あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
と言うことで2114年も幕開けとなりましたが,私は今年も実家の寺村で年末年始を過ごすことになりました。
少し遅ればせながらではありますがここで私の行動を出来る限り思い出しながら寺村のお正月の紹介とさせていただきます。
12月31日(火)晴れ
 例年寺村では,9:00からお縄張れの準備に取りかかります。準備と言っても御旅所まで縄を張るのですが雄志による前日からの下準備と毎年のことなので皆手慣れたもので10:30には終わるのですが今年に限っては,餅まき用の餅を神社に運んだりしていると集会所での正月の春祈祷の打ち合わせは,12:00になっていました。当然のことながら今年の話題も御旅所(神社から片道約1km)までの神輿等に係る人員32名を確保できるのかでした。近年近隣の町でのお祭りでも神輿を軽トラで御旅所まで運ばなければならなくなっているなど寺村にとってもお祭りに参加する人員の確保は年々大きな課題となってきています。それから話は,罰当たりにも御旅所移転計画が飛び出すなど盛り上がり(満場一致)14:00頃普通の人は帰路に就くのですが普通でない人々は,勢いがつき早くも正月の始まりです。2次会に選ばれたのは当然”バーさゆみ”(中島邸)でそこには,ひろあき君・しゅんすけさん・はるひこ君・しんじ・しゅうじ・当然中島さんと他に数人いたように記憶しています。そこで色々とごちそうになり19:00には帰宅したように思います。
1月1日(水)晴れ
 朝9:00起床,実業団駅伝を見ながら朝飯を済ませ12:00今年も車でお宮まで運んでもらいました。着くと神事は始まり境内の焚火に5人ほどが輪を作っていました。この時間でこれだけだと神輿の人員は大丈夫かと心配しましたが13:00御神輿が二基御旅所に向け出発しました。数年前ひも引きデビューした私も当然神輿を担がせていただきました。(平均50歳)無事御旅所へ神様も到着,神事も順調に進んでお宮に帰ることになりましたが担ぎ手には疲労感がにじんでいました。御旅所までは,急激な下り坂がほとんどということは当然帰路は急激な上り坂となります。しかしながら口数は少なくなりながら息も絶え絶えで何とか無事に神様をお宮へお届けし,餅まきのころには100人を遙かに越える人出でお宮は1年ぶりににぎわいました。
 餅まきを終えたお宮は御神酒をいただくべく1次会の会場に模様を替え15:00本格的酒宴の開幕となりました。(賄は上屋敷)残念ながら今年は獅子の入り手がなく出陣はありませんでした。そして17:00酒宴の場は2次会へと流れる。2次会の場はお重邸(今年はデジカメを忘れたため画像がなくてすみません)ここでの楽しみは庭でバーベキュー!なんと言っても大阪からお取り寄せのホルモンが絶品で一人で1kgほど語地租になりました。みっこさんとお重さんに40年前の大阪の○秘話を聞きながら(とてもここで発表できる話ではありませんが)絶品のホルモンをごちそうになりました。
 3次会は,区長の家に寄らしていただきまたまたご馳走になりました。(岡崎友則邸)例年いる石本家族は,ご主人の石本が欠席でしたがまきと子供たちは見ることができました。大勢のお客でごった返していました。石本家の子供たちの恋愛事情を根掘り葉掘り聞き18:00ごろおつぐさん邸へ到着!そこで高知テキーラの話になり日頃の活動をはるひこ君としんじと3人で話していたら"かずひろ君ご夫妻"が「仁淀川町出身のものとして俺にも協力させてほしい」と金1万円をポンと寄付してくださいました。(小中学生たちも練習に来ますのでボール代に遣わさせていただきます)これに味を占め,その寄付の一部始終を見ていた「仁淀川屋の大番頭」にも寄付をお願いすると財布から福沢諭吉が飛び出そうとしたその瞬間「大番頭の妻上戸彩」が「なになになに」と近づいてきて「何に使うの?」とか凄い目力で質問され,監督・コーチ・主将の3人で「ソフトボールを通じ仁淀川町の青少年健全育成のため」とあまりの気迫にしどろもどろになりながらも必死に苦しい答弁したのですが”即却下”されました。そしておつぐさん宅でもたんまりご馳走になり20:30無事に帰宅しました。今年も寺村のみなさん”ごちそうさん”でした。 
 2014寺村のお正月
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