共有し、野宿者襲撃の増える加害者の年齢層である生徒たちを含め、同じ土俵でこの問題に取り組むことができない限り、問題は解決しないだろう。息の長い取り組みになりそうだ。

今期のボランティア授業を終えて、私個人としての振り返りと今後に向けての基本的な考え方の確認です。

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