2009年12月17日・兵庫県立星陵高校・1年生の感想文


僕も将来このような活動をしたいと思っていたから、いろいろと考えることができました。このような活動というのは、アフリカ地域などの難民地域で、医療の仕事をしたいということであるけど、日本の中にも難民地域と同じ現象が起きているのだと知り、自国のことを知らなさすぎると痛感したし、海外の前に、日本の野宿者達を救いたいと思いました。
正直僕の心の中で、少し「ホームレス」ということばに抵抗があります。「汚い」とか「臭い」とか、同じ人間として見ようとしない自分がいる気がします。だから、ビデオでやっていた「子ども夜回り」という活動も、自分もやって、実際の現場を体験してみたいと思いました。
「ホームレスが襲われる」ということは、あってはならないことだと思います。子どもが襲ってくるというのに驚いたし、「ホームレスにならなにをやっても良い」という考えを持たせてしまう親の教育であったり、社会の雰囲気であったり、そういうものを、みんなでなくしていかないといけないと思うし、「暴力をつくってしまう社会」を何とかして、キレイ事になるかもしれないけども「穏やかな社会」になってほしい、いやしなくてはいけないと思います。

野宿をしている人は、怖いっていうよりなんだか不安にさせられます。不況の代名詞と思っていたけど、「こどもの里」が20何年前から夜回りしていると聞いて、そんなに昔からあったのかとはじめて知りました。この前観た映画でも、野宿をしている人に嘘をついて利用してしまう男性のシーンがありました。「仕事を提供します」と言って若い野宿者をおびき出して、その後はとてもとてもひどい仕打ちをしていました。映画だけの話だと思っていたふしもあって、実際の襲撃ニュースを見たときはショックでした。でも、今日のビデオで、子どもたちがおにぎりや味噌汁、毛布を野宿しているみなさんに配りながらコミュニケーションをとっているのを見て、ほほえましいと言ったら変になるけど、あったかい気持ちになりました。経緯を聞くほかに、誕生日を祝ったり、受験の話をしたりしていて、土曜日の夜はきっと野宿をしているみなさんにとってかけがえのない、心待ちにできる憩いの時なんじゃないかと思います。このような触れあいをもっと大事にすべきだと思います。私が、野宿をしている人に会ったら、できるかどうかはわからないけど、話してみるか、なにか食べ物を渡したいです。

私は、ホームレスの人のことを「かわいそうだ」とか「自分はあんな風になりたくない」とか「仕事をしていないからこうなるのかな」とか、見下した考えばかりをもっていました。
今日、この授業を受けたことで、自分はなんて事を思っていたんだ、と反省しました。私の路上生活者をみる目は、その人たちに暴力を与える高校生達と同じだったんじゃないかと思います。路上生活者にとって一番辛いことは、働けないとか、怖くて寝れないとか、そういうのもあると思うけど、私は、社会から嫌われ、世の中の人々から冷たい視線で見られ、見下されることだと思います。自分がもしそんな目で人々からみられたら、私はたぶん死のうと思います。そんな目で今まで私は路上生活者の方々をみてきたのだと思うと、すごく自分が恥ずかしいと思いました。
今日の授業の中で、高校生の放火やエアガンのなどの様々な事件をきいて、とても信じられないと思いました。ただ家がないだけで、なぜ高校生はホームレスを殺しても大丈夫、と考えられるのだろうと思いました。〃houseはあるけどhomeはない〃という言葉に私はすごく納得しました。その高校生たちは心が死んでると思います。そして今を一生懸命生きていないんだと思います。
今日学んだことで、私は変われたと思います。社会ももっと変わってくれたらなーと思いました。

今日の話をきいて一番印象深かったのは、ホームレスの方々への襲撃についてのことでした。襲撃の方法がすごくすごくむごくて、きいているだけで気分がどうしようもなく沈みました。しかも、ひんなむごいことを考えて実行するのが、今、自分と同じ年くらいの人たちだということを知って、哀しかったけれど、それ以上に、なんでそんな怖いことを考えて実行できるんだろう、と憤りを覚えました。
でも、実際には私も今回話をきくまで、ホームレスの方々に対して、何も考えたことがありませんでした。でも、ビデオを見たりして、ホームレスの人たちが思っていたよりも優しいんだなあと感じ、漠然とでしたが、自分にも何かできるのかなあということについて考えることができました。
お話しをきいて、とにかくホームレスの方への差別意識は絶対にもたないでおこう、と思いました。
それと同時に、ビデオで見た「こども夜回り」をしていた同世代、もししくは年下の子どもたちに、心から尊敬しました。同じ年代の人に、襲撃する人も助ける人もいるんだと判って、より、ホームレスの方のことも、自分自身の社会でも役割についても、深く考えるきっかけになったと思います。

私は、ホームレスの人(野宿者)に対して、もともとそんなに差別的な感情は持ってなかったし、現にそんな人たちも悪いことをしているのではないから、同年代の子たちが野宿者に放水したり暴力をふるったりする事件を聞いて、ちょっと悲しかったです。
 ビデオを見て、私が初めて知ったことは、「野宿者の人達の目が、意志を持ったしっかりとしている目をしていること」です。私は、ホームレスの人とかかわりが無かったので、イメージだけで「きっと、うつろな目をしているんだろなあ。」と思っていました。けれど、本当にやさしそうな、強い目をしていて、正直びっくりしました。そのときに、「私達と何も変わらないやん!」と思いました。
 家が無いだけで社会から差別を受けるのは、すごくひどいことだと思います。野宿している人たちは、冬の寒い中、あの段ボールの中で寝ているので、すごいと思います。
 講義中に、「houseはあるけどhomeが無い人。houseは無いけどhomeがある人。」ということを言われてたけど、聞いたときにすごく納得できました。また、夜回りにあんなに小さい子たちが行っているのにもびっくりした。
 今回の講義で、改めて「ホームレス…野宿の人たちは私たちと何も変わりがない」というのが分かり、野宿者に対しての危害が減ってほしいと思いました。

ホームレスの人たちは、本当に、正直者とか、プライドとか、まともな人たちばかりなんだなと思った。人の世話になりたくないから自分で地道に日雇いの仕事をして、少ないけど収入を得て、それで暮らして、とてもがんばっているんだと思った。それに、ホームレスになったのは、その人だけの責任ではないのだと教わった。その人が病気やケガやそんな理由で仕事ができなくなりホームレスになったのだ。そのホームレスの人々も、毎日毎日必死に仕事を探している。だけど、偏見をもつ人や、ホームレスの人たちをよく思わない人が世間に多すぎて、誰も受け入れてくれない。ホームレスの人たちが公園や駅や、繁華街のすみっこで生活しているのが目につくのなら、少しでも協力してあげたらいいと思う。できる仕事なら、ホームレスの人々は、きっちりとやってくれる。今日の生田さんのように夜回りをしている人々も、ホームレスの人々を生活保護でアパートに入れてあげようと努力している。だから、ちょっと家がなかったりお金がなかったり服がなかったりするだけで、そこらにいる人とかわりはないのだから、ホームレスが多くて困っているなら、自らが、それを少しでも改善できるように、どんな小さいことでもいいから、自分ができることをやらなければいけないんだと思った。夜回りなんて、小学生や中学生もやっている。あんなに夜おそくに夜の繁華街を歩き回るなんて、とても危ないし、大変なのに文句なんか言わずに、高校生の私たちよりも、立派に社会に貢献している。まだまだ、この世の中はどう移り変わっていくかわからないから、自分が今何をすべきで何が出来るのか、しっかり考えて、少しでも出来ることを実行し、よりよい世の中になっていけばいいなと思った。

新聞やテレビのニュースであまり見なかったから、他人事のように考えていた。人の多さに驚いた。他国ではよく聞いていたが、日本でも深刻な事を知らなくて、情けなかった。
自分の同年代の人が憂さ晴らし目的等で暴行をふるい挙げ句殺してしまうことにすごい腹が立った。
やる人がどれほど家庭や社会で苦しんでいるかなんて、自分には判らないことだけど、そのたまったものを野宿している人にあてるのはおかしいと思った。同時に、この事だけでなく、いじめなど、若者の事件が増えていく社会を悲しく感じた。皆で止めれるような社会であればいいのに。そしたら野宿する人は傷付かないし、若者たちもむなしさも悲しみもなく過ごせるようになれるのに。
野宿している人たちが何故生活保護をうけようとしないのか、ずっと疑問に思っていて、自分はそれは人としての自尊心なんかのためだと思ってた。けど、今日聞いてて、自尊心とかのためじゃ無い気がした。まだやれる自分に希望を持って1日1日を頑張っていこうとする人たちが、とても強いと思ったし、その人たちにとっては望んでないことだから、おもっちゃだめなんだろうけど、少しどこかうらやましく感じてしまった。自分もこんな時生きていく強さがほしいと思った。
「こどもの里」みたいな所が増えてくれたらいいなぁと思ったし、自分も何かできることしたいと思った。

今日見たDVDの中で、女の子が「襲撃をする人たちの気持ちも分かる」と言っていたけれど、私もその気持ちは分かる気がする。
襲撃をする人たちは、「ホームレス=自分たちより格下の人間」と考えているんじゃないかな、と思う。格下の人間には、何をやっても良い、その存在価値なんて無いのだから… そんな風に考えているかもしれない。(そもそも、そんなことさえ考えず、ただ楽しいからやっているのかもしれないけど)。そんな馬鹿者たちに、どうして命を取られなければならないのか。私は、こんな若者たちがこれからの日本を作っていくのなら、確実に、日本に未来はないと思う。だから、変えなければいけないし、変わらなければならない。社会のためでも、路上生活者のためでもなく、自分自身のために。例えば、今日の講演会。この短い時間の中でも、たくさんの知識を得た人はいると思う。例えばDVDの夜まわり活動。確実に、路上生活者の見方は変わると思う。それを忘れない人たちがつくっていく社会なら、きっと安心してみんなが暮らすことができると思う。だから私たちは、できることをやっていくべくなんじゃないかな、と考える。「路上生活者ってかわいそう」。今日の講演会の感想がこの一言だけで終わらなければいいな、と思う。

はじめて、貧困と野宿についての講演をきいたり、考えたりしました。今まであまり深く考えたことなかったけれど、同世代の人が野宿者を襲撃して、死なせたりしてて、人ごとのような事ではないんだなあと思いました。子ども夜回りは、ホームレスの人のためにもなるし、その子どもたちの勉強にもなるし、もっともこの活動が広がっていけばいいのに、と思いました。鈴木さんの話で、1日10時間以上働いて、900円ほどしか稼げないというのには驚きました。この日本には、とんでもない格差があると思いました。襲撃を受けても、「ねっから悪いやつはいない」と言っていたのは本当に驚きました。こんな優しくてまじめで努力もしている人たちが、なんでホームレスにならなくちゃいけなかったのか、と感じました。原因は、日本社会だと、はっきり思いました。今までホームレスをみると、汚いし、関わらないほうがいい、と思っていたけれど、それは、すごい差別なんだと思いました。同じ人間だと思いました。もう変な偏見はもたないようになりたいです。

ホームレスといえば、「汚い」「こわい」といったイメージがぼくの中でありました。でも今回の講演を聴いて、この考えがおかしいのではないかと思いました。
僕は昔、父と母があることで言い争いになり、けんかをしていたのを覚えています。そのあることとは、父が僕に、「勉強をしなかっさたら、ホームレスになるぞ」と言ったことでした。そのとき母は、「ホームレスだって好きでホームレスになったわけじゃないし、ホームレスだからって馬鹿と決めつけるのはよくない」と言っていました。そのとき僕はあまり「ホームレス」というのに興味、関心はなく、それよれ早く仲直りをしてほしいと思っていました。今考えると、この父と母のそれぞれの言葉だけでも、とても大きな差があったんだと思います。確かに僕もホームレスになるのはいやです。でもそれは、僕だけでなく皆が思っていることだと思います。ただでさえしかたなくホームレスになったのに、さらに周りから非難、暴行をされると思うと、とても悲しいと思いました。今後は、「ホームレスだから…」という意識を改め、もっと不快ところまで考えていこうと思いました。

今日の講演を聞いて、たくさんの野宿者が暮らしているということがよく分かりました。正直、私は野宿者に対して、あまり良いイメージを持っていませんでした。しかしDVDに出てきたこども夜回りでこどもたちが野宿者たちと話しているのを見て、みんな同じ人間で、どのような状態であっても、生きているんだということを実感することができました。
また高校生の野宿者に対する襲撃の数々は、あまりに痛々しいものばかりで、すごく心にささりました。同じ高校生だし、同年代の人が、このような事件をおこしていると思うと、全然人事ではないと思いました。一度野宿者になってしまうと、なかなか元には戻れないと聞きすごく驚きました。家がないということを聞き、断わっていく企業があるのもすごくひどいことだと思いました。きっと人間としては、いい人がたくさんいると思います。ダンボールを必死に集めて生活している姿には、すごく考えさせられました。こんな中、このような人々のために、働いている人もいるというのはすごい事だと思います。私なら、すぐにこのようなことをするのは難しいと思います。やっぱりどこかに怖さとかが残ってしまうと思います。これから野宿者の方々のこととかをもっと考え、社会がよくなるように貢献しながら生活していければ良いなあと思います。

私は今までに、ホームレスの人を見たことが何度もあります。そのときの印象は、「恐い」というよりも同情してしまう気持ちのほうが大きくて、何か私が助けられることはないかな、と思っていました。だから、今日高校生の人がホームレスの人の人にガソリンをかけて燃やしたりする事件がある、と聞いて本当に驚きました。
私はそんことをする高校生の気持ちが全くわかりません。ホームレスの人の人々は苦労して、死や不安と闘って毎日生きているというのに…。
そこでホームレスの人の人々と関わるという「子ども夜回り」。私はこれをすごくいいボランティアだと思います。おにぎりなどの食料を与えることもですが、ホームレスの人々と子どもが会話することによってホームレスの方は勇気や元気をもらえることが何よりこのボランティアの良い所だと思います。もし、身近にこのようなボランティアがあったら、一度は参加してみたいと思いました。なぜなら、お金がなくても、家がなくても、私たちは同じ人間として助け合う義務があると思うからです。
今日の学習でホームレスの方々への感じ方が変わりました。そういう人が増えて、今日聞いた痛々しい事件が減ってくれたらとな、と思います。

私は、今回の講演会を聞くまで、夜回りというものがあると知りませんでした。話にも出てきましたが、親の影響を受けて、ホームレスの人に偏見を持っている子供がたくさんいるそうです。私もその中の一人でした。「ホームレスの人に近づいてはいけません。何をされるかわからないから。」と私は小さい頃から、親に言われ続けてきました。実際、公園などでホームレスの人をみかけたことがありますが、不清潔で何をするか分からない危ない人として見ていた私は、わざと遠ざけて歩いてしまいました。しかし、今回初めて知った夜回りの様子を見て、私の中のホームレスの人に対しての思いが変わりました。
ホームレスの人でもやっぱり色々な人がいる。そのほとんどは良い人ばかりである。
私は、今回の講演会を受けて、今まで思っていたホームレスとは違うということを親に伝え、親にも、ホームレスの人に対しての偏見を見直してほしいと思います。

今回の講演会をきき、思ったことは、ホームレスは経済状態が貧しいが、それを差別してさける人たちは心が貧しいと感じたことだ。第一、ホームレスっていう言葉があること自体まちがっている。
誰が考えたんだろう。特に腹立ったのは、ビデオを見終わった後のみんなの態度だ。わざわざ話をしにきて下さったというのに、やれホームレスが何だとか、やれお前もなるんちがうか等、まるで真剣に話をきき受け止めたとは思えないありさまだった。
きっと、世の中の人も、こういった講演会をうけて、「ホームレスをいじめてはいけないと思った」「かわいそうだと思った」「今度からはホームレスを偏見の目で見ないようにしたいと思った」とか感想を言ったり書いたりするんだろうが、本当にそう思っているヤツなんかほとんどいないと思う。
私の家の近所にも、野宿をしている方がいる。自分がまだ小さい頃、「近づくな」とか、色々親に言われたことがある。しかも、自分自身、包丁を振り回した(野宿している人)に追いかけ回されたことがあった。だから、「野宿している人」→「危険」という感覚が嫌というほどしみついていた。今までの自分が本当に恥ずかしくなる。野宿をしている人たちの立場でなんか一度も考えたことがないのにもかかわらず。
野宿をしている人たちには、思い出がいっぱいあり、なんとか社会復帰したいと一生懸命に今日を生きている。
それが、僕たちはどうだろうか。一生懸命生きてないヤツなんて山ほどいる。だれのおかげで生きているのかも分からないアホが自殺する。生きたくても生きられない人なんてたくさんいるのに、そこに違いが前述にもある通り「心の豊かさ」の問題なのではないかと思う。
包丁振り回して追いかけられたのも、よく考えたら僕らが悪いはずだ。中高生が『ホームレスいじめ』をするから、それに堪えられず反抗するのだと思う。そうでもしなければ、一生懸命生きてきた日々に積み重ねを踏みにじられ、絶たれてしまうかもしれないからだ。だから、中学生くらいの僕をみつけて、追いかけてしまったんだと思う。その時は恐かったが、今は悲しさでいっぱいだ。
親も、友達も、先生も、みんな終わっている。どうせ、野宿をしている人を見つけても、ただ見過ごすばかり、或いはしゃべかけるが、心中では「嫌だ」と思っているかもしれない。こんなこと書いている自分だって、いざ目の当たりにするとためらってしまうかもしれない。けれど、やっぱり、何か得策を机上で考えて綺麗ごと並べているよりも、実際に会って、接していかなければ気付かないことはたくさんあるはずだ。
そうすれば、最初は偏見の目を持っていても、だんだんそれが柔らいでいくかもしれない。心が暖まり、豊かになっていくかもしれない。
だから自分は、本気で実行しようと思います。もし野宿している人がいたら、ためらったり、瞬間的に嫌だと感じることしれないが、声をかけてみようと思う。家族がいないのであれば、国全体が家族でなければならない。そうして、「ホームレスいじめをする人」にこそ、助け合いに参加してほしいし、実際のその人の声を耳で感じとってほしいと思った。
(生田注・包丁振り回して追いかけられたとありますが、理由はともあれ、いくらなんでもやり過ぎだと思います)

帰る途中、たびたびホームレスの人を見かけます。私がよく目にする人も、手押し車にたくさんダンボールを積んでいました。寝るときの防寒対策なのかなぁ、と思っていたけど、今日の講演会をきいて、もしかしたらそのダンボールで生計をたてているのかもしれない、と感じました。
今回一番印象に残ったのは、「ホームレスの人は正直だ」という言葉です。たしかに私もそういう方々をみかけて、「こわい」とか、「何しとんやろ」とか全く思わないと言ったら嘘になります。でも、今日のお話しやDVDから、野宿をしているのは、家がないからで、家がないのはお金がないからで、お金がないのは仕事につけないからで、仕事につけないのは…と考えると、結局、家がない人は「かわいそう」とか、そういうことじゃなくて、他人事のように思えるかもしれないけど、こういう生活を続けざるを得ない状況にしたのはこの社会全体であって、私たちが目をそむけてはいけないんじゃないかと思います。このままにしてはいけないし、生田さんがおっしゃっていたように、「壁が高いなら、階段をつければいい」、その「階段」の一つに、「私たちの意識を変える」ということがあるんじゃないかと感じました。普段は考えなかった問題を見つめなおす良い機会になりました。

今日、ホームルームの人権学習で「野宿者」について、話をきいたりビデオを見て、同世代の同じ人間が同じ人間に暴行を加えたり殺人したりすることに胸が痛くなった。
それぞれに事情があって野外で生活している人たち。
その人たちに対する私の中の見方が変わった気がする。
人に害を加える子供たちがいる一方で、もっと小さい子供たちが夜回りをしていることにも驚いた。もっとももっと昔から、子供たちが小さいときから夜回りとかをして、みんなが野宿者に対する知識があったら暴行事件なども減るのになあと思った。
また野宿者が捨てられた犬や猫を飼っているのに驚いたとともに、仕方なしだとしても自分の生活がぎりぎりの状態で、動物の面倒まで見てあげれるところから、野宿者の方が、そこらへんの人たちよりもよっぽど優しい心の持ち主だな、と思った。こんなに本当は良い方たちが子供に嫌がらせされたり社会から差別されていることが嫌だ。
ハローワークの人たちの大人も、子供にいじめをするなと言うくせに社会全体として差別していることの方が、いじめだと思った。今日学んだことを絶対に忘れないようにしなければいけないと思った。これから私達が大きくなっていく中でも大きな問題だから胸においておきたい。

北海道はおじいさんのイメージだったけれど、女性や若者も増えていると聞いてびっくりしました。しかも女性のホームレスになってしまう原因がDVっていうのは女性にとってすごくつらいことだと思いました。
少年によるホームレスの襲撃の方法はどれもざんこくなもので、中高生がこんなことまでするのかとかなり恐かったです。人に向かってどうしてそんなことができるのか、どんな心を持っているのか不思議です。ホームレスではない私でも話を聞いてこんなに恐いのに、実際にホームレス生活をしている人達が感じている怖さは並大抵のものではないと思いました。
ビデオを見て感じたことは、誰もホームレス生活を望んでいないこと、ホームレスの人も純粋な心を持った私たちと変わらない人間だということ。あのビデオを見て、何度も泣きそうになりました。自分もどこかできっとホームレスの人を違う目で見ていたと思うので、自分の中のそういう部分がこれから改善できたらいいです。


戻る