FREEZE! 第三話

− Cool Criminal(前編) −

 

 

我が名はレイファルス

我が司るは冬

大地に霜を、湖には氷を

山には雪をもたらす者

我が求めるは知恵

破壊より停止、争乱より平和を好む

我は冷酷なる哲学者

我は冷気を操り、氷を生み出す者

そして氷の精霊を従えし者

大地に縛られし者は我をこう呼ぶ

気高き氷雪の魔狼、フェンリルと

 

 

 

 未だ神々の力、滅び去った古代王国の魔法が残っている大地。剣と魔法が支配する世界。それがフォーセリアである。その中心を占める巨大な大陸・アレクラスト大陸では冒険者と呼ばれる者たちが名誉や富を求め、あるいは自らの腕を試すために今日もまた危険にむけて旅立つのであった。

「湖岸の大国」

 アレクラストの街にはそれぞれ二つ名のようなものがある。目の前に見える街にはそんな二つ名がある。
 この大陸最大の湖を北に臨むその街の名をザインという。どちらかと言うとザインは観光都市か単なる通過点の意味あいが強いだろう。エア湖という目玉はあるもののそれ以外の特徴がまるでないのだ。その割には大陸の東西を貫く「自由人の街道」の通り道のためたくさんの旅人が訪れる街となっていた。
 悪く言えば宿場町が大きくなったもの、かも知れない。
 いつものように自己紹介をしよう。私の名前はレイファルス。「氷雪の魔狼」なんてご大層な二つ名で呼ばれる氷の上位精霊のフェンリルである。俗に言われる古代王国期にとある魔術師(ソーサラー)によって一本の大剣に封じ込められ、氷の魔剣として長い間を過ごしていた。そしてこれからもそうであろう。
 無論、今の私は単なる剣であり手足が生えているわけでないから持ち主(マスター)たる人物が存在し、その者に背負われているわけなのだが…… おいおい、また寝てるよ……
 私の全長よりもずっと背の低い小柄な少女が私を抱きしめるようにして寝ている。エルフの特徴である長い耳にプラチナブロンドがかかっている。今は閉じているが開けばその奥には力強い光をたたえたサファイアブルーの瞳がある。が…… 人間の年齢に換算するとせいぜい十二、三の子供だ。私も時折どうしてこの少女に仕える気になったのか分からなくなることがある。
 まあいい、昔は昔、今は今だ。それに別段、今の生活やマスターが気に入らないわけではなく、逆に楽しいと思うこともある。大変と感じることの方が多いがな。
 何故かといえば私のマスターであるミル、という少女は典型的なトラブルメーカーであり、厄介事に首を突っ込むことが趣味に思えるほど好奇心旺盛だったりする。
 まあ、ミルだけならまだなんとかなるかも知れない、と最近思うようになってきた。そう思うようになったのも道中で知り合って今も一緒に旅しているエレナというハーフエルフの少女のせいだ。彼女も困ったことにトラブルメーカーであった。そのエレナもミルと一緒にガラガラの馬車の中で同じように穏やかな寝息を立てている。
 人間でいえば十六、七か。長めの髪をポニーテールのように頭の後ろでまとめている。黙っていればそこいらの町娘にしか見えないのだが。そう黙ってくれてさえいれば。
 おとなしく寝ている間はいいんだけどな…… ふぅ。もともと私は精霊だから神、というものの存在と力は知っていてもそれに頼ろうという気はないんだが…… 平穏無事の神、というものがいたら祈りを捧げたい気分だ。
「それにしても時間がかかりますね。」
 三人目の同行者が外を眺めている。身長三十センチほどの背中に羽の生えた少女だ。名前はシャラン。小妖精(ピクシー)である。
 性格は先の二人と違っておとなしく真面目なのだが、なにせ珍しいピクシーである。どこへ行っても目立ってしょうがない、なんて以前ミルに言ったら「あんただって十分目立っているじゃないの。」と言われてしまった。当たっているだけに何も言いかえせない。
 つまりミルの弁を借りれば我々は全員がなにかしらのトラブルメーカーである、ということだ。
 で、普通の人間が我々と、いや、ミルと同じ状況なら三日と経たぬ内に屍をさらしていそうなのだが、なにせミルは強いのだ。あの外見にもかかわらず超一流の精霊使い(シャーマン)であり騎士クラスの腕前の剣士だったりする。シャランもミルには劣るが一流の精霊使いでしかも古代語魔法(ソーサラーマジック)も下手な魔術師以上に扱うことができる。一番戦闘力の落ちるエレナでもそれなりの精霊使いである。
 それでミルたちが通ってきた道筋では山賊から足を洗う人間が激増した、という噂を聞くが、残念ながら真実である。私がこの目で見てきたのだから間違いない。
 ……おっと、話が大きくズレそうだ。ここでさっきのシャランのセリフに戻る。
「それにしても時間がかかりますね。」だ。
 今、我々が乗った馬車は「湖岸の王国」ザインの入り口を遠くにのぞむ位置にいる。そして前にはたくさんの旅人や馬車の姿が見える。何故かは知らないが、街に入るところで時間がかかっているらしい。日が暮れるまでに街に入れればよいが……
「変ですね。様子を見てきましょうか?」
 やめとけ。いきなりシャランみたいなピクシーが姿を見せて大混乱になったらどうする。
「……そうですよね。」
 少し悩んだ様子を見せるとシャランはポンと手をうった。無論サイズが小さいから耳を澄ませても聞こえるかどうかの小さな音だったが。
 そして片手を上げ精霊語で自分の心の中に呼びかける。
〈小さき恥ずかしがる者よ。汝が姿は我が姿。我が姿は汝が姿。見えなき衣でこの身を包みたまえ。〉
 呪文の声と共にシャランの姿がかき消すように見えなくなる。〈透明(インビジビリティ)〉の呪文 なのだが、ピクシーはこの魔法の源となるスプライトと近い存在なので呼吸するかのように姿を消すことができたりする。確かにこれなら姿を見られる心配はない。小さな羽音を残してシャランは馬車から飛んで行ったようだ。
 ま…… 私もこの混雑の原因が気になっていたしな。いいとしよう。
 ……どうか変なことに巻き込まれませんように。

「遅いのお……」
 我々の馬車の御者が疲れたような声をあげた。もうすぐ日が暮れるのだろう、気温が下がってきた。ミルとエレナはまだスヤスヤと眠っている。ミルはともかくとしてエレナはそろそろ目を覚ます頃だろう。
「う…… ううん……」
 身じろぎしながらエレナが目を開いた。まだ馬車が街の中に入っていないので不満そうな顔を見せる。別に私のせいではないのだがな……
〈ちょっとぉ……〉
 口を開きかけた瞬間に早口で少女の言葉を遮ぎる。
 馬車はまだ街に入れない。シャランが様子を見に行ったからすぐに理由が分かるだろう。そろそろ冷えてきたからミルに何かかけてやったらどうだ?
 文句を言おうとした姿勢でピタリと止まり、それからノロノロと荷物から毛布を取り出してミルにかけた。それがすむとこちらに不躾(ぶしつけ)な目で睨みつけてくる。
〈あんた最近逃げるのが上手くなったわね…… フェンリルのくせに。〉
 そのフェンリル相手に悲鳴をあげて逃げ回っていたのはエレナではなかったかな?
 我々と出会ったときのことを言うとことさら渋い顔を見せる。
〈嫌みも言うようになったし……〉
 鍛えられたと言ってくれ。
〈はあ…… あたしの育て方が間違ってたのかしらね。〉
 誰がだ……
 ミルを起こさないような小声で不毛な会話をしていると目の前の空気が瞬くように揺れた。すぐにシャランが姿をあらわす。
「ただ今戻りました…… って、二人ともどうしたんですか?」
 エレナとの間に何となく緊張感がただよっていたのだろう。説明しても仕方がないので話題を変えることによってごまかす。
 で、街はどうだった?
「ええ…… なにか街の出入りのチェックが厳しいようで、何かを…… いや、誰かを探しているようでした。」
「街ぐるみで?」
「そんな感じでした。」
 ふぅむ。犯罪者か何かか?
「持ち物検査もしていたようですし、隊商の方は大変そうでしたよ。」
 ……我々は無事に入れるかな?
「どうして?」
 どうして、ってなあ、エレナ。考えてもみろ。ミルが普通の旅人に見えるか? 私のような魔剣を黙って通すと思うか?
 何を探しているのか知らないが、我々のような年も若く目立つ一行が引き留められないわけがない。
 しかも…… こういうことは言いたくないが、ミルがそういうことに友好的な態度をとるはずがない。絶対に何らかの騒動になるのは火を見るより明らかだ。
 とはいえ、ザインを迂回することはほぼ無理だし、街を目の前に引き返すなんてミルが許すようなことではない。
 さてどうなることやら……

「ちょっと待て、お前ら。降りろ!」
 馬車の御者は別に呼び止められず無難に街に入って行った。我々だけが呼び止められる。
 あ…… ミルが一瞬ムッとしたのが分かった。こらえてくれよミル……
「持ち物を出せ!」
 街の入り口で警備兵風の男が何人も我々を囲んでいる。その中の特に偉そうな態度の男が高圧的に怒鳴りつけてきた。おそらく責任者的な奴なのだろう。ミル達三人に好奇の視線が向けられる。特にシャランに集中する。居心地が悪いことこの上ない。
 が…… ミルはキョトンとしている。この男の言っていることが理解でき……ないんだったな。
 基本的にこの辺では西方語が公用語である。別に共通語が話せないわけでもないのだろうが、わざわざ通じるはずの西方語を使わない理由もない。
 しかしミルよ、一応は西方で生まれたんだろ。どうして憶えようとしなかったんだ?
〈悪かったわねえ。〉
 警備兵達に聞こえないだろうから精霊語で呟くミル。
〈で、なんて言ってるのさ?〉
 寝てるところを起こされてその上、高圧的な男達に囲まれてミルはすこぶる機嫌が悪いようだった。声にも不機嫌がたっぷり混じっている。嫌な予感がする……
 ……持ち物を見せろ、って言っている。
「やだ。」
 周囲にもハッキリ分かるように共通語で言ったミルの一言が周囲の気温が一瞬の内に低下させる。別に私は力を出していない。飽くまでも例え、というものだ。
 いやいや。そんなふうに冷静に分析している場合ではなさそうだ。今度は怒気と殺気が我々に集中する。今度は例えではない。
「ちょ、ちょっとミル!」
「なによ。」
 なんとか平和にしようとするエレナの言葉にも面倒くさそうに振り向くだけである。そして状況を更に悪くするように(本人は意識していないのだろうが)口を開く。
「だいたいさあ、何でいきなりあたし達が呼び止められるわけ? もしかして女の子だったらみんな呼び止めて変なことするつもりなの? これだから……」
 しばらくなかなかに巧妙な悪口が続く。警備兵達はポカンとした表情を浮かべている。長年警備兵をやっていてもここまで態度の大きい相手はいなかったろう。
〈……レイファルス、怒るわよ。〉
 そ、それどころじゃないのではないか?
 周囲の怒気が更に濃くなる。あと一言でも余計な口を開けば剣を抜きかねない雰囲気だ。それでも自分達の職務と相手が子供だという現実を思い出したらしい。
「とにかく!」
 隊長格の男が大声を出し(おそらく虚勢だろうが)、威圧するように睨みつけてくる。
「お前らのような子供がそんな物を持っているのは不自然だ。調べるために一緒に来てもらおう。」
 そんな物って……
「やっぱり『これ』かしらね。」
 エレナの指がミルの背中…… つまり私をさしている。待て…… 私は「物」か?
〈精霊使い以外には良くて『魔法の剣』にしか見えませんから。しょうがないのではありませんか?〉
 おいおい…… シャランまでそんな切ないことを言わないでくれ。
「とりあえず、その剣とペットの妖精はこちらで預かる。お前ら二人は詰め所に来てもらおう。」
 おいこら……
「何よその言い方! さっきから黙って聞いていれば好き放題言って!」
 ま、何も言わないでおこう。
「よりにもよって大事な友達のことをペットですって! いい加減にしないと本気で怒るわよ。」
「ミ、ミル。私のことはいいですから少し落ちついて下さい。奇異の目で見られたり、ペット扱いされるのは慣れてますから……」
 キレかけたミルを宥めようとするが、そのシャランの言葉は油に火を注ぐ結果となる。彼女に怒りを向けるはずがないから、ミルの怒りは自然と警備兵の方にいく。
「あんたらみたいなのがいるからシャランがいつもいつも肩身の狭い思いをしなきゃいけないのよ!」
 まったくいつも予告もなしにくるのだが、ミルの手が私の柄に伸びる。止め金が外された。目の覚めるような真っ青な刀身があらわになる。氷の透明感と金属の光沢をあわせもった不思議な輝きを秘めた魔法銀(ミスリル)で作られている。非力なミルですら扱うほどのできる軽さを持っている。たとえ剣全体の長さがミルの身長よりも長いとしてもだ。
 私が放つ魔力の輝きと、それを簡単に扱うミルの姿から両方が嘗めてかかれない相手であることが分かったろう。まだ鞘から抜いただけで構えてもいないが、いつでも斬りかかれる体勢だ。いやでも緊張感が高まる。
 なあミル。街中で騒ぎを起こさない方がよいのでは……
「シャランに謝りなさいよ!」
 やっぱり聞いてない。とほほ……
 警備兵の中で気の短そうな奴が腰の剣に手を伸ばそうとする。この睨み合いはいやでも目立っている。周囲に人垣が築かれた。
 ミルの実力は知っているから負けないことも分かっているだろうが、それでもただただオロオロするばかりのエレナとシャラン。
 まずいよなあ…… この状態は。一歩間違えればお尋ね者だし、それでなくともザインは鬼門になりかねない。
 頼むからミル、取り返しのつかないことだけはしないでくれよ……
 この状況にもかかわらずザインの空は雲を忘れたかのように晴れ渡っていた。

 パンパンパン。
 突如、間の抜けた音が聞こえてきた。周りの人々が何事かとあたりを見回す。張りつめた緊張感が一瞬緩む。どうやら誰かが手を叩いているようだ。
「その辺にしといた方がよろしいのではないですか?」
 人垣をかき分けて一人の女性が姿を現す。年の頃は二十歳前後。背中くらいまである長い髪をまっすぐおろしている。服装の雰囲気からすると魔術師(ソーサラー)賢者(セージ)、そんな…… ん?
 あの首から下げているのは魔術師ギルドのペンダントか。ならおそらく両方だろう。周囲の様子を見るとそれなりに顔が知れた人物のようである。
「女の子相手に剣を抜いて、しかもその女の子に負けるんじゃあ、警備兵としての面目は丸潰れですね。
 その子達の身元は我々魔術師ギルドが保証します。解放してもらえますか?」
 その女性の口調は丁寧だが逆らい難い雰囲気を持っている。口ぶりを聞いていると我々のことをそれなりに知っているようだが。はて……? 何かあったろうか。
「い、いや。ギルドの方がそうおっしゃるなら、構わないでしょう。」
 さすがにギルドの名前は強い。渋々と安堵の半々の顔でこれまたもったいぶった言い方をする警備兵。見る間にミルの体から力が抜ける。私は鞘に戻された。
 ふぅ、どうやら何とかなりそうだ。

「ごめんなさいね。嫌な思いさせて。」
「ううん。」
 ま、いろいろゴタゴタはあったが、とにかくザインの街に入ることができた。我々に平穏を与えてくれた恩人……フェルミナに街を案内してもらっている。聞きたいことはいろいろあるのだが、ミル達の雰囲気がそれを許してくれそうにない。
「うわあ、いい匂い!」
「お腹減ったわね、そういえば。」
「この辺は魚が美味しいそうですよ。」
 とにかく食い気か…… 平和でいいかもしれない。見知らぬ街ではしゃぐ三人を見て、フェルミナはニコニコしている。
「よし! わかった。お姉さんがとっても美味しい店に連れて行ってあげよう!」
 ワーイ、と子供じみた…… いや、子供だったな…… とにかく歓声をあげるミルとエレナ。
 別に人を信用するな、と言いたいわけではないが…… それでも少しは疑う、ということを憶えて……
「あなたねえ、人が親切で言ってるのにそういう言い方はないんじゃない?」
 ビシッ、とフェルミナの指が私に突きつけられる。一瞬ミルが自分が指されたと思って驚いた顔をするが、指先がズレているのに気付き、首をこちらに向ける。
「レイファルス! またなんか失礼なことを言ったんでしょ!」
 また、って…… 私がいつそんなことをしたんだ?
 フェルミナは私の言葉に苦笑を浮かべ、
「まあね。えーと、レイファルス…… だったっけ? の言いたいことも分かるわよ。」
 と小さく肩をすくめる。
 ……なぜか精霊語は理解できるようだが、精霊使いというわけでもなさそうだ。いったい何故?
「オランのね、ギルドから連絡があってね、あなた達を見かけたら世話してあげるように……てね。」
 きっと「世話して」の前に「厄介事を起こさないように」の一言があったに違いない。しかし面倒くさがり屋の三角塔(オラン魔術師ギルド)の連中にしては手回しのいいことである。
「でもねえ……」
 一言もらしてクスリと笑う。
「『厄介事を起こすのが好きな大剣を背負ったエルフの女の子にピクシー』って本当にいるとは思わなかったわ。」
 誰だ、そんなこと言ったのは。
「ひっどーい。レイファルス! あんたのせいよ、きっと。」
「そーよそーよ。」
 おいおい…… エレナまで一緒になって言うことはないだろうが。と、フェルミナの視線がエレナの上にふと止まる。
「あれ……? そういえば…… エレナのことは聞いてなかったわねえ……」
「あたし?」
 聞き返すエレナ。まあ、このハーフエルフの少女とは道中で知り合って同行していたからオランの連中が知るはずもない。
 と、そのことを簡単にシャランが説明すると(ミルに任せておいたら夜がふけても話が終わらないだろう。)納得したようにフェルミナが頷く。
「なーるほどね。それはそうと、すっかり言い忘れていたわ。
 ようこそ! 『湖岸の大国』ザインへ!」

 フェルミナが案内してくれたのは少し裏道に入った…… ハッキリ言っていいのかなあ…… ま、とにかく、その、薄汚れた小さな店だった。強い風でも吹いたら木っ端微塵になりそうな感じだ。それでも中はそれなりに賑わっているようであるが……
「うっわー、潰れそうな店。」
 ミル、頼むから表現をもっと工夫してくれ。一緒にいて心臓に悪い。
「あんたに心臓なんかあったの?」
 例えだ、例え。
「でもミルの言う通りね。やってるのここ?」
「エレナ、そういう言い方は失礼ですよ。」
 そう言うシャランも少し不安そうである。
 そんな我々をフェルミナは面白そうに、どころかニヤニヤと眺めている。悪趣味とまでは言わんがいい性格をしている。
 やけにきしむドアに手をかけ、彼女が振り返る。
「ま、見かけは汚いけどね、味は保証するわよ。」
 そう言うとドアの向こうに消えていく。三人はしばらく顔を付き合わせていたが決心したようにドアに手をかけた。
 開かない。
 きしむのも当然でえらい立て付けが悪く、押しても引いてもギシギシいうだけで開く気配すらない。
 開かないドアに魔法を叩き込もうとするミルを押しとどめて、しばらくあーだこーだしていると急に鍵が外れたように扉が開く。
「何これぇ……」
 不満げに言うミルを宥めて我々は扉をくぐった。
 店の中は七分くらいの入りだった。いかにも仕事の帰り風の男達がグラスやカップを手にワイワイ話をしている。さほど大きくもない店だが、その中は何か暖かい雰囲気に包まれていた。
「おっそーい。何やってたのよ。」
 カウンター席でグラス片手にフェルミナが少し睨むような視線を向けてくる。その声に導かれたように店中の視線がこちらに集中する。一瞬、中の音が消失した。カウンターの奥で店のマスターが無言でグラスを磨く音だけが聞こえる。
 …………。
 唐突にワァーッというような歓声があがる。ちなみにマスターだけは相変わらず無言でグラスをふいている。
「おや! かわいい嬢ちゃん達じゃねえか。」
「どうしたんだい? こんなとこによ。」
「嬢ちゃんも姉ちゃんもえれえかわいいが、ちっこい姉ちゃんも別嬪さんじゃねえか。」
「どうだい! 一緒に呑まねえかい?」
「またか。女の子を見るといっつもそればっかりだな。」
 ワハハハハ、と店のあちこちから笑い声があがる。いきなり注目の対象になったミル達が困ったような顔を見せる。それでも店の男達には悪意はなく、純粋に歓迎してくれているようだ。
 ドン!
 フェルミナがカウンターを叩く。それまでの喧噪が波が引くように静まる。
「いい? この子達はあたしの連れだからね。変なコトしたら承知しないわよ。」
 怒ったように眉をつり上げるが、それがすぐに笑みに変わる。
「ま、とにかく座った座った。見た目は悪いけど気のいい人達よ。
 ……ほら、あんたもどきなさい。二人が座れないでしょ。」
 カウンターの席にいた男を蹴飛ばして追いやると隣のスツールをすすめる。雰囲気にのまれかけたミルだが、すぐに高い適応力を見せ、気にせずに店の中に入っていく。エレナとシャランが慌てたように後を追い、フェルミナの隣に座る。
「よしっ、俺達のおごりだ。姉ちゃん達に旨いもん喰わしてやんな。」
 あちこちからそんな声があがった。無口なマスターが手際よく料理を用意する。目の前に次々に湯気のたった皿が並んだ。
「おいしそーっ!」
「いい香りね。」
「あ、飲物もいるわね。マスター、お酒……はまずいから、何かジュースでも出してあげて。彼女(シャラン)の分も忘れないでよ。」
 相変わらず物静かなマスターはシャランを片目で見ると一度カウンターの奥に引っ込んで帰ってきたときには親指の先ほどのグラスを持ってきていた。
 果物の絞り汁を水で割ってシロップを加えた物をグラスに注ぎ、氷を浮かべる。ちゃんとシャラン用のグラスにも小さく砕いた氷を静かに加える。
「あは。」
 シャランが嬉しそうな声を出す。いままでの旅の中でここまで彼女のためにしてくれた店なんぞ無かった。ニコニコしながらグラスを受け取る。
「次までには……」
 マスターがボソリと口を開いた。常連客が驚いているところを見ると、この人が喋るのはよほど珍しいことなのだろう。
「食器も用意しておこう……」
 それだけ言うとまた無愛想に次の料理にとりかかる。実は照れているのかもしれない。
「おっちゃん、ありがとう!」
 ミルの言葉にもマスターは小さく首を振っただけだった。それでもミルには分かったらしく、すっかり上機嫌になっていた。
「どう? いい店でしょ?」
「うん!」
「ね、早く食べない? こんな料理の前で待つなんて拷問よ、ハッキリ言って。」
 ま、あれだな。エレナが色気づくのは当分先の話に違いない。ハーフエルフだから普通の人間よりは余裕があるだろうがね。
「そうね、でもせっかくだから乾杯しない?」
 グラスを目の高さに持ってきてフェルミナ。
「こうして人と人が出会った記念にさ。」
 そうですね、とシャランもグラスを持つ。それにならいミルもエレナも同じようにする。
「じゃ、ミルが乾杯の音頭をとってね。」
「ええっ?」
 ミルは驚くが、さほど広くない店内である。いつの間にかにマスターを含んだ全員が、グラスやカップを手に立ち上がっていた。期待の眼差しを全身に浴びたミルが乾いた笑いを浮かべる
〈レイファルスぅ……〉
 いい経験だ、やってみろ。大丈夫、ミルならできる。
〈そんな無責任な……〉
 失敗しても誰も笑わないから。
〈ふにゅ〜……〉
 覚悟を決めたか諦めたのか、周囲を見回しておもむろに咳払いをする。
「う〜んとねえ…… それじゃあねえ……
 ええと…… あたし達と…… 素敵なお姉さんフェルミナと…… 無口だけど優しいおじさんと…… そして陽気なおっちゃん達との出会いに……  乾杯っ!」
「かんぱーいっ!」
 あちこちでグラスの鳴る音がする。店の男達が一人一人近づいてきてミルと、エレナと、シャランとグラスをあわせていく。
〈あんたは飲めないけど…… レイファルスも乾杯。〉
 私の柄にグラスが当たる。
 ……はいはい、乾杯。

 珍客を迎えたためか、酒場は宴の様相を見せていた。ミルはあちこちのテーブルをまわって話の輪に入っている。私は邪魔になると思われたのか、カウンターの上に置かれている。
 シャランは店のマスターと話をしているようだ。彼は無口ながらもなかなかの聞き上手のようだった。エレナはというと……
 おい、私の上からグラスをどけてくれないか?
「なぁに言ってんのよ。あんたの上に置いとくと冷えていいのよ。」
 こら……
「あんらなんかねえ、物を冷やすくらいひか能がないんだからいいでひょうが。」
 ん? なんかエレナの様子が変だ。顔がほんのりと赤いし、ろれつもあまり回っていない。彼女のグラスには赤い液体が…… これはもしかして……?
「ごっめーん。」
 フェルミナがいきなり手を合わせる。
「面白そうだったからついワイン飲ましちゃった。」
 待てい…… どれだけ飲ませたんだ?
「それがねえ、」
 急にエレナが立ち上がりズカズカとミルに近づいていく。フェルミナの視線が彼女を追ったがすぐにこちらに戻り、人差し指を立てた。
「ホンの一杯だけ。あんなに効くとは思わなかった。でも…… 何話してるのかしら?」
 知るか……
 お、ミルがこっちに来たぞ。どうしたんだ、ミル。
「ちょっとね。」
 そう言うと荷物を探し始める。ほどなく、小さな竪琴(たてごと)が姿をあらわす。
「あら? 何か聞かせてくれるの?」
「まあね。」
 ちょっとはにかむように言うとエレナと一緒に少し空間の開いた隅に移動する。ミルが手近な椅子を引き寄せ、竪琴を構える。エレナは立ったままだ。
 ピン……
 弦の震える音が騒がしいはずの店に静かに響きわたる。その音に誘われたかのように視線が建物の隅に集まる。いつの間にかに店内は沈黙に支配されていた。
 静かに、そして軽やかに竪琴が旋律を奏で始めた。エレナが小さく一礼する。そして曲に合わせて動きだした。
 普段の旅装束だから華やかさには欠けるが、それでも動きは優美の一言に尽きた。頭の後ろで縛っている髪が弧を描いている。一瞬たりとも止まっていない証拠だ。よほど慣れているとしか思えない。
 ふぅん…… こんな芸当もできたのか。
 そういえばエレナの素性、ってやつを気にしたこともなかったな……
 エレナの舞いが酒場の人間を魅了する。舞いに合わせて手首のブレスレットが鈴のような音をたてる。
 一曲終わり、始まったと同じように竪琴の音が止む。それと同時にエレナもピタリと止まった。
 一瞬遅れて割れんばかりの拍手が起きた。その様子にエレナは酒のせいではなく赤くなっていた。
 エレナが下がると竪琴が別の曲を(つむ)ぎ始めた。美しい調べにミルのソプラノが重なる。囚われの姫を助けるために騎士がドラゴンと戦う、という悪く言えばありふれた英雄戯曲だが人気のある曲でもある。
 竜の吐く炎を騎士の盾が止め、魔法のマントの力を借りて空を飛ぶ。曲はクライマックスに近づいていた。
 神の加護を受けた剣が邪竜の眉間を貫き、ドウと倒れる。最後に騎士と姫が結ばれて終わり、と言う話だ。ミルが最後の弦を弾き、曲が終わった。
 店の男達のアンコールを受け、ミルが別な曲を演奏し始めた。

 一つ…… いや、二つ三つ聞いていいか?
 私がそんなことを口にしたのは夜も更けてきた頃だ。
 店はほとんど客がいなくなっていた。ミル達は思い思いの場所と方法で居眠りしている。フェルミナだけがカウンターでグラスを傾けていた。
「なに?」
 彼女はちょっと寂しそうな笑みを浮かべる。この瞬間を覚悟していたのかも知れない。
 ……ま、最初は簡単だ。なぜ私の言葉が理解できる?
「これのおかげ。」
 そう言ってイヤリングにそっと手を触れる。わずかにマナの輝きを放っている。あれは…… 俗に翻訳のイヤリング、っていわれる魔法の品ってところか?
「ご明察。」
 では次の質問。この街ではいったい何が起こっているんだ?
「ああ…… それね。」
 そう前置きすると事の次第を語ってくれた。
 簡単にまとめると、最近このザインの街では怪盗の噂で持ちきりだそうだ。何でも鮮やかな手口で商店や屋敷などに忍び込み、金品を盗んでいく。しかも、その狙われた所の全てがある大商人の所有だったらしく、その男を狙ったものと思われているそうだ。どうやら魔法も使うらしく魔術師ギルドにも要請が来ているらしい。
 なるほどね……
 そう答えてから私は次の、最後の質問をするかどうか悩んでいた。その質問が必要なければ、と思うのだが私の勘はその仮定を確実なものとしていった。
 ……ミル達を利用して何をするつもりだ?
 グラスを持つ手が空中に張り付いたかのように止まった。しばらくその状態が続いたが諦めたかのようにフェルミナは小さなため息をついた。
「さすがね……」
 グラスを一気に飲み干すとテーブルに叩きつけるような勢いで置く。中身はそれなりに強い酒のはずだったがそんな様子は微塵も見せない。別人のように辛そうな顔をして言葉を続ける。
「確かに、あたしはミルちゃんを利用しようとしたわ…… 会う前はね。でもね、会ってあの子達を見ていると…… ダメ、あの子達を騙すなんて……」
 そう呟くと指が白くなるくらいまでにグラスを握りしめる。肩が震えていた。
 あんた…… 悪党にはなりきれないタイプだな。優しすぎる……
「……ありがとう。褒め言葉と受け取っておくわ。」
 それともう一つ。ミル達に何をさせようとするのかは分からないが…… 言える事なら一回言ってみろ。私のマスターはとてつもなくお人好しだからな。
「そうね。逆にそっちの方がいいかも。でもできればミルちゃん達を危険な目にあわせたくないわ。」
 そんなこと心配しなくてもいい。どうせミル達はトラブルに巻き込まれる運命にあるらしい。私も最近悟ったのだがな。
 私の言葉にフェルミナはフフッ、と小さな笑みを漏らした。
「あなたが人間だったらね……」
 え?
「ううん、何でもない。でも…… ちょっと考える時間をちょうだい。話せるようになるまで。」
 そう言って彼女は席を立った。後ろ姿を見送ってから今の状況を思い出す。
 そういやあ…… 宿の手配ってしてあったっけ? してないよなあ……
 私はそっとため息(のようなもの)をついた。

 運良く(かはどうか知らないが)我々のいた「静かなる大岩亭」(という名前だったらしい)は宿屋も兼ねていて、あの無口なマスターが三人を上に運んでくれたようだ。どうして「〜ようだ。」という表現を使ったかというと、私はまだカウンターの上で横になっていた。
 どうやらここのマスターは強力な魔剣はうかつに触ると危ない事を知っていたらしい。ああ…… 静かだ。
 いや待て、何か遠くで笛のような音が聞こえる。外で人が走り回るような音が…… 誰かを追っているのか? そうならばフェルミナが話していた怪盗、って奴か。
 笛の音が遠ざかっていく。そしてまた静寂が訪れた。

 朝だ。朝日が闇を斬り裂く。いつ見ても素晴らしい光景だ、と普通の人は思うのだろう。私は精霊という存在故に感性に相違があるが、それでも闇が晴れていくのはいい光景だと思う。が、ミルはこの光景を見た事は無いのだろう。早寝遅起きだからな。
 ヒラヒラヒラ……
 小さな羽音が近づいてくる。
「おはようございます。」
 どうだ? 昨日はよく眠れたか。
「ええ、おかげさまで。」
 そうか。
 そんな事を話していると朝と昼の中間くらいの時間にノロノロとミルとエレナが降りてくる。エレナは頭に手をあてている。
 ……おはよう。
「おはよぉ……」
「アイタタタタ…… あまり大声出さないでよ……」
 寝ぼすけのミルはいいとして、エレナは典型的な二日酔いになっていた。マジかい。フェルミナはワイン一杯、って言ってたぞ。
「あれ? エレナどうしたの?」
「…………」
 エレナは答える気力すら失っているようである。頭をかかえてうめいている。
 ミル、あれだ。俗に言う「二日酔い」ってやつだ。
「二日酔い…… アルコール…… アルコールなのよねえ……」
 ミルがブツブツ呟いている。何を考えているのやら。
「よし。」
 おもむろに片手を上げる。
〈優しき生命を司る名も無き精霊よ。汝の抱擁をかの者に、慈しむ心をかの者に与えたまえ。〉
 ミルの呼びかけに角の生えた白馬が現れ、エレナの体を通り過ぎていく。すぐに彼女の血色がもとに戻っていった。〈療治(レストアヘルス)〉の呪文らしい。精霊の中でも特に生態(?)が知られていない生命の精霊である。女性しか扱えないらしいが…… さすがの私でもそれ以上は謎に包まれている。
 ま、いいか。全員が落ちついたところで無口な店主が皿をいくつか持ってくる。遅い昼食を兼ねた朝食が始まった。
「ねえ…… そう…… いえ……」
 コラ、口の中に物を入れたまま喋るな。
 珍しく素直に言う事を聞いて、パンを飲み込むミル。冷たいジュースを口にして一息ついてからあらためて口を開いた。
「ねえ、聞いた? あの話。」
「あの話って…… もしかしてあれ?」
「そう、それ。」
 何の話だ? まあ…… この二人の興味を引く話なんてねえ…… まさか。
「この街をにぎわせている怪盗の話。」
 ……やっぱり。しかしいつ聞いたんだ? 私が聞いたのは深夜遅く、フェルミナに聞いたのが始めてなのだが……
「すっごいよねぇ。謎の怪盗ですって。」
「そーそー。見てみたいよね。」
 言ってろ…… でも分かっている。次のミルのセリフが。分かってしまうのが辛い。絶対こう言うに決まっている。
 ドンッ!
「と、ゆーわけで、あたし達もその怪盗を探すわよ!」
「おーっ!」
 おいおい…… シャランが点目になっているぞ。でもこの二人を見ていると全くの本気なのだろうな。はあ…… 早くこの街を出たいよ。
 そんな私の懸念も知らずミル達はこのザインを騒がす怪盗を見つけようと張り切っていたりする。はてはて、どうなることやら。

 

〈続く〉

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