− 第九章 −
風の流れを感じる。
当然と言えば当然だ。斬った部分から風が吹き込んで…… いや、外の方が気圧が低いから内側の空気が外へ吹き出していってる。
風は結構強い。ホントはさっさと安全地帯に逃げる予定だったけど、クレアちゃんが来ちゃったから行き損ねたのだ。
うん、確かに彼女が理由だったけど、原因じゃない。というか、原因にしたくない。
大体そんな原因がどうとか行ってる暇はない。今もあたし達を外に吸い出しそうとばかりに風が吹く。
クレアちゃんを片手で抱きかかえながら、もう片手で手すりにしがみつき風に耐える。
「ジェル! 早くしないとこの宇宙から美少女二人がいなくなっちゃうわよ!」
『状況の割には随分余裕ですな。』
返ってきた声にはわずかながら焦燥の響きが混じっていて、ちょっと安心というか、なんというか。
いや、分かってる。まだ知り合って間もないけど、ジェラード=ミルビットって奴は助けて欲しいときは絶対裏切らない。
『今ヒューイを向かわせてます。もう少し二人で頑張って下さい。』
と、通信機の奥で舌打ちの音が聞こえる。
おそらくは眼下で徐々に離れていく床なのだろう。周囲の装飾品が面白いように飛んでいく。
……あ、あれだよね。散々斬ってから言うのも何だけど、あたし弁償も何もしなくて良いんだよね? A級捜査補佐官で、強制捜査権発動しているんだよね?
ちょっとそこを飛んでいった絨毯も一枚一万クレジットは下らないんだけど……
いや、散々あたしの肝を冷やしてジェルがどうにか、ってパターンか?
『ホントに余裕がありますねぇ。』
……ゴメン。今現実逃避したくなるくらい余裕無いです。
風は強くて吸い込まれそうだし、クレアちゃんを支えて…… いや、クレアちゃんは磁力靴で押さえているからまだ大丈夫か。それこそあたしが半分しがみついてるような形だ。
空気はまだある。
それに外は真空というわけじゃないから窒息する訳じゃないけど、そろそろ息苦しくなってくるかもしれない。
……って、やばっ。
なんか「下」で黒いのが必死に絨毯に爪立ててる。
しまった。スコッチいるの忘れてた……
うん。分かってる。こんな状況で猫一匹助けるために危険なことするのはバカだよね。
うん、たぶんバカだ。
でも、見捨てられないじゃない!
これがジェルやヒューイたちならスマートに助けられるんだろうけど……
うん、でもいい。あたしはやれることをやる。出来ることしか出来ないわけだし。
「しっかり靴に掴まっているのよ。」
クレアちゃんに言ってから、風に飛ばされそうになりながらもスコッチの元に向かう。「下」が少しずつ離れていって、行くのにも階段を飛び降りなきゃならない。床がフカフカの絨毯だかまぁ大丈夫だけど。
このままだと「上」に戻れないかもしれないかも。まぁどうにかなる、というかする、というかしなきゃならないし。
風の影響を受けづらくするように身を屈めながら小走りで向かう。意外ながら、この無駄に重い白衣が密かに体の支えになったり。
「よし。」
どうにか黒猫を抱え上げる。賢い猫だからジタバタ暴れないのがありがたい。
「クレアちゃん!」
「おねえちゃん!」
「受け取って!」
あたしの言ったことに身の危険を感じたスコッチが身をすくめる。うん、分かっているようだ。
クレアちゃんがこっちを見ているのを確認してから思いっきり黒猫を放り投げる。こんな状況には不釣り合いなほどピューとマンガみたいに飛んでいくスコッチ。
思いっきり投げたけど、どっかの大男と違って、あたしの力じゃあ天井にぶつかる程じゃない。まぁそれ以前に天井はどんどん遠くなっていってるんだけど。
風にあおられながらも放物線を描いて黒い毛の塊が上のフロアに着地する。一気に跳んでクレアちゃんの元に辿り着く。
「ネコちゃん……」
「スコッチのことお願い!」
風で声が届きづらい。
「お姉ちゃんは別の所から戻るから、クレアちゃんはさっきのお兄ちゃんをそこで待ってて!」
どっちでも良いからとにかく走る。クレアちゃんの見えないところまで行かないとあの子は心配するに違いない。
「ジェル! 早くクレアちゃんとスコッチを保護して!」
『ちょっと待った。今何処にいる!』
「知らないわよ! もう上に戻れないみたいだし。どうしたらいい?!」
隙間が開いて外が見える。自重で崩れた床があちこちで崩壊を始める。
そろそろ空気の流れも緩やかになっている。とはいえ、風に巻き込まれて色々な物が飛ばされていく。
多少当たっているのだけど、頭にさえ気を付けていれば特殊防弾白衣のおかげで痛くも痒くもない。……無駄な機能だ、って言うのはちょっと訂正する。いや、結構助けられたんだけどね。
『どうしたら……って。
……おっと、良いニュースだ。ヒューイが女の子とスコッチを確保したらしい。』
よかった……
「……っと!」
床が傾いてきた。
『とにかく走れ! そのフロアは縦横に広いから自重で崩壊するんだ。とにかくそこをすぐに離れろ。』
「離れろ、って……」
『時間がない! 早く!』
心底真剣な声に足を早める。傾いた方に向きを変え走る。今のジェルの口調は本気で切羽詰まっている。
よし。
「ジェル! 真下にいないわね?」
『……何?』
「ウィかノンか聞いてるの!」
『いや、それは大丈夫だ。』
「分かった。すぐ脱出するから、ちゃんと拾ってよ。」
『善処しましょ。』
「善処じゃない! パーフェクト! 100%! 完璧じゃないと呪うわよ!」
言うだけ言って、バリアブレードで「床」を十字に斬る。あたしの記憶が確かならここから下はそんなに厚くないし、しかも落ちている最中だから重力の影響は少ないはず。
斬ったところから床が崩れていく。
空いた隙間から下へ下へと飛び降りていく。思った通り身体が軽い。一番下が見えた。もう空である。
……うん、やっぱり怖い。
ここに今から飛び降りるんだよ? 怖くないわけないじゃない!
でもこのまま黙っていたら、大きな破片が地上に落ちちゃうし、そうなったらあたしもタダじゃすまない。
というか、ミサイルで思いっきり壊してたよね。たぶんあたしがここに残ってるから、だよね? というか、撃たれてたら今頃木っ端微塵じゃん。
すーはー。すーはー。
とりあえず深呼吸。
床も足を踏ん張ってないと辛いくらいに傾いている。
『早く!』
うひゃぁ!
いきなり声をかけられて思わず足が滑る。
こうなったら…… 行っちゃうしかない!
踏み止まる足を隙間に向けて進める。もうこうなったら勢いだ。とりゃ、って思いっきりジャンプ。
足下には何もない。マンガじゃないから気付くまで落ちないってことは無く、アッという間にさっきまで床だったところが遙か上へ。というか、あたしが下へ下へと……
そうだ!
「ジェル! もう外出たからミサイル撃って!」
『なんだって!』
「いいから早く! その為に急かしたんでしょ?!」
『…………』
「あたし一人のために愉快な気遣いするな!」
嘆息か納得か。どっちか分からないけど、少し間が開くと、ちょっと抑えた口調で返ってきた。
『こんなことに巻き込んだのも私が止めなかったせいです。何かあったら責任をとりましょう。』
「……責任?」
ガラにも無くどきりと心臓が跳ねた。だって男が女に「責任」だよ? 相手があの変態科学者だって…… だってジェルよ? ジェル……なのよ。
なんて考えてたら、通信機の向こうでニヤリと笑ったような雰囲気がした。
『献花ははずみます。』
「……無事戻れたら一発殴らせて♪」
『やなこった。』
でも分かっている。ふざけたことを言いながらもその中には強い意志が感じられる。だから…… 信用するわよ。
自分にはややオーバーサイズの白衣を頭からかぶり、足を曲げてすっぽりくるまれる。
いつもあんだけ自慢げに言っているんだ。至近距離のミサイルの爆発にも耐えてよ。なんて思った瞬間、ものすごい轟音が鳴り響いてあたしの意識は途切れてしまった。
耳塞ぐの忘れてたなぁ……意識を失っていたのはどれくらいだったのだろう?
気がついたときは相も変わらず落下中だった。これで誰かの腕の中、だったら笑えるのか笑えないのか。
耳元で風が轟々鳴っているがちょっとやかましいかも。
「ジェル!」
…………
あれ?
「ちょっとジェル!」
通信機に呼びかけながら耳に手を……
あれ?!
「……ジェル!」
呼びかけても無駄と分かりつつも思わず声が出る。
無い。無いのよ! 通信機が! きっとさっきの爆発のショックで落としたんだろう。
「…………」
あ、ダメだ。急に涙出そうになってきた。さっきまではどんな時でもアイツが近くにいる感じがした。だから無茶も出来たのに。
うわ、凄い悔しい。
なんでこんなにもジェルに頼っているんだろ、あたし……
「……!」
ホントに一人だ。
上も下も右も左も、何にもない空だ。墜ちていることすら忘れそうになる。
いつ地上に着くんだろ。
痛いのは嫌だな……
あ、変なこと思いだちゃった。あたしのもういない親友のこと。あの娘もビルの屋上から……
ダメ! そんなのダメ!
あの娘だって最後まで諦めなかった。自分の命を賭けて、あたしにメッセージを残したんだ。それなのにあたしがアッサリ諦めてどうするのよ!
でもどうする? 今何ができる?
通信機はないし、白衣の中に何か入ってるかどうかは分からない。スタンブレードはあるけど、これで何か出来るか?
スタンブレードのサンダーストライクで電撃を出して、こちらの位置を知らせるとか…… まだ会ったことないけど、凄いAIを搭載した凄いマシンがいるんだよね? リーナちゃんも前に戦闘機がいる、って言ってたし。
……あれ? なんだろ。
空の上の方で何か光ってる。それとなんか爆発音?
見つけた。雲間に小さく見えるあれが「さざなみの貴婦人号」だろう。その周りに何か更に小さい物が……?
とりあえず位置は大雑把に分かった。ただ気になるのはなんで周囲で光ったり爆発しているんだ? もしかして攻撃を受けているの?!
どうするどうするどうする?
考えている内にもあたしの身体は墜ちていく。地上まではあとどれくらい?
どうしようどうしようどうしよう?
と、ふとあたしの目の前に光が見えた。
これは…… ペンダントヘッド? いつの間にかに白衣の内側から出てしまったのだろう。
そういえば言っていたっけ。
『いいですか? 何かピンチに陥ったならそのクリスタルを握りしめ、心の中で助けを呼ぶんです。』
『呼ぶと……?』
『いいことがあるそうです。』
……いいこと、か。
(うん、信じるよ。だから…… お願いジェル、あたしを助けて!)
ペンダントヘッドのクリスタルを握りしめ、あたしは必死に祈った。――another view
〈博士〜 あたしは出ちゃダメなの?〉
「お前さんにはもっと大事な仕事がある。」
シルバーグリフォン艦内。ラシェルがパージを始めた頃から小型戦闘機がちょっかいをかけてきていた。
艦載機の一つ、戦闘機のサンダーロックをすでに発進させているが、姉妹機である攻撃機ファイヤーロックが不満を述べていた。
〈でもさ〜 ……あ。〉
ジェラードがわき目もふらずにカメラを操作しているのを見て、ファイヤーは黙り込む。
〈……ダメです。サーチしきれません。〉
「やかましい。」
同じように「何か」を探しているこの艦の制御コンピュータのグリフォンが否定的な報告をするが、ジェラードはそれを一蹴する。
見かけはいつもの不機嫌そうな顔だが見る人――それこそラシェルあたりが見れば不機嫌この上なく、それ以上に焦っているのが分かるだろう。
「あれにさえ気付いてくれれば……
……くそっ!」
ガツン、とコンソールを殴りつける。それでもまだ冷静なのか、ボタン類の無いところに拳を振り下ろしている。
〈…………〉
〈…………〉
そんなジェラードの様子に声をかけられないグリフォンとファイヤー。
と、
ピー。ピー。
不意に電子音が聞こえてきた。
グリフォンは自分の機器を確認するが、自分から発せられた物ではない。
「!」
ハッとしたように自分の腕にはめられたコンピュータに目を落とすジェラード。
「ファイヤー、緊急発進だ!」
〈ラジャー!〉
シートから素早く立ち上がるとジェラードは格納庫に向かって走っていった。
――another view end墜ちる。
墜ちる。
墜ちる。
もうどれだけ墜ちたのか分からない。今聞こえるのは風の音だけ。見えるのは空の青だけ。
きれいだな……
あたし、ここでおしまいなの?
そういう諦めの考えが頭をよぎるが、それでも手は跡がつくくらいにクリスタルを握りしめている。
……イヤだ。ホントに涙出てきた。
溢れた雫も遥か空の向こうに…… あれ? なんか空に違和感が……?
(……ラシェル!)
え? ええ?! なんか空耳?
(ラシェル! 何やってるスカポンタン!)「誰がよ!」
うん、確かに聞こえる。
(頭を下にするな。身体を伸ばして、手足を広げろ。落下速度を少しでも抑えるんだ!)
え〜と……?
どーにか空中でバタバタして、言われたように身体を伸ばす。確かに心なし落下速度が落ちたような気がした。
そしてあたしの目の前を白い物が落下していって、そして白衣を翻してふわっと浮かび上がってきた。
「Danseriez-vous avec moi?(私と踊っていたけませんか?)」
白衣をまとったあの変態科学者がニコリともせずにあたしの手を取る。そのままグッ、と引き寄せ腕の中に。
「バカ……」
ホントにバカ。
こんな時までバカなこと言うなんて……
馬鹿馬鹿しくて、とっても馬鹿馬鹿しくて……
涙出てくるじゃない。「まぁ、何にせよ良かったです。」
ほんの十秒ほど――何をしていたかは聞かないで――して、ジェルがのほほんと言う。
「どこがよ! 二人揃って墜ちてるでしょ!」
「見事な観察眼です。」
「殴るわよ。」
……あ、悔しいけど普段の調子に戻ってる。
「私が何も考えずに墜ちているとお思いですか?」
「うん。」
「…………」
あの顔は「え〜と、なんて言い返そうかな?」って考えてる顔だな。知るか。
「ファイヤーロック!」
面倒くさくなったのか、腕のコンピュータに向かってジェラードが声をかけると、何か空気を斬る音が聞こえてきた。
赤い…… 何?
瞬く間に空に見えた赤い点が大きな翼を広げた戦闘機になった。
〈はいは〜い、おっ待たせ〜!〉
と、その赤い戦闘機が言った。
え〜と…… そのなんだ。慣れたつもりだったけど、爺さんの次は女の子ですか? まぁいいけど。
〈ほら、早く乗って下さいよ。もう地上までそうも間もないですよ。〉
「分かってる。
……ワイヤーフック!」
ジェルが左腕をあたし達と一緒に落下している深紅の戦闘機に向かって左腕を伸ばすと、腕のコンピュータからワイヤーが発射させる。……なんでもありだな、コイツ。
そして戦闘機――え〜とファイヤーロックだったっけ?――からも細いアームが伸びてワイヤーに絡みつく。
「よし、そのままだ。」
あたしを右手で抱きかかえながら、ワイヤーを巻き取って少しずつ近づく。
複座式で前後に座席があるのだが、その後席に向かっているようだ。キャノピーがスライドして開くと、そこにあたしを放り込もうとして……
〈あ、博士。前に移ってる暇無いですよ。〉
「は?」
〈いや、ですからもう引き起こししないとやばいんですけど♪〉
どこか嬉しそうなファイヤー。
「謀ったな……」
不機嫌そうな――そしてどことなく恥ずかしいのを隠している?――顔で更にワイヤーを巻き取って二人揃って後部座席へ。
「ちょっと我慢して下さい。」
ぶっきらぼうにあたしの身体を半回転させるとそのまま座席に身体を…… って、ジェルが下だからあたしはジェルの膝の上に乗る格好に。
「ちょっとっ?!」
「…………」
シートベルト代わり、って訳じゃないがジェルの腕があたしをしっかりと抱きしめる。足を踏ん張って衝撃に耐えるような感じだ。
キャノピーが閉まって風が止む。
〈ホントに高度がないんで一気に引き起こします。ちょ〜っと頑張って下さいね。〉
このファイヤーロックって戦闘機、こんな状況じゃなかったら気が合うかも。
なんて思ったら、すぐ前がもう海だった。
うえ?!
悲鳴を上げる間もなく、ぐいーっと目の前の風景が上に流れて……
「ぐえ、」
美少女らしからぬ声が出る。いわゆるGって奴があたしをシートに押し付ける。
「ぐっ……」
あたしの耳元で苦しそうな声を押し殺しているのが聞こえた。
「ジェル……」
「……女性に体重を聞くのは失礼ですな。」
「お、重くないわよ!」
〈もう少し……!〉
こんなとき自動操縦は助かる。
どこぞのブルースブラザーズのようにこんな中でも操縦するような気力も体力もない。ジェルに出来るだけ負担がかからないようにと出来るだけ足を踏ん張る。そりゃ無駄かも知れないけどさ……
〈よし、抜けた!〉
不意にGが消えた。いつの間にかに目の前の青が海から空に変わっている。まだGは残っているが、それは急上昇をかけているからだろう。
ちょっと開き直ってしまえば下の“クッション”はあたしをしっかり支えてくれて、感触は悪くない。うむ、ご苦労。
「あんまり安穏としていると、レディには禁句なことを耳元で囁き続けますよ。」
……うっさいわねぇ。
可愛い女の子と密着してるよの。ここは喜ぶところじゃない。……こっちだって結構恥ずかしいんだから。
「それより、これからどうすんの?」
「そりゃぁ……」
あたしの身体を抱きしめていた腕をほどくと、右手首に引っかけたままのストラップ――スタンブレードを外す。
「誰かさんが途中までやった仕事を最後にかっさらって、良いところ一人取りです。
……ファイヤー、一度戻るぞ。」
〈りょーかい!〉
ステキな事を言い放った変態科学者の指示に、深紅の戦闘機は眼前の銀の宇宙戦艦へと飲み込まれていった。「まず最初にすべきことは……」
「するべきことは?」
シルバーグリフォンの格納庫。ファイヤーから降りたあたしにジェルが視線を向ける。
「靴。」
「あ……」
そういやぁ、磁力靴を脱いでからは絨毯の上や空の上だったんであんまり不便は感じてなかった。今は金属製の格納庫の床が結構冷たいし硬い。
「ガラスの靴は用意できませんので、自室に戻って取りに行って下さい。」
「は〜い。」
あんまり時間がないだろうから、与えられた部屋に走り、急いで靴を履く。あ、待て。ついでだ。色々活劇してあっちこっちがほつれたドレスも着替えよう。
え〜と、この無駄に重たい白衣はどうするかな? これはジェルの特殊防弾白衣で替えがないはずだけど…… さっき着てたのは予備の白衣か? あいつは白衣以外に着る物は無いのか……
そんなことをぶつぶつ考えながら普段着になって格納庫に戻ると、やはりというか待ちくたびれたようなジェルが立っていた。
「あんまり時間が無いんですけどね。まぁ、いいです。さっさと甲板に出て最後の仕上げをしてしまいましょう。」
くるりと背中を向けると、スタスタ歩いていく。一応、のつもりで持ってきた白衣を持ったまま慌てて後を追う。
おそらくはホーネット用のせり上がりに乗って甲板へ。グリフォンの背中(?)に出るとでっかい戦車が待っていた。
〈よぉ、姐さんに博士。待っていたぜ!〉
しかもその戦車にはこれまたでっかいアームが生えていた。それだけ見れば重機かな? とも思うんだけど、ぶっとい大砲はついてるは、どう見ても戦闘用だろ? って格好してるし…… しかも喋る。
〈ってぇ、忘れてやしたぜ。俺は生まれも育ちも博士のお膝元の研究所。名は強襲突撃装甲車のランドタイガーって発しやす。ラシェルの姐さん、よろしゅうたのんます。〉
……いや、そんなでっかいアームで握手を求められても。
「とりあえず仕事だ。さっさとコンパクトにするぞ。
それとラシェル。危ないかも知れないからその白衣はちゃんと着ておけ。」
「うん。」
あたしの返事を聞いてるのか聞いてないのか、耳元に手をあてると、
「グリフォン! 次はどこだ!」
なんて通信をしている。あ、そっか。あたしは通信機無くしたし。
返事が来たのか、キッと上を見上げると…… うわ。
最初の優美な曲線はすでに失われた「さざなみの貴婦人号」が結構間近に見える。ジェルが見えない刃を構え、ジェルにだけ見える線に向かって振りかぶった。
おおっ、と驚く間もなく、その右側が切り取られたように――いや実際そうなんだけど――離れていく。
〈ちょっと耳塞いでな! どりゃぁっ!!〉
怒号一発。タイガーの大砲が唸りを上げると、砲弾がパージされた部分を弾き飛ばした。直後、グリフォンから放たれたミサイルが粉々になるまで粉砕する。
「グリフォンの火力は大きいから小回りが効かないしな。それに……」
〈おおっとぉっ!!〉
運悪く壊し損ねた破片がこっちに向かって飛んでくる。が、予想以上のスピードでキャタピラを鳴り響かせながらタイガーが着地予想点に回り込み、その豪腕で破片を殴り飛ばした。
「戦うことに関して、タイガーとカイルの右に出る者はいないからな。」
〈照れるぜ。〉
なんて言いながらもジェルのバリアブレードとタイガーの砲撃の手は休まらない。無論、グリフォンのミサイルもだ。あたしは黙って見ているだけ…… こうしていれば分かる。みんなプロなんだな、って。ヒューイもカイルも、そしてリーナちゃんも。
あたしは…… あたしには何が出来るの?
そんなことを考えている間にもう船とは呼べない程度のブロックになっている「さざなみの貴婦人号」。
「よし、」
ボーっと見ていたあたしの手を掴むと、機首の方に向かって引っ張っていく。
「グリフォン、しっかり受け止めろよ。」
《ラジャー!
と、おそらくラシェルさんに聞こえて無かったでしょうからこちらで返事します。》
ジェルの腕からグリフォンの声が聞こえてくる。
すっかり形を失った元豪華客船と一緒に落ちていたグリフォンが逆噴射をしたのだろうか? 床に僅かに押し付けられるような感覚と共に、巨大な金属の塊が近づいてくる。
微調整の為か、それと比べると全然小さいはずのタイガーがアームを構えて着地点で待っている。
あたし…… やっぱり何も出来ていない。GUPのA級捜査補佐官なんて大層な肩書きをもらって、勇んで頑張ってみたけど結局ジェルに助けられて、後は黙ってみてるだけ。
掴まれた手を無意識に振り解く。
「おっと、これは失礼。レディの手に不躾に触れてしまいましたな。」
そんな気はカケラも無いような表情で言う。
「何くだらないこと考えているか知りませんが、ラシェルは誰も助けられなかったんですか?」
全てを見透かしたような目であたしを見つめる。あたしが何も答えられないのを見て、ジェルがあからさまなため息をついた。
「何がしたいのか知りませんが、誰かが出来るようなことまでラシェルには求めてません。それじゃあ不満ですか?」
「…………」
「お金払っても出来ないような体験が出来たわけです。少しは楽しみましょう。」
ラシェルは幸運ですよ、とどこまで本気か分からない口調のジェル。でも励ましてくれているのかな?
うん、そうだ。楽しむ、ってわけにはいかないけど、出来ることを出来るだけやってみよう。
「グリフォンからワイヤーを撃って、固定します。後は背中に乗せて、鬱陶しいのを叩き落としながら戻ればお終いです。
ふんふん、と聞いているとあちこちが開いて続けざまに太いワイヤーが発射され、次々と元「さざなみの貴婦人号」に突き刺さる。
しっかり刺さったワイヤーが引っ張られると、ジワジワ引き寄せられていく。
「……さて、もうすることも無いし、中に戻りましょう。向こうの人たちもこっちには来られませんし。」
相変わらずあたしを無視しているかのようにスタスタと歩いていくジェル。
「あ、一つ聞いていい?」
「なんですか?」
「あたし…… 何もしてなかったけど、なんでここまで連れてきたの?」
あたしの問いに「何言ってるんですか」みたいな顔をするジェル。
「艦内に置いて行ったら無理してでも勝手に来たでしょうが。」
あー納得。