第二十九話 心を強くする幾つかの方法
田島謙治。
誕生日:11月2日
成績:学年上位を常にキープ
得意科目:物理・数学など。理数系に強い。
部活動:エアライフル部。他未公認ながら幾つかの部を掛け持ち。
性格:真面目。法や上下関係を重んじる傾向。やや臆病な面あり。
etcetc……「……そうでもないわよ。」
麗華は財閥令嬢、ということもあって、望まずとも周囲にいる人間の綿密な調査が行われている。普段はそんなもの見ることもなかったのだが、何の気まぐれか、ふと謙治の調査票に目を通したくなった。
麗華の普段の行動は運転手も兼ねた彼女専門の執事が警護・監視をしていることになっている。幼少の頃から仕えている運転手だが、彼女たちが夢魔と戦っていることはまだ実家の知るところではない。
なし崩し的に夢魔との戦いを知った運転手に聞いたことがある。知らせなくて良いの? と。答えは実にシンプルだった。
『私はお嬢様の為に働くのが仕事であり、喜びであります。』
そんなわけで身の安全のことを毎度のように言われるが、暗黙どころか逆に協力してもらっているような状態だ。ありがたいと思う反面、嘘をつかせているのが申し訳なく思う。
それでも本来の性格か、感謝や謝罪を素直に言い出せないのだが、それすら見透かされているような気もする。
「何がでございますか?」
「ん? 何でもないわ。」
いつもの車中。知っている事実とは違う内容の報告書に思わず声が出てしまった。
「左様でございましたか。
まぁ、確かに人を紙切れで判断するのは早計というもの。しかしそれ故に都合のいい場合もございますな。」
「…………」
付き合いが長いせいか、あっさりと考えを読まれてしまう。普段頑張って猫を被っているつもりだが、この運転手の目は誤魔化せない。彼と仲間の前ではついつい「地」を隠しきれなくなる。
「そろそろ学校でございます。」
そしてまた上手くはぐらかされる。
「行ってくるわ。」
「はい、行ってらっしゃいませ。
お帰りはどうなさいますか?」
ドアから身体半分出したときに聞かれる。
「……先に戻ってていいわ。」
「畏まりました。」
一礼をするとリムジンが走り去っていく。
でも必ず何かあればすぐに来られる位置で待機しているのだろう。いつものこととはいえ、過保護な気がしないでもない。とはいえ、何かあったら頼ってしまうのが育った環境と言うべきなのかも知れないが。
(……お嬢様、ってやっぱり近寄りがたいものなのかしら?)
生まれたときから「お嬢様」で他の世界を知らないから自分の考え方が「普通」なのかどうか判断しづらい。
「あ、麗華ちゃんおはよう!」
そんなことはちっとも気にしない元気な声がかけられる。
「今日は車だったんだ。」
微妙に語尾に寂しそうな響きが混じる。
付き合いが長くなったせいもあるが、美咲が結構寂しがり屋だってことが分かってきた。でも美咲自身そう思われるのは好ましくないようで、気付かない振りをした方がいいようだ。それでも、
「今日はちょっと時間がピンチだったのよ。本当はいけないんでしょうけどね。」
と、小さく舌を出して戯(おど)けてフォローを入れる麗華。
「わ、ズルいんだ〜」
「ふふん、いいでしょ。」
そんなことを言いながら二人揃って学校へ入っていった。時は飛んで一気に放課後。
美咲は友人の法子に連れられて行方知れずに。隼人はおそらく校内で、謙治は何処へ行ったのやら。
特にすることもなく、何となくぶらぶらと校内を歩く麗華。運動部が部活をしている運動場を眺めていると、その一角に人が集まっているのが見えた。
「……?」
黄色い歓声が上がっているところを見ると、女の子が多いようだ。それでも静まっている時間もあるのだが……
部活にさしたる興味もなかった麗華。特に運動系には全く詳しくないので、その場所が何の活動なのかはサッパリである。
軽い気持ちで足を向けてみると、微妙に嫌な予感が頭をよぎる。
見えた。
なんか細長い棒状の――いや、ライフルを構えたメガネの少年が十メートル程先の的を睨み付けていた。
(うわ。)
その横顔は見覚えがありすぎた。どうやら射撃練習所らしい。
(そういえばエアライフル部、って書いてあったわね。)
あんまり調子が良くないのか、狙う時間が心なしか長いような気がする。
「あ、あの、神楽崎先輩ですよね?」
そんな風にフェンス越しにぼんやり眺めていると、下級生らしい女の子の二人組に声をかけられる。誤魔化しようもないので、小さく肯くと二人がキャーキャー声を上げる。
「神楽崎先輩が憧れなんです!」
「あたしも先輩みたいになりたいんです!」
キラキラした視線を向けられるとどうも居心地が悪い。そう、と素っ気ないくらいで返事をすると「やっぱり素敵ー」なんて言われてどうしたらよいものか。
「で、これは何の騒ぎ?」
仕方なく強引に話題を変える。
麗華の言葉に下級生二人は一瞬お互いを見ると、憧れの先輩と話が出来るのが嬉しいのか、上気した顔で説明を始める。
「田島先輩です、田島先輩! 今エアライフル部のホープなんですよ!」
「夏休みくらいから秘密で特訓したのかメキメキ腕を上げたんです!」
反射的に分かってるわよ、と言い出しそうになるのをぐっ、と堪える。夢の世界という便利な場所が使えるようになって、気が向いたときにずっと練習しているのを見ている。
「そう。」
「それにつれてファンの女の子も増えたんですよ。ファンクラブも出来たんじゃないでしょうか?」
「そ、そう……」
いけない、ちょっと動揺している。
それを誤魔化すように、何気ない振りでライフルを構える謙治に顔を向ける。やはり慣れないギャラリーに今一つ集中できていないようだ。
「なにやってるのよ。」
ぼそり、と呟いたところで不意に謙治がライフルから目を離した。何かを探すように視線をさまよわす。
(まさか、ね。)
なんて思ったら、謙治の視線が麗華の上で一瞬止まる。
(え?)
するといきなりライフルを構え直した謙治。その口元には小さく笑みが浮かんでいた。ギャラリーの中に緊張が走る。
「あ、出ました。田島スマイル! あれが出ると一気に百発百中なんです!」
それも分かってるわよ、と言いそうになるのをぐっと堪える。あの笑みは何かピンチの時に「僕に任せて下さい」という時の――そして密かに麗華が好きな――顔だ。
ライフルを構え、撃つ。その動作を淡々と繰り返すが、結果は見ずとも分かる。双眼鏡を持った部員が結果を叫ぶと、周囲のギャラリーから興奮したような歓声が上がる。
周囲の喧噪も気にした様子もなく、ライフルを確認して置くと、今度は最短距離で麗華に顔を向ける。にっこりと「どうですか?」と言わんばかりの笑顔に麗華の心臓が跳ね上がった。
「っ!!」
思わずフェンスを背にその笑顔から逃れるように座り込む。まるで全力疾走した直後みたいに頬が紅潮し、息が荒くなる。
(なんなのよいったい……)
バクバク言う心臓に悪態をつく。
「どうかされたんですか?」
下級生二人が心配そうに顔を覗き込んできた。人前で無様な姿を見せられない、というようなお嬢様気質がどうにか平静を繕わせる。
「あ、会いたくない人が見えたのよ。」
そんな人がいるんですかー、と半信半疑ながらも下級生二人がその人物を探すようにギャラリーを眺めている間に、それじゃあ失礼するわ、と断って、麗華はそそくさ立ち去って行った。(なんなのよ一体……)
落ち着きを取り戻すと、どこか自己嫌悪に陥る。
(まるで逃げているみたいじゃない。)
まるで、どころじゃなく事実そうであったが、それを認めるのは彼女のプライドが許さなかった。
「別に私は謙治の事なんて……」
口に出して確認しようとしている時点でどこか手遅れのような気がするが、どこか煮詰まった頭ではそこまで考えが回らない。
敷地の外れの木立の中、ぼんやり空を眺めていると、不意に草や落ち葉を踏む足音が聞こえてきた。
別に関係者以外立入禁止、って場所でも無いし、部活によってはランニングのルートにもなっているから、人が来ない場所ではない。
物音に半ば反射的に振り返ると、野球部なのだろうか、手にバットを持ったユニフォーム姿の男子生徒が二人見えた。
「?」
ランニングにしてはバットを持って、というのはおかしい。素振りするには周囲の木が邪魔になるだろう。というか、なんか目つきというか雰囲気がおかしい気がする。
そして彼らが麗華に向かって走ってきても何が起きたのかすぐに反応できなかった。
「!」
反射的にバックステップで距離を開けると、それまで麗華のいた場所にバットが力任せに振り下ろされる。
「何よ一体!」
野球部に恨みを買った憶えはない。まぁ得てして人は知らないところでどう恨まれているか分からないものだ。美人で通っているなら尚更かもしれない。
(……ってそういうのとは違いそうね。)
手にあるのは通学カバンのみ。武器としてはとても心許ない。
(美咲や隼人じゃないから無理ね。)
多少槍を習い始めたとはいえ、まだまだ実戦に耐えうる腕前ではない。それを判断すると、一目散に逃げ出す。できるならどこか人の多いところに出たいのだが、男女の体力差もあり一直線に逃げないと追い付かれそうだ。
向こうはどう考えても正気じゃない。一撃でも受けたらきっとアウトだろう。
さてどうする?
逃げるにしてもいずれ追い付かれる。正気でないとしたら、生半可な攻撃では昏倒させられないだろう。
(こうなったら……!)
素早く反転すると、通学カバンで頭をガードしながら身を低くする。そして追いかけてくる野球部員の間を転がるようにすり抜けた。
(抜けたっ?!)
「きゃっ!」
長く伸びた髪を一瞬掴まれ、バランスを崩してその場に倒れ込んでしまう。
勢いよく転んであちこちが痛い。
どうにか立ち上がるが、足を引きずりながらで全力で走れない。
(こんなことで……)
理不尽さに腹が立つ。
自分が無様に逃げているのも腹立たしい。
対抗できる「力」はあるのだが、人間相手に使うには強すぎる。力の行使に躊躇していると、すぐ側まで野球部員二人が迫っていた。手にしたバットが頭上に振り上げられた。「神楽崎さん!」
殴られる、と思った瞬間、聞き覚えのある声が聞こえたような気がした。バットが身体を打つ音はどこか爆発めいた音がするんだなぁ、とか思ったよりどころか全然痛くないんだ、とか色んな事が一瞬の間に脳裏をよぎる。
そしてもう一度爆発音が響くと、周囲に静けさが戻る。
「……?」
なんかおかしい。
「神楽崎さん!」
慌てたような足音が近づいてくる。いつの間にかに座り込んでいたようだ。痛む身体にむち打って振り返る。さっきまで暴れていた野球部員が地面に倒れていて、遠くからメガネをかけた少年が必死に走ってくるのが見えた。
「謙治……」
さっきまでエアライフル部で射撃をしていたはずの謙治がなぜここに?
「ハァ…… ハァ……」
余程全力疾走したのか、肩で荒く息をしながらも、手にしたライフルとは違う長めの銃器を油断なく構えている。倒れている二人が完全に気絶しているのを確認すると、ハァ〜と大きく安堵の深呼吸をする。
「間に合って…… 良かった…… です。」
息も絶え絶えでなかなか落ちつかない謙治を見ていると、さっきまで危機一髪だったことを忘れそうになってしまう。
いや、やっぱりそんなことはない。
「謙治。」
「はい?」
無言で手を伸ばすと、意図を理解したのかその手をとり立たせる。
手を握ったままジロリと睨み付けると、何か悪いことをしたのか、と慌てて手を離して、謙治が身を竦ませた。
「……黙って立ってなさい。」
「?」
ポツリと呟いてから、いきなり麗華は謙治に抱きついた。その肩に顔を埋めるようにすると、謙治の温もりを確かめるように回した腕に力を込める。
「え? あの? ええっ?!」
「黙りなさい。
……大丈夫。すぐに戻るから。」
「わ、分かりました。」
戸惑う謙治だが、少女から小さく震えを感じて、そのままさせたいようにした。それでも伝わってくる温もりと柔らかさに頬が熱くなるのはどうしても止められなかった。そのまま謙治に肩を借りながら保健室まで行った二人。何故か保健室の前では隼人が普段に輪をかけて仏頂面で立っていた。
「田島。そういう行為は感心しないな。」
二人を等分に見てから隼人がポツリと呟く。反論しようとする前にドアの前からどけて中に入るように促す。
微妙にもやもやしながら保健室の中に入ると、中は怪我人で溢れていた。
「手が足りないので、自分でできる人はどうにかして…… おや、田島君に神楽崎さん。お二人もですか?」
保険医の小鳥遊が急がしそうに生徒達の手当をしていた。見た感じ相当数の怪我人が出ているらしい。
「一体何事ですか?」
怪我の痛みも忘れて、状況の異常さに目を見張る。どうやら襲われたのは自分だけじゃないらしい。
「先生、一体どういうことなんですか?」
「田島君はどう思いますか?」
麗華の質問を謙治に振りながら生徒の手当を続ける小鳥遊。
「一介の生徒に聞かれても困りますが…… 不特定多数で特に共通点も無し。となると、口に入れる物……」
「なるほど、やはりそう考えますか。急いだ方がいいですね。ちょっと失礼します。」
手早く生徒の手当を終えると、慌てて小鳥遊が保健室を出ていく。養護教員がいなくなって、仕方なく自分で手当を始める麗華。
そこに全校放送が入った。
『校医の小鳥遊です。全校生徒に連絡いたします。決して水道の水を飲まないように。そして家に帰っても安全が確認されるまで水を口にしないように。』
「どういうこと?」
誰も質問に答えてくれなくてちょっと拗ね気味の麗華にやっと気付いたように謙治が振り返る。
「小鳥遊はか……いえ、先生の仰るとおり水道にきっと何かあったに違いありません。ただ……」
ここで謙治が声を潜ませる。
「もしかすると…… 僕達の出番かも知れません。」
「まさか!」
「別に何か異常な事態があったら、って言う訳じゃありませんが…… 一応確証はあるんですよ。」
と、出口の方を一瞬見てから、苦笑混じりに視線を戻す。
「どうやら大神君も水を飲んでいたはずなんですよ。」
戦うべき敵である夢魔。その夢魔の、特に精神攻撃に対して彼らは強い耐性を持っている。常人を超えた精神力に加え、いつも身につけているドリームティアが夢魔からの攻撃を防いでいるのだ。だから一般の人が影響を受け、彼らが影響を受けない事象があったら夢魔の関連を考えるのは妥当だ。
麗華も入り口の方を振り向いて小首を傾げる。
「でもイライラしているみたいよ。」
「ああ、それは……」「とぉっ!」
端から聞くとどこか気の抜けた声で美咲が棒を振るう。
その声の気合いと反比例するくらいの鋭さで振るわれた棒が、半ば暴徒と化した生徒達の手から武器を叩き落とす。
武器とはいえ、バットや竹刀とか部活や体育の授業で使われる道具だが、それでもやはり殺傷能力はある。武器を失った生徒は、まるで獣のようなうなり声を上げて、素手で美咲に掴みかかってくる。
「う〜ん……」
困ったような表情を浮かべる少女だが、ゴメンねと小さく謝って神速の突きを放つ。
狙い違わず鳩尾に突き刺さった棒の先が男子生徒の意識を失わせる。
しばらくして美咲が動きを止めるころには、彼女の周りには死屍累々のように生徒が倒れていた。「そんなわけで大神君がその役をやりたかったようですが、武器を持った相手なら橘さんの方が、と言われて渋々と。」
それでも保健室前の護衛、って事で立っているらしい。それよりも美咲が戻ってくるのをいち早く待っているのかも知れないが。
麗華の手当も終わり、小鳥遊も戻ってきたところで、保健室に運ばれてくる怪我人も減ってきた。美咲の活躍の結果が出てきたらしい。
元々重傷の人もいなかったので、美咲が安堵の息を漏らす隼人を連れて保健室に帰ってきた頃には、室内は彼ら五人だけとなっていた。
「状況だけ見ると夢魔の仕業、と考えられますが、まだ確証が得られてません。今謙治君が情報を収集していますので、それを待ちましょう。」
結局その日は状況の把握で終始してしまった。学校だけでなく、周辺の地域全てで水道水から謎の化学物質が検出された。それは人を凶行に走らせる物で、その日の内に該当地区の上水道が停止。一切の水の使用が禁止された。
無論、人間は水無しでは生きていけない。近隣からの水の配給、ミネラルウォーターでしばらくは過ごせるが、生活用水が使えないのは少しずつストレスとなってくる。
洗濯物が溜まり、風呂にも入れない。そんな中、混入された化学物質の分析と混入経路が調べられていた。「熱にも酸にもアルカリにも強く、微生物で分解もできずに、更には電気分解すると活性化する未知の物質だそうです。」
状況が状況で、事態が解決するまで休校ということで平日から小鳥遊の研究所には美咲たち四人と隼人の妹和美が集まっていた。
謙治と小鳥遊が朝から「水」の分析をしていた。大まかなデータは公開されていたので、後は独自の分析をしてみるだけだ。
「試しにドリームティアで増幅した精神波を当ててみると反応がありましたので、夢魔の分泌物と見て間違いないようです。」
リビングで待っていると小鳥遊が一人だけ上がってきて説明を始めた。
「おそらく…… 発生源である夢魔はこの周辺の水源であるダムに潜んでいるものと思われます。
……それを倒さない限りは風呂無し生活が続くわけです。」
小鳥遊の言葉に美咲と和美がゲンナリした表情を浮かべる。女の子としてはお風呂に入れないのはある意味死活問題だ。ちなみに神楽崎家ではミネラルウォーターを沸かして風呂にするくらいは簡単なので、まだこの状況が続くようなら二人を家に招待しよう、なんて思っているくらいだ。
「ところで謙治は?」
一緒に調査していたはずの謙治が上がってこない。何また調べてるのかしら? とくらいに、何かを意図して言ったつもりではないのだが、麗華の問いかけに小鳥遊の表情が一瞬固まる。
「あ、いや、なんか気になる情報があるということで……」
「お待たせいたしました。」
小鳥遊の声を遮るように地下室から謙治がリビングに入ってきた。どこか表情が暗い。
「とりあえず現地に行ってみましょう。近くなら夢魔の反応を探れるかもしれません。」
どこか淡々と喋る謙治に、麗華だけでなく美咲も隼人もどこか引っかかるが、それにも関わらず謙治が一人外に出ていく。
そんな彼の後を慌てて追った。「浄水施設から混入されているのが確認されていますから、水源のダムと見るのが妥当です。混入量及び、潜伏のことを考えると…… ダムの水底が一番怪しいかと。」
移動中のリムジンの中でもどこか淡々とした謙治。確かにいつも冷静に状況を分析しているが、それとはどこか違う張りつめた空気をまとわせている。
ダムの近くまで着いて、山の中も無言で歩いていく。謙治があまり口を開かないので他の三人も黙って後をついていく。
ダムの水面全体が望めるところに到着した。水は濁り底の方まで視線が通らない。謙治が無言でロードコマンダーを取り出す。
「ロードダイバー、エマージェンシー。」
手にした携帯端末の中央のドリームティアが光を放つと、水空両用潜水艇のロードダイバーが現れる。
「サーチエネミー。」
――pipipopipopipo.
謙治の指示でロードダイバーがダムへ潜っていく。
「……夢魔の探索と、水質調査を行います。おそらく確認、って形になると思いますが。……と、やはり見つけたようですね。」
ロードコマンダーの表示に謙治が呟く。その言葉に三人にも緊張が走った。更にロードダイバーから送られたデータに目を通した謙治が、どっか達観した表情でため息をついた。
「作戦について説明します。
僕達の戦力では水中戦はあまりにも不利。よって夢魔を引きずり出します。
電気分解すると活性化する、と聞いたと思いますが、更に強力に電流を流すと無毒化出来ることが判明しました。
そこで……」
ヘキサローディオンで高圧線から電気を吸収し、それをダムに一気に叩き込む。夢魔が逃げ出したところをウルフブレイカーとスターブレイカーで凍らせて、Gフレイムカイザーでトドメ、ということである。
「…………」
謙治の言い方にどこか違和感を感じる麗華。
ただ、美咲と隼人がうんうん、と作戦を聞いているのを見て何も言い出せなくなる。
ふと気付くと、謙治が真剣な顔で麗華を見ていた。言うか言うまいか悩んでいるようで、それでいて麗華から視線を外さない。他の二人は打ち合わせをしているのか、そんな謙治の様子に気付いてない。
しばらくそうしていたが心を決めたのか、深呼吸をしてからゆっくりと口を開いた。
「……ちょっと二人きりで良いですか?」「で、何?」
打ち合わせだ、と美咲と隼人に言って場所を移した二人。
落ちつかないのか、一人スタスタ麗華を置いていきそうな謙治を止めると、自分を振り向かせる。
「…………」
この期に及んで決意が固まらないようだが、それを腕を組んで待つ。急かしても仕方がないだろう。元より夢魔の動きも無いので、時間に余裕はある。
とはいえ、時間があるからといっても無限ではない。それを察してか、やっとの事で謙治が顔を上げ、麗華を真っ正面から見つめた。その真っ直ぐな瞳に麗華も思わず姿勢を正す。
「神楽崎さん…… いえ、麗華さん。最後になるので言っておきます。僕は…… あなたのことが好きです。」
頭の中が真っ白になる、っていうのはこういうことなのだろう。謙治が自分に好意を抱いているのは前々から、それこそ出会ったときから知っていた。
言った方の謙治も清水の舞台から飛び降りるような勇気を振り絞った後なのか、どこか虚脱したようにも見えた。が、次に続く戦闘を思い出して、気持ちを切り替える。
「あ、返事はいいです。どちらにしても切なくなるんで。」
言うことは言った、とばかりに背を向けて歩き出そうとする謙治。
「ちょっと待ちなさい!」
今引き留めないと取り返しのつかないことになる、という直感だけで麗華は謙治を呼んだ。
「はい?」
穏やかすぎる表情を見ながら、一生懸命麗華は頭を回転させた。何がある? 今何をしなければならない? そしてやっと一つの単語を思い出した。
「謙治、“最後”って何?」
一瞬謙治の顔が歪んだのを麗華は見逃さなかった。
「いや、その、言葉のアヤと言いますか……」
「目を閉じなさい。」
「はい?」
「いいから早く!」
麗華の鋭い言葉に反射的に従う謙治。
ゆっくりと少年の前まで歩いていくと、詰問するように口を開く。
「何を隠しているの。」
「いえ、僕は何も……」
「何を隠しているの、って聞いてるの。」
穏やかに、それでも有無を言わさぬ口調に謙治が少しずつ追いつめられる。
「…………」
「…………」
「分かりました。先程も言ったように、電気分解を過剰にすると無毒化出来るし、夢魔を水中から追い出すことが出来ます。しかし、ダムの水量や濃度を考えると……」
「…………」
言い淀む謙治だが、敢えて黙って無言で先を促す。
「必要な電力量はヘキサローディオンの許容量を軽く超えています。無論、他の機体では間違いなく耐えられない量です。
機体がキリギリ保ったとして、着水の際の放電でおそらくパイロットは……」
「……!」
目を閉じさせたのが幸いした。今自分の顔は誰にも見せられないような顔になっていただろう。謙治の言うことが正しければ、夢魔を追い出し水を無毒化した直後にヘキサローディオンと謙治は……
一気に背筋が冷たくなるのを感じた。
謙治がいなくなる。そんなこと考えもしなかった。いつも自分に付き添って、何かあったら身体を張って助けてくれて。それが当たり前、ずっと続くと頭のどこかで思っていたのだろう。
……つまりはそういうことだったのだ。
身体が震える。歯の根が噛み合わない。
本当に目を閉じさせて良かった。今の自分は情けないほどに青ざめていただろう。
「もうよろしいですか?」
それなのにどうして謙治はあんな穏やかな顔をしているんだろう? 私は…… こんなにその事実が怖いのに。
「なんでよ!」
「え?」
「なんでそんなに落ちついてられるのよ!」
らしくないとは思うのだが、ヒステリックに叫んでしまう。
「……何度も計算したんです。今までの戦闘データから僕の精神力の最高値を求めて、それを二割増しにしたとしても、二倍近くも差があるんです。
でも安心して下さい。作戦自体は成功させますから。」
目の前が真っ赤になった。思わず平手を振り上げる。
パシン、と乾いた音と共に手が痛くなる。それでも心の痛みはちっとも癒えなかった。
「神楽崎さん……?」
ひっぱたかれても目を開かなかったのは逆に驚いてそれどころじゃなかったのだろうか。
「なによ! なによなによなによ!」
もう止まらない。
「自分ばっかりそんな達観したような顔して! 本当にどうしようもないの? いつもみたいに手があるんじゃないの?!」
もう一歩で金切り声くらいな感じで叫ぶ麗華にも謙治は落ちついたものだ。
「ダメなんですよ。研究所で計算式を作った時点で気付いてましたが、実際に水質調査して当てはめたらやはり倍近く数値の開きがありました。
僕の精神力が二倍くらいに一気に跳ね上がりでもすれば、ヘキサローディオンのパワーも上がるのでギリギリ耐えられるとは思うのですが……」
まぁ、無理なんですがね、とどこか自嘲めいた笑みを浮かべる。
「……これから一分間、何があっても動かないでよ。」
「はい?」
「いいわね。」
「……はい。」
どこか怒ったようにも聞こえる麗華の口調に謙治が身を竦めながら直立不動になる。
「…………」
「…………」
「…………」
「あのー?」
「まだ私の中では一分経ってないわ。」
苛つきを隠せない口調の麗華。心の中で首を傾げていると、不意に近づいてくる気配を感じた。またひっぱたかれるかと思って身を竦めていると自分の首に何か巻き付いた。
彼女の香りが強くなる。
抱きつかれているんだ、というのが分かった瞬間、何かで唇を塞がれた。何か、ってことは理解している。ただその行為が理解できないのだ。
何故? どうして? 疑問符だけが頭の中をぐるぐる回る。
一分ほどで何もかもが離れる。
大丈夫だろう、と目を開くと麗華がこちらに背を向けて立っていた。わずかに顔を伏せているが、髪の隙間からのぞく肌が真っ赤に染まっている。
「こ、古来から伝わる勇気の出るおまじないよ。……これだけの事をしたんだから、絶対帰ってきなさい。」
その肩が小さく震える。
「…………」
「絶対よ。そうじゃないと私は…… 私はっ!」
まるで泣き出しそうな声。それ以上は言わせてはいけない。だから、
「僕に任せてください。」
かけられた自信に満ちた声にただでも熱い頬を更に紅潮させ、麗華は逃げるように走り出した。
「……これは負けられませんね、自分に。」
一人残された謙治はまだぬくもりが残る唇にそっと触れた。「流星合体、スターブレイカーッ!」
〈竜・神・降・臨、グレートフレイムカイザーッ!〉
「重装合体、ヘキサローディオンッ!」
ブレイカーマシンとそのサポートマシンが合体して、三体の大型ロボが完成する。
「…………」
一人サポートロボを持たないウルフブレイカー――隼人が微妙に渋い顔をする。それは横に置かれ、スターブレイカーがウルフブレイカーを抱えて水面近くで、Gフレイムカイザーが上空で待機する。
そこで夢魔の動きを警戒している間に、ヘキサローディオンが高圧線の鉄塔まで移動していた。
「さて、と……」
地図を呼び出して、送電状況と重ねてみる。多少この高圧線から電気を拝借しても影響は少なく済みそうだ。
「行きますか……」
ゆっくりと手を伸ばし、一気に電線を掴む。腕を伝ってくる電流を機体に溜めていく。コアがサンダーブレイカーであるのと、謙治の余裕を持った設計でヘキサローディオンは電力で相当量のエネルギーを蓄えることができる。が、
(まだまだ足りない。)
すでに基本性能内の限界は超えている。あとはヘキサローディオンと謙治がどこまで持ち堪えられるかだ。
(まだまだぁっ!)
過剰なエネルギーがヘキサローディオンを少しずつ傷つけていく。そのダメージは謙治にも伝わってくるのだが、まだ彼には口元に笑みを浮かべる余裕が残っていた。
(よし、行ける!)「来たっ!」
ヘキサローディオンが変形した重攻撃機サンダーストライカーが一直線に飛んでくる。それがまとった放電の光にいち早く気づいて美咲が声を上げた。
そのまま墜落を思わせるような勢いでダムに飛び込むサンダーストライカー。ダム全体が眩い電光に包まれた。水蒸気の泡を立てながら沈んでいくサンダーストライカーと入れ違いにアメフラシを思わせるような毒々しい色の夢魔が慌てたように飛び出してきた。
「ブリザード・ストームッ!」
「スパイラル・ハリケーンッ!」
ウルフブレイカーの腕から放たれた吹雪と、スターブレイカーの背部ブースターにあるローターからの竜巻が混じり合って超低温の猛吹雪となって吹き荒れる。それは夢魔を巻き込み、凍り付かせながら更に風に乗せて空へと舞い上げた。
高空からドラグーンランサーを構えたGフレイムカイザーが動力降下(パワーダイブ)をかける。
「あんたみたいのに構ってる暇は無いの!
カイザー・グランド・スラッシュッ!!」
ランサーをメチャクチャに振るうと、凍り付いた夢魔が無数の破片へと斬り裂かれる。それらがばらける前に、Gフレイムカイザーの体当たりが夢魔を木っ端微塵に粉砕した。
〈麗華様?!〉
水面が近づいても速度を落とさないGフレイムカイザーに、カイザーが驚いたような声を上げる。
〈わ、私は水中行動に向いた機体では……〉
「うるさい!」
カイザーの抗議も一蹴すると、Gフレイムカイザーもダムに飛び込んでいった。「……美咲、俺を落としてくれ。」
一瞬苗字で呼ぶか名前で呼ぶか迷ってから、自分を抱えているスターブレイカーに呼びかける隼人。
「え?」
「いや、前に田島が言ってたんだが、ウルフブレイカーは水中での活動は得意らしいから、俺も行った方が良いだろう。」
「そっか。うん、謙治くんのことお願いね。」
ああ、と返事をすると、ウルフブレイカーもダムに潜っていった。「謙治! 謙治! 返事してよぉっ!!」
髪を振り乱して必死に謙治を探す麗華。ただ、元々地上戦闘用のGフレイムカイザーでは水中の探索には向かない。更に機体の熱が冷めきってないのか、周囲に沸き上がる水泡が視界を遮って何も見えない。
一方、カイザーは冷静にセンサーを働かせるが、やはり効果は薄い。ただ状況を考えると、一分一秒を惜しまなければならない。
『神楽崎! デカブツ! 田島を見つけたぞ!』
焦燥感が麗華の心臓を締め付けている時に、ウルフブレイカーからの通信が入った。
「隼人?!」
考える間もなく操縦桿を傾け、隼人の元に向かうと、ダムの底にサンダーブレイカーが倒れているのが見えた。
「謙治!!」
有無を言わせずにサンダーブレイカーを抱えると、背中のブースターが焼き切れても構わない勢いで吹かし、一気に水上まで飛び上がった。
Gフレイムカイザーの腕の中でサンダーブレイカーがその実体を失う。手の中にグッタリとして動かない謙治が残された。
「謙治ぃっ!!」
悲鳴を上げた麗華がGフレイムカイザーから慌てて降りると、謙治の元へと駆け寄っていった。着水の瞬間、ヘキサローディオンの全身に電流が流れれ、意識が消し飛ぶのを感じた。ただその意識を失った中で、心の奥底から「帰りたい」という気持ちが身体を満たしたのをうっすらと憶えている。自分一人じゃない、という思いがまさに二人分の力を自分の中から引き出したのかも知れない。
気が付いたのは全くの暗闇の中だった。おそらく全機能が停止してしまったのだろう。ロードチームは安全装置が働いたのか、返還されただろう。感電の影響でハッキリしない頭は考えがまとまらない。ただ少しずつ息が苦しくなってきた。しかしもしまだダムの中なら、サンダーブレイカーを消した瞬間に自分が水中に投げ出される。
(こんなことでって、いうのは悔しいな。)
麗華に自分の気持ちを伝え、そして言葉にはしなかったがそれ以上の「言葉」で応えてくれたと思う。だからこそ、また彼女に会いたかった。『……んじっ! けんじぃっ!!
しっかりしてよ! めをさましてよ!』
どこか遠くで声が聞こえる。
今僕はどこにいるんだろう。
世界が揺れている?
ゆっくりと目を開いてみる。
僅かに開いたまぶたの隙間から誰かの顔が見えた。
でもそれは自分が知ってるお嬢様じゃなくて、涙でぐしゃぐしゃになった泣いているだけの女の子。
(ダメですよ。僕の知っている麗華さんはそんな顔をしちゃいけない。
でも……)
とても愛おしい。
きっとこれは夢なんだろう。
だって彼女が僕の為にこんな顔をするわけがない。
夢なんだから少しくらいいいだろう。
だから僕は彼女に手を伸ばす。
『けんじ?!』
驚きで固まっている少女をゆっくり抱き寄せる。一瞬身を強張らせたが、すぐに力が抜けてなすがままにされる。
やっぱり夢だ。それならもう少し。
ゆっくり目を閉じた少女をもっと引き寄せて……〈おっと、〉
Gフレイムカイザーが目を落としていた手の中から視線を逸らした。
〈見続けるのは野暮というものでございますな。〉「謙治くんどうだったの?」
ダムから上がるウルフブレイカーに手を貸しながら尋ねる美咲。
「大丈夫そうだな。」
空中で制止しているGフレイムカイザーの挙動を見て、なんとなくの見当を付けた隼人が肩を竦める。
「でも麗華ちゃんが……」
「ああ、神楽崎が大げさなだけだ。」
きっと命がけの行動だったんだろう、と思いながらもそれを言ってわざわざ美咲を心配させる必要もない。
「大体、田島がそんな計算もできないような無茶をするような奴か?」
「え、ああ…… そう、かな?」
ハッキリ肯定すると失礼なような気がして、言葉を濁す。
「まぁ、あれだ。きっともう少しダムの調査とかいるのかも知れないから、俺たちは先に戻っていよう。」
「いいのかな?」
夢魔は倒したし、大丈夫のような気もするけど、二人だけ残して帰っちゃ悪いんじゃないのだろうか?
「あ〜 二人っきりにした方がきっと喜ばれるはずだ。」
それこそ馬には蹴られたくない。
「? そうなの?
あ、でもそうなるとボクたちも二人っきりだね。」
「……そうだな。」
深い意味で言ったんじゃない、ということは分かるが、やっぱり気まずい。麗華と謙治の現状を一瞬想像してしまったから尚更だ。
「?」
「いや、行くぞ美咲。」
「うん!」そして数日後。
「あら? 一人?」
研究所に来てみると、地下で謙治が相変わらずのお籠もりだった。あの日以来初めての二人きり。
「ええ、ロードチームの修理もしなきゃいけないので。」
サンダーブレイカーはそれ自身の自己修復力で大体直ったのだが、ロードチームは一つ一つ修理しなければならないのだ。
それでも修理を得意とするロードレスキューが動くようになれば後は自立行動させておいても作業は進む。その言葉通り、画面の中でロードレスキューが自分で自分の修理を行っていた。
「あの電撃で回路が一通り焼き切れちゃいまして。AIが無事だったのが不幸中の幸いです。」
いつもと全く変わらない口調。“あんなこと”があったから少しは意識されるのか、と思った麗華は内心ちょっと拍子抜けだった。何となくドキドキしていた自分が馬鹿らしくなる。
ため息混じりに椅子を引き寄せ腰掛けると、謙治が弾かれたように床を蹴って少し距離を離した。
(あ、そうか……)
自分だけじゃないんだ。謙治もこっちを意識しているのか、距離を測りかねているのだろう。
「ねぇ、謙治?」
「は、はい?」
もう後ろが机で逃げられないのを確認してから、椅子ごと近づく。
「少しずつ、でいいんじゃないかしら? 急に変わる必要はないでしょ?」
「え、ええ。そう、ですね。」
まともに顔を見られないのか視線を横に反らす謙治。その頬に手を当てると、驚いたように身体を硬直させる。
「あの時の強引な謙治はどこに行ったのかしら?」
ふふっ、と笑みを浮かべると謙治が焦ったように言い訳を始める。そんな少年を見ながら、気弱なのも強引なのもいいかな? なんて思う麗華であった。
「だから少しずつ……」
手に少し力を込めると、諦めたのか意を決したのか謙治が彼女を向く。そんな少年に目を閉じながらゆっくりと顔を近づけていった。
隼人「戦闘中にどこか知らない世界に飛ばされてしまったようだ。
しかも美咲もここにいるらしい。
お前達はなんだ? “狩人衆”?
そんなことはどうでもいい。
俺は美咲を連れて元の世界に戻りたいだけだ。
手を貸してくれるなら、手を貸してやろう。
夢の勇者ナイトブレイカー第三十話
『時空を超えた盟約』
俺が守りたい夢はきっと……」