当主様。


   …。


   おはようございます、当主様。


   …あー。


   おはようございます、蓉子さま。


   ……おはよう。


   ごゆっくりしているところ、まっこと、申し訳御座いません、が。


   …と言うか。
   似たようなコト、前にもあったなぁ。


   …。


   あの時とは違って、迷子にはなっていませんけどね。


   イツ花。
   いつ?


   遅くとも午の刻までには。


   然う。
   分かったわ。


   先ずは当主様に、と。


   蓉子も一緒じゃなきゃ、やだ。


   …。


   存じております。
   なので、蓉子さま。


   …イツ花。


   はい。


   皆も集めて頂戴。
   当主部屋では無く、座敷に。


   宜しいのですか?


   良いわね、聖。


   うん、良いんじゃない。
   その方がてっとり早いし。


   イツ花、お願いね。


   了解しました。


   今は…


   辰の刻をほんの少し、過ぎたところです。


   …然う。


   それでは。
   あ、お支度はそんなに急がずとも良いので。
   まぁ、朝餉ならもう出来てますケド。


   …もちっとだらだらしてたかったのにー。


   …聖。


   だって寒いんだもん。
   布団から出たくなーい。


   …。


   なんかもう、この部屋だけは春のようですネ。


   でしょ?
   分かってるね、イツ花…いたたっ


   ……。


   よ、蓉子、脇、脇腹…。


   身支度をするわよ。


   えー、時間なら未だあるじゃん。


   …。


   ……ちぇー。


   イツ花。


   はい。


   着替えるから。


   はい、分かりました。
   …そうだ、当主様。


   あー?


   お顔を洗うのを、うっかり忘れないで下さいね。


   …へーい。


   大丈夫よ、私が居るから。


   ふふ、然うですね。


   ね、おっかないと思わない?
   私のお嫁さま。


   …。


   あ、嘘、蓉子さんはすっごく優し…いたぁぁっ


   …全く。


   ふふ。
   それじゃまた後で。


   と言うか蓉子さん、脇腹、脇腹を抓るのは勘弁…!


   ……全く。















  
R o s a  C h i n e n s i s















   祥子。


   は、はい、お姉さま。


   考えておいた?


   ……はい、一応は。


   消極的ね?


   …。


   そんなに自信が無いの?
   わざわざ、今まで黙っていたと言うのに。


   …然う言う言い方は意地が悪いですわ。


   だって教えてくれなかったじゃない。
   何回か、聞いても。


   …。


   祥子は内緒にしていたかったんだと思います。


   …令。


   それはどうして?


   だって


   ねぇ、蓉子。


   ん?


   未だ、なの?


   未だ、ね。


   待ってるの、もう、飽きた。


   そんなに経ってないわよ、時間。


   眠い。


   散々寝たでしょう?


   でも寝たのは遅かった。


   夜更かしするから。


   私だけじゃないもん。


   じゃあ黙って寝てなさい。
   で、祥子。


   …なんでしょうか、お姉さま。


   楽しみ?


   ……まぁ、それなりには。


   あら、煮え切らないわね。


   …。


   楽しみだよね、祥子は。
   だってすっごい悩んでたもの。


   令。


   そんなに?


   聞いてください、蓉子さま。
   祥子は…


   令、先刻からお喋りが過ぎてよ。


   そんなに喋ってないよ。


   貴女には由乃が居るでしょう。


   うん、可愛いでしょ?
   ほら、今も良く眠ってる。


   本当、良く眠ってるわね。


   はい、蓉子さま。


   屹度、令の背中の居心地が良いのね。


   …えへへ。


   よーこー…。


   あら、眠ったんじゃなかったの?
   眠たかったんでしょ?


   …むぅぅ。


   はいはい、あともう少しだから。
   もう少し待ってて。
   ね?


   蓉子、こっちに来て。


   私は祥子達と話しているから。


   むー。


   それにしても遅いですね、イツ花。


   然うね。
   でもイツ花はいつも、こんな感じだから。


   ……。


   祥子、緊張してる?


   …だからうるさくてよ、令。


   はは。
   こんな祥子、普段は見られないから新鮮だ。


   ……。


   祥子、そんな顔をしていては駄目よ?
   もっと解しておかないとね。


   ………。


   あーあー、つまんないー。
   つーまーんーなーいー。


   聖。


   蓉子、こっちに来て、来てよぅ。
   膝、貸してよぅ。


   貴女が来れば良いでしょう。
   それと膝は貸しません。
   どうしてもと言うのならば、枕でも持ってきなさい。


   やーだー、蓉子の膝が良いー。


   ああ、もう。








   ……江利子さま。


   んーー?


   和やかですね。


   然うねぇ。
   ま、良いんじゃない?
   たまには。


   …たまには?


   色々、だったから。
   貴女の時も含めて。


   …。


   “私達”の場合は平凡過ぎるのだけど。
   いつも。


   …ご不満なのですか?


   もう少し、何かあっても良いと思うのよ。


   …そんな理由で由乃さんは


   然う、思う?


   ……申し訳ありません。


   あら、何故?


   …過ぎた口を


   いいえ、良い傾向だわ。
   でも未だ足りない。


   …?


   口は物を食う為に付いてるわけでは無いのよ。


   …。


   しかし…そろそろ、来ても良い頃なのだけど。
   遅いわね。


   …然うですね。








   はーい!
   皆さま、大変長らくお待たせしましたーーー!!!


   …えへへ。
   蓉子、蓉子…。


   ふむ。
   まんまと増長してるわね。


   …言わないで、江利子。


   お姉さま、仕合わせそうに眠っていますね。
   余程、蓉子さまの膝が気持ち良いのでしょう。


   ……ああ、もう。
   皆の前とか、全然考えないのだから…。


   …あれ?


   でも結局、甘やかしてるのは蓉子なのよ。
   今までもずっと、然う。


   ……自覚はしているのよ。
   然う、ちゃんと…。


   お姉さまは蓉子さまのお傍が一番、安心するのでしょうね。


   ま、甘やかしてくれるからねぇ。
   それこそ、赤子の頃から。


   ……赤子の頃は江利子だって。


   それでも私は早々に手を離れたわよ。
   誰かのせいで。


   ……。


   大体、言われるのが分かってるくせにそれでも甘やかしてしまうのよね、蓉子は。


   ……だって一回駄々を捏ね始めると何も聞いてくれないんだもの。


   それは今まで散々甘やかしてきた蓉子の責任。若しくはツケ。
   貴女、どんな時でも聖の傍の人間だったじゃない。
   然う、あの時だって。


   ……江利子。


   あの時…?


   ま、昔の話よ。
   志摩子。


   …。


   然う、家出した時のね。


   家出…?
   お姉さまが…?


   江利子。


   ま、昔の話ね。
   所詮。


   ……え、えーと。


   大体、令はどうしてそんなにお喋りなのかしら。


   私、別にお喋りじゃないよ。
   祥子があんまり話さないから。


   別に良いでしょう。
   話すも話さないも人の勝手よ。


   祥子はさ、もっとちゃんと話さないと駄目だよ。
   蓉子さまにも言われた事があるじゃない。


   …。


   それにさ、今回ばかりは気になっているのは蓉子さまだけじゃない。
   だって家族の


   あ、あのォ、皆様…?


   それは…分かっているわ、分かっているのよ。


   ほら、分かってるんじゃない。


   だからって貴女に話せなんて頼んではいないわ。


   結局、漢字はどうするの?


   ……。


   蓉子さまにお願いするんでしょ?
   由乃の時だって然うだったんだって。
   蓉子さまはいつだって、良い字を考えてくれるんだ。


   貴女に言われなくても知っているわ。


   じゃあ尚更


   だからそれは


   みーなーさーまーーー!!
   イツ花、イツ花が只今、戻りましたですよーーーー!!!


   …あら?


   イツ花、帰ってきていたのね。
   お帰りなさい。


   …遅いわよ、イツ花。
   おかげで聖が


   ……へへ。


   イツ花、お帰り。
   早く、見せて見せて。


   ……。


   ほら祥子、何してるの?
   一番気になってるんでしょ?


   だから…!
   ああもう、どうして貴女は…!








   そんなわけで!
   目がくりくりとしていて愛嬌のある、でもどことなく何となく狸にも似てなくもない、そんな女のお子様でっす!


   …。


   聖、ちゃんとして。


   …うー。


   起きていらっしゃいますか?
   当主様!


   ……一応。


   それでは!


   …は?


   先ずは当主様が


   いや、一寸待ってよ。


   はい?


   私はいい。


   と、仰ると思っていました。
   蓉子さま。


   聖。


   ……でも。


   はいはい、当主様。
   先ずはこの家の主である当主様が抱っこしてあげるのが、本当、なんですからネ?


   ……。


   聖、大丈夫よ。


   …やっぱ私はいい。
   代わりに蓉子が


   私は貴女の代わりにはなれない。


   ……。


   大丈夫。
   大丈夫だから。


   ……やっぱり無理だよ。


   そんな事無いわ。


   だって一度も抱いた事無いんだよ。


   皆、初めは然うよ。


   ……けど今更じゃない。


   赤子〈ヤヤ〉を抱くのに。
   今更なんて、無いわ。


   ……。


   聖…。


   ……。


   ……なら。
   手を握ってあげて。


   ……手?


   然う。


   ……。


   …ねぇ、聖。


   ……。


   少しだけで良いの。


   …。


   貴女にも命の温もりを感じて欲しいのよ。


   …蓉子のを感じる事が出来れば良いよ。


   ううん、然うじゃない。
   新しい、小さな命の熱いくらいの温もり。
   それは今、この子でなければ感じる事が出来ない。


   ……。


   聖。


   ……。


   ……。


   ……蓉子。


   大丈夫…。


   …。


   貴女の手はとても温かくて…。


   ……。


   …とても、優しいから。


   ……。


   さぁ、聖…。


   ……。


   ……イツ花。


   …はい。


   ……。


   ……聖。


   ……やっぱり駄目だ。
   触れない…。


   ……。


   ……蓉子さま。


   …イツ花。
   私に…。


   はい。


   ……熱いわ。


   ……。


   今日、貴女が来てくれて。
   こんな嬉しい事は無い。


   ……。


   この家の主は私では無いけれど…。


   ……あ。


   然う、この人がこの家の主。


   よ、蓉子…。


   ねぇ、温かい人でしょう?


   わ、私は…。


   …優しい人。
   私の大事な人…。


   ……。


   ………聖。


   ……。


   一緒に、ならば。


   ……。


   私が居るわ。


   ……。


   居るから。
   約束、したでしょう…?


   ……うん。


   …右手を。


   …。


   大丈夫、私が支えているわ。


   ……う、ん。


   ……。


   …う。


   然う。


   ……よ、蓉子。


   大丈夫、大丈夫…。


   ……。


   ……ねぇ、とても熱いでしょう?


   ………うん、凄く熱いね。


   貴女も…然うだったのよ。


   ………私も。


   …あの熱を。
   私は生涯、忘れないわ。


   ………。


   …聖、何か言葉をかけてあげて。


   え…。


   …何でも良いわ。


   ……え、えと。


   ……。


   あ、あー……。


   …ふふ。


   蓉子ぉ…。


   …ごめんなさい。


   ……からかったの?


   ううん、そんなつもりじゃなかった…けど。


   …けど、何よ。


   貴女、凄く困った顔をするものだから…。


   ……。


   …どんな言葉よりも、勝るから。


   …。


   ねぇ、聖。


   ………もう、良いでしょ。


   ええ。


   ……後で膝枕の続き、して。


   …仕方無いわね。


   ……。


   ……。


   あーあー、蓉子。


   うん?


   もう、良いかしら。
   そろそろ、私達の存在も思い出して欲しいのだけど。


   ああ、然うね。
   けれど忘れていたわけじゃないのよ。


   はいはい、然うね。


   本当よ。


   はいはい、分かってるわよー。
   蓉子はただ、聖にも伝えたかっただけなのよねー。


   …もう、江利子はいつも然うやって、


   祥子が待ちくたびれてしまう前に。
   ほら。


   ……。


   …えと。
   祥子。


   …はい、お姉さま。


   抱いてあげてくれる?


   勿論ですわ。








   あ、祥子、そんな抱っこの仕方じゃ駄目だよ。


   そんな事無いわ。
   私はちゃんと…


   首が、首がー。


   ちょ、一寸何をするの、令。


   未だ首が据わってないんだからそんな抱っこじゃ駄目だって。


   わ、分かってるわよ!
   余計な事をしないで欲しいわ!


   て、また…!
   あーもう、一寸代わって!


   あ。


   ……よしよし。
   ほら、祥子。
   こうやってちゃんと首を支えてあげて、それから


   令!


   わ。


   どうして貴女は先刻から余計な事ばかり!


   だって祥子が


   だっても明後日も無いわ!
   この子は私の妹なのよ!


   分かってるよ。
   だから


   つべこべ言ってないで早く返して!


   あ、ちょ、危ないよ。


   離して、返しなさい!


   わ、分かったから…あ。


   え…あ!


   ………。


   わ、わぁぁぁ!


   あ、貴女が急に離すから…!!


   だって祥子が…て、そんな事言ってる場合じゃないよ!!
   変なトコ打ってたら大変だよ…!!


   !
   ゆ、ゆみ……!!!


   …。


   ぜ、全然泣かないけど…。
   変なトコ、打っちゃったのかな…。


   え、縁起でも無い事を言わないで頂戴…!


   け、けど…!


   祥子、令。


   お、お姉さま…。


   よ、蓉子さま…。


   少し落ち着きなさい。


   けれどゆみが…。


   見せて。


   ……。


   ………これと言って外傷は無いけれど。
   少し、吃驚してしまったみたいね。


   び、吃驚…。


   よ、良かったぁ…。


   とは言え。
   祥子。


   ……。


   か弱き赤子は守るべき者。
   ぞんざいな扱いをするなんて、言語道断よ。


   ……分かっていますわ、それくらい。
   けれど令が


   祥子。


   ……。


   貴女はもう少し、令の話をちゃんと聞きなさい。


   …けれど、お姉さま。


   令は由乃の面倒を見ているのよ。
   貴女よりも赤子の扱いに長けているの。


   ………。


   それと、令。


   …はい、蓉子さま。


   こんな祥子だけれど呆れずに面倒を見てあげてね。


   は、はい。


   ……。


   それで、祥子。


   …何ですか、お姉さま。


   この子の名前。


   …あ。


   ゆみ、と言うのね?


   ……。


   あ、そうだ。
   祥子、ゆみって言ってた。


   ……そうですけど。
   何か問題でもありますの?


   無いわよ、問題なんて。
   だって貴女がずぅっと考えて悩んで迷って、それで付けた名なのでしょう?


   …。


   字は?
   どう書くの?


   ……それ、は。


   私は言わないよ。
   また余計なコト、って怒られたら嫌だし。


   ど、どうして貴女はこういう時に…!


   て、やっぱり怒るし。
   祥子は我侭なんだよ、基本的に。


   わ、わたくしの何処が我侭だと…!


   ふ、ふぇぇぇぇぇ…!!


   …っ


   ああ…。


   ほら、祥子。
   貴女が大きな声を出すから。


   わ、わたくしのせいとでも言うのですか?!


   違うの?


   ち、違いますわ!
   屹度、今になって打ったところが痛くなって…


   それじゃ余計に大変だよ、祥子!


   あ、あ…。


   もう。
   だから落ち着きなさい。


   お、お姉さま…っ


   痛いの、痛いの、とんでいけ。


   ………は?


   ………あぁ。


   はい、これで大丈夫。


   そ…そんなわけ…!


   大丈夫よ。


   お姉さま…!


   赤子とは言え。
   この家の子なのだから。


   ……。


   ……まぁ、由乃よりは元気そうだね。


   それと。
   当てる字は私が考えても良いのかしら?


   ……お願いしても宜しいですか。


   ええ、勿論。
   でももう一寸早くに教えてくれたら今日、ちゃんとつけてあげられたのに。


   ………申し訳御座いません。


   …祥子、顔が思い切り不貞腐れてるよ。


   ……だからうるっさいのよ、貴女。


   よーこー。


   うん?


   ひーざー。


   もう少し、待って。


   えーー。
   もう待てないー。


   もう少しだから。


   むーーー。


   祥子。


   …はい、お姉さま。


   これからは。
   この子の事、ちゃんと面倒を見てあげて。


   ………言われなくても


   祥子。
   ちゃんと蓉子さまの方を見ないと。


   ……分かりました、お姉さま。


   はい。
   それじゃあ、聖、江利子、志摩子。


   ……。


   はいはい。


   はい、蓉子さま。


   この子はゆみ。
   紅の子として、主に祥子が面倒を見ることになるわ。
   当てる字は私が、業については後ほど当主と話しあって決めるから。
   分かった、聖?


   ……その前に膝


   ま、良いんじゃない。


   志摩子。
   貴女にもゆみの事、お願いする事があるかも知れないわ。
   その時は宜しくね。


   はい、分かりました。








   聖。


   …。


   聖。


   …。


   狸寝入り。


   ……なんでも良いじゃん。


   駄目。
   ちゃんと考えて。


   ……親と一緒で良いじゃん。


   まぁ、それが妥当な答えね。


   …。


   だけど釣り合いも考えて。


   ……じゃあ、蓉子と同じで良いじゃん。


   私と…。


   …拳。


   ……そうねぇ。


   …。


   令が剣、祥子が薙刀。
   この世代はとても均衡が取れているのよね。


   …。


   私達は聖が槍で、江利子が弓。


   で、蓉子が拳。


   ……まぁ、悪くないのよ。
   だけど…。


   ……。


   志摩子が踊り、由乃ちゃんは…


   …物珍しさを優先しやがったからな。


   ……やっぱり然う思う?


   他に考えられない。
   普通だったら弓が妥当でしょや。
   上が剣なんだから。


   …然うなのよねぇ。


   ……。


   じゃあ槍は?


   ……は?


   槍。
   聖の後が居ないから丁度良いじゃない。


   ……合わない。


   合わない?


   …槍って顔じゃない。
   あれは。


   顔って。


   …じゃ、弓にすれば?


   正直、悪くないのよね。


   じゃ、それで。


   でも待って。


   ……。


   矢張り、親である…


   …だから、筒で良いじゃん。


   ……。


   一番、妥当でしょ。
   多分。


   ……だけど。
   由乃ちゃんは賭けに等しいわ。
   そもそもあの子は戦いに出られるかどうかさえ分からない。


   ……。


   そうなると“ゆみ”は…


   …蓉子。


   うん?


   字、どうするの。


   …然うなのよね。
   それも考えないと。


   ……ねぇ。


   …なに。


   私の字は誰が考えたの。


   聖の?


   ……蓉子?


   …違うわ。


   ………なんだ。


   私は未だ、子供だったから…。


   ……蓉子だったら、許せたのに。


   ……。


   ……なんだ、蓉子じゃないんだ。


   …聖。


   ……。


   聖。


   筒にしなよ。


   …え。


   あの赤子の業。
   後の事は後の人に任せれば良い。


   ……無責任じゃないの。


   …そうだよ。
   だって後の事なんて、分からないもの。


   だから考えるんじゃないの。


   考えたって分からないものは分からない。


   …。


   ……もう、ねる。
   おやすみ。


   あ、聖…。


   ……。


   ……もう。


   …。


   ……でも確かに。
   やっぱり一番妥当なのかも知れないわね…。
   単発、散発、どちらでもいけるし…。








   違う、違う。


   …。


   だから、これをこうして…こう。


   …。


   ああ、だから然うじゃないって。


   ……。


   …祥子はぞんがい、ぶきっちょなんだよなぁ。


   …。


   しょうがないなぁ。
   暫くは私がやるよ。


   は?


   だってそんなんじゃゆみちゃんが可哀想だもの。


   何を言っているの、ゆみは私の妹なのよ。


   知ってるよ。
   でもこれじゃ、ね。


   ……。


   練習でこんなんじゃ、本番出来るわけ無いよ。


   勝手に決め付けないで欲しいわ。


   と、言われてもなぁ。
   ゆみちゃんが来る前からやっているのに、これなんだもの。


   練習なんかで出来なくても、本番で出来れば良いのよ。
   それに私は本番になれば出来るのよ。
   然う、出来ないわけが無いのよ。


   なんて、言ってるけど。
   ねぇ、志摩子。
   志摩子はどう思う?


   …はい?


   こんなんじゃ、駄目だと思わない?


   ……然う、ですね。


   志摩子。


   …もう少し、練習してみては如何でしょう。


   うーん、でもなぁ。


   …令さま。


   うん?


   …私達は常人と時の流れが違います。
   うかうかしていたら祥子さまは機会を逃してしまうかも知れません。
   そんな事になれば、恐らく…。


   …あぁ。


   一寸、二人で何をこそこそと話しているの。


   祥子。


   さぁ、令。
   もう一度、やって見せなさい。
   然う、もう一度やれば出来る気がするのよ。


   …志摩子。


   令さま。


   ……仕方ないなァ。


   ……。


   これをこうして…。


   …これを、こうして。


   ここを折りたたんで…。


   ……たたんで。


   で、こうやって…。


   …こうやって。


   ……え、えと。


   令、手が止まっているわ。


   …と言うかさ、どうやったらそんなんになるのか、分からなくて。


   失礼ね。
   ここまでは完璧じゃないの。


   ………志摩子。


   令さま、頑張ってください。


   ……。


   さぁ、令。
   早く続きを。


   …そういやさ、祥子。


   何。


   私さ、蓉子さまから教わったんだ。


   …は?


   やり方。


   知ってるわ。
   由乃が来る一週間も前から練習してたじゃないの。
   だから?


   …いや。


   はぁ?


   一寸、思い出した。


   何を。


   妹が出来る、気持ち。


   ……。


   やっぱり。
   ゆみちゃんのおしめは祥子が取り換えないと、駄目だ。


   そんなの。
   当たり前でしょう。


   うん、然うだよね。


   早く続きを。
   今度こそ、ちゃんとやって見せるわ。


   うん、其の意気だよ。
   然うだ、志摩子。


   はい。


   ついでだから志摩子にも教えてあげるよ。
   いつか、必要になるかも知れないし、出来ないより出来る方が良いから。


   …いつか。


   然う、いつか。
   まぁ、分からないけどね。


   …はい、有難う御座います。


   じゃ、祥子。
   もう一回最初からやってみようか。


   ええ、望むとこ


   ふえぇぇぇ…。


   …あ。


   ゆみ?
   ゆみ!


   …まさか。


   令、湿っているわ!
   然うなのね!?


   うん、然うみたいだねぇ。


   これは…とうとう、私の腕を見せる時が来たようね。


   うわぁ。
   やる気満々、だよ。


   ええ、然うですね。


   おしめ替えるのに、こんなに気合入ってる人、早々居ないよね。
   多分。


   然うでも無いと思いますよ。


   然うかな…。


   だって令さまも然うでしたから。


   ………。


   さぁ、令。


   …良い?祥子。
   今までは人形相手だったけど、今度は本物のゆみちゃんだからね。


   ええ、分かっているわ。


   …そっか。
   なら…


   ……ふぇぇぇ。


   …あ。


   あ?


   由乃…!


   …。


   由乃、おむつが汚れちゃったんだね!?
   一寸待ってて、直ぐに取り換えるから!!


   …一寸、令。


   祥子!


   え。


   さっさと取り替えちゃうよ!
   蒸れてかぶれたりでもしたら大変だから!!


   え、ええ。


   それじゃあ…!!


   あ、一寸…。


   先ずは汚れたおむつを…!
   でもって…!


   令、早いわ…!


   ぐずぐずしてちゃ駄目だよ、祥子!


   ああ、もう…!


   ………楽しそうですね。


   楽しくないよ、志摩子!


   然うよ、楽しくは無いわ…!


   ……でも嬉しそうですね。








   蓉子、未だ考えているの?


   …ええ。


   もう、寝ようよ。


   先に寝ていても良いわよ。
   と言うかね。


   やだ、蓉子と一緒じゃなきゃやだ。


   此処は私の部屋よ。
   自分の部屋に戻りなさい。


   今宵は蓉子の部屋で寝るんだ。


   二人は狭い。


   でもさ、実際は然うでもないよ。


   狭いわよ。


   くっついて寝るんだもの。
   気にならない。


   貴女が気にならなくても


   何をそんなに悩んでいるの。


   ……話を逸らして。


   適当で良いじゃんか。


   名は体を表す。
   適当なんて以ての外だわ。


   ……ふぅん。


   字画の事もあるし。
   もう少し、考えてみないと。


   候補は?


   うん?


   幾つか、あるんでしょ。


   …まぁ、ね。
   けど


   これは?


   ……。


   これなんか、良いんじゃないの。


   …どうして然う思うの。


   何となく、然う感じた。


   ……。


   蓉子。


   ……もう少し、考えみるわ。


   じゃあ、もう明日にしよう。


   …。


   寝よう、蓉子。
   一緒に。


   …昨夜も一緒だったじゃないの。


   然うだよ。
   だって毎夜一緒に寝るんだもの。


   ……聖。


   なに。


   命令、しないの。


   命令?
   なんで。


   当主命令として、この字を


   そんな事で蓉子を私だけのものに出来るのならば、疾うにやってる。


   ……。


   さ、蓉子。
   早く早く。


   ……もう。


   明り、消す?


   …当然でしょう。


   たまには…


   今宵はしません。


   ……。


   体が持たない。
   私は貴女と違ってもう、若くない。


   ……どこか悪いの?


   悪くは無いわ。
   ただ…ここのところ、疲れが抜け難くなっているの。


   ……。


   …大丈夫よ。
   だからと言って貴女よりも先に逝ったりはしないわ。


   ……蓉子。


   さぁ、もう寝るのでしょう…?


   うん…。


   ……だめよ、今宵は。


   …うん、分かった。


   ……良い子ね。


   おやすみ、蓉子…。


   …おやすみなさい、聖。








   あぁ…!


   ……。


   あぁぁぁん…ッ


   …何だと言うの。


   あぁぁん…ッ


   …どうすれば良いの。


   あぁぁ…あぁぁ…ッ


   ……泣き止みなさい。


   あぁぁ…!


   泣き止んで、泣き止みなさい…!


   ……ッ


   …どうして、泣くの。
   どうして泣いているの。
   どうして、どうして…どうして!


   ……ッ、…ッ


   …祥子。
   ゆみちゃんが泣いているようだけど…


   ………。


   …!
   何してるの、祥子!


   ……令。


   手を離して!
   早く…!!


   ………。


   あぁぁぁん…!


   吃驚しちゃったね、でももう大丈夫だからね。
   よしよし、大丈夫、大丈夫…。


   ………。


   …祥子。


   ……泣き止まないの。


   …。


   どうして泣いているのか、分からないのよ…。


   …だからって。
   あんな事したら、絶対にダメだ。


   ……。


   赤子は夜泣きするものなんだよ。
   個人差はあるらしいけど…由乃だってしてるの知ってるでしょ?
   ゆみちゃんほど、元気な声じゃないけれど…。


   ……知ってるわ。


   祥子。


   ……。


   祥子は何でも一人でやろうとしすぎるんだよ。


   ……。


   ゆみちゃんは祥子の妹。
   そんなの、みんな知ってるよ。
   でもね、一人で気負う必要は無いんだよ。
   蓉子さまだって言ってたじゃない。


   …でも令は


   私だって一人じゃ出来ないよ。


   ……。


   蓉子さまに教わって、お姉さまと一緒に由乃を見てる。
   祥子だって由乃を見ててくれたし、志摩子があやしてくれた事だってある。


   ……。


   ほら、私は一人じゃない。


   ……けれど、ゆみは


   うん、知ってるよ。
   でも私達は家族なんだ。


   ……。


   ふぇ……。


   …よしよし。


   ゆみ…。


   さぁ、祥子。


   ……。


   ゆみちゃん。
   ほら、泣き止んだ。


   ……。


   ほらほら。
   祥子がそんな顔してたらまた泣いちゃうよ。


   …。


   私の方が先だったんだからさ。
   でも祥子がその気になったらあっと言う間に私なんか追い抜かしちゃうんだろうけどさ。


   ……。


   さ、祥子。
   抱っこ?


   ……言われなくても。


   うん、その意気。


   …貴女こそ。


   うん?


   由乃は大丈夫なの。


   うん、今のところは。


   ……然う。


   でも寝る時は平気でも、夜中に急に熱を出すことがあるから。
   油断は出来ないんだけどね。


   …然うね。


   けどお姉さまもいるから。


   …お姉さま。


   祥子にだって蓉子さまが居るよ。
   もっと甘えても良いんだよ。
   祥子は蓉子さまの妹なんだから。


   …。


   …当主さまのこと?


   ……そんなんじゃ無いわ。


   …まぁ、色々あったからね。


   だから


   さて、もう一回寝ようかな。
   祥子も寝なよ。
   ゆみちゃんも何事も無かったように寝てるし。


   ……。


   然うだ。
   祥子さ。


   ……何。


   昼寝、すると良いよ。
   ゆみちゃんと一緒に。


   …。


   そうすれば少し、いや大分、違うから。
   ね?


   ……貴女にしては良い考えじゃないの。


   それがさ、受け入り。


   …。


   やっぱり経験者には敵わないよ。


   ……確かに、然うね。


   でしょ?


   ええ。


   ……屹度。


   …え。


   こんな事で悩むのも、あっと言う間に終わっちゃうんだ。


   ……。


   だから。
   私は私が出来るだけの事をするんだ。


   …令のくせに。


   はは。
   悔しい?


   誰が。


   ははは、然うだよねぇ。


   令。


   ん?


   ありがとう。


   どういたしまして。


   …おやすみなさい。


   うん、おやすみなさい。
   また、ね。








   ははうえー。


   …。


   ははうえ?


   令。


   はい、ははうえ。


   お姉さま。


   …?


   私の事はお姉さまと呼びなさいと教えたでしょう?


   ……。


   …江利子。


   うん?


   未だ言っているの、それ。


   ええ、言うわよ。
   令が覚えるまで。


   だけど貴女は令の母親でしょう?
   令は間違った事は言ってないわ。


   私、未だ一歳にもなってないのよねぇ。


   …だから?


   母と呼ばれるのは少し、ね。


   ……交神しておいて。


   無責任?


   ……。


   令。


   はい。


   母上、じゃなくて、お姉さま。
   分かる?


   はい、はは


   お姉さま。


   …はい、おねえさま。


   うん、宜しい。
   それで何?


   あ、えと…これ。


   んー?


   おねえさまをかいてみました。


   あらあら。


   それで、その…。


   あまり似てないわねぇ。


   ……。


   だけど。
   特徴は捉えてるわね。
   特にこのおでことか。


   …ほんとうですか。


   ええ。
   結構、良く描けてるわよ。


   !
   ありがとうございます!


   ふふ。


   あ。


   令は良い子ねぇ。


   ……。


   あらら。
   ほっぺた、真っ赤。


   ……えと、えと。


   ねぇ、蓉子。
   かわいいでしょう、うちの妹。


   ……ええ、然うね。


   ああ、然うだ。
   蓉子。


   …うん?


   あそこからやたらに視線を感じるのだけど。
   少し鬱陶しいから何とかしてくれない?


   ……祥子?


   だけじゃ、無いけど。
   ま、あっちはどうでも良いわ。


   祥子、どうしたの?
   こっちにいらっしゃい。


   ……。


   祥子?


   ……。


   あ…。


   ふむ。
   思い切り、顔を背けられた挙句逃げられたわねぇ。


   ……。


   令。


   はい?


   遊んできて良いわよ。
   祥子と。


   いいんですか?


   ええ、今日の手習いはお仕舞い。


   はい!
   いってきます!


   はいはい、いってらっしゃい。


   ………祥子。








   ……お姉さま。


   最近、あまり眠れて居ないようだけれど。
   大丈夫?


   …それは令から、ですか。


   …ええ。
   まぁ、そんなところ。


   …。


   もっと令を頼っても良いのよ。
   令だって


   お姉さまは。


   うん?


   お姉さまはどうされていたのですか。


   私?


   お姉さまが面倒を見ていたのでしょう?


   …まぁ、然うね。


   どうされていたのですか。


   どう、て。
   そんなに変わらないわよ。
   特別な事も無いし。


   …。


   ああ、だけど。
   お昼寝は良いわよ。
   夜の睡眠とは違うけど、摂るのと摂らないとでは全然違うわ。


   それは令に聞きましたわ。


   然う。


   …。


   うん、顔色が良い。
   この子は屹度、丈夫に育つわね。


   ……。


   それで祥子。
   ゆみの名の事なのだけれど…


   お姉さまは私の事より、当主様の方に手を焼いておられましたものね。


   …え。


   お姉さまが当主様の、聖さまの面倒を見ていたのでしょう?
   赤子の頃より。


   …いいえ、私だけでは無いわ。


   けれど。
   お姉さまが主に見て差し上げたのでしょう?


   聞いて、祥子。
   それには理由が


   理由が聞きたいわけではありませんわ。
   私はただ、其の事実を述べているだけです。


   …。


   違うのですか。


   ……然うね、違わないわ。


   ……。


   赤子の面倒を本格的に見るなんて初めての事だったから。
   分からない事だらけだった。


   ……。


   聖の前に江利子を少し、見ていたけれど。
   江利子の場合は先代様が主に見ていらしたから、私はそのお手伝いをしただけ。


   …菊乃さまですわね。


   ええ。


   ……。


   聖はね…やっぱり夜泣きがひどくて大変だった。
   寝ている暇なんて無いくらい。


   ……。


   でも頑張らなきゃ、て思ってた。
   私が聖の面倒を見なきゃ、て。
   だけどある日、倒れたの。


   …お姉さまが?


   気付いたらお姉さま…貴女のお母さまが怖い顔して私の顔を見ていたわ。
   もう、声も出なくてね。


   …。


   そして説教。
   先代様は私に対して感情を露にして怒る事は無かったけれど…あの時ほど怒られた事は無かったわね。


   ……。


   祥子。
   一人で気負う必要は無いのよ。


   …私が知りたいのは。
   そんな事ではありません。


   …。


   お姉さまは…お姉さまは私より、聖さまの方が大事だった。
   ただ、それだけですわ。


   …祥子。


   お姉さまが私に黙って部屋を変えた時、どうしてか分からなかった。
   だけどお姉さまにはお姉さまの理由があると思っていた。
   若しかしたら私が自立する為に、と思った事もあります。
   …けれど。


   …。


   結局、お姉さまは。
   聖さまと


   貴女は私の妹。
   貴女が来た時は嬉しかった。


   そんなの、嘘ですわ。


   嘘じゃないわ。


   じゃあ、何故。
   何故私より、聖さまを選んだのですか。


   …ッ


   私が隣に居ては邪魔だったのでしょう?


   違う。
   邪魔だなんて、一度たりとも思った事は無いわ。


   さぁ、それはどうでしょう。
   口では何とでも言えますわ。


   祥子、私は…。


   今は、何も聞きたくはありません。


   …!


   然う、今は。


   …。








   蓉子。


   …。


   蓉子。


   …。


   どうしたの、蓉子。


   …何でも無いわ。


   そーかなぁ。
   何となく、何でも無いって顔してないと思うけどな。


   …本当に何でも無いから。


   ふぅん。


   …。


   そういや、さ。


   …聖。


   ん?


   …膝。


   うん、私の特等席。


   ……。


   で。
   名前、言ったの?


   ……。


   ほら、何だっけ。
   あの新しい赤子の。


   ……ゆみ。


   あーそうそう、それ。


   …。


   良いって?


   ……。


   それとも気に入って貰えなかった、とか?


   …言えなかった。


   え、なに?


   言えなかったの。


   …どうして?


   ……。


   え、え…え。


   ……聖ぃ。


   ちょ、なに、ど、どうしたの?


   ……。


   蓉子、蓉子?
   どうした?祥子と喧嘩でもした?
   …や、でも、それくらいで蓉子が泣くなんて


   …。


   あ、別に変な意味では無くて。


   …。


   あ、あー……。


   …聖。


   ……。


   ……ごめんなさい、聖。


   ……なんで?


   私、祥子をずっと傷付けてた…。


   …。


   気付いて無かったわけじゃ、無いのに…。


   ……蓉子。


   あの子は大事な妹なのに…お姉さまが遺してくれたものなのに…。


   ……私のせい?


   …。


   然うなの?


   …違う。


   然うなんだ。


   違う。


   ……。


   聖…聖…。


   …。


   貴女が好き…大好きなの。


   …でも、私のせいなんだね。
   私がいなければ…。


   聖のせいじゃない。
   聖が居ないなんて…そんなの、いや。


   ……。


   いや…いやなの…。


   ……。


   ごめんなさい…ごめんなさい、聖。


   …別に良いよ。
   謝らなくても。


   でも…。


   蓉子が私を好きで居てくれるなら。
   それで良いんだ、私は。


   ……。


   然う、祥子にすら…。


   ……。


   …蓉子。
   ごめんね。


   せ、い……。


   …貴女は渡さない。
   絶対に。








   祥子。


   …。


   祥子。


   …。


   どうしたの、祥子。


   …別に何でも無いわ。


   然うかなぁ。
   何となく、何かありましたて顔、してると思うんだけどな。


   …勝手な憶測しないで。


   ま、話したくないなら良いや。
   ゆみちゃん、良く寝てるね。


   …。


   祥子も一緒にお昼寝すれば良いのに。


   余計なお世話よ。
   貴女こそ由乃とお昼寝すれば良いでしょう。


   うん、してたよ。
   今、起きたところなんだ。
   由乃は未だ眠っているからその間にお茶でもと思って。


   …。


   ねぇ、祥子。
   そろそろなんじゃない?


   …何が。


   蓉子さま。


   …。


   字、貰えそうじゃないかな、て。


   ……聞いてないわ。


   何も?


   ええ、然うよ。
   何も聞いてなんか、無いの。


   …ふぅん。


   ……。


   祥子、さぁ。


   ……。


   拗ねてるみたいだね。


   …!


   前々から思っていたのだけれど。
   でもさ、そんなんじゃ分からないよ。


   貴女に何が分かると言うの…!


   …。


   貴女に!
   貴女なんかに!
   私の気持ちが分かるわけ無いじゃないの!


   うん、分からないよ。


   …っ


   だって祥子、何にも話してくれないんだもの。
   私は人の心を読める力も、人の心の中を見る力も、人の心の声を聞く力も、何も持ってないから。
   だから祥子が話してくれないと、何も分からないんだ。


   ……。


   祥子。
   蓉子さまは


   あの方なら今頃、聖さまといらっしゃるわ。


   ……。


   だってひどい事を言ったから。


   …ひどい事?


   ええ、然うよ。


   蓉子さまと喧嘩したの?


   …喧嘩では無いわ。


   …。


   何よ。


   祥子は多分…淋しいんだ。


   ……。


   蓉子さまを当主さま…聖さまに取られてしまっているようで。
   ずっと淋しかったんだね。


   ……貴女に何が分かるのよ。


   ごめん、分からない。
   私にはお姉さま…母上が居てくれたから。


   ……。


   それに、私の方が後に生まれたから。
   祥子の子供の頃を良く知らないから。


   ……貴女はいつも。


   …。


   江利子さまと居て、はしゃいで。
   だけど私は…あの方は私の事など、構ってる暇なんて無かった。
   ある日突然、勝手に部屋を変えて私を一人にして……聖さま、と。


   ……私、思うんだ。


   …。


   蓉子さまは聖さまを深く愛していらっしゃるんだって。


   ……。


   聖さまも、また。
   だからあの二人は夫婦みたな…いや、違うなぁ。
   兎に角、引き裂く事なんか出来ないんだ。
   誰にも。


   …。


   でもさ。
   蓉子さまは祥子を大事に思っているよ。


   どこが!
   私はいつも独りだったわ!
   然う、いつもいつもいつも!!!


   ねぇ、祥子。


   …然うよ。
   あの方はいつだって私の事なんて見ていない。
   いつだって当主の、あの人を…


   蓉子さまは祥子を見ているよ。


   そんなの、嘘だわ!


   どうしてそんな事が分かるの?


   だって然うでしょう!?
   だって…!!


   完璧な人間なんて、屹度、居ないんだよ。


   ……っ


   蓉子さまも人間なんだよ。
   うまく出来ない事だって、多分、ある。
   それで祥子を傷付けてしまって…そうした事で蓉子さまが抱えてしまった事、祥子は分かるの?


   ……。


   自分以外の人の事を全部分かるなんて。
   多分、誰にも出来ないよ。


   ……それでも。


   選べないだけなんだ。
   当主さまと祥子、両方大事だから…多分、大事の形が違うから。


   ………。


   年下のくせに偉そうな事を言ってごめん?
   けど私はそんな祥子が好きだから。
   蓉子さまだって


   私は嫌いよ、貴女なんか。


   でも私は好きだよ。


   ……いつも勝手な事ばかり言って年下のくせに生意気な貴女なんか。


   祥子は当主さまにはなれない。
   蓉子さまにとっての当主さまには、絶対に、なれない。


   ……。


   だけどね。
   当主さまだって祥子にはなれない。
   蓉子さまにとっての祥子、大事な妹に当主さまは絶対になれないんだ。


   ……。


   と言うかさ。
   祥子は甘えるのが下手糞なんだよ。
   でもってね、蓉子さまもそんな風に見えるんだ。
   だから似てるよね、二人は。


   …は?


   自分の感情を形にするのが上手じゃない、と言うのかなぁ。
   全部、我慢しちゃうんだ。


   …何を言い出すの、貴女。


   だからさ、私に甘えても良いよ。


   はぁ?!


   さぁ、こい。


   莫迦でしょう、貴女。


   真面目に言ってるよ。
   だって家族だけど友達だもの。


   ……。


   あれ?


   ………何なの、貴女。


   何なの、て。
   私は私だけど。


   ……もう、良いわ。


   うん?


   もう良いって言ったのよ。


   良いの?


   ええ、良いわ。


   そっか。


   ……。


   ね、祥子。


   …なに。


   どんな字かな。


   ……。


   屹度、良い字だと思うんだ。
   だって蓉子さまが考えたものだもの。


   ………単純な人ね。


   え、なに?


   何でも無いわ。
   ところで由乃のところに戻らなくても良いのかしら?








   や、ごきげんよう。


   ……。


   蓉子なら、寝てるよ。


   …だからなんですの。


   探してるのかな、と思ったんだけど。
   要らぬ言葉だったみたいだね。


   ええ、要りませんわ。


   あ、そ。


   …。


   ちびは?
   寝てるの?


   ちびではありません。
   ゆみです。


   だけど字は未だ当ててない。
   だからちびで十分だ。


   …何が言いたいんですの。


   言いたい事なんて無いよ。


   ……。


   祥子はいつも、難しい顔をしてるね。


   気安く呼ばないで頂けませんか。


   うん?


   今は貴女に名を呼ばれたくありませんの。


   …ふぅん。
   じゃあ、ちび。


   ……。


   この家に来た頃は同じようなもんだったからね。


   …それは。
   当主といえど、貴女も同じようなものでしょう。


   然うだよ。
   でも君は私を追い越せない。
   だから、ちび。


   ……。


   正直、あの頃は覚えてなかったよ。
   名前なんてね。


   …結構ですわ。
   覚えて頂かなくても。


   そ。
   じゃ、忘れちゃおっかな。


   ええ、どうぞ。


   なんてね。
   忘れないよ、蓉子が悲しむもの。


   ……。


   蓉子を悲しませるのは、もう、止めたんだ。


   …まるで自分のもののように。


   蓉子は私の恋人だよ。


   ………。


   これからも。
   然う、“妹”である君にも渡さない。


   …そんな事を。


   渡さないよ、絶対に。


   そんな事を言う為に私を呼び止めたのですか。


   さて、どうだろうね。


   …。


   祥子さ、私の事嫌いだよね。


   …だとしたら。
   何ですの。


   別に。
   本当の事を言ってみただけ。


   …。


   ま、嫌ったままで良いよ。
   好かれようとも思ってないから。


   ……。


   私は蓉子が好き。
   だから蓉子が私を好いていてくれれば、それで良いんだ。


   ……貴女は、


   君は、違う?


   …ッ


   さて、蓉子が目を覚ます前に戻ろうかな。
   目を覚まして私がいなかったら淋しがる。


   ……。


   ちび…ゆみちゃんだっけ?
   戻るんでしょ。


   …当たり前ですわ。


   そ。
   じゃ、また後で。


   …蓉子さまは。


   ん?


   お姉さまは、


   名前。


   …?


   考えて、悩んで、また考えて。
   ここんところ、あまり眠れてないんだ。


   …。


   こっちとしてはいい加減にして欲しいんだけどね。
   まぁ、蓉子の中には妥協なんて言葉無いから。
   仕方ないんだよなぁ。


   …然うですわね。


   然うなんだよ。


   …。


   さっさと決まっちゃえば良いのに。
   じゃなきゃ…。


   …。


   出来るものも出来ないし。


   …!


   いつか、見てたでしょ。
   息を殺して。


   …貴女は!


   ごめん。


   は…?!


   なんて、謝る気は無いよ。
   どうせ、わざとだし。


   ……。


   さーて、と。


   貴女は最低ですわ。


   今更。
   知ってるさ、そんな事ぐらい。


   何で貴女のような人とお姉さまは


   ふ。


   何がおかしいんですの。


   何で君のようなのが蓉子の妹なんだろう。
   そしてなんで蓉子は君の事を大事にしようするのだろう。
   私が居るのに。


   ……。


   ま、言っても仕方の無い事なんだろうけど。


   …。








   …。


   あ、蓉子。
   起きた?


   ……ねてた?


   うん、良く寝てた。
   でもってごめんね。


   …なにが?


   そばにいなくて。
   淋しかったでしょ?


   …。


   でもね、お詫びってわけじゃ無いんだけどこんなのものを…?





   トントン。





   …。


   …蓉子?


   …せい。


   うん?





   トントントントン。





   …。


   ……蓉子さん?


   ……。


   え、なに。





   トン。





   …。


   …えーと。
   とりあえず、座れってコト?


   …。


   …まぁ、座るけど。


   …。


   ……え、と。
   これ、葛湯なんだけど、飲…


   ……。


   ………うん。
   あともう少しで大惨事になるところだった。
   危ない危ない。


   …。


   ……そんなに淋しかったの?


   …ちがうわよ、ばか。


   ああ、然う。


   ……。


   よしよし。
   葛湯、飲む?


   …のむ。


   抹茶のなんだよ、これ。
   イツ花が隠し持ってた。


   ……しってる。


   あ、ほんと?


   …貰ったこと、あるもの。
   あずきがはいっているの。


   へぇ、そっか。


   ……。


   …冷めちゃうけど。


   …葛湯はそんな簡単には冷めない。


   ……ま、私は良いけどね。
   喜ばしき状態だし。


   ……。


   …寝不足、解消されたかな?


   ……ばか。


   傍に居なくて、ごめん?


   ………ばか。


   ……よしよし。





   「当主さまー!」





   …お?


   蓉子さま!!


   ……。


   お寛ぎになっているところ、申し訳ありません!
   が、少々来て頂いても宜しいでしょうか!?


   …あー。


   ……。


   当主さまと蓉子さまにどうしても!聞いて頂きたくて!


   …だって、蓉子。


   ……令。


   はい、蓉子さま!


   とりあえず、落ち着いて。


   私なら落ち着いてますよ!
   ほら!


   …や、何が“ほら”なのかさっぱりだけど。


   令、落ち着いてちゃんと話しなさい。
   私達は何処へ行けば良いの。


   あ、えとですね!
   由乃を見に来て欲しいんです!


   …。


   由乃ちゃんを?
   若しかしてまた熱を出したの?
   それは高熱なの?
   薬湯は…


   いいえ、熱は出してません!
   いたって、あ、いや、やっぱり私よりは少し低いけれど、平熱です!


   …こりゃ、全然落ち着く様子が無いよ、蓉子。


   …令。


   はい!


   江利子は?
   江利子には…


   お姉さまには勿論、お知らせしてあります!
   だから当主さまと蓉子さまにもと思って!


   令さぁ。


   はい、当主さま!


   見たとおり、昼寝をしてたわけなんだけど。


   あ、然うなんですか?


   ま、今じゃ起きて葛湯なんぞを飲んでたとこなんだけどね。


   あ、それ、葛湯なんですか?


   うん。
   令も飲みたかったらイツ花に言うと良いよ。


   はい、然うします!


   んで。
   ぶっちゃけ、動くのがかったるい。


   かった…?


   特に蓉子さんが。


   …。


   …一寸、聖。


   だって、ね?


   若しかしてお疲れだったのですか?


   …お疲れと言うわけでは無いけれど


   一寸した寝不足でした。


   あ。


   …聖。


   本当の事じゃん。


   若しかして名にあてる字を考えていらして…?


   当たり。


   …まぁ、然うね。
   けれど


   然うですか…。


   ま、そんなわけだから。


   …はい。
   じゃまた今度にしま


   待って。


   …はい?


   それは大切な事なんじゃないの?
   由乃に関して、何か大事な。


   ……。


   令、然うなんでしょう?
   だから来たのでしょう?


   …はい。
   でも


   聖、行きましょう。


   あ、やっぱり?


   …!


   でもなぁ。


   忘れたの?
   私達にはその時がとても一瞬である事を。
   瞬きをしていたら、あっと言う間に過ぎ去ってしまう事を。


   …うーん。


   蓉子さま、当主さま!


   一寸、身支度を整えたいから。
   先に行っててくれる?


   はい!
   あ、部屋は私達の部屋です!


   分かったわ。


   はい、ありがとうございます!!
   さ、次は祥子と志摩子だ!!


   て、皆を呼ぶのかい。


   勿論です!
   だって家族ですから!!


   …なるほど。


   それじゃまた後で!
   ごきげんよう!


   あ、こら、家の中では走らないの…!