第三十四話 月下斬刃

 

 

「高橋。高橋ー?」
 朝の出席取りの風景。教室内を軽く見渡せば誰がいないのかはすぐ分かるのだが、全員に声をかけて返事を受けるというコミュニケーションの一環と考えてるのだろう。
 と、さっきいるのを見たはずだが、呼ばれたはずの生徒が返事をしない。
「おい、高橋、どうした?」
 四十代半ばの担任教師の何度目かの声で、法子は初めて気づいたかのように慌てて立ち上がった。
「は、はい! すみません聞いてませんでした!」
 ある意味潔い言葉に教室内が笑いに包まれる。
「おいおい、朝から寝ぼけるのは程々にしとけよ。取材も一生懸命なのはいいが、一応学生の本業は勉強だからな。」
 一応でいいんですかー? なんて声が飛び出してまた笑いに溢れる。
「いいんだ。勉強も大事だが、若い内はもっと大事な物がある。青春とか友情とか、それこそ恋愛とかな。」
 おぉ、と歓声が上がる。こういう「話せる」発言が多いので人気があるわけだ。
「高橋出席、と。立ったついでに聞くが、橘のことは何か聞いてるか?」
 教室内に一つだけ空席がある。担任にしたら一番の友人であるだろう法子にその安否を聞くのはごく自然のことであろう。しかしその質問に法子は青ざめて硬直した。
「お、おい、高橋?」
「いや、何でもないです。
 ……と、あ、その、サキはアレですアレ。風邪です風邪。そうそう、今朝聞いたの忘れてました。」
「……そうか。じゃあ橘は風邪、と。どうせ見舞いに行くんだろ? よろしく伝えといてくれ。」
「…………」
 どこか思い詰めたような表情の法子。担任の声もどこか遠くのようだ。もう一度名前を呼ばれて我に返る。自分でも態度がまともじゃないことに気づいて、慌てて愛想笑いを浮かべる。六割くらいの効果は出たのか、教室内の関心が薄れる。
「みんなありがとーっ!!」
 ファンに応えるアイドルのように手をぶんぶん振ってから着席するが。すぐにその笑顔の仮面がはがれる。立てた教科書の後ろでいつの間にかに祈るように手を組む。
(サキ、お願いだから無事でいて……)
 必死に呟く声は誰にも聞こえなかった。

「酷いものですね……」
 研究所の地下。謙治と小鳥遊が破損どころか破壊されてしまったフラッシュブレイカーとスターブレイカーを見ていた。
 カイザーとロードチームに関しては時間さえあればどうにか修理できる。ハンターチームに関しては手出しできないが、カードの中で自力で修復できる、とのことだ。
 ブレイカーマシンは元々自動修復できるし、戦闘中でもある程度はどうにかなる。しかし今回の場合、回収できたデータも全体の六割くらいで、コアのフラッシュブレイカーに至っては胴体部がどうにか形になっているくらいだった。
 更にパイロットである美咲、引いては彼女のドリームティアが行方不明のためか、ブレイカーマシンの破片はまるで死んだかのように反応がなかった。
 まずは修理機能を持っているロードレスキューを直して他のマシンを修理させながら、フラッシュブレイカーに手をつけたいところだが……
「神楽崎さんの具合はどうですか?」
「言い方は変ですが、普通にショック状態ですね。鎮静剤を打っておきました。しばらく寝かせておいた方が良いでしょう。」
「そう、ですか。」
 彼女のことが心配なのか、微妙に手の進みが遅い。
 二人とも生徒だし校医で、学校も今日は休みではない。それでも行けるような気分ではなかった。

 もっとそれどころじゃなかった二人もいた。
 隼人とバロンはあの後、日付が変わるくらいまで美咲を求めて街を走り回っていた。
 翌日は朝から探すことにして、二人して隼人の家に戻ったところ、妹の和美がまだ起きていて待っていた。
 兄がバロンを連れて帰ってきたことも驚きだが、二人の様子があまりにもおかしいし、ニュースでも先日の戦闘のことは流れていた。
「お兄ちゃん、バロンさん、美咲お姉ちゃんは……?」
 その問いに兄はともかく、バロンが辛そうな表情を浮かべたのが気になった。聞いてはいけないことを聞いてしまったかのように心が痛む。
「大丈夫だカズミ、俺たちが何とかするから、今日はもう寝てろ。」
「ああ、そうだ。」
 どこか憔悴していながらも、目の力は失っていない二人に鬼気迫る物を感じて和美は思わず息を飲む。そんな二人にかけられる言葉は無かった。
 翌日、予想通りというか早起きしてきた二人のために朝食を用意したが、何も言わずに食べて家を飛び出してしまった。
 学校に行かなければならないから急いで食器を片付けていると涙が出そうになってくる。
「和美には何もできないの……?」
 少女の問いに答えてくれそうな少女は未だに行方が分からなかった。

 時折立ち止まって「気」を探っては場所を変えて繰り返す。当然、足を頼りに通りがかる人に聞きまくったりもする。二日目とはいえ、まるで手がかりがつかめない。
 元々気配が掴みづらいのであまりアテにしていなかったが、普通の聞き込みでもまるで情報が集まらなかった。
 美咲が「消えた」場所を中心に徐々に捜索範囲を広げていったがまるで手がかりがない。ある意味特徴的な少女なので、すぐに見つかるのではないか、とは(たか)をくくっていたのは否定できない。
一時間ごとくらいに待ち合わせては探索した地域を報告しあうのだが、明るい話題にはほど遠い。
 徒歩で移動したと思われる範囲はほとんど探したと思われる。スターブレイカーの最後の姿を考えると、美咲の状況は最悪に近いはずだ。それほどの距離を移動できたとは思えない。
「誰かに匿われているのか……」
 それとも、と続く言葉はとても口にできない。手がかりが何も無い以上、嫌な可能性ばかりが広がっていく。
「くそっ。」
 悪態を直接口にする隼人だが、バロンだって心中は同じなのだろう。拳を握りしめると、俺は行く、とバロンは再び走り出した。勝ち負けではないのだろうが、出遅れた隼人もバロンとは反対方向に走り出す。

「ん……?」
 待ち合わせの時間にバロンが戻ってこなかったので周囲を探してみると、見覚えのある後ろ姿が一人の男に絡んでいるようだった。
 絡まれてる男はどこか貧相な服装をしており、どう見てもまともな職に就いていなさそうな感じだ。
 ただそれだけの理由で絡むのはさすがにお門違いである。
「落ち着け! 見つからないからって人に当たってもしょうがないだろ!」
 片手で男を締め上げながらバロンがゆっくりと振り返る。
「お前は良い奴だな。が、これを見て同じセリフを吐けるならある意味尊敬する。同時に軽蔑するがな。」
 空いた手で男が後生大事に握っている「モノ」を手首をねじり上げて、(いぶか)しげな顔をする隼人に見せつける。見慣れたデザインのブレスレット――それはそうだ。自分も同じ物を腕にはめている――に、その中央で僅かに光を放つ透明の……
 ガッ、と隼人が男の胸ぐらを掴み、手近な建物の壁に押しつける。寸前で手を離したバロンは、男の手からこぼれ落ちたブレスレットを空中でキャッチ。
「てめぇ、これを……」
 と詰め寄ったところで、バロンが後ろから近づいてくる気配がして一度言葉を切る。
「ちっ。」
「それでこそ俺が見込んだ男だ。
 ……で、どうする?」
 前半朗らかに言った声が、後半で刃混じりの冷たい物に変わる。
 半ば宙に浮いた男を尻目に二人で周囲を見渡す。ちょうど手頃な路地が見つかった。そこなら多少……だろう。
 すでに恐怖で声も上げられない男だが、念のために口を塞ぎながら二人して路地へと引きずり込んでいった。

 バロンの説明によると、奥迫ったところにあった小さな店(どうやら微妙に怪しい質屋のようだ)から男が苛ついた様子で出てきた。ボヤく言葉を聞いてみると、どうやら何かを換金しようとして価値が分からなくてできなかったらしい。「こんなに綺麗なのに」と小汚い(バロン主観)ズボンのポケットからブレスレットを取り出して……
 そこで一瞬記憶があやふやになって、気づくと男を締め上げていた。運良くか運悪くかは分からないがちょうどそこに隼人が通りがかったそうだ。
「一瞬あの男にミサキが何かされたのかと思ったらな。口ではああは言ったが、ハヤトが来なかったら間違いなくぶん殴っていた。」
「…………」
 立場が逆だったら、きっと間に合わなかっただろうと思うから何も言えない。
 結局、路地裏での誠意ある話し合いにより、いくつかの事が分かった。
 一つ。そのブレスレットをつけていた少女が雨の中倒れていたこと。
 一つ。ブレスレットが高そうに見えたのでいただいたこと(ここでパンチ一発ずつ)。
 一つ。ガキだったので(なんとなくパンチ一発ずつ)、面倒にも巻き込まれたくないのでそのまま放置したこと(膝蹴りで顔が下がったところの渾身のアッパーカット)。
 それでこの男は良心の呵責とかではなく、どうされるのか面白そうだったから(いい加減殴る気も失せた)、知り合いの数人に話したそうだ。
 男はいわゆるホームレスという奴で、近くの公園を根城にしているそうだ。そういう世界のことは詳しくないし、一般人には関わらないようにしているのだろう、とどこか思いこんでいた。
 二人して公園に入る。さすがにすぐ見えるようなところにはいないが、木の陰になっているところにチラホラと様々な材料で作った住居が見える。
「さて、どうするか……」
 さすがにさっきと同じ情報収集の方法をするわけにはいかない。いや、やってもいいのだろうが、後々美咲に知られたら面倒になるからだ。
 仕方なくというか、本人たちにはさり気ないつもりなのだろうが、端からは睨み付けるように周囲を見渡して公園内を練り歩く。
 そんな二人に恐れをなして人々が道を空けるが、その前に一つの人影が立ちはだかった。
「「……?」」
 前を見ないで歩いている訳じゃないので、すぐその人影に気づく。その人物が歩いているのなら道を譲るべきなのだろうが、まるで二人の進路を塞ぐように立っていた。
 どうしたらいいか一瞬悩んで立ち止まる。その小柄な人影はゆっくりと顔を上げた。
「ぬしら、誰かお探しかえ?」

 その年齢不詳の老婆はシゲと名乗った。苗字なのか名前なのか考えようとして、意味がないことに気づく。
 どう対応したらいいか分からない隼人とバロンにシゲはもう一度同じ質問を繰り返した。
「……それがあんたと何の関係がある。」
「まぁ待てハヤト。
 ご婦人、連れの発言をご容赦願いたい。我らは確かに人を探しているが、何か心当たりでも?」
 相手が女性だからと礼儀正しく腰を折るバロンにシゲは顔のシワを増やした。どうやら笑ったらしい。
「こんな婆ぁにそんな礼儀など要らん。で、どんな奴を探してるんだね?」
 シゲに言われて隼人とバロンが顔を見合わせる。どう説明したらいいか悩んでから「中学生くらいのショートカットの女の子」と外見的特徴で説明する。
「ふむ、確かにそのような娘が今ワシの手元におるがな。」
 その言葉に思わず掴みかかりそうになるが、相手が女性で年寄りであり、しかもその口調に害意が無いことでどうにか踏みとどまる。
「しかし…… 問題が二つ。ぬしらがあの子の知り合いなのかどうかと……」
「美咲に会わせてくれれば分かる。」
 ハッキリ言う隼人だが、シゲはどこか済まなそうな表情を見せる。
「そうか、あの子は美咲と言うのか。」
 その物言いに何か違和感を感じる。
「どういう、ことだ?」
 嫌な予感がふくらんでくる。
 二人して顔色を変えていると、シゲがやれやれと肩をすくめる。
「ぬしらは図体がでかい癖にだらしがないのぉ。あの娘はおぬしらの何なのだ?」
「「…………」」
 答えられないでいると、シゲはもう一度やれやれと肩をすくめる。
「分かった分かった。ぬしらなら会わせても大丈夫だろ。……だが、覚悟だけはしておいてくれ。」
最悪の予想をして顔を強ばらせる二人にヒラヒラと手を振る。
「ぬしらの考えているようなことにはなっておらんよ。が、ぬしらの知らぬ娘かも知れんがな。」
 不安な一言を投げてから、二人を公園の奥へと連れて行く。
「マキや、戻ったぞ。」
 比較のしようがないのだが、それなりに立派と思われるハウスから、恐る恐る一人の少女が顔を出した。まずその呼びかけに違和感。
「おばあちゃん?」
 そこにはまさに探し求めていた少女の姿があった。本来なら喜びで駆け寄ってきそうな気もするのだが、何故か二人を見て怯えるように隠れてしまう。
 それと同時に隼人もバロンも少女の姿に違和感を覚えた。服装が違っているのは着替えたか何かしたのだろうと思うのだが、身に(まと)っている雰囲気がどこか違うのだ。一瞬で姿を隠してしまった為にハッキリとは言えないのだが、どこか子供じみているのだ。
 普段から子供じみてるだろ、みたいな減らず口ではない。でも具体的にどうなのか、とはどうもうまく説明できない。
「どういうことだ……」
「落ち着け。」
 怒りなのか哀しみなのかよく分からない感情でシゲに掴み掛かりそうになるのを、バロンに止められてどうにか冷静さを取り戻す。とはいえ、バロンも隼人が先に掴み掛かりそうになったから反射的に止めただけであって、タイミングが違えば立場は逆だったかもしれない。
 あの子には聞かせたくないから、と離れたベンチに移動して、シゲはゆっくり話し始めた。
 二人して平和な話し合いをした男が漏らした話から倒れている少女を見つけたこと。何故かは分からないが、グッタリして雨に打たれても目を覚まさない少女を「家」に連れ帰ったそうだ。
「まぁ小さかったから、この婆ぁでもどうにかなったわい。」
 カカカ、と笑うシゲに微妙に切なくなる。年齢を言ったらどうなるだろうか?
 服を着替えさせて、一晩ぐっすり眠ったら目を覚ましたのだが、困ったことに自分の名前すら憶えていないようなのだ、と。
「記憶喪失、ってやつか?」
「有り体に言うとそうだな。昔多少医者のまねごとをしたことあるから、身体の方は看られるが、心の方になるとな……」
 と、シゲは(かぶり)を振る。
「「…………」」
 詳しいことは小鳥遊に聞かなきゃ分からないだろうが、記憶喪失の原因は間違いなくこの前の戦闘でスターブレイカーが大破したことであろう。その間接的な原因を作ったのはバロンであるし、隼人も止められなかったことに責任を感じていた。
「ぬしらのことはあの子に話しておくから、また後で来てくれるかな?」
 シゲの言葉に、ああ、としか返事ができずに、隼人とバロンは公園を後にした。

「なぁ。」
「なんだ?」
 その場から少し離れた所で思い詰めたような表情をした隼人がゆっくり口を開く。
「美咲は…… あのままの方が幸せなんじゃないだろうか?」
 その言葉にバロンは笑いも怒りもせずに、無言で隼人を殴った。予想済みだったのか打点をずらして、倒れるだけですませる。
「気持ちは分かる。お前たちはミサキが戦うたびに傷つく姿を見ているんだろうだからな。でもミサキの気持ちはどうなる。それにお前の中から消せるほど、ハヤトにとってミサキは小さい存在なのか?」
「恥ずかしいことを言う奴だ。」
 起き上がった隼人が殴られたアゴをさする。
「普通はもう少し手加減するもんじゃないのか? 避けたが結構痛かったぞ。」
「腑抜けた奴にはちょうどいい。」
 ちっ、と舌打ちして、ふと自分がまだ美咲のブレスレットを持っていることに気づいた。
「……お。」
「俺たちが持っていても仕方がないからミサキに渡すか? もしかしたら記憶が戻るきっかけになるかもしれないしな。」
「なるほど……」
 後で、というには時間が短いような気もするが、誰かの庇護下にあるとはいえ今の美咲からあまり離れたくない、というのが口には出さない本心なのだろう。
 と、さっきの道を引き返して――そういえば二人はどこに行くつもりだったのか――公園に戻ると、微妙に空気が変化していた。直感を信じて全力ダッシュで美咲の元へ向かう。
 そこで見たのは美咲を抱きかかえるようにして庇うシゲと、その二人にジワジワ迫ろうとする二人の男だった。さっき「話し合い」をしたのと同じ雰囲気をしていた。
 ――手加減の必要なし。
 打ち合わせる必要もなく、それどころかどっちが先かと競うかのごとくに左右に飛びかかる。視界を遮るように素早く前に回り込むと、胸元を突くように蹴り飛ばす。
 成人男性が面白いように吹き飛んで、公園の木々に背中を激しく打ち据える。
「ハヤト、俺の方が飛んだな。」
「そういう問題か。」
 突然の暴挙(?)にうめき声を出しながら起き上がろうとする男たちだが、そこに隼人とバロンの鋭い視線が突き刺さる。
「この二人に手を出そうとするなら、」
「命が無くなるものと思え。」
 わざわざ飛ばすだけにしておいて意識もハッキリしていた男たちは素人でも分かるくらいの殺気に這々の体で逃げていった。
「しかし……」
「ああ……」
 安堵した様子のシゲはともかく、美咲がこちらを怯えたような目で見てくるのは辛い。
 演技なんかできる器用な性格じゃないのも分かっているが、あの程度の暴漢ごときにガタガタ震える美咲を見ていると別人に思えてくる。少女が落ち着くまで時間をおいた方が良いのだろう。そう思って軽く頭を下げて去ろうとすると、背後から声がかかった。
「ま、待ってください!」
 足が震えているのが分かったが、それでも一生懸命勇気を振り絞ったような声が美咲の口から放たれた。
「わ、私たちを助けてくれてありがとうございます。それにおばあちゃんが教えてくれましたが、お二人は私のことを知っている、と……」
 自分のことを「私」と呼ぶ美咲に違和感はあるが、それでも自分たちに話しかけてくれたのが嬉しかった。
 警戒心は残っているものの、こちらの話を聞いてくれそうな少女にとりあえず自己紹介。すると、というかやはりというか、
「大神さんとバロンさんですね。初めまして、なのでしょうか? 自分の名前が思い出せないのでマキと呼ばれています。」
 ペコリと頭を下げる少女のどこか脱力。いつの間にかに「〜くん」呼びに慣れてしまったんだな、と気づいてしまう。
「その、なんだ。」
 記憶喪失の人間なんて相手にしたこと無いからどう接したらいいか、どう説明したらいいか分からない。
「とりあえず、お前の名前は橘美咲だ。」
「たちばな…… みさき。」
 噛みしめるように自分の呟く美咲。でも実感が湧かないのか、何度も何度も口の名で繰り返す。
「あと、これもお前のだ。」
 隼人が彼女のブレスレットを手渡す。渡されたままに受け取るが、慌てて返そうとする。
「こ、こんな高そうな物、きっと私の物じゃないです!」
「…………」
 差し出されたブレスレットを受け取る振りをして、素早く美咲の左手首を取り、ブレスレットをはめる。一瞬、ドリームティアが光を放ちそうに見えたが、気のせいだったらしい。どこか鈍く陽光を反射するだけで見つけたときと大差は無かった。もしかしたら、という気持ちもあったので二人してこっそり肩を落とす。
 一方だまし討ちのようにブレスレットを付けさせられた美咲だが、記憶には無いのだが、自分の腕の一部のように馴染むブレスレットに頭が混乱する。
「美咲、というのかい。良い名前だね。」
 シゲにそう言われるが、やはり実感が湧かない。首を傾げてから隼人とバロンを等分に見やる。
「すみません。私の名前を呼んでもらえますか?」
 真っ直ぐな目で頼まれて、思わず言葉に詰まる。その目は「いつもの」美咲を強く意識させた。
「……美咲。」
「ミサキ。」
 少年二人の呼びかけを目をつむって聞く。
 どこか懐かしく、そして心暖かくなる声。
「たぶん私はお二人を知っているんだと思います。でも…… 思い出せない。」
 頭をおさえてブンブン振って、どうにか思い出そうと必死な美咲。
「もういい! 無理するな! 無理するんじゃない……」
 肩を掴んで制止する隼人の真剣な眼差しに、少女の瞳が揺れる。
「でも…… 思い出さなきゃいけない大切なことが沢山あったような気がするんです。とてもとても、とても大事なことが。」
「それでも! 今はおとなしくしていろ。
 ……頼む。」
 気圧された少女がコクンと(うなず)くのを見てから初めて自分が近づきすぎていたことに気づき、飛び退くように離れる。後ろでバロンが含み笑いをしているようだが、決着は後でつけると心に誓う。
 これ以上、少女の記憶を刺激するのも危険だろう、と判断して後は適当に言葉を濁し、再度去ろうと考えた。そして心理学者である小鳥遊に相談し、知恵を借りようと次の予定も立てていた。
 美咲は記憶喪失で戦う力を失い、麗華は美咲がいなくなったショックでまだ眠ったまま、謙治は戦えるもののマシンの修理に手一杯。スターブレイカーは大破し、他のブレイカーマシンは無事ながらもサポートマシンはほとんど戦闘不能。

(うるさいのもいい具合に減っちゃったし、ちょっと遊びましょ。)

 最悪のタイミングで悪夢がまた現実となる。

「「!」」
 その感覚をどう表現したらいいか難しいのだが「嫌な感覚」をもっと少し不快にしたら近くなるだろうか。いつも感じるのは本能的な恐怖や嫌悪、そしてそんな見えない物には負けたくないという強い衝動だ。
 悪夢が「夢魔」という形で顕現(けんげん)する。突如、物理法則を無視して巨大な物体、否、生物が現れた。
 十階建てのビルを遙かに凌駕する時点ですでに生物の範疇を外れているが、その夢魔は粗悪な怪獣の着ぐるみを三体分くらいデタラメに組み合わせたような姿をしていた。
 その夢魔はその表面の全く予期せぬところがいきなり開いて、そこから液体を吹き出す。液体は道路や建物に触れると、異臭を放ちながら腐食していく。
 別の身体の部位からは火の玉を放ち、また別の部位からは触手が伸びてくる。見た目通りか、それ以上にデタラメに街を破壊していった。

「くそっ、こんな時に。」
 夢魔は隼人たちがいる公園からさほど離れてない所に現れた。公園はすでにパニックになっており、普通にくつろいでいた人たちも、居住していた人たちも右往左往走り回っていた。隼人の背後では美咲がシゲにしがみついて恐怖に震えている。
 シゲは最初美咲を守るように抱きしめていたが、意を決したように自分の家に連れて行く。隼人とバロンが夢魔の動向を注視している間に二人が戻ってくる。美咲は元の服に着替えさせられていた。何故急に着替えさせられたのか分からずに不安げな美咲にシゲがゆっくりと口を開く。
「マキ、じゃなくて美咲。わしがおぬしを守ってあげられるのはここまでだ。あの二人についてお行き。」
「え……? で、でも、」
 いきなり言われて戸惑うが、それもピシャリと斬り捨てる。
「記憶が無くともわしらがどんな生活を送っている人間か分かるだろ? 戻れるアテも、迎えに来てくれるアテも無い。
 けど美咲はどうだ? 今ちょっと思い出せないだけで何も無くしていない。
 ……こんな所にいちゃいけないんだよ。」
「…………」
 少しずつ破壊の音が聞こえてくる公園の一区画が沈黙に包まれる。その静けさの中、少女がコクンと頭を上下させた。
「ぬしら聞いたな! あの化け物がここに来る前に美咲を連れて離れろ!」
「……バロン、美咲は任せた。」
 拳を握りしめ、隼人は夢魔の迫る方へと歩いていく。
「お前一人でどうする。」
 夢魔は巨大で、全長だけでもウルフブレイカーの数倍。大きさを考えたら勝ち目はとても薄い。
「どうにかするさ。今のお前は大した役に立たねぇし、迷子を保護してもらった義理は果たさないとな。」
「違いない。」
 肩を竦めて同意するバロン。まだ事態についてきてない美咲の手を引くと、隼人とは逆方向に走り出した。

 遠くでウルフブレイカーが巨大な夢魔に躍りかかっているのが見える。ウルフブレイカーの活躍で夢魔を足止めできたが、全身から無秩序に放たれる炎や腐食液までも食い止めることはできない。
「ちっ、ハヤト一人じゃ荷が重いか……」
「大神さんが戦っているんですか?」
 心配げに後ろを振り返る美咲に聞かれて、改めて少女が記憶を失っていることを思い知らさせる。
 美咲がチラリとバロンの手首に目を落として、自分の腕に光るクリスタルも見る。そういえば隼人も同じような物を腕にしていたはずだ。
「……バロンさん、もしかしてわたしも、」
「いいから今は走れ。お前に何かあると俺がハヤトに殺される。」
 言いかけた美咲を遮り走り続ける。まだ夢魔の攻撃範囲内を抜けられないのか、前方でも爆発や溶解する建物が見える。
(戦う方がずっと楽だな。)
 そんなことを思いながら、爆発で起きた熱風から美咲をかばいつつ走る。もうこの辺は一通り避難が済んだのか、もう美咲たち二人しかいないようだった。

「ちっ、キリがねぇ。」
 逃げる二人を遠目で確認しながら戦うウルフブレイカー。攻撃自体は雑で避けるのは容易いが、何せ手数が多いし無秩序なので気も抜いていられない。しかも相手は巨大で多少の傷なら簡単に再生してしまうのでやりづらいことこの上なしだ。
 更に街の被害を少なくしようと、火球や腐食液、触手などの対処してはいるのだが、焼け石に水の感がしてやりきれない。とりあえずバロンが美咲を安全圏まで逃がしたら攻勢に出よう、とは思っていた。
 回避に迎撃にと動き回っている内に、気づくと夢魔の反対側に回り込んでいた。タイミングとか運が悪かったとしか言いようがない。適当にあちこちにばらまかれていた火球の一つが、もう少しで安全圏に出られるくらいの二人を直撃するように撃ち出されていた。
「!」
 すぐさま叩き落とそうと飛び出すウルフブレイカーだが、反射的に動いたために自分の現在位置をすっかり忘れていた。夢魔を飛び越えるように動くウルフブレイカーを下から伸びた触手が激しく打ち据えた。地面に叩き付けられるまで何が起こったのか分からなかった隼人。しかしすでに時期は完全に逸していた。

 今までとは異質な音に思わず振り返る。遠くで詳細は分からなかったが、ウルフブレイカーが大量の土煙とともに地面に横たわっているのは見えた。
「ハヤト!」
「大神さん?!」
 隼人がそんな無様な真似をするとは思えなかったのだが、飛来する火球にそんな事を考える余裕は一瞬で霧散した。
 間に合わない。
 それだけを判断すると、美咲を押し倒し、その上から覆い被さった。直後、バロンのすぐ背後で火球が爆発した。美咲の悲鳴もバロンの苦痛の声も爆風にかき消される。
 嵐のような一瞬が過ぎ、視界が晴れるとあたりの風景は全くの別物になっていた。
 建物は鉄骨が見えるほど破壊され、ガラスや瓦礫が激しく陥没した道路に降り積もる。あちこちから火の手が上がってきた。
 そんな光景が、血まみれのバロンの背中越しに見える。
 ……血まみれ?
「バロンさん! バロンさん!」
 彼が自らの身体を盾にして自分を守ってくれたことはすぐに分かった。血の気が失せた顔に何度も何度も呼びかけると、やっとバロンが目を開く。
「……ああ、悪い。ちょっと寝てたな。」
 無理にニヒルな笑みを浮かべて、美咲の上から動こうとするのだが、身体に力が入らないようだ。
「大丈夫だ。すぐに……」
 言いかけたバロンが言葉を切ると、いきなり激しく口から血を吐く。熱いくらいの血は美咲の顔や上半身に降りかかり、少女を赤く染める。
「……!」
 驚きや恐怖で声も出ない美咲の上から滑るように地面に横たわる。美咲がバロンの手を取って握りしめた。
「おいおい、そんな泣きそうな顔をするな…… 俺がハヤトに怒られる。」
 声に力が無い。
「バロンさん! バロンさん!」
 必死に呼びかける美咲に、バロンがどこか疲れたような笑みを浮かべる。
「衝撃的な光景で記憶が戻る、とかちょっと期待したんだけどな……」
「え……?」
「いいかミサキ、心して聞け。俺はもうダメだ。この傷じゃあもう長くない。」
「そ、そんなこと言わないでください!」
「いや、元々俺はこれ以上この世界にいられなかったんだよ。」
 バロンが何を言っているか分からない。それでも彼の命の炎が消えかけていることだけは分かった。
「何となく分かったよ。俺は影、光に憧れる影だったんだ。……だから光に近づきすぎたら消えるしか無かったんだ。」
「もう喋らないで!」
 バロンは美咲の手を振り払うと、自分の腕のブレスレットから、黒色のクリスタルを外す。一瞬、バロンの輪郭が霞んで見えた。
「これを…… やろう。ミサキならきっと使いこなせるはずだ。」
「そんな物いいですから! もう喋らないで! すぐにお医者さんに……」
 美咲の手を取ってクリスタルを握らせようとするが、力が抜けたのか指の隙間からクリスタルが滑り落ちる。
 黒いクリスタルは美咲のブレスレットに当たって跳ね返り、その中心で輝く透明なクリスタルに触れる。
 キン、と澄んだ音がして双方のクリスタルが光を放つと、その光が美咲を包み込む。稲妻に打たれたようにビクッと身体を仰け反らせると、その瞳に見慣れた光が甦った。

「あれ、ボク……
 ! バロンくん! いったいどうしたの! こんな、ひどい……」
 そして自分も返り血を浴びていることに言葉を失う。バロンはフッと笑みを浮かべた。
「なんだ、最後の最後で記憶が戻ったか。
 ……よかった、これで俺はもう思い残すことはない。」
「ちょっと待ってよ! ダメだよバロンくん! 諦めちゃ…… ダメ、だよ。」
 美咲の言葉も力が無い。バロンがすでに致命傷を負っていることが理解できたからだ。
「悪いな…… お前たちの健闘を祈っている。これでやっと爺の元に……」
「バロンくん! バロンくん!」
 涙混じりの声に目を閉じたバロンが小さく微笑む。
「だから言ったろ。お前が泣いたらハヤトに怒られる、って……
 あ、そうだ。カズミには上手いこと……」
 ふぅ、と息を吐いて言葉を切ると、不意にバロンの存在が希薄になった。倒れている地面が透けて見えてくる。ショックで硬直している美咲が正気に返って慌てて手を伸ばすが、その手はわずかな感触だけを残してバロンの身体をすり抜けてしまう。
「そん、な……」
 長い時間だったのか、瞬く間だったのかは分からないが、

 その精悍な顔も、
 鍛え抜かれた肉体も、
 よく似合った黒の装束も、
 美咲をも濡らしたまだぬくもりの残る血の跡も、

 すべてが夢から醒めたかのように消え失せてしまった。
 いや、さっきまでバロンがいた証しのように黒いクリスタルが転がっている。
「バロンくん……」
 いっぺんに色々なことが起きた。自分が記憶を失っていた時のことは何となく憶えている。情報が大量に流れ込んできて理解が追いつかないが、それでも今自分がすべきこと、しなければならないことだけは分かる。
 遠く離れた戦場ではウルフブレイカーが孤軍奮闘していた。一度体勢を崩してからは夢魔の集中砲火を浴びて防戦一方となっていた。
「…………」
 美咲は自分の腕のブレスレットから透明なクリスタル――ドリームティアを外し、代わりにバロンの形見となってしまった漆黒のドリームティアをはめ込む。
 いつものようにブレイカーマシンを喚ぼうとして、思い直して左腕をまっすぐ前に伸ばした。
 一回だけだよ、と自分に言い聞かし、左腕を前に伸ばし高らかに叫ぶ。

来たれ影の翼…… スカイシャドウっ!

「くそっ、」
 悪態しか出てこない。夢魔が自分に攻撃を集中してきた為に街への被害は減った。しかし手数だけは多い攻撃が執拗に狙ってくる。というか、自分を狙ってくるならまだ避けやすいのだが、適当にばらまかれるのもあるので生半可な神経の削られ方ではない。
 さらにいうと、腐食液が地面を浸食して足場を悪くしている。空を飛べない身としては少しずつ逃げ場を失う形になる。
「!」
 地面の見えないところまで腐食したか、不意に足場がぬかるんだ。ギリギリの戦闘をしていたウルフブレイカーはその一瞬ですら大きな隙となる。
(避けきれない!)
 触手の一本が眼前に迫る。
 直撃を喰らうことを覚悟した瞬間、空より細く鋭い光線が何条も降り注ぎ、触手を断ち切った。
(これは…… ニードルシュートか?!)
 バロンが駆るシャドウブレイカーの武装の一つだ。その光線が放たれただろう空に目を向けると、翼を持った漆黒の機体が片腕を下に向けていた。
「てめぇ! 美咲を放って何している!」
 隼人の怒鳴り声にシャドウブレイカーが一瞬息を呑むような気配を見せた。そこで気づく。今上空にいる機体から感じる雰囲気が何か違う。
「バロンくんは……」
 返ってきた幼い感じのする少女の声に隼人は多くを悟った。
「分かった。もう何も言わなくていい。」
「うん……」
 後は言葉もなく上下に分かれて夢魔を攻撃する。しかし、どれだけ攻撃しても遙かに巨大な夢魔にはなかなかダメージにならない。深めの傷を負わせたところで、時間が経てば再生してしまう。
 戦闘が長引くと、慣れぬ機体の上、衝撃的な出来事が続けざまに起きて心中穏やかじゃない美咲が集中力を欠いてくる。元々前回のダメージも完全に癒えた訳じゃないのだ。
(このままじゃ勝てない……)
 焦りが心に影を落としたとき、不意にバロンに託されたものがもう一つあることを思い出した。
「隼人くん、ちょっとお願い。」
 返事を待たずにシャドウブレイカーが急上昇をかける。空の果てを見据え、叫んだ。

ルナァァァァァァっ!!

 美咲の呼びかけに応えるものがあった。
 空の彼方から翼を広げ、風を切る影。
 鷹の翼と上半身、そして獅子の下半身を持つ幻獣。かつてバロンがルナティックグリフォンと称していた機体だ。
 ルナティックグリフォンはまずは口から光線を吐いて眼下の夢魔に一撃を喰らわせた。そしてシャドウブレイカーを一回りし、その背中に乗せる。
「ルナ、ゴメンね。ボク、キミのご主人様を……」
 クエー。
 謝る美咲を宥めるように一声鳴いてから、何かを伝えるように振り返ってもう一声鳴く。
「……そう、キミにはそんな力もあったんだね。うん、分かった。一緒に戦おう。」
 目を閉じ深呼吸をして、心を澄ませる。そしてゆっくり目を開き、ブレスレットを構えた。漆黒のドリームティアが光を放った。
「ルナ、行くよ!」
 クエー!
ムーンシャドウ・イリュージョンっ!!
 シャドウブレイカーが幻獣の背を蹴ると、ルナティックグリフォンが急上昇をかける。夜のとばりが降りた紺色の空の中、機体のあちこちに分割線が走るとルナティックグリフォンが変形を始めた。すぐにそれは胸の部分が開いた巨人の姿へと変わる。
 そこにシャドウブレイカーが追いつくと、手足を折りたたみ、不完全な巨人へと近づく。空いた胸部にそのまま収まる。そしてまだ頭部を持たない巨人が力を込めるようにして胸の前で腕を交差させると、どこか冷たい印象ながらも精悍な顔が現れる。
 もう少しで天頂へと届きそうな満月から一筋の光が巨人に降り注ぐと、月光を結晶化したような三日月が額に灯った。
月影合体……
 漆黒の巨人が翼を広げる。
ムーンブレイカーっ!!
 月の化身がゆっくりと地上に舞い降りた。

シルバーレイザーっ!!
 ムーンブレイカーの額から三日月型の光線が無数に放たれると、それらが一枚一枚鋭い刃となって夢魔を斬り裂く。縦横無尽に走る鋭い傷がその再生能力を上回ったのか、夢魔が苦痛にのたうち回る。
「いい加減おとなしくしていろ! ブリザード・ストームっ!
 ひときわ大きな裂傷に触れるくらいの至近距離でウルフブレイカーが超低温の猛吹雪を叩き込む。傷口から内部に冷気が浸透し、夢魔の動きが鈍くなった。
 苦し紛れに火球や腐食液を吐こうとするが、ダメージが大きいのか勢いも無い。
ルナティック・スピアっ!!
 ムーンブレイカーの腕から撃ち出されたエネルギーの槍が夢魔に突き刺さり、地面に縫いつける。もがいて槍を抜こうとするが、ブリザードストームの影響が残っていてすぐには動けそうにない。
「……今だ! シャドウ・ケープ!
 見えないマントで身を包むような動きをすると、ムーンブレイカーの巨体が夜の闇に溶け込むように消える。
 夢魔がおそらく頭というか感覚器官だろうと思われる部分を振り回して、見えなくなったムーンブレイカーを探そうとする。不意に夢魔の回りが暗くなった。
 今ある光源は天頂に到達した満月くらいである。その満月の中心に小さな影が見えた。
 こんな適当な外見の夢魔に思考能力があるかどうか不明だが、同じく上を見上げた隼人にもその影が徐々に大きくなるのが分かる。
 それは翼を広げ、巨大な鎌を構えて降下するムーンブレイカーの姿であった。鎌の刃は月光を受け白銀に輝く。
 まるで無慈悲に刃を振り下ろす死神を思わせる。しかしそれは全ての生き物に公平に刃を振るう者。ムーンブレイカーを操る美咲にその資格があるかどうかは分からない。
 それでも美咲は戦い続けるのだろう。
「……もう、哀しい夢は終わりだよ。」
 僅かに目を伏せて美咲が呟く。ムーンブレイカーが鎌――クレセントシックルを大きく振りかぶった。
「ムーンライト・ディバイダー……」
 ふわりとムーンブレイカーが夢魔の横に着地する。いつの間にかに鎌は振り抜かれていた。夢魔の動きが完全に止まる。
「ブレイク。」
 最後の呟きと共に、夢魔の身体が斜めに真っ二つにされて、その切断面からゆっくりと消失していった。

 さすがに疲労がキツくなってきたのか、隼人に背負われて研究所まで戻る美咲。研究所の前では謙治に小鳥遊、そして麗華と和美が二人を待ちかまえていた。
 麗華たちは美咲の帰還を素直に喜んでいたが、一人和美だけが緊張した面持ちであった。美咲がそんな和美に気づくと、隼人の背中から降りて和美に近づく。
「!」
 和美が息を呑む。美咲の腕のブレスレットにバロンが持っていたはずの黒いクリスタルがはまっているのに気づいたからだ。
「美咲お姉ちゃん…… 今までいったい何があったの?」
 自分だって何があったか、と言われても曖昧な部分があるのだが、和美の態度に彼女が何も知らずにいたことが分った。
 隼人が美咲の代わりに説明しようとするのを視線で制して、美咲がゆっくりと話し始める。
 バロンが戦いを挑んできて、美咲がそれを受けたこと。不幸な偶然が重なり、シャドウブレイカーによってスターブレイカーが破壊され、そのショックで一時的に記憶を失ってしまったらしいこと。
 そして憶えている次の記憶は、どうやら自分をかばって血まみれになって倒れているバロンの姿。その後、バロンからドリームティアを受け継いで、ムーンブレイカーで夢魔を撃破したこと。
「じゃ、じゃあ、バロンさんは……?」
 美咲の表情からして何が起こったかおぼろげに理解できたが、感情がそのことを納得できていないのだろう。美咲は一瞬視線をそらしたものの、真っ直ぐ和美の目を見る。
「バロンくんは……」
 あの瞬間を思い出すだけで言葉が詰まる。それでも伝えなくちゃいけないことだからと必死に続ける。
「ボクをかばって受けた傷はもう助からないものだった。」
 美咲が戻ってきたことを喜んでいた他の面々も少女が淡々と語る内容に色を失う。
「目を閉じたバロンくんはボクの目の前で消えてしまった。そして残されたのは……」
 ブレスレットを、その中心で光る漆黒のクリスタルをぎゅっと握りしめる。
「最後に…… 何か言っていましたか?」
 和美の問いに美咲は小さくうなずく。
「うん、和美ちゃんに上手いこと……言っておいてくれ、だと思う。」
 言いかけた途中で事切れたので本当かどうか分からないが、おそらく大差無いだろう。
「そう、ですか……」
 目を伏せた和美が暗い声で呟く。
「じゃあ、もしかして……」
 地面に熱い滴がポタポタと落ちる。いきなり和美が爆発したように叫んだ。
もしかして美咲お姉ちゃんがもっとしっかりしていたら! バロンさんは!
 じゃあ、バロンさんが死んだのは……!
「和美!」
 尋常じゃない目の色になった和美に隼人の声が突き刺さる。兄に止められて、自分が言ってはいけないことを言おうとしたことに気づいて真っ青になった。ガクガクと震えて立っていられなくなる。
 そんな和美を美咲は優しく抱きしめた。
「いいんだよ和美ちゃん。和美ちゃんの言うとおりなんだから…… ボクが、ボクがバロンくんを……」
違うっ!!
 自分を責める少女を再び隼人が制した。
「違うんだ……
 あの阿呆はな本当に長くなかったんだ。だから美咲が悪いわけじゃないんだ。」
「どういう、こと……?」
 呆然とする美咲に隼人は小さく首を振る。
 夢幻界の住人であるバロンは現実世界での身体を精神力で構築していた。しかし夢魔側と決別して夢幻界にも戻れないようになったら、残った精神力とドリームティアの力で身体を維持しなければならない。
 前にバロンから聞いたのはそのことであった。おそらくシャドウブレイカーを召還したり戦ったりしたらその「残り時間」は短くなるのだろう。それでも美咲との決着を付けたかったのだ。
 しかし全く望まない方向でケリがついてしまい、もうブレイカーマシンを喚ぶ力も残っていなかったのだろう。
「俺はあいつが何を考えていたのかは分からない。でも一つだけ分かることがある。俺が考えたとおりなら…… バロンは後悔はしなかったと思う。」
 そう隼人は締めくくった。
「バロンさんがそんなに悩んでいたなんて…… あたし全然知らなかった。」
 涙ぐむ和美を見て、隼人は心の中で毒づく。
(阿呆。てめぇの勝手な意地で和美を泣かせるんじゃねぇよ。)
 目の前にいたら一発ぶん殴る、と思ってもその機会は永遠に失われたのだ。
「こんな哀しい思い、もう誰にもさせたくないよ…… こんなの、イヤだよ……」
 すすり泣く和美を抱きしめる美咲。
 雲一つ無い空。哀しみにくれる少年少女たちを月はただ冷たく照らすだけであった。

 

 

 

美咲「ボクたちが戦っていることは誰にも教えちゃいけない。
 知ってしまった人も他人に話しちゃいけない。
 もしも、もしもなんだけど、友達と一緒の時に夢魔が現れたらどうしよう?
 その友達は何も知らない友達だとしたら。

 夢の勇者ナイトブレイカー第三十五話
『友情とスクープ』

 夢はボクたちが引き継いでいく」

 

 

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