第十一話 美咲の宿題大作戦
『サキぃ〜 久しぶりじゃない。』
「あ、法子ちゃん……」
受話器の向こうは彼女の数少ない「親友」と呼べる相手、高橋法子だった。ま、美咲にしてみれば夏休みで「親友」が三人も増えたわけだから親友はたくさんになったのかも知れない。
『ま〜ったく。いっつもいっつもどこ行ってんのよ? いつかけたっていないし……』
「あははは……」
まさか夢魔と喧嘩しているなんて口が裂けても言えない。秘密にしなくてもいいのだろうが、あまり人に言うようなことではない。
「ゴメン。」
『な〜に謝ってんのよ。まったくアンタは。不良相手なら全然強気なのに。』
「法子ちゃ〜ん!」
半ば悲鳴じみた美咲の声に、電話機の向こうの法子は喉の奥でククッと笑う。
『冗談よ、冗談。それよりもさ、あんた宿題終わった?』
ガタン。
法子の何気ない一言で美咲の手から受話器が滑り落ちた。顔が一瞬にして青ざめる。
『面白すぎるわ、あんた……』
「あうううう……」
彫像のように固まった美咲に法子はおかしそうに呟いた。そのまま返事が無いのに更に小さく笑うと電話を切る。
「あうううう……」
美咲は固まったまま。電話機が不満げな警告音を発する。その音が聞こえないのか、美咲の唇が震え、わずかに泣きそうな声が紡ぎ出される。
「忘れてた……」
時は八月二十八日。夏休み終了までこの日を入れても四日しか無かった。
『うん…… そう。ゴメンね、急に用ができちゃったの。うん…… うん…… それじゃあね。』
ガチャン、ツー。
「…………」
切れた受話器相手に眉をひそめる麗華。リビングの方から小鳥遊の声が聞こえてくる。
「麗華さん、どなたからでしたか?」
「美咲よ……
何か用があって来れない、ですって。」
同じくリビングにいた謙治と隼人が顔を見合わせる。
「珍しいですね。」
「珍しいな。」
二人の言い方に麗華が険しい顔をする。
「何よ。あの子に用があるのがそんなに珍しい? 美咲だって女の子よ、たまには人に言えない用事の一つや二つ、あっても変じゃ無いでしょ?」
「いや、そうじゃなくてな。」
「じゃあ、何よ隼人。」
「何となくなんだがな、あいつがそういう言い方するってことが珍しくてな。」
「は?」
麗華の呆れたような驚き方に隼人の方が困惑の表情を浮かべる。
「いや、そんなに驚かれてもな…… ほら、橘って嘘をつくのが嫌いだし、苦手だろう。だから用があるんなら内容を言うだろう、きっと。」
隼人の言葉に麗華が意味ありげな視線を向けた。
「ふ〜ん、なら私たちにも隠したい用なのよ。デートね、きっと。」
「そうかねえ?」
小さく鼻で笑いながら、隼人は別の予想を立てていた。
(俺達にも情けなくて言えない理由のような気がするが…… まさかな。)
「よ〜し、やるぞぉ!」
いつものバンダナを鉢巻きに変えて頭にしめる。山積みの問題集を前に美咲はいきなり机に突っ伏す。
「ううっ…… やりたくないぃ……」
まさに「問題は山積み」であった。
美咲が牛歩戦術で宿題をやっている間、小鳥遊の研究所は静かであった。
結局、美咲のフラッシュブレイカーがいないとウィングブレイカー、キャノンブレイカー、スターブレイカー、そしてナイトブレイカーが使用不可能のため、この日は個人の訓練だけで終わってしまった。
「美咲さんがいないとこんなに簡単だとは思いませんでした。」
三人の少年少女の前で小鳥遊が困ったような表情を見せた。しかしそれがすぐに真剣な顔に変わる。
「しかし、おかげで我々の大きな弱点が判明しました。」
小鳥遊の言葉に隼人が皮肉めいた表情を見せた。
「つまりあれだな。橘がいないと俺達の戦力は一気に半減するわけだ。
てことはなにか? 俺達は橘におんぶにだっこでないと夢魔と戦えないってか?
情けねえこったな。」
口ではそう言うが、そこには何となく自虐的な響きが混じっていた。隼人自身、美咲の強さを肌で感じていたし、彼女がいないと何度も全滅していたことを隼人は理解していた。
それ故に、自分の非力を悔しく思うのだ。
「ええ…… 全くその通りです。」
「ですが…… でしょ?」
言いかけた言葉を麗華に横取りされて、困ったように視線をさまよわすが、気を取り直すためか眼鏡をなおすとそばのコンソールに張りついている謙治を振り返る。
「詳しい話は後でということで。とにかくこれを見て下さい。」
謙治がキーボードの上に手を滑らせると、複雑なプログラムのようなものに重なって航空機の三面図が表示される。比較のためか鳥型の物体、フェニックスブレイカーが並ぶ。それと比べるとスターローダーよりも少し大きいくらいのものであろう。
「というわけで、小鳥遊博士と研究中の新しい戦力です。ちょっと機体が大きいですが、出力的にはスターブレイカーにも劣らない自信があります。
僕達に不足しているのは航空戦力ですのでフェニックスブレイカーと併用すれば多大なる成果を上げられると思います。」
「ほう。」
隼人が感心の声を上げた。
「しかしだな、田島。ちょっと気になるんだが?」
「なんでしょう?」
「誰が乗るんだ?」
『あ……』
謙治と小鳥遊が同時に凍り付いた。
「そう言えばそうねえ。話の流れからすると私と美咲は除外されるから…… 謙治か隼人よね。
二人とも飛行機、飛ばせる?」
「はっはっは、これは困りましたねえ。」
黙って首を振る少年二人に、半分ひきつり気味で小鳥遊が乾いた笑いをあげる。
麗華は大きくため息をついた。
「まあ…… ともかく。パイロット云々以前に、まだこの機体には制御システムにあたるものをまだつけていないんですよ。でもさっきの話を考えるならば遠隔操作か自動操縦、というのが妥当でしょうねえ。」
「できるの?」
「すみません。まだ研究中でして……」
改めて麗華の口からため息がもれる。
「じゃあ、何? その新しい機体は形だけなの? 動かないわけ?
……ったく、それじゃ何にもならないでしょう。」
(これじゃあ美咲の負担は減らないわ……)
「そうだな。」
まるで彼女の心を読んだかのような隼人の言葉が、その場の全ての人間の心中を明確に表していた。
なんだかんだ言っても、彼らにとって美咲の存在は大きくなっていた。戦力としてもムードメーカーとしてもだ。
「こういう言い方は変かも知れませんが…… 橘さんがいないと静かですね、ここは。」
「なんか拍子抜けだな。
……いいや、俺は帰らせてもらう。」
静けさに耐えられなくなったのか、隼人が席を立つ。地下から外に出ようとして、その途中で振り返る。
「田島、おっさん、次来るときまでにはそのデカブツ、まともに動くようになってるといいな。」
言ってから小さく肩をすくめると、隼人の姿は入り口から消えていった。
「和美、入っていいか?」
「あ、お兄ちゃん! いいよ、退屈してたんだぁ。」
研究所からの帰り道、ほぼ日課となっている妹の見舞いに来た隼人。病室のドアをくぐり、手近の椅子を引き寄せ無言で腰掛ける。
「……? どうしたの、お兄ちゃん?」
「どうしたって…… 俺の顔になんかついているのか?」
隼人の言葉に和美は小さく首を振る。
「ううん、そうじゃないけど…… お兄ちゃん、なんか寂しそうな顔している。」
「…………」
「そうねぇ、しいてあげるなら…… 会いたい人に会えなかったような顔している。」
妹の言葉に一瞬、美咲の顔が頭をよぎるが、それを否定するように頭をふる。そんな兄の表情に和美はクスリと笑った。
「あ、お兄ちゃん、もしかして好きな人できたの?」
「阿呆、そんなくだらないことを勘ぐっている暇があったら、一日も早く体を良くすることを考えろ。」
手術が成功したのも含めて、和美の体調は日々良くなっていった。秋ぐらいまでには退院も可能だろう。そういう風に話題を変えようとした隼人だが、和美がニヒヒ笑いを浮かべ、追求の手をゆるめようとしない。
「図星でしょう、お兄ちゃん。今度、和美にも紹介してね。あ〜あ、素敵な人だったらいいなあ……」
「あのなあ……」
「あたし、お姉ちゃんというのに憧れていたの。確かにお兄ちゃんはかっこいいし、ちょっと無愛想なのも素敵だけどさ、優しぃ〜お姉ちゃんもいたらいいなぁ、って。」
半分、妄想の世界に入っている妹に隼人はガックリと少女のベッドに倒れ込んだ。
「頼む和美、お兄ちゃんを疲れさせないでくれ……」
「えへ、ごめんなさい。
でも…… ホントに彼女ができたらすぐに和美にも見せてよね。」
「ああ、分かった分かった。」
気のない返事をすると隼人は窓から外を見た。太陽が傾きつつある。性格上か隼人は時計というものを持ち歩いていない。正確な時間はともかく、五分単位くらいなら空を見たり自分の時間感覚で判断できた。
彼の感覚はそろそろ面会時間の終わりを告げていた。肩をすくめると隼人は座ったときと同じように無言で立ち上がった。
「じゃ、俺はそろそろ帰るとする。
……もうすぐ学校が始まるから頻繁に来れなくなるかも知れないが、わがまま言って周りを困らせるなよ。」
「は〜い。」
妹の返事に満足したようにうなずくと、隼人は病室を後にした。不意に思い出したかのように、自分の腹に手をあて呟く。
「橘、来なかったからな…… メシ食い損ねたか……」
小さくため息をつくと、帰り道のコンビニに寄ることを考えながら病院を出た。
少し時間は戻る。
「やっぱりダメか……」
ディスプレイから目を離すと、椅子の背もたれに寄りかかり、謙治は頭の後ろで手を組んだ。ディスプレイの中では大型の航空機のCGが飛行している。が、その航空機はすぐにバランスを失い墜落する。
「参ったなあ……」
「何が?」
声と共に、コーヒーカップが視界に入ってくる。半ば反射的にそれを受け取り、声の主の方を振り返る。麗華がコーピーカップ片手に優雅な動きで椅子に腰掛け、足を組もうとしているところだった。
「神楽崎さん…… これは?」
「コンピュータのやり過ぎで目も悪くなったのかしら? とりあえず一息入れたらどう? 根の詰めすぎは体に悪いわよ。」
「はあ……
そういえば小鳥遊博士は?」
あたりを見回しても小鳥遊の姿はない。もし近くにいないのなら、この他にだれもいない地下で麗華と二人きりということになる。
「ああ…… 小鳥遊さんなら調べ物があるから上の書斎に行ってるわ。
謙治…… 変なことを考えているんじゃないでしょうね。」
「あ…… い、いえ、そんなことは……」
慌てて言い繕う謙治にちょっとばかりの疑惑の眼差しを向けると、気を取り直したようにディスプレイを見る。相変わらず、墜落シーンが続いている。
「で、これは何?」
「ああ、これですか。」
自分の得意分野に話題が移って、内心ホッとしながらキーボードに指を走らせる。先ほども見せた大型航空機の飛行シミュレーターのであった。しかし姿勢制御が安定しないのか、何度条件を変えても飛行には程遠い結果しか出ない。
「ふ〜ん。」
「今まではフェニックスブレイカーの飛行パターンを使ってましたが、それでは不可能なようです。」
「つまり?」
「はい。この機体には新しく飛行プログラムを設定する必要がある、ということです。」
謙治の言葉に麗華はため息をつきながら髪をかき上げた。
「空飛ぶだけでそんなに苦労するなら、いつになったら実用化するのやら……」
「ええ、ハードウェアは参考にできるものが多いのですが、ソフトウェアに関してはどうしても……」
そこで麗華はあることに気づく。
「じゃあ何? もしかして機体自体は完成しているの?」
「はい。時期的にいえばスターローダーの少し後くらいですね。ただ…… 半分以上僕のオリジナルになったので、調整に時間がかかったのですが……」
語尾に乾いた笑いが混じる。
「知ってましたか? 僕達四人の中では僕が一番精神力が低いそうなんです。ですから他のところで、僕の持っている知識で皆さんの手助けができればと思ってたのですが…… でも結局形になったのはサンダーブレイカー用の武器がいくつかだけ……」
「だから自分はお荷物だ、とでも言いたいわけ?」
目を細めた麗華がため息をついた。
「そんなにお荷物になりたいのなら望み通りお荷物扱いしてあげるわよ。
で、お荷物の謙治はどうして欲しいの?」
「神楽崎さん…… 別に僕はそんな……」
麗華のあまりにも冷たい言い方に謙治の方が言葉を失う。そこまで言ってからふと麗華は表情をゆるめた。
「いい? もしも美咲の前でそんなこと言ったら本気で怒るわよ。
あの子はただでさえ無理しているのよ。これ以上、美咲に負担をかけないで。」
「神楽崎さん…… すみません。」
「謝るくらいなら最初から言わないことね。でも一つだけおぼえておいて。私たちは四人、いえ小鳥遊さんも含めて五人で力を合わせているから戦えるのよ。
それに……
(謙治には感謝しているのよ、色々と。)」
「え?」
「何かしら?」
自分の言葉に内心驚きながらも、そんな様子を微塵も見せないで空惚ける麗華。話題を切り替えたいのか、カップに口をつけ髪をかき上げる。
「とにかく、これを飛ばせられるのは謙治だけなんだから、そのあんたがそんな調子だと困るのよ。いい?」
「そうですよね…… 僕…… だけなんですよね。」
カップの液面をジッと見つめていた謙治が顔を上げた。それまで見せていた落ち込み気味の目の色が若干明るくなっているのを見て麗華は心の中で肩をすくめる。
(まったく、これだから優等生は……)
「あ、あの…… 神楽崎さん……」
不意に真剣な表情で、しかも声が半分裏返りながら口を開こうとして、それが電子音に遮られる。夢魔の出現のようだ。
半分ガッカリ、残りはホッとして謙治が再びコンソールに向き直る。夢幻界に現れた夢魔の数、エネルギーレベルなどを瞬時に探査する。しかし、出力されたのはどう見ても異常な数字だった。
「エネルギーレベルCマイナス、出現数測定不能? 何でしょうこれは?」
「機械壊れているんじゃないの?」
「いえ…… そういうわけではないようですが…… この状態を簡単に例えるとしますとですね……」
「例えると?」
自分で考えついた比喩があまりにもくだらなく一瞬妙な顔をするが、ちょっとためらいながらも考えを口にする。
「すごいヤブ蚊状態……」
「……なるほどね。
で、どうする? 美咲と隼人に連絡をとりたいけど…… 二人はどこかしら?」
麗華の問いに謙治が腕時計に目を落とす。
「今の時間でしたら…… 大神君は家に戻っている頃ですね。橘さんは今日、どこにいるのでしょう?」
「わからないよ…… とにかく、小鳥遊さんに頼んで連絡をとってもらいましょう。
行くわよ、謙治。」
研究室の寝台に横たわるとブレスレットを額にかざす。二人のドリームティアが光を放った。
「ドリームダイブ!」
隼人がコンビニ弁当とカップラーメンの夕食をとろうとしたとき、妙に古めかしい黒電話がなった。訝しげな顔をすると受話器を箸を持っていない方の手でとる。
『もしもし、大神君のお宅ですか?』
「誰だ?」
ちょっと不機嫌に応えると、電話の向こうの小鳥遊は戸惑ったように、だが少し慌てたように言葉を続ける。
『あ、良かった。隼人君、夢魔が出現した。麗華さんと謙治君が先に行っているが苦戦しているようだ。』
「……俺も行かなきゃまずいんだろうな。」
『ええ…… できれば……』
チラリと隼人が夕飯を見る。麺はのびかけ、弁当もさめ始めている。
「十分、いや五分待ってくれ。すぐに行くから。」
『わかり…… おい、麗華さん! 謙治君! どうしたんだ応答してくれっ!』
「チッ…… すぐ行く。
ドリームダイブ!」
すでに彼の夕食は冷めてしまっていた。
夢幻界は一寸先すら見えない状況だった。耳障りな羽音のような音が周囲を支配していた。謙治の言うとおり、昆虫サイズの夢魔が数万、数億の単位で羽音を響かせていた。
サンダーブレイカーの肩のキャノン砲が続けざまに火を噴く。そうでもしないと砲口が夢魔で覆われそうなのだ。
フェニックスブレイカーは地面でもがいている。飛行機でいうところの空気取入口(エア・インテイク)に夢魔が殺到して飛び立つことができない。二機とも全身から己のエネルギーを放出して内部への侵入を防いでいるが、いつまでもつか定かではない。
「謙治、何とかならないの?」
(何とか、か。
これだけ大量の夢魔。必ずそれの大元がいるに違いない。この夢魔は簡単な衝撃でも破壊できるが…… これだけの数、どうすればいいんだ……)
「謙治!」
フェニックスブレイカーがサンダーブレイカーの背中をつつく。そこで我に返ったときには更に夢魔の濃度が増加していた。すでに身動きすら危うい状況だ。
「神楽崎。田島。少し冷えるが我慢しろ。
ブリザード・ストーム!」
隼人の声と共に、範囲を広げ威力を抑えた吹雪が二機を包み込む。機体の表面に張りついていた夢魔が瞬時に凍り付き、氷塊となって砕け散る。
一時的に夢魔が周囲からいなくなった。その隙にウェアビーストになったウルフブレイカーがソニックブームの尾を引きながら二機のそばまで移動した。
「今だ田島、やれ!」
「は、はい!
サンダー・スプラッシュ!」
サンダーブレイカーの手からドーム状に雷撃が広がった。夢魔が接近しようにも張り巡らされた稲妻の網がそれを許さない。
ただ無秩序にエネルギーを放出するより、技として力を放った方が楽であった。この状態ならまだしばらくは耐えられそうである。
「さすがにこんなのが相手とは思わなかったな。で、どうする?」
「ホントにどうするの? こんなのいくら倒してもキリがないわ。」
二人のぼやきに謙治は簡単に自分の考えを述べる。本体がいるはず、という考えは理解してもらえたものの……
「それはいいが、どうやって探す?」
「見つかったとしてもあの群を突破するのは難しそうよ。」
そうやって三機がかたまって悩んでいると、その中間あたりに不意に美咲が現れた。巨大な人型と鳥と狼のロボットが頭をつきあわせているのは下から見ると異様な光景なのだろう。美咲はポカンと口を開けて三機をかわるがわる眺めていた。
「どうしたの、みんな?」
状況の深刻さにまるで気づいていないような美咲の発言に麗華はため息をついて髪をかき上げた。
「美咲。聞きたいことはたくさんあるんだけど…… とりあえず、今のこの状況を見てどう思う?」
雷撃の壁の向こうの有象無象の夢魔に目を向けてから美咲はただ一言、
「大変そう。」
フェニックスブレイカーの操縦桿を握る手が憤りでブルブル震える。それでも怒りを抑えようとしているのか、半分ひきつったような声が麗華の口から漏れる。
「あ…… あ、そう。じゃ、じゃあ、美咲はどうしたらいいと思っているのかしら?」
「う〜ん。」
腕を組んで考え込む美咲。平手に拳を軽く叩きつけると一つうなずいた。
「殺虫剤みたいのをプシューって……」
語尾が先細りになる。フェニックスブレイカーが美咲に向かってゆっくりと口を開いた。
「あんたねぇ…… そんなもので何とかなるわけがないでしょっ!」
「いや、待って下さい。」
謙治が麗華を止めた。
「橘さんの考えはあながち的外れとは言えません。」
「本気か田島?」
呆れたような隼人の言葉にも謙治はニコッと笑っただけだ。
「要は殺虫剤のように広範囲の敵を攻撃できるような方法があればよいのです。
僕達の中ではそれほどの大規模な範囲への攻撃方法は今のところ無いのですが……」
「なら無理じゃない。」
「ええ。しかしですね、そういうものが無いのなら作ればいいのです。」
「作る? 冗談でしょ。どこにそんな暇があるのよ。この状況では夢幻界から出ることすらあやしいのよ。」
謙治はまるで自分を誇るかのような笑みを浮かべ、眼鏡をなおす。
「お任せ下さい。しかし作業に集中したいので五分、いや三分ほど時間を稼いでもらえますか? それで何とかします。」
「……謙治。あんたのことだから心配してないけど、大丈夫なんでしょうね。」
「はい。」
サンダーブレイカーごと大きくうなずく。それを見て麗華は軽く微笑んでから表情を引き締める。そして他の二人を振り返る。
「美咲、フラッシュブレイカーをリアライズさせなさい。隼人、たったの三分よ。それくらいなら耐えられるでしょ?」
「うん。」
「フッ…… 誰にものを言っている。」
美咲のドリームティアが光を放った。それを合図として雷撃のドームが消失する。
次の瞬間、夢魔がまさに雲霞のごとく襲いかかってきた。
「ブリザード・ストーム!」
「フルブラスト!」
「グラスブーメラン!」
四方八方から迫る夢魔の群を蹴散らそうと攻撃を繰り返すが、全体数はまるで減る気配すらない。
「神楽崎、さっきはああ簡単に言ったが、少し考えさせてくれ。」
「あら、珍しいわね。隼人が弱音を吐くなんて。」
「俺はな、殴れない敵は嫌いなんだ。」
「あ、ボクもそう思う。」
しかし徐々に軽口をたたく暇すら無くなってくる。機体の表面に張りついてくる夢魔が増え、装甲を少しずつ傷つけていく。
長い間戦っているような気がするが、実際はまだ一分くらいしか経過していない。
果てるとも知れぬ猛攻に消耗の色が濃くなってきた。特に元々格闘戦向きのウルフブレイカーはブリザード・ストームの使い過ぎでエネルギーが心許ない。
「くそ…… 三分がこんなにキツイとは思わなかったぜ……」
不意に夢魔が一度引くような動きを見せた。逃げたわけではなさそうだ。夢魔の気配が濃くなる。どうやら集合して一気に襲いかかってくる雰囲気だった。
(この攻撃さえしのげれば……)
麗華はフェニックスブレイカーを乱暴に振るわせ、表面の夢魔をふるい落とす。長期戦になることを見込んで、極端に消耗しないようにしていたから十分とはいえないまでもエネルギー残量に余裕があった。
(来る……!)
夢魔が一方向から密集して突っ込んできた。まるで一本の巨大な槍のように襲いかかってくる。
美咲や隼人が攻撃を仕掛けても勢いが衰える様子はない。そして夢魔は動かないサンダーブレイカーを狙っていた。
意を決したようにフェニックスブレイカーが上昇する。一旦、高みまで上がると夢魔の固まりめがけ急降下をかける。
「させるものですか!」
フェニックスブレイカーが全エネルギーを炎に変えてその身にまとった。
「バースト・トルネード・ブレイクッ!」
深紅の竜巻と漆黒の槍が正面からぶつかりあった。
焼き尽くされる夢魔よりもそれの勢いの方がわずかに勝っていた。今のところまだ両者とも拮抗しているが、先に力つきるのは確実に麗華だろう。
謙治の予告した時間も後二十秒くらいのところでフェニックスブレイカーの炎の衣が消え失せた。次の瞬間、夢魔がフェニックスブレイカーを覆い尽くした。抵抗するエネルギーすら残ってないのか、されるがままになっていた。
「麗華ちゃん!
謙治くん、麗華ちゃんが……!」
しかし返答は無い。次の五秒が美咲には永遠のように長く感じられる。隼人もブリザード・ストームでフェニックスブレイカーにまとわりつく夢魔をたたき落とそうとするが、相当に威力が落ちているらしくあまり効果がない。
そして謙治がサンダー・スプラッシュを解除してから二分四十七秒後、彼の目の前のディスプレイに前に調整していたものとは別の航空機が描かれていた。ステルス戦闘機を思わせるような幅広の翼、更にそれに付随する別の一対の翼。その先端はローターになっている。全体のバランスから見ると、機体の大きさとエンジン周りの大きさが合っていない。そう、この機体を飛ばすためには原動機が大き過ぎるのだ。
自動操縦(オートパイロット)用のプログラムを素速く確認する。実際は謙治は周囲の状況をある程度把握しながらプログラミングを続けていた。当然、麗華が夢魔に集中攻撃を受けているのも知っている。しかし、麗華が自分のために必死で時間を稼いでいるのだ。一秒も早く、自分の仕事を終えるのが彼女の望んでいることでもある。そして謙治は自分の予想より十秒以上も早く終わらせた。そして叫ぶ。
「橘さん、スターローダーを!」
「分かった!」
フラッシュブレイカーがわずかに顔を上げる。その額から一条の光が天に向かって伸びる。美咲と謙治が同時に叫んだ。
「スターローダー!」
「コメットフライヤー、リアライズッ!」
地平線の彼方から光の道が延びてくる。その上をトレーラーのような大型の車両が途中の夢魔を蹴散らしながら疾走してくる。その上を同じくらい巨大な翼が飛行していた。色は白。スターローダーと同系統のカラーリングをしていた。
「スターライト・イルミネーション!」
フラッシュブレイカーとスターローダーが変形合体をし、白の巨人にその姿を変える。
「流星合体、スターブレイカー!」
熱っぽい声で叫ぶ美咲とは対照的に、謙治は冷静にキーをたたく。
「プログラムナンバー003、ドッキングシステム起動。」
名称コメットフライヤーがスルリとスターブレイカーの背後に近づいた。そのまま背中に密着した。主翼をV字型に、ローターの翼を肩の高さに固定する。
「橘さん、両肩のローターに新しい武器があります。激しい気流で敵を吹き飛ばす……」
謙治の説明は最後まで必要としなかった。新しい翼を手に入れた瞬間、その秘められた力は彼女のものとなっていた。
「これだね。スパイラル・ハリケーン!」
謙治の解説通り、ローターから激しい暴風が吹き荒れる。風は夢魔を吹き飛ばすだけでは飽きたらず、勢いだけで夢魔を粉砕できる威力があった。すぐにフェニックスブレイカーの姿が露になる。致命傷や機能の低下につながるような損傷は見受けられない。が、出力が落ちているせいか、突風に逆らうことができずに一緒に飛ばされて行きそうになる。
「ライトニング・チェーン!」
すかさずサンダーブレイカーが両腕を前に伸ばした。手首のあたりから稲妻をまとった光の鎖が飛び出すとフェニックスブレイカーに絡み付く。そのまま風の影響を受けない高度までおろすとゆっくりと自分の方へとたぐり寄せる。
「神楽崎さん!」
「…………」
「神楽崎さん、しっかりして下さいっ!」
「……謙治? いや、私は大丈夫よ……」
麗華はコクピットのなかでかぶりを振る。
「夢魔はどうなったの?」
「ええ、それは……
! 橘さんっ!」
謙治の悲鳴じみた声に麗華も振り返る。そこには疲れたように膝をつくスターブレイカーの姿があった。ローターの回転もゆっくりになり、もはや夢魔を吹き飛ばすほどの威力もない。
「美咲……! どうなっているの謙治?」
「分かりません。もともとスターブレイカー用の飛行用パーツとして設計したものです。橘さんのキャパシティは計算しています。」
ふとその謙治の言葉に、隼人は自分の予想が正解だったことを何となく感じる。
「……つまりだ、やり慣れないことをやって疲れているんだろう。だから普段の力が出せないでいる、というところか橘?」
「……ゴメン、みんな。」
スターブレイカーでいるのも負担なのか、すぐさま分離してフラッシュブレイカーに戻る。夢魔をほとんど吹き散らかしたが、再び結集しようとしている。
「ちょっと今日、調子悪いんだ。」
その声からも何となく疲労の色が見える。ずっと宿題に取り組んでいて、しかもさほど進んでなければ嫌でも疲れるだろう。
「橘がこの調子なら一気にケリをつけるしかないな。全員が疲労しているし、長期戦は無理だ。」
「じゃあ、どうするつもり?」
集まってきた夢魔の方を一瞥してから他の三人を見る。
「夢魔の本体は見つけてある。後はそいつを一撃で倒すだけだ。」
「となると……」
「アレしかないわけだ。」
その言葉に三人の視線が美咲に集中する。分かっていないのか、困ったように自分を指さす。
「ボク?」
「はいはい、ボケてる暇無いの。美咲、ナイトブレイカーよ。」
「あ、そうか! 行くよ、みんな!」
美咲の言葉に無言の返事が返ってくる。
「ドリーム・フォーメーション!」
フラッシュブレイカーを中心に眩い光が放たれる。その光に触れた夢魔は抵抗する間もなく消滅する。光の中で四機のブレイカーマシンが変形して一つになった。
「夢幻合体、ナイトブレイカーッ!」
巨大なマシンが大地に降り立った。全員で疲労を分け合いでもしたのか、珍しく美咲はすぐに意識を回復する。そのナイトブレイカーに夢魔が殺到してきた。視界が全て覆い尽くされてしまう。
「前が見えない!」
「構うな橘。本体はそっちだ!」
隼人のいうところの「そっち」が美咲の脳裏に示される。センサーでも肉眼でも見ることができない。しかし、隼人がいると言っているのなら誰も異論を唱えるものはいない。
「邪魔よ! ファイヤー・トルネード!」
赤い左腕が炎をまとい、放たれた一陣の紅蓮の竜巻が夢魔の群を貫いた。大きくポッカリと空白地帯が生まれる。
「エネルギーの節約のため、バーニアを使わずに脚部のキャタピラを使いましょう。」
「情けねえ話だな、おい。」
「そんなことより、橘さんのガイドお願いします。」
「分かってる…… 橘、少し右だ。よし、そのまままっすぐ。」
全く視界の効かない中、それでも隼人の言葉だけを頼りにナイトブレイカーが進む。
「今だ! 正面斜め上、四十五度!」
「よ〜し! 悪しき夢を断つ刃……
夢幻剣、リアライズ!」
現れた剣を両手で掴んだ。その刃が揺らめく光に包まれる。そして何も見えない空間に向かってそれを振り下ろす。
「ドリーム・レボリューション…… ブレイクッ!」
光の刃が空間を走る。しかし、見えないので当たったかどうか定かではない。
と、不意に目の前が明るくなった。視界を塞いでいた夢魔が次々にいなくなる。
「倒したの……?」
「そのようですね……」
全員が疲れたように息を吐く。ナイトブレイカーが分離して、元の四機に戻る。と、フラッシュブレイカーがライトクルーザーに変形するといきなり走り出した。
「ゴメン! ボク、ちょっと急いでやらなきゃならないことがあるから先に帰るね。」
最後まで言ったか言わないかのうちに、ライトクルーザーの姿が夢幻界から消える。
「なんか美咲…… 今日、変ね。」
「そうですねえ……」
首を傾げる二人。半分口ごもりながら隼人が間に口を挟んでくる。
「俺のカンなんだが…… 橘の奴、夏休みの宿題が終わってないんじゃないか?」
「……なるほどね。あの子ならあり得るわ…… 全くしょうがないわねえ。
ま、とにかく私たちも戻るわよ。」
三機のブレイカーマシンも夢幻界から姿を消した。
「で、あんたがどうしてここにいるの?」
「俺も同じ質問をお前達にしたいのだが?」
なぜか図ったかのように美咲の家の前で麗華、謙治、隼人の三人がバッタリ顔を合わせる。隼人は徒手空拳だが、麗華と謙治は手にコンビニの袋を下げている。中はジュースのペットボトルやお菓子なのだろう。
誰からともかくクスリと笑みが漏れる。
「大神君も同じ考えだったようですね。」
「……まあな。自業自得なのだろうが、どうせ暇だったしな。」
「ふ〜ん。ま、そういうことにしといてあげるわ。」
麗華の皮肉めいた言い方に小さく肩をすくめる隼人。そんな態度を横目に玄関のチャイムを鳴らす。少ししてトテトテという感じの足音とともに、鍵の外れる音が聞こえる。
「はぁい、だあれ?」
「上がるわよ。」
美咲の返事も待たずに三人がゾロゾロと上がり込む。唐突な行動にただただ困惑する美咲。
「あ、あの…… ねえ、みんな……?」
「美咲、コップ無い?」
「あ、それなら……」
奥の台所の方にしばし、人数分のコップを手に戻ってくる。その間に美咲の苦戦の跡を簡単に整理すると散らばった卓袱台の上を片づける。
「そういやあ俺、腹減ったな。」
「来るとき宅配ピザ頼んでおいたから、もうすぐ来るんじゃない?」
「麗華ちゃん…… どしたのみんなして。」
並べられたコップにジュースを注いでいる麗華に美咲が困ったような表情を向ける。
「あら美咲。のんびりしてていいの? 宿題、全然片づいていないじゃない。」
「そうだけど……」
謙治が出された課題の問題集の中から一冊を卓袱台に戻す。ちょうど美咲の真正面に座ると、眼鏡をなおしてニヤリと笑った。
「さ、始めましょうか。」
「え……」
「あまり時間が無いですからさっさとやっちゃいましょう。解答までは教えませんが、解き方は解説しますので、できるだけ自分の力で解くようにして下さい。」
「も、もしかして……」
美咲がヒクリと顔をひきつらせる。
「そうそう、数学が終わったら英語の長文翻訳やるからね。」
「古典も訳が出てたな。それくらいなら教えられるぞ。」
「うぅっ…… 何か嬉しいような、嬉しくないような……」
半分泣き出しそうな顔をして、美咲はシャープを手に問題集に向き直る。
「それでは一問目ですね。これは……」
結局、この日は朝まで美咲の家の電気が消えることが無かった。
教訓。宿題は計画的にやりましょう。
次回予告
麗華「夢の中に現れた竜。敵か味方か、それより一体あれは何なの?
夢の謎も分からぬまま現れた夢魔。スターローダーを封じられ、美咲も謙治も何もできずに今まさに潰されようとしていた。誰か…… 誰か助けて!
夢の勇者ナイトブレイカー第十二話
『竜の伝説』
あなたの見る夢は現実? それとも……」