■2004/5/17■ 中国のホームレス・チルドレンは15万人以上だって…

毎日 「homeless」でニュースを検索してるといろんな発見があるが、中国の野宿者の話はめったに出てこない。それを Australian Broadcasting Corporation の5月16日付ニュースで久々に見た。
それによると、中国の大都市ではホームレス問題が激化しつつあるが、特にホームレス・チルドレンの問題が深刻で、「公的統計では15万人。しかし実際の数はもっと多いはずだ」という。
「1978年まで、計画経済が行なわれていた間は、ホームレス・チルドレンはほんど存在しなかった。しかし経済改革と開放化の結果、人々の経済格差が増大し、ホームレス・チルドレンの問題が浮上した」。
このような記事を見ると、中国は社会主義国(第2世界)というより、「第1世界」あるいは「第3から第1への途上世界」の国だとしか思えない。「東西問題」は事実上消滅し、ホームレス問題をはじめとする「経済格差」という南北問題が、国際的にも国内的にも激化する一方という印象を受ける(もちろん、「数」だけでは問題のありかはよくわからないが)。日本もこの流れの中にいるわけだ。
記事にリンクを張っても、しばらくしたら消える可能性が高いので、あえて全文引用。

Correspondents Report - China's homeless rate growing
Correspondents Report - Sunday, 16 May , 2004
Reporter: John Taylor

HAMISH ROBERTSON: China may have made some amazing economic progress in recent years, but the shopping malls and skyscrapers of Beijing and Shanghai are a glittering facade that obscures a darker side to the country's economic transformation.

Begging and vagrancy are now rife in all of China's major cities, and the authorities are also being confronted by the growing problem of homeless children. Officially there are now 150,000 children who are forced to live by their wits on the streets of China's cities.

Our China Correspondent John Taylor compiled this report.

JOHN TAYLOR: In an underpass below Beijing's main artery the avenue of eternal peace, the usual assortment of buskers, vendors and beggars compete for attention.
Ms Wang, with her right arm amputated just above the elbow, sits against a wall cradling her 5-month-old son, Yongjian. She's a beggar, and a living example of the growing wealth gap in China.

MS WANG: I have no way to make a living at home. That's why I came here. If there is any way out at home, I won't come to Beijing at all.

JOHN TAYLOR: Ms Wang, who out of pride won't reveal her full name, is from a farming area in northern China. Her injury means she can't do as much work on the farm.
She says her husband can't support her and their son and his own parents at the same time, so she has come Beijing to beg, and brought along her baby boy.

Ms Wang wants to find work, and says she won't beg with Yongjian once he's old enough to understand what she's doing.

MS WANG: The "work" of begging, how to say, if there is any other way out, I won't do this at all, especially with a child in my arm. You know why? Because it is not good for the child. What I mean is that when the child gets older, say if he can walk or follow me, maybe next year or later, I won't sit here begging. That's bad for the future of the child, I think.

JOHN TAYLOR: In Beijing however, many children do beg. Probably some are part of organised criminal gangs, but others are also probably acting out of desperation.

Yong Jian and his mother aren't strictly homeless ・they pay rent on a room they share with others with the proceeds of their begging.

But lawyer Tong Lihua, Vice General Secretary of the China Society of Juvenile Delinquency Research, says China has thousands of homeless children.

"The official figure is 150,000. But I believe the actual figure is higher than that. But no one has done a very careful investigation on the real figure", he says.

Mr Tong says the issue of homeless children is relatively new to China. He believes there are many different reasons why so many children are homeless. But he says the majority have something in common ・they come from very poor families.

"Actually, for a long period of time, when China still had a planned economy, until 1978, there were only very few homeless children," he says.

"After the reform and opening of China, with the economic development and urbanisation and with the widening gap of people's living conditions, the phenomenon of homeless children appeared", he says.

JOHN TAYLOR: Mr Tong believes Chinese authorities have begun to address the problem: new child protection laws are being ushered in; shelters are being established, as are various protection organisations. Child homelessness is a complex issue, he says, but authorities have no choice but to act.

"From a moral sense, we have to protect these children", he says. "From the most pragmatic sense, to achieve stability, we have to protect them. Otherwise, if we don't protect them right now, if we don't correct their bad habits, many of them will go down a criminal path. Then the costs for society will be much higher", he says.

This is John Taylor in Beijing, for Correspondent's Report.
c 2004 Australian Broadcasting Corporation


■2004/5/14■ デーリエ演出による「コジ・ファン・トゥッテ」

バレンボイム指揮、ベルリン国立歌劇場管弦楽団による2002年上演のモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」のライヴDVD。
歌手はドイツの若手を起用して粒揃いだし、バレンボイムの指揮も予想を超えてよかった。(先日バレンボイムはウォルフ賞を受賞し、イスラエル国会での受賞演説でパレスチナ占領政策を批判した。受賞を決めたリブナト教育相とカツァブ大統領は、バレンボイムが式典を政治利用したと激しく抗議したそうだ)。しかし、この上演の最大の魅力はなんと言ってもドリス・デーリエの演出にある。
舞台の時代設定時代設定は1970年頃で、ブックレットの城所孝吉評によると、姉妹は「取り澄ましたハイ・ソサイエティのモダン・ガールで、物語はふたりが、ヒッピーの「フリー・セックス」に目覚めてゆくという設定で展開する。初めよそよそしかった彼女たちは、やがて自由な恋愛を謳歌し、「パワー・ラブ」に心を開き始める。そして第2幕フィナーレでは、大勢のヒッピーに囲まれて、エスニック風の結婚式を挙げるのである」。
演出の細部もオペラとしては大胆なもので、姉妹が舞台で脇を剃ってるわ、変装したフェルランドはゲバラプリントのTシャツを着てるわ、さらにパーティの場面では上半身裸の若者が座禅を組んで瞑想するわという感じ。フェルランドはドラベッラの上着をはずしてブラジャーにハートマークを描き、変装したグリエルモは服を脱いでブリーフ一枚になって愛の歌を歌う。おそらく、クラシックの歌手がパンツ一丁で演奏するのは歴史上初だろう。ぼくらは真夏とかにパンツ一枚でピアノを弾いたりするが(もちろん自分の部屋で)、オペラ歌手が舞台でそうするなんてことは考えられなかった。これは見た目にも「快挙」である。
さて、こうした演出の結果として「コジ・ファン・トゥッテ」はどうなるのか。音楽の劇が、限りなく現代に近く生々しくよみがえるわけである。

「極端に言えばモーツァルトが喜劇オペラで扱うのは、今日テレビで大量に垂れ流されているバラエティー番組と大差ない話題ばかりなのだ。いわく「ナンパ術いろいろ(ドン・ジョバンニ)」、「彼女の浮気度チェック(コシ)」、「『もてない君』に彼女を作ってあげる(魔笛)」等等……。だがこうした他愛ないおふざけをいざ音楽で表現するとなると、「真面目な」話題の音楽化よりもはるかに大きな、まさに想像を絶する困難を伴うということを忘れてはならない。押したり引いたりの「ナンパ」の駆け引きを、あるいは「嫌い嫌いも好きのうち」的な多義的な感情を、いったいどう音楽で表現するというのか? 神への祈りや恋する人を一途に思う気持ちや平和への呼びかけをアリアにするよりも、実はこちらの方がよほど難しいのである。音楽史上でこの離れ業をなしとげたのは、モーツァルトただ一人であった。/では「下世話な」話題をモーツァルトはいかにして音楽で表現したかと言えば、逆説的なことに、それは複雑きわまりない音楽技法によってであった。」(岡田暁生「オペラの運命」)。

「彼女の浮気度チェック」あるいは「スワッピング」の劇である「コジ・ファン・トゥッテ」は、音源だけから想像されるような古典的な均整のとれた精妙なアンサンブルの音楽から、ホフマンスタールの言う「すべてがアイロニーであり欺瞞であり嘘」である軽薄かつ多義的な音楽劇となる。そして、その「他愛のないおふざけ」の音楽の中から、どのような哲学や思想によっても表現されえないような人間の奇妙な真実がアイロニカルに描かれる。
オペラの演出という点では、ウェーバーの「魔弾の射手」をペーター・コンヴィチュニーが演出したものが見事で、音楽そのものからは保守性を取り払うことができないこのオペラが、アイデアを凝らした演出によって一気に「現代の作品」に化けたことに驚いた。だが、このドリス・デーリエの演出も破格の出来映えで、ペーター・コンヴィチュニーともどもオペラにおける演出の重要性について思い知らされる(すでに亡くなったポネルは別格としても)。
さて、今度は「東京の郊外に住む高校生のヒロインが、バイオレンス系コスプレ・ルックに、クマのぬいぐるみを抱えて登場」し、ウルトラマンからピンポンパンまで舞台に登場するというケント・ナガノ指揮のプッチーニ「トゥーランドット」のデーリエによる演出を見てみたいが、これはDVDでいつか出るのか?


■2004/5/13■ 「ホームレスさんこんにちは」「A Shelter in Our Car 」「東京ゴッドファーザーズ」

フレスコバルディの「トッカータとパルティータ」とW・F・バッハの「12のポロネーズ」を日々練習する今日この頃だが、
ビッグイシュー日本版の最新号(8号)に、「今冬38222人、増えつづけるニューヨークのホームレス」という記事が載っている。
ビッグイシューのスコットランド版に載った記事の翻訳らしいが、1990年代末から増え続け、おまけにホームレス数の43パーセントが18歳以下というニューヨークのホームレス問題についての記事。
ぼくはニューヨークのホームレス問題については前から関心があって、ネットに出る海外の新聞のニュース(その中ではさすがにニューヨークタイムズが詳しい)を細かくチェックして読んでいた。このビッグイシューの記事は、それらを要領よくまとめたもので、一読に値する記事になっている。
しかし、ネット上のニュースやこうした記事を読んでもいつもよくわからないは、ではシェルターに入っていないニューヨークのホームレスの人たちはどんな具合なのかということだった。事実、上の「今冬38222人」という数字はシェルターに入った人の数で、それ以外の「野宿(rough sleep)」している人は入っていない。そういう人をカウントする試みはなされたことがあるが、支援団体から「数字がデタラメ」という厳しい批判を受けていて、どうもシャキっとしない。
最近出た松島トモ子(ライオンに噛まれた10日後にヒョウに噛まれたあの人)の「ホームレスさんこんにちは」を読んだら、ニューヨークでシェルターに入っていないホームレスを夜回りしていく話が入っていた。もともとは、野宿者に関心を持って東京で会っていたのだが、自分が育ったニューヨークではどうかと思って、ミッドナイト・ランを発見し、そこの夜回りに参加したという。実にいろんな人の話が載っていて興味深いので、これもまた一読に値する。ともかくシェルターについては、「あんな自由のない居心地の悪い危ないとこにはいられない」という意見で一致しているが、どうもそういうものらしい。
と思っていたら、アマゾンに注文していた 「A Shelter in Our Car」が届いた。これは、ジャマイカからアメリカに来た母と娘がホームレスになり、シェルターは居づらいので二人で自家用車で寝起きしているというお話の絵本。二人の朝起きて公園の水で顔を洗って、お母さんを仕事を探すけどなかなかなくて、という様子が語られていく。 最後のページには、「みなさん、ホームレスの問題について関心を持ちましたか? 自分には何もできない、と思う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。例えばこういうことができます、そして関心を持った人はこういうことを調べてみましょう」(大意)と書いてある。日本では「野宿者問題の授業」などは始まったばかりだが、アメリカでは当然かなりの啓蒙活動が行なわれている。こども向けの絵本にしても、日本で野宿者問題を扱ったものは存在しない。「母と娘が野宿する」なんて、日本では考えられない話に見えるかもしれないが、しかし日本でも今「そんな人はいない」と断言できないのだ。そして、これから10年たったときには、こういう内容の日本版の絵本も出版されているのではないかと思われる。
ついでにアニメ映画「東京ゴッドファーザーズ」 (東京国際アニメフェア2004アニメ映画部門で最優秀作品賞)をDVDで見た(去年の公開時には見逃した)。監督は今敏、脚本は「白線流し」の信本敬子。自称「元競輪選手」のオヤジ、性同一性障害らしき「体は男、心は女」の人、家出した女子高校生の新宿中央公園に住む3人組の野宿者が捨て子を見つけ、赤ちゃんを世話しながら親を捜すうち、それぞれの家族や幸せを再発見していくというストーリー。だが、人はなぜ、野宿者が主人公のストーリーを作ると「人間が本当の幸せを見つける」感動ものにしてしまうのだろうか? 野宿者って「不幸な人」の典型なのか? ただ、作品そのものはなかなかおもしろい(キャラも立っているし、特に背景の緻密さには見とれた)。


■2004/5/12■ ファイル交換ソフ トと輸入CD規制問題

ここ数日の新聞に、ファイル交換ソフ ト「Winny(ウィニー)」を開発し違法コピーを可能にしたとして、京都府警が東大大学院助手を著作権法違反の幇助容疑で逮捕した件がかなり大きく報道されている。
プログラムの開発者を著作権法違反幇助容疑に問うのは全国初。京都新聞の報道では、
「包丁は野菜を刻むこともできるし、人を傷つけることもできる。罪に問われるのは、人を殺傷した実行行為者だけだ。拳銃は、人を殺傷する以外に目的を持たず、日本では所持も製造も禁止されている。京都府警が今回、ウィニーという通信ソフトの開発者を著作権法違反の「ほう助」で立件に踏み切るのは、同ソフトをネット社会における「拳銃」の開発に等しい、と判断したといえるだろう」と書いている。事実府警は、Winnyの使い方を紹介しソフトのコピーを手助けしたとして、著作権法違反のほう助容疑でホームページを運営していた人の自宅を家宅捜索していたという(「開発」じゃなくて「紹介」するだけで違反の疑いとは!)。
原則として、ファイル交換ソフ トそのものは著作権に対して中立だとしか思えない。問題はアーキテクチャー(テクノロジー)の革新によって、データ化された作品のコピーと転送が極限に近くコストダウンし、しかも同時にデータ化された作品がこれまた極端に追跡可能になったこととの両面で、従来の法的・経済的・倫理的枠組みが機能不全に陥っていることにあるのだろう(これはレッシグが明快かつ丁寧に説いているところだ)。
それに対して、警察自ら「すばらしい技術」と讃えるソフトを摘発しても、発展的解決にはならないだろう。実際、かつてファイル交換ソフトの嚆矢となった「ナップスター」(これは中央サーバーに依存するタイプ)は、全米レコード工業会らによって起こされた訴訟で著作権侵害を認定され、サービスを停止した。しかしその後、合法的な音楽配信会社が破産したナップスターの商標や特許などを6億円で購入した。こうしてナップスターは合法的な音楽配信として復活してしまった(復活するのは名前だけという話もあるが。しかし、この話は1年前だが、その後どうなった?)。
要するに、ファイル交換ソフ トと著作権の関係は、使いようによってどのようにでもなる。むしろ、あのように見事なアイデアを具体化したソフトを「違法」にしてしまうとすれば、アメリカの著作権延長法(ミッキーマウス保護法)のように著作権の法外な強大化に偏向し、インターネットの自由性を不必要に狭める結果につながるだろう。それは著しくバランスを欠いた判断だと思うが、最近、この手の話が多いのは、やはり業界からの圧力によるものなのか。
しかし、音楽のファイル交換とレコード業界の売上減少の関係については、例えばアメリカの2人の経済学者が、「ファイル交換がレコード業界の売上に与える影響は統計的にほとんど無視できるほど小さく、たとえ影響があったとしてもごくわずかである」という論文のドラフトを出している。今は過渡期なのでいろんなゴタゴタが起きているのだろうが、しかしこの時期の判断が将来のネットの特性を規定してしまう可能性もあるので注目せざるをえない。とりあえず、ネットユーザーは(読みやすい本でもあるし)レッシグの「コモンズ」あたりは読んでおいた方がいいのではないだろうか。

しかし、ぼく自身はファイル交換ソフ トのユーザーではなく、むしろ著作権法改正による輸入CDの規制問題の方が個人的には大問題だと感じている。なにしろ、買うCDの90%ぐらいは輸入盤だから、この改正によって制限がかけられたら本当に困る。それで、最近、この問題に関わる情報を集めていた。それにしても、なぜこの問題についてはほとんど新聞で取り上げられないのだろうか。
グローバリズムとか言ってる割には、CDやDVD(リージョンコード問題)では、むしろ保護主義的な動きが目立っている。この法案の目的はアジアの安い邦楽CDの逆輸入防止だと文化庁は言っているが、法案では邦楽の逆輸入盤と洋楽の輸入盤を区別していない。というか、「日本政府に対して、楽曲の種別を問わず輸入を制限することを要求する」という、全米レコード協会と世界レコード制作者協会からの強硬な意見書が文化庁に送られていたんだそうだ。
アジアの安い邦楽CDについても、その問題要因の一つは、まちがいなく日本発売のCDのべらぼうな高値にある(新作DVD2枚組が3000円台で売られているのに、なんでCD1枚が3000円するんだ?)。ネットで誰かが「著作権の問題と言うが、私だったら、アジアの安い邦楽CDを買って、その上で1000円をアーティストに直接渡したい。それでも日本のCDより安いのだから」と言っていたが、全く同感だ。


■2004/5/1■ 釜ヶ崎メーデー(第35回)

久しぶりに行ってきました。(ここ数年、5月1日は仕事だった…)


■2004/4/13■ 共同通信への記事

共同通信に野宿者問題についての記事を書いた。1回880字が3回分で、「カマやん」で知られるありむら潜さんがイラストを描いてくれている。これは全国のいろんな新聞に随時バラバラと載る予定。掲載日は知らされていないが、原稿料振り込みの通知が来たから、そろそろ載っているのだろう。
内容は○野宿者=ホームレスが日本に今何人ぐらいいて(一般の人は、厚生労働省が発表したトンデモ数字しか知らない)、その原因は何で、野宿者は本当のところどんな人たちなのか。
○野宿者についての一般の人が持ってるイメージは現実とは違うのではないか(ベストセラー「バカの壁」の話など)
○野宿者問題はこれからどうなっていくのか(海外のホームレス問題とフリーター問題など)。
短いものだし、書くのはそんなに苦労しなかったが、そのあとの「数字と事実の検証」がむしろ大変だった。新聞で間違ったデータを使っては、場合によっては致命的な問題になる。いろんなデータを引用したので、担当の記者の人と一緒に、元情報を確認するためにネットを探し回ったり、記者の人がイギリス大使館に電話したりといろんな手間暇がかかった。 
中には単純な勘違いミスもあったが、確認作業の中で興味ある発見もあったので、そのうち2つを書いてみる。

一つは、完成原稿で、
海外の難民問題に深くかかわってきた「国境なき医師団」は、最近、日本の野宿者の医療問題にかかわり始めていますが、「日本の野宿者の保健状態は、難民のそれと同様に懸念すべき問題である」と言っていました。
とした箇所。この国境なき医師団の発言は、最初は、
「日本の野宿者のおかれている医療状況は難民より悪い」
だった。これは、テレビで出ていた山谷、新宿で活動する国境なき医師団の発言を覚えていたので、そのまま書いた。
原稿チェックの最中に、たまたま国境なき医師団のメンバーから「西成公園の交流会に参加したい」という電話が入った。そこで、用件が終わったあとで、電話でこの箇所を読み、これでいいかと一応確認した。すると、「OK」という返事と共に、「難民の医療状況を示す指標がいくつかあるが、それを大阪の野宿者の状況と比較すると、海外の難民キャンプの中でもかなり悪い状態に相当する、そこからあの発言になった」と聞いた。すごい話だとあらためて思った。
しかし、西成公園で実際に国境なき医師団メンバーと会って原稿を見せたところ、「難民といってもキャンプにいる場合、国内でさまよっている場合など、様々な場合がある上、日本の野宿者と医療状況を直接比べることはなかなかできない。この文章の内容で問題になることはないだろうが、テレビでの発言は、多分メディア向けにわかりやすく言ったもので、それが一人歩きするのはやはりあまりよくない。そこで、東京に戻って、問題のない適当な表現を(この字数で)作って、月曜日にぼくのところにメールで送る」ということだった。その結果、上の完成原稿の形になった。

もう一つは、完成原稿で
大阪府立大の去年の研究によれば、餓死や凍死、また治療を受ければ治る病気などによって「路上死」するホームレスが、大阪市内で年間二百人以上になっている、といいます。具体的には、大阪市内で餓死が十六人、凍死が十八人、自殺については全国の全男性の平均の六倍です(2000年)。
とした箇所。
このうち「餓死・凍死」については、当初は産経新聞の記事(03年1月30日)にある「213人が屋外で死亡。このうち餓死が17人凍死が19人」を引用した。ところが、記者から「NPO現場通信や他のウェブ上の新聞からの引用には、餓死18人となっている。どちらが正確か」という問い合わせが来た。見てみると、確かにウェブ上では餓死者は「17」ではなくほとんど「18」になっている。これでは、どちらが正確か判断できない。そこで、この時期、この調査を行なった逢坂、黒田教授が釜ヶ崎に用事で来たので、ご本人たちに直接、原典資料を見ながら聞くことにした。
結論としては、驚いたことに産経新聞の数字もウェブ上の数字もすべて間違いだった。
お二人によれば、上の数字は、「異常死」の死因解明にあたる大阪府監察医事務所のデータから「明らかに野宿者に該当する」ケースを一つ一つ取り出し、それを集計したものだという。しかし、例えば自殺者52人という数字は考えられる最小のものだという。というのも、死亡者の中には、海で死んでいる人もいれば山で死んでいる人もいる。その人たちが、「野宿者」だったのか、また「自殺」だったのかわからない場合があるから、そのときは数字には入らない。そもそも「52人」という数字は、「大阪市内で自殺している、明らかに野宿者だった人」なのだが、大阪市内で野宿していた人が、自殺するときも大阪市内でするかどうかは全くわからない。
また、救急病院に運ばれてから栄養失調で死亡する野宿者も相当数いるが、その場合も「野宿者」としてカウントされない場合がある。したがって、大阪市内で餓死が16人、凍死が18人、自殺52人、という数字は、「明らかにわかっているだけでこれだけ」という最小の数字であるという。
「野宿者問題についてのデータは、調べれば調べるほど見た目より深刻だ」ということがよくわかった経験であった。


■2004/4/10■ イラク・日本人3人の人質事件の発生

イラクで、「イスラムの戦士」と名乗る団体が日本人3人を人質に取り、自衛隊を今日から3日以内にイラクから撤退しないと3人を殺すという声明を出した。
衝撃的な知らせだが、しかしここ数年、特にイラク戦争以降、日本人一般を狙ったテロがいずれ起きるだろうという予想は多くが持っていただろう。その意味では、衝撃とともに「とうとう起こった」とも感じる。
人質になった人たちのプロフィールを見ると、その多くが民間の立場でイラクの人々への支援活動を行なっている。ぼくも、この事件によって「イラクに関わってこういう活動をしている人がいたのか」と恥ずかしながら初めて知った。
例えば高遠さんの場合、イラクの路上生活の子どもたちへの支援活動を去年の4月から続けている。食料品の援助や病院訪問などの活動をし、「イラクの人が自分たちの力で国を作っていけるような組織作りを応援していきたい」と話していたという(読売新聞)。路上生活者への支援といえば、これは人ごとではない。釜ヶ崎を知ってから18年間、野宿者への支援活動をやっているぼくからすれば、具体的な活動方針や思想についてはよく知らないとしても、そういう活動にはある「つながり」を感じずにはいられない。(最近では、フィリピンのストリート・チルドレンたちと日本人の支援者が釜ヶ崎に来て、一緒に夜回りをやったこともある)。
高遠さんは、自衛隊が来てからイラク人から日本人への感情が急に悪化し、活動がやりにくくなったと言っていたらしい。そりゃそうだろう。未だに見つからない「大量破壊兵器」とかの口実で戦争を仕掛けてきたアメリカと一緒になって戦争に荷担し、軍隊まで現場に駐留させているんだから、相当の人は悪い感情を持つだろうと思う。
一方、高遠さんの主催するホームページを見つけて掲示板を見てみると、「自分から危ない所に行ったんだから、こんな目にあっても自業自得だ、迷惑をかけるな」「ここに入ってはいけませんと警告してある滝とか山に近寄ってケガしても、それは自己責任だ。それと同じだ」とか、彼女たちを攻撃する書き込みがわんさとしてあった。(あとで見てみたら、掲示板ごと消滅していた)。しかし、一つには「アメリカと組んだ軍隊による人道支援」なるものがまったく疑問だから、一般の若者がイラクの人々のために危険を覚悟で身銭を切って行っているのではないか。軍隊の派遣が民間のイラクへの支援活動を危険にしたのであって、逆ではない。また、自分が関わっているこどもたちのいる現場が危険になれば、むしろ何をおいても現場に駆けつけて活動する、というのは当然の発想だと思う。ふだん釜ヶ崎で活動している人間が、「暴動」の時に「自分の身が危ないから」などという理由で遠巻きにするわけがないのと同じだろう。
政府は「テロには屈しない」「人道復興支援のために自衛隊はいるのだから、撤退する理由はない」と言っているが、そもそも「人道復興支援」のためになぜ軍隊が出ていくのかわからない。純粋に「人道復興支援」をするなら、NGOなどの民間団体の方がはるかにきめこまかい仕事をするはずだ(あるいは、国家が災害などの復興支援専門の機関を作ればいいと思う)。「人道復興支援のため」とは、「アメリカのため」の言い換えでしかないだろう。それが自明だから、テロリストは「アメリカの盟友」である日本および日本人を無差別に攻撃する。もちろん今回の拉致・脅迫は許されるものではないが、このような理不尽な戦争に荷担し続ける限り、海外で、そして日本で日本人をターゲットにしたテロは増え続けるのだろう。
そして、政府はいったん自衛隊を現地に派遣してしまった以上、脅迫に応じることは簡単にはしないだろう。湾岸戦争以来の、さかのぼれば安保条約以来のボタンの掛け違いがここまで続いているとも感じる。その結果が、戦争とテロのこの連鎖増殖である。しかし、別のわかれ道を選ぶ機会はわれわれにあったはずだし、今もあるはずだ。
今感じるのは、拘束されている3人の活動が、イラクとの、あるいは世界との関係の上で、日本が「人道支援」や「平和」を作り出す道筋の一つを示しているということだ。今回、たまたまこうした人たちが人質となってしまったことをどう考えればいいのだろう。もちろん、誰が人質となっても事件の本質は変わらなかっただろうが、ぼく個人は、拘束された3人の今後の活動への何らかのつながりを持ちたいという思いと、(できることはあまりに少ないが)なによりも3人が無事に生還することとを願っている。


■2004/4/5■ フリーター問題を図にして考える


朝日新聞3月31日夕刊に、小倉千加子が「会社気にかけずに生きる 人生のために利用しても構わない」というエッセイを書いている。一部を引用すると、

最初から「大卒無業」になるフリーターも激増している。彼らの一部には、「本当の自分」という幻想を持つ者がいる。「本当の自分」など実はどこにもいないのに、幻想の自我が肥大し、現在は常に「空虚」で、世界との不調和感に苦しめられている。(…)
就職は結婚と似ている。一つは、どちらも「自分にはこの人(会社)が必要なんだ」と思い切ることでしか決まらないこと。親が「そんな相手はやめなさい」と言っても、本人の意志が強ければ決まる。第二に、「これは自分の理想の結婚(仕事)ではなかった」と、他人から見ればも、なんでそんなことでという理由でもさっさと離れてしまうこと。第三に、どちらになるのも怖くて踏み切れない人が増加していること。


この論説での結論は、

現実には、会社の内部にも、人間の価値が喪失させられている組織に服従することなく、技術を磨き、仕事自体に没入して生きている人はいる。就職と結婚の唯一の違いはそれだ。自己信頼(自信)さえ持てれば、会社は人生のために利用してもいい。

ということだ。
宮台真司が「間違った会社に入ってしまったらどうすべきか」という考察をPRESIDENT Onlineで出している。それについて批判を書いた鈴木謙介は、

日本の組織は公益ではなく内部の論理に資する方向を向いている
・にもかかわらず職業選択で自己実現できるとか思っている奴がいる
・実際には有能な奴はどんどん海外や外資に流出している
・職場の選択を失敗しても耐えうるタフな自己を持て
という話。これは言ってみれば「勝ち組/負け組」の論理で、組織を見切ってジョブホッピングできる有能でタフな奴は勝ち組になれるぞ、お前もタフになれ、ということだ。


とまとめている(いま、なぜかリンクが張れない)。
小倉千加子も宮台真司も、「会社に幻想を持つな。むしろ自分の人生のために(自己実現?)利用しろ」と、似たようなことを言っていることになる。どちらも「新聞の短い文章では、話がどうも単純になるなあ」という感じはするが(最近、小倉千加子の「結婚の条件」を読み返していたのでなおさら)、言っている内容自体はよくわかる。
最近はフリーター問題についての考察が、「就労」「産業構造の変化」「若者の心理の変化」(例えば「解離」)など多くの論点から出されている。フリーターが400万人を超える状況では一つや二つの論点では整理しきれないのが当然で、これからもいろんな切り口の分析が行なわれるだろう。ぼくは、大ざっぱに「企業側からの正社員の絞り込みによって、正規雇用が『いすとりゲーム』状態になっていること」、そして「『会社のため』『国家のため』『家族のため』に働く、という労働のインセンティヴが相対的に消滅し、『自分のため』に働く、というインセンティヴしか残らなくなったこと」の二つに注目してきた。
ただ、最近思うのは、「自分のため」というインセンティヴは、更に分けて考えた方がいいということだ。小倉千加子が「結婚の条件」で、結婚しない女性が増えている要因は学歴(したがって、ある程度まで親の経済力)によって分けて考えなければならない、として、結婚の目的を「生存」(高卒)・「依存」(短大卒・中堅4大卒)・「保存」(高学歴・勝ち組)としている。
それを参考にして考えると、フリーター層のインセンティヴも少なくとも二つに分かれる。一つは「自己の(生存の)ために」働く、という高卒を中心にした層であり、もう一つは「自己の(実現の)ために」働く、という大卒を中心にした層である。(女性フリーターの場合は更に別に考える必要がある)。
整理するために、Y軸のプラス方向(上)を「正社員層」、マイナス方向(下)を「不安定就労層(フリーター層)」、X軸のプラス方向(右)を「自己実現のために働く」方向、マイナス方向(左)を「自分の(生存の)ために働く」方向、更にマイナス方向(左)に「会社のために働く」方向として整理してみた。


   
「会社のため」に働く
正社員層
「自分の(生存)のため」に働く
正社員層
 「自分の(実現の)ため」に会社を利用する
正社員層
「会社」に入りたい
フリーター(不安定就労)層
「自分の(生存)のため」に働く
フリーター(不安定就労)層
「自分の(実現の)ため」に働く
フリーター(不安定就労)層

上の図のうち、「会社のために働く」層と「自分の(生存)のため」の層はかなり重なると仮定して(つまり「会社のため」=「自分のため」という古典的信念が生きているとして)更にまとめると下の図になる。



「会社のため」に
そして
「自分の(生存の)ため」に
働いている
正社員層

 「自己(実現)のため」に
会社を利用する
正社員層

「会社」に入りたい
そして
「自分の(生存の)ため」に
働いている
フリーター(不安定就労)層

「自己(実現)のため」に
会社を避けて働いている
フリーター層

この図は簡単な例で、いろんな論点を入れてもっと詳しく展開することもできる。
ここでの垂直軸は、「新自由主義」による格差拡大、水平軸が「会社からの自由」としての「フリー」ターの自由とそれぞれ重なっている。しかし、この二つの「自由」はもちろん意味がまったくちがう。(これは、個性尊重をうたう「ゆとり教育」において、格差の拡大という「新自由主義」と個人の「自由」という二つの両面があることと全く同じだ)。
さて、小倉千加子も宮台真司も、「D」の人は「B」になりなよ、と言っていると考えられる(あるいは、「A」の人も「C」の人も含めてそう言っているのかもしれない)。確かに、現状では「仕事を選んで」あえてフリーターに向かう層も確実にいるから、この提言はその層については有効かもしれない。
しかし、「仕事の中の曖昧な不安」で言われているように、多くの若者が正規雇用を避けたり、すぐ離職したりする最大の原因の一つは、「仕事が少ない」(企業側が正規雇用求人を減らしている)ため、「自分のやりたい仕事」「悪くはない仕事」そのものが減っていることにある。3月7日に見たNHKのフリーター特集では、新卒高校生が、確かねじかボルトを作る工場の仕事を見学に行ったが、結局本人は服飾関係のアルバイトを希望した、というケースが紹介されていた。確かにねじやボルトを作る現場で「正規雇用」はあるかもしれない。しかし、そういう仕事に「やりたい事」や「自己実現」を求められるかと言えば、多くの若者にとってはキツイかもしれない。要するに、仕事について「やりたいこと」や「自己実現」を求められるのは、現状ではかなり恵まれた人たちだということである。つまり、「そもそも仕事がない」上、「やりたい仕事もない」という二重のハードルがあることになる。「いす取りゲーム」で、イスを取りに行っても絶対にイスの数の人しか座れないのと同じである(誰かがイスを取れば、誰かが落ちる)。そうした現状で、「B」の人になりなよ、という提言は、多くの若者にとっては酷な話ではないかとぼくは思う。
「B」の人というのは、学校で言えば、「学力はあるけど、学校的価値観にはしっかり距離をおいて、学校を適当に利用している」かっこいい人のことである。確かに、そういうヤツはいるが、数で言えば一学年で数人とかではないだろうか。大部分は、「学力があって、学校的価値観は信じている」優等生か、「学力はそこそこで、学校の価値観には逆らえない」大衆層、そして「学力はそこそこで、学校の価値観からは離れている」例えばストリート系の人たちである。そういう場で、「学力はあるけど、学校を適当に利用しているかっこいい人」になろう、とみんなに言っても意味がない。でも、それが小倉千加子も宮台真司の言ってることとかなり重なるとすればどうなのか。
では、どうすればいいのか。とりあえずの解決策の一つは、垂直軸による「正社員かフリーターか」という二極分解を破壊することである。具体的には、オランダ・モデルの徹底的なワークシェアリングが当てはまる。「いす取りゲーム」で言えば、「いすを分け合う」解決だ。
言うまでもないが、ワークシェアリングで「何もかも解決する」なんてことはありえない。ただ、上の図のような硬直した就労体系を変化させる上では、ワークシェアリングは最も効果的な対策となりうるということである。さらに水平軸の「自己実現志向」についても、時間の自由な配分とそれに見合った賃金・社会保障体系を持ちえるワークシェアリングは整合的であるのが強みである。
もう一つは、「起業」である。これは、「仕事の中の曖昧な不安」で推薦されている方向だが、要するに従来の「会社員」という形でなくて、「自分の目的のために、会社を創ろう(「利用しよう」ではなくて)」という方法である。これは「いす取りゲーム」で言えば「いすを増やす」解決である。これが水平軸の「自己実現志向」についてあてはまることは言うまでもない。
では、水平軸についての対策は何なのか。確かに、多くの若者にとって「会社のために働く」というインセンティヴが相対的に消滅し、「自分の(実現の)ために」働く、というインセンティヴが重視されてきた(図で言えばA・Cが減ってB・Dの層が増えてきた)。それ自体は結構なことである。しかし、そこでの最大の問題は、「家族」「会社」や「国家」に代わり得る新たな「共同体」「公共性」が見いだされていないという点にある。うっかりすると、従来の共同体から離れてしまった孤立感から、先祖返り的に「血族的」「超国家的」方向に一気になだれ込む危険もないとは言えない。したがって、新たな「社会」、新たな労働のインセンティヴを作り出す意義があるべきだろう。一部では、NPO、NGOがそれを行なっていると言えるが、それだけでは足りないわけである。(というか、現状のNPO、NGOは、行政(国家)の新たな管理の一翼を担う危険が相当にある)。
さらに、「自己実現」が重視されてきたのはいいとして、小倉千加子の言うように「『本当の自分』など実はどこにもいないのに、幻想の自我が肥大」している状態、つまり「全能感(過大なプライド)」と「自己信頼(自信)」の解離が進んだ状態はあまりよくない。それについては、特に学校の中で「自己と社会との関係」を現実的に捉え返す場がないことが致命的なのだろう。よく、社会に出てからもう一度学校に戻って勉強できるシステムが必要だ、といわれるが、そうした方策などが確かに必要とされるはずである。
こうまとめてしまうと、フリーター問題も「みもふたもない話」みたいだが、何にせよ整理可能なところは整理してしまうのがいいと思う。
(以上の内容の大体は「フリーターに未来はない?」とかで書いているが、続きはそのうちまとまった文章にするつもり)。

(今日の産経新聞の夕刊を見ると、香山リカまで「みんな、フリーターになるより正社員で働く方が自信がつくよ」みたいなことを書いていた。こう続くのは新年度だからか?)


■2004/3/31■ 大阪市立瓜破中学校からの感想文


三浦展の「マイホームレス・チャイルド」や小倉千加子の「結婚の条件」を読み返すこの頃だが、
2月12日・大阪市立瓜破中学校で500人以上の全校生徒対象の50分×2の授業をしたが、その感想文が帰ってきた。
全校生徒対象の「講演会」形式なので、どの程度伝わったかわからなかった。事実、「ホワイトボードに書いた字が全然見えなかった」「言ってることが聞き取れない」みたいなのが幾つもある上、「大体テレビとかで見て知ってる話ばかりだった」みたいな意見も出てくる。そんな訳はもちろんないので、要するに「聞いてない」わけだ(こういう内容の濃淡は、クラスごとで違いがかなりはっきり出ている)。いつも感想文を読むとダメージで気分がずーんと重くなるが、今回もそれを(ただし500人規模で)味わった。
一方で、特に3年生を中心に豊かな反応がいっぱいある(中には、今まで読んだあらゆる感想の中でも「最も鋭いのではないか」と感嘆したものさえあった)。「ホームレスの人へのボランティアをしてみたい」という感想も多かった。しかし、1年生は全体に低調で、一様に文章自体が短い。授業内容そのものに問題があるのか、500人対象という形態の問題なのか、そこらへんはよくわからない。


私は正直に言うと…今までにホームレスの方を変なふうに見たことがありました。でもこの授業を聞いてホームレスの人たちはしたくてそーゆうくらしをしてるんじゃないし、少年たちに暴行をくわえられたりいろんなつらいコトをされていると聞いてすごく苦しく思いました。だから自分がホームレスの方のコトを変な目で見てしまったコトにすごく腹が立ちました。やっぱりすごくひどい差別みたいなコトをしてしまったんだなあーと思いました。それもホームレスの方を傷つけたコトになるのでそんな風に見た自分を許せなくなりました。だからこの授業は、いろんな意味で自分に為になったと思います。
ボランティアをされている生田さんやその他の皆さんはホームレスの方が寒さなどで苦しまないように毛布や食料を持って、一件ずつまわっていっているのを想像したら、すごい家族みたいなあたたかい存在なんだなあと感動しました。
ホームレスの方はただ寝ているだけではなくて、ちゃんと自分一人で暮らしていく為に缶を集めたり、ダンボールを集めたりとすごく頑張っているんだなあと思いました。実際にこの授業がおわった後にそんな方々をちょうど見て この授業のコトを思い出して、缶100個だけ集めてもお金にあまりならないのに ホームレスの方がそれを必死に集めている姿を見て、私はこれも差別になるのかもしれないケド、自分は本当に幸せな暮らしができているんだなあと思いました。ボランティアでちょっとでもホームレスの方が助かるのだったら自分ができるコトをささいな事でもイイから手伝えたらな。と心から思えるようになりました。
本当にこの授業を聞かせて頂いて、いろんなコトを感じとれたし、自分がどれだけ差別になるようなヒドイコトをしていたのかとすごく考えさせられました。私は今までホームレスの方のコトを共感するとか考えるコトがなかったので、授業を聞かせて頂いて生田さんたちの思いとかを感じるコトもできたし、ホームレスの方の気持ちになって考えるコトができたので、すごいこの授業を受けられてよかったです。
本当にありがとうございました。


野宿者の問題について、授業で勉強して分かった事は、自分が考えていたより、野宿者の人達は苦労しているという事です。
プリントに書いていた事で。「野宿者は楽をしているトカ、家に帰ればよいトカ」そんなに簡単に出来るなら、野宿者の人達の数も、もっと減っていると思う。「汚い」とか言う人もおるけど、ほとんどの人はキレイ好きだと思う。
おばあちゃんの家の近くに川がある。私は、その川の土手に住んでいるオジさんを知っている。オジさんは、二匹の犬と暮らしていて、今では子犬もいる。そこのオジさんは、ちゃんと仕事もしているし、ドラムかんを使って、ふろにも入ってる。前から、野宿者の事をどうとか、あまり思ってなかったので、授業を聞いて知っているオジさんの苦労もちょっとだけ分かったかなあーとも思っています。
この授業を受けて、これから自分が大人になってどうすべきか、いろいろ考えました。家に帰ってから、お父さんに「今日、ホームレスの人の勉強をした」と言うと、父さんは「ホームレスの人達を少なくするには、社会が変わらな」とプリントに書いていた通りの事を言っていました。その言葉を聞いて、これから、もっとホームレスの人達が増えていくのかと心配になった。
生田さんに、分かりやすく、おしえてもらって、良く分かりました。ホームレスの人達がよく若い人におそわれていること。真冬の時は、一人で寂しく死んでいる人の事も、そういう、かわいそうな人もいるということに気づかしてもらってよかったと思います。


今までホームレスの人は、働かずにのんびりしているから、こんなことになるんだ。と思っていました。でも、今回の授業で、なりたくてなったわけではない。とわかりました。夜にちゃんと働いていて、しかも私たちの親が働いている何倍もスゴくて、大変な事がわかりました。「高校生がホームレスにイタズラをした」と聞いても、「またか…。」など、思っていましたが、生田さんの話しを聞いていると、これはとても大変な事だと思い、今まで私が「またか…。」などと思っていた事が、はずかしくなりました。ホームレスとは言っても、ちゃんとした人間なのだから、大切にしないといけないと思いました。
ホームレスのヒトの話を聞くのは初めてで、すごくきょう味がありました。生田さんの話は、わかりやすく、マンガなどもあり、楽しい授業だったと思います。もっと、もっと、くわしいことが、知りたかったです。
私の家の近くにもホームレスの人がよく通ります。前までは、「こんな人、いやだな。」と思っていたけれど、生田さんのおかげで、そんな事は思わなくなりました。私も将来、生田さんのような、運動がしてみたいです。もし、きかいがあれば、一緒にホームレスの人を訪ねて、回りたいと思っています。本当に、ありがとうございました。


私は今回の授業を聞いて、若い人たちが野宿者を襲撃している事件が、自分が考えていたよりもっとたくさん起こっていることを知りました。野宿者を助けるふりをしてピンハネしている人がいることも、今まで知りませんでした。それらの事件が身近な問題であること、原因になっているのは「差別」だということ、生活保護を受けたくても受けられないということも、この授業を通して学べて、とてもよかったと思います。以前、友達と「バイバイ」って別れるとき、野宿者の人も「バイバイ」と言ってくれたことがありました。自分に向かってあいさつしてきたと思ったのか、そうでないのかは今もわかりませんが、「バイバイ」って心のこもったあいさつのできる人が、社会のゴミであるはずはないと思います。あの人の「バイバイ」は今も忘れていません。
ビデオで言ってた「ホームレスじゃなかった。ここでホームだった」という言葉がとても印象に残りました。家も仕事もある人で、自分の居場所がないという人、そういう人が野宿者を襲うのだと思います。ハウスがあってもホームのない人、ハウスがなくてもホームにいる人。比べるのは良くないことかもしれないけれど、私からみたら後者の方が人間らしい人だと思いました。私は「裏の正義」をかかげる人にはなりたくないです。
私は人権教育が好きということもあり、今回のお話はとても興味深く感じました。未来の日本が、差別や野宿者の存在しない、そんな国になるように、これからどうしていけばいいのかをしっかり考えていきたいと思いました。


授業の感想とわかったこと
すごい、ホームレスの人に対しての見方が変わりました。
なんであんなとこにおんねんやろ…って思ってて、公園など、道でねてても、ちょっと嫌だなあっと思ってました。でも、仕事で失業してしまった人や、困り果ててホームレスになった人など、そういうので、ホームレスになってしまったんだなあと納得しました。
なりたくないのに、なってしまったんだなあと少しかわいそうだと思います。私のお父さんやお母さんも、もし失業して、そうなってしまうと考えると、ホームレスの人もはじめ、そういう気持ちだったのかなと思います。だから、私は、そういう失業してしまった人などができるような仕事や、病気になってしまった人をちゃんとあずかってくれる場所がすごく必要だと思いました。
生田さんなどのように、そういう人たちのために活動しているということは、私は、話を聞く前こわいなあと思ったけど、ホームレスの人がこわいんではなくて、そのまわりの人たちが怖いと思います。卵や花火をなげて、けがなどをしてしまったホームレスの人たちのことを考えていない若い人たちは、どういう気持ちでそんなことをするのか、全くわかりません。気晴らしなどの理由なら、本当ぜったいやめてほしいです。この授業で学んだことは、すごくあったし、いい経験だったと思います。まだ、ホームレスの人に声をかける勇気はないけど、そういう人もいるということを頭に入れておきたいです。
すごく勉強になりました。ボランティアとかってすごい良いことだと思いました。
今回2時間もありがとうございました。
すごいよかったです。


授業の感想
ホームレスが社会の中でも低い位置にあることを授業で教えてもらった。そんなことはぼくでもわかっていたが、何故仕事につくことができないのだろう?という疑問について考えさせられた。生田さんの話では「仕事」というイスをめぐって多くの人が「イスとりゲーム」をやり、すわれなかった人がホームレスになるのだという。ぼくは最初、ホームレスの人たちは「勉強ができず、仕事をなまけてる人」というイメージがあった。しかしそれは間違いだった。いくら仕事をしたくてもできないのだった。そしてホームレスの人たちは空きかんひろいをしてなんとか生活しているのだった。なんてかわいそうなんだろうと思った。そんな人たちに対して少年たちが暴力をふるうのは許せないと思った。それは弱い者をいじめる「いじめ」だと思った。体育館の中でビデオを見たが、ホームレスをいじめている人たちは、ホームレスを駆除しているといっていた。ぼくは思った。「もしこの少年たちがホームレスの立場にたったら、ホームレスをいじめることなんてできないだろう」。ようするにこの少年たちは人の立場にたって考えることができないのだと思った。ぼくも人の立場にたって物をあまり考えることができなかった。自分にとってもあてはまることだと思った。
授業を聞いてわかったこと
大阪市はやたらホームレスが多いんだなと思った。ぼくもよくバレーの朝練にいくときに空き缶をひろっている人をよく見かける。こんなにホームレスが多いんだったら大阪市がなんとかしろと思った。アメリカのニューディール政策みたいに公共事業をふやして就職させろと思った。それが駄目なら空き缶ひろいも一つの「公共事業」にしろと思った。それとホームレスをいじめる人たちの行為がひどいと思った。人を人だと思っていないと思った。このホームレスの人たちを助けるのも国の責任だと思う。小泉純一郎も1回ホームレスの立場にたって考えろと思った。
お礼の言葉
生田さんみたいなえらい人もいるんだなあと思った。ぼくが大人になるころにはホームレスのことをももっと考える社会になっていたらいいと思う。ホームレスは努力がないからそうなるのではなくてただ運が悪いだけでそうなってしまうんだということがわかった。ぼくの考えでは、仕事をもっとふやせばいいと思う。日本の人口は多いからむつかしいと思う。だから中国みたいに一人っ子政策をすればいいと思う。


私は一度、ホームレスの人に追いかけられて、怖い経験をしました。その時から私は、ずっと見るたびに冷たい目で見たり、近づかないようにさけたりひどいことを、してきました。でも昨日授業を聞いて少し見方が変わったと思います。好きでホームレスになったわけじゃないのに、若い少年などになぐられたり、物を投げ込まれたり、命もうばわれたり、ひどすぎます。
やっぱりみんなも協力するべきです。たとえ生田さんのように、夜中に直接会うことはできなくても、暖かく見守っていけたらイイのにと思います。
授業がおわって家に帰り、買い物に行ったとき、ぐうぜんホームレスの人がアルミ缶を集めていて、見方が変わりました。『きたない』と思っていたのに、『あの人もいろいろ大変やな。』と思いました。かわいそうというより、なんか言葉にできないければ、なにか心に残ったと思いました。
今まで何も知らなくて冷たい目で見ている自分が恥ずかしいぐらいです。それって失礼なことだと思いました。いろいろ教えてくれてありがとうございました。本当に勉強になりました。


■2004/3/29■ NHK特集「63億人の地図B希望の町へ」

「万葉集」や加藤周一の「日本文学史序説」を読み続ける今日この頃だが、
産業空洞化のため都市中心部に貧困が進み、郊外に高所得者が集まるという「ドーナツ現象」「所得格差の広がり」を扱ったNHKの番組を見た。
扱われた地区は、フィラデルフィア、バーミンガム、大阪府門真市。いずれも70年代から80年代に始まった製造業の衰退のため、工場の移転、閉鎖ののち、中心部で貧困層が拡大した。そこに残されたのは多くが失業者で、当然ながら生活保護受給者が激増した。高所得者は郊外に移転していったが、同じ町に住みながら、高所得者層と失業者層・生活保護受給層との間に交流はほとんどない。むしろ、生活保護費の激増のため税金が上がり続け、高所得者層は「高い税金を払っても貧困層の方に全部持っていかれる」という不満がたまり、かなりの部分が他地域への転居を考えているという。
そうした状態から住民たちの格闘をバーミンガム、門真市の例で取り上げている。失業し、高齢化した人々に、ボランティアで住宅の世話をしている門真市の市民運動。自治体と、大学、NGOと連携を取りながら、住民自身が、犯罪・売春・失業・非行対策に乗り出し、「奇跡」と言われる成果を生み出したバーミンガム。
「所得格差の広がり」は、その極限が都市部における野宿者問題だと言えるだろう。われわれは野宿者問題を「先進国における南北問題」と言うことがあるが、(地元出身かどうか、住居があるかという別はあるが)豊かな生活を送る層と貧困層が「隣りあわせて」暮らしているという点で、「ドーナツ現象」と野宿者問題は共通の課題を抱えている。
その点で、門真市、そして特にバーミンガムの取り組みは興味深い。バーミンガムの場合、かつて市の中央の公園は、市のすさみを反映してか売春が集中し、公園は毎朝使用済みコンドームだらけになったという。そこで、住民たちが立ち上がり、100人規模で公園周辺に張り込み、セックスワーカーを公園から追い出した。その結果はというと、売春は公園から市全体に拡散し、住宅周辺がコンドームだらけになってしまった。住民はそこで、「彼女たちを追い出しても何の解決にもならない。むしろ彼女たちも被害者じゃないのか」という議論を繰り返し、最終的にセックスワーカーたちへの生活相談や就職斡旋活動を始めた。これが劇的な効果を生み、その後のバーミンガム再生につながったという。「排除ではなく共生へ」とテレビでは表現していた。(放映時間が短かすぎるので、セックスワーカーの実情や再就職の様子など、関心あるのによくわからないところも多かったが。ちなみに、番組では「売春婦」と言っていた)。
もちろん、これはそのまま野宿者問題について当てはまる。野宿者を公園から排除しても何の解決にもならない。他の公園に行くだけだからだ。むしろ、住民が率先して自治体やNPOと連携し、野宿者の住居の確保、就職斡旋などに協力すれば、問題解決ははるかにスムーズに進む。考えてみれば当たり前の話だが、現実にそうはならないのは日本の例を見ればよくわかる。「ホームレスのためにわれわれの税金を使わせない」「ホームレスのシェルターを作るなら山の中か海のそばに作れ」がいいとこだ。
とはいえ、欧米にあってもバーミンガムはきわめて例外的なものだろう。番組が言うように、アメリカの所得地図を見つめると、ほとんどの大都市で中心部に貧しい人々が集まって暮らし、郊外には豊かな人々だけが住む、いわば所得の「ドーナツ模様」が浮かび上がる。しかし、最近ではこの傾向に対してイギリス・バーミンガムとは全く別の政策が大規模かつ強力に進められている。この政策については、ヴェンカテシュの「逆転したアメリカ都市部の居住分離」という記事がある。以下に一部引用すると、

アメリカの都市開発は20世紀を通じて、以前からの居住分離をそのまま推進した。貧困層は「インナー・シティ」と呼ばれる都心周辺部に住み、中産階級と富裕層は郊外に向かった。(…)「チョコレート色の市街、バニラ色の郊外」という表現はここから生まれた。
 この状況が、10年前から劇的に変化した。都市はもはや製造業で食べていくことができなくなり、自治体は「情報産業」の振興によって「ホワイトカラー」を引き寄せようとした。ニューヨーク、シカゴ、ボルティモア、クリーヴランド、サンフランシスコの市長たちは新しい都市哲学をでっち上げた。かつては工場で占められていた広大な敷地に、公園やカフェ、「ロフト」や「コンドミニアム」などを整備して、新興富裕層向けの住宅地に仕立て上げようというのだ。貧しい黒人やラティーノの住んでいた「スラム」や荒廃地区を高級住宅地に作り替え、街の新たな救世主となる白人たちを招き入れようということだ。
 この階級・人種戦争で真っ先に繰り出されたのが「法と秩序」戦略だった。アメリカ中の都市が「ギャング対策」条例を発布し、「浮浪者対策」措置を打ち出し、夜間外出禁止令を敷いた。「犯罪者階級」つまりマイノリティの若者たちが、街角や公園、ショッピングセンターにたむろするのを防ぐためだ。ニューヨークのジュリアーニ市長とシカゴのデイリー市長は、社会秩序崩壊の前兆となる軽犯罪や反市民的行為を取り締まることで大きな暴力犯罪を減らすという「ブロークン・ウィンドウ(破れ窓)」理論を採用した。彼らは、ホームレスの宿泊所や低所得者向け住宅を閉鎖し、アダルトビデオ店やポルノ映画館を禁止し、ホームレスや売春婦を取り締まり、破壊行為や強盗に厳罰をもって臨んだ。各地の自治体はこぞってこの「ブラットン哲学」と呼ばれる政策を賞賛した。

この結果どうなったかというと、

都市の再開発は、手ごろな値段で入居できる住宅の不足をもたらした。(…)
かつては白人や一握りの恵まれたマイノリティが住んでいた郊外は、貧しいマイノリティ労働者で占められるようになった。1990年以降、郊外の黒人居住者の割合は40%弱、ヒスパニックでは72%も上昇した。(…)
白人と金持ちが都心部に、マイノリティと貧乏人が郊外に、という逆転現象が起きたのだ。その大きな原因の一つは、昔ながらの公営共同住宅の取り壊しにある。(…)
シカゴでは、公営住宅から立ち退かされた住民の80%が、居住差別の犠牲になったマイノリティが集まる都心部やその周辺の貧困地区に移り住み、10〜12%がホームレスとなった。この政策は、今までになかったような種類の都市部の貧困を助長している。これまでの縦割りのゲットーに代わり、横方向のゲットーが作り出されるようになったのだ。それはつまり、都心部に住んでいた貧困家庭が郊外に追い立てられていったということだ。

という具合で、いまやアメリカでは、「ドーナツ現象」は逆転し、その結果として貧困層は「住居」そのものを失い、相当の部分がホームレス化しつつあるらしい。ここ10年のアメリカのホームレス問題の深刻化の一因はここにある。
つまり、アメリカでは古典的な「ドーナツ」は今や過去のものとなりつつある。そして全体としては、「貧乏人はどこかへ消えろ」という事実上のホームレス強制(共生じゃなくて)が進んでいる。さらにその上、金持ちたちは、自分たち以外は立ち入ることも出来ない「ゲーデッド・コミュニティ」を作って地域の貧乏人を物理的に排斥している。「豊かな者と貧しい者が、別れて暮らす町」は、「共生」どころか「追い出しと排除」を行政が先頭に立ってやっているのだ。
このように、「ドーナツ現象」「所得格差の広がり」は、大きく言って二通りの道を持っている。住民、行政、NPOなどが連携して「豊かな者と貧しい者が、手を取り合って暮らす町」になるか、同じく連携して「貧しい者をどこかへ追い出してしまう」か。どちらの場合も、町はそれなりに「再活性化」する。しかし、一方は事実上の「経済的アパルトヘイト」の方向であり、一方は野宿者をはじめとする貧困層を含めた新たな「地域」や「社会」の創造である。どちらが望ましいのかは言うまでもないが、日本でどちらの方が現実化しそうかというと、かなり悲観的になる。このNHKの特集は、われわれのいる現実を考えれば、かなり美しい場合だけを見せてくれたと言えるだろう。その意味でも、門真市の住民の活動は、ささやかではあっても貴重な意義を感じさせてくれる。われわれがやっている活動も、そういう意義を持っていればいいと思うが、しかし「ささやかだが美しい」取り組みだけでは駄目なことも確かなのだ。


■2004/3/7■ NHK特集「フリーター417万人の衝撃」

NHK特集としては初めてらしいフリーター問題。
1時間番組なので、いろんな論点をさらりとなでる程度だったが、それなりにおもしろい。なんといってもぼくにとっては、「所得がずっと上がらない」「保証が何もない」「フリーターから正社員になるのが困難」といった基本的な問題が、われわれ日雇労働者の有様とあまりに同じなので、「やっばりフリーターって日雇労働者なんだなあ」と思わざるを得なかった。以前に書いたように、日本全国の釜ヶ崎(寄せ場)化が進行しつつある、と考えざるをえない、という印象である。
番組では労働側と経営側がコメントをはさんでいたが、経営側は「今は企業にとって大変厳しい時代である」「仕事があるときとないときの調整弁としてフリーターはとにかく便利」と(こういう言葉遣いではないが)あけすけに語っていた。要するに「フリーターは使い捨て要員」ということだ。
また、「国際競争に生き残っていくためには、中国などの海外の労働力と同等の低賃金が必要だ」とも明言していた。「フリーター」=「日本国内の第三世界労働者」ということだが、社会的責任を無視して、ここまで堂々と資本のみの論理を語っていていいのかなとやはり思う。
資本の論理として、個々の企業が利益を優先することが経済成長を生み、それが結果として(「所得の再分配」以上に)生活水準の底上げにつながる、という前提を語っているのかもしれない。しかし、それはあくまで「失業」の存在しない世界での話だろう。現在のように失業率が長期上昇しつつある中で、社会保険などのセーフティネットの不備な低賃金労働者を量産し続けていけば、将来的には労働者および日本経済の足場を崩壊させる結末にもなりかねない。しかし、経営側にはそういう長期的なビジョンはなく、「今さえよければ、あとはなんとかなる」という恐ろしい発想のように見える。
経営者側は、「フリーターになる若者の精神性」をさかんに問題にしていた。「正規雇用の絞りこみ」がフリーター激増の最大の要因だが、同時に「正社員離れ」「フリーターでもいいや、という若者の増大」は確かに現実としてある。しかし、それは経営者側が暗に言いたいような、「仕事について根性のない若者が増えてきた」というような単純な話ではあり得ない。
ぼくは、これも以前に書いたが、この点は「何のために働くか」という労働のインセンティヴの消滅が重大なのだろうと考えている。たとえば、一般に会社員は組織の一員として「会社のために」働くことを期待されているし、実際に今まで多くの会社員はそのように労働してきた。しかし、例えば今コンビニで働くフリーターは、「セブンイレブンのため」や「ローソンのため」に働いてはいないし、そもそもそんな義理もない。つまり、「会社のために働く」という理念は、会社組織と自分の人生が「運命共同体」的にある程度一体化している場合にのみ意味を持つ。当然、これは「終身雇用」「年功序列」「企業内福祉・厚生」が特徴とされる日本の企業について非常によく適合したが、もはやそのような体制は縮小しつつある。
 さらに、かつて日本では「お国のために働く」という理念が存在した。商売をやるのも、医学をやるのも、文学をやるのもそれは「お国のため」だ「お国のために」有益だ、という確信が共有されていた(らしい)。この理念が機能するのは、当然「国家」と自分の人生とがある程度一体化している時に限られるが、今やこの一体性は明らかに希薄化した。
こうして、「お国のために働く」「会社のために働く」という理念が消滅していった結果、最後に残ったのが「家族のために働く」というインセンティヴである。しかし、これも今や大変怪しい。(いまどき「仕送り」している若者なんてどれだけいるだろう?)。ただ、若者も結婚(新たな家族)問題が差し迫ってくると、顔色を変えて「正規雇用」を求め始める。これは、逆にインセンティヴの有無が労働形態の選択に強く相関することをよく示す例になっている。
 こうして、「お国のため」「会社のため」「家族のため」に働く、という物語は相対的に消滅し、結局「自分のために働く」という物語だけが残ってしまった。そして、「自分のため」だけだったら「フリーターでもいいや」(場合によっては「ホームレスになってもいいや」)というのが現状ではないのだろうか。
この点については、最近、香山リカが「就職がこわい」という本を出しており(2月24日発行)参考になる。本の内容は、興味深いエピソードがいろいろあって簡単に要約できないが、就職に関する構造的な問題とは別に、若者の中に「就職がこわい」という心理状態が一般化しており、そうした中では一般的な就職対策や「自分で自分のボスになろう」という起業の勧め、あるいは仕事現場を一定時間研修する「インターン制度」などは、あまり効果がないかもしれない、というものだ。
まず、若者にはある種の自己の「万能感」と、その対極の自己への「肯定感のなさ」が同時進行しており、就職によって「自分の一生が決まる」かのような恐怖と、「自分なんかが選ばれるわけがない」という恐怖が二つともに就職活動への尻込みをさせている。
さらに興味深いのは、就職活動しない学生が「卒業後のことは、卒業してからじゃないとわかりません。就職活動も、必要なら卒業してから始めます」「だって、卒業した状態になってみないと、自分が就職をしたいのか、するとしたらどんな仕事に就きたいのか、わからないじゃないですか」と言い、まわりの学生たちも「そうだ、そうだ」とばかりにうなづいた、という話である。
この点について香山リカは、今の自分と将来の自分が結びつかない「解離」として考え、「バブル崩壊」と「無業者の増大」と「解離性障害の増大」が同時進行したことに注目し、これは「不確かな時代への適応」としての解離と考えられるのではないか、と言っている。
この点は大変おもしろいところなので、自分でもっといろいろ考えてみたい。とりあえずすぐ思いつくのは、このような「軽い解離の選択」は、「ここで会うときはこいつ」「こういうときはあいつ」という感覚で「友達の数が300人」いるというような若者の増加にも当てはまるのではないかということである。そこでは、「ここではあいつ」「ここではあいつ」と、多様な人間関係に「過剰適応」して自分を「使い分け(解離)」しているとすれば、それは「今の自分」と「卒業後の自分」を結びつけようとしないやり方と、かなり似ている。そして、「友だち300人」という「使い分け」は、ある意味で自己の一貫性を維持しようとする「ひきこもり」の激増と「裏表の関係」にあるように見える。(これについても以前に書いた)。
だとすれば、「今の自分」と「卒業後の自分」を結びつけられない「軽い解離」は、何かと「裏表の関係」にあるのではないだろうか。たとえば、「今の自分」と結びつくのが「自分の死後の世界」しかない、という遠大な一貫性。しかし、これについては、これからいろいろ考えてみたい。
ただ一つ言えそうなのは、「国際競争に生き残っていくためには、中国などの海外の労働力と同等の低賃金が必要だ」などという理屈で後先を考えずフリーターを激増させていく日本の経営者は、「卒業後のことは、卒業してからじゃないとわかりません」と言う学生と、「あとのことはあとで考えればいいや」という発想において「いい勝負」だろうということである。


■2004/3/7■ 桑形亜樹子 古典調律によるチェンバロコンサート&レクチャー

大阪で上のコンサート&レクチャーがあり、すごく関心のある内容なので行ってきた。
レクチャーは、古典調律の基本と、その中で、中全音律、キルンベルガー第3法、(藤原一弘提案による)ラモーの「理論音楽の新体系」による音律、12平均率でそれぞれ調律されたチェンバロによる演奏。
調律の問題について触れ出すときりがなくなる。要するに、1オクターブという振動比率1対2の音程を、どのように12音に振り分けるかということで様々な音律が成立する。たとえば、オクターブに次いで重要な5度音程を厳密に振動比率2対3で配分しようとすると(純正律)、転調がほとんど不能な「でこぼこな」半音階ができあがる。3度音程を基準としても(中全音律)、似た問題が生じる。つまり、音律には理論的に完全な解決は存在せず、どこかに純正な音程を求めればどこかに歪みが集まるという基本構造を持っている。
われわれがふだん使う平均率は、その歪みを12のすべての音程に割り振ったもので、今日のレクチャーで引用されたヒンデミットの比喩によれば、「部屋を掃除して集めたゴミを、部屋全体に均等にばらまいた」ようなものになる。そこで、「部屋を掃除して集めたゴミを」どのように割り振りするかで、様々なタイプの音律が作られる。今日のレクチャーとコンサートは、それぞれの音律と、それによってはじめて「生きて」くる様々なタイプのチェンバロ音楽を実演するというものだった。
上のような問題は、古典調律のレクチャーを前にも聞いたのである程度は知っていたが(それに、ふだん使っている電子ピアノでは、ボタン操作でいくつもの古典調律がホイホイ実現できる!)、今日の収穫は、藤原一弘提案によるラモーの「理論音楽の新体系」による音律だった。ラモーの記述は実は曖昧で、従来の解釈による調律は実は疑問があるという。そこで、新しい解釈として、3度を基本にし度をほとんどファジーにした音程が提案されている。今日使われたのがこれで、実際にこの音律でラモーの「エンハーモニック」やクープランの曲が演奏されたが、事実、フランスバロックの空気に微妙にマッチした、今まで聞いたことのない雰囲気が立ち昇るのには興味をそそられる。また、桑形亜樹子が「音律を一つ選ぶならこれ」というキルンベルガー第3法によるキルンベルガー(バッハの弟子)自身による作品は、短い曲の間にすべての短調に転調するという離れ業を見せるもので、聞いていてあきることがない。しかし、これらの作品をレクチャーとともに聞くと、ブーレーズやクセナキスの300年も400年も昔から、音楽は数学的理論なしには存在しえなかったんだなあとあらためて思わされてしまう。
後半のコンサートは、北爪やよひ、スコット・ジョプリンの20世紀に始まって、モーツァルト、エマヌエル・バッハ、J・S・バッハ、ストラーチェ、リュリ、フローベルガー、スウェーリンク、バード、ガブリエリ、カベソン、14世紀のエスタンピーと時代を遡る構成だった。あまり聞かれることのない作品が集められていたが、ジョプリンをチェンバロでよく弾くぼくにとっては、「ニュー・ラグ」の演奏はひたすら興味深い。スコット・ジョプリンは(他の曲もそうだが)作品の造形というより、流動性と即興性が強く出たものになっていた。そこら辺は、作曲専攻だった演奏者の経歴と関係しているのかもしれない。他の作品の中では、盲目のオルガニスト・チェンバリストである16世紀のカベソンの「グロサーダ」が聴き応えがあった。
1時から(休憩を入れて)6時まで(チケットは全部で5000円)、大変おもしろいコンサート&レクチャーでした。

桑形亜樹子 Akiko Kuwagata
東京生まれ。東京芸大附属音楽高校作曲科を経て、同大作曲科入学。矢代秋雄、池内友次郎、内田勝人、尾高惇忠、永富正之、間宮芳生の各氏に師事。在学中DAAD西独政府給費留学生として渡欧。デトモルト国立音楽院、シュトゥットガルト芸術大学各チェンバロ科ソリストコースを最優秀で卒業。国家演奏家資格取得。ヴァルデマール・デューリング、ケネス・ギルバート、リナルド・アレッサンドリーニにチェンバロを師事。オルガンをオディール・バイユー、J.L.ゴンサレス=ウリオルに師事。
第8回ブリュージュ国際古楽コンクールチェンバロ部門1位なし2位及び聴衆賞。第8回パリ国際チェンバロコンクール2位及び現代音楽部門賞、第9回ライプツィヒ・バッハ国際コンクール4位。'94年/'99年度文化庁在外研修員としてイタリア、スペインにて研鑽を積む。'91年よりバリに居を移し、フランス国立セルジー・ポントワーズ地方音楽院講師、ショーモン市立音楽院講師を務める他、欧州各地、アメリカで演奏、国営ラジオ(ドイツ、フランス、ベルギー)に出演。バーデン・バーデン州立オーケストラ、ドイツバッハゾリステン、コンチェルトイタリアーノ他と共演、ヨーロッバ各地の古楽フェスティヴァルに出演。現代作品の委嘱、初演も数多く手掛ける。邦人委嘱作品としては間宮芳生「11月のトッカータ」、田中カレン「香草の庭」など、日本・世界初演ではB.ジョラス、R.ラガナ、E.バリオ等のチェンバロソロ作品がある。
'89年ソニー音楽芸術振興会パフォーマンス・トゥデイシリーズで東京でのリサイタルデビュー後日本各地でも演奏。2000年、17年の欧州滞在後東京に戻り、現在新しいコンサートの形態を模索中。この3年間は音律と音楽に関するレクチャーコンサート、古楽理論・奏法に関する講習会を数多く企画。東京芸術大学、名古屋芸術大学で特別講義を行う。'97年、'03年度山梨古楽コンクール審査員。松本市ハーモニーホールチェンバロ講師。
http://www2.gol.com/users/poo/classics/opus6.html より


■2004/3/4■ 学校のセキュリティと野宿者の存在(3)

前に書いたように、学校のセキュリティ問題と野宿者の存在は下手をすると無理矢理に結びつけられて(「ホームレスがいるとこどもが危ない」!)、学校近辺での「野宿者への監視」「野宿者の隔離」といった方向に流れかねない。しかし、学校周辺でのこどもを狙った事件が増え続ければ、ある程度のセキュリティの上昇は避けることはできない。
前々回で引用した日本教育新聞は、先の引用に続いて
「地域社会の崩壊のツケが最も弱い子どもたちに向けられている」「今の学校は構造上、どこからでも侵入が可能であり、人的措置を伴わない対策抜きに、現場教職員にこれ以上の安全対策を求めるのは無理だろう。附属池田小学校の遺族も「現在の国の通達・通知行政での対応では限界ではないか」と声明を出し、大教大の調査研究会報告書も「各学校に安全管理士を置く」ことを提言し、日本教育法学会の特別委員会は「学校安全法」試案をまとめ、国に安全に関する最低基準の策定を義務付けることや学校安全教職員制度の創設を提言している。既に小学校に常駐の警備員を配置している大阪府豊中市のような対策は必須の行政施策であり、元警察官の警備員への積極的配置も進めてもらいたい」
と、「常駐の警備員の配置を」提案している。
そこで、一つの方法は、学校で「常駐の警備員」などを雇う場合に、野宿者を選ぶことである。
もちろん、雇用する場合は当たり前だが「人を見て」選ぶことになる。だが、野宿者にはガードマンを経験している人がかなり多い。また、反失業連絡会が獲得し、いま我々がやっている特別清掃では、大阪市内の保育所や公園のペンキ塗りをすでに数年やっている。つまり、小さいこどもの多い現場で野宿者が作業することに問題がまったくないことは実証済みだ。面接をした上で適性があるしっかりした人を選んでいけば何の問題もない。
学校のセキュリティ問題の一方で、これは野宿者の公的就労として大きな意義をもつ。現実として、野宿者の多くは「仕事さえあったらこんなところで寝ていない」と言っている(というか、事実、仕事があったときは野宿していなかった)。多くは、仕事がないから野宿しているだけなのだ。しかし、失業率が上がり続け、仕事が根本的にない現状では、野宿者が一般市場で仕事を見つけることはきわめて難しい。そうした状況では、「採算が合わないけれど、どうしても必要だ」という仕事について、行政が失業者を雇用することは非常に有効な手段となりうる。「学校のセキュリティ問題」は、そのものズバリで「採算があわなくても必要な仕事」なのではないか。
また、こうした仕事が実現すれば、(元)野宿者とこどもの交流も生まれるし、地域社会での野宿者に対する偏見解消の意義も持ちえるだろう。だとすれば、これは一石二鳥か三鳥ぐらいの得策になりうる。
学校のセキュリティ上昇は、放っておけば地域社会での「不審(とみなされた)者排除」や「こどもの地域からの囲い込み」といった排他的な方向に流れていくかもしれない。それは同時に、野宿者の排除や隔離とも連動しかねない。といって、「地域社会の崩壊のツケが最も弱い子どもたちに向けられている」として、それに対抗するために従来型の「地域社会」の再生に望みを託するのは、とうてい現実的とは言えない。
こういった流れに対して、「社会的排除」の対象としてある野宿者が学校でこどもの安全のために働くことができれば、それは新たな形の「地域社会の創造」としての意味を持ち得るだろう。「社会的排除」から「包摂」ではなく、野宿者を含めた新たな「地域」や「社会」の創造が必要だと思われる。


■2004/3/1■ 学校のセキュリティと野宿者の存在(2)

野宿者からこどもへの暴行事件がほとんどない(逆は数多い)にもかかわらず、「ホームレスがいると子どもが危ない」みたいな意見が噴出する。これは「見た目で差別」のわかりやすい例だが、こうした偏見の成立には、「噂話」が大きな役割を果たしている。
つまり、野宿者が多い地域では、必ずと言っていいほど「野宿者がこどもを襲った」「女性に性的暴行をした」という噂が広まる。(興味深いことに、「成人男性が野宿者に襲われた」という噂はほとんど出ないし、「若者が野宿者を襲っている」という事実もあまり語られない)。しかも、そうした「野宿者の暴行の噂」が実証されることはほとんどない。
たとえば、シェルター建設をめぐって地域住民と行政、野宿当事者、支援者がもめにもめた長居公園では、当時「公園を歩いていた女性が野宿者に強姦された」という噂が広範囲に広まった。あまりに広まったので、地区の警察が徹底的な調査を行なった。その結果、このうわさ話は事実無根の「デマ」であると断定された(当時の新聞に出ている)。一方で、当時の公園の野宿者は、若者による襲撃の急増に遭って困り果てていた。これは、シェルター建設をめぐる問題が発生したときに、日本各地でこれから繰り返されるパターンであると思われる。
前に書いたことを繰り返すが、野宿者もただの人間なので、女性やこどもを決して襲わないなどとは言えない(当たり前だ)。事実、野宿者の多くは中高年の男性(オヤジ)なので、たとえばセクハラ問題はどこの寄せ場でも深刻な問題になっている。だが、それは多くの会社や学校でそうなのと同じことである。
事実無根のデマということですぐ思い出すのは、関東大震災のとき広まったという「朝鮮人が蜂起する」というデマである。あるいは、外国人労働者が多い地域で広まった「外国人が女性を襲った」という大量の噂がある(もちろん、中には事実もあったが、多くはそうではなかった)。偏見によって噂が発生し、その流通が偏見を増幅するわけで、これは完全な悪循環だ。そして、こうした悪循環が現代日本で典型的に見られるものの一つが野宿者問題なのだろう。
このような感じで、学校のセキュリティ問題と野宿者の存在は、下手をすると無理矢理に結びつけられて、学校近辺での「野宿者への監視」「野宿者の隔離」といった方向に流れかねないところがある。このような流れに対抗する方法があればいいのだが、それについては一つアイデアがある。(続く)


■2004/2/29■ 学校のセキュリティと野宿者の存在(1)

この1ヶ月、学校周辺での児童・生徒への襲撃・連れ回しや学校への侵入事件が毎日のように報道されている。いまなぜ急激にこうした事件が連発するのか理由はよくわからないが、とにかく学校のセキュリティ問題が深刻な局面に入ってしまったことは確実のようである。
学校のセキュリティ問題は、なんと言っても2001年6月の大阪教育大学附属池田小学校事件(8人の児童が殺害)以降に急浮上した。日本教育新聞の今年2月6日の社説によれば、
「大阪教育大学附属池田小学校事件以来、多くの学校では、ハード面で、校門の閉鎖、通用口の施錠、来訪者用インターホン・防犯カメラの設置による監視、学校警備面で、教師、PTAによる登校時の警備、校内巡視、来校者用の名札の着用、危機管理マニュアルの作成、教職員による不審者侵入対策訓練、子供へのホイッスルや防犯ブザーの配給などに取組んできた。この際、各学校では、できる不審者侵入対策を取るとともに、「学校は安全でない」という危機意識を高めてもらいたい」。
学校の開放性が失われることは残念だが、しかし考えてみれば、普通の家でも、昔は鍵をかけずに外出していた(らしい)。それが、いまや何重にも防犯対策を施す時代になっている。鍵をかけずに外出することが「昔話」であるように、学校も今やそれなりのセキュリティ対策がなければやっていけないのかもしれない。
さて、学校のセキュリティ問題で気になるのが、野宿者問題との関係である。というのも、今各地で野宿者対策のシェルター類の建設計画が起きているが、それがどこでも地域住民からの反対にあっていて、そこでよく出る理由が「通学路の治安は大丈夫か」(2月23日報道による群馬県高崎市の市民の発言)といった、「ホームレスがいると子どもが危ない」という意見だからである。でも、これって本当にそうなのか。
3日前、野宿者ネットワークと大阪市教育委員会との話し合いがあり、その中で「大阪市(全国一の野宿者数)で野宿者がこどもを襲ったという話は聞いていませんか」と尋ねたところ、教育委員会の人は「聞いたことがない」と言っていた(注、口頭の発言であって正式なコメントではない)。事実、子どもへの虐待や連れ回しの犯人は、最近の報道を確認すると「保護者(親)」だったり「教師」だったり「警官」だったりする。野宿者ではない。実際には、全国で調べると、野宿者が若者にケガを負わせた事件は過去にあるが、その多くは若者から襲撃を受けている野宿者がやり返したというような、正当防衛か過剰防衛の流れにあるものだった。
もちろん、野宿者ったって、親や警官や教師がそうであるように普通の人間だから、こどもに対する傷害事件を決して起こさないとは言えない。しかし、全体として、野宿者は若者に襲撃される側であり、加害者としては圧倒的少数であると言える。つまり、「ホームレスがいると子どもが危ない」という意見は、事実としてただの偏見なのである。(続く!)


■2004/2/20■ きのくに子どもの村学園・中学校からの感想文

1月28日のところで触れたように、きのくに子どもの村学園・中学校で開校10周年記念の行事があり、それに合わせての講演に招かれ、中学生50人ほどを対象に90分の話をした。
その感想が先日送られてきた。学校の承認を得て、そのうち3つを(名前を伏せて)引用。
こちらの感想としては、「いす取りゲーム」で暗示しようとした社会における偶然性(「いつ自分達がそういう立場になるのかわからない」「私には関係ない、遠い人っていうのは、全然ちがいました。 関係ないどころか、大ありだった!」)、
襲撃する若者たちの「仲間関係への過剰適応による存在確認」(「その人は一人では何もできない人だと思う。皆と一緒に行動して安心する、一人になりたくないとか」)が、こちらが言葉では言ってないのに見事に理解されていることだ。その意味では、感性の鋭い子たちなのだろう。ただ、今思い出すのは、話しているときにこちらを見ていた眼の光や、頷いている表情などなのだが…

■変わるべき社会、変わるべき人間(1年)

 生田さんの話しを聞いて、私はフクザツな気持ちになりました。まず、生田さんが私達にみせてくれたビデオを見て驚きました。
 そうじするだとか、ストレス発散だとか、無能だからとか…。そんな人間が居る事に怒りを覚えました。でも、もう一つ思った事がありました。それは、こんな風にしか考えられないなんて、悲しい人だなあと思った。インタビューに答えた人だけでなく、ホームレスの皆さんにその様な行為をしている人すべてにそう思いました。
 そして、もう一つ、最後の椅子取りゲームの話は中1の私でも、よく理解できました。いつ自分達がそういう立場になるのかわからない所に居る。
 生田さんの話しを聞いて、最終的に思ったのは、社会が変わらなければいけないと思った。そして社会が変わるタメには、まず人が変わらなければいけないと思った。
 1つの椅子に何人かがすわれるような、社会。そしてそんな心を持てる人間に、私はなりたいと思いました。
 変わるべき社会、変わるべき人間。私も含めてたくさんの人が変われば、多くの問題は解決し、多くの人が幸せになれるんじゃないかと私は思いました。
 生田さん、ありがとうございました。
おわり。

■(2年)

 私は いくたさんの話しを聞くまでは 野宿者の人たちは、「コワイ」とか「どうしてココで寝ているの?」とか「私には関係ない、遠い人だ」とか私自身の中で勝手に決めつけていました。
 けど話しを聞いているうちに、コワイと思われているのは私達、中学生や高校生だったり、駅とかで寝ているのはしかたがなかったりっていうのがスゴク伝わってきて 今までの自分の考えがとても恥ずかしく思えてきました。
 でも、それだけではなく「私には関係ない、遠い人」っていうのは、全然ちがいました。
 関係ないどころか、大ありだった!
 イスとりゲームの例えでとってもわかりました。
 遠い人だなんて考えていた自分がコワクなります。もしかしたら私もあのイスに座れなくて落ちていくかもしれません。
 そんな時に、人と人が助けあってなんとかしないとどんどん野宿者がふえていき、日本の社会はどうなってしまうのだろう? とても恐ろしいです。
 だからこれからは 小さなことでも 少しづつ なんとかできたらいいな〜 と思いました。

■ホームレスの真実を知った私(3年)

 話を聞いている途中で涙が出そうになった。何も考えないで生きているのが嫌になる。テレビのニュースのビデオに出ていたSさんという大学生の人を殺してやりたいとまで思った。自分は皆のためにゴミを掃除してあげたようなことを平気でいう。私は思った。「おまえのほうがゴミなのだ」と。
火をつけられた人を思うとおもわず「なぜ、この人が。」と悲しくなる。一生懸命仕事を探して、最後の最後に野宿して、カンを捜してお金をもらい、生きている。
 楽しい気持ちで人に火をつけ、蹴り、殴り、時には殺してしまうだなんて。おまえの頭の中はどうなってるのか一度聞いてみたいものだ。 
 私はその人は一人では何もできない人だと思う。皆と一緒に行動して安心する、一人になりたくないとか。でも私は怒る気持ちもあるけど、そういう人たちを救い出してあげたい。


■2004/2/19■ 竹熊健太郎の「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」

本屋に行ったらこの本があったので買ってきた(2月29日第1刷発行とある)。
竹熊健太郎は、たぶん今でも相原コージと組んだ「サルでも描けるマンガ教室」で一番有名なのだろうが、時々雑誌なんかで読むマンガ評論がいつもえらくセンスがよくて鋭いのは記憶に残っていた。それで、「マンガの原稿料ってどんななんだ」という強い興味もあって、読んだわけである。
実際には、原稿料の話は数十ページで(30年ぐらい前から今も新人マンガ家の一ページの原稿料は数千円だそうだ…)、あとは様々なマンガやマンガ家に関する文章が続く。で、これが大変おもしろい。「島耕作シリーズはのらくろシリーズとそっくり」とか、「しりあがり寿は長谷邦夫を意識していたのではないか」とかの系譜学的な批評もあれば、マンガの経済的変遷を踏まえた上での「原作つきマンガ」や「書き下ろしマンガ」の提言があったりする。さらに、田中圭一、パルコキノシタ、楠勝平といった知らないマンガ家に関するエッセイがあり、これがまた読んでて「この作家のマンガを読んでみたい!」という気を起こさせる。要するに、マンガに関する本でこれほど「おもしろくてためになる」(って講談社のフレーズか)ものはめったにないと思うわけである。
その中でもぼくが興味を持ったのは「宮崎駿という奇跡」という「千と千尋の神隠し」に関するエッセイだった。このエッセイの焦点の一つは宮崎アニメにおける「空間の扱い方」にある。宮崎監督は竹熊健太郎との話の中で、「観客に空間を把握させること」への強いこだわりを語ったという。簡単には、空間の把握には「垂直運動」と「水平運動」の二つがあるという話だが、そこで「監督がきわめて重要な話を、ある意味自身の「創作の秘密」ともいうべき話をしていたことが徐々に分かってきて、慄然とした」という。事実、「千と千尋の神隠し」では、巨大銭湯での様々な「垂直運動」とともに、線路での長い移動や異世界へのトンネルなどの「水平運動」が大きな意味を持って登場する。この映画では、「ヒロインが垂直方向に、また水平に゛移動゛するアクションのリズムやテンポ」が「物語」以上に重視されている、というわけだ。
これに関心を引かれたのは、「垂直」と「水平」の運動が宮崎駿のアニメーションの「創作の秘密」ではないかとぼくも前から思っていたからだ。ぼくはむしろ、「水平運動」と「垂直運動」の組み合わせを映画の中で縦横無尽に描き上げたあげく、別の次元への「垂直運動」をある瞬間に映画に出現させることが宮崎駿の特異性ではないかと思っていた。その瞬間とは、たとえばナウシカがオームに押し上げられるシーンであり、パズーとシータが最後にラピュタから飛翔するシーンであり、キキがトンボと自転車で浮遊するシーンである。「もののけ姫」が失敗作だったのは、なによりもこうしたシーンが不発だったことに現われていたと思う。
ぼくは10年近くかけて少女マンガの「ホットロード」論を書いたものだが、同じぐらいの熱意で、このアイデアを中心に「宮崎駿論」を書きたいという気持ちを持っている。実際、群像新人賞後の第1作について、当時の担当編集者に「次は『風の谷のナウシカ』論を書きたいんですが」と相談したが、やんわりとお断わりされたということもあった(その結果、「シモーヌ・ヴェイユのために」を書いた)。いまは「野宿者襲撃論」みたいなものを書いているが、いつかは宮崎駿について書いてみたいと思うわけである(しかし、どんな文体で?)。
なお、竹熊健太郎はこのエッセイの最後で、「物語」を放棄した「千と千尋」のあと、「物語」をたっぷりと紡ぐ方法として、テレビのアニメシリーズを作ることを宮崎駿に強くお勧めしている。これはぼくもそう思っていた。けれども、それは「たっぷりと物語を紡ぐ」だけでなく、「物語」と「運動」との二つを両立させるためにこそなされるべきではないだろうか。
しかし、宮崎駿は今、(あまりおもしろくない児童文学)「ハウルの動く城」の映画化に没頭している。さて、あれは一体どんなアニメーションになるのでしょうか?


■2004/2/16■ なんだかイマイチな芥川賞作品

ここんとこ、なぜか何人かから「今度、若い人が芥川賞を取ったねえ」と話をふられ続けた。ぼくは読んでなかったので、「芥川賞って80年代90年代と、本当に有力な作家は選び損ねてて、実際ぼくもこの20年誰が取ったか全然思い出せない」というような一般的な話をしてた。話をふってくる人は、ふだん文学にこだわってるタイプではないので、そんな話でも「へーえっ」と感心していた。
実際、今回の芥川賞はふだん文学にも関心のない人までまきこんで妙に盛り上がっている。(中西圭三が「アサヒ・コム」で連載コラムを書いているが、その中でも(作品は読まずに)取り上げていた。ついでながら、彼はコラムのどっかで中学、高校の時のバンドの話とかも書いてて、そこでぼくのこともチョロっと出てくる)。どう考えても、19才、20才という受賞者の若さのせいだ。事実、直木賞の受賞者の方が文学レベルはずっと高いが、芥川賞に隠れて話題になってない。ともあれ、2作品が載っている文藝春秋が出たので、買って読んでみた。
で、どうかといったら、あまりおもしろくなかった。というか、「蛇にピアス」は基本的には淡々とした切実な文章が続く。「生きづらさ」の感覚は描けてて、でもこのままだったらただの日記じゃんと思ったら、最後に事件を起こしつつ余韻を残してきれいにまとめてた。結果としては、小粒だけど良質な出来上がりという感じ。スプリットタンとかタトゥーとか、話題は痛そーなんだが…。
「蹴りたい背中」は、高校1年生が主人公の話で、クラスの中の人間関係の息苦しさや、かなり変わった同級生への自分でもよくわかんないもどかしい気持ちを描いている。描写や視点の選び方において作者の聡明さが明らかだが、これってどっちかというとジュニア小説の部類に入るのではないだろうか。中高生に読書感想文を書かせたら、「共感に満ちた」素直な文章がたくさん出てきそうだ。
女子高校生が主人公の小説というと、たとえば去年、女子高校生言葉を徹底的に駆使した舞城王太郎の「阿修羅ガール」があった(三島賞)。もちろん、ここでの女子高生の言葉は全部フェイク(やりすぎ)なのだが、それでもこっちの方が「蹴りたい背中」よりもはるかにはじけているしキマっている。高校生たちに感想文を書かせても「共感に満ちた」ものは出てこなそうな内容だが、ぼくにはこっちの方がおもしろい。
今回の芥川賞作品は、文藝春秋も単行本も凄い勢いで売れてるが、売れ行きと内容は一致していないようだ。芥川賞って文学賞では唯一社会的に有名なので、「若い女の子があんな有名な賞を!」というノリで売れているのだろう。まあ、芥川賞は新人賞ということなので、そういう形で新人小説家が売れるのは結構なことかもしれない。しかし、それなら、ぼくと同期で群像新人賞をとった横田創の「世界記録」のようなずっと高度な作品が、なぜ芥川賞をとれないのか(あのときの芥川賞、何だったっけ?)、そこらへんがどうもよくわからないのである。


■2004/2/12■ 公立中学で全校生徒対象の「野宿者問題の授業」

今日は大阪市立瓜破中学校で500人以上の全校生徒対象の50分×2の授業。
考えてみれば、大阪市立の学校で「野宿者問題の授業」をやるのは初めてだが、こんな人数を対象にするのも初めてだ。今回は、体育館に全生徒が座り、うしろには先生たちもズラッと並んでいる中、マイクを使って話をする。
内容は、最近よくやっているように、襲撃の話に始まって、夜回りで出会う野宿者の話、日本全体の話、そして構造的な背景(イス取りゲームとカフカの階段)という流れ。襲撃のところではプロジェクターを使ってビデオも流す。
普段と違うのは、人数の規模がちがうと生徒とのやりとりが全然できないということだ。10人ぐらいとか一クラス程度だったら、相手の反応や答え方に対応して授業を進められるが、500人となるともう「マス」を相手にしている感覚になる。歩き回って、生徒に「ここ、何だと思う?」「これどう思います?」とか聞いても、全校生徒と全教師がいる前では生徒も緊張するのか、ろくに答えが返ってこない。
というわけで、どのように話が受け取られたかは、生徒と先生たちの感想文が帰ってくるまでは一切不明。まあ、昼休みあとの眠い時間だというのに、規律正しいというのか、みんなしっかり聞いてくれていた。
授業を前にしてのいつものプレッシャーは、500人だろうが10人だろうが変わらないようである。(この学校の場合、詳しいことは書けないが、とにかく学校として人権問題に積極的に取り組んでいるということもあって、こういう授業が実現した)。

ときに、評価の高いデヴィッド・シルヴィアンの「blemish」を聴いたら、本当によかった。特にデレク・ベイリーとの3つのセッションの美しさは尋常ではありません。


■2004/2/9■ 上原ひとみの「another mind」

(見てた人にはわかるだろうが)8日放送のNHK杯テレビ将棋トーナメントの谷川・森内戦、互いに力を出し尽くすかのようなぎりぎりの戦いは素晴らしかったなあ…

ジャズピアニスト、上原ひとみのデビューアルバム「another mind 」を聴いた。
キリンビールのCMでピアノを弾きまくっている姿を見て「おや?」っとひっかかってたが(前にはテレビ「情熱大陸」に出演したそうだ。見とけばよかった)、CDを聴いて、内容のおもしろさにすっかり夢中で聞き入った。かなりの超絶技巧と、能力の限界まで楽器を引き倒そうという表現意欲にまず圧倒される。だが、それが同時に、現在のジャズのパターンを一歩も二歩も越え出ようとするバイタリティと結びついている点が普通ではない。
このアルバムには、スタンダードなジャズの空気は全然ない。とはいえ、やってる音楽は「前衛」的でもアングラ風でもない。自分がどうしてもやりたいことを楽器を使いたおしてガンガンやった結果、出てきた音楽は今までに類型のあまりにない内容になっちゃってる、という感じではないか。ぼくにとっては、ジャズ・ピアノの新しいキャラクターの登場である。ともかく、ピアニストの個性とある種のオーラをこれほど強烈に感じさせられることはめったにない。24才でのデビューアルバムということだが、これからこの人、一体どうなっていくんだろう?


■2004/2/3■ NHKスペシャル「63億人の地図」の第1回「寿命」

書こうと思って忘れてたが、10日ほど前に、NHKスペシャル「63億人の地図」の第1回「寿命」を見た。
内容は、平均寿命の世界各国の実情を見せるもので、主に取り上げられたのはシエラレオネ、アメリカ、ロシア。
シエラレオネは、世界で最も平均寿命が短い国で、それは主に長く続いた内戦後の社会の荒廃による。特にこどもたちの栄養失調の深刻さが取り上げられていた。
アメリカは、対照的にというか、肥満による平均寿命の低下が深刻な問題として取り上げられていた。シエラレオネの様子を見たあと「肥満」となるとつい笑っちゃうのだが、しかし特にこどもたちにとっては、生まれたときからの社会的な食生活の構造によって自分の健康が脅かされているのだから、やはり問題は深刻なのだ。
ロシアは平均寿命がガンガン下がっているが、最大の問題の一つは共産主義国家から資本主義へと転換したあとの社会的な変動にともなう社会不安、そして失業などに伴うストレスの重圧ということだった。これはアルコール依存などに結びつきやすいが、そうした状況によって、特に男性に平均寿命の低下が著しいとされていた。
振り返って見ると、第1世界(アメリカ)・(元)第2世界(ロシア)・第3世界(シエラレオネ)と取り上げられていたわけだ。まあ、番組もそういう枠組みで考えていたのだろう。
ただ、むしろぼくが関心を持ったのは、こうした「1」「2」「3」の世界のすべての問題が、日本の野宿者問題に対して当てはまってしまうことだった。つまり、食うや食わずの栄養失調による死亡や餓死が多いという点で、「第3世界」に日本の野宿者は近い。また、日本の偏った食生活のために(たとえば拾い食いなど)肥満などの問題を抱えやすい、という点で「第1世界」に近い。そして、失業にともなうストレス、アルコール依存の問題などという点で、「(元)第2世界」にも近い(ちなみに、大阪市の野宿者の自殺率は一般の6倍)。こうして、見事に日本の野宿者は全世界の「平均寿命の低下」の条件を満たしていることになる。ずいぶん前から「釜ヶ崎は日本の縮図である」という言い方がされているが、これではまるで「釜ヶ崎は世界の縮図」みたいな話になっている。
去年、緒方貞子やアマルティア・セン主導の「人間の安全保障委員会」による「安全保障の今日的課題」を読んだ。その中では、先進国の都市部での貧困について、「第4世界」という呼称が紹介されていた。「第1」でも「第2」でも「第3」でもない別の形態の貧困問題というわけだ。ぼくも、日本の野宿者問題については、「先進国内部の南北問題」「第1世界内の第3世界」「経済難民」という言い方をすることがある。先進国内部で、難民問題に比べなければならないような貧困の問題が進行している、ということが深刻な問題であるわけだ。
それにしても、現実には「(元)第2世界」の住民でも「第3世界」の住民でもない先進国内部の野宿者が、それらの世界と比較するしかないような様相を示しているのはどういう意味を持つのか。特に、それが「第2世界」崩壊後の世界に昂進した問題であるとすれば。「ポスト冷戦」世界に起きている構造的変容の一端が、日本においては特に野宿者問題において集中的に示されているということだろうか。そんな気がする。
もちろん、「日本の野宿者を見れば第3世界がわかる」みたいな安易な同一化は無理な話だが、野宿者問題を世界的な変化の中でとらえる視点は常に必要なのかもしれない。というか、「第1世界」「第2世界」「第3世界」という(かつて明確だった)境界線は今やごちゃごちゃになり、日本内部にもそのごちゃごちゃの境界線が入り乱れつつあるということなのではないか。(これこそグローバリズムのリアリティなのか)。


■2004/1/28■ わけのわからないメールがやってくる…

ビッグイシュー4号の記事「スパム(迷惑)メールに、ご用心!」を読んで気づいたことがある。
記事によると、
「スパムメールのなかには、「このメールを今後受け取りたくない場合は、解除ボタンをクリックして返信してください」と書かれているものもある。会員登録しているところのメールでなければ、絶対に返信しないこと。そのアドレスが正しいもので、今も使っているということを業者に知らせることになる」
ということだ。
え! そうなんですか? ぼくも、要らないメールが来て、「このメールを今後受け取りたくない場合は、解除ボタンをクリックして返信してください」と書いてあったので、正直に「クリックして返信して」たよ! ということは、あれで「アドレスが正しいもので、今も使っているということを業者に知らせ」てたということになるのか! ビッグイシュー4号は、買ってからしばらくはほったらかしてて読んでなかった。買ってすぐ読んでたら、そんなメールに返信なんかしなくですんだわけだ。わけのわからないメールに対処するには、それなりの知識が必要だと思わされた記事であった。
と思っていたら、最近はもっと凄いメールがやってきた。エロい写真がいくつも付いたHTMLメールがやってきて、なにこれと思って文面を読んでみると、「あなた様は、何々サイトに有料登録されているにもかかわらず、料金が未払いになっております。料金徴収のための直接訪問を希望しない場合は、下のボタンをクリックして返信してください」 とか書いてあった。
もちろん(覚えがないから)、ただちにメールを削除した。なかなか凄いメールだったが、しかしアダルトサイトによく行く人は、「知らない間に有料サイトに入ってしまったのか」と疑心暗鬼になって、ついついボタンをクリックしてしまったりするのだろうか。考えてみれば、内容的に完全におかしなメールなのだが(「直接訪問を希望しない場合は」って、本気で金を取ろうとするなら「希望」するかどうか聞いてくるわけがないし、そもそも住所を知ってるわけがない)、メールの受け手に恫喝をかけてハメようというやり口には、けっこう不愉快な思いをさせられる。同じようなメールがあちこちに行ってるかもしれないので、みなさんも気を付けてください。

きのうは、きのくに子どもの村学園・中学校で開校10周年記念の行事があり、それに合わせての講演に招かれ、中学生50人ほどを対象に90分の話をした。話といっても、内容はいつもの「野宿者問題の授業」の通り。
きのくに子どもの村学園の高校にあたる「きのくに国際高等専修学校」には前に授業に行ってるし、そのクラスの釜ヶ崎研修には2年連続でつきあっている。ふつうの公立学校や私立学校とは全くちがうスタイルの学校で、そこにいる生徒たちも雰囲気が相当にちがう。
きのうぼくが話した中学の生徒の一人も、環境問題に関心があるので将来はNGOでそっちの仕事をしたい、そこでどうしても必要になる英語をこれからがんばって勉強したい、以前、環境問題の講演を聞いて感動したので、自分も人を感動させることができるような話ができるようになりたい、というようなことを言っていた。とにかく、将来設計とそれを実現するための勉強の計画がきっちり立っていることには感心してしまう。話をしていると、「あなたは本当に15才(か14才)ですか!?」と思ってしまうぐらいだ。学校では、環境問題やストリートチルドレン、アフリカ諸国の内戦の問題などを生徒たちが資料を集めて勉強して、お互いに発表したりしているので、そういう関心が育ちやすいのだろう。
今回のぼくの講演も、開校10周年記念にどういう人を呼ぶかを生徒たちがみんなで話した結果、社会的に弱い立場にある人々を支援している人の話が聞きたい、そこで野宿者問題に関わっている人を呼ぼう、ということで、ぼくにお呼びがかかったということだ。生徒たち自身が野宿者問題を選んだ、ということ自体が驚くべきことだ。なにしろ、かつて、大阪府立の高校の総合授業のいろいろあるプログラムの中に「野宿者問題」を入れて生徒の希望を取ったところ、百人以上の生徒のうち「野宿者問題」をとる希望者が一人も出ず、結局、授業がボツになったことがある。野宿者問題なんて、たいていの人間は興味を持っていないのだ。それだけにこうした生徒が育つ学校の存在はすごく興味深い。
ただ、こうした学校の問題の一つは、学費がかなり高いということにある。経済的に低い層の家庭のこどもは「学力」とともに「勉強意欲」が低いという事実があるが、NGOやNPOに関心を持つ生徒たちも、その多くは高所得家庭のこどもだという話を高校の先生から聞くことがある。こういうところにも「意欲の格差」と「所得の格差」が連動しているわけである。

土曜日、夜回りから帰ってテレビを見ていると、山瀬まみが「お父さんのためのワイドショー講座」をやっていて、見ていると、その(全放送局の一週間の放送時間総計)第9位が「川崎市・ホームレスシェルター建設の再検討を求める住民と行政の動き」だった。ということは、この問題はすでに「国民的話題」であるらしい。
シェルター建設への反対運動は釜ヶ崎でもあるし、なによりも数年前に大阪の長居公園シェルター問題で周辺住民と行政とがもめにもめた例がある。
しかし、今回の場合は、「ホームレス自立支援法」制定後の「シェルター・自立支援センター建設」という行政の野宿者対策の本流において起こっているという点で大きな意味を持っている。つまり、こうした動きは、今後の行政による野宿者対策に対する住民の全国的な動きを予告するものと見ることができそうだからだ。
野宿者問題に対する以前の行政の対応は、「野宿者は目立つところから追い出せばそれでいい」というものだった。しかし、野宿者が全国的に激増した結果そうした対応は完全に破綻し、なんらかの包括的な対策が必要であることが誰の目にも明らかになってきた。そこで出てきたのがシェルターおよび自立支援センターという方策である(野宿当事者と支援者がなによりも望んでいるのは、生活保護と公的就労の拡大なのだが)。
しかし、現状のシェルターと自立支援センターが、激化する野宿者問題に対しては「焼け石に水」でしかないことはわかりきっている。一方で、地域住民も、野宿者問題が解決し、野宿者が激減することを望んではいる。しかし、「焼け石に水」「瀕死の重傷にバンドエイド」の中途半端な対策が行われ、それによって野宿者が逆に地域に定着してしまうことを何よりも恐れている。ある意味では、住民の反対運動はもっともだとさえ言える面がある。
しかし、テレビなどの報道で見る地域住民のシェルター建設反対の理由の幾つかは、「治安が悪くなる」「怠け者のホームレスのためには我々の税金を使わせない」「こどもが安心して暮らせない」「シェルターができるとわれわれの地価が下がる」とか、われわれが見る限り、偏見と不寛容とに満ちたものがやはり多い。実際、「こどもが危ない」みたいな意見がよくあるが、日常的にこどもたちから襲撃を受け、年間数人は殺されているのは野宿者の方なのだから、どう考えたって話が逆だろう。
しかし、住民の野宿者へのこうした恐怖と偏見、不寛容の噴出は、今後、野宿者問題が顕在化するあらゆる場所で現れるだろう。全国的な規模で、極度の貧困に苦しむ人々と、一般の中流社会の人々との軋轢が発生していくのだろう。かりに、地域住民の希望の一つが「ホームレスのシェルターを作るなら、遠いところ、海のそばか山の中に作れ」というものだとしたら(ありうる! というか、よく聞く)、これは単なる野宿者の「隔離」なのではないか(一種の「経済的アパルトヘイト」?)。しかも、これは様々な軋轢の一つの面でしかない。
シェルター建設の再検討を求める人が作ったホームページがあって、そこの掲示板に多くの人が書き込みを行なっている。ぼくは、それを全部プリントして一つ一つ読んでいるところだ。「野宿者がよく言われるセリフ」は、言っている本人が意識しているよりも多くのことを、その人の言葉を通して語っていることが多い。ぼくはこれから当分、それらを大きな関心を持って読んでいくことになるだろう。

(追記)
シェルター建設の再検討を求めるページの掲示板には、会の代表代行がたびたび書き込みをしており、川崎市への要求項目などの資料がそこで読める。それを見ると、住民が求めていることが、シェルター決定に関わる経過の不透明さ、川崎市が自立支援事業と言いながら、単に駅前環境浄化(川崎市の発言)のみの考えしか頭になく実際の支援策を検討していない事、当該地域にはすでに川崎市のごみ焼却場、簡易宿泊所(1000名)や民間支援施設(150名)、障害者施設などがあり、なおかつ同地区にシェルターを作る根拠が示されていないこと、などであることがわかる。
ぼくはこの問題についてかなり新聞記事などを読んできたが、ここまで詳細な住民側の主張はわからなかった。こうした見解については、読んで納得する点が多い。
ただ、一方で多いのは、他地域の人から「少しホームレスの人たちの立場にたって考えることも必要じゃないでしょうか?」みたいな書き込みがあると、地区の人から
「地区の人がなぜ騒ぐかわかりますか? ホームレスの実態を うんざりするほど見ているからなのです。「手を差し伸べよう」なんて思うことできません。なぜって、「怖いから」です。偏見ではありません」みたいな書き込みがただちに帰ってくることである。
ぼくは、10数年(行政が言う)「あいりん地区」に住み、仕事としては野宿者と一緒に釜ヶ崎の道路清掃をし、さらに夜回りや幾つかの闘争で様々な野宿者と関わっている。つまり、公園や駅で野宿者と出会うだけの住民とは比較にならない密度で野宿者と関わっている。だが、野宿者が「怖い」とか「自業自得」だとかは全然思えない。単に「野宿を強いられているふつうの人」ぐらいにしか思えないのだ。まあ、そういう事を言っても、多くの人は「それはあんたが運動やってる支援者だからだ、バイアスがかかってるんだ」とか言うのだろうか。
いずれにしても、誰にとっても妥当な当座の解決策は、「野宿者問題を解決するための包括的で実効性のある対策を全国で行うこと」「とりわけ、リサイクルや清掃事業などの分野で野宿者を雇用し、最低限の生活ができる仕組みを作ること」なのではないか。


■2004/1/15■ 宇治市立宇治中学校で「野宿者問題の授業」

今回の授業は、12月9日の開発教育研究会セミナーに参加されたこの学校の先生からの依頼。
この学校の3年生は、「総合学習」で世界の子どもたちや難民について学んでいた。その総合学習の時間での校外学習のとき、中之島に行った生徒たちが反失業連絡会の野営闘争に参加していた野宿者たちと図書館で会い、「くさい」「きたない」と否定的な印象を持った。こうしたことから、野宿者問題についての学習の必要性を先生が痛感し、機会を捜していたということだ。担当の先生は、越冬の夜回りや布団敷き、三角公園のもちつきなどに参加されていて、12日にも先生がこうした釜ヶ崎での経験をもとに授業を行なっている。その授業と今日の授業ともども、「野宿者問題の授業」のページで概略や生徒の感想を近々アップする予定。ここでは、下に生徒の感想文幾つかだけをアップしておこう。

最近は「野宿者問題の授業」について考えることがいろいろ多い。
一つは、こうした授業がぼくに与えるプレッシャー。授業の日には朝からプレッシャーで体調がひたすら悪いということが前から続いていたが、最近はそれが「体調」というより精神に「くる」プレッシャーになってきた。生徒(つまり一般の社会)と野宿者の問題との接点を作ることがこの授業の目的だが、やっていると、その二つの世界の軋轢をそのまま自分が受け取るような感覚になってくる。
生徒だってやっぱり一般の人なので、たいていの場合、野宿者に対しては差別と偏見しか持っていないし、それは1時間や2時間の授業で変化するわけがない。それはそうだが、それでも授業のあとの感想などで「やっぱり捜せば仕事はあるはずだ」「生田さんの言ってることはおかしい」というのを見ると、自分の責任を感じてたっぷり数日間は鬱になる。現場で活動している人間として、野宿者問題が自分を通じて誤解されたままであることは耐え難いからだ。さらに、日本では「野宿者問題の授業」がほとんど行われておらず、自分たちのやっていることが今後の展開に影響する、という(妙な)責任感が輪をかける。今日は、学校へ向かう道すがら、そんなことを考えて、「野宿者問題の授業」を続けていったら、どこかの時点で精神的につぶれるか、あるいは精神的に面の皮のぶ厚い人間になるか、どっちかしかないんじゃないか、という気がしてきた。
ま、こういうふうに考えちゃうこと自体、精神的にやや落ち込んでいる証拠なんだろう。実は、今日の授業の最中に何度か自分やってることに迷いを感じて(下で触れている、授業の方法の問題のこともあり)、しゃべれなくなるか、しどろもどろになるかの寸前になった。人前に出さずになんとか踏みとどまったが、やはりこの授業は精神的なテンションがないととてもできないと実感した。
もう一つ思うのは、今の授業のやり方の限界についてである。最近は、繰り返しの試行錯誤の結果として、「90分あれば、野宿者問題について伝えたいことを一応まんべんなく語れる」という一定のパターンを作り上げた(「カフカの階段」なども含む)。これはこれで、特に講演形式の場合は非常に有効であることは確かのようだ。
しかし、こうしたパターンを作りあげた結果の一つは、授業をやっててもなんだかおもしろくなくなってきたということである。ま、単発の授業の場合は、どうやっても「放出するだけ」で、やってる方はおもしろくともなんともない、という話はいろんな人から聞く。そもそも運動は、やってる人がおもしろいと思うかどうかの問題ではないだろう。とはいえ、やってる人間がおもしろくなかったら、聞いてる人間もおもしろくないんじゃないかなあ、という気もしてくる。
そこで、伝える情報や知識は最小限にして、時間半分は生徒どうしのディスカッションという形式を追求すべきではないか、と思うようになってきた。たとえば「いす取りゲーム」の比喩についてクラスで何班かに別れてディスカッションし、それを班で発表して全体でまた話す、というようなやり方である。
その点を今日、先生に話すと、「それは、今日の授業みたいに、いろんなクラスの生徒がバラバラ集まるスタイルでは無理ですよ」「お互いよく知ってるクラスの子どうしじゃないと、ディスカッションはなかなか展開しません」ということだった。そう言われればそうで、ディスカッションは「さあ始めましょう」といってただちに始まるようなものではないわな。どのようなクラスか、今までどのような授業をやってきたかということに「野宿者問題の授業」も大きく左右されるのだろう。というわけで、やはりこれは担当の先生との打ち合わせや共同作業の中で追求すべき課題なのかもしれない。

その意味では、今日の生徒の感想は、担当の先生の今までの努力が反映されているのだろうと思う。たった1時間の授業についての感想としては、これらの感想文は際だった内容の高さである。


今 自分が住んでいる日本がこんなに悲惨やとは思わんかった。周りをもっとよく見て受け入れるべきやと思った。自分がすごーく小さな何もできひん自己中心的な人間!!ってゆうのを思い知らされた。ホームレスの人たちのことを勘ちがいして偏見してそれが差別になっていくんだなと実感しました。ホームレスの人たちにばくだんや生卵をなげつけた中・高校生は本当に腹が立った!! あと生田さんがイスとりゲームで説明してくれたのがすごくわかりやすかった。誰かのために誰かが絶対にイスにすわれないように、仕事につきたくてもつくことができないってゆうのは改善されるのにすごい長い月日がかかると思う。でも路上で誰にも悲しまれない内に死んでしまうのはとても胸が痛かったです。ホームレスをなくすのは最終目標で、今、私たちが一人一人できる事はホームレスを受け入れる広い心を持つことだと思う。私は今そうゆう心を持つことが出来たと思う。生田さんは人のためにいろいろしていて、すごく輝いて見えました。ホームレスの相談所が男性だけのところしかない(生田注、今はある)ってゆうのもジェンダーを感じる。まずは世界に住む人々が、勘ちがいをなくしたら偏見も差別もなくなると思った。これから先ホームレスが激増した時、私はそうゆう人たちにどんな気使いや優しい言葉をかけてあげられるかと思ったとき、この生田さんのお話をしっかりと心にきざんで、これから先生きていきたいと思った。


今日は生田さんのお話を聞いててビックリすることがたくさんあった。野宿者に対してのイジワル(イタズラ)が こんなにいっぱいあって 軽いケガでは済まないことまでやる人がいるなんて ものすごくショックでした。こんなことが起こるのは まだ野宿者の人達への理解が足りないせいだと思う。もし野宿者の立場に立ってしまったら理解されない苦しみが初めてわかるし、だからといって野宿者になれとは言わないけど、せめて こんな生活を望んでしているわけではないことを分かってほしい。生田さんの話を聞いて強くそう思いました。また野宿者ばかりに問題があるのではなく私たちにも問題があるのだから 無関心にならず どうしていくかでこれからいろんな希望が野宿者の人達に生まれてくると思いました。

▼ 
 今日、野宿生活をおくっている人達の話しをあらためて聞いて、野宿生活は命がけなんだなと思いました。イストリゲーム式で仕事と人の関係を教えて頂いたのはとてもわかりやすかったです。努力は大切なことだけど、周りも変わらなければ努力はむくわれないとわかりました。というより、努力とかの問題ではない。
私達と同じくらいの年で 野宿者に花火をいれたり、人に火をはなったり、最低だと思った。 
「この世にひつようのないからくじょする」 そんなことを少年達はいいながら暴行したり。この世にくじょされるような人はいない。そんな人をさばく権利は誰にもないと思う。だから、そんな少年少女がいなくなるように、今日私達にしてくれた話しを、他の学校にもぜひしてあげてください。


■2004/1/13■ 山梨県・朝日建設事件の続報など

この「近況」の10月8日のところで触れた、山梨の飯場「朝日建設」で元作業員とみられる3遺体が土中から発見された事件について、埋められていた3人のうち2人が、やはり釜ヶ崎から手配された日雇労働者だったことがわかったという。
釜ヶ崎フォーラムMLからの情報によると、

会社側に殺され、埋められていた3人のうち2人は西成区からヤミ手配されて仕事に行った日雇い労働者だったことが判明。
合計百件以上の賃金未払い相談が90年代末から各種相談窓口(大阪南労働基準監督署、西成労働福祉センター、地域労組など)に断続的に寄せられていました。 事件発覚後、遅まきながらこれら関係団体の取り組みによって、未払い額が判明しているケースについては未払い賃金確保法(通称:賃確法)が適用され、確定額の80%は国による立て替え払いがなされることになりました。1件は1件は(通常、4ケ月ほどかかるところを)異例のスピードで処理されています。時効になっているケースでも適用の可能性が開けています。

ということだ。
この「朝日建設」は、以前から釜ヶ崎で(違法に)労働者を集めていた業者だった。報道によると、「朝日建設」社長は労働者の賃金をピンハネし、保険金を横領した上で、自分は豪邸に住んで高級外車を何度も買い換えていたという。

越冬夜回り最終日(10日)の夜回りの最中、ちょっと目を離したスキに自転車をバクられてしまい(今宮神社の十日戎で人が多かったしなー)、きのうは泣く泣く新たな自転車を買いに行った。
といっても、新品など買ったら2〜3日中に又パクられてしまうので(大阪に来てから何度自転車を持ってかれたことか!)、仕事のリヤカーのパンクで行きつけの自転車屋で中古品を物色する。プリジストンの27インチもの6500円を発見。だいたい新品同様なので、これかなと思った。鍵をもう一つ付けて、名札も買って総額7500円。
なにしろ、ぼくの住んでいるところは、自転車があれば15分以内で「西日本最大のデパート」「西日本最大の電気店街」「西日本第二位の売り場面積の本屋」「西日本最大の繁華街」「大阪の台所・黒門市場」などに行けて、ほぼすべての買い物ができてしまう。というわけで、自転車は何をおいても持っておく(夜回りのときにも超便利!)。

さらに昨日は、Alice's Adventures in Wonderland: A Pop-Up Adaptation of Lewis Carroll's Original Tale をページをめくって眺めていた。
これ、要するに「飛び出す絵本」なんだけど、ぼくらが見てたようなそれとは、わけがちがうわ。「こんな手間暇かけてよう作るわ」と驚くアイデアがあっちゃこっちゃに仕掛けられている。「アリス」の愛読者だけじゃなく、見た人誰でも感心すると思う。(もっとも、たこ焼き食べてる山王こどもセンターの4年生の子に「ほーら、これ見てみ」と見せたら、「ふーん、すごいなあ」だけで、彼女は又たこ焼き食いに没頭していた。たこ焼きには勝てんか…)。
自分で眺めるのもいいが、プレゼントとかにも向いてると思われる。


■2004/1/11■ 越冬闘争の終わり

チェンバロのレッスンに向け、W・F・バッハの「12のポロネーズ」やブクステフーデの「組曲」を日々(電子ピアノで)練習するこのごろだが、
例年通り、10日をもって釜ヶ崎越冬闘争が終了した。といっても、(ずっと下に写真のある)医療センター前布団敷きはしばらく継続し、釜ヶ崎キリスト教協友会による越冬夜回りがこれから毎日行われる。なにしろ、ホントに寒くなるのはこれからなのだから。
毎年のようになっているが、今年の越冬夜回りでも死者が発見されている。
1月5日の夜回りで(この日の夜回りにぼくは出ていなかった)、労働センターの裏、バス「勝利号」のすぐ後ろのところで寝ていた人がいたが、うつぶせになって毛布もかぶっていなかった。夜回りに参加していた高校生が声をかけたところ、返事もなく、体が冷たくなっていた。そこで夜回りの責任者の人を呼んで、救急車を呼んだ。すでに体が硬直していたが、みんなで一生懸命から体をさすって「兄さん、兄さん、みんないるよ、がんばって」と声をかけ続たという。
救急車が来たが、「もう死んでいる」と病院には行かず、遺体は警察に行った。学生たちは体をふるわせて泣いていた。夜回りのあと、みんなで黙祷をしたという。
西成区で数百人が路上死するという現実が続いている以上、こうしたことはずっと続いていくのだろう。ぼく自身、何度も路上死者の第一発見者になっている。
イラクに自衛隊が派遣されようとしている。日本は戦争へと取り返しのつかない形でどんどん荷担していくが、釜ヶ崎でわれわれが体験するこうした現実は、アメリカを軸とした世界規模の戦争とどこかで関連しているという気がして仕方がない。

さて、年賀状をこれから書かないといけないなあ。


■2003/12/28■ 越冬の始まり

例年通り、25日をもって釜ヶ崎越冬闘争が始まった(1月10日まで)。その準備で、カンパで送られてきた衣類を三角公園で放出したり、毛布や薪を集めて移動したりストックしたり、いろんな用事が日々続く。25日からは、野宿者ネットワークの越冬にあわせた夜回り、医療センター前布団敷きの当番、もちつき大会、ビラ書きなどがバタバタと続く。
25日からのよまわりでは、釜ヶ崎地区内のコースで、頭からかなりの量で流血している人がいて救急車を呼んだり、83才ぐらいの人が野宿していて、布団敷きの場所に案内したりしていた。厳寒期にもかかわらず、何があってもおかしくない。越冬闘争の必要性はずっと何十年も続いているわけである。

「寄せ場メール」で流された越冬のお知らせを、下に引用。

***************************
'03〜'04年 第34回釜ケ崎越冬闘争
第34回釜ヶ崎越冬闘争を闘おう!
野垂れ死に攻撃を許すな!
市・府・国は仕事を作れ!−失業・野宿問題を解決せよ!
イラク派兵反対! 戦争への国づくりを許すな!

今年で34回目の釜ヶ崎越冬闘争を迎えます。釜ヶ崎の状況は相変わらず不況続きで、仕事は減る一方。多くの労働者が野宿を余儀なくされている状況は全く改善されないままです。炊き出しに並ぶ人も、夜間シェルターを求めて並ぶ人も、増え続ける一方です。過酷な状況の中で踏ん張っている労働者たちと連帯し、ともに越冬を闘い、2004年を迎えよう!どなたでも、多くの方々の参加をお待ちしております!!

●スケジュール
▲釜ヶ崎越冬闘争支援連帯集会
 2003年12月20日(土) 午後2時〜4時
場所 中之島中央公会堂 3F小集会室
(地下鉄御堂筋線「淀屋橋」下車徒歩7分)
*越冬闘争に連帯する支援団体が結集し、アピールを行います。
▲第34回越冬闘争突入集会
 12月25日(木) 午後2時〜4時
 場所 釜ヶ崎・三角公園
* 越冬闘争突入にあたり、支援団体の情宣 活動報告など。
▲南港臨時宿泊所入所状況報告集会
 12月30日(木) 午後6時〜8時
 場所 釜ヶ崎・三角公園
 *集会終了後、人民パトロールへ出発!
▲医療センター前布団敷き 12月25日〜1月10日 午後8時〜翌朝5時
 場所 医療センター前
 (あいりん総合センター内の医療センター前で布団を敷き、野宿を余儀なくされる労働者に寝場所を提供します。)
▲医療パトロール 12月25目〜1月10日 午後10時〜12時頃
 場所 釜ヶ崎地域内 ※午後10時 医療センター前集合
(釜ヶ崎の地域内を、毛布やカイロを持って、労働者に声をかけて夜回りします。)
▲医療相談
▲越冬まつり 12月31日〜1月3日 午後3時〜8時
* バンド演奏などアーティスト多数出演、のど自慢大会、卓球大会、餅つき大
会、ソフトボール大会などイベント多数
場所 三角公園
▲人民パトロール 12月30日〜1月3日 午後8時〜10時
 (午後8時 三角公園出発)
* 釜ヶ崎地域内外で、野宿生活者を励まし、野宿問題を訴えてパトロールします。
▲お礼まいり 対市・府デモ 1月5日(月)
▲炊き出し 12月25日〜1月10日 場所 三角公園

★医療パトロール(夜回り)、布団敷き、人民パトロールなどは、ボランティアの力が必要です! 1回だけでもかまいません。多くの参加をお待ちしております!

★越冬期間中は、毛布約900枚を必要とします。支援物資のカンパなどご支援宜しくお願い致します。
●送り先 〒557-0004 大阪市西成区萩之茶屋 1-9-27
 生活道路清掃事務所
●振込口座:みずほ銀行 萩之茶屋支店 普通 1387094
   釜ヶ崎実行委員会 代表 山田実

主催 第34回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会
連絡先:〒557-0004 大阪市西成区萩之茶屋1-9-7
釜ヶ崎日雇労働組合気付  Tel 06-6632-4273

***************************

↑医療センター前布団敷きの様子


■2003/12/20■ 釜ヶ崎反失業連絡会・NPO釜ヶ崎によるアルミ缶買い取り所

釜ヶ崎・反失業連絡会が中之島の市役所前で続けている野営闘争では、アルミ缶を集める野宿者のために、1キロ100円で買う「買い取り所」を日中ずっと開いている。ぼくも月に一度ぐらいのペースで当番に入って8時5時で詰めている(もちろん無償)が、今日もそれだった。
下の写真の場所(写真後方に写っているのは中之島公会堂)で、中之島野営地で泊まっている数人と一緒に座って待つ。アルミ缶を持ってくる人がいると、秤で計ってお金を渡し、下のような袋に入れて、あとで車に積んで業者に渡しに行く。
いつも一日100人弱ぐらいの人がアルミを売りにここに来るので、何人かといろいろ話して「どこでアルミ缶を集めるのか」「何曜日がいいのか」などを聞く。いろんな人がやってくるが、一人は「西宮市まで自転車で集めに行く」と言っていた。というのも、大阪市内では1万人を越す野宿者がいて、その8割近くがアルミ缶や段ボールを集めている。つまり、とんでもない過当競争が展開しているので、とにかく物理的に行ける所まで行って缶を捜すのだという。それにしても、西宮市って電車でも結構遠い。その人も「自転車でも片道3時間ぐらいかかる」と言っていた。でも、その人にしても、1000円いかなかったな…
とはいえ、中には「穴場」を知っていて、どばっと4000円分ぐらい持ってくる人もいる。「どこですか?!」と聞いたが、「それは教えれんわ」と言っていた。まあ、そりゃそうだわ。
ま、今日は雪もちらついて、ムチャンコ寒かったです。




■2003/12/18■ 海外から見る日本の姿

昨日から、オンラインのニューヨーク・タイムズやソルトレイク・トリビューンにNorimitsu Onishi なる人物の書いた川崎市の野宿者のレポートが載っている。
「なぜニューヨーク・タイムズに日本の野宿者問題が?」と思って読んだが、襲撃の話から始まって、何人かの野宿者の経歴や意見をパッパと並べたという感じの文章だった。
書き手としては、「日本の野宿者の姿を事実に沿って」という感じだだろうが、読んだ印象は幾分散漫。そもそも、野宿者の数も襲撃も行政による差別も日本と比べてハンパじゃないアメリカでこういう記事がどういう意義を持つのだろうか。具体的に、日本における野宿者総数や男女比や問題の構造を書いていった方がいいんじゃないかと思った。
焼酎のビンを叩いて指して「私はこれで失敗しました」と言ってたとか、「バブルで日本人は金持ちになってからおかしくなったんだ」みたいな話よりも、集めてるアルミ缶が1個何円になるかとか、若者の野宿が少ないのはなぜなのかという話の方がインパクトがあるんじゃないかという気もしたが、どうなんだろう?

それはともかくイタリア・オペラのDVDを見続ける日々が続き、最近はヴェルディの「トロヴァトーレ」(レヴァイン指揮)「ファルスタッフ」(ムーティ指揮)、プッチーニの「蝶々夫人」(1974年のカラヤン指揮)を見た。「トロヴァトーレ」はあまりの音楽の内容のなさに完全に退屈したが、「ファルスタッフ」では79才のヴェルディが書いた今にも気化するような軽いタッチの、しかし練り上げられた(時に調性さえ不明確になる)鋭い音楽にすっかり引き込まれる。最後に登場人物がフーガで「この世のことはすべて冗談!」と歌って大団円になる。国葬までされた作曲家が最後の仕事として仕上げたのがこれである。「偉大な作曲家が一生を見事に仕上げた」と実感させられるラストなので、つい「こういう人生ってあるんだなあ」と感動させられてしまう。
「蝶々夫人」は、ポネルの演出したオペラ映画。作曲家が自ら「蝶々さん」を「最愛のヒロイン」と言ったわけだが、プッチーニの音楽はこの蝶々さんの運命を作曲家としての技量を尽くして描き切って、完全に圧倒させられる。第一幕最後の愛の二重唱の素晴らしさは、これに匹敵するものはワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」ぐらいではないかと思ってしまうほどだ。メロドラマとかなんとか言われてインテリ層には評判良くない作品だが、そんな問題ではなく、プッチーニはやはり唯一無二である。
しかしここでなんたって凄いのはポネルの演出だ。フレーニやクリスタ・ルートヴィッヒが白粉ぬって着物姿でカツラをかぶって歌うだけでもなかなかのものだが、日本人の登場人物の扱いはほとんどエグい。蝶々さんの伯父さんの神官は歌舞伎スタイルで見得を切って登場するし、金持ちの公爵は白粉をぬりたくった外人顔で蝶々さんを口説きにかかる。日本人としては、「頼むからもうやめてくれえ」と情けなくなるような演出の数々だ。だが、外国から見たら、こういうのが「日本情緒」に見えるのだろうか?
そんなことを考えていたら、手に取ったレコード芸術12月号に、ベルリンで上演されたプッチーニの「トゥーランドット」の新演出の報告が載っている。
 
「10月のベルリンの話題は、国立歌劇場の《トゥーランドット》新演出であった。この舞台は、話題のベリオ版による上演で、指揮は改訂版を好んで取り上げるケント・ナガノ。演出は、2年前に《コジ・ファン・トウッテ》で圧倒的なオペラ・デビューを飾ったドリス・デーリエ(ドイツ有数の女性映画監督)が担当した。
結果は、今回もニクイばかりの突出した出来栄え。(…)
演出のコンセプトは、日本を舞台にした「セーラームーン=トゥーランドット」。ここで主人公は、マンガの世界に逃げ込み、「大人の女性」になることを拒むティーンとして描かれる。東京の郊外に住む高校生のヒロインは、バイオレンス系コスプレ・ルックに、クマのぬいぐるみを抱えて登場。『セーラームーン』では、処女性の保持と性の否定が、お色気モンスターの退治によって表現されるが、ここではそれが、セックスを求めるマッチョの拒否(=処刑)として具体化されている。
 しかし彼女は、幕を追うごとにマッチョ=カラフのしつこいばかりの求愛に、徐々に心を開いてゆく。そして星空の夜にふたりきりになると、「ひょっとすると、男の子もいいかもしれない……」と思うようになるのである。つまりトゥーランドットは、自分の殻を脱ぎ、大人の女性になることを受け入れる。素晴らしいのはこうした読みが、ベリオ版の夢幻的なフィナーレに、完全に合致していることである。デーリエは、大人になろうとする少女の「性」を、ユーモラスかつ繊細なタッチで描き出していた。
 ちなみに、ウルトラマンからピンポンパン(まさに逆輸入! かぶりもののオンパレード)に至る日本のコミック描写は、「どこから情報を仕入れたの?!」と訊ねたくなる正確さ。」

(城所孝吉)

日本のアニメや特撮ものが、プッチーニのオペラの演出に起用されるとは思いもよらなかった。しかも、報告を読んでる限り、このアイデアは見事に「はまって」そうではないか。日本のアニメは、ヨーロッパではここ数十年、こどもたちの共通体験となっているが、1955年生まれのデーリエ(あるいはデリー)にとって、それはどういうものだったのだろうか。お願いだから、ぜひともこの上演をDVD化して発売してください!


■2003/12/9■ 開発教育研究会でのセミナー

本を読む気が全然起きず、オペラの他に、マッシヴ・アタックやシャーデー、ケミカル・ブラザーズの音楽DVDなどをずっと見続ける今日この頃だが、
京都市左京区にある関西セミナーハウスで6日から7日にかけて、「野宿者の問題から日本の開発を考える」というプログラムに行ってきた。
2、2、3時間のセッションがあり、それぞれ「野宿者襲撃」「野宿者の現状」「野宿者問題の背景と今後の展望」という内容。参加者は30人弱で、小学校から大学まで教職にある人が多く、他に大学生などがいる。
一人で一気にこれだけの内容を話すのは経験がない。とくに「襲撃」問題を全体像にわたって話したのはこれがまったく初めて。今まで集めた資料や自分の「野宿者襲撃論」(まだできてない「後半」も含め)も使って、かなり突っ込んだ話をした。
ぼくの目標はもちろん、これを通して学校での「野宿者問題の授業」が各地で実現できるようにしたい、ということにある。内容的には、襲撃をはじめとする野宿者問題の背景をいろんな面から取り上げて、この問題を1968年〜75年以降に生じた世界的な社会変動の中でとらえること。
今回のセミナーはシリーズものの第6回で、すでに「ネパールから見える日本の今」「紛争解決のために―日本の安全保障と世界の平和」「日本の識字問題から多文化共生へ」などが行われ、参加者の多くはそれにも参加している。たとえば、中には「難民」についての授業を小学校で行なっている人もいるという具合なので、言ったことはすべてピンときてもらえる。ぼくは話の中で「野宿者問題は日本国内における南北問題であり」「日本の野宿者がおかれている医療状況は難民より悪い」「20世紀は難民の世紀と言われたが、少なくとも幾つかの先進国では21世紀はホームレスの世紀になる可能性がある」などと言ったが、これらがどのように受け取られたかは気になっている。
このセミナーは何年も続けているということだが、日本の野宿者問題を扱ったのはまったく初めてだという。参加していた一人は「寄せ場メール」で「名前なじみ」の人だったが、5年くらい前から「開発教育で野宿者問題を取り上げよう」と提唱してきたが、そのころは全然そういう動きもなく、今回こういうセミナーが実現したことは「時代の変化」を感じさせる、と言われていた。
長時間にわたって話をし、いろんな人といろんな話をしたけど、これが今後どのように展開していくのか興味津々になる。ちなみに、セミナーハウスは山の上にあって、釜ヶ崎とちがってとても空気のいいところでした。


2003/12/4■ 目眩と嘔吐

ゆうべは友だちと会って外でごはんを食べた。釜ヶ崎内部のよもやま話やオペラの話(彼は中学生のときにオペラにはまっていたという)なんかをしながら、大根にめんたいをかけたサラダ他を食べた。
そして、今朝起きてみると、いきなり目眩で体にふらつきが! 無理してパンとか食べたら、今度はえぐい吐き気が! 仕事があったけど、とても出られる調子じゃないので、休ませてもらってなるべく寝ることにした。しかし、吐き気は止まらず何度か吐き、体もあちこち痛くなってきた。いま夕方にはマシになってきたが、どうも昨夜の食事であたったと思われる。しかし、サラダの他は加熱したものばっかだったから、多分、原因はサラダだ。一緒に食べたともだちはどうなっているのだろう。メールで確かめなければ…
ともかく、今度の土日には泊まりがけのセミナーが京都であるので、その日には絶対に体調を壊せないというプレッシャーがかかる。

ところで最近、天王寺公園横の路上カラオケの撤去問題が話題になっていて、きのうの朝もテレビの全国ニュースで大阪市職員と当事者たちがもみあいになる映像をやっていた。が、その中で一番アップで映っていたのは、釜ヶ崎の「炊き出しの会」の委員長と釜ヶ崎日雇労働組合の知り合いだった。
というのも、撤去予告されているのはカラオケ屋台だけでなく、その近所の野宿者のテントもそうなのだ。それで「炊き出しの会」や釜日労の人が支援に行ってる。でも、テレビは野宿者のテントのことなんかは一言もいわない(新聞報道では触れている)。だから、あのテレビニュース見てた人は、「炊き出しの会」や釜日労の活動家を「カラオケ屋のあるじ」かなんかと思ってただろうなあ…
行政による野宿者のテントの撤去はよくあることだが、われわれの基本方針は「対策なき撤去は許さない」「撤去するなら今後の生活基盤を保証せよ」。しかし、あまりに撤去は多いので、ふだんはそれぞれ自分たちにゆかりのある地域での撤去については関わる、というスタンスでやっている。今回のテントにはぼくは関わっていないが、はたしてどうなるのだろうか。


「近況4」(2003年6月〜2003年11月)
「近況3」(2002年11月11日〜2003年5月29日)
「近況2」(2001年5月16日〜2002年10月16日)
「近況」(2001年11月13日〜2002年5月10日)

■HOME
 

Lastdate