FREEZE! 第二話

− Chilly Stampede −

 

 

我が名はレイファルス

我が司るは冬

大地に霜を

湖には氷を

山には雪をもたらす者

我が求めるは知恵

 破壊より停止、争乱より平和を好む

我は冷酷なる哲学者

我は冷気を操り、氷を生み出す者

そして氷の精霊を従えし者

大地に縛られし者は我をこう呼ぶ

気高き氷雪の魔狼、フェンリルと

 

 

 

 未だ神の力、滅び去った古代王国の魔法が残っている大地。剣と魔法が支配する世界。それがフォーセリアである。その中心を占める巨大な大陸・アレクラスト大陸では冒険者と呼ばれる者たちが名誉や富を求め、あるいは自らの腕を試すために今日もまた危険にむけて旅立つのであった。

「自由人たちの街道」

 アレクラスト大陸を東西に貫く街道で、東はオラン、西は西部諸国(テン・チルドレン)へと通じている。
 どこの国にも属さない「自由人」パルマーとその後継者たちによって造られたこの道は大陸の大動脈であると同時に自由と夢、そして冒険の象徴でもある。
 出発点のオランから西にひと月ほど進むと商業都市として名高い「職人たちの王国」エレミアにつく。
 そこから更に三週間ほど西に進むと北にアレクラスト大陸最大のエア湖を臨む「湖岸の王国」ザインに到着する…… が、我々はまだエレミアを出たばっかりである。
 自己紹介をしよう。私の名前はレイファルス。実は私は氷の上位精霊のフェンリルであるが、遥か昔に一本の大剣に封じこめられてしまった。それ以来、私は氷の魔剣として様々な人の手にわたり長い時を過ごしてきた。
 現在はある少女に背負われて、昔では考えられないほどのんびりとした生活を送っている。で、その少女というのが……
「レイファルス! 今あんた、あたしの悪口を言おうとしたでしょう。」
 私に向かって(ホントに)年端もいかない少女の声が飛んでくる。耳の長さに比例しているのか彼女は地獄耳である。
 いや、別に。
 とりあえず私はそう弁解しておくことにした。私は他人の悪口を言うような心の狭い精霊ではない。しかし、口答えでもしようものならその何倍も言い返されるのは目に見えている。
 ま、とにかく今、私に声をかけた少女が私の現在の所有者(彼女はこの言い方を嫌っているが)のミルである。
 彼女は人間で言えば一三、四のエルフの少女(というより完全に子供だが)でセミロングのプラチナブロンドとサファイアブルーの瞳がチャームポイントだ、と本人は言っていた。まあそれはいいとして、一応ああ見えても一流の精霊使い(シャーマン)である。私を所持しているだけあって剣の腕もそこらの騎士ほどのものがあるが、エルフの女の子である以上、腕力と体力のなさは致命的であるから戦士としては大成しないだろうし本人もそれを望んではいない。ま、よほどの相手でない限り私もいることだから負けることはないだろう。なにかあったら精霊魔法を使えばよいのだから。
 それはさておき、ミル以外にも二人ほど同行者がいる。
 一人はミルのひじから指先ほどの小妖精(ピクシー)で名前はシャラン。背中にはちゃんと昆虫のような羽がある。この手の妖精族は統計も採れないほどの数しか確認されていないが、別に絶滅の危機に瀕しているわけでもない。ただ単に物質界にあまり姿を現さないだけだ。それ故に何処へ行っても注目の的ではあるが…… それこそ背丈以上の大剣を背負っているエルフの女の子というだけで十分に注目を集めている。まったく…… 少しは目立たないように努力しろよな……
 おっと…… 話がそれてしまいそうだ…… というわけでもう一人の同行者はエレナという半妖精の(これまた)精霊使い(シャーマン)の少女である。エレミアまでの道中で知り合った娘だが、悪徳商人とのゴタゴタのに巻き込まれた挙げ句、うやむやのうちに我々と同行することになった。こいつもまたこいつでミル同様にトラブルを引き起こす名人だろうと私はみている。
 しかし…… どう考えても道中苦労するのは目に見えている。無論、私だけだろうが…… ふぅ。

 さて、我々は今、エレミアから二週間、ザインから一週間くらいのところまでたどり着いた。あと十日くらいかなあ…… ミルの足だと。
「暇ねえ……」
 ぽつりとミルが呟く。だいたい一時間に五回くらいはこの言葉を言っているだろうか。そしてため息をつき、
「何か面白いことないかなあ。」
 ほら、やっぱり。言うと思った。
「そうねえ。」
 ミルに同意するようにエレナも呟く。ここ数日、気のせいかも知れないが誰一人として遭ってないような気がする。ずーっと、似たような風景が続いているのも原因の一つかも知れない。
「でも、それは平穏無事ってことになりませんか?」
 お、いいこと言うねえ、シャラン。確かにその通りだ。厄介ごとに巻き込まれるよりは退屈した方がずっとマシだ。
「あんたみたいに時間感覚がない精霊に退屈の辛さは解らないのよ。」
 おや、変だな。エルフも基本的に時間感覚が欠如しているものだと思ったが。
「あたしはねえ、最近になって時間を無駄にしていたことに気づいたのよ。」
 はあ、そうですか。
 そんな不毛な会話をしていると、突然、ミルが荷物の中から小さな竪琴を取りだした。それを見てエレナが一瞬妙な顔をする。何それ、と言わんばかりに。
「うーんと…… 音は大丈夫ね……」
 弦を数本弾いて音色を確かめてから、ゆっくりと歌い始める。
「不思議の扉
 魔法の小箱
 魔女の水晶玉
 秘密の秘密の虫眼鏡」
 普段からは想像できないような(と言っても地声が汚いわけではない。ただ単に普段は子供口調だから違和感があるだけである)綺麗なソプラノを竪琴の音色に合わせて響かせた。
 私も知らなかったがミルは吟遊詩人(バード)の訓練を受けていたらしい。シャランはそのことを心得ていたのか目を閉じて歌に聞きほれているようだ。
「近づいてごらん
 見においで
 ラフィル・エレム・ラウ・テューラ」
 歌は続いている。エレナはミルが竪琴を演奏して歌っているのが珍しいのか、歩きながらもチラチラ後ろの方を気にしている。
 ……はて、何処かでこんな曲を聴いたことが…… そういえば上位古代語(ハイエイシェント)の歌詞が混じっているなあ…… もしかして呪歌(バードソング)ってやつか? そうなると、いったいなんの呪歌なんだか……
「ねえねえ、それ何の曲?」
 たまらなくなったのかエレナがミルを振り向く。そういえば、こんな効果を生み出す呪歌があったような……
「あ、これね。これは『好奇心(キュアリオスティ)』ていう呪歌なの。」
「呪歌? 好奇心? なにそれ……」
 なんだ…… 「好奇心」か……
「なになに? レイファルス知ってるの?」
 当然だ。よし、いい機会だ。呪歌について簡単に説明しよう。
 そもそも呪歌っていうのはだな、旋律自体に魔力がこもっていてそれを演奏することによって魔法の効果を生み出すものだ。
「じゃあ、歌詞は関係ないの?」
 さあ、これにも諸説粉々(しょせつふんぷん)があるが、歌詞は旋律の魔力の補助に過ぎないという説が多いらしいな。
「へぇー、知らなかった。」
 歌っている本人がそれでどうする……
 で、呪歌の特徴としては歌を聞いた人全てに――それこそモンスターにも――影響をおよぼす。ま、それ故に効果も限られたものが多いけどな。
 それより、さっきミルが歌っていたのが「好奇心」という呪歌で、この歌を聞いたものは演奏するものが気になって隠れたところからでも顔を出したくなるという……
 待て…… どうでもいいが、そんなのを演奏して近くにモンスターがいたらどうなる。
「……退屈でなくなる。」
 あっさりと言うなぁ……
 何となくやな予感がしたので私は辺りの気配を探ろうと感覚をこらす。
 ……はて、近くの草むらに大型の生命の精霊らしいものが感じられるが……
 私がそう考えていると、その草むらから二人の男が現れた。音色に惹(ひ)かれて出てきたのだろう。すでにミルが歌うのを止めているのですぐに正気に戻るだろうが……
「なにか…… 山賊のようですね……」
 上空を飛んでいるシャランがそんなことを口にした。どれどれ……
 二人とも顔立ちや背格好はまるで違うが、同じような雰囲気をしている。揃って薄汚れた革鎧を身につけ、腰にはシミターらしき剣を下げている。ふむ、確かに山賊っぽい格好をしているな。
 そいつらはフラフラと何かに憑かれたかのように姿をあらわしたが、すぐに目の焦点が戻り我に返ったようだ。
「お、なんだなんだ。」
 山賊らしき男の若い方がそんな声をあげた。そして思いだしたかのように腰の剣を抜く。
「まあいい、命が惜しければ金目のものを置いていきな。」
 使い古されたセリフである。まあ、気のきいたことを言えないから山賊なんぞをやっているんだろうが。
「さ、山賊よ! ねえ、ミルどうしよう!」
「…………」
 エレナがミルの後ろに隠れる。
 ……しかし、自分より小さい奴の後ろに隠れてどうする……
「お、こっちのガキは怖くて声も出ねえようだぜ。」
 ミルが一言も口を開かないのを怖いためだと思ったらしい、手に持った小汚い剣をミルの眼前に持ってくる。
「なーに、命を取るとまではいわねえ。嬢ちゃんたちには不似合いなもんを貰うだけで通してやると言ってるんだぜ。」
「…………」
 ミルは相変わらず口を開く様子がない。
 エレナはともかくシャランも私も少々不安になってくる。なに考えてるんだか……
「てめえ、何とかいえよ。」
 山賊の片割れが苛立ったように声を荒立て、剣を振りあげる素振りを見せた。
 それを見てミルがニコッと微笑む。これをなにか馬鹿にされたと思ったのか、その短気そうな山賊はミルに向かって剣を振りおろす。
「キャー!」
 エレナの悲鳴と剣が空気を斬る音が重なった。ミルに刃が迫るが寸前でそれをヒョイとかわした。
「やーい、へったくそー。」
 ミルが相手を馬鹿にしたような声をあげる。他人を怒らせることに関しては名人の域に達しているな。
〈うっさいわねえ。〉
 聞こえたようだ……
 ひょい、と私の柄に手をかけた。鞘の止め金が外された。
 おいおい…… こんな三下相手に私を抜くつもりか……
 が、ミルが私を構えた瞬間、山賊が色を失った。まさかこいつら、脅かしただけで金品を奪えると思ってたのか……?
「お、おう。その程度でお、俺達がビビると思ってんじゃねえよなあ。」
 ……おい、十分声が震えてるぞ。
「なーんだ、つまんない。」
 子供というのは歯に衣着せないというか、容赦がないというか。とにかく…… ひどい言いようだな。
 それでも気力を失った山賊はミルの毒舌にも返す言葉もなくしょんぼりとしている。なんなんだ、おい……
「兄貴ぃ〜 やっぱり駄目だよ。それに女の子相手になんてなぁ……」
 まあ…… 相手は普通じゃないし……
〈うるさい。〉
〈レイファルスってさあ…… 実は墓穴掘るの好きなんじゃない?〉
 ああ…… エレナにまで嫌みを言われるなんて。あ、シャランも後ろでクスクス笑っている。
 しかし…… この山賊達はなんか様子が変だ。気になるなぁ……
「すいません、お嬢さん達。この辺はタチの悪い山賊達がでますので、街道沿いの宿屋までお送りしますから…… 何か恵んでもらえますか?」
 はぁ? さすがに耳を疑ってしまう。山賊が「タチの悪い山賊が出る」って? さすがに他のみんなも不思議そうな顔をしている。
「あの…… よろしければ事情を聞かせてもらえますか?」
 多分、私を除いて一番精神年齢が高いシャランがその山賊二人の目の高さにフワフワと浮いた。年かさの方がシャランを見て目を輝かす。
「ほぉ…… ピクシーか。長らく…… おそらく子供の頃に見たきりだろうな。」
 さっきまでの凶暴そうな姿は完全になりをひそめていた。歩きながらポツリポツリと事の次第を話し始めた。
 途中でミルやエレナの無神経なツッコミや茶々が入ったが、年かさの山賊――名前をイラムと名乗った――はその様子にも怒り出しもせず、語った内容をまとめるとだ……
 この辺の街道には昔から山賊、というか…… 簡単に言うと押し掛けの護衛、をやっている一団がいた。慣れない旅人や、親子連れとか、貧しそうな人達からはタダ同然の値段で街道の安全を約束する。そしていかにも金持ちそうな、しかも同情できなさそうな相手からは散々ふんだくり、更に本当の山賊に変わるときもあるという。それでも、殺さず、困るほど奪わず、を旗印として荒野で細々と暮らしていたそうだ。
 が、一月ほど前から別の山賊が入り込んで来て誰それ構わず奪い、さらい、殺し始めたというのだ。当然、彼らはその山賊に反抗した。その魔の手から救うため、そして退治しようとしたが、逆にやられ仲間が何人も殺されたという。
 で、仲間も減り、稼ぎは減り、ついに本当に山賊になろうとしたが…… どの仲間も結局できずに、自然消滅を待つばかりに、というわけらしい。
「ひどい話しね。」
 ミルが不機嫌そうな顔を見せた。
 賭けてもいい。絶対、ロクなことを言い出さないだろう。
「どこにいるのその山賊? あたしが退治してあげる。」
「ええっ!」
 エレナが悲鳴のような声をあげる、いや実際に悲鳴だろう。
 そりゃそうだ。恐らく我々の中で一番戦闘力の低いのはエレナだろう。ミルの精霊使いとしての腕は超一流だし(あの外見にも関わらず)、しかも剣の腕もそれなりときている。シャランは精霊使いとしてはミルに劣るがそれでも一流と名乗っても恥ずかしくない腕前だし、古代語魔法(ソーサラーマジック)もそれなりに使える。エレナも精霊使いとはいえ、二人に比べればずっと落ちる。
 理由はそれだけではないかも知れないが、それでも悲鳴をあげたくなるのも分かるような気がする。
「止めときな、お嬢さん達。悪いことは言わない。この辺で遭ったことはきれいさっぱり忘れた方がいい。」
「でも……」
 まだ何か言いたがるミルを子供を諭すように宥めるイラム。寂しげながらも優しく語る年かさの山賊にミルも黙り込む。
「時には見て見ぬふりも必要だよ。それが現実、人生というものだ。」
「でも…… あたしには……」
 ミルの中の感情の精霊が不安げに揺れ動いている。もともと賢い娘だ、頭では理解しているだろう。それでも感情が許さないというところか。いい意味でも悪い意味でも正直で真っ直ぐだ。
 ミルの呟きを風切り音が遮った。何かが肉に突き刺さる音とわずかな苦痛の声。私の近くで人が一人倒れた。
「おっちゃん!」
「兄貴!」
 イラムの胸に矢がはえていた。当然撃った者がいる。半ば反射的にミルは片手を上げ、早口で精霊語の呟きを始める。
〈自由なる風の乙女シルフ。我らに向かう憎悪を優しき空の心に抱きたまえ。〉
 とっさに唱えた〈矢外らし(ミサイルプロテクション)〉の呪文が第二、第三の矢の到達を阻む。
「兄貴ぃ!」
 若い方の山賊がイラムの様子を見る。彼にも分かっているはずだ。すでにイラムから生命の精霊が感じられない。運悪く矢は正確に心臓を貫いていた。
「くそぉ、よくも兄貴を!」
「ダメェェェェ!」
「私達から離れないで!」
 ミルやシャランの制止の声も聞かずに若い男は矢の飛んできた方に走り出していた。すぐに〈矢外らし〉の範囲から離れることになる。次の瞬間、男の体に矢が集中する……
「逃げろっ! 逃げるんだっ……!」
 矢を全身に浴びながらもその若い山賊は我々を逃がすために姿の見えない敵に立ちはだかる。再び矢が男を襲った。どう見てももう助からない。
 ミルがギリッと奥歯を噛みしめた。
「に…… 逃げるわよ……」
 まさに血を吐くような声でミルが言う。すぐに背中を向けて走り始めた。次にエレナが後を追い、その肩にシャランがつかまった。
「ごめんなさい…… ごめんなさい……」
 ミルの体が小刻みに震えている。半ば色を失った唇から謝罪の声が何度も何度ももれていた。

 とりあえず逃げ切れたようだ。周囲に私達以外の人影は感じられない。前も言ったと思うが私には厳密な意味でいう感覚器官が存在しない。まあ、剣の表面に目や耳があるのは不気味だろう。だから周囲をあくまでも感覚的に「視て」いるだけだ。
 ミルは疲れてへたりこんでいる。肉体は疲れているだけだろうが精神は深い傷を負っているに違いない。
 ミルはきっとこう後悔しているのだろう。『あの時あの場で自分がすぐに本気を出していれば……』と。イラムは仕方なかったとしても一本目の矢で強力な攻撃呪文を出していれば倒せないまでも追い払うことはできたかも知れない。そうすればあの若い方も……そういえば名前を聞いてなかったな……死なずにすんだかも知れない。
「どうするの……?」
 いつもとは違うミルの様子にエレナがおそるおそる訊ねる。しょげている姿は見たことがあっても、ミルの傷ついた姿なんて誰も想像できないに違いない。私だってそうだ。
「ね、ねえ…… やっぱりさあ厄介事には首を突っ込まない方が……」
「エレナ!」
 思った以上のミルの強い口調にエレナは一瞬身を竦めた。きつい視線でエレナを睨み続けるミル。ふとそのサファイアブルーの瞳に優しい光が戻る。
「ごめん…… あたしじゃないわね、こういうのって。でも…… おっちゃん達のこと考えると放っておけないの。」
 呟くように言ってから上目遣いでミルはエレナの方を窺う。そんな子供のような表情に半ば姉代わりになってしまったエレナが苦笑気味に微笑む。
「しょうがないわね、ミルは。どーせ言ったところで聞かないとは思ってたけど。
 最後まで付き合うしかないか……」
 とは言うもののエレナの顔にはうっすら楽しそうな微笑みが浮かんでいる。
「エレナ…… ありがとう……」
 ミルの言葉にハーフエルフの少女は小さく肩をすくめる。
「そんなこと言われてもねえ…… ミルが頑張ってくれないとあたしも大変なんだけど……ねえ。」
〈気をつけて下さい! 誰か来ます!〉
 二人の会話中、ずっと上空で周りを警戒していたシャランが精霊語(サイレントスピリット)でそう叫んだ。私も周囲に感覚を広げる。囲まれているわけではない。我々の逃げてきた方から何人か…… いや十何人くらいか、が近づいてくる。感情の精霊の雰囲気からして友好的な様子はまるでない。
〈弓を持ったのと剣を持った人が。……! 剣には…… 血の跡が。まだ新しい……〉
 シャランの掠れ声が切なそうに響いた。
 弓か…… ということは相手は散開する可能性がある、か。そうされると厄介だからかたまっている内に叩くべきだろう。
〈どうしたらいい?〉
 ……そうだな。作戦、ってほどでもないが、私の指示通りに動いてくれ。
 いつの間にか集まってきた三人が無言で頷く。私は簡単な「作戦」を説明した。

〈小さき闇の住人、恐怖を司る者よ。我が呼びかけに応じてこの地に来たれ!〉
 口火を切ったエレナの精霊魔法だった。彼女の呼びかけで闇の精霊(シェイド)が物質界に姿を現す。ちょうど奴らのど真ん中にだ。その精霊が生んだ暗闇が混乱を生じさせた。
「物質の根源たるマナよ。破滅の火、爆炎となりて全てを焼き尽くせ!」
 上空に待機していたシャランが「火球(ファイヤーボール)」の呪文を闇の中に炸裂させた。くぐもった爆音に混じって悲鳴のような声が聞こえる。
〈風の王ジンよ。かりそめの精霊の契約により我が声に応じよ。一陣の風と共に現れ、疾風と共に消えよ!〉
 長い呪文を一息で唱える。その瞬間、「火球」の炸裂した闇の中から今度は風の唸り声が聞こえてきた。そら耳のような小さな音が徐々に大きくなり、それに伴って風も強くなる。風が渦を巻き、風が刃となる。
〈竜巻(ウィンドストーム)〉の呪文だ。シャランの「火球」もミルの〈竜巻〉も手加減をして威力を絞ってある。この二人が本気で呪文をかけたらそこいらのゴロツキは一発で絶命してしまう。
 情けをかける必要なんて私には全く感じられないが、それが出来ないのがあの娘達の強さか…… 弱さかは分からない。
 とにかく、十秒も経たずに山賊どもは抵抗力を根こそぎ奪われた。エレナが闇の精霊を消したあとには火傷と切り傷に呻く山賊どもがいるだけだった。弱い、というよりかミル達が強いだけだ。で、こいつらをどうするんだ、ミル?
「どうしようねえ……?」
 おいおい……

「へんっ! ガキに話すことなんてなぁ〜んもねえぜ。」
 手分けして山賊どもをそこらへんの木に縛りつけたはいいけど何をするでもなく半分持て余してしまった。とにかく、山賊の親玉の居場所なんかを聞こうとしたのだが…… 見かけが見かけで完全に嘗められてしまった。こっちに殺す気や拷問する気がない、ということも嘗められている原因だろう。
「困ったわねえ……」
 このまま放っておくのもなんとも芸がない。かといって尋問は全くはかどらない。
 嘘を見抜く魔法はあっても相手の心を読めるような便利な魔法はない。〈魅了(チャーム)〉という手が無いわけでもないが、今一つ決め手に欠けるだろう。……ん? 待てよ。そういう手もあるか……?
〈なになに?〉
 うまくいくかどうかは分からないけどな。あの魔法をだな、ゴニョゴニョ……

「じゃ、シャランも手伝って。」
「あ、はい。」
「ねえねえ、なにすんの?」
 エレナの問にミルがにっこり微笑む。
「い・い・こ・と。」

「万物の根源たるマナよ。この者を囲む偽りの壁を打ち破りたまえ。」
〈漆黒の住人シェイドよ。闇の恐怖を忘れた愚か者に夜の裁きを与えたまえ。〉
 シャランとミルが呪文を唱える。シャランの呪文は尋問しようとする男に見かけ上は何も変化を及ぼさないように見える。しかし、ミルの魔法が完成すると男の表情が劇的に変化をする。さっきまで他人を馬鹿にしていたような顔が一瞬の内に雪のように白くなる。その上、顔全体にじっとり脂汗が流れる。
 ミルが魔法を中断させたのか男が落ちついたように見える。
「ね、教えて。おっちゃん達のボスはどこにいるの?」
「だ、誰が言うものか。」
 さっきと違って男が震えているのがはた目にも分かる。
「ふ〜ん。」
 パチンとミルが指を鳴らすと再び男が真っ青になる。しばらくそのままにしてからまた魔法を中断する。
「どうなの? あたし、あんまり気が長い方じゃ無いんだけど……」
「わ、分かった。ボスは北の山の……」
「嘘は止めて下さいね。」
 シャランの一言が男の声帯を一瞬石に変える。だいたい分かったろう。シャランが唱えたのは「嘘発見(センスライ)」でミルのが〈恐怖(フィア)〉の呪文だ。
 ……精神的な拷問だな。こりゃ。
「何だって! 本当なのそれ?」 
「嘘は言ってないようです。」
「う、嘘は言わねえ。だから頼む! もう助けてくれ。」
「…………」
 どうしたんだミル?
 私の問いに応えないでミルは無言で私を抜いた。軽く上から下まで振りおろすと男を縛りつけていたロープが切れて下に落ちる。
 男が立ち上がる前にその喉に私が突きつけられる。
「早く案内して!」
「わ、わかったよ……」
 ミル、いったいどうしたんだ?
〈この人達の別動隊がが近くの村を襲っている、という話です。〉
 ミルのかわりにシャランがそう答えた。
〈なんですって! 本当なの?〉
〈嘘はついてませんでした。イラムさんを襲ったのもその村に行く途中で、ただ何となく…… ということです。〉
〈酷い話。ミルが怒るのも無理ないわ。〉
 全くだ。
 男の後を追って走っていると風の中に火の匂い……というか、炎の精霊(サラマンダー)の雰囲気が混じっているのに気付いた。
「何か…… 燃えてる……」
 誰ともなしにそんな声が聞こえた。嫌な予感が頭をよぎる。願わくばはずれであって欲しい。
「お願い…… 間に合って……」
 ミルの呟きが彼女の焦燥を如実に語っていた。そして予感が現実になる。
 進行方向から黒い煙が何箇所も立ちのぼっているのが見えた。

 すでに手遅れだった。火矢をかけられたのだろう。建物のほとんどが燃える炭と化していた。血溜まりの中で何人もの人が倒れている。精霊の様子を見なくても絶命しているのは明らかだった。
 下卑た笑い声と、女の悲鳴と、子供の鳴き声が混じりあって聞くに堪えない不協和音になっていた。
 耳を塞ぎ、目を閉じたい気分だった。
 貧しくとも小さくとも平和に暮らしていた村なのだろう。しかし今はその面影はない。阿鼻叫喚とはこのようなことを言うのだろう。
「…………!」
 今…… 断末魔の叫びが聞こえた。まだ年端も行かぬ子供の声だ。何と叫んだかは分からなかったが、それが親を呼ぶ声だ、ということは容易に想像できた。
「ひどい……」
 シャランが一言皆の気持ちを代弁した。何万語の言葉を弄しても今の彼女達の気持ちを表現し尽くせないだろう。多感な少女達にはつらい光景かも知れない。
…………ない。
 ん? ミル、何か言ったか?
「許せない……」
 私を握る手が震えていた。瞳が怒りに燃えている。
許せないっ!
 我々の制止の声も聞かず、ミルは私を手に走り出していた。心の中に怒りの精霊(ヒューリー)の力が満ちてくるのがハッキリと分かる。
〈レイファルス! 〈氷嵐(アイスストーム)〉よ!〉
 山賊のかたまっているあたりに私の剣先が向けられる。確かにこの距離、範囲を考えると私が少し力を解放すれば人間大の氷柱がいくつもできるだろう。
 しかし、私は力を使わなかった。マスターの命令に逆らうなんて自分でも不思議だったが、でも今こんな形で力を使いたくなかった。
 マスターが必ず後で自己嫌悪に陥り、悔やむことが分かっているのに命令に従えるだろうか?
 ダメだミル。後悔するだけだぞ。
〈もういい……〉
 私は無造作に投げ捨てられた。ミルが片手を上げて、近くで燃えている家を門として精霊を呼び出し始める。
〈業火の守護者イフリートよ。破壊の時は来たれり。炎をまといて……〉
 止めろっ! 怒りや憎悪にまかせて精霊の力を使うな。暴走するだけじゃない…… 自分の心まで破壊されることになるぞ!
〈……眼前の全てを焼き尽くすために……〉
 ミルは〈炎嵐(ファイヤーストーム)〉の詠唱を止めようとしない。私の声が聞こえていない。完全に頭に血が昇っているようだ。
 …………
 ……すまん、ミル。
 氷棺(アイスコフィン)!
 私から発せられた冷気がミルを襲う。うっすらと空間に氷が浮かび、その小柄な体を包み込む。
 瞬く間にミルは巨大な氷柱に閉じ込められた。命に別状はない。単に仮死状態になっているだけだ。
 自分の中に精霊力を集中させ、私はもう一つの姿――氷雪の魔狼(フェンリル)にその身を転じる。
 少し遅れてエレナとシャランがこの場に着いた。氷柱のミルと魔狼の姿をとった私に二人の動きが一瞬止まる。
〈レイファルス…… どうしたのですか? 何があったのですか?〉
 シャランの言葉に小さく首を振る。
 マスターを護るのが私の使命だ。
 狼の顔には表情が浮かぶはず無いのだが、その時一瞬自分が笑ったような気がした。
 そしてそれだけを言うと私は四本の足で走りだした。そろそろ山賊たちもこっちの挙動に気付いた頃だ。手に手に剣や弓を構えるのが見える。
 後ろを振り向かず走り続ける。後ろから二人の声が聞こえたようだが私の耳にまで届かなかった。
 ミルを…… あの娘をあそこまで怒らせた責任はとってもらおう。

 私めがけて何本もの矢が集中する。高速で動いている目標に矢を当てるなんて至難の技だろう。しかし、たまたま何かの拍子に命中することはあるが、魔力の込められていない武器で私を傷つけることなど不可能だ。
「魔法だ! 指輪を使え!」
 何?
 私がその言葉に疑問を思っていると山賊の何人かが呪文のような言葉を呟き始めた。その呪文でそいつらの持っているらしい指輪が光を放つ。その光が弓や剣に移った。
 驚いている私の隙をついて一本の矢が体に刺さった。かすり傷だったが、その事実は驚愕に値するものだった。どうやら「魔化(エンチャントウェポン)」の共通語魔法(コモンルーン)のようだ。
 その驚愕のせいで周囲の注意が疎かになっていた。周囲の山賊が私から距離をおくように移動したのに気付いたときには一本の赤い矢が私に迫っていた。その魔力の矢は鼻先で炸裂し、目の前が紅に染まる。「火球」だ。
 ルーンマスター! 魔術師(ソーサラー)が山賊側にいるようだ。しかもそれなりに腕が立つ。少なくとも私を傷つけることができるくらいに。
 魔術の爆風に体勢を崩してしまう。もともと私は「氷」の属性をもっているため、どうしても「炎」とは相性が悪い。
 状況は余り好ましいとは言えなかった。予想以上にこの姿は精霊力の消耗が激しい。また、お世辞にもこの周辺の気候は私の存在にふさわしいとは言えない。
 またまぐれ当たりの矢が前足付近に刺さる。まだかすり傷ですんでいるが、長引けば滅ぼされないまでも物質界に存在できなくなってしまう。
 私の目論見では奇襲で山賊の頭目あたりをしとめれば戦意を喪失するかと思ったが、それ以前に私の方がやられそうだ。
 うかつに飛び込んだ自分を一瞬恨めしく思ったが、今更時間を戻すことはできない。
 私は弱くなったのかも知れない。いや、おそらくマスターに似てきたのだろう。感情も精霊の動きの結果である。その精霊が感情を持つというのは自分をある種否定するようなものだ。喜びや悲しみ、怒りを憶えてしまった私は……
 また自分が矢の目標になったのが分かる。敵の頭目と魔法使いを倒せれば、と思うのだが、そこまでの距離は果てしなく遠く感じられた。

 正面から魔力を帯びた矢が飛来する。若干ながら自分の動きが鈍くなっているようだ。それが跳ぼうとした瞬間に分かった。完全に避けきれない。当たる、と思ったとき矢があさっての方向に流された。
 目の前に風の精霊の挙動が変だ。まるで私を護るように立ちはだかっている。
 ……〈精霊壁(スピリットウォール)〉か? いったい誰が。
〈レイファルス! なにやってんのよ!〉
 背後からの声に振り向く。そこには三人の…… 三人?
 後ろからシャランとエレナ。そして、ミルが来るのが見える。どうして……?
〈あたしを置いていくなんてひどいんじゃない? 後でこってりお仕置きよ。〉
〈あれだけ強い魔法ですと「解呪(ディスペルマジック)」するのも大変なのですから。〉
〈そーそー。珍しくあたしだって手伝ったんだから。〉
 ハ、ハハハ…… 三人が口々に怒ったように言うのが妙におかしく、嬉しかった。
〈とにかく。何をしたいのか知らないけど、あたし達が援護するから好き放題やっていいわよ。今回だけは許してあげる。〉
 その言葉と同時に三人が呪文を唱え始めた。その援護を受けつつ、私は〈精霊壁〉を跳び越え、一直線に半分廃虚になった村の広場を走り抜ける。
 背後で様々な魔法が炸裂した。そのため私を狙う矢が一気に減少する。こんなものなら避けるのも苦はない。
 正面に周りの山賊と雰囲気の違う二人がいた。一人はローブに杖といかにも魔術師風の男。もう一人は薄汚れながらも立派な造りの革鎧を身につけ、腰には魔法のオーラを放つ剣を下げていた。おそらく頭目なのだろう。
 魔術師風が杖を振るい呪文の詠唱を始める。しかし、それは途中で途切れた。周囲の音が唐突に消え失せたからだ。〈静寂(サイレンス)〉の呪文の影響らしい。
 慌てたように頭目が腰の剣を抜く。だが私にとってはまるで遅い動きだった。
 ……悪いな。しかしお前達の方がもっと酷いことをしてきたんだ。
 凍結(フリーズ)!
 また私の体から発せられた冷気が目の前の二人を襲う。ミルに使ったものと違い、これは死をもたらす冷気だ。
 頭目と魔術師の表面に霜がおりる。すでに動くことすらかなわないだろう。刹那の時間で全身の体液が凍り付いているのだ。肉体もすぐに同じ運命をたどる。二人が絶命したのは目にも明らかだった。

 

 たまたま通りかかった乗合馬車はガラガラで我々の貸し切りのようだった。
 なんやかんやで疲れたのか三人とも横になって安らかな寝息をたてている。
 結局あの後、頭目と頼みの綱の魔術師が倒されて蜘蛛の子を散らすように山賊は逃げて行った。山賊が完全にいなくなったわけではないが、しばらくはこの辺も落ちつくに違いない。イラムの仲間達もまた勢いを取り戻せるかも知れない。後は我々の関知することではないだろう。
 辛いことがあったせいか、ミルは塞(ふさ)ぎ込んでいるようだった。シャランやエレナが元気づけようとしているが生返事しかしない。
 少しそっとしておいた方がいいだろう。
〈レイファルス起きてる? ……ってあんたが寝るわけないか。〉
 横になっていたミルが不意に身を起こした。眠ってなかったのか、眠れなかったのか。
 ……どうしたミル。
〈変な話だけどさ。あたしって…… 「力」があるよね。〉
 そうだな。確かに強い精霊力を持っている。それ以外にも様々な意味でミルは「強い」と思うぞ。だが…… まだ精神(こころ)の強さはそれに追いついていないがね。
 私の言葉にミルは沈黙する。しばらく思い詰めたような表情をし、ややしておそるおそる口を開こうとして、やっぱり黙り込んでしまう。
 私が言っても説得力が無いかもしれないが、力があるものは良かれ悪かれ周囲に影響を及ぼすものだ。 だから何か起こすのはある意味しょうがないことじゃないのか?
〈…………〉
 悔やむようなことになるかも知れない。失敗するかもしれない。それはそうなのだが、それを恐れるだけじゃ何にもならない。失敗しても次に同じ失敗をしなければ、その失敗を取り戻せればいいんじゃないか?
〈……うん。〉
 たとえ間違いをしそうになってもミルは一人じゃないんだ。仲間が止めたり支えてくれたり……
 フム…… やっぱり私は説教するガラじゃないな。
〈うん…… ごめん…… ありがとうレイファルス……〉
 私に言うよりも、あの二人に言うんだな。本気でミルのことを心配していたぞ。
〈そうする…… でもあんたは?〉
 下を向いていたミルがちょっと目を上げて意地悪めいた口調で聞いてきた。
 私かい? ……マスターのことを心配しない魔剣なんかいないよ。
 私の答にミルはちょっと複雑そうな表情を浮かべたが、それをごまかすように口の中で欠伸を噛み殺す。
〈ふーん。ま、いいわ。なんかいろいろあって疲れちゃった。あたし寝るわね。〉
 はいはい、お休み。
 やっぱり疲れていたんだろう。横になるとすぐ寝息をたて始めた。ただ…… さっきまでの張りつめていた雰囲気はだいぶ緩んだようだ。その寝顔は無邪気な子供のそれに戻っていた。
 さてさて…… ああは言ったものの、次のザインでは平穏無事でありますように……
 私はそう願わずにはいられなかった。

 

〈END〉

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