− 第一章 −
その日は朝からどんよりとした雲が空を覆っていた。陳腐な、それこそ使い古された言い方を借りるなら泣き出しそうな空、というやつであった。
その灰色の雲の下で、悲しみの表情を背負った人々が集まっていた。
「我らが友、クリスティーナは今、神のもとへ召されようとしています……」
黒服の神父が聖書を片手に朗々と声を響かせていた。あたりから啜(すす)り泣くような声が聞こえてくる。
その様子を逆にさめた様子で少女は見ていた。不思議なことに涙がでない。
悲しくないわけではない。
神父が言っていたクリスティーナという娘は彼女の親友だった。一緒に笑い、泣き、喜んだ仲である。
彼女の死を聞いたときから感情が麻痺してしまったかのようであった。心にぽっかりと穴があいたような気分である。
ビルからの飛び降り自殺。ありふれたニュースのように流れていた。ひと月もしないうちに事件があったことすら忘れられるような時代である。宇宙規模の事件が流れる現在、一つの惑星で一人の少女が死んだことくらいはほんの些細(ささい)なことであった。
ふと、少女の脳裏に一週間ほど前の光景が思い出された。「うちの娘を見ませんでしたか!」
彼女の前に血相を変えたクリスの両親があらわれた。その疲れきった表情は見ていて痛ましかった。
少女はその二人に対して、何も知らないと答えた後に詳しいことを訊ねた。二人の話だと、クリスが二日ほど前から行方知れずになったということだ。
その言葉に少女は少しの間黙りこんでしまった。クリスの両親はその沈黙を記憶をたぐりよせているものと判断したらしい。しばらくして少女がゆっくりと首を左右に振ると落胆したように二人は少女の前から姿を消した。
再び一人になると思わず少女はため息をついた。わからない、というのは正確に言うと嘘だった。クリスが行方不明になったことには心当たりがあった。
クリスは両親に黙って、行方知れずになっていた知り合いの女の子を探していた。繁華街や、裏通りを毎晩捜しまわっていた。少女は危険だから止めろ、と言ってはみたものの親友の忠告をクリスはきかなかった。
何もつかめないまま何日か過ぎて、少女はクリスの伝言を受け取った。
伝言には重要な手がかりらしきものを手にいれた、とあって一人の男の名前が書いてあった。その伝言を最後に彼女は連絡を絶った。それからすぐに少女のもとにクリスの両親があらわれ、そして……回想にふけっていた少女の目の前で埋葬が始まっていた。最愛の娘を送る両親は前見たときより急に老け込んでいた。
スコップが振るわれる度に棺桶に土がかかり、最後の別れを予感させる。しばらくして、全てが埋没し、地面がきれいにならされた。
平坦になった墓の前に花束が置かれた。クリスが好きだった花が色鮮やかに並んでいた。
その前で参列者と一緒に黙祷を捧げていると冷たいものが体に当たった。灰色の空が更に暗くなって、そこから雨がポツリポツリと降り出してきた。
雨に追われるように人々が帰っていく。雨足が強くなってきた。
しばらくして、少女は自分一人だけ雨の中にぼんやりと立っていることに気づいた。雨が全身を濡らす。黒のワンピースが水を含んで重くなり、べっとりと体に張り付いた。
ゆっくりと親友の墓に近づいた。墓石には彼女の名前と生没年が刻まれていた。十八歳の若さであった。
「自殺なんかじゃないよね…… あたしにはわかる。きっと誰かに殺されたんだよね……」
記憶の中の彼女の姿が少女に笑いかけてくる。突如として心に悲しみが染み込んできた。
「突き止めるわ…… 真相を。誰が何のためにあなたを殺したのか…… あなたが何を見たのか……
だから…… 天国で見守っていてね……」
無機質な墓石に彼女の笑みがオーバーラップする。それも目の前でぼやけてきた。こらえようにも涙が溢れてきた。
「なんで…… なんでなのよ!」
彼女の叫びは徐々に嗚咽(おえつ)へと変わっていった。そのサファイヤのような瞳から涙がこぼれ落ちる。しかし、涙は雨に流され、むせび泣く声も雨音に消されるのであった……人類念願のワープ航法が発明されて、宇宙開拓時代などと呼ばれた頃からすでに三世紀ほど経った現在。
昔では夢物語であったハイテク技術が一般的なものとなり、人類は発展しているようにみられた。
資源もなにもなくなってしまったが、いまだにあらゆるものの中心として栄える地球。太平洋と呼ばれた広大な海に造られた、現在のムー大陸とも呼ばれる巨大な人工島。その東側にあり、地球最大の宇宙港、そして銀河連合の本部がある都市、ポートタウン。
そのポートタウンの郊外に海を望める公園があり、その真ん中には「ミルビット研究所」と看板のかけられた白い建物がある。
その研究所の地下数十メートルで一人の男が悲鳴をあげていた……
「うわーっ! もういやだー!」
広々とした空間で一人コンピューターの端末に向かってその男は絶叫した。
「こんなことやってやれっけーっ!」
再びその男が叫んだ。しばらくの間、そうしてわめき続けたが疲れたのか椅子に座りなおし息をつく。
「さて、修理状況を簡単に説明してくれ。」
さっきとは打って変わって落ち着いた表情でキーを叩く。壁に埋め込まれたスピーカーから声が聞こえてきた。
〈内部の修理はあらかた終了しました。あとは装甲の修理がほとんどですね。〉
「装甲ねえ……」
うんざりとした表情で横を振り向く。その視線の先には百五十メートルほどの全体が焼け焦げた物体が鎮座していた。翼のようなものがあるところをみると大型の航空機のようである。
「全部張り替えですなぁ。で、部品は足りそうか?」
〈全然足りません。〉
「うー…… もういい! 私はいったん寝る。あとは明日以降だ。」
そう一方的に言うと、男は逃げるようにその空間からでていった。
〈あのー……〉
声が頼りなげに呟いていた。
あたしはその男をじっと見つめていた。
……とは言っても別に大したことをしているわけではない。一応あたしとしては「監視」をしているつもりなのだが……
ありふれた喫茶店でミルクティーを飲みながら時々後ろを振り返ってその男を見ていた。
なぜあたしがそんなことをしなければならないか、と聞かれても話すと長くなるから説明するにしても簡単にすましたい。
さっきから目立った動きはない。雑誌を読みながらコーヒーらしきものを飲んでいる。さっき電話をかけた以外は椅子にかけたままである。
あの娘が残してくれた名前の男。それがあたしが見張っている男である。名前はエドワード=マルゼム。三十代後半のそこそこの美形といえる容貌だろう。あたしの趣味ではないが…… 表向きはある商社の幹部、ということになっているが裏の顔は…… まだわからない。
……こう考えてみるとはずしている可能性もあるなあ。でも、あたしには唯一残された手がかりである。それにあの顔は裏で悪どいことをやってそうな顔である、とあたしは思うけどな。
そんなことを思っていると背後から、いや、今は後ろを向いているから体の正面の方から(ああ、ややこしい)気配とともに声が聞こえてきた。
「お待たせいたしました。チョコレートパフェです。」
振り返ろうとして視界の隅にチラッとウェイトレスの姿が入った。そんなもの頼んでません、と言いかけたとき、その男とバッタリ目が合った。
その男はいつ来たのか知らないが、あたしのテーブルをはさんだ向かいの席に座っていた。パフェ用の長いスプーンを手にしたままあたしと目が合ってキョトンとした顔をしている。
別に相席しなければならないほど店は混んでいない。ってことはこの男は勝手にあたしの向かいに座ったらしい。なに考えてるんだか…… 好奇心も手伝ってか思わずその男を観察していた。
年の頃は…… 今一つ年が分かりかねない顔をしているが、おそらく二十代前半だろう。どちらかというととぼけた顔をしているが、厚手の眼鏡の奥の瞳には驚きと、なぜか悲しみのような光が見える。髪型も服装も野暮な部類にはいるが面倒くさがりやなのかもしれない。ただ…… 街中で白衣を着ているというのは…… 休憩中の医者なのだろうか。しかし、この辺には病院はなかったはずである。一体…… 何者なんだろう、こいつ……?
「あの…… 何か私の顔についてます?」
そいつはあたしがじっと見ているとお決まりのパターンのセリフを言った。あたしは事実を教えてやることにした。
「口のはしにチョコレートが。」
「そりゃ失礼……」
すばやく口を拭い、それから二、三口パフェを食べると目の前の白衣男は再び口を開いた。
「忠告しておきますが、この件からは手を引いた方がいいですよ。」
「へ?」
間抜けた声を出すあたし。
「どういう理由があるかは知りませんが、あなた一人じゃ危険ですよ…… って初対面の人に言う言葉じゃないですね。」
白衣男はハハハとかわいた笑い声をあげた。ほんとに何者なんだ? でもこいつの言ってる「この件」というのがエドワードのことらしいが……
「一体、何のつもりよ。」
あたしは小声で聞いた。一瞬、後ろに目を向けてエドワードに動きの変化がないことを確かめる。
「それに何のことなのさ。」
この白衣男があたしが狙っている「何か」の関係者かもしれない。もしかしてスパイや暗殺者の可能性もある。うかつなことは言えない。
白衣男はあたしのその心の中の声を何となく察したらしい。無言であたしにプラスチックペーパーを渡す。
……おおっ! こいつの渡してくれたペーパーには顔写真入りのエドワードのデータが記載されていた。公共のデータバンクに載っている以上の情報である。そこにはあたしが探していた情報があった。
犯罪組織の一員と予想される。それがエドワードの裏の顔であろう。さすがに普通の女子大生をやっているからには犯罪組織には詳しくない。でも、どうやら当たりである。きっとクリスはこれを知ったために……
「どうかしました?」
あたしはきっと沈痛な表情をしていたんだろう。白衣男は口にスプーンをくわえたままそう尋ねてきた。あたしは無言で首を振った。こんな怪しげな奴に言ってもしょうがないことだ。それより、あたしはさっきからの疑問をこいつにぶつけてみた。
「ところで…… あんた一体何者なの?」
「は?」
今度は白衣男の方が間抜けた声を出す番だ。
「ああ、私ですか…… そうですねぇ…… 暇にしている科学者、ていうのはどうですか?」
なんだいそれは。
「それ以外には…… ないものですねえ……」
わけの分からないことを呟くと、ため息をつく謎の白衣男。
ピーッ! ピーッ!
突然、白衣男のの左腕から電子音が聞こえてくる。一瞬、向こうのエドワードに聞かれはしないかと警戒したが、気にしている様子もない。
「何よ、いったい。」
「ああ、ちょっと待って下さい。」
そいつは白衣の袖をまくると、そこには肘から手首の間の半分くらいの大きさの金属製の筒のようなものがはめてあった。その表面には小型のディスプレイやキーボードなんかがあるところを見ると携帯用のコンピューターか何かのようである。
その腕についたディスプレイに何らかの文字が書かれている。あたしのところからは見えないが、白衣男はそれを見てフンフンとうなずいている。
あたしの視線に気づいたのだろうか、そいつはそれのボタンの一つを押した。そうするとそこからプラスチックペーパーがはきだされてくる。でてきたペーパーを無言であたしに手渡した。
はてはて…… このペーパーには警備会社らしき名前が書いてある。そしてエドワードが関連しているらしい犯罪組織の出先機関らしい、とあった。
「これはさっきあの男がかけた電話の相手です。」
それはすごい。いつの間に調べたんだか。
「可能性としては二つですね。」
白衣男が二本指を立てる。
「一つは彼が普通の商社の幹部だとして、純粋に警備の打ち合わせである。」
まあ、そうでしょうねえ。
「もう一つの可能性は、彼が犯罪組織の一員で、電話の先も犯罪組織に絡んでいる場合。」
つまり、あたしの予想が合っているときだね。
「そのときは…… 十中八九、あの男はあなたが監視していることに気づいています。
そして、あの手の男の行動パターンを適当に推測すると…… あなたを狙っている可能性があります。」
「なんで?」
「一つ聞きますが、いつ頃からあの男を付け回してます?」
「三日ぐらいまえかなあ……」
「なら十分です。あなたを消そうとしている可能性があります。」
まさか、と言いかけたとき背後のテーブルで物音がした。エドワードが席を立とうとしている!
後ろを振り返る。ちょうどエドワードがコーヒー代を払って出て行こうとしている。当然ながらあたしも席を立った。
「あ…… ちょっと……?」
「ごめん! あたしの分も払っといて!」
あたしは白衣男の返事も聞かず、後をつけるために駆け出していった。あたしにとって助かったのが目標が早足で歩いていないことだった。ある程度の距離をおいて尾行する。別に相手は急いだ様子もなく、ぶらぶらと歩き回っているようだ。
尾行を開始して五分程したとき、あたしの右側上から声が降ってきた。
「こう言っちゃあなんですが、あなた全くの素人でしょう?」
その声に横を見ると白衣男があたしと歩みを合わせて立っていた。
「あんたみたいのがいたら目立つでしょ!」
「安心して下さい。相手はすでに気づいています。」
あたしの反論も軽く流される。……え、気づいているのなら安心はできないんじゃないの?
しかし…… こんなのに付いてこられたらハッキリ言って邪魔ね。どうにかしてこいつを撒かなきゃ。……さて、どうしよう。
第一の手段。
「あ! あれはなんだ!」
あたしは空の一角を指さした。まわりに気づかれないように白衣男だけに聞こえるような小声ではあったが。
白衣男の注意が一瞬、そっちの方に向く。あたしはその隙をついてダッシュした。こいつに引っかかっていたせいで、エドワードとの距離が離れていたのだ。急いで距離をつめる。……エドワードはそんなあたしにも気づかないようで歩調も変えずに歩いていた。
ふう、危ない。
これであの白衣男は撒いたはず…… ではなかった。
「どこどこ?」
さっきまでの位置関係を全く変えずに白衣男が辺りを見回していた。……速い。
あたしはうんざりとしながら次の手を考えていた。隣で白衣男があたしに向かって危ないから探偵の真似ごとは止めなさい。と何度も言っている。
……ふと、自分が同じことを親友に言ったことを思いだした。そうだ、なんだかんだ言ってもこいつはあたしを理由は分からないけど心配している。しかし、引くわけにはいかない。あの娘の仇をとるまでは……
クリス……
あたしは殺された親友の名を呟いた。
感傷に浸っている暇はない。早くこの男と別れなきゃ…… さて、どうしようか。
……考えごとをしながら邪魔者と尾行をしていると、向こうから制服姿の警官が歩いてくるのが見えた。まだ若い(あたしよりは年上だけど)その警官を利用しない手はない。
あたしはエドワードの位置を確認した後、その警官に向かって小走りに走っていった。
「助けて下さい。変な男があたしに付きまとうんです。」
しおらしい声をだして、その若い警官にすがりつき、あいた手で白衣男を指さす。白衣男はあたしの行動に一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐに理解して逃げ出しそうな素振りを見せた。
「あいつです。さっきからあたしを付け回していたのは。」
その若い警官はあたしの美貌に感動したのか(……まあ、誇張はあるかもしれないが、一〇〇%誇張ではない……はず。)顔を上気させ、力強くあたしに向かって言った。
「お任せ下さい。あのような怪しげな男は私が追い払ってきます。ご安心を。」
と、その言葉が終わりきらないうちに警官は殺人犯を追いかける以上の熱心さで白衣男を追いかけて行った。……よしよし、これであたしは尾行に専念できるわけだ。
再び、エドワードの姿を求めて視線をさまよわす。見つけた。相変わらず、目的もなさそうに歩いている。
これを追いかけるのは簡単そうだ。気づかれないように後をつける。それから十分ほど歩いた。辺りの風景が高層ビルを望む繁華街から微妙に変化してきた。どうやら目標は裏通りに向かっているようである。
大きな都市でも例外なく、ちょっとわき道に入ると犯罪発生率を高くする要因となっているような裏通りへとたどり着く。
あまりか弱い女の子としては入りたくない所ね…… そんなあたしの心中もよそにエドワードは裏通りへと入っていった。
まだ入り口近くというのに空気自体が変化したような感じがする。直接は目を向けないが、あたしに視線が集中しているのが分かる。
……帰ろうかなぁ。でも…… こんな所に来るんだから裏取引とか……
そうよ! きっとそうに違いないわ。
あたしは心を決めてエドワードを追うことにした。歩調も変えずに黙々と進んでいるエドワード。しかし、前と違って何か目的を持って歩いているようである。
これは突き止めなくては。
そう思っていると、エドワードが路地の一つに入っていった。
きっとここね。
あたしもそいつにならって路地へと入っていった。
……いない。
そんなに時間は経っていないはずだが路地には誰も見えなかった。路地は少し先で右に曲がっている。あたしは警戒しながら曲がり角から顔を出した。
やっぱりいない。変ねえ……
あたしは首をかしげながらも突き当たりまで歩いてみた。グルリと見回しても人が隠れられそうな所が見つからない。
大きめのゴミ箱があったが、その中に隠れるほどの暇はなかったはず。一応のぞいてみるが…… 中には汚らしい腐りかけたゴミしか見えない。たとえ隠れるにしてもこんな所は謹んで遠慮したい。
はて…… どこへ消えちゃったのかしら……
とりあえずもと来た道に戻ろうと振り返った。そして…… そこに「彼」がいた。
「誰かお探しですか、お嬢さん?」
エドワードが冷たい笑みを浮かべてそこに立っていた……