− 第四章 −

 

 リビングにはすでに先客がいた。
 一人は肩ぐらいまでの淡い茶色の髪をした一六、七の女の子。女のあたしから見てもかわいいと言いたくなるような美少女である。……ちょっと負けたかな……
 その隣には、まあ、典型的なスポーツマンタイプのハンサムって奴が座っていた。口が達者ならナンパ師になれそうなルックスである。まあ、あたしに言わせれば、当たり前すぎてつまらないタイプである。だからといってジェルみたいなのがタイプだとは口が裂けても言わない。
 この広いリビングのはじの方に、いかにも執事然とした初老の男が立っている。カイゼル髭にタキシードが様になっている。
 この三人がすでにリビングの一部となっていた…… いや、もう一人、黒い先客があたしの足にじゃれついていた。頭から尻尾の先まで真っ黒な猫。その子はあたしの視線に気づいてこっちを見上げ、意味ありげな目で見つめてくる。
「かわいい……」
 あたしは黒猫を抱き上げてジェルとともにリビングに入った。
「博士、お帰りなさいませ。」
 執事風がジェルの姿を認めて近づいてきた。そしてうやうやしく礼をする。
 ハッキリ言って似合わない。
 執事のやることは一部の隙もないが、ジェルに対してっていうのがお話しにならないほど不釣り合いである。
「とりあえず、互いに自己紹介でもして下さい。」
 相変わらずマイペースな口調でジェルがそう促した。執事がそれに反応する。
「ははぁ…… このような場合、わたくしめから名乗るのが礼儀というものでしょう。
 わたくし、この家で執事を務めさせていただいているセバスチャンと申します。以後、お見知りおきを。」
 せ、せばすちゃん…… なんてお約束な名前なの。
「俺はヒューイ。ヒューイ=ストリングだ。そこにいるジェラードの古い友人で、しがない運び屋をしている。」
 金と自分のポリシーが一致すれば、消しゴムからミサイルまで運ぶという、危険と隣り合わせの胡散臭い仕事である。
 ま、胡散臭さなら確実にジェルの方が上だけどね。
「私はアイリーナ=コーシャルダンです。リーナと呼んで下されば結構です。ここで博士の助手をしています。」
 そう言って、その女の子は頭を下げる。実に礼儀正しい。おしとやかそうだし、声もきれいだし、かわいいし…… ううん、羨ましい……
 あたしがリーナちゃんにちょっとばかりの嫉妬を感じていると、頭の斜め上からジェルの声が降ってきた。
「あとはラシェルだけですよ。」
「あ、ごめん……
 あたしはラシェル=ピュティア。普通の女子大生よ。」
「ピュティア……?」
 ヒューイが一瞬、記憶を掘り起こそうとするような表情をする。まずい、あたしの正体(というほど大げさなものではないが)を知ってるのか? バレたらちょっと困るのよねえ。でもその心配は必要なかったようである。ヒューイはまさか、といいたげな顔をすると小さく左右に首を振る。ほっ。
「ニャオ。」
 黒猫が腕の中で一声鳴く。そういえば、この子の名前は聞いてなかったわね。
「そいつの名前はスコッチです。」
 しゃべれない黒猫のかわりにジェルがそう教えてくれた。
「ふーん、スコッチねえ。あたしラシェルよ。よろしくね。」
「ニャーオ。」
 あたしの言ってることが分かるのか、スコッチは目をキュッと閉じて挨拶をしてくれた。ほんとかわいい。
「さて…… 自己紹介も終わったようですから…… リーナ、すまんが彼女にシャワーを貸してやってくれ。
 シャワーでも浴びたいでしょう?」
 ジェルはそう言ってあたしに顔を向ける。確かに、走り回ってばかりで汗だらけだし、このいやに重い白衣もさっさと脱いで着替えたいところである。
「ありがとうジェル。ちょうど浴びたかったとこだったのよ。」
 そして感謝の意を込めて、とびきりのウィンクを一つ。が、あたしの方を見ていなかったのか、ジェルは眉一つ動かす気配すらない。こいつホントに人間? あたしみたいな魅力的な(ちょっと言い過ぎかな?)女の子を隣にしてその態度はなによ!
 ……ま、きっとこういう鈍感野郎なんだろう…… と、その時、視界の端でヒューイが驚いたような表情をしている。どうやらあたしの発言に対してのようだけど……?
「ほれほれ早く。連れてってやんなさい。」
 ジェルがリーナちゃんを促す。邪推を交えるならあたしとリーナちゃんを追いだそうとしているとも考えられる。
 ま、いいか。汗くさいのは確かなんだから、早くシャワーでもあびてサッパリしたいのが女心ってやつよ。
 そうこうあってリーナちゃんとスコッチに連れて行かれるようにあたしはリビングを出た。

「なあ…… 一つ聞いていいか?」
「……セバスチャン、席を外してろ。」
「はっ。」
「で、何をだ?」
「今の娘のことだ……」
「別に、街でナンパしただけだよ。」
「お前の口からそんな言葉を聞けるとは思わなかったよ。」
「私も昔に比べて成長したということですよ。」
「そうかあ、俺は嬉しいぞ…… じゃなくて、実際のところなにがあった?」
「下手するとお前らの手を借りるかも知れない。大事件になるかもな。」
「水臭えなあ。俺たちの仲だろう。」
「ただな、お前たちの正体がばれるとな、後々になってラシェルがまた事件に巻き込まれるかもしれないからな……」
「…………」
「だいたい、私に関わっているだけでその人の身の安全は保証できなくなるようなものだ……」
「これだけは聞いておきたい。」
「質問二つめだな……」
「うるせえ。そうじゃなくて、俺の予想が正しければ、お前が手を出さなければあの娘はきっと身元不明の死体になっていただけだよなあ……」
「何が言いたい。」
 ジェラードの声に不穏なものが混じり始めた。瞳の奥に銀色の光が一瞬走る。
「いや、別に。ただ、他人に関わりたがらないお前が助けた、っていうのに何か特別な理由があるのかな、と思っただけさ。
 例えば、あの娘がス……」
「違う!」
 ジェラードが珍しく感情をあらわにしてテーブルに拳をたたきつけた。しかし、たたきつけた拳もすぐに力を失いダラリと下がる。
「違う…… そんなのじゃない…… ただ…… ただ…… 何もしないで人が死んでいくのは…… もう……」
 おびえて泣き出しそうな子供の表情でジェラードが呟く。全身が震え、虚ろな視線が宙をさまよう。
「悪かった…… お前の前では禁句のようなものだったな。」
「いや、そういうわけじゃないが…… 二度とあんな思いはしたくないだけだ……」
 寂しそうに目をふせるジェラード。
 その気まずい沈黙を破るようにドアのチャイムが陽気に鳴らされた。

「へぇー、立派なシャワールームだこと。」
 うちの実家に帰れば、もっと立派で豪勢なつくりのものがあるが、ここのは実用的でなおかつ立派である。ジェルは金持ちっぽいが成金趣味ではないらしい。
「あ、タオルここに置いておきますから。」
「リーナちゃん、ありがとう。」
 背後で何かを置く音と、ドアを閉める音が聞こえた。
 ふう。
 一人になると思わずため息が口をついて出た。正直言ってジェルは悪人でないだけでハッキリと善人と決めつけたわけでもなければ信用しているわけでもない。あのヒューイって男も時折目つきが鋭くなることがある。ジェルの知り合いだけあって得体の知れないところがあって油断はできない。
 ……ただ、少なくともリーナちゃんは悪事に加担できるような性格ではないことは分かるけど。
 頭をふって悪化していく妄想を追い出す。あたし…… どうしたらいいんだろう。
 考えれば考えるほど怖い考えになりそうな気がする…… えーい、やめやめ。余計なことは考えないことにしよう。気を取り直してあたしは白衣のボタンに手をかけた。
 重さに少し慣れていたせいか、白衣を脱いだとたん体が急に軽くなったような気がする。よくこんなもん着てられるな。
 しかし、重力の法則に逆らってか、あたしの両足は軽くなったはずの体重を支えることができなくなっていた。
 糸の切れたマリオネットのごとく、がっくりと膝をつく。膝に痛みが走ったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。体の中心から髪の毛の先まで何か冷たいものが広がっていく感覚がする。その冷たいものは「恐怖」。そう、こらえきれないほどの恐怖が全身を支配し始めた。
 向けられたナイフの光や銃口が頭の中で鮮やかにフィードバックされる。ありもしない寒さが体を震わせる。自分の肩を抱くようにしても震えは止まりそうにない。
 殺意のこもった男たちの視線が心を凍らせる。想像の中で何本ものナイフが、何発もの銃弾が体を貫く。
 悲鳴をあげようにも声帯が石になったかのように動かない。恐怖の淵であたしの心は張り裂けそうになった。
「…………!」
 誰かが遠くで叫んでいる。しかし、今のあたしには何一つ聞こえない。想像の中で血だらけになったあたしは自分がつくった血の池の中に沈みそうになる。
 ああ…… このまま倒れて眠りたい……
 そんな思いで全身が麻痺しかけたとき、崩れ落ちるあたしを支えるものがいた。白い色が右へ左へと走り、稲妻が漆黒の闇を打ち破った。
 ダレ?
 言葉は音にならなかったが、その白い人物に届いたようだ。こっちを振り向いてその口がわずかに動いた。だいじょうぶですか、と聞こえなかったけど、そう言っていることだけは分かった。
 急に背景がもとに戻る。幻を見ていたのが一瞬かどうかは定かではないが、その時になって始めて自分の名前を呼ぶ声がするのに気づいた。
『ラシェル、どーかしましたか?』
 間延びしたような声がドアの向こうから聞こえてくる。まだ完全に恐怖は拭えてないが、それがあたしの意識を覚醒させる。
「ジェル?」
『あーよかった。もしかして寝ているのかと思いましたよ。』
「そんなわけ…… ないでしょ。」
 まだ自分の声に張りがないのが分かる。けど、だいぶ体が楽になった。まだ重い体を無理矢理立たせる。
「でも…… どうして?」
 何に対して「どうして」と言ったのか覚えてないが、あたしの口はそんな言葉をつむぎだしていた。
『……そうですねぇ、ラシェルが泣いているような気がしたから、というのはどうでしょうか?』
 そんな気障な言葉に思わず吹き出しそうになる。ジェルのおかげで心がだいぶ軽くなってきた。
『あ…… 笑ってますね。』
「だって…… 似合わないんだもん……」
 ふむ、とドアの向こうからジェルのいつもの淡々とした口調が聞こえてくる。
『ま、いいです。もう少ししたら食事になりますからそれまでには戻って下さいね。』
 そう一方的に言うと、パタパタとスリッパの音が遠ざかっていった。
「ありがとう、ジェル……」
 聞かせたい相手はもういなかったが、そんな言葉があたしの口からついて出た。

 目がさめるような冷たいシャワーを浴びる。最初は冷水が体温を容赦なく奪っていくが、体の中から冷たさを対抗するように熱いものが沸き上がってくる。あたしはこの熱さが好きだ。自分が生きているだな、と感慨深げになるからだ。
 そうした熱さを少し楽しんだ後、徐々に温度を上げていく。蒸気が視界を真っ白にかえる。汗ばんだ体から薄皮をはがすかのように汗や汚れが流れていく。
 シャワーを浴びたせいで頭の中のモヤモヤもわりかしスッキリした。
 もとの更衣室の戻ってリーナちゃんの用意してくれたバスローブを羽織ってバスタオルで髪の毛の水分を取る。
 そのまま外に出ようとして…… あ、ここ、あたしのうちじゃないんだ……
 体もある程度拭って…… 髪は完全に乾かないなあ…… ま、いいか。ドライヤーもあるようだけどあまり好きじゃないのよね。
 忘れずに持ってきた買い物袋の中から下着と何着かの洋服を取り出す。下着はすぐ着けるとしても…… 買ったばかりのゴワゴワのを着けるのか…… 贅沢は言ってられないけどねえ……
 いくつか並べた洋服の中から明るい色のシャツとショートパンツを選ぶ。それに合わせてソックスも吟味して…… ま、こんなものでしょう。髪はまだ湿っているからポニーテールはできないからそのままブラシを軽くかけただけで真っ直ぐ流しておくことにしよう。
 何気なしに放り出されている白衣を一緒に買い物袋に入れ、そいつを手にあたしはリビングに戻った。

 再度、リビングにはいると、人が一人増えていた。
 そいつはあたしと比較すると、身長は頭三つくらい高く、横幅はあたしの倍以上、体重はおそらく三倍はあるんじゃないだろうか…… あたしは軽いのよ……
 そう、全くもってビックリするくらいの大男がナイフとフォークを手に食卓についていた。
「おや、ラシェル様。シャワーはお済みでしたか。ではこちらの椅子へどうぞ。」
 ひゃっ!
 背後からまるで気配を感じさせないでセバスチャンが声をかけてくる。驚かすんじゃない、と言いかけたが、何となく面白くないので驚いた表情を無理にごまかして執事を振り返る。
「ラシェル様、どうかなされましたか?」
「あの人、誰?」
 と後ろの大男をそっと指さす。
「は、あの方ですか。あの方はカイル様とおっしゃって、博士やヒューイ様の古い友人と聞いておりますが……」
 ほほう…… ジェルが言ってた古い友人ってやつか。
 その男はあたしに気づいたらしく、ちょっとこっちに興味深げな視線を向けると、隣に座っていたジェルに質問を浴びせているらしい。ジェルが困ったような、呆れたような顔をしている。一見、ジェルは表情をあまり変えないように見えるが、注意深くみているとわずかに変化するのが分かる。そういう微々たる変化を観察してみると面白そうだが、あいにくとあたしはそんなことで論文を書く気はさらさらない。
 セバスチャンの案内に従ってあたしもテーブルにつく。一応、賓客と見なされているらしく、あたしの席は上座だった。まあ…… 正直言ってそういう扱いされても嬉しくもなんともない。
 あたしの両隣にはジェルとスコッチが座っている…… ってことはリーナちゃんの席かな? そしてその更に向こうにカイルと空いた席があった。多分、ここがヒューイの席なんだろう。
「お待たせいたしました。」
 リーナちゃんがワゴンを押して入ってきた。ヒューイがその後を追うようについてくる。ははあ…… もしかしてヒューイはリーナちゃんにホの字なのかな? 何か機会があったらリーナちゃんに聞いてみよ。
 ワゴンの上の大皿には食欲をそそる香りのもとが山盛りにつまれてあった。そういえば、口にしたのは喫茶店で飲んだミルクティが最後だったわね。思い出したかのように空腹感に襲われる。
 見ただけで分かる、リーナちゃんは相当料理が上手なようだ。羨ましい…… かわいくて料理も上手で性格がいい女の子なんてすでに絶滅したものだと思ってたのに…… 神様って不公平……
 目の前に料理ののった皿が並べられる。
 はて……?
 よーく見ていると、同じ料理がのった皿が二枚ずつあるように見える。ただし、もう一枚の方の皿は片方の三倍くらいの量があるが…… 何のためだろ?
 大きい方の皿がヒューイとカイルの間に置かれて、小さい方の皿はあたしの前、つまり、ジェルとリーナちゃんの間に置かれているようだ。
 なるほど、あの二人の食べる量がけた違いだからわざわざ別の皿を用意したというわけね。それで納得がいった。あたしが上座に座らされたのも別に賓客扱いではなく、ただ単に小食組をかたまらせる為だったのか。
 しかし…… 三人分の食事の三倍の量って…… あいつらどれだけ食うんだ?
 にぎやかに食事が始まった。特ににぎやかなのは約二名という説があるが……
 リーナちゃんがあたしにいろいろ話しかけてくる。返事をしながらほんの些細なことだけど、妙なことに気づいた。
 しゃべっている内容を聞いていると、リーナちゃんは相当に頭が良さそうである。しかし、その年頃相応の女の子としての基礎知識みたいなものに欠けているような気がする。そう、強いてあげるならば頭だけは優秀な子供と会話しているような気分になるのだ。
 そうよねえ…… 大体あの年で謎の研究所の住み込みの助手をやっていること自体、変といえば変である。何か事情があるのだろうか……?
 そんなことを考えているとまるで料理の味が…… うわっ、涙が出るほどおいしい。今度教えてもらいたいな……
 疾風怒涛のようにディナーが済むと…… ホントにあいつら全部食べてやんの…… これまたリーナちゃん特製のチョコレートケーキがデザートに出された。これもほっぺたが落ちるほどおいしい…… ううっ、神様って不公平なのね……

「ちょっとこれを見て下さい。」
 コーヒーカップを傾けながらジェルが空いた手でTVのリモコンを操作する。
 リビングの一角を占める特大のTVに映像が映し出された…… 最近はやりのバラエティー番組が。
「これがどうしたの?」
 たっぷりと皮肉をまぶした口調でジェルを睨んでやる。
「あ、間違えました……」
 当たり前だ。
 再びリモコンを操作すると画面いっぱいにアルファベットがあふれ出した。
 えーと…… あたしは普通の銀河連邦が制定した共通語と呼ばれる言語の他にフランス語も理解できる。しかし、画面の言葉は知っている文法ではなかったが…… これは…… ドイツ語?
「あれ? 内容までは分からんが、これはまるで都市警察(シティポリス)の書類のようだなあ……」
 カイルが口を開く。何でそんなこと知ってるんだろ……
「ジェラード、これもしかして警察の検死報告書じゃないのか?」
「おお、ヒューイ。よく知ってるな。」
「いや、よ…… その…… 一度見たことがあるからな。」
 あやしい…… やっぱりこいつら何か隠し事をしている。ま、聞いたって正直に教えてくれそうもないけど。
 流れているデータが止まった。いちばん最初の部分らしく、一枚の顔写真と名前がついていた。
 あたしはその両方に心当たりがあった。忘れたくても忘れられない名前。緊張で喉がカラカラになる。
 もしかして…… これは……
「クリス……?」
 かすれた声があたしの口からもれる。
 クリスティーナ=ラザフォード。十八歳。
 そう、その検死報告書はあたしの親友の少女のものだった。

 

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