心ある社会 - Humanity & Society [世界と議会]記事
by 吉川英治
Vol. 4
「他民族を尊重しなきゃ生きていけないよ」
ハンガリーの巨匠が語る「Respect(尊重)」


新作『華麗なる恋の舞台で』の公開が待たれるイシュトバン・サボー監督へのインタビューからお届けします(2006年12月14日, 東京)。

サボー:黒澤明の映画は全部観たし、自宅に全作品を揃えてある。特に好きなのは「羅生門」「七人の侍」だね。

Q:「羅生門」の舞台劇的なところや人物の心の移り変わるところはサボー監督作品に似ていますね。

サボー:似ていても「羅生門」は真のマスターピース(=傑作)であって、一緒にしちゃあいけません。 数日前、ブダペストのテレビで黒澤特集として「夢」をやっていたが、テレビの画面じゃ全然だめ。あの映像美は大スクリーンでないと。

Q:『華麗なる恋の舞台で』は、見事な表情のクローズアップの連続ですね。

サボー:人の表情からは、感情の変化や環境や自然、社会や世界との関係を見ることができる。映画の歴史は、人の表情の歴史。感情の変化をとらえるクローズアップは、ダイアモンドほどの価値があります。

Q:ハンガリーの首都で生きてこられたということは本当に様々な経験をされたことと思います。どんな経験が今のあなたを形成していますか?

サボー:(深く考えた後)どの経験というのは難しい。とにかく様々な政治的、社会的な変化を見てきた。ハンガリーは地理的にも特殊な場所。北にロシア、南にバルカン半島、一方はプロテスタント、他方にはイスラム、民族も様々な人達と肩を並べあっていて、それぞれが何千年にも渡り、別々の歴史を持っている。私が感じ、学んだことを一言で言うなら「Respect (=人としての価値を認めること。尊重。敬意)」でしょう。その「Respect」が今の世界政治や政策にはありませんが。他の人達との違いを尊重しなくては生きていくことはできません。

取材を終えて:取材時間の制限がある中、「残り5分」と書かれた紙がインタビュー後半に掲げられた。それを見た監督は、私に「紙はないか?」と私のペンを取り、レポート用紙の裏に「あと10分」と走り書き、それを掲げ返した。神経が繊細で敏感な感じの溢れるアーティストの楽しい一面も。

イシュトヴァン・サボー
(1938−)『メフィスト』(81,アカデミー賞外国語映画賞)、他多数の映画賞に輝く巨匠。『華麗なる恋の舞台で』は2007年新春第2弾として公開

Vol. 3
世界に出て己を知る
映画『オペラハット』
(Mr Deeds Goes To Town, 1936)


監督のフランク・キャプラ(1897-1991)は本当に名匠でした。『或る夜の出来事』『スミス、都へ行く』『素晴らしき哉、我が人生』『我が家の楽園』他の作品でもらったオスカー像はサッカーチームができるほどに並んでいます。 キャプラ映画の特徴は人間が大好きなところです。登場人物のひとりひとりが悪役に至るまで優しい目で描かれています。

原作本のタイトル『オペラハット』が邦題になったこの映画は70年前に作られていながら、現代人の迷える心にそのままうったえます。ベートーベンやゴッホの作品がいつまでも名作であるように傑作とはいつまでも真実である作品に与えられる称号です。

田舎出身で善意の固まりのディーズ(Mr. Deeds) を演じるのはゲーリー・クーパー。ニューヨークのキャリアウーマン新聞記者はジーン・アーサー。誠意を貫く男クーパーと、都会ずれしてしまった記者アーサーの出会いと交流はまごころを忘れがちな現代人にまっすぐ響きます。

笑いの中にちりばめられた素晴らしいセリフをいくつかご紹介します。

− 「人は他人同士が傷つけあうことを楽しんでいるようだけど、どうしてもっとお互いを好きになれないんだろう」 ゲーリー・クーパーが自分のことが誇張されゴシップ記事として新聞に掲載されることに心を傷めて。

− 「彼女って会うたびに綺麗なんだよね」 − ジーン・アーサーと出かける時にクーパーが彼女を見て。アーサーに好意を寄せている気持ちが出ている。彼女も彼に魅かれつつあるため美しくなっていたのかも。

− 「私たちは誠意というものを忘れてしまってるのよ。得るものなんかないのに気が触れたような競争をしてるだけよ」 − キャリアだけを追う都会生活に自分自身もどっぷりだったことに気がついたジーン・アーサー。

キャプラ監督はまるでイギリスの産業革命と日本の高度成長を合わせたような変革著しい当時のアメリカで、人間らしい“正気”を取り戻すために一生懸命でした。その優れた演奏のような映像とセリフはまるで心のクリニックのように現代人に治療を施します。

面白いことに『オペラハット』と同年に、まったく同じテーマでチャップリンは『モダンタイムス』を完成させています。賢人達は50年も100年も先の時代の非人間性を予見し的確な警告を発しています。 その前年にはやはり人間好きなジョン・フォードが『男の敵』を発表していますがこのハリウッドを代表する3人はそれぞれアメリカンではないバックグラウンドを持ちます。 キャプラはイタリアの孤島シチリア生まれ(1897)。チャップリンは大道芸で生き延びたロンドンっ子(1889)。フォードはアイリッシュ系の家庭の13人兄妹の末っ子(1894)。世界的な傑作を生み出した男たちに共通するのは住む国とは違うバックグラウンドを持ち、人間や社会を見る目の客観性に優れている点です。世界を見た人は、その国に生まれ育った人よりも正確に社会を理解しています。

もっともアメリカ的な映画の多くは実は外国人により作られていたのです。ハリウッドの代表作品『サンセット大通り』(1950)『アパートの鍵貸します』(1960)のビリー・ワイルダーは英語が喋れないまま28歳の時にハリウッドに渡ってきたオーストリア人。 英国特有の文化を英国人以上に完璧に描いた『日の名残り』(1993)の原作者カズオ・イシグロさんもまた世界に出たひとりです。

Vol. 2
モハメド・アリ vs ジョージ・フォアマン


◇ 世界に届いたアリの勇気 1998年、アカデミー賞の授賞会場で、パーキンソン病を患ったモハメド・アリはジョージ・フォアマンをはじめとするかつてのライバル達に支えられながらステージに上がりました。

1974年10月、キンシャサで行われた世紀の一戦「ジョージ・フォアマン対モハメド・アリ」の記録映画『モハメド・アリ、かけがえのない日々』が最優秀ドキュメンタリー賞を獲得したのです。

世界の3人にひとりが見たといわれるその対決は世界を変えました。無敵のチャンピオン、フォアマンに対して「全アフリカ人のために闘う」と挑んだアリが8回KOで勝利したことはリンカーンの奴隷解放以上に黒人を解放しました。

キング牧師やマルコムXなどの黒人指導者はことごとく暗殺され、KKKが公然と焼き討ちを行っていた当時、アリの「I am the king of the world.」「I am the greatest.」などの大胆な発言は当時のテレビブームに乗り世界中に電波で届き、黒人のみならず差別を受けている人達に大変な勇気を与えました。

◇ 決して武器を持たない正義 命を賭けて手にしたチャンピオンベルトとボクサーライセンスを奪われてでもベトナムへの徴兵を拒否したことでまた世界を驚かせました。「ベトナム人は俺をクロンボなんて呼ばないから行かない」と実に的確な言葉でアメリカの状況をとらえ、「銃は決して持たない」という信念のため、大事なものを手放したことで、世界は意見を言うことの大切さと戦争の愚かさを学びました。

リズム感溢れる彼の口調はラップミュージックの元になり、現在の数多くの黒人俳優、黒人政治家などはアリなしにはこんなに早くは生まれなかったでしょう。正当な人間であることをまっとうしただけで、こんなに世界の政治・思想・文化・宗教・スポーツに影響を与えた人はいません。

◇ 信念から湧き出る精神力 奇跡と呼ばれた逆転勝利の翌日の新聞報道を当時、中学生だった私は覚えています。そこには「各ラウンドの大半をボディを打たせる事により、強大なチャンピオン、フォアマンの体力消耗を待った」とありました。ボクシングを知らない当時はそれを納得したものの、その5年後ボクシングを始めて、それが大きな疑問になりました。ボディブローは一発でも入ったら、もう終わりなのです。私は何度マットに倒れもんどりうったことでしょう。どんなに腹筋が強く、根性があろうと体全体が麻痺し、硬直し、立っていることは不可能なのがボディブローです。しかもフォアマンのパンチは「象も倒す」と言われ、ボクシングどころか人類史上最強のパンチの持ち主です。

疑問に思った私はあらためて試合のビデオを観たのですが、それは十字架にかけられたキリストを観るようでした。アリのボディには体当たりしてくる特急電車のようなパンチが何十発も命中。でも彼は「全アフリカ人のために」すべてこらえていました。

のちにフレージャー達ライバルが言っています。「アリは人間じゃない。俺のパンチが入ればビルでも倒れるのに、あいつは笑って、『効かないよ。もっと力を入れろ』と言い返してくるんだから」。

◇ 個人から世界へ 大試合から1、2日経った頃、アリはアフリカの原野を走っていました。まわりに集まったはだしのこども達に「俺の国にもアフリカから来た仲間が大勢いる。彼らは家や車を持っているけど彼らの心には失われたものが多い。でも君たちはその大切なものを失わずに持ち続けている」。集まった「小さなアリたち」は一生懸命聴いていました。アリは人間の「誇り」のことを言っていたのでしょう。

2005年6月11日、娘のレイラ・アリの試合場にパパ・アリは姿を見せました。勝利を飾ったレイラから抱擁のキスを浴びる勇者に首都ワシントンの観客は大拍手をおくりました。その拍手にはアリの永年に渡る命をかけた闘いに対する暖かい気持が込められていました。

信念を決して曲げず、不利な時こそ勇気を持ち、夢を実現するためには命を惜しまない。南アフリカのネルソン・マンデラも国を代表するボクサーでした。不屈の闘志が世界を変えます。

Vol. 1
広島とブロードウェイ


ハリウッドの名優イーライ・ウォラックから彼の新刊本が届きました。主演映画「続・夕陽のガンマン」の原題をもじり『The Good, The Bad, and Me』と命名された自伝にはC・イーストウッドらの賞賛の言葉が寄せられています。

本にはイーライがいつも私に聞かせてくれるあるエピソードが記されていました。 1945年8月、彼は海兵として南仏に駐留。長引く戦争のさなか、広島に大型爆弾が投下され、戦争が終結するとの情報。「やった! これで国に帰れる!」とイーライ達兵士は歓喜しました。

数年の月日が経ち、イーライがブロードウェイ劇「8月15夜の茶屋」に沖縄人役で主演していた時、楽屋裏で広島から来た6人の女性に紹介されました。6人は芝居後の着物衣装を着けたままのイーライに丁寧におじぎ。彼もおじぎをしました。頭を上げると女性はまたおじぎをしたので、こちらも頭を下げました。それが何度も繰り返されるうち、役者の視線はどんどん下がっていき、やがて彼女らの顔を直視できなくなりました。アメリカの慈善団体がこの6人を招き手術を施したのですが、目に映ったのは焼けただれた6人の顔でした。2国間の架け橋にと日本人を演じていた元兵士は終戦の時「国に帰れる」と喜んだ自分を思い出し、それを心から恥ずかしく思いました。

「あの爆弾投下は、一番愚かな行為だ」と話す時、イーライの目は、60年以上前の事をまるで今起こっている事を見つめているように見えます。

原爆に限らず、あらゆる爆弾と武器は愚かな産物です。私が9・11事件直後に単独ボランティアとしてニューヨーク入りしたことを知って「みんなが国外に逃げていた時にたったひとり、逆方向に飛んできた元ボクサーにヒューマニティを感じる。それを映画にしなさい」と私に脚本を書くように勧めたのもイーライです。人間は仕事でリーダーになっても人としてのバランスが失われてはいけません。彼は偉大な役者であるだけでなく道徳観を持つ立派な人間です。

また、敵味方なく広島女性に治療を施した「国境なきハート」を持つ人達がいた事実を忘れてはいけません。日本は恥ずかしくも自国民にさえも被爆手帳を出すとか出さないとか渋いのです。

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