冥キ眠リヘ沈ミ行ク。



















































   やぁ、其処の人たち。


   うちに何か用でもあるのかな。


   うん?何、其の反応?


   私が此処に居ると、そんなに魂消るものなのかしら?


   別におかしくないでしょう?


   だって此処は私の家なんだからさ。


   で。


   立派なお召し物を着たようなお方が、どうしてこのような夜更けにうちの前にいらっさるのかな?


   まさか、とは思うけど。


   無断で上がり込もうなんて、思ってないよね?


   然うだよね、そんな盗人のような真似、する筈ないよねぇ。


   あ、私?


   だから言ったじゃない、私は此処の家の者だって。


   もっと言うと、この家の当主だったりするのさ。


   以後お見知りおき…はしなくて良いや。


   私も覚える積りは全く無いし、そんな無駄な事したく無いから。


   さぁて。


   こっちの素性は分かった事だし、そろそろ、良いかな。


   あんたってば、多分、うちの者に文
〈フミ〉を送ってくれたりなんかした人だよね?


   うちの、そんなに良かった?


   でもさ。


   うちの事をあんだけ、鬼だとか呪わてるだとか言っておいて、よくもまぁぬけぬけと。


   あ、それとも、図々しい、の方が良い?


   ま、どっちも一緒か。


   早い話。


   何もせず、このまま帰るなら、其れで良し。


   や、もう、してるんだっけ。


   おい、其処の門前に隠れてる奴。


   こんな闇夜だからって、見えてないとでも?


   甘いなぁ。


   曰く“白鬼”である私の目が常人と同じ、とは、四方や思っていないでしょう?


   と言うわけで。


   許し無しで勝手にうちに入ったんだから、それなりの対処をさせて貰っても良いよね。


   と言うかさせて貰うよ。


   然う言うわけだから三条と六条、どっちが良い?


   盗人なんだからさ、殺されたって文句は言えないでしょや?


   …んー?


   あぁ、逃がさないよ。


   人のもの、盗ろうとしたんだから。


   折角、お断りの文を返したってのにさ。


   私はね、彼女みたいに優しくないんだ。


   手紙だけで済んでいたら、気に入らないけど、ここまでしようとは思わなかった。


   なのに。


   …てか、さぁ。


   逃がさないって言ってるでしょや。


   頭、悪いなぁ。


   顔も悪けりゃ、頭も悪いってか。


   でもって心根はもっと悪いときた。


   うん、一つも良いとこないじゃん。


   最悪だね。


   だから、さ。






























   さっさと、死んじゃいなよ。





























































   ん…せ、い…?


   あぁ、起こしちゃった?


   …どこに、行っていたの?


   うん。
   一寸、厠に。


   …。


   ん、何?


   …何でもない、わ。


   そ?
   其れじゃ。


   …もう、だめ。


   どして?
   ちゃんと手は洗ったよ。


   …。


   折角、目を覚ましたんだしさ?
   もう一回、しよう。


   …いつも。
   一回じゃ、すまないじゃない…。


   はは、ばれた?


   今夜だって、もう…


   何にせよ。
   どうにも抑えられなくて、ね。


   だ、め…。


   躰は正直なんだけど、な…?


   ……。


   …蓉子?


   せい…。


   何処か、痛い?
   そんなに力を入れたつもりは無いんだけど…。


   …然うじゃ、無いの。


   …じゃあ。
   泣くほど、嫌?


   …。


   然う、なの…?


   …。


   蓉子…。


   違うの、違うのよ…。


   …何が違うのさ。


   あ、ぅ…。


   ねぇ、何が違うって言うのさ。


   …ぃ、や。


   私は、さ。
   誰にも渡したくないだけなのよ。


   せ…。


   其の躰に触れて良いのは私だけなの。
   分かってるでしょう?


   ひ…ぁッ


   だから。


   あ…あ、あ。


   他の誰かなんて。
   絶対に、赦さない。


   せ、せい…だ、め。


   …。


   ゃ、だ…。


   …そういや、さ。


   …?


   蓉子に文をくれたヤツ、居たっけね。


   …そ、れが


   別に。
   一寸、思い出しただけ。


   …せ、あぁッ


   ……。


   あ、あ、あ、あぁ…ッ


   …。


   聖、せい、せぃ…ッ


   ……。































 鷹 ノ 夢































   然う言えば。
   三条の河原で其れなりの格好をしていた筈のおっさんの屍が晒されていたらしいわ。


   でこちん。
   其れ、朝餉の時に出す話題としてはどうかと思うわよ。


   しかも。
   従者らしき者の骸もあったと言う話。
   まさに累々。


   無視すんなや。


   まぁ、屍の一つや二つ。
   今のご時勢、何ら珍しい事でも無いけど。
   ねぇ、天狗面?


   軽くこっちに振んな。
   蓉子、おかわり。


   …。


   うん、何?


   貴女がおかわりするだなんて。
   珍しいと思っただけ。


   ん、何か今朝は食欲が旺盛みたいでね。
   …昨夜のせい、かな。


   …イツ花。


   あ、蓉子が盛ってくれなきゃ食べない。


   …江利子。


   うーん?


   話の続きなんだけれど。
   其れなりの格好をしていた筈、と言ったわよね。


   あぁ。
   見つかった時点ではもう、ひん剥かれた後だった、て事。
   もっと言うと髪の毛も少々毟られていた、との事。


   あのさぁ。
   先刻から思ってるんだけど、其れ、朝餉の時に出す話題?
   飯が不味くなるんだけど。


   従者らしき者とも言ったわよね。


   ええ、言ったわね。


   蓉子、もうそんな話いいじゃん。
   それよりご飯ちょうだい。


   其の話の出所は?


   瓦版の人。
   うちの前を通りかかった時に一寸、ね。


   瓦版て、あの?


   ええ、あの。


   信用、出来るの?


   どうやら今回は本当の話らしいわよ。
   派手にわたわたとしていたから。


   蓉子ー、ごはんー。


   其の話が本当ならば。
   殺されたのは貴族、なのね。


   ええ、然うみたい。


   ねぇ、蓉子ってば!


   あぁ。
   今、盛るわ。


   飯くらい、自分でよそって食べれば良いじゃないの。
   朝から鬱陶しいわね。


   うっせぇ、でこ。
   そもそもお前が朝っぱらから変な話をするから蓉子が


   別に?
   変な話じゃ無いじゃない。
   珍しい事でも無いんだし。


   …けれど。
   貴族が外で殺されると言う事は余程の事よ。
   鬼の世になってからあの人たち、滅多な事では宮中から出て来なくなったと言う話だから。


   酔狂なヤツも居た、若しくは、中で誰かに呪い殺されて捨てられた、とか。
   何にせよ、其れだけの事でしょ。面白くも何とも無い。
   そんなの、どーでも良いじゃん。


   聖、仮にも人が殺されているのよ。


   そんなの、いつもだよ。
   今に始まった事じゃない。


   聖。


   だって、そーじゃん。
   其れにあいつら、鬼の一匹だって討てない。
   えばりくさるしか、能が無い。


   だからって。
   皆が皆では無いでしょう?
   中には民の為に


   そんな事言うけどさ、蓉子。
   あいつら、己が為には他の人をも蹴落としてあまつさえ喰い殺すのよ。
   菅原の話が良い例。
   蓉子も知ってるでしょや。


   …。


   やってる事はさして鬼と変わんない、と言うより、己が欲に囚われた鬼ども。
   其れを人と呼ぶのならば、渡る世間は鬼ばかり、ね。


   ふざけないで、聖。


   ふざけてなんかいない。
   本当の事を言ってるだけよ。


   聖、貴女は人の命を何だと思っているの。


   人の命は大事。


   だったら


   でも鬼の命は絶つもの。
   曰く、人が生きるのに邪魔だから。
   邪魔だから、殺す。
   仮令、人の形
〈ナリ〉をしていても。


   …。


   で、私達の場合は其れに呪いを解く為と言う目的もくっ付く。
   違う?
































   ごきげんよう、蓉子。
   差し支えが無いのなら、中に入っても良いかしら。


   …どうぞ。


   では、お邪魔します。
   んー、何かしてた?


   事柄をまとめておこうと思って。
   最近の事が全くと言って良いほどにまとまってないのよ。


   気晴らし?


   違うわよ。


   ふぅん。
   そんなの、当主にやらせれば良いのに。
   当主の仕事でしょう?


   やってくれれば苦労はしないわよ。


   やらせれば良いだけよ。


   簡単に言わないでよ。


   蓉子は甘いから。


   …で、用件は?


   今朝の続き。
   中途になってしまったから気になっているかな、と思って。


   …。


   槍の柄のようなもので滅多打ちにされてたらしいわよ。
   従者もまた。


   柄…。


   顔も潰れて見るも無残との事。
   余程の恨みがあったのか、それとも、我武者羅だったのか。
   其れは当事者では無ければ分からないけれど。


   野盗の可能性は?


   其れもあるでしょうね。
   現に身包みを剥がされている。
   されどどちらが先だったか分からないから、一概には言い切れないわ。


   …然う。


   で。
   どうして蓉子が落ち込んでいるのかしら?


   落ち込んでなんか、ない。


   じゃ、凹んでた?
   仕事を作って逃げるほどに。


   凹んでなんかいないわよ。
   ましてや、逃げてもいない。


   あ、そ。
   其の割には部屋の中の雰囲気が暗いわねー。
   折角、外は良い天気だってのに。


   元からこういう部屋よ。
   悪かったわね。


   其れを。
   俗に八つ当たり、と言うのだけど。
   眉間に皺、寄ってるわよ。


   だから…!


   で。
   聖、は?


   …猫と遊ぶ、て。


   猫?
   あぁ、最近うちに居ついてる子ね。
   確か…


   …ゴロンタ。


   へぇ。


   何よ。


   蓉子が名を知ってるだなんて。
   真っ先に反対するとばかり思ってたのに。


   聞いてもいないのに聖が教えてくれたのよ。


   寝物語で?


   …然うよ、と答えれば満足なのかしら?


   いいえ、不満足。
   あっさり答えられるとかえって詰まらない。


   未だ小さいから、て。


   話が飛んだわね。
   其れは何、が?


   ゴロンタ。
   だから己で歩けるようになるまでは大目に見て、て。
   若しも鬼…と限定はしなくても、何かに喰われるような事があったら夢見が悪い、て。


   で、許したの?
   いや、絆されたのね。


   …然う言うわけじゃないのよ。
   だけど語っている時の聖の目が、其の…優しかったから。


   其れを絆されたと言うのよ。


   …悪かったわね、甘くて。
   どうせ私は聖に甘いわよ。


   甘いのは今に始まった事では無いけれど。
   蓉子の場合、己の痛みにしてしまうから莫迦と言われるのよ。


   …仕方が無いじゃないの。
   性分とは言え、己でも持て余してるくらいなのだから。


   そんなに気になる事かしら。
   アレが言った事。


   聖は人の命を明らかに軽視しているわ。


   してないじゃない。
   大事と、一応は言っていたし。
   ただ、蓉子と括り方が違うだけ。


   じゃあ。
   江利子も聖と同じ考え方をしているの。


   アレと一緒にされるのは嫌、だけれど。
   一理在るとは思うわね。
   あの人たち、己が生きるが為に民草を餌にしてる節があるもの。
   其れを鬼と呼ばないで何と呼ぼうかしら。


   だけど、全て、では無いわ。
   中には民の為に…


   だから一理と言ったの。
   蓉子の言い分にも一理あるから。
   そして其れが私の括り方。


   …と言うと?


   十把一絡げはいただけない。
   中には己以外の誰かの為に莫迦になれる面白い人も居る筈だし。


   …。


   ま、聖の場合は人間嫌い、殊に貴族嫌い、と言うのがあるから。
   其れは蓉子の方がよぉく知っていると思うけど。


   …私、育て方を間違えたのかしら。


   蓉子、発言がお母さんになってる。


   だって。
   幼い頃の聖の面倒を見たのは主に私なんだもの…。


   だからって価値観まで一緒になるとは限らないじゃない。
   子とは言え、個を持ってるのだから。


   …其れは。
   生まれ落ちた時から既に、か…。


   んー?
   其れ、何処かで聞いた事が…


   菊乃さま。


   ああ。
   うちのお姉さま、か。
   道理で。


   …だけ、ど。


   しなかったわよ。


   …え?


   匂い。
   今朝の聖からは別段しなかった。
   ま、他の匂い、其れも蓉子と同じ匂いはしたけれど。


   …。


   結局のところ、蓉子が気にしているのは其れでしょう?


   だけれど。
   全く、では無かったしょう?
   私でも感じたぐらいなのだから。


   だとしても濃くは無かったでしょう?
   となると精々、追っ払った程度。
   気にする程でもないわ。
   それとも何、疑っているの。


   …。


   本当に莫迦なのね。蓉子は。
   聖以外の事ならそつ無くこなすのに。
   聖の事となるとどうしてそんなに莫迦になる、いえなれるのかしら。


   …莫迦莫迦言わないで頂戴。


   莫迦と言わずして、何と言お


   ただいま、よーこ



   あら。


   て、
あー!


   あー。


   なんで、どうして、何故、此処に!
   でこが居るのよ!


   生憎だけれど。
   此処、私の家でもあるの。
   居ちゃ悪い?


   でも此処は蓉子の部屋。
   居ちゃ悪い。


   あんたこそ、此処はあんたの部屋じゃ無いわ。


   私は良いの。


   は。


   う、わ。
   感じ悪。


   それより。
   今まで猫と遊んでたんでしょう。
   もっと遊んでたら?


   お前がこの部屋に居ると分かった以上、蓉子から離れるわけにはいかなくなりました。


   は、何其れ。


   改めて。
   蓉子ぉ、ただいまー。


   聖、手は洗ったの?


   …うん、洗ったよ。


   洗ってないのね。
   洗ってらっしゃい。


   でも。


   でもも杓子もありません。
   洗っていらっしゃい。


   …別に。
   手を洗わなくたって死にはしないじゃん。


   私が嫌なの。
   貴女、其の手で触ろうとするから。


   じゃあさ、洗ったら触っても良い?


   良いわよ。
   但し、私とこの部屋の物は駄目だけれど。


   えー。


   ああ、私も駄目だから。


   頼まれたって触らねぇよ。


   と言うより手ぐらい洗ってきたらどうなの。
   毎度毎度、蓉子に言われて。
   よく飽きないわね。


   うっさいな、今行くところだったんだよ。


   良く言う。
   渋ってたくせに。


   うっせ。
   つかお前こそ出て行け。


   此の部屋の主はあくまでも蓉子であって、あんたじゃないでしょ。
   出て行けと言われる筋合いは無いわ。


   蓉子、蓉子だって忙しいでしょ?
   こんなでこすけの相手をしてる暇なんて無いよね。


   寧ろ。
   あんたの相手をしてる暇こそ無い、と言った方が正しいわね。
   ねぇ、蓉子。


   そんな事無い。
   蓉子は忙しくても…無視はされるけど、蔑ろにはしない。


   多分な思い上がりね。
   ただ単にあんたが構って構ってと騒ぐから仕方なく、と言う事が多いだけなんじゃないの。


   そんな事、


   もう止めなさい、二人とも。
   江利子も不用意に聖を挑発しないで。


   聖なんて。
   所詮、蓉子に甘えるだけ甘えて与えられて、だけど蓉子には何もしてあげられないお子様なのよ。


   …!
   何だと…!!


   ほら。
   図星を衝かれて声を荒げるところなんて餓鬼そのものじゃない。


   …いい加減にしろよ。


   何、やるって言うの?
   気にいらない、己にとって邪魔になる人間
〈ヒト〉を屠るかのように。


   何を言って


   今朝見つかった貴族、ね。
   風貌も聞いたのだけれど、私、知ってるかも知れないわ。


   …。


   若しかしたら、なのだけれど。
   蓉子に文を送ってきていた輩じゃないか、て。


   …!


   確か。
   聖は物凄く、嫌がっていたわよねぇ。


   だから、何だよ。


   だから邪魔になり得た、いや、実際然うだったのよね。


   蓉子は一度だって文を返してないし、答えるような事もしてない。
   届いた文だって全て燃やしてる。


   其れが何?
   そんなの、思い余ってしまえば関係も無くなるわ。
   仮令、相手の心を踏み躙ったとしても。


   …。


   ねぇ、目障りよね。
   邪魔よね。


   江利子、止めて。


   いっそ、殺してしまえば良い。
   向こうから現れたのなら、尚。


   止めて、江利子。


   寧ろ、何て好都ご










   パシン…ッ










   ……。


   い、たぁ…。


   お前なんて。
   お前なんて、嫌いだ。


   奇遇ね。
   私もあんたなんか嫌いだわ。
   蓉子を縛るあんたなんか。


   縛ってなんか。


   いつもあんたの事となると蓉子は苦しそうな顔をするわ。
   其れを縛ると言って何が悪いの。


   縛ってなんか、ない…!


   嘘。
   本当は己が欲の侭、雁字搦めにしてしまいたいくせに。
   壊してしまいたいくせに。


   江利子ぉ…!!


   いい加減になさい!二人とも!


   ……。


   ……。


   江利子。


   はーい、言い過ぎと言いたいのね、すみませんね。


   聖。
   手を上げた貴女も悪いわ。


   …だけど。


   然う、江利子も言い過ぎた。
   だからお互いに謝るの。
   家族で蟠りを残すような事があったら駄目よ。


   …。


   今更、なんだけれど。


   時間を置いたら益々、謝り辛くなるわ。


   …手、洗ってくる。


   聖。


   蓉子、私も行くわ。
   打たれた頬、冷やさないと。
   腫れちゃうかも知れないし。


   江利子まで。


   …蓉子が何と言おうが。
   此度については謝れない。


   私も同じ。
   其れに此れで蓉子も分かったでしょう?


   …。


   …?


   未だ気になると言うのなら。
   後は己で聞くなり何なりしてね。
   二度も打たれるなんて御免だわ。


   ……。


   蓉子…?

























   …聖。


   …。


   其の…戻ってこない、から。


   …逃げちゃった。


   え…?


   ゴロンタ。


   …私は屹度、嫌われているのね。


   其れは違う。
   あの子は未だ、人に慣れてないだけ。
   好きとか嫌いとかはそれからだよ。


   聖は…大分、懐かれているのね。


   まぁ、命の恩人だし、ねー…。


   …然うだったわね。


   で。
   どったの、蓉子。
   わざわざ迎えに来てくれたみたいだけど。


   だから…


   嬉しいなぁ。


   …どうして?


   どうして、て。
   蓉子が来てくれたからに決まってるじゃない。


   …あれから。
   ちゃんと、手、洗ったの?


   洗ったけど。
   あまり意味が無かったね、今またゴロンタに触っちゃったから。
   蓉子、あまり猫が好きじゃないみたいだし。


   好きじゃない…?


   だってしつこいくらいに言うじゃん。
   手を洗えって、さ。
   あと嗽
〈ウガイ〉もしろ、て。


   其れは、風邪や…然う、流行り病の予防にもなるから。


   家の中も汚れちゃうしね。


   何もゴロンタだけのせいにしてるわけでは無いのよ。
   外から帰ってきたら先ずやるべき事であって


   …へぇ。


   なに…。


   今、ゴロンタって言った。
   ただの猫じゃなくて。


   …だって。
   貴女が然う教えてくれたから。


   けど蓉子は呼ばないと思ってた。
   名を付けると情がうつるって言ってたから。


   …仕方が無いじゃない。
   貴女が然う、名付けてしまったのだから。


   つまり。
   全て、私のせい、なんだね。


   …。


   ま、いっか。
   これで蓉子もゴロンタ仲間になった事だし。


   …何よ、其れ。


   あの子をただの猫じゃなくてゴロンタと呼ぶ人たちの呼称。


   まんま、じゃない。


   …ねぇ、蓉子。


   ん…。


   若しも蓉子が風邪をひいたら、看病してあげるね。
   だから私がひいたら蓉子が看病して。
   ずっと傍で。


   …止めてよ。
   口にすると本当にひいてしまいそうじゃない。


   じゃ、もっと口にしてみようかしら。


   は?


   若しも然うなったら、ずっと傍に居られるもの。


   其れが本音?


   うん。


   いいわよ。
   伝染るから。


   寧ろ、本望です。


   風邪を甘く見ては駄目よ。
   命にかかわる事さえあるのだから。
   いえ、現に民達は…


   いざとなったら薬湯頼り。


   嫌いなくせに。


   よく飲めるよね、あんな不味いの。


   良薬口に苦しって言うでしょう。


   言うけど。


   だから。
   我慢してちゃんと飲むの。良い?


   蓉子が飲ましてくれるのなら、飲む。
   じゃなきゃ飲まない。


   自分が苦しむ事になるのよ?


   苦しまないよ。
   何だかんだ言っても最後には屹度、飲ませてくれるもの。
   ねぇ、蓉子さん?


   …本当、手の掛かる事ばかり言って。


   へへ。


   貴女の事だから。
   匙では飲まないのでしょうね。


   お、分かってるね。
   流石、私のお嫁さまの立場になりつつある人。


   一寸、何よ其れ。


   然う、イツ花がお向かいの婆さんに話してたのを聞いた。
   甲斐甲斐しい、とかって言ってたかなー。


   ……イツ花。


   然うだ。
   何だったら今、伝染してみる?


   何を。


   風邪。


   今はひいてな…ん。


   …残念、私もひいていなかった。


   何が残念、なのよ…て。


   むが。


   調子に乗らないの。


   はーい。
   じゃ、続きは中で。


   しないわよ。


   じゃ、続きは夜に。


   …昨夜、したでしょう。


   昨夜は昨夜、今夜は今夜ですよ、蓉子さん。


   ばか。
   駄目よ、今夜は。


   でも一緒に寝るのは良いでしょ?
   それからおやすみのちゅーも。


   何が「でも」なのよ。


   でもはでも。
   杓子は杓子。


   大体、口付けなんかしたら…其の。


   したら?


   …其れだけでは済まなくなるじゃないの、いつも。


   だって蓉子ってばえっらい可愛いんだもん。
   涙目で、ぎゅっとしがみついてきてさ。
   あんな風にされて、我慢出来る方がどうかしてる。


   だって其れは聖が…最初は触れるだけなのに、其れなのに。


   いやいや、触れるだけだろうが啄ばむだけだろうが勢い余って舌を絡めちゃおうが。
   ちゅーはちゅーですから。


   もう。
   ああ言えばこう言って。


   はは。


   笑い事じゃないわよ。


   …。


   そもそも聖、は…


   蓉子。


   …。


   ゴロンタに触って、洗ってないけど。
   今は勘弁してよ。


   …勘弁も何も。
   離す気なんて無いのでしょう…?


   …。


   …?
   聖…?


   …そろそろ聞かせてよ、蓉子。


   え…。


   先刻。
   江利子が言った事は、本当は蓉子が聞きたい事だったのでしょう?


   あ…。


   ちゃんと…答えるから。


   …。


   気になった…いや、気になっているんでしょ?


   …。


   …私が。
   奴らを殺したか否、か。


   …本来、ならば。


   …。


   頬を打たれるべきは私だった。


   蓉子だったら打たなかったよ、私は。


   …疑ったのよ、私は。
   誰でも無い、貴女を。


   然うだとしても。
   蓉子は江利子の様な言い草はしないと思う。


   …。


   …だけど。


   …。


   矢っ張り少し悲しい。
   怒るとかそんなのよりも。


   …ごめんなさい、聖。
   本当に…ごめんな


   謝らないで。


   …せい?


   疑われるような、いや疑われて然るべき事をしたのも事実なのだから。


   …?
   どういう事…?


   私は奴らを確かに此の手で、傷付けた。


   え…。


   蓉子が眠った後、私は暫く蓉子の顔を眺めてた。
   何だか眠るのが惜しいような気がしたから。
   其の時に聞こえたんだ、牛車の音が。


   …。


   最初は風の音かと思った。だってあんな夜更けに牛車の音なんて。
   だけど其れは家の前で止まった。
   其れから微かな人の声と、松明らしき灯り。


   …。


   私は得物を持った。
   其れは勘だったけれど、確信にも近いものだったから。
   とは言え、違うのなら其れに越した事は無かった。
   けれど。


   …。


   だから。
   蓉子が感じたものは偽りじゃない。
   本物の…人の血の匂い、だったのよ。

 
   …あぁ。


   赦せなかった。
   怒りとか憤りとか、そんな言葉じゃ表せない。
   躰が爆ぜてしまいそうだった。
   あんな薄汚い手で私の蓉子に触れようだなんて。
   考えただけで血が滾りそうだった。


   …。


   本当は殺してしまおうかと、いや殺そうと思ったのよ、私は。


   そんな、じゃあ…。


   …でも殺さなかった。
   殺せなかった。
   若しもそんな事をしたら…蓉子が、貴女が泣くと思った。


   …。


   私が泣かない代わりに。
   蓉子が…。


   …。


   …ごめん、蓉子。
   私は人を…


   …本当に。
   本当に、聖が殺したのでは無いのね。


   …うん。
   だけど若しかしたら其れが元になって…


   痕があったらしいわ。


   …え。


   体じゅう、それこそ柄か何かで滅多打ちにされたような痕が。
   従者もまた。


   …。


   だけど聖がやったわけじゃあ、無い。
   其れはつまり、他の何者かによって殺されたという事。


   …まぁ、こんな世だから。
   あんな身形の奴が、しかも手負いで夜道をフラフラ歩いていた…ら。


   …。


   蓉子、苦しい…。


   …聖じゃ、無かった。


   …。


   若しも聖がって。
   聖が人を殺したら、て。
   然う思ったら…怖かった。


   …。


   …。


   …人を相手に、さ。


   …?


   「本気になるのは阿部さんちだけにしときなさい」
   然う、蓉子のお姉さまに言われた事がある。
   蓉子は無い?


   あるわ。
   懐かしい…。


   あの家、うちとは違って神と交わってるわけでも無いだろうに。
   うちと対等に渡り合えるんだから凄いよね。
   …今の当主は胸糞悪い奴だけれど。


   ええ…本当、に。


   …蓉子。


   ん…。


   其の…もう、大丈夫?


   …ええ。
   ごめんなさい、縋りつくような真似をして。


   いや、元を正せば先に抱き寄せたのは私だし。


   然う…だったわね。


   其れに寧ろこのままが良いなとか思ってたりもするし。


   …もう。


   ふふ、よーこ。


   此処は日が当たらなくて冷えるわ。
   中に入りましょう。


   蓉子があったかいから大丈夫だよ。


   …二人一緒に風邪をひいたりしたら。
   間抜けじゃない。


   そしたら二人で仲良く寝てれば良いよ。
   一日中。


   ばか。
   嫌よ、そんなの。


   えーなんでー。


   だって若しも二人一緒に寝込んだりしたら。
   誰が貴女の面倒を見るのよ。


   とりあえず。
   江利子あたりは放置してくれると思う。
   自業自得、とか言って。
   或いはものっそ苦い薬湯を笑顔で無理矢理、しかも鼻から飲ませられそう、かな。


   そこまで?


   アイツならやりかねない。


   令と祥子だって討伐に行かないとならないし。
   付きっ切りと言うわけにはいかないわね。 


   ま、然うだね。
   イツ花はイツ花で頭を水浸しにしてくれそうだし。


   でしょう?
   だから一緒にはひけないのよ。


   でも。
   蓉子と一日中寝ていられるのも魅力的なんだけどな。


   聖だって私の看病をしてくれるって言ったじゃない。
   言ったそばから反故するつもり?


   いいえ、しません。


   だったら一緒に風邪をひくわけにはいかないでしょう。
   それとも何、お互い具合が悪いと言うのに、お互いの面倒を見ろって言うの?


   うん、蓉子ならやりそう。


   貴女はやらなそう。


   そんな事無いよー。


   然うかしら。


   信用、無いなぁ。


   兎に角、一緒に風邪はひけません。
   分かった?


   はーい。


   …其れに風邪なんかひかなくても


   うん、何々?


   いいえ、何も。


   ふーん。
   じゃ、蓉子さん。


   何、此の手。


   寝よう?


   は?


   お昼寝、お昼寝。


   残念だけれど、私にはやる事があるの。


   今だったら私の膝を借りられる特典付き。


   要らないわよ。


   まぁまぁ。
   疲れてるでしょ?
   イロイロとさ。


   ちょ、一寸…


   隠してたって聖さんには分かるんです。


   隠してなんか…


   目の下にうっすらとくま


   え、嘘


   が、出来たら大変。
   仮令うっすらとでも、ね。


   ……。


   さ、寝よ寝よ。


   あ、こら、聖…!

























   あら、珍しい。


   …。


   蓉子が寝ているだなんて。
   しかも聖の膝枕で。
   寝不足かしら。


   よくも私の前に、顔を出せたわね。


   あんたなんかに見せに来たんじゃないわよ。


   言っとくけど。
   謝らないからな。


   結構よ。
   私もそんな気、更々無いから。


   …。


   で。


   見ての通り、蓉子は寝ているの。
   用が無いのならさっさとどっか行けよ。


   見つかったって。


   あ、何が。


   貴族殺しの犯人。
   見かけに反して上等な着物を持っていたから直ぐに分かったらしいわ。


   あ、そ。
   どうせ野盗か何かでしょ。


   ええ、然うよ。
   農民と言う名の。


   其れをわざわざ蓉子に伝えに?


   悪い?


   は、ご苦労な事で。


   ええ、私は蓉子が好きだから。
   少しぐらいの面倒なら苦では無いの。


   ……。


   面白くなさそうね。


   …早く行けよ。


   蓉子は貴女だけのものじゃないわ。


   …。


   差し詰め。
   そんな目で貴族どもを脅したのね。
   今にも突き殺されそう。


   ……ん。


   あら。


   えり、こ…?


   ごきげんよう、蓉子。
   折角の午睡を起こしてしまったわね。


   …。


   蓉子、どうした?


   …わたし、いつから?


   部屋に戻ってから、わりと直ぐに。


   …そう。


   ね、だから言ったでしょ…?


   …。


   未だ眠いのなら、眠ってても良いよ。
   たまには私の膝を貸してあげる。


   …でも。


   良いわよ、無理して起きなくても。
   邪魔者は去るから。


   えりこ、そんなふうにいわない、で…。


   …厄介、よね。


   …?
   なに…?


   こっちの話。
   じゃね、ゆっくりおやすみなさい。蓉子。




























   …。


   やぁ、蓉子。
   こんな時間だけど、おはよう、と言うべきかな。


   …聖。


   今度は起きる?
   それとも。


   起きる…。


   そっか。
   正直、助かった。


   …ごめんなさい。


   然うじゃなくて。
   何と言うか、蓉子の大変さが少しだけ分かった気がすると言うのかな。


   …?


   足、痺れてしまいました。


   あぁ。


   いつもしてもらうばかりだったから。
   こんなに痺れるなんて知らなかった。


   …私はあまり痺れないわよ。


   え、うそ。
   だってすごいよ?本気で痺れまくってるよ?


   …今、どけるわね。


   あ、や、待った、ようぐぁ…ッ


   せ、聖…?


   …よ、蓉子、出来ればあまり刺激しない、で。


   そんな事言われても。
   私は起きただけよ…。


   いや、そんな些細な刺激だけでも、こ、堪えたぁ…。


   …大丈夫?


   …だめ、かも。


   足、伸ばした方が良いわよ…。


   ん、そうす…ぅおぉ。


   …声になってない。


   いや、だって…


   …。


   …蓉、子?


   いっそ、横になったら…?
   わたしみたいに…。


   う…。


   …きもち、いいわよ。


   そ、其れは然うだろうけ、ど…。


   …?


   わざとやってる…?


   …なにを?


   其の体勢で、其の上目遣いは。
   結構…。


   せい、なにをいっているの…?


   …えーと。


   …。


   ひょっとして蓉子さん、未だ眠たい?


   …ううん。


   いや、眠そうだし…。


   せい…。


   …あーもう、良いや。


   ん…。


   じゃ、今度は腕枕をしてあげようね。
   いつもみたいに。


   …ねむたくなんか。


   このまま私も寝ちゃおうかな。


   だから、ねむたくなんか…。


   …ねぇ、蓉子。


   …。


   心配させて、ごめんね。


   …いいの。
   それよりわたしも…ん。


   …しぃ。


   せぃ…。


   ……。


   ……。


   …せ、


   今、一度。
   おやすみ、蓉子…































夜 鷹 ノ 夢 了
































   …の前に。
   犯人、見つかったらしいよ。


   …。


   農民だった。


   ………そう。


   それじゃ、今度こそおやすみ…。


















「夜鷹の夢」
Do As Infinity