− Start form Zero −
我が名はレイファルス
我が司るは冬
大地に霜を、湖には氷を
山には雪をもたらす者
我が求めるは知恵
破壊より停止、争いより平和を好む
我は冷酷なる哲学者
我は冷気を操り、氷を生み出す者
そして氷の精霊を従えし者
大地に縛られし者は我をこう呼ぶ
気高き氷の魔狼、フェンリルと
未だ神の力、滅び去った古代王国の魔法が残っている大地。剣と魔法が支配する世界。それがフォーセリアである。その中心を占める巨大な大陸・アレクラスト大陸では冒険者と呼ばれる者たちが名誉や富を求め、あるいは自らの腕を試すために今日もまた危険にむけて旅立つのであった。
「賢者の国」
そう呼ばれる国がある。アレクラスト大陸でも最大の規模を誇る王国であり、その名をオランと言う。その首都である王都オランには大陸中の魔術師の加盟している魔術師ギルドの本部「賢者の学院」があり、多くの賢者がいる街として知られていた。賢者以外にもオランの北東にある「墜ちた都市」を始めとするたくさんの古代遺跡の魅力にとりつかれた冒険者たちが夢を求めてこの街を出入りするのであった。
それはさておき。
私は今、そのオランの街をでて、西方に向け旅をしている。
現在の御主人様(マスター)が西部諸国(テン・チルドレン)の方に行きたいと言い出したので私もそれについていくこととなったのだ。(とは言え、私は御主人様に背負われている身分なのだからついて行かざろう得ないわけだ。)
え? 状況がよくわからないだと? 確かに、これはもう少し詳しく説明する必要がありそうだな……
まず、私の名前はレイファルスという。実は私は精霊使い(シャーマン)には氷の上位精霊フェンリルと呼ばれている存在なのである。しかしある時、よく分からないうちに私は一本の大剣に封じ込まれたのだ。それから私は強力な氷の魔剣として様々な人の手にわたり今の御主人様のところで落ち着いているわけである。
私の刀身は魔法の銀(ミスリル)でできており、淡いブルーの光沢を放っている。握り手は少し前までは粗末な木を簡単に削ったような物だったが、今は御主人様がオランで注文した細工入りの結構凝った代物にかわっている。まあ、御主人様の手では前の柄は握りづらかったのだろう…… 鞘は特別な品で、私が常時発している冷気から持ち主を守る役割がある。しかし、こんな鞘があろうとも私が少し冷気を抑えてないと御主人様が凍り付いてしまう。私もこれでも気を使っているのだ。
今の御主人様といつどのように知り合ったかは別な機会に話すとして、御主人様と旅の同行者について……
「ちょっと、レイファルス! 何回言えば分かるのよ。あたしのこと御主人様って呼ぶなって言ってるでしょう。」
私に向かってまだ年端もいかない少女の声がたたきつけられる。
「別にあんたと主従関係をつくって、偉そうに命令したいんじゃないんだから。いいじゃない、旅の仲間同士で。」
わかったよ、ミル。
「そう、わかればいいの、わかれば。」
今の会話を聞いての通り、この少女が今の私の御主…… いや、持ち主なのだ。
彼女の名前はミル。本当はもっと長いのだが本人がこれで呼べ、といっているので取りあえずこれで通っている。
彼女が言わないので正確には分からないが年の頃は五十くらいだろう。セミロングのプラチナブロンドとマリンブルーの瞳がきれいな少女だということだ。私の感覚ではよく分からないがミルはどうやら単なる子供のようにしか見えないという…… 勘のいい人なら気づいたろうがミルは長寿で有名なあのエルフの娘である。
「なんか言ったあ?」
いや、別に。
「さっきからブツブツと呟いているようですけどどうかしたのですか?」
一人の小妖精(ピクシー)が私のつかのまわりで輪を描いてヒラヒラと飛んでいる。ミルの指先からひじほどの背丈の妖精族で名前をシャランという。彼女はミルの話だとある事件で知り合ってそれ以来一緒にいるそうだ。シャランも精霊使いでそれといくつかの魔術師(ソーサラー)の呪文も使えるという。まあ、そんな二人が普通の人の目にも見える同行者である。
〈ねえ、わたしは?〉
〈そうだよ、オイラもいるじゃないか。〉
ああ、わかったわかった。わかったから静かにしろ。あと二人ほどいるのだが、一人は
風の精霊(シルフ)でセラ、もう一人が大地の精霊(ノーム)のウィルである。それぞれミルとシャランが連れて歩いている精霊である。
こいつらもいるから私も常時、自分の精霊力を抑えていなければならないのだが…… 慣れというもので最近は抑えていてもさほど辛くはなくなってきた。……もしかして精霊力が衰えてきたんじゃあないだろうなあ……まあ、そんなこんなで我々は旅をしている。このオランの街から西部諸国の方にのびている「自由人たちの街道」という道をもくもくと進んでいるのだが、何でまたこんな長い道のりを歩いていかなければならないのだ? まあ、別に私が歩いて疲れるわけではないのだから構わないが……
「あー、疲れたなあ。」
ほーら、いわんこっちゃない。
「うるさいわねえ。いいでしょ、別に。」
しかし、ミルのペースだとどう見ても今日中に次の宿場町にはたどり着けないぞ。ほら、地平線まで何一つ建物らしいものが見えない。
「そしてら今夜も野宿かあ……」
「三日に二日は野宿ですねえ。」
フーッ。
こらこら、二人してため息ついてどうする。
「でもねえ……」
でもねえ、と言われてもな。確かに野宿は疲れるらしいが…… だから私が最初から素直に乗合馬車にでも乗っていけばと言ったではないか。
そんなふうに休憩をしていると、また日がどんどん傾いてくる。どうでもいいが三日に二日は野宿っていうことは、もしかして普通の人の三倍の時間がかかっているのではないのか?
「言わないでよ、気にしてるんだから。」
自覚があるとはいいことだ。
……おや? 遠くから蹄のような音が…… 気のせいかな? ためしに感覚──私には目や耳があるわけではない。だから私はまわりの物を感覚的に捉えているだけなのだ。──をその音の方向に向けてみる。
やっぱり、あれは何らかの馬車のようだ。激しい土ぼこりが見える。
おーい、ミル。向こうから馬車がきているようだぞ。
「え? 馬車?」
ミルが立ち上がって自分達がやって来た方に目をやる。土ぼこりをあげて二頭だての幌つき馬車が向かってきているのが見える。
どうやら向こうもこっちのことを見つけたらしい。御者台の上の男が手綱を操ると馬車はスピードを緩めて我々の前に止まる。
「よう、嬢ちゃん。乗ってかないかい?」
御者らしい温厚そうな年老いた男がそうミルに呼びかけた。その幌馬車には薄汚れた板金鎧を着込んだいかにも戦士ふうの男が二人付き添っているのが見えた。おそらく護衛かなんかなのだろう。
さて、どうしようかねえ。
と言うような私の呟きが聞こえたかどうかは知らないが、はーい、と子供みたいな返事をするとミルはさっさとそのじいさんの隣の御者台に乗り込んだ。シャランもヒラヒラと飛んで二頭いる馬の片方の背にチョコンと座った。
「おうおう、爺さん。そんな得体の知れないガキ乗っけてどうするんだ?」
戦士ふうの片方がツカツカとこっちに近づいてきて迷惑そうな視線をミルと爺さんに向ける。
いいか、ミル。ここは黙ってた方がいいぞ。
〈わかってるわよ。下手な面倒は起こしたくないもんね。〉
ミルは小声の精霊語(サイレントスピリット)でそうささやいた。精霊語は基本的に精霊使いや精霊、またそれに近い生物にしか理解できないから我々の間での内緒話にはちょうどいい。
「若えの、大丈夫だって。この嬢ちゃんは儂がみててやるからの。」
「そうかあ? まあ、なんかあったら爺さんの責任だからな。」
そう言い捨てるとその男はこれみよがしに腰の剣を見せると……なんかあったら、と言わんばかりにだ……また馬車のわきにへと戻って行った。
なんかむかつく奴だなあ。
〈だめよ、レイファルス。あんたの方が面倒起こしてどうするの。〉
〈そうそう、あなたの力は強すぎるのだから。気をつけて下さいね。〉
ミルとシャランにたしなめられてしまった。とほほ、私としたことが……
〈ほほお、そちらの剣の方はレイファルス、と言うのか。〉
げ、この爺さん、精霊語が解るのか?
〈まあな、儂も昔、冒険者と呼ばれておってな。ちょいとばかり精霊とかを操っておったわ。〉
しかし、精霊語が解るなら私の姿も見えるはずだ。私の姿は精霊使いにはイメージ的に大きな青白い狼に見える。そして精霊使いならば私の強さも多少なりとも知っているはずだが……
爺さん怖くないのか?
〈こんな年になっちまうとな、怖いもんなんぞほとんど無くなってしまうんでな。それにあんな澄んだ目をした嬢ちゃんがあんたを悪いことに使おうなんて思わんじゃろうが。〉
なにも考えていないだけのような気がするが…… とりあえずミル、褒められてるぞ……って寝てるのか…… おやまあシャランも一緒になって…… ま、ゆっくり寝てるがいいさ。
またしばらく馬車は走る。夕日の最後の一筋の光が消える頃に街道沿いの宿場についた。その間ミルはずっと寝っぱなしであった。寝る子は育つというが……ほんとによく寝る娘だ。そろそろ起きろよ。
〈まあ、よいではないか。ここ数日、歩いてばっかりなのだろ?〉
そうですがね……
馬車が止まると護衛の戦士二人がほろの中に声をかける。すると、中から体積の半分以上が脂肪かと思われるような男がそのたっぷりの脂肪を揺らしながら降りてきた。一見、商人風。多分、私の見立ては間違っていないだろう。
〈そうじゃ、馬車で荷をエレミアまで運んで欲しいと依頼してきたのはあの男だ。〉
太った商人というと、温厚で実直そうな商人となんか裏で悪事を働いているような脂ぎった金に汚い商人の二種類を想像するが…… どう見てもこりゃあ後者の奴だろうなあ。つれてる護衛もあまり質が良さそうじゃないし…… 他人のことは言えないかな……?
その太った商人はその二人の戦士を連れて宿屋へと入っていく。その後を追うようにほろの中から二人の男がでてきた。一人はローブを着て手に長い杖を持っている。どう見てもこいつは魔術師だな。もう一人は黒ずんだ皮鎧を着て腰に小剣をさしている。眼つきが鋭いからおそらく盗賊だろう。
この二人も続いて中に入っていく。さて、爺さんも入らないのか?
〈儂らは荷の見張りをかねて馬車の中で夜を明かすんじゃよ。〉
それって護衛の奴がやる仕事じゃないのか?……え? 儂ら?
私の疑問に答えずに爺さんは御者台を降りると後ろにまわって幌をのぞき込む。
また中から一人飛び出してきた。結構人が乗ってたんだな。
「あ、おじさん。着いたの?」
「まあな。」
その出てきたのは人間の…… ん? 人間にしては少々華奢だな、それに耳がわずかにとがっている。ははあ、どうやらハーフエルフだな。
「あれ、御者台に誰かいるの?」
そのハーフエルフの娘はいかにも寝心地の悪そうな御者台で安らかな寝息を立てているミルに気づいたようだ。
「ああ、そうじゃ。かわいいお客さんじゃよ。……ち、ちょっと待った!」
「え?」
その少女は爺さんの制止の声に引きとめられずに私の方に近づいてきた。あ、もしかして……
「キャアァァァァ!」
ああ、やっぱり……
「な、なによ。これ。」
私を指さしてペタンと腰が抜けたかのように座り込んでしまった。見る間に彼女の心の中に混乱と恐怖を司る精霊がわきあがってくる。この娘、精霊使いか…… そう言われてみれば彼女のまわりに風の精霊が一人支配されている。ちょっと見れば気づくことだな。
「フェ、フェンリルよぉぉ! 助けてぇ、殺されるぅぅぅ! 氷漬けにされるぅぅぅ!」
誰がそんなことをするか。最近はずっと、自分の力をほとんど使っていないのだぞ。
まあ、どうでもいいがうるさい娘だ。酒場にいる人たちが何事かと窓から様子を見ている。
爺さん、この娘をなんとかしてくれないか?
「わかっとるわい…… なあ、エレナ。少し落ち着いて儂の話を聞いてくれんか?」
「いやぁぁぁ! 助けてぇぇぇ!」
見てて飽きないかもな……
「これっ、エレナ!」
「氷漬けなんてやだぁぁぁ! まだ死にたくないぃぃぃ!」
あのなあ……
「だからのお、少しは儂の……」
「ひいぃぃぃ!」
プチッ。
やかましいっ!
……はっ、私としたことが。つい怒鳴るなんて低俗な行為を…… 今の声でシャランの目が覚めたらしい、キョロキョロと辺りを見回してからこっちに説明を求めるような視線を向けている。とは言え、呆然と恐怖が入り交じった表情の爺さんとハーフエルフの少女に関して何から説明すればよいのか……
しかしまあ、よくこんな中で熟睡できるよ…… この娘は。それこそいい加減に起きろよな。……まあ、この後にいかにしてあのエレナというハーフエルフの少女を落ち着かせて事情を説明したかは省略するとして……あんなおもいは二度としたくないもんだな…… ミルやシャランにもいろいろ説明して、なんとか馬車の幌の中で一息つくことになった。
ちなみにその時には月が真上を過ぎていたことをつけ加えておこう。「ふーん、ひとり……じゃないけど旅してるなんて大変ねえ。」
けれども、そう言っているエレナの方が私としては大変そうな気がする。何でも彼女はエレミアにいる知り合いに会いに行くために乗合馬車代わりにこの馬車に乗ったとか……
ただ単に間違っただけじゃないのか……
「そ、そんなことはないわよ。」
図星だな。
「ほ、ほら、それでもあたしはおじさんのおかげで馬車に乗れたけど、ミルはもともと徒歩で行く予定だったんでしょう?」
うまく話題をすり替えたな。
「でも、なんかあってもシャランやレイファルスがいるから安心よ。」
「じゃが一見、子供の一人旅にしか見えんからのお。下手なところを歩くと山賊なんぞに付け狙われるぞ。」
こんな風に遅い(ホントに遅い)夕食をとりながらシャランの唱えた「明かり」の呪文の光のもと世間話らしきものをしているわけだ。
この馬車が運んでいる荷物は様々な大きさの頑丈そうな木箱に入った…… 一体何なのだろうなあ…… すべてに厳重に鍵がかかっているので中身がまるでわからん。
もしかして中を見られると困るような荷物じゃないか。だとしたらあの商人と護衛に注意した方がいいな…… って、少しは精霊(ひと)の話を聞けよ。
「え? どうしたの、レイファルス?」
……いや、何でもない。
「へんなの。」
別にいいですがね。ま、それこそ、なんかあったらその時さ。
遠くでふくろうの鳴く声が聞こえる。ここいらは街道に面している宿場町とはいえ、少し歩いただけで何が出てくるかわからないような荒野や森になる。たいていは凶暴な獣やそれこそ妖魔の類である。腕に覚えがなければ街道から離れることは死を意味するようなところだ。街道沿いにいたとしても旅人や商隊を襲う山賊や野党もいることだから、基本的に旅は危険がつきものである……ただ、なんとなーく、私個人の感覚としては……ミルはおそらくその手のトラブルに巻き込まれ易い体質なのではないのだろうか……外見上も目立ち易いからなあ……とりあえず平穏無事にいくといいが……
かくして、更に夜もふけてきてミルもシャランもエレナもすでに眠りについてしまった。私は眠る必要がないので辺りに注意をはらいながらのんびりと朝を待つことにしよう。すでに魔法の明かりは消してあり、漆黒の闇が辺りを支配する。月の光ですらこの幌の中には差し込んでこない。
……そういやあ爺さん、眠らないのか?
〈なに、年をとるとさほど眠らなくてもよくなるもんじゃよ。〉
暗闇の中からそんな声が帰ってくる。
ふーん、そういうもんかい。
〈まあな…… それよりも、あの嬢ちゃん。意外に手がかかるじゃろ。〉
意外どころか。好奇心旺盛だわ、お祭好きだわ、余計なことに首を突っ込むわ、ちょっと目を放すとすぐどっか行きそうになる。
〈とは言うけど、あんた実は心の中で楽しいと思ってるだろう。〉
まさか……
〈強くは否定できないようじゃな…… なんてな、老人の戯言(されごと)とでも思って聞き流してくれや…… さて、儂も寝るとしようかの。〉
私がなにか言おうとする前に爺さんはさっさと自分の毛布をたぐり寄せてゴロリと横になってしまった。
……楽しいねえ……
何となくその爺さんの一言がずうっと気になってしまった。次の日の朝となった。雲一つないよい天気になりそうだ。うーん、朝の空気が気持ちいい。深呼吸ができないのが残念だ。
そうやって朝の空気を堪能していると最初に爺さん。続いてシャランが目を覚ます。ミルとエレナはピクリとも目を覚ます気配がない。
ほら、早よ起きろ。
「ミルぅ、起きてよー。」
シャランが一生懸命ミルを起こそうとするがシャランの力じゃあまず起きないだろう。そんなことを毎日やっていてわかっているはずなのだが健気(けなげ)にシャランは今日もミルを起こそうと努力するのだ。
大変だねえ。
「他人ごとのように言わないで、あなたも少しは手伝ってください。」
私が……? 無茶言うな。私に何ができる。
「よーし、儂に任せておけ。」
おい…… 爺さん。何をする気だ。
「ほりゃ、お寝坊さんはこうじゃ!」
それと同時にミルとエレナの毛布をおもいっきり引っ張る。一瞬二人の体が毛布と共に空中に浮くとそれなりの音を立てながら木の床に落下する。
いいのかなあ…… こんなことして。爺さん、後悔すんなよ。
「イターイ!」
「キャッ!」
それぞれ悲鳴をあげながらミルもエレナも目を覚ます。まったく関係ないが何となくこの二人は行動パターンが似ているような気がするぞ。
となるとだ…… ミルなら次の行動は……
「ちょっとぉ! レディの寝込みを襲うなんておっちゃん最低よ!」
「そーよ、そーよ。」
誰がレディだ……
「それにレイファルス!」
え……? 私?
「そー、あんたも黙って見ていないでもう少していねいに起こすように言えばいいじゃない。」
シャランは丁寧に起こそうとしてたぞ。それで起きないミルの方が悪い…… と言いたいところだがそんなこと言おうものならその十倍以上の悪口が返ってくるに違いない……いや、今回は二十倍以上だろう。
はいはい、私が悪いんです。と、とりあえず言っておこう。
「わかればいいのよ……」
はあぁぁぁ、胃に穴が開きそうだ。(ないけど)馬車は進む。エレナもミルと一緒に御者台に座っている。やっぱりあんな太ったおっさんたちといるのは嫌らしい。
空に青さが戻ってきた。季節はそろそろ春なのだろう。暑くもなく寒くもなくいい気候だ……普通の人にとっては……正直言って私は暑い。やっぱり真冬の吹雪の中がいちばん落ち着く。
それはさておき、この「自由人たちの街道」は出発点のオランからエレミアを通り、ザインをぬけロマール、そしてそこから西部諸国に入る街道である。今はオラン〜エレミア間を一週間ほど馬車で移動していて、商業都市エレミアまではあと数日というところまできた。
長かったねえ、それにしても。ま、それでも当初の予定通り徒歩だったらその三倍以上の時間がかかっていたはずだから早いといえば早いのかも知れない。
相変わらず馬車は進む。月明かりの下をカラカラと音を立てながら…… え?
「あれぇ、おっちゃん。何でまだ馬車動いてんの?」
ミル、言いたいことはわかるがそれだけじゃあ何のことかさっぱりわからんぞ。
「だからぁ、ミルが言いたいのは何でこんな真夜中近くになっても走り続けているのかっていうことでしょ?」
「そのようですね。」
エレナとシャランがミルの補足をする。
確かに、今までなら日が沈む頃にはどこかの宿場について休むことになっていたはずだが……
「ああ。雇い主がな、あと三日以内でたどり着け、て言うもんじゃからな、しょうがなく夜も走らせてるわけじゃよ。」
本当かよ、無茶言うおっさんだな。
ミルとエレナから不満の声が上がる。当然だな、私も文句が言いたい。
「それでじゃなあ……」
爺さんは言いにくそうに口をモゴモゴさせる。言わんとしたいことの見当はつくがね。
「今晩は外で寝ろ、そう言っておったわ。」
更に不満の声が大きくなる。
「こら! うっせいぞ、ガキども! 居候なんだから静かにしてろ!」
中から怒鳴られた。声からすると護衛の戦士風の片われだろう。我々が春とはいえ多少肌寒い夜風の中にいるというのに護衛であるあいつらが何でまた中に入ってのんびりしているのだ。本当に護衛なのか? という前々からの疑問がまた再びわいてきた。
こんな私の心配ごともそこそこにミルとエレナは精霊語であの商人どもに対する悪口を言い合っていた。ま、確かに精霊語というのは普通の言語に比べて短時間でより多くのことを表現できるものなのだが…… 愚痴をこぼすのに使うものとは聞いたことがないぞ。 まったくもう…… あまり褒められたものではないな……真夜中遅くになって馬車が止まった。これ以上進ませると馬が倒れてしまうからだ。爺さんはその旨を後ろに伝えると毛布をもらってくる。御者台の上で気持ちよさそうに眠りについてるいるミルとシャランとエレナを起こさないように馬車から降ろすと、あらかじめ街道のわきの草の上に敷いてある毛布の上に寝かせてさらにその上に毛布をかける。
そんなことをしている爺さんは自分の孫を見ているような優しい目をしていた。彼の年ならそれこそいい年の孫がいてもおかしくない。そんな孫を思い出しているのだろうか。
〈いや、儂には孫はおらん。〉
私の独り言が聞こえたのか爺さんは御者台に無造作に置かれている私のとなりに腰掛けるとそう呟いた。
〈何年か前に息子夫婦と一緒に事故で亡くなったんじゃよ。〉
そうとは知らず無神経なことを言ってしまったようだな。謝るよ。
〈いや、いいわい。儂は過去は振り返らんことにしてるんじゃ。〉
そうかい。
でも私は爺さんの目にキラリと光るものを見た。昔を想いだしたのだろう。かわいい孫にかこまれていた日々を。
〈おっと、明日は早いんじゃ。さーて儂もさっさと寝るかのお。〉
涙を見られたのが照れくさかったのか、ちょっとおどけると、毛布をかかえてそそくさとどこかへ行ってしまった。
できれば…… 私をミルのそばに置いといてくれればよかったのだが……
私は御者台の上で一人寂しく月を眺めているのであった。ああ…… 月がきれいだ。(オズワルドさん、そろそろ眠った頃じゃあねえですかね。)
月を眺めていた私の耳にこんな言葉が飛び込んでくる。幌の中からの声だ。何なのだろう……
(そうだな。いいかお前ら、あの爺さんは殺しても構わんがガキ二人とあの羽付きには傷一つつけるなよ。)
(わかっております。)
殺しても構わん? 傷一つつけるな?
(特にあの羽付きはいい金になりそうだし、あのガキもそこそこの値がつくだろう。)
(エルフのガキが持っている大剣、もしかして魔法の品かもしれませんぜ。)
(そしたらそいつも売り払う…… しかし、わしの馬車に無断で乗って小憎くたらしいガキどもと思ったが、今じゃああいつらが金袋に見えるわい。)
ハッキリ言おう。こいつらはどう見ても悪党だ。
(無駄話はここまでだ。さっさとあいつらを捕まえてこい。)
(はっ。)
幌から例の戦士風の二人と魔術師、盗賊が降りてくる。
まずい! おい、ミル! シャラン! エレナ! 誰でもいいから早く起きろ! 爺さん! 近くにいないのか?
「……なぁにぃ?」
私の声が届いたのか眠そうに目をこすりながらシャランが半身を起こす。
説明はあと。姿を消すかどっかに逃げろ!
「えぇ……? なにかあったんですか……?」
言葉半分でシャランが今の状況に気づいたようだ。精霊使いは暗闇の中でも熱を見る能力がある。その能力で人間が四人近づいてくるのを察知した。すばやく精霊語で呪文を唱えてシャランがその場からかき消すように姿が見えなくなった。〈透明(インビジビリティ)〉の呪文である。 どうやら〈透明〉をかけてすぐさま上空に退避したらしい。これでとりあえずシャランの身の安全は確保した、と。
さてこれからどうしようか…… ミルとエレナは(まったく)目を覚ます様子がないし…… ほんとにどうしよう。
あ、戦士風の片割れがこっちに足を向けてきた。その男は私の近くで足を止めると値踏みするような目付きで私をジロジロ睨む。
「ガキにしては良さそうな剣を持ってるじゃねえか。」
あまりガラのよくない声でそんなことを呟く。それからミルの方にチラッと視線を送った。
「あんなガキにはもったいねえな。俺様が使ってやるから安心しな。」
安心できるかい。お前が使う方がもったいない。
しかし、暴力を使うことしか知らない脳なしには私の言葉なんぞ聞こえもしないのだろう。その男はむんずと私の柄をつかむと鞘の止め金を外す。
「こいつはすげぇ……」
アホみたいな顔をして私の刀身を眺めている。当たり前だ。お前ごときが使えるようなシロモノじゃあないのだぞ。
あぁ、こんな奴に触られるとは…… 私も堕ちたものだ。暴れてやろうか…… と、思ってはみても、今暴れれば私がただの剣でないことがばれてしまう…… ミル達が抵抗できない今、屈辱に耐えながら時期を待つしかないのか…… とほほほ……私が手も足もだせないうちにミルとエレナが縄でグルグル巻きにされて荷物と一緒に幌の中に放り込まれた。まあ、無理もない。寝ている間に魔術師が二人に「麻痺(パラライズ)」の呪文をかけ、動けない間に縄で縛られたのだ。両手が動かないし、それに猿ぐつわをかけられているので精霊魔法はどう見ても使えないようだ。
私はというとさっきまであの粗雑な男に振り回されていたのだが例のオズワルドと呼ばれた太った商人の一喝で渋々、私をミル達と一緒に放り込んだのだ。まだ何とかなりそうである。
しばらくして盗賊の男が帰ってきた。おそらく爺さんを探して殺すよう命じられたのであろう。しかし手に持っていた小剣に血の痕がついていないので爺さんはうまく逃げたようだな。
あの商人としては爺さんを殺し損ね、しかもシャランを逃がしたのですこぶる機嫌が悪い。そいつの命令で明け方近くまで二人を捜索していたようだが探しに行った奴らが手ぶらで帰ってきたところをみると発見できずに終わったらしい。
……さて、朝になって馬車が再び走り始める。今は御者台に盗賊の男が、幌の中でオズワルドと戦士A(私に目をつけていた奴だ)、そして魔術師が我々の見張りをかねている。戦士Bの方はというと馬車の外で辺りを警戒している。
疲れていたのかミルとエレナは縛られながらもその場で横になって寝苦しそうに目を閉じていた。
「おう、このガキ、いい度胸してるぜ。これから売られるっていうのにのんびり眠ってるぜ。」
戦士Aが好色そうな視線をミルとエレナに浴びせながら言った。その声に反応するようにミルとエレナが目を開ける。
なんだ。寝てたんじゃないのか。珍しい。
ミルは私にちらりと睨むと(どうやら今の独り言が聞こえたらしい)あいつら三人、特に脂肪の固まりの商人に鋭い視線を投げつける。
「おやまあ、何かわしに不満が言いたいようだな…… おい、こいつの猿ぐつわをといてやれ。」
聞く者に不快感を与えるような、そう、例えるなら蛇かなんかがしゃべるような感じでオズワルドが口を開いた。当然、後ろ半分はそばにいた戦士Aに言ったものである。へい、と返事してから戦士Aはミルの後ろに回り込み猿ぐつわをほどく。
戦士Aがもとの位置に戻るまでミルは身じろぎ一つしなかった。それから一度横になった状態から体を起こして口を数回、開いたり閉じたりした。きつく締められていたのか口から頬にかけてついた猿ぐつわの痕が痛々しい。
「あんたらねえ、レディに対する礼儀ってもんを知らないの? その頭の中に入っているのはスライムかなんか?」
口を開くなり罵詈雑言の嵐である。少しの間、聞くに耐えないようなことを言いたい放題言うと疲れたかのように息をはく。
〈レイファルス。シャランとおっちゃんはどうしたの?〉
息をはくという動きの中でほとんど口を動かさずにミルが呟いた。これまでの様子からこいつらの中に精霊語を理解できる奴がいないと判断したのだろう。
シャランはとりあえず逃がしておいた。おそらく近くにいるだろうけどな。あの爺さんはよくわからないが生きてはいるだろう。
私の返事にミルはコクンと頷くと、エレナに逃げるよ、と一言精霊語で呟いた。
「……まったく口の減らんガキだ。お前のような奴には大人に対する礼儀と……」
なんだ。オズワルドの奴、なにか喋っていたのか。ミルの話に気を取られていて聞こえなかった。しかし、ずいぶん偉そうなこと言ってるな。まったくむかつく奴らだ。
〈暴れるなら少し手加減してね。セラ、あたしとエレナのロープを切って。〉
前半は私に、後半はミルが髪飾りの中に封印している風の精霊セラに言ったものである。髪飾りからシャランぐらいの背丈の半透明で全裸のエルフのような精霊が現れると二人の後ろにまわった。手からかまいたちを出すとそれで二人を縛っている縄のみを切り裂く。とはいえ、奴らにはこの光景が一切見えていない。
一瞬にして自由になるとミルは私を左手でつかみ右手をあげ、精霊語で呪文を唱え始めた。十分に集中して奴ら三人を目標とする。ミルの〈惑い(デストラクション)〉の呪文が完成した。それによってわずかの間、奴らの心を乱す。ミル達の行動に対する反応の遅れも手伝って十秒ほど動けないでいた。その隙をついてミルとエレナが馬車から無理矢理飛び降りる。
さほど人が歩くのと大差ないとはいえ、動いている馬車から飛び降りたのだ。盗賊の心得のあるミルならともかく、そういうことに関しては全くの素人のエレナは無様(ぶざま)に落ちてスリ傷をつくった。
おーい、大丈夫か?
「なにさ、人には得手不得手ってもんがあるでしょうが。」
自分の手で猿ぐつわをほどくなりこうだ。私が心配して聞いたというのに……
「無駄話している暇はないわ。あいつらが来る!」
ミルの視線の方向に目を向けると戦士ABがこっちにやってくる。馬車の中では魔術師が杖を振って上位古代語(ハイエンシェント)で呪文を唱え始めた。
ミルがまた右手をあげ、セラを仲介して敵の魔術師に〈沈黙(ミュート)〉の呪文をかけようとする。
まずい! このままではあっちの方が詠唱の終わるのが早い!
周囲の空気が霞がかかったかのように変化した。「眠りの雲(スリープクラウド)」だ。私は呼吸をしないから影響を受けないが下手にこいつを吸い込むと眠ってしまう。精神を集中しろ! 体内のマナを高めて敵の魔法を抵抗するんだ。
歯を食いしばってミルは呪文に抵抗しようとする。何とか抵抗して、ミルの〈沈黙〉が発動した。かけられた魔術師は声が出なくなった。よし、これであいつの魔法は怖くない。ところでエレナは…… まずい、彼女はすでに魔法に耐えられず倒れてしまった。
ミルもそれを確認したのか、表情を(珍しく)引き締めると鞘の止め金をはずし、私を正面に構えた。うーむ、実に久しぶりだ、実戦に参加できるとは。普段は…… というか、いつも、ミルは私を大したことない用のためにしか使わない。例えば暑いから涼しくしてくれとか…… 水がぬるいから冷やしてくれとか…… ま、ともかくミルが実際に私を剣として使うのは戦士としての訓練以来ではないだろうか…… 結構情けないものがある。
それはさておき、ミルは油断なく戦士二人の動きを観察する。並の腕の戦士なら私とミルの相手ではない。それこそ一刀のもとに斬り捨てるのも不可能ではない。私の見立てでは戦士Aの方が戦士Bにくらべ倒しやすそうだ。どうする、ミル?
「いくわよ。」
私を使っての初めての実戦のためか緊張と恐怖が彼女の心に見える。ミルは目を閉じて息を吸い込む。次の瞬間、鋭い気迫の声と共に走り始めた。目標は戦士A。唐突な行動に相手の動きに乱れが生じる。その間に一気に距離をつめ、私を振りかぶる。戦士Aはあわてて手にした剣で受けようとするがそんなナマクラな剣など私の前ではホンの枯れ枝に過ぎない。剣を叩き折りながら相手の左肩から右わき腹付近まで斬り裂いた。
その傷口からは一滴の血も流れない。私の発する強烈な冷気が斬った断面を一瞬のうちに凍り付かせるからだ。
ゆっくりと崩れ落ちるように大地に倒れる戦士A。その顔には驚愕の表情が刻み込まれていた。まさかこんな小娘に、といいたげである。人を外見で判断してはいけない、といういい教訓になったことだろう。急所も外してあるし、私も手加減していたからすぐに死ぬことはないだろうがしばらくは黙っててもらおう。
「なるほど、剣がすごいだけかと思ったら…… なかなかやるねえ、お嬢ちゃん。」
戦士Bはこの「お嬢ちゃん」のところにえらく力を込める。あからさまに挑発をしているな。何のつもりだ?
「動かないで!」
「おっと、そんな怖い顔してで睨まないでくれよ。おれが震えちまうじゃねえか。」
侮蔑するような顔でぬけぬけとそんなことを言う。こちらに隙を見せないようにしながら挑発を続ける。もしかして…… 時間稼ぎか? だとしたら何のために……? し、しまった!
「そこまでだ! 剣を捨てろ!」
背後からの声。予想通りのことを言ったのはあの盗賊の男であった。その手に握られているナイフは正確にエレナの喉元に突きつけられている。エレナはさっきの「眠りの雲」の影響でまだ動けないでいる。
ハッキリ言って状況は最悪に近い。動けるのはミルだけであり、しかも人質がいて、なおかつ前後を挟まれた状態である。それにこのまま時間がたてば魔術師にかけた〈沈黙〉の効果が切れてしまう。
カラン……
ミルは無言で私を足元に放り投げた。そのまま睨みあいが続く。〈沈黙〉が切れた魔術師が戦士Bの後ろまできた。三対一、状況はますます悪化する。
「さてと、どうしますかね。お嬢ちゃん?」
戦士Bがミルの前に片手で剣を構えながら近づく。その剣先は喉元をピタリと狙っている。それだけでなく許されないのは私を足げにしているのだ! なんて奴だ。
「俺たちに刃向かったらどうなるか思い知らせてくれるわ。」
背後の盗賊がエレナに突きつけたナイフに力を込める。喉がわずかに切れて血が玉をつくる。彼女の顔がさっと青ざめる。
「やめて!」
そんなミルの叫びに盗賊はへへっといやらしそうな目つきをした。
「やめねえとどうなるんだい?」
その言いぐさに戦士Bと魔術師が喉の奥で他人を馬鹿にしたように笑う。
「さ、教えてもらいましょうか? やめねえとどうなるんだい?」
勝ちほこったような盗賊の声がまだ冷たい朝の空気の中に響いた。「こうなります。」
救いの声は上の方から聞こえてきた。その声が上位古代語の呪文を唱える。一筋の電光が盗賊の頭のてっぺんから全身を貫くように走った。「電撃(ライトニング)」の魔法である。
「シャラン!」
この「電撃」を放った小妖精はミルの声に手を振って応えた。例の盗賊は今の魔法のショックで数メートルほど吹き飛ばされ、そこに追い打ちをかけるように全身にキラキラ光る金属製の網のようなものがかけられた。
こいつは…… もしかして「刃の網(ブレードネット)」? 相当高レベルの術者しか使えない古代語魔法(ソーサラーマジック)である。シャランは使えないものだが……?
「おっと、下手に動かん方がええぞ。怪我するだけじゃ。ほれ、レイファルス。やるなら今じゃ。」
じ、爺さん? なんでまた…… まあいいや。さて、たまには私も真剣(まじ)にさせてもらいましょうかね。
全身の精霊力を高める。それに呼応するように周囲の気温が低下し始める。私の強烈な冷気が空気中の水分を凍結させ氷の結晶をつくりあげ、それが太陽の光を浴びて輝く。ダイヤモンドダストだ。その頃から私の仮の体である刀身がその輪郭を失い、徐々に別なものへと変化するのがわかる。
「ひ、ひぃ。」
情けない奴らだ。この程度の者たちに私の真の姿を見せるのはいささかもったいないような気がするが冥土の土産にその目にしっかり焼き付けとくんだな。
もうすでに剣としての形はない。青白い四本足の獣…… 大型の狼が大地を踏みしめる。私のまわりに空からちらほら白いものが……。氷の精霊力にひかれて季節外れの雪が降ってきた。
「ば、化け物だぁ……」
私は戦士Bの恐怖の声を鼻で笑うと、準備動作なしで飛びかかった。すでに腰を抜かしている哀れな犠牲者の両手両足を抑え込み、そいつの前で牙をむく。どう料理しましょうかねえ……
「レイファルス、そこまでよ!」
はいはい、わかってます。言ってみたかっただけ。
敵の魔術師は向こうで地面に倒れている。眠りの精霊(サンドマン)が見えるからおそらくミルのかけた〈睡眠(スリープ)〉の呪文だろう。かわいそうに、呪文が解かれない限り一生あのままか……
私はまた集中すると再び剣の姿に戻る。
「はい、お疲れさん。」
ねぎらいの言葉をかけながらミルが私を拾い上げ鞘に戻した。シャランもエレナも爺さんも無事のようだ。が、まだもう一仕事しなきゃな。
「はいはい。」
ミルはそう言うと馬車に向かって歩き始めた。「……と、いうわけでおっさん。観念したらどう?」
「馬鹿なことを言うな。なんでわしがお前らごときに観念しなければならないのだ。」
「うっさい。」
ポツリと呟くとミルは私を相手の目の前に叩きつけるように振りおろす。刃がささったところを中心に薄く氷がはる。
ひえ、とこれまた情けない声をオズワルドがあげる…… こいつ、いまだ自分の状況を理解していないとみえる。
「開きましたよ。」
「なにこれ、変な草。」
後ろでシャランとエレナが馬車につんであった箱の一つを開けている。
どれどれ…… ほほう、こいつは麻薬の一種だと思ったが……? これだけあればさぞかしいい金になるんだろうな。
「へえ、そうなんだ。」
ここでじろりと脂肪のおっさんを睨む。
「麻薬ですって。ま・や・く。こんなもん馬車につんでどこへ持ってく気?」
「何を言ってるのだね。これは薬草なんだぞ。貴様らみたいな低能な奴にはわかるまい。」
低能だって。
「もういいわ。このおっさんの声聞くのも飽きたしね。」
そう肩をすくめて言うと、〈睡眠〉の呪文を唱え始めた。オズワルドは一瞬惚けた表情になると、カクンと糸の切れた操り人形のように倒れる。
あっけない。
さーて、エレミアまでもう少しか。この日の夕方ごろ、エレミアの東門にやっとのことで到着した。
着くなり衛兵に馬車の中身ごとオズワルドたち五人をつきだした。その辺のことに関して色々事情聴取されそうになったが、爺さんのおかげで特に拘束されることもなく街に入ることができた。商業都市というだけあってなかなか賑わっている街である。
ミルは久しぶりにフカフカのベットで寝られると大はしゃぎであった。
……気楽なもんだ。ま、それがミルのいいところかもしれないな……
エレナはエレナでこの街の知り合いのところに行くと言って街の入り口で分かれたし、爺さんも気づくといつの間にかにいなくなってしまった。
謎の多い爺さんだったね……二日後……
「ふわぁぁぁ、眠い。」
朝早く、我々はエレミアの街を発つことにした。また外見一人、実際は五人の旅である。
「見送りの人はいないのかなあ。」
いるわけないだろ。エレナも爺さんもエレミアで別れて今どこにいるのかすらわからないのに。
「あれ、誰か来ます。」
ミルの頭一つ分上くらいのところにフワフワ飛んでいるシャランが街の方を見て言った。 そりゃあ、旅人は我々だけじゃないからな。
「いえ、あれは…… エレナさんですよ。」
「え? ホント?」
「ほら。」
シャランの指さす方向から一人のハーフエルフの少女が走ってくるのが見える。
……こっちに向かってきてないか? もしかして。
「ミルー! シャランー! レイファルスー! ちょっと待ってよぉ。」
彼女はこの街で仕入れたのだろう、真新しい皮鎧と小剣を身につけていた。背中には冒険者ならほとんどの人が持っていると思われる背負い袋…… つまるところがいわゆる冒険者の格好をしていたのだ。
「どうしたの?」
「あたしも旅に出ようと思ってね……」
ミルの問いにハアハア息を切らせながら答えるエレナ。
「それならいっそ、ミルたちと一緒に行こうかと……ね。」
おいおい……
「ね、いいでしょう?」
「そうね、旅は多い方が楽しいし。」
ミルはすでに乗り気である。やれやれ……私にとってはお守する人間が一人増えただけである……
「何か言ったぁ?」
いいえ、別に……
青く澄んだ空の下、我々一行は西部諸国を目指して西へ歩き続けるのであった。
「旅は道連れ世は情け」ですかね……
私の苦労はまだ始まったばかりである。
〈END〉