梅雨晴れ


※ 12才イタチ×7才サスケ


 からりと古い家の戸が開いて閉じる物音に、イタチはようやく明け方入った寝床の中でうっすらと目を覚ました。暗部に召集されて以来、人の出入りの気配にはいっそう敏感になった。
 だが、寝不足の気怠さと六月特有の蒸して湿ったまとわり付く重い空気にどうにも起きるのが億劫で、寝返りを打ち、うつ伏せになって耳を澄ませる。明け方散々聞いた里に降り付ける強い雨の音は何処か遠くへと過ぎていた。
 であれば、先程の引き戸の音は弟のサスケの仕業だろう。彼は朝な夕な続く降雨の日々に随分と焦れていた。そんな彼にとって今朝は待ちに待った梅雨晴れの日だ。きっと朝一番に目を輝かせて空を見上げ、母の作る朝食すら待たず、アカデミーまでの時間も惜しんで、森の修練場まで飛び出して行ったに違いない。
 ねえ兄さん。おれに修業をつけてよ。
 そう言ってサスケが取って返し、イタチを起こしにやって来るかとも身構えたが、全ては杞憂のことだった。軽やかな足取りは外へと一目散に駆けていく。
 任務明けの朝から組み手やまだまだ下手くそな手裏剣術を見てやるのは面倒だ。そう思う一方で、なんだとも拍子抜けする。あれこれと考えた断るための口実がいともあっさり無用になるのは少しだけ寂しくて、つまらない。
 だが、これでよかったんだと思い直す。今日もまた午後には次の任務へと出向かなければならない。休息を取ることも時には必要だ。暗部の任務は長く続くこのじっとりした雨の日々ようにいつも心が晴れない。
 それでも今頃弟は森の修練場でたった一人、いったいどんな修業をしているのだろうかとうつらうつら微睡みの中で考え、再び静かに寝息を立て始めたイタチの耳を擽ったのは、僅かに聞こえるサスケのとぼとぼとした足音と、意気消沈した足取りだった。
 俄に家の中が騒がしくなる。母のお小言に、昨夜の残り湯を急ぎ追い焚きする風呂の音。ぴしりと閉めた襖の隙から入ってくるそれらの小波に、ははあ、とイタチは母にもサスケにも同じ分だけ公平に同情した。
 きっとサスケはまたイタチの手裏剣術の真似をして派手にすっ転び、頭から爪先まで盛大泥んこになったのだろう。そして、こうも雨続きの日々では洗濯もままならず、もしかすれば箪笥に残されたサスケの服は残り少ないのかもしれない。
 やっぱり一緒に付いて行ってやればよかったな、とイタチは思う。
 まろぶサスケを受け止めてやれたかもしれないし、結局転んでサスケが泥んこになったとしても、「あなたもちゃんと見ててあげなきゃだめでしょう」とイタチも母に叱られて、あとでサスケと二人「怒られてしまったな」とこっそり笑い合えたかもしれない。
 起きよう。イタチは決めた。
 任務まではまだたっぷり間があったが、母とサスケの様子が気に掛かる。ここで様々思い巡らしたところで、埒が明かない。
 布団からのそりと体を起こし、とりあえず髪だけ緩く結んで二人がいるだろう居間へ行く。
 だが、結論から言えば、母はイタチが思うよりもいつも通り朗らかだったし、サスケも心配するほどしょげて落ち込んではいなかった。
 よかった。と思うと同時に、なんだと今日二度目の拍子抜けをする。
「おはようございます」
 イタチが声を掛けると、古い箪笥の抽斗を開いた母が振り返り、微笑んだ。
「あら。おはよう、イタチ。今日は遅くてもいいんじゃないの」
「ええ、まあ」
「ごめんなさい、煩くしてしまったわね」
 と苦笑する母を遮り、
「ねえ、兄さん!」
 サスケが母と兄の会話の間に滑り込んできた。
「聞いてよ、あのさ」
 一生懸命修業している手裏剣術がこの間兄さんに見てもらった時よりも一つ多く的に当てられるようになったとか、的の端っこじゃなく真ん中近くに苦無が当たるようになったとか、サスケが勢い込んで捲し立てる話はイタチの耳をするりと右から左へと抜けていった。
 そんなことよりも、今は弟の体にはどう見たって不釣り合いの、ぶかぶかのシャツが気になって気になって仕方がない。なにせ裾はぺろんと長いし、襟刳りは大きく開いててろんと垂れている。極めつけは袖だった。半袖でも、長袖でも、七分袖でもない、弟のシャツはなんとも中途半端な五分袖なのだ。
「おれのだ」
 イタチが言うと、サスケと母が頷いた。
「うん、兄さんのだよ」
「でも、やっぱりサスケにはまだ大きかったわね」
 寝惚け眼がぱちんと開く。
 心もなんだかふんふわ浮き立って、イタチはサスケに近寄り、その袖や襟刳りを試しに指で摘まんで引っ張ってみた。
「おれのだ」
「そうだよ。兄さんのだよ。だから、そんなに引っ張らないで」
 サスケがイタチの意地悪をいやがって身を捩る。
 けれど、だからこそ、もっともっとちょっかいをかけたくなる。
「おれのだ」
 雨が上がる。
 今日は、束の間だとしても、夏の陽が差す梅雨晴れの日だ。
 イタチは久しぶりににっこりと微笑って、そのぶかぶかごとサスケのまだ自分と比べれば小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「おれのだな、サスケ」