目が覚めて、一番最初に感じるのは彼女の温もり。ふんわり良いにおい。
   彼女の部屋が此処になってから、毎日、毎晩、同じ布団で一緒に寝てる。
   もう、戦に行かなくても良い。夜、一人で眠らなくても良い。朝、一人で目覚めなくても良い。
   なんて、しあわせ。
   起き立てでぼんやりしている頭を彼女の胸の中、お気に入りの場所に埋める。目を瞑る。
   もう一寸、朝寝坊しても良いかな。良いよね。だってこんなに穏やかなんだもの。
   微かに聞こえる小鳥の鳴き声も朝寝を誘ってる…ような気がする。
   しかも。
   珍しく彼女も未だ、目を覚ましてない。起きる気配も無い。ま、例の如く、昨日頑張ったせいもあるけど。
   鬼との戦が終わったと言っても、多分、彼女は修練を止める事無く続けていくのだろう。
   でも今だけは、このままで。


   ああ、しあわせだな…。


   これからはずっと、こんな日が続いていく。
   続いていくんだ。















  
 神 楽















   眩暈を覚えそうだよ。


   …。





   存分に朝寝坊を貪って。
   今もなお、布団の中にいる。
   いい加減、目は覚めているけれど。
   起きようとした彼女を今日ぐらいはと、止めて。
   起きる、起きないの、押し問答。
   結局は私の勝ち。





   兎に角、膨大過ぎる。


   …然うね。





   基本的に彼女は私の甘えたを許してくれる。
   今だって呆れと…自分の甘さを押し込めて、私の腕の中に納まってくれている。
   でもね、どんな事をしたって絶対に折れない時だってある。例えば…然う、守りたいものを守る時、とか。
   其れが彼女の強さ。
   純粋な、強さ。
   だから本当に起きるべき時間になれば、私が幾ら駄々を捏ねたところで、彼女は起きるだろう。
   でもってその時は私も一緒に。布団からひっぺがされるようにして。
   …ま、こんな場面で強さもへったくれも無いんだけどね。
   そもそも彼女の中には、怠惰、なんてコトバは無いんだから。





   考えてなかったし、


   こんな予定でも無かった?


   放棄はしない、とは決めていたけど。


   したら、赦さない。


   分かってる。
   し、何より、貴女と一緒に生きようと思ったから。





   これからの話をしよう。
   私は意地でも起きようとする彼女に然う言った。
   言った時、一瞬、彼女の瞳に宿る光が揺れた。
   その瞬間を私は見逃す事無く、既に体を半分起こしていた彼女を布団の中に、腕の中に引っ張り込んだ。
   抵抗はされなかった。いや、身じろぎぐらいはしたかな。
   これからの事。
   其れは未来の話。
   今までした事が無かった、する必要なんて無かった、話。
   特に私からは。





   約束?


   うん、嘘吐きは嫌われる。
   特に自分か言い出した事については。


   …。


   にしたって。
   これから、どうしようか。





   彼女に向けていた躰を転がして、仰向けになる。
   いつも通りの天上、慣れた景色、隅っこにある何かの模様のような影、多分染み。
   これからは私だけのものではなく、彼女のものにもなる。
   とは言え、こんな関係になってからは…正確に言えばちゃんと結ばれてからは、
   この部屋によく彼女を引っ張り込んでは二人で眠っていたから今更かも知れないけど。





   然うね…とりあえず。


   とりあえず?


   今日食べるご飯の事を考えないと。


   食い気、ですか。


   あら、重要な事よ?





   私に合わせて、彼女も躰の向きを変えた。
   二人揃って仰向けになる。
   彼女も気付いているだろうか。
   あの染みに。





   確かに、どんな状態になっていても腹は減るしね。
   生きている限り。


   ええ、その通り。


   貴女だけ居れば生きていける、他には何も要らない、なんて。
   そんな風にはやっぱ、なれないもんだ。


   人間は生き物だもの。


   そうして、色んなものを無くして殺して生きていくんだね。


   得るもの、生かすものだってあるわ。


   そうかなぁ。


   言わせないわ。


   ん?


   今更、手に入れなかったって。


   …何を?


   私を。


   …言ったら、殴られるよりきついお仕置きが待ってそうだね。


   分かってるじゃない。


   あれはきつい。
   今まで何度もあったけど、何度もやって懲りない私も私だけど。





   彼女が枕代わりにしている私の左腕。
   伸ばしていた腕を折り曲げて髪の毛に触れ、そのまま指を埋める。
   そのせいか、少し居心地が悪そうに彼女の肩が揺れた。
   けれど直ぐに頭の位置を修正して落ち着く場所を見つけ出す。
   そんな一連の動作が特別な意識もせずに、当たり前のように、自然に出来てしまう。
   それだけ私達は一緒にいたってコトなのかな、なんだよね。





   …だけど私も、ね。


   うん。


   悲しませるのは何よりも、嫌なのよ。


   けど、泣き顔を見るのは好きなんだ。
   悲しませた以外、の。


   …。


   え、何、その無言。


   …抱き締めてあげたかった。


   …。





   仰向けになっていた彼女の躰が、すいっと私の方に向けられて。
   しなやかな、でも、そここかしこに浅い…中には深い傷痕も残っている腕が私の腰に回される。
   鬼に向かう時は勇敢で、だけれど私や…家族の者に向けられる時はとても優しくて。
   出来れば私だけのものにしてしまいたかった…いや、正直な事を言えば今だって思ってる、温かいそれ。





   全てをこの腕に包み込んで、胸の中に抱いていてあげたい。
   なんて、おこがましさを私は持ってた。
   其れは今も、尚。


   …貴女の胸の中は気持ち良い。
   思い出しただけで、たまらない。


   て、人が真面目な話をしているのに。


   だから。
   私はずっと、その胸の温もりを離せない。





   改めて彼女の方に向き直して。
   枕にしていない方の腕を彼女の躰に回して、浮き上がる背の骨を指で軽くなぞれば、お返しにと背中を軽く抓られる。
   痛くも無いそれは、寧ろ、くすぐったい。
   調子に乗って鼻の頭を舐めようと思ったけど……顔を背けられた。
   残念。





   …。


   三つ子の魂百まで、とは良く言ったもんだ。


   三つ、には未だなっていないけれど?


   はは、確かに然うだねぇ。


   思えば、色んな事があったけれど。
   それこそ、常人とは変わらないくらい。


   そういやさ、夏は一回しか過ごして無いんだよね。
   お互い。


   ああ。


   蓉子は秋生まれだから。


   それでも私がこの家に来た日は暑さが、未だ、残っていたらしい…けれど。


   然う。
   夏は暑くてさ。


   本当に。





   情景。
   冬よりも低いところにある雲。触る事が出来そうな色と形。
   鮮明で明るい青。蒼で無く。
   激しい雷。叩きつけられるような雨。
   いつまでも暮れない陽。遠くから聞こえてくる囃子。
   闇に包まれても茹だるような暑さ。伝う汗。熱、苦しそうな息。





   然う言えばなんかやたらにやかましいのも居た。


   やかましいの?


   確か虫。


   蝉?


   然う、それ。


   中には物悲しさを誘う声で鳴く蝉も居たわ。


   鳴き声、種によって違うんだっけね。


   確か…然う、あれは蜩。


   ふぅん。


   また巡ってくるわよ。


   然うだね。


   …去年の夏は色々あったわね。


   …。





   色々。
   例えば私達の関係が変わった。
   私が彼女の、蓉子の背を追い抜かして。
   蓉子が私を少しだけ見上げるようになったあの夏の日。
   交神をすると言い出した蓉子を。
   私は湧き上がる不快な思いに突き動かされて、力のままに、蓉子を私のものにしようとしたあの夏の頃。





   聖?


   蓉子、だから。
   今、こうして居られるんだろうと思う。


   …。


   あの時の私は蓉子に…?


   しぃ。


   …。





   唇に細い指が添えられる。
   その封じ方はいつだって優しい。





   私、貴女にお礼を言わなくてはいけないわ。


   …お礼?


   気付かせてくれて、ありがとう。


   …。


   ちゃんと向き合えたのは貴女のおかげ。


   …ひどい事をし続けたのに。


   でも、貴女は私に言ってくれたじゃない。


   …。


   忘れない、て。
   私、嬉しかった…。


   …蓉子。





   少し涙を浮かべているその瞳が、表情が、たまらなく愛おしくて。
   想いのままに、口付ける。





   始まりがどうであれ…消すつもりも無いけれど、終わりが良ければなんて、そんな事も言うつもりは無いけれど。


   …。


   だから、ありがとう。
   私を愛してくれて。


   そんなの、全部、私の台詞だよ。




   鼻、頬、そして唇にも口付けて。
   それから





   …聖?


   蓉子のばか。




   耳には口付けずに、代わりに言葉を落とした。
   囁くように、歌うように。





   え、どうして…?


   良いの。


   …ひょっとして、拗ねてる?


   そんなんじゃないやい。





   貴女が愛しい。
   本当は然う思っているんだけど、わざと拗ねてる真似をして。
   勢いのままに思い切り抱き締めて、額を蓉子のそれにこすりつける。





   ふふ、かわいいひと。


   いや、それは蓉子だって。


   …て、聖は言ってくれるけど。
   実際、私はそんなに


   自覚無しだから、余計、そそるんだ、


   きゃ。


   よ。





   躰の下で、かわいい悲鳴。
   枕にしていた腕を突然、引き抜いたからだろうな。
   でもしょうがないじゃない。
   今は朝。
   外は当然、明るい。
   朝餉だってもう出来てる頃だろう。
   でも湧き上がる情は抑え切れそうにない、と言うか抑え切れないんだもの。





   思ったんだけどさ?


   …何、かしら。


   私ってば夏はあまり得意じゃ無いみたいだよ。


   あら、どうして?


   暑いのが駄目。
   だれる。


   私は嫌いじゃないわよ。


   けど、だれる。


   あら、然うは思えなかったけれど?
   体力、有り余っているみたいだったし…。


   ……。


   それに今だって。
   昨日、あんなにしておいて…。





   蓉子の躰に、舌を遊ばせながら。
   鎖骨に歯を立て、軽く食んでは、音を立てて吸う。
   未だ咲いてない場所に花を咲かせ。
   遊ぶようにして、味わう。





   …もう、勘弁して欲しいな。


   ふふ。


   ……ちぇ。





   あまり乗ってきてくれない蓉子の顔を見ようと、一旦、躰を起こす。
   蓉子は笑っていた。
   止める訳でも無く、咎めるわけでも無く、ただ、子供の我侭を駄々を許容するように。
   背中に回してくれなかった手を今頃持ち上げて、すいと私の頬を撫でては、くすくす笑う。
   …なんか、ちみっと面白くない。





   でも、ああ。
   また、夏が来るのね。
   今年だけじゃなく、来年も、再来年も、そのまた次の年も。


   …生きていればね。





   少々不貞腐れ気味に躰を先刻までの定位置に転がす。
   相変わらず、蓉子は笑って……笑いながら、躰を摺り寄せてきた。
   …て、こんなこと、滅多に無いんだけど。
   いやあるにはあるけど、大体は無意識で…特にこんなに意識がはっきりしている時にはまず無いんだって。





   生きていてね。


   …蓉子。





   蓉子が躰で腕枕を要求して…きているような気がする。
   素直に応じるのも…いや、素直に応じちゃうって。
   不貞腐れ?
   もうそんな気分、どっか行っちゃったよ。
   だってこんなに甘えを前面に出してくる蓉子なんて…。





   うん?


   …あ、いや。


   ふふ、変な聖。





   寧ろ、少し気恥ずかしくなってきた。
   だってこんなに甘えてくる蓉子、早々、無い…と言うか、こんなに明るい時分なのに…しかも私が駄々を捏ねてこうなっているのに。
   腕を枕として提供すれば、すんなりと頭を乗せてきて、且つ、肩口に頬を摺り寄せてくるなんて…。





   …。


   ん、どうしたの…?


   いや…。


   ん?


   え、と。
   額、何だかむずがゆい。


   ああ。





   仕合わせの中で、ふと、気付いた違和感。
   正直、話を逸らすのに丁度良かったと言うか。
   違和感を感じた額に手を置いて、確かめる。
   眉間より少し上を、それがあった筈の場所を撫でると己の肌の感触しかしないことに改めて気付く。
   然うなるらしいと、知ってはいたけれど…やっぱり、変な気分。
   あって当たり前だったものが、ある日を境に無くなるって。





   慣れない?


   …蓉子は?


   然うね、不思議な気分よ。





   蓉子の顔にも当然、ソレは無い。
   呪
〈シュ〉の証だったソレ。
   緑色の小さな玉。
   今まではあって当たり前だった。
   私達、“家族”、を縛ってきたもの。
   然う、其れはもう。





   …けど、綺麗だ。


   …?


   蓉子は。
   相変わらず。


   …もう、真面目な顔して。


   真面目に言ってるんだもの。


   …聖も綺麗よ。


   ……ありがと。


   …ねぇ、聖。


   ん…。


   折角、呪いが解けたのだから…、


   …ま、寿命分は生きるつもりだよ。
   蓉子と一緒に。


   …ん。





   これからを。
   未来を。
   私達は歳を取りながら。
   生きる。
   其れが良い事なのか、良くは分からないんだけど。
   けどもう、一ヶ月とか三ヶ月とか、気にしないで良いのかな。
   とは言え、まだまだ実感は湧きそうに無いけど…。





   蓉子。


   …。


   今年の夏も暑いかな。


   暑いでしょうね、屹度。





   とりあえず、やってくる夏を思う。
   二回目の夏。無かった筈の夏。
   色々あった去年の夏。
   今年はどうなるだろう。
   とりあえず、去年の夏に出来なかった事がしたいな。
   けど何をして良いか分からない。
   夏と言ったら暑くて、御前試合があって、蝉がうるさくて、だるくて、どうしようも無くて。
   ああ、でも。





   蓉子。


   なぁに。


   愛してるよ。


   ……聖。


   なに。


   愛してるわ。


   そっか。


   …。


   …。


   …今年の夏はどんな夏になるかしら。


   出来ればあまり暑くなければ良いなぁ。


   さて、其ればかりはどうかしらね。





   蓉子の唇が近づく。
   勿論、私はそれに応える。
   気恥ずかしさも、感傷も、全部、どこかに追いやって。





   そうだ。


   …ん。


   夏になったら蓉子の花を見に行こう。


   私の?


   然う、蓉子の花。
   約束、したじゃない。


   …したっけ。


   ……。


   なんて。
   ちゃんと覚えてるわよ。




















   一歳と六ヶ月。
   一歳と九ヶ月。
   長くは無かった、終わる筈だった私達の時間は、これからも、続く。続いていく。
   続く以上、色々あると思うけど。
   でも。




















   よーこ。


   ん。


   大丈夫、だよね。


   …ええ、勿論。


   何が、とは聞かないの?


   敢えて聞かないのよ。
   ねぇ、聖。


   …うん。


   じゃあそろそろ起きましょう。


   へ…。


   朝餉。
   みんな、待ってるわ。


   …後で


   とりあえずは近い先の事からちゃんとこなしていかないと。
   ね?


   ……はーい。


   ふふ。









  鶯 神 楽 了




   鶯神楽・・・鶯がさえずりはじめる頃に咲く。花は淡紅色で細い漏斗形。初夏につける赤い実は食べられる。花言葉は「明日への希望」「未来を見つめる」