− 第八章 −

 

 走りだしたはいいが、走りながら俺は奇妙な感覚をおぼえた。ごくわずかだが体が重いような、動きが鈍るような感じがする。運動神経の伝達も半ば狂ったような、自分の中に何か自分を押さえるものがある。そんな気がした。
 悪魔の放つ瘴気(しょうき)かそれとも無意識的な恐怖が俺の心を支配しようとしているのか。
 ……んなわけないか。よく考えたらこのフロアには重力制御装置があるんだ。多少の重力変動があってもおかしくない。
 重力の変化に人間は予想以上に敏感である。一%程度の変化でもそれとなく感知できるものだ。
 そうだ、そうに違いない。瘴気や無意識的な恐怖が存在するはずがない。この先にあるのは単なる麻薬の精製プラントであり、人または警備システムが守っているだけで超自然的現象は起こり得ないのだ。
 そうは思いつつも何となく不安が残る。なにかが違う。俺のカンに何か引っかかるものがある。頭のなかで警報が鳴りだそうとしている。わからない。この先に何が待っているというのだ?
 こんな時、通信が届けば…… ジャニスの声を聞くことができれば俺の中の不安も少しは解消されるのだが。陳腐な言葉かも知れないがあの娘(ジャニス)は俺に「勇気」を与えてくれる。すでに天涯孤独になった俺に……
 行こう。あまりダラダラと時間をかけても今度は脱出にてまどるだけだ。侵入に比べれば多少楽かも知れないが、まだ折り返し地点にすらたどりついていない。
 耳を澄ませる。重力制御装置は膨大なエネルギーを消費する。従ってその近くには必ずエネルギー供給用の大型発電機(ジェネレーター)があるはずである。それに制御用のコンピューター、少なくとも宇宙船のワープコントロールに使われるくらいの大型のものも必要である。
 それらが発生させる駆動音やハム音を探せばプラントが見つかるはずである。
 ……見つけた。俺が降りてきたのは通路のど真ん中だったから簡単にいえば確率五十%をハッキリさせるだけだからそんなに難しいことではなかった。
 その方向に向かって走る。走って行くにつれ重力の乱れが大きくなるような感じがする。
 おかしい。やっぱり何かおかしいような気がする。上で散々大暴れしてきたのに下では何事もないようにプラントを動かしている。普通なら侵入者を警戒しているのが当たり前ではないだろうか。
 入った家が無防備だ、ということはよくあったが、それとは何かが違う。守ろうとする気が無いようにも見える。警備装置もこの施設の規模にしては少なすぎる。確かに多少の警備装置で俺を止めることは……
 待てよ。もしも…… もしもだ。向こうが俺の来ることを予想していて、俺の能力や戦闘力を研究していて、それで…… 施設に致命的なダメージを与えられないように警備内容を変更した……
 まさか…… そう考えて頭を振るが、一度浮かんだ疑惑は簡単に消せそうにない。遊園地の闘いの時も監視の目が光っていた。この施設の中では機械まかせの警備は少なく、ほとんどが人間によるものだ。ケガ人は多くても死者は出ていないはずだ。俺の性格を考えれば警備兵をいくらだそうともその損失は少なくてすむ。
 そして常時俺達のことを監視していたなら、今日ここに侵入することが分かっていてもおかしくない。
 ということは…… ジャニス!
「ベース! 応答しろ。俺だ、フェイクだ…… ジャニス! ロイド! 新米でもいい、応答してくれ……」
 返事がない…… 本当に、本当に電波が届かないだけなのか…… 不安が募るばかりだ。大丈夫だ、と無理矢理自分に言い聞かせる。多少のことならロイドが何とかしてくれるはずだ……
 はずだ、という言葉がまるでなぐさめになっていない。いたずらに不安を増すばかりだ。考えるのは止めよう。もしも…… もしもジャニスの身に何か起こったとしても…… 今の俺がどうこうできるような問題ではない。ロイドとあの新米を信じるしか…… くそっ、俺には信じることしかできないのか……
 行くしかない。一刻も早く精製プラントを破壊し、急いで戻れば間に合う……かも知れない。
 悩んでばかりで行動を起こさなければ無駄に時間を過ごすだけだ。俺ができる最善をつくすまでだ。
 俺は憑(つ)かれたようにまた走りだすが…… ダメだ。どうしても集中できない。落ちつけ、と自分に言い聞かせても自然に体が焦ってしまう。こんな時こそ落ちつくべきなのに……
 歩調が速まる。足音を完全に消すことができない。
 参ったな…… これからが一番重要なところなのに。どんなに間抜けな警備でも肝心の製造プラントまでスカスカであるはずがない。おそらくこの通路の先にはたくさんの敵兵か警備ロボットの類が配置されていることだろう。
 緊張をほぐすために手を握ったり開いたりする。簡単な指の運動みたいなものだ。ふとその時、はめている手袋にほつれを直した跡を見つけた。
 そういえばこれは少し前の仕事の時に引っかけて破いたものだ。今まで全く気付かなかった。てっきり新しい手袋を用意してくれたのかと思っていた。よほど丁寧に直したとみえて縫い目すら感じさせない。
 指先でそっとその縫い目を撫でた。そうするだけで夜一人でこっそり裁縫をしているジャニスの姿が見えたような気がした。
『いい? あなたは体が資本なんですから、細かいことはみんな私に任せて、ジークはゆっくり休んでて下さい。』
 て、いつも言ってるよな。そして必ず次にこう言うんだ。
『どうせ、こういうことは私がやった方が確実なんですから。』
 ……そうだよ。見えないところであの娘は俺以上に苦労しているんだ。そして、今は……
 俺の方が、こういうことは、上手い。
 そうだ、たとえ俺の想像通りだとしても俺に対する切り札としてジャニスにはすぐに手出ししないだろう。仮にこの先が罠だとしても俺がそれを切り抜けたら、切り札としての効果は更に上がる。
 ならば…… ジャニスが捕らえられたとしても無事でいる確率は…… 高い!
 そして俺がすべきことは、奴らの想像以上のダメージを奴らに与え、しかも俺が無事でいることだ。
 見ていろ。奴らに一泡吹かせてやる。

 重力の乱れは常人でも容易に分かるほど大きくなってきていた。すぐ先に宇宙船のエアロックを五倍くらいに伸ばしたような大きな合金製のドアが見える。
 この手のドアは基本的に電磁ロックだ。こんなドアに閂をかける間抜け野郎はいないだろう。普段なら操作板(コンソール)なぞをいじくってある程度紳士的に開けるべきなのだが…… 生憎と時間がおしい。
 ザンッ!
 振るったレーザーソードが分厚いはずのドアをまさに一刀両断する。さすがに一カ所斬っただけではドアは開かない。もう二、三度腕に運動させるだけで四角い切り込みができる。
 ドガッ!
 思いきり蹴飛ばした瞬間に体内時計を速める。一瞬風景がぼやけ、また戻る。蹴飛ばしたドアの一部が普通よりゆっくり倒れるように見える。ドアのすき間から中をのぞき込み内部の様子を探る。もうすでに俺の歓迎準備は出来ているらしい。大量の銃口がドアを狙っているのがわかった。
 ま、俺には関係ない。軽く肩をすくめてからまだゆっくり倒れている途中のドアの一部の上に足をかけ、それを踏み台にして大きく跳躍した。
 と字で書くと簡単そうに聞こえるが、実際は俺の卓越した運動神経と反射速度を数倍にあげる「技」がなくては不可能としかいいようがない。
 そんな俺の動きをたかだか普通の人間に見極めることができるわけない。一陣の疾風のように飛び込んだ俺を認識できる人間はいなかった。わずかにいくつかの自動攻撃装置が俺を追尾しようとレーザーの銃口を動かすが、それの対策もちゃんと用意してある。
 さっき飛び込んだ瞬間に、倒れてきたドアの下のすき間に残りの煙幕弾を全て放り込んでおいた。
 ボフッ、とくぐもった音と共に白い煙がドアの下から漏れだしてきた。ドアを蹴飛ばしてからここまで一秒たったかどうか、というくらいの早業である。
 この広いフロアの中は中央に塔を思わせるような巨大な機械。そのわきにこれまたそれなりに大きいレーザーの発射機のようなものがある。
 おそらく中央の機械が重力制御装置。そして横の発射機のようなものが「緋色の悪魔」の光線を作り出すものだろう。発射機の一部が透明になっていて、そこから妖しい赤い光が見えた。
 見つけたぜ。肉食獣の笑みが俺の顔に浮かぶ。標的(ターゲット)を確認したからには後は障害を排除するだけだ。
 レーザーソードを右手に構えながら左手で銃を引き抜く。左手の射撃は多少苦手だが、この程度の広さは外す距離ではない。
 ざっと見たところ、この広いホール内の自動攻撃装置は約二十。手持ちの銃弾でなんとか足りる程度だ。位置はすでに確認してある。たとえ煙幕で視界が遮られていても俺には意味がない。
 煙幕越しに銃を撃つ。狙い違わず硬質プラスチックのボディを貫き、内部回路を破壊する。沈黙した攻撃装置には目もくれず、次々に破壊していく。弾倉を交換し、最後の弾倉の半分を撃ち終えたところで自動攻撃装置を完全に沈黙させた。
 煩わしい機械は処理がついたので、次はこれまた煩わしい人間の方をどうにかする番だ。神経を集中して敵さんの「気」を探る。
 …………!
 気配がない。中に飛び込んだときには最低でも五人は数えていたはずだ。気配を消したわけではないだろう。俺を欺け(あざむ )るほどの達人がそう簡単にいるとは思えない。そうだとすると考えられる可能性は逃げた、ということだろうが…… そんなことをしてなんになるというんだ?
 まさか!
 光線の発射機に銃を向ける。引き金を絞った。いつも通りの反動(リコイル)が手に残り、銃弾が狙いをつけた目標――発射機横のガラスの部分を貫き、その奥にいる赤く光る透明な悪魔をも銃弾が貫く。そしてその中心に穿たわれた弾痕から広がるように亀裂が生じ、刹那の間に無数の破片へと変わる。硬質の物が砕ける甲高い余韻を……
 そ、そんな馬鹿な!
 音が違う。一応予想していたことではあったがやはり驚きは隠せなかった。そもそも衝撃に弱いとはいえ、ダイヤモンドを銃弾で砕くのはそれなりに難しい。今みたいに半分適当に撃ったもので壊れるようなシロモノではない。
 どう考えても俺の今の立場はムチャクチャ不利としか思えない。敵の動きは俺を疲弊させるのを目的としているようだし、それでいて楽にここにたどり着けるほどの警備だった。これがゲームかなんかならゲームバランスがいいと思うところだが、現実は違うはず。何か意図があって……
 もしかして…… 俺を捕らえるため……?
 捕らえるといってもGUPや都市警察に突き出すわけがあるまい。今までの恨み辛みを晴らそうと…… それも違うな。因縁ある相手としても俺をいたぶったところで大した金になるまい。金儲け第一主義の犯罪組織がそんな無駄なことをすまい。
 そんな考えごとをしていたせいか、その音に対する反応が大きく遅れてしまった。
 入ってきた入り口は当然として、他に外部に通ずると思われる入り口にどう見ても頑丈そうなシャッターが次々に降りる。
 そしてこの部屋の壁全体がわずかに発光し始めた。その発光の原因に心当たりがあって、確かめるために手近に落ちていたガラスの破片を壁めがけて投げつけた。
 バチッ。
 物騒な音をたててガラスの破片が木っ端微塵になる。部屋の内部にシールドが張り巡らされたようだ。シールドをどうにかして突破しないと俺はこの部屋をでることが出来ない、というわけだ。
 なーに。この怪盗フェイクをこれだけで閉じ込めようなんて考えが大甘である。多少時間はかかるが……
 ゴォー……
 ん? 何の音だ?
 ゴォー……
 変な音が周囲から聞こえてくる。風が感じられる…… 空気が抜けている?
 ……やはりそうだ。気圧が下がってきている。このままだと一分もしない内に部屋全体がほぼ真空状態にまでなるだろう。
 正直いって…… ちょっと疲れた…… こういうとき、ある意味自分の能力の高さが恨めしく思う。この状況と自分の能力、装備の全てを検討すると、確実に間に合わないことがわかってしまう。簡単にいえば、どんなに俺が努力したとしても助からない、ということだ。
 少し息苦しくなってきた。何か奇跡がおきることを期待するためにも、一秒でも長く生きる必要がある。座禅を組み集中する。呼吸のペースが落ちていく、それに伴って心拍数も減少する。これでもう少し保つはずだ。
 …………
 …………
 …………
 もう…… 限界だな……
 何も奇跡が起こらない。俺が助かる見込みは何もない。どうやらここが死に場所になりそうだ。完全に罠にはめられたらしい。残念だ…… 悔やむことが多すぎる。親父の借金も返しきれてないし……
 …………
 ジャニス…… 俺はあの少女を守りきれなかった…… 許してはくれないだろうが…… ああ…… もう…… 息が……
 すまん…… ジャ…… ニ…… ス……
 俺の意識はそれを最後に闇の中に沈んでいった。

 ……目が覚めた。はて…… 俺は何をしていたんだろう……? 何か病院のベッドのようなものの上で横になっているようだ。服装は変わっていない。いつものマントと……
 ん? 何がいつものなんだ?
 記憶が…… 記憶が混乱している。断片的な単語は思い出せるのだが、それらのつながりが完全に断ち切られている。
 こういう時はわかる状況だけ確認しておくべきだろう。
 俺が今いるのは病院の中のような殺風景な白で統一された部屋だ。ベッドとドアが一つだけあるなんとも寂しいところだ。体が多少軽く感じられる。ということは、ここはフェルミサスじゃないのか?
 だいたい俺はどうしてここにいるんだ?
 ……何か、何か重要な思い出さなければならないことがあるような気がするんだが…… それさえ思い出させれば俺が何をすべきかがわかるはずなのに……
 自分を見おろし服装を確認する。何かのヒントになるかも知れない。
 変なマントに…… 顔の半分位を隠すバイザー…… 俺は何をしていた人間なんだろう。しかし、これらの服装に違和感はまったく感じない。ということは俺はこれを普段からよく着ているわけだ。
 疑問は増えるばかり。自分の存在がこんなにあやふやなものとは思わなかった。確かに一般的な知識は失われていない。しかし、言葉の関連性、簡単にいえば「フェルミサス」という星の惑星の名前は思い出しても、そこで何をしていたかがつながらないのだ。自分の姿を見ても自分の名前につながらない。
 ……これだけ不安になるとは初めての経験だ。記憶喪失者はこんな気分なのだろう。
 唐突に部屋にあるドアが空気の抜けるような音と共に開いた。一人の男がドアから入ってくる。
 年のころは五十前後だろう。猫背ぎみなせいか実際よりも身長は低く見える。そうでなくとも俺よりはずっと小柄である。「貧相」という感じの顔に似合わない髭を生やしている。目つきも小狡賢そうな印象を与え、どっから見ても善人には見えない感じである。が、俺はこの顔をどこかで見たような覚えがある。
「お目覚めかね、ジーク君。」
 男が予想に反しないような耳障りな声で俺の名を呼んだ……らしい。
 ……そうか、俺の名前はジークだ。しかし…… この年で「君」づけは何となく嫌なものがある。あいつもあの娘も俺のことはいつも呼びすてだったからな…… 「あいつ」と「あの娘」って誰だ? 聞けば思い出せるのだろうが、自発的に思い出すことができない……
 俺はどうしてしまったのだ?
「どうしたかね、ジーク君。顔色が悪いようだが。」
 男の言葉に俺は無言で頭を振った。どうも気に入らない奴だが、俺の知り合いのような口のきき方をする。この男なら俺のことを教えてくれるだろうか? その疑問が口をついて出る。
「なああんた、俺は…… 俺はいったい誰なんだ?」
 俺のセリフに男は少し驚いた顔をする。その表情は多少ぎこちないものだったが。
「ふーむ。どうやら頭が少し混乱しているようだね。なにか強いショックでも受けたのかな?」
 俺が返事ができないでいると、それを知ってか知らずか半ば無視するように言葉を続ける。
「よろしい。君の今の状況を簡単に説明してあげよう。
 君が今いるのは私の屋敷の中だ。私はリューベック=マクラフォン。君は『リューベックさん』といつも呼んでたはずだ。」
 ……リューベック? 確かに聞き覚えのある名前だ。顔も見覚えがあるから間違いないだろう。
「……そして君は私の忠実な部下で、ボディガードや非合法な仕事をしてもらっている。覚えがあるだろう?」
 そう言われればそんな気もする。どこかに忍び込んだり、人を殴り倒したような記憶が断片的に思い出される。
 そうか。俺はそういう人間だったのか。
「で、今回君にはある施設の警護を頼んだのだが、侵入者の卑劣な罠にかかり命を落としかけたのだが…… まあ、何事もなくてよかったよ。君には全幅の信頼を寄せているからね。」
 なるほど。俺はリューベックさんに期待されているのか。そして俺は殺されかけたのか。なんとも手痛いミスをおかしたものだ。その侵入者とやらはどうなったんだ。
 そんな心の声を読んだのかリューベックさんはその侵入者について説明してくれた。
「侵入者は全部で三人。二人はGUPの捜査官を名乗ったが、おそらくどこかのスパイだろう。もう一人はまだ年若い女の子だが、なかなかに手ごわいハッカーで、君を罠にはめた張本人だ。
 ま、すでに別の部下が押さえたから危険はないが…… どうだい? 顔を見てみようとは思わないか?」
 ……うーむ。俺を罠にはめた奴には少々お礼をしてあげなきゃな。自分の顔に獣じみた笑みが浮かぶのがわかる。
「いいんですかリューベックさん? その場で斬り殺しちゃうかも知れませんよ。」
 自然に腰に下がっているレーザーソードのバトンに手が触れる。こいつの刃なら人間など瞬きする間に開きにできる。
 俺の笑みに恐怖を感じたのかリューベックさんは一瞬後ずさったが気を取り直すように口を開いた。
「か、構わんよ。どうせすぐに処刑するつもりだったからな。君が斬った方が早いかも知れないな。
 さあ、ついてきたまえ。こっちだ。」
 そう言ってドアから外に出た。俺もまだ少し起きがけで少し反応の鈍い体を引きずりつつリューベックさんの後を追った。
 外に出ると廊下だった。普通の屋敷の廊下の造りで、別段目立ったところはないように見える。が、俺の目、というかバイザーに仕込まれたセンサーはごまかすことができなかった。壁の内部から複数のエネルギー反応がある。と、いうことは何かしらの警備システムがあるのだろう。たいていは小型のレーザー砲台かなんかだろう。
 リューベックさんには二人護衛らしいのがついていた。手にレーザーライフルを構え、物々しい限りだ。ま、その気になればこの程度の奴らはいないも同然ではあるが。
 そんなことを考える必要はあるまい。とにかく、俺を罠にわめた連中とやらの顔を早く拝みたいものだ。
 俺が連れてこられたのは応接間を広くしたような感じの部屋だった。軍の基地を思わせるようなこれまた殺風景な飾りのほとんどない部屋で、その中にすでに先客三人の男女が後ろ手にされ、背後に一人づつ同様のライフルを構えた警備の奴らが彼らを見張っていた。
 その三人は一人の中年男、一人の若い男、そしてもう一人はそいつよりも更に若い女の子だった。その少女は美少女の部類にはいるだろう。栗色の髪と目、その瞳が驚愕の色を見せた。俺が生きていたのに驚いた、というところだろう。
「そいつらが何を言おうと耳を貸してはいかんぞ。またもや君を罠にはめるかも知れないからな。」
 そうだな、気をつけなければ。
「わかっております。リューベックさん。同じ過ちは二度もおかすほど馬鹿じゃないですからね。」
 また少女が驚きの顔を見せる。どうしたんだこいつは? 見かけもどう見ても犯罪者には見えない。ちょっとした疑問が俺の頭に浮かぶ。ほんとにこの娘が俺を殺そうとしたのか?
 すぐその考えを頭から払う。見かけに騙されてはいけない。常識じゃないか。
「やっちゃって構いませんね?」
 肉食獣の笑みをまたリューベックさんに向ける。それに軽く頷いて承諾の意を示す。それを確認するやいなやレーザーソードのバトンを抜き、少女との間合いを刹那でつめる。俺を丁寧にも罠にはめてくれた生意気な小娘に後悔する間も与えずにこの世とお別れしてもらおう。無造作に、しかも確実に少女の頭の上に死神の刃が振り下ろされた。

 脳天からまっぷたつ。少女の顔と髪が赤と白のまだらに染まり物言わぬ肉の塊に…… ならなかった。
 俺がレーザーソードを抜いた瞬間に少女が身をよじるように体を引いた。まるで俺の斬るときの癖を知っているかのような動きだった。無論、それだけでは今の必殺の刃を避けることはできない。
 もう一つの理由は…… 誰も止めたわけじゃないのだが、踏み込みの足が一瞬、床に張りついたかのように動かなくなったことだ。
 そのためレーザーの刃は少女の服を少し裂いたに過ぎなかった。切れた布地の下から少女の白い肌と胸を覆う下着がのぞく。それが見えた瞬間、俺は反射的に、しかも無意識の内に目をそらしていた。まるで見てはいけないものを見てしまったかのように。
「そ、そんな…… どうして? どうしてなの?」
 真っ青な顔をして少女が俺の方を見る。震える唇から言葉がもれた。なんか…… 頭が痛い。途切れた記憶の底に何かがある。
「……間違いない。こいつは…… ジークは…… 『悪魔の囁き』による暗示を受けている。嬢ちゃんにまで刃を向けたのがその証拠だ……」
 中年男が小さく呟いた。デビルウイスパー…… どこかで聞いた名前だ。その言葉を聞くと怒りのようなものが心の中からわいてくる。
「な、何をしているジーク君! 早くその三人を殺すんだ!」
 リューベックさんが何か喚いている。しかし俺は動けなかった。思い出せそうだ。もう少しで全てを……
「ロイドさん…… どうやったら暗示を解くことができるんですか?」
「いいかい嬢ちゃん。暗示、というのは飽くまでも解釈だ。薬で猜疑心を失わせた状態で何か物事を吹き込めばそれを信じ込む。それと記憶の混乱が重なったのが今のジークなわけだ。」
 小声で少女と中年男が話している。聞こえないようにやっているつもりだろうが敏感な俺の聴覚はすべて聞き取っていた。ジーク、というのは俺のことだ。俺が…… 薬のせいで暗示をかけられている? そんな馬鹿なことがあるか。こいつらの言葉など信用できるものか。リューベックさんもさっきそう言ったじゃないか。
「俺には無理だ。当然ザックにもだ。しかし…… 嬢ちゃんならジークの心を戻せるかも知れない。あいつの太刀筋が乱れたのもまだ戻る可能性があるということだ。何か、そう何か潜在意識に強く残っていることがあれば……」
「だ、黙らせろ!」
 リューベックさんが俺にではなく、三人の後ろにいる男達に命令する。ロイドと呼ばれた中年男の後ろの奴が銃床で思いきり殴りつけた。中年男はうめき声をあげると膝を折った。少女が小さく悲鳴をあげた。
 酷(むご)いことをしやがる。どう見ても手加減をした様子がない。しかも気絶しないように、痛めつけるように殴っている。俺なら絶対やらないことだ。
「ジーク、聞こえるわね。」
 少女が真剣な目で俺を見つめる。その瞳に吸い込まれそうな感覚を受ける。そして少女は少し目を伏せ、低く歌うような口調でしゃべり始めた。
「不死身の超人。
 正義と弱者の味方。
 電光石火。神出鬼没。疾風迅雷。
 宇宙をまたにかける古今無双の怪盗紳士。」
 少女の声が朗々と部屋の中に響く。その言葉一つ一つに聞き覚えどころか思い入れがある。キッと顔をあげ、さっきと打って変わって鋭い声で言い放った。
「思い出して! あなたは悪の手先に成り下がるような人じゃない! 薬ごときで心を失うような人じゃない!」
「黙らせろ!」
 リューベック……さんが絶叫のような声をあげる。少女の後ろの男がその命令に忠実に動く。力を込めた銃床が少女の背中を打ちすえた。それでも彼女は倒れなかった。声一つあげず苦痛に顔を歪めながらも言葉を止めない。俺の心の奥がズキンと痛んだ。
「目を覚まして! 自分を取り戻して! 自分の姿を見て! 今のあなたはジークじゃないわ! お願い! お願いよ…… 帰ってきて……」
 半分涙声になって懇願する少女。その目のふちにキラリと光るものがみえた。
 俺は…… 何をしているんだ……?
 少女の声をうるさく思ったのか、はたまた命令を果たしていないと感じたのか、少女の背後の男が再び銃床を振りあげた。今度はその細い首筋を狙っている。当たりどころが悪ければ…… 死ぬかもしれない。
 ヤメロ…… ヤメロ……
 心の奥底で俺でない俺の声が聞こえる。
 銃床が振り下ろされた。
 ヤメローッ!
 男の動きが止まった。いや、俺の手がライフルを持つ腕を掴んでいた。自然に手に力がこもる。俺の手の中で相手の骨が砕ける感触がする。長い苦痛の悲鳴が響きわたった。ドサリと男が倒れる。痛みで気絶したようだ。
 少女が……いや、ジャニスがこっちを振り返った。無造作にレーザーソードを振るい彼女を後ろ手にしていた手錠を切り裂く。硬い音を立てて手錠が落下した。
 その音が凍り付いていた時間を再び動かした。一瞬の出来事であった。俺自身、自分がいつ動いたのか覚えていないほどの。
 俺の次に正確な思考が戻ったのはジャニスだった。すぐに自分の服装を思い出し、切られた部分をかき合わせるようにして肌を隠した。それでも恥ずかしそうに顔を赤くする。
 芝居がかった動作で着ていたマントを外し、ジャニスの肩から掛けてやる。そして姫に忠義を誓う騎士のように彼女の前にひざまずいた。
「失礼を致しました、姫君。わたくしめの不徳のために御迷惑をおかけしました。どうかお許しを。」
 俺の(奴からみれば)突飛な行動にリューベックは口からつばを飛ばすような勢いでわめき出す。
「ジ、ジーク! 貴様、私に逆ら……」
 その叫び声が途中で止まる。そして空気の足りなくなった金魚のように口をパクパクさせる。俺のバイザー越しのひと睨みが奴の声帯を石に変えた。なかなか俺の視線も捨てたものじゃない。
 ゆっくりと、しかも隙を見せぬ動きで立ち上がる。気障ったらしい口調を意識しながら俺は口を開いた。
「誰だい? そのジークっていうのは。」
 ここで軽く肩をすくめる。
「もしも俺のことを言ってるのならそれは大きな間違いだ。
 普段はあまり悪党相手には名乗らないんだが…… 今日は楽しいことをしてくれた礼に教えてやろう。
 俺は…… 俺の名は……」
 部屋の中の緊張感が目に見えて高まる。いわゆる一触即発、というやつだ。
 そして俺はすべてを思い出していた。
 そう、俺は…… 俺は……
「怪盗…… フェイクだぁぁぁっ!」
 瞬間、俺は風になった。

 

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