− 第四章 −

 

「いつ出発するの?」
「いつ……って言われてもなあ。」
 リーナちゃんとジェルは何やら準備があるとかでリビングを出て行った。残されたヒューイとカイルがお互いの顔を見て言葉を濁す。
「だいたい、俺たちはジェラードの都合さえよければいつでも出られるからな。」
「そうそう、着の身着のまま。それで大丈夫だから楽だよな。」
「一番最初もいきなり乗せられたしな。」
「あれはひどかったぜ。」
 ふーん。よく分からないけど…… あたしもその宇宙船に乗ってっていいんだろうか?
「ま、あれだろうな。いつものパターンだと、あとは食料品くらいだろう。」
「昔と比べると変わったよなあ。俺たちだけの時は味気ない保存食糧に簡易ベッド。あんな生活には戻りたくないな。」
 俺たちだけ……の時? どういうことなんだろう? 気になったから聞いてみたら素直に答えてくれた。
 昔、と言っても何ヵ月も経ってないそうだが、それまでのチームはヒューイとカイルだけだったそうだ。ある事件でジェルと再会してそれから二人を補佐官にしてチーム編成を変えて、しかも宇宙船を変えたそうだ。
「そんなに違うの?」
「そりゃあね。ちゃんと毎食毎食リーナちゃんの手料理だし、個室はあるし。シャワーも各部屋に完備。グリフォンはすごいよ。」
「運動場もあるし、射撃場もあるし、武器は満載。言うことなしさ。」
 この二人の観点って少し違うわね。
 しかし…… 何か準備しなくていいのだろうか。ジェルの都合は知らんが、女の子には女の子なりの準備があるのに……
 そんなことを考えているとメモ片手のリーナちゃんが戻ってきた。
「博士から伝言ですが、ヒューイさんとカイルさんは発進準備を手伝って下さい、とのことです。」
「どうせジェラードのことだ。『ヒューイとカイルにさっさと来い、と言っとけ。』てなことを言ったに違いねえ」
「あの…… それは……」
 リーナちゃんの表情を見る限りではカイルの指摘は大当たりのようだ。やっぱりすぐに出かけるようだけど…… あたしは何をしたらいいの?
「あと…… 食料品の調達と、それと…… このメモを博士から預かりました。」
 ポケットから何か紙切れを出してあたしに手渡す。そこにはジェルの字で、
『着替えと身の回りの品を適当に調達すること。それとラシェルとリーナのドレスも用意しなさい。おそらく必要でしょ?
 お金についてはリーナにカードを渡してあるから心配ありません。かといってムダ遣いはしないように。』
 なんて書いてある。ふーん。ま、せいぜい有意義に使わせてもらいましょう。
「じゃ、行こうかリーナちゃん。」
「はい。」
 外に出るとすでにパンサーが待機していた。いつものように乗り込むとすぐにパンサーは中心街に向かって走り始める。

「ねえ、どっちを先に揃える?」
「え? 私は食料品しか聞いてませんが。」
 黙ってジェルのメモをリーナちゃんに見せる。リーナちゃんがハンドルを握っているが、どーせパンサーの自動運転(オートパイロット)だ。よそ見させたって気にすることはない。
「そうですねえ…… 食料品は後にしましょう。悪くなると困りますから。」
「そうね…… ね、リーナちゃんの服も少し見て行かない?」
「でも博士がムダ遣いはいけないと……」
「ムダ遣い? どうして?
 女の子がオシャレするのは当然の権利よ。ましてやリーナちゃんみたいな可愛い娘が自分を飾らないなんて、そんなの罪だわ。」
「は、はあ……」
 あたしの力説にリーナちゃんの生返事が返ってくる。
「聞いたわね、パンサー。あたしの言う住所に行って頂戴。」
 すぐにディスプレイの一つに地図が出る。前もジェルと行ったことのある馴染みのブティックが表示された。
〈いいんですか? ここは品がいいことで有名ですが、それなりに値が張る……〉
「いいの! ジェルはリーナちゃんの保護者よ。それくらいする義務はあるわ。」
〈はあ……〉
 せっかくだからあたしも少し新しいのを揃えようかな、と。
 高層ビル街を制限速度内で抜けると繁華街に出る。そしてすぐにお目当てのブティックに着くのだが……
「駐車禁止…… だったわね。」
〈買い物が終わるまでそこらへんを流してましょうか?〉
 ドライバー無しで目立たないだろうか? いや、それ以外にも問題が。
「ねえ、じゃあ買い物が終わったらどうするの?」
〈ああ、それなら大丈夫です。リーナさんが通信機を持ってますので。〉
「あ、そう。」
 それならいいわね。
 パンサーに手を振り、お店に入ろうとするとそのホイールカーのウィンドウが黒く変色し、外から中が見えなくなった。
 なるほど。と感心しつつ、少しためらい気味のリーナちゃんの手をとって中に入った。

 前来たときよりまた品揃えが少し変化していた。新作もだいぶ入ったようである。それらを吟味する前にすぐに知り合いの店員が近づいてくる。
「は〜い、ラシェル。いらっしゃい。今日はあの娘の服の見立て?」
 彼女の顔がリーナちゃんに向く。その視線が熱っぽくリーナちゃんの全身を眺める。何を着せたら似合いそうか、とコーディネーターとしての血が騒いでいるそうだ。……彼女に任せて大丈夫かな?
「あたしのもあるけどね。ちょっとしたパーティに誘われたんだけど…… なんかいいのないかな、って来たんだけど。
 あの娘の分、頼める?」
 一応、豪華客船のお披露目だ。各界のそれなりの名士が集まる。下手な格好はできないけど…… 若いからそんなに気を使わなくていいかな?
「まっかせておいて。あれだけの素材、しかも変な癖がついてないから楽しめるわ〜。」
 任せていいんだろうか。ま、大丈夫か。別に取って喰われるわけじゃないし……
「じゃ、リーナちゃん。彼女についていってね。」
「う〜ん。お化粧もしないでこんなに綺麗な肌なんて羨ましいわあ。スタイルも良さそうだし…… 磨きがいがあるわねえ。」
「あ、あの…… ラシェルさん?」
 大丈夫大丈夫、と手をヒラヒラさせる。
 そのままリーナちゃんは店の奥へと引きずられていった。あたしは自分の物を揃えるのに忙しいから見ていられないけど…… ま、いっか。
 二人を見送るとあたしも物色を始めた。とりあえず着替えが必要だから下着から普段着、簡単なオシャレ着、パジャマなども少し揃える。あと身の回り品ということでタオルやバスローブなんぞもいくつか見繕う。ここは女の子用の日用品もそれなりに揃うから便利である。
 こんなもんかな、と……
 ハ、ハハハ…… 結構な量になったな。さっきパンサーの言った通り値は張る方のお店なんだけど…… あたしのお金じゃないからいいとしよう。足りない、ということはないと…… いいなあ。
「ちょっと、ラシェル〜 こっちに来てちょうだい〜」
 服を選んでいるとリーナちゃんを連れていった店員の声が広い店内に響きわたった。彼女、声は大きい。
 どうやら何か自信作を着せ終わったらしい。プロの見立てだから似合わないことはないだろう。手近な店員に持っている服を預けるとどんな風になっているか期待を込めて声の方に向かった。

 負けた。
 その姿を見たときのあたしの率直な感想だった。あたしもそれなりに容貌に自信があるが、それでもリーナちゃんと比べられると…… ちょっと悲しくなることもある。
 あたしの一五〇ちょいの身長に比べれば一六〇半ばのリーナちゃんは高すぎず低すぎずバランスがいい。スタイルもあたしよりも年下なのに…… ううっ、神様って不公平。
 ま、そんなこったいいや。人には好み、というのがあるんだし…… フォローになってないなあ……
 とにかく、見立ててもらったリーナちゃんのドレスは実に似合っていた。淡いブルーを基調にして派手ではなく、どちらかというと地味なデザインなのだが、それが逆にリーナちゃんの可憐さを際立たせていた。
 セミロングの髪はそのまま流し、小さな銀の髪飾りが清楚さを演出、アクセサリーも最低限に抑え本人の魅力を前面に出すのをコンセプトとしたようだ。
 大当たりである。下手に飾り付けるよりもこうした方がずっといい。さすがプロ。いい仕事をしている。素材の持ち味を殺さず生かし、更に味わいを深めている……って料理じゃあるまいし。
 で、その材料の方だけど、リーナちゃんはあたし達に見られているのが恥ずかしいのかうつむいて顔を朱に染めている。
 おいおい、今からこれじゃあ人前に出たときどうするんだ? リーナちゃんの内気がマイナスにならなきゃ…… でもこういう姿も可愛いかもね。
「似合う似合う。可愛いよ、うん。」
「で、しょ〜 この娘ならこんな感じにした方が素敵よ。これ以上は余計になるわ。」
 あたしも負けちゃいられない。別にリーナちゃん相手に勝ち負けを競ってもしょうがないが――リーナちゃん自体はそんなこと意識すらしてないしね――だからといってあたしがオシャレしない理由にはならない。紅茶とコーヒーは両方美味しいが、かといってどっちが美味しいかを論ずることはできないようなものだ。
 でもなあ…… あれだけ可愛いのを見せられると意識しちゃうようなあ…… 何かいいのあるかなあ……
「あら〜 ラシェルお困りのようね。分かるわよ〜 あの娘と自分を比べてたんでしょ。」
「まあ、ね。」
 あたしがそう答えると彼女はクププ、と含んだ笑いを見せる。なんか面白がっている様子だ。
「素直でいいわあ。ラシェルのそ〜ゆ〜とこ好きよ。」
 げっ、と一歩下がって顔を引きつらせたのを見て、慌てて彼女が否定の意を示すように手をヒラヒラさせる。
「大丈夫よ〜 あたしそんな趣味ないから。ラシェル同様、素敵な殿方の方がいいに決まってるじゃない。」
 あたし同様、てねえ…… 確かに嫌いじゃないけどそうあからさまに言われてはい、なんてひょいひょい言い返せるものでもない。ま、あたしは多少素敵でもつまらない男は好きじゃないけどね。
「それはいいけど、リーナちゃんは?」
「あの娘〜? それならさっき着替えに戻ったわよ。それよりもさ……」
 彼女が近づいて耳元で囁いてくる。こっちがゾクッとするような笑みを浮かべる。
「ラシェルに似合いそうなやつを取り置きしておいたんだけど…… 見る?」
「…………見る。」
 性格は別としても彼女のファッションセンスと見る目は信用できる。あたしのために取り置きした、というものには興味がある。
「こっちよ。」
 彼女は店の奥にへと歩いていった。

「ねぇ〜 こんな黒のボンテージなんか着たら注目の的よ〜」
 そりゃあ、ねえ。それで目立たないようならそっちの方が怖いわ。
「で、あたしの為に取り置きしたって、これなわけ?」
 ジェルのおかげで冷たい視線を向けるのが上手になってしまった。こんなことできたところで何の役にたつのやら。
「やっだ〜、ラシェル。冗談に決まっているでしょ、冗談に。」
 あっけらかんとした言い方に声が出なくなる。それでも握り拳が細かく震えるのが分かる。あたしのそんな様子を見てまたクププと含み笑いを浮かべた。
「怖い顔しちゃいやん。」
 何がいやんだ。本気で怒るぞ。
「ちょ〜っと待ってね。持ってくるから。」
 散々肩すかしを喰らって振りあげた拳のいきどころに困ってしまう。もういいよ、どうでもいいから早くしてよね。
「じゃ〜ん。見てこれ。素敵でしょ〜」
 そう言って彼女は一着のドレスを見せた。リーナちゃんのとは対照的に赤を基調にしたもので、華やかな雰囲気がある。絹製の花をノースリーブの肩の部分にあしらっている。ネックラインはちょっと大胆気味なデザインだけど胸元に気をつけるほどではない。それでも首回りが少し寂しいかもしれないから何かアクセサリーをつけたいところだ。
 試着したいところだが、あまりリーナちゃんを待たせるわけにいかない。サイズだけは確認しておかなければ…… あれ? 丈はピッタリだ……
「そりゃそ〜よ。ラシェルのために取っておいたんだから。あなたのサイズなんて上から下までぜ〜んぶお見通しよ。」
 あ、そう…… なんかアブナイ発言だけど…… 相手が女だからいいとするか。さすがに男に言われたらコワイものがある。
 ま、いいや……
「じゃ、これも包んでね。
 あと…… リーナちゃんの服も適当に見繕って揃えてくれる?」
「まっかせてちょ〜だい。」

「すごい荷物ですね……」
「あはは…… ちょっち多くなっちゃった、かな?」
「…………」
 苦笑い混じりの言葉にリーナちゃんが沈黙する。最初は二人の礼装のドレスとあたしの着替え? などを買うだけだったのだが、リーナちゃんのものも色々買ったらホントにすごい量になってしまった。
 それ以上に驚きがジェルの渡してくれたカードで代金を全くの苦もなく払えたことである。どれだけ入っているのか気になったが、聞いたところでコワイ答えが返ってきそうで追求しないことにする。
「でも…… これだけありますと、パンサーに積むのは難しいのではないでしょうか。」
 そう言われると…… パンサーはスポーツカータイプの車だからトランクや後部座席はお世辞にも広いとは言えない。
「困ったわねえ……」
 リーナちゃんが呼んだのかパンサーがブティックの前まで来たけど大量の荷物を見てポツリと一言、
〈私に積むのは無理ですよ。〉
 んなこと分かってるわよ。
〈どうやったらこんなに買い物ができるんです? ムダ遣いするな、って博士も言ってたじゃありませんか。〉
「あんたねえ…… 女の子二人の買い物なんてこんなもんよ。そういう無神経なことばっか言ってると、女の子に嫌われるわよ。」
〈はあ、そういうものですか……
 とにかく、今グレイを呼びましたからそちらに乗り換えて下さい。私はこの荷物を運びます。〉
 確かに人さえ乗らなければ積むことができるのも事実である。リーナちゃんと二人して大量の衣類をパンサーに積み込む。でも……
「グレイ? 誰それ?」
〈すぐに分かりますよ。ここから二キロの位置にいますので数分もしない内に着くと思います。それではお先に失礼します。〉
 またウィンドウを黒く変え、走り去って行った。黄色い車体が見えなくなるとそばにたたずんでいたリーナちゃんを振り返る。
「ねえ、グレイってどんな奴?」
「まあ…… その…… 大きい方です。
 あ、ちょうど来たようです。」
 リーナちゃんが指さした方を見ると車道を走る車の群れが見える。その中にひときわ大きな…… なんだあのでかいの……
 そのでかい…… トレーラーだな。そのトレーラーが前を走る車を無理矢理押し退けるように爆走してくる。ホーンをうるさく鳴らし、邪魔な車を追い散らす。そんなやかましいのがあたし達の前で止まった。
〈おお、すまぬすまぬ。すっかり遅れてしもうたわ。いかんのお、街中は車が多くて。走りづらくてかなわん。〉
 は……?
 目の前の大型トレーラーが喋ること自体はまあいい。ある程度予想はしていたことだ。しかしそれが年寄りの口調で喋るなんて誰が予想できるだろうか。さすがのあたしも一瞬目が点になってしまった。
「あ、あんたがグレイなの?」
〈そうじゃよ。儂がMIAIC−006、見ての通りの大型トレーラー、グレイエレファントじゃよ。〉
「それよりラシェルさん。急がないと……」
 あ、そうだった。服を選ぶのに随分な時間がかかっていたから一応は急がないと。周りの話の展開だとあたし達が戻ったらすぐにでも出発しかねない様子だ。
〈そうじゃった。ほれほれ、はよう乗った乗った。〉
 いつものように手も触れずに左右のドアが開く。あたし達が乗り込むと(運転席が高くて乗るのに苦労したが)グレイが走り始めた。

 グレイの内部はパンサーとほとんど同じだったが、トレーラーとスポーツカーの違いが随所にみられる。一番の違いはやっぱりグレイの方が大型化されているところだろう。スイッチやパネル、その他もろもろが全て大きい。ハッキリいってあたしじゃあブレーキやアクセルに足が届きそうにない。カイルあたりが運転するならさまになるんだろうが、リーナちゃんが座っているとなんとも滑稽に見える。
〈で、どこへ行きますかな?〉
「それでは市場の方までお願いします。」
〈いつもの所じゃな。〉
「はい。」
 へえー。リーナちゃんってどこかのスーパーやショッピングモールで買い物するんじゃないんだ。確かに面倒くさいかもしれないけど、市場の方がいいものが買えるからね。まあ…… あたしは外食やインスタント食品がほとんどだけど……
 都心付近はさすがに慢性的な渋滞だが、そこを離れると車の量も減ってくる。高い運転席から下を見るとなかなかに気分がいい。
〈全くパンサーめ。食料品の買い出しと聞いて、すぐに儂に押し付けようたわ。〉
 走りながらグレイが愚痴を言い始めた。
〈あ奴め、肉や魚の匂いが車内に残るのを嫌ったのじゃろう。そう素直に言えばよいものをなんかかんか理由をつけおって。〉
「あんたねえ……」
〈あれはきっと博士の影響じゃな。博士もなんだかんだで言い訳がましいからのお。〉
 それは分かるような気がする。
〈グリフォンとパンサーはモロに博士の影響が出とるからのお……〉
 イライライライラ……
 グレイの愚痴はまだ続く。
〈なんか博士も肝心なところで抜けとる、というか、そんな感じじゃからなあ。何か重大なミスをしなければ……〉
「ちょっとあんた! 黙って走れんのかっ!」
〈…………〉
 あたしの気迫に押されたのかグレイのおしゃべりがピタリと止む。
 ちょっと…… 言い過ぎたかな?
〈ほほお…… 噂通りじゃな。〉
 グレイの口調に楽しそうな響きが混じる。
「噂…… 通り……?」
 始めてあった車に噂が…… いや待て。一応前に見た憶えはある。確かリーナちゃんがパンサーを洗っていたときで、その隣にいたような気がする。その時はウンともスンとも言わなかったんで気にも留めなかったんだけど…… それでも噂になるような物事が思いつかない。
〈うむ。なんでも『唯一博士が頭の上がらない相手』ということじゃったな。〉
 ……当たっているとは思えないが、ハッキリと否定できないのが悲しいところである。
「誰がそんなこと言ってるのよ……」
 半ばくやし紛れの言葉が口から漏れる。
「あれ? ご存知ありませんでしたか?」
 とリーナちゃんがさも当たり前のように言う。
「ヒューイさんやカイルさん、ホーネットやパンサーが言い出したことなんですが、それで他の方々がラシェルさんに興味を抱いているようです。私はその噂は間違っていると思うのですが……」
 ……もしかして知らないのはあたしだけなわけ? 陰でそんなこと言われてたのか。
〈研究所やチームグリフォンの中では基本的に博士がいちばん強いからのお。その御仁に勝てる相手なんぞ…… 儂らの中では尊敬に値するのでな。先ほどのような一喝を喰らえば博士もひとたまりもないじゃろうて。〉
「あんたらなあ……」
 これだけ言われれば怒りを通り越して、逆に感心してしまう。自分事ながらなんとも複雑な気分だ。
(ジェルかあ……)
 あたしは心の中で呟く。
(なんかジェルって…… 行動が矛盾している。あたしから距離を置こうとするときもあれば、妙に接近してくることもある。
 好きとか嫌いとか、そういうレベルじゃないような気がする。……あたしに誰かの面影を重ねている? 何かを恐れている?
 あたしは…… あたしはジェルのことをどう思っているんだろう?
 あたしはなんで今、言葉を喋るトレーラーに乗っているんだろう?)
 泥沼化していく考えもどこ吹く風で、グレイは宇宙港に程近い市場に着いた。時代遅れと思われようとも露店ようなこじんまりとした店が道路の左右に並び、威勢のいいかけ声と共に様々な商品を売っている。やはり目につくのは生鮮食品の類だ。
(とりあえず、)
 心の中でそっと苦笑する。
(食料品の買いだし、という理由があったわね。)

 市場は大盛況だった。存在は知っていたが、来たのは始めてだった。人で賑わっている。リーナちゃんはちょっと落ちつかないようだ。普通なら店の品定めの為にどちらかというとキョロキョロしているもんだと思うが、周りに目もくれず、スタスタ歩いている。もしかしてリーナちゃんって人混みが苦手? そりゃそうだ。どちらかといえばリーナちゃんって内気で人見知りをする方だ。外見上はニッコリ微笑んでいるけど自分から一歩引いたところにいることが多い。
「リーナちゃんリーナちゃん。」
「……はい?」
「市場抜けちゃうわよ。」
 よほど周りが見えなかったんだろう。もう反対側がすぐそこである。
「あ…… ご、ごめんなさい。」
 頭を下げるリーナちゃんにあたしは思わず頭をかく。ジェルに向けるようなジト目でそばの少女を見る。
「あんまり、こういうこと言いたくないんだけどさ……」
「…………」
「そうやってすぐ謝るのは止めた方がいいんじゃない?」
「はい…… すいま……」
「ほらっ! また謝ってる。」
「…………」
 リーナちゃんも少しはジェルの図太さを見習えば…… いや、あんな風になったらぜったい嫌だ。
「ま、」
 彼女の肩をポン、と叩く。一瞬、リーナちゃんの体がビクッと震えた。多少言いすぎたかな、とも思ったけどこれもリーナちゃんのため、と自分に言い聞かせる。
「小言はここまで。」
 ニッコリと彼女に微笑みかける。しばらくしてぎこちない笑みが返ってきた。……予想通り、ジェルはリーナちゃんを甘やかしている、というか強く言うことがないようだ。本来の性格の良さからとりたてて注意することなんてないけど、時には優しすぎたり人が良すぎるのも注意しなければいけない。飽くまでもジェルが彼女の保護者を自称しているのなら時には…… ってあんな朴念仁に微妙な女心を考えろ、というのに無理があるか。
 リーナちゃんはジェルがこの世に生を与えた人工生命体――つまり人造人間である。見た目は十六、七の少女だが、実際は生まれて半年ほどである。つまり精神的にはまだまだ子供なのだ。だからジェル達ももう少し気を使えばいいのだが……
「急ごう。早くしないとジェル達が大挙して襲ってくるわよ。」
 クスッ。
 やっとリーナちゃんが笑ってくれた。急かすように彼女の手をとるとまた市場の中に戻っていくことにした。

「あ、これなんかいいですね。これを三キロほどもらえますか?」
 三キロ?
「それだけでいいかい? こっちも見てくれよ。」
「それではこれも一キロほど。」
 ……肉をキロ単位で買うんじゃない。まあ分からないでもない。あいつらの喰う量を考えるとまだ少ないのかもしれない。
「まいど! お荷物はいつもと同じですね。」
「はい、お願いします。」
 そう言って何も持たずに店を離れる。あれ?
「ねえ、買った物はどうするの?」
「それなら大丈夫です。荷物持ちがすぐ来ますので。」
「荷物持ち?」
 その疑問はすぐに氷解した。別の店を物色しているとグレイのいる方からキャタピラーのついた三十センチ立方くらいの四角い箱がいくつか歩いて(?)くる。そういえば研究所で見たことがある。汎用の小型ロボット、名前は「キューブ(見たまんまだな)」というものらしい。これがリーナちゃんの言った「荷物持ち」だろう。
 周りの人間があまり驚いていないところを見ると、結構馴染みになった光景らしい。ま、いいけどね。
 それにしても…… 数で数える物は十個単位、重さはキロ単位で買っていくのを見るとまとめ買いとはいえ、五人分の食事とは思えない。
 買っていく先からキューブがやってきてグレイとあたし達を往復する。
 なーんか、最近ジェルとあってからだけど、滅多なことでは動じなくなったような気がする…… いいことか悪いことか。あたしはどちらかというと後者の方を推したい。
「後どれくらい?」
 慣れない買い物で疲れてきた。普段から料理とか買い物とかいう家事に少し慣れておくべきだった。そういう時に自分が一応でもお嬢様育ちだ、ということに嫌でも気付く。
 正直、あたしとしてはパパの財団のことなんてどうでもいい、と思っている。それでも一人娘だから何らかの形でそれを引き継がなきゃならないだろう。あたしは普通の女の子でいたいのに。
「後は野菜を少し、ですね。」
 リーナちゃんの声が一瞬遠くから聞こえてきた。野菜、ね。何十個要るんだろうか。それが疑問に残った。

「いい買い物をしました。」
 グレイの運転席で何となくリーナちゃんはニコニコしていた。自分の買い物の結果に満足しているんだろう。
 結局レストランが一軒開けそうなほどの材料を買い揃え、グレイのコンテナ(そのために冷蔵冷凍のものにしたらしい)に積んで研究所に戻る途中である。
 ピロピロピロピロ……
 車内のパネルの一つが軽快な電子音をたてた。それの隅で「CALL」という文字が点滅する。
〈ぬ、グリフォンからじゃな。通信回線を開くぞ。〉
 すぐにグレイの声のかわりに聞き慣れた、そしていつもの不機嫌そうな声が聞こえてくる。
『私だ。何やってんだ二人とも?』
 怒っているような口調にリーナちゃんが困ったような表情を浮かべる。あたしは眉一本動かさなかった。ジェルの声は怒ったよう、であり、別に怒っているわけでもなく不機嫌そうな声もいつものことである。ま、別にジェルが怒ったところで怖くもないけどね。……そういやあジェルが本気で怒ったところ、見たことないな。
『ともかく、』
 ジェルの口調が変わった。この変化のしかたは次にくだらなく他人を困らせるようなことを言う前触れである。
『あまりにも遅いから直接迎えに行くことにする。グレイ、今から送るデータ通りに進路を変えるように。』
〈了解じゃ。〉
 それだけ言って唐突に通信が切れる。
 ハンドルが勝手に動き、ほとんどUターンするような感じで郊外に向かう道路に出る。
 長い一本道で幅は広い。何故か知らないが、ある時を境に車の流れが途絶える。
〈上空にグリフォン発見。どうやらここに降りるようじゃな。〉
 グレイに言われて窓から顔を出すと、朝にも見た巨大な航空機(あとで聞いたらグリフォンは小さい部類に入るそうだ)がゆっくりと降下してくるところだった。
 そのおそらくグリフォンという名の航空機が下から支持脚を出し、こちらに後ろを見せる形で道路に着陸する。後ろに見える六つのエンジンの下の装甲板が下りてくる。スロープになっているようだ。
 それを確認するとグレイがそこからグリフォンの内部に入り込んだ。入ったところは格納庫のようで、左右にホーネットにパンサー。あと見たことのない飛行機が二機に戦車のようなのが一台止まっていた。
『はいはい。とにかくコクピットまで来なさい。すぐに発進するから。』
 またジェルの声が通信機から流れる。
 言われるままにグレイを降りてリーナちゃんと共にコクピットルームまで移動する。途中の通路はTVに出てくる宇宙船そのまんまだった。こんなのに乗るのは始めてだったので何となくドキドキする。
 少し歩いて通路の突き当たりのドアが開く。ここがコクピットのようだ。
 中はこれまたそれもんの感じ。前面を巨大なモニターが占めており、左右に大小のモニターがひしめきあっていた。それぞれにコンソールやモニターを備えた席が横二×縦三の六席あった。前の右がヒューイ、左がカイル。そしてカイルの後ろにジェルが座っている。
 すぐにリーナちゃんがジェルの隣、ヒューイの後ろに座る。後ろの二席は空席だった。
「あたしの席は?」
「あるわけないでしょ。」
 振り向きもせず、ジェルが応える。反射的に拳を振り上げそうになるが、言い繕うようにジェルが続ける。
「……という訳にもいきませんから適当に好きなところに座って下さい。」
 そう言われても空いているのは後ろの二席だけ。あまり考えずにジェルの後ろの席に腰をおろした。シートがあたしの体型に合わせて変形する。なかなかに座り心地はいい。
「分かっているとは思いますが、スイッチ類に手を触れないように。」
 はいはい、分かってます。
〈信号の制御を解除します。
 申し遅れました。私はMIAIC−001シルバーグリフォンです。〉
 コクピットに声が響いた。この宇宙船の制御コンピューターだろう。
「あたしはラシェルよ。」
〈ラシェルさんですね。よろしくお願いいたします。
 博士、発進準備完了しました。〉
「はいよ。それでは……
 シルバーグリフォン。発進!」
〈了解!〉
 グリフォンの声と共に浮遊感に襲われる。前面モニターの視界が上昇していく。機首が上向きになったのだろう。沈みかけた太陽がモニターから見えなくなった。
 背後でエンジン音のようなものが聞こえた。雲が近づいてきて、そして追い越していく。いくつかの雲を越えると空が暗くなってきた。
 そして…… グリフォンはあたし達を乗せて宇宙へ飛び出したのであった。

 

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