− 第六章 −
「へぇ〜」
周囲に人がいなければ大口を開けていたことだろう。
前に名前だけ大げさだとは言ってたけど態度を改めることにする。その「さざなみの貴婦人号」は大きかった。前にグリフォンを見たときも大きいなぁ、と思ったけど、これは別格だ。さすがにキロクラスの艦で下手すると向こうがかすんで見える。
しかも装飾もしつこくなく、優美な印象を受ける。まだ一度も空に行ったことがないので、目が痛くなるほど白い姿だ。
「綺麗、ですね……」
隣でリーナちゃんが半ば呆然というような顔をしている。
今日はうちの父上の秘書、ということでスーツ姿で髪を首の後ろで縛り、少し野暮ったい伊達メガネをかけている。腕には薄型の携帯用端末。ピシッと決めているのだが、醸し出す雰囲気もあって、やっぱり可愛く見える。ちょっとズルい。
「……?」
って思ってたら、不思議そうにこっちを見るから思わず苦笑。
「さて、」
背後から威厳のある声が聞こえてきた。
「そろそろいいかな? 早く乗り込まないと置いてかれてしまうかもな。
でも二人揃ってそういう顔をしていると、思わず可愛くて写真を撮りたくなるな。」
ニヤニヤしているあたしの父上。手にはカメラまで持っているから始末に悪い。……嫌味勝負ならジェルといいとこ勝負できそうだ。
父上の後ろには黒のスーツにサングラス姿のヒューイとカイル。どう見ても悪役。……というか、よくカイルに合うスーツがあったな。
えっと、状況説明。そんなわけで、ジェルがあっちこっちで裏工作をしているうちに、「さざなみの貴婦人号」の進水(?)式が行われる当日となった。毎日のようにジェルはリーナちゃんを連れて出かけ、ヒューイとカイルは宛がわれたホテルの部屋でゴロゴロ。仕方なくあたしは適当に街中をぶらついていた。
暇だ暇だと言っていても、ホンの二日くらいのことだったんだけどね。
そんなわけで当日。その「さざなみの貴婦人号」の前で盛大なセレモニーが行われた。古来からの習慣らしく、シャンパンを船首に叩きつけたりしたんだけど…… 艦の大きさを考えると至近距離になるので、白い壁にしか見えない。
あんまりにもつまらないので、乗る前にちょっと離れたところロビーにリーナちゃんと二人して行って来たのだ。
さすがに「さざなみの貴婦人号」を一目見ようとロビーは混雑していたが、そこは美少女二人の力(?)で何とか窓際に行くことができた。そして冒頭に戻る、と。
「…………」
とりあえず言いたいことはいろいろあった。が、今日はおしとやかな令嬢だ、と言い聞かせて我慢我慢。……でも相手がジェルだったらいきなり怒鳴りつけていたかも。
「お父様、もうそんなお時間ですか?」
……う、自己嫌悪。一瞬周りの空気が固まったような感じがする。
「わはははははは!!」
と沈黙を破るようにブルースブラザーズ(←かつてそんな映画があったらしい)のでかい方が遠慮なしに笑いやがった。ただでも目立つ一行なのに、余計に周囲の視線が痛くなってくる。よく見るとヒューイもお父上もニヤニヤ笑っている。唯一、キョトンと別な反応を見せているのはリーナちゃんだけだ。
なんか悔しい……
「でも……」
ふと疑問が口を突いて出る。
「なんでここにいるって分かったの?」
確かここには黙って来たはず。時間になったら戻ればいいや、と思ってたんだけど……
ひょい、とお父上が窓の外を指差す。そこには「さざなみの貴婦人号」が…… じゃなくて、もう少し上を指している。
……ん?
マスコミのヘリに混じって黒い…… 戦闘ヘリ?
もしかしてホーネット?! いや、確かにジェルは艦には乗らずにグリフォンで外から警備ってことになっているがさすがに見えるところにはいないだろうけど、それとどういう関係が……?
……あ、いや、一つだけ可能性があった。
暗澹たる気持ちになりながらも指で鉄砲を作り、遠くに見える黒い飛行体に向ける。
「BANG!」
銃口を跳ね上げて、撃ったアクション。と、その飛行体がまさに撃たれたかのように斜めに傾いて落ちていく。高度を半分くらい下げたところで体勢を立て直し、元の高さまで戻る。
「ん? ああ。」
と、背後の黒服の大きい方がスーツのポケットから何か小さなものを取り出す。形は「C」の字のようなもの。
「ラシェル。ジェラードがこれを耳につけろってよ。」
なるほど、どうやら耳にかけるもののようだ。でもいったい何……?
疑問に思いながらもそれを耳にのせる。小さくて細いのと、肌色をしているので、耳に隠れてほとんど目立たないのだろう。良く見ると、後ろのブルースブラザーズもリーナちゃんも同じ物をつけている。
『というわけで、今の砲撃でホーネットが大破しました。弁償してください。』
……いつものように人を食ったような声が聞こえてきた。
どうやら簡単な通信機になっているらしい。
「えっと…… 話す方は?」
そんな戯言を爽やかに無視し、横のリーナちゃんに聞く。
『大丈夫です。それこそ呟き声でも拾いますので。
もし、聞かれたくないときがありましたら耳から外してください。接触面に生体反応があるときしか反応しませんので。』
リーナちゃんが何か言う前にジェルの声。なるほど、それは凄い。
で、つまるところ、その…… お花を摘みに行くときは気をつけろ、ってことですか。
『一応、外すときは外す、って言ってください。そうでなくいきなり通信が途絶えたら死んだものと判断しますので。』
おいこら。
『まあともかく、乗るなら早くしたほうがいいですねぇ。』
口調がちょっと嫌味っぽいものにかわる。
と、そこで気付いた。「さざなみの貴婦人号」の周りでも、あたし達の周りでもなんかざわめくような雰囲気が感じられる。ふとロビーの時計を見て、
「げ。」
思わずお嬢様──あたしよ、あたし!──らしからぬ声を出してしまう。
もう出航時間を素晴らしく過ぎている。が、別にあたしたちが乗るのを待って、というわけではなさそうだけど……
『とりあえず、人には言えないような方法で出航時間を伸ばしてます。乗るならさっさと乗って下さい。』
またやりやがった…… その「人にはいえない方法」ていうのを聞いてみたいけど、なんかコワい答えが返ってきそうだから止めておく。いや、マジでしゃれにならなそうだし。
「急ぐわよ、みんな!」
「うむ。やっぱり我が愛娘はそちらの方が似合うな。」
あああああ…… あたしってやっぱりそういうイメージなのね。自分でも深窓の令嬢が似合うとは思ってないけど、そういう言われ方もなんとなく虚しいものがある。
まあ、嘆いてもしょうがないけどね。
とりあえず時間がないから、早足であたし達は「さざなみの貴婦人号」へと向かった。……成金主義。
なんかそんな言葉が頭に浮かんだ。
床には真っ赤な絨毯が隙間無く敷き詰められていて、ドアは木製。しかもドアノブは真鍮製で人が触ると曇ってくるからって、ノブの一つ一つに人が立っていてたまに拭くというのだ。
まあ、なんとも無駄に贅沢をしているものだ。下手すると客よりも多い乗務員が必要なんじゃないだろうか。あたしはまだこういうのには慣れているけど、リーナちゃんはなんか落ち着かないらしくそわそわしている。
……ちなみにヒューイとカイルはへぇ〜とか、はぁ〜とか感嘆の声を上げながら歩いている。
『私からは見えませんが、内装はため息が出るほど豪華そうですねぇ。』
ジェルの声。
「そうね。でもあたしはこーゆーのあんまり趣味じゃないな。」
と小さく呟き声で返す。回りに聞こえる声だとあたしの不気味な独り言になりかねない。
『よく分かりませんが私も同感です。……それ以前に私はそういう雰囲気、似合わないでしょうし。』
う〜ん、どうかなぁ? ジェルの正装って見たこと無いけど、ちゃんとした格好をすれば似合わないことはないかも。
『まあ、とりあえず豪華客船の旅とやらを楽しんでくださいや。』
「気楽に言うわね…… これならグリフォンに乗るほうが気楽だわ。」
『そりゃあそうです。ダンスホールなんて洒落た物はありませんが、グリフォンは宇宙一の船ですから。』
はいはい、そうですか。
『冗談はさておき、一応は注意してください。
どこにテロリストがいるか分かりませんからね。』
「……マジ?」
『マジです。さすがに個人で調べるのも限界があります。調べた範囲ですが、相手は相当大きい組織のようです。
おそらく内部にもぐり込んでいる者もいるでしょう。』
その口調からは緊迫感は全く感じられない。が、冗談でもないんだろう。
さ〜て…… あたしはどうしたらいいか。
『ちなみにラシェルは何もしなくてもいいですよ。というか、しないで欲しいですな。』
「ちょっと!」
相変わらず失礼な男だ。
「あたしが役立たずみたいじゃない。」
返ってきたのはため息のような声。
『みたい、じゃなくて実際にそうなんですよ。何かできます?』
「う……」
いや、実際にそうなんだけど、そんな面と向かって(向かってないけど)言わなくても……
もう一個、耳元でため息。
『その気概だけは認めますが…… 今回の任務はただでさえ不確定要素が多いのです。
先に断っておきますが、というか、お願いですから余計な事をして仕事を増やさないで下さい。』
全くの慇懃無礼でのたまいやがったコイツ。
「分かったわよ……」
とりあえずそう言っておく。
今の所は、ね。ポーターがあたし達をそれぞれの部屋に案内してくれる。お父様(笑)は個室。あたしとリーナちゃん、ヒューイとカイルがツインの部屋。……といっても前に泊まったホテルとは全然違う。
この客船は高級ホテルを積んでるのか?
多分、ここでも中の上くらいのクラスなんだろう。……いやいや、こんな船に自分のお金で乗るとしたらいくらかかるんだ?
「これから出航なんですよね。なんかドキドキします。」
仕事とはいえ、ここまでの豪華客船に乗るのは初めてなんだろう。嬉しそうな表情を隠せないリーナちゃん。
ちなみにあたしだって初めてだ。かく言うあたしもワクワクしている。
あ、そうそう。まだ「さざなみの貴婦人号」はまだ宇宙港を発進していない。あ〜 別にジェルが「人にも言えない方法」で出航を伸ばしたから、ってわけじゃないわよ。
進水式はしたはずなのに、またどこぞのお偉いさんだかのお話をしていたり、船内の案内とかをしているみたい。
まぁ、これだけ大きい船なら乗りました、はい発進しますってわけにはいかないだろうしね。
「でも…… 窓は無いから外は見えないんですよね。」
ちょっと寂しそうなリーナちゃん。まあ、気持ちは分からないでもないけど。
あれ、そういえば……
「この船、って展望室なかったっけ?」
「あ、そう言われますと……
でも……」
任務中だから、ってことね。相変わらず真面目ねぇ……
こーゆーときは……
グイ。
「あ……」
「はいはい。せっかくあるんだもん、活用しなきゃ。
というわけで、ジェル。ちょっと行ってくるわね〜」
『……まあ、まだ行動は起こさないでしょうし。そういうのを見るのもいいでしょう。』
不意にジェルが声を潜める。
『リーナの通信機は一時的に切りました。
……ここだけの話ですが、出来るだけリーナの希望はかなえてあげてください。こういうときじゃないと、色々見て回る機会なんて無いでしょうし……』
最後に頼みますよ、と言って、リーナちゃんに気付かれない内に通信を回復させる。
ふ〜ん、ジェルもリーナちゃんのこと結構考えてるんだ。偉い偉い。
『今、ちょっと失礼なこと考えませんでしたか?』
「気のせいよ。」
『あ、それとリーナ?』
「はい?」
とリーナちゃん、首を傾げる。
『スコッチ。』
ぼそっ、と呟いた言葉にリーナちゃんがサッと表情を変える。
慌てて持ってきたトランクを開けると、その隅の方から黒いものを引っぱり出す。
うにゃぁ〜
……さすがに長い間狭いところにいたせいか、疲れた顔の(いや、猫の表情なんて分からないけど)スコッチがフラフラと出てくる。
……よく無事だったわね。
うにゃぁ〜ジッと黙っていないと分からないくらいの振動がすると、視界の中の景色がゆっくり動き出す。
さすがにこのクラスの船になると、翼で飛ぶというわけではないらしい。(え? せめて空力で飛ぶとか言ってくれだって? んなこと知らないわよ)
まあ、どのみち翼なんて空気のあるところでしか使えないだろうし。
『いいんですよ。どのみち、グリフォンみたいに速度を必要とする船じゃ無いですし。
まあ、それこそこの世で一番の贅沢なんて“時間の浪費”かもしれませんなぁ。』
うまいこと言う。
「それはいいけど……
あんたどこにいるの?」
『あんたとは失敬な。』
と、毎度毎度前振りから入るなぁコイツ。
『とりあえず肉眼で見えるような所にはいませんよ。それにまだ報道陣もウロチョロしてますからね。』
なるほど。
『まあ、ご安心下さい。今のところ周囲に不審な飛行物体の接近はありません。それこそ弾道ミサイルだろうが、レーザー衛星だろうが撃ち落とす能力はありますしね。』
サラリと恐ろしいこと言うなぁ……
「あれね。つまりは、『君のことをずっと見ているよ』ってストーカーみたいなヤツだ。」
「あ、あの、それは……」
冷や汗混じりのリーナちゃん。と、
『ふむ。
グリフォン、攻撃準備だ。目標は……』
「ちなみにそーゆーことすると『振り向いてくれないなら壊してやる』って感じのサイテー男と同じよ。」
通信機の向こうから聞こえるように舌打ちが聞こえてくる。甘い、甘いぞジェル。あんたの行動パターンなんてお見通しよ。
「は、博士、そのようなことは……」
『するか!』
「するか!」
思わずハモってしまった声に目をパチクリさせるリーナちゃん。スコッチがやってられんよ、とばかりに大きなアクビをした。
「あ、見て下さい! ほら空港があんなに小さく……」
驚いた顔ような顔も、外の風景に気が行ってしまい、すでに遠くへ。外を見つめる目はまさに子供のようだ。
あー……
『私としてはこういうことはあまり言いたくないが……
リーナのあの天然ボケはどうにかならんのか?』
「あんた、一応保護者でしょ……」
『無茶言わんでくれ。ギャグの指導まで私はできん。』
さようですか。
……ある意味、あんたも天然だしね。今回の試験航行のスケジュールは、夜までに衛星軌道上まで上昇。
えっと…… 普段はもっと早いそうよ。大体昼くらいの出航だと、夜までにはリープ可能宙域に……
ああ、ちょっと待って。最初から整理しないとダメか。
まず、光の速さを超える、いわゆる超光速航行には二種類、ワープとリープていうのがあるのよ。
ワープは空間を歪めて 距離を縮めるので、リープは空間を飛び越えて近道をするようなもの…… でいいはず。
ワープは理論上無限の距離が跳べて、エネルギーとかも少なくて済むんだけど、湾曲した空間が復元するときの反動?みたいなものが凄くて、自ずと限界距離が決まっているらしい。それこそ乗り物酔いみたいな感じになるらしいんだけど…… グリフォンはそーゆー心配が無いらしい。いや、ジェルの言うことなんだけどね……
一方、リープ機関は跳躍距離も短いし、エネルギーの消耗も大きいらしい。でもワープのようなショックは無く、それこそ「さざなみの貴婦人号」のような豪華客船や衝撃に弱い荷の運搬船などに使われているわけだ。
更にもう一つ言えば、ワープの方が不安定で、跳躍に失敗することがあるらしい。運が良ければ別の場所に出るだけ――それだって、出た場所によっては、の話だけど――で済むが、運が悪いと空間の狭間に取り残されて二度と戻って来ないこともあるとか……
『六十点。まぁ、及第点ですな。』
そういやぁ、こういう話って丸々ジェルの「宇宙技術概論」の範囲じゃん。ま、その講師本人がこう言ってるなら単位もバッチリ♪
『超光速航行のところは範囲から外しましょう……』
コラ……
あ、話が脱線してる。
それで本来は四半日もあればリープ可能宙域に――そうそう、思い出した。リープ航法はワープ航法よりも重力の影響を受けづらいから、より惑星に近い位置でも跳躍可能なんだって――着くんだけど、今回はそこまではせずに衛星軌道上で一泊。そして明日帰還予定らしい。
まぁその前後に最低でも一日くらいは必要だし、それを考えると各界の名士を長々拘束するわけにはいかない、って事だろう。
……そんでまた、金持ちの道楽ってところ? 今晩に懇親の為の晩餐に……
はぁ…… 聞いてよ、舞踏会だって。
ヒューイとカイルがいるんだから、武闘会の方が盛り上がるのに……
そりゃ、あたしだって「お嬢様」だから、そーゆーのに出たことはあるわよ。
でもねぇ、マンガのようなロマンスが生まれるわけもなく、コネとか政略結婚とか、そんなのばっか……
「どうかなさったんですか?」
ふと気付くとリーナちゃんがあたしを見ていた。知らぬ内に憂鬱な顔&ため息を披露していたらしい。
「ん〜 無駄にお嬢様なんかやってると気疲れすることが多いのよ……」
と遠い目をしてみるが、リーナちゃんに分かるはずもなし。この場にジェルがいたらさぞかし愉快に皮肉ってくれるのだろうけど…… いや、それはそれでいつものことだけどね。
『ツッコミ入れて欲しかったんですか? 今回は切実だなぁ、とコメントを控えたつもりですが。』
「……博士?」
『あー、リーナには分かりづらいだろうなぁ……
ときにラシェル。公式非公式にもお見合いってものを何度くらいしたことあります?』
……そーゆーこと聞くかな、この男は。
『まぁ、言いたくないならいいですがね。』
とアッサリ引き下がる。
「お見合い、ですか?」
「そーそー。もう大変なのよ。」
ふと思い起こしてゲンナリする。確か一番最初は十歳くらいのときだったかな? そのときはさすがに「見合い」ってものが分からなかったけど、いわゆる「よそ行きの服」を着て、知らない人に会いに行かされたわけだ。それからずぅーっと…… あれ? あたしが大学に行って一人暮らしを始めてからはないわねぇ。さすがにパーティとかは出てるけど。
なんて話をしたら予想通りリーナちゃんは目を丸くして驚いていた。
「そ、その…… 大丈夫なんですか?」
…………
『一応ここは何が? って聞くべきかな?』
「……かもね。」もう「さざなみの貴婦人号」は大気圏を突破し、衛星軌道にのった。
眼下にフライヤー1が見える……はず。
いやね、さすがに今いる展望室からは満天の星空しか見えない。フライヤー1は沢山の鉄板を超えた船底の向こうに……
『鉄板、とはなんたる言い草ですか。』
「別にあんたの船じゃないからいいじゃない。それよりもさっきから独り言にツッコミ入れないでよね。」
『いやいや……』
いつものちょっと小馬鹿にしたような笑いが混じった声が聞こえてくる。とはいえ、コイツの場合、単なる前フリでちっともそんなことを考えてないのは先刻承知済み。それこそ、ちょっと無駄な自尊心をもっている奴なら容易く挑発されるわけだ。そういうことを知っているあたし達や、表面的にもそういう悪意をちっとも理解していないリーナちゃんには全く効かないけどね……
『とりあえず遠回しにロクな事を言われてないような感じがしますが……
まぁ、退屈なんですよ、こちらは。』
そりゃそうでしょうねぇ。
『グリフォンは話し相手には向かないし、かといって寝ているわけにもいきませんし。』
そうね、寝てたらはっ倒す。
『……また失礼な事を考えてますね。』
「いっつも思うんだけど、ジェルって下らないところで勘がいいわよね。」
『褒め言葉、として受け取っておきますか。
ところでリーナ、そろそろ外は見てもしょうがないだろう。
う〜ん…… そうだな、内部構造を把握するために船内を少し見回っとけ。』
「えっと…… はい、そうですね。お仕事もちゃんとしないと……」
ほぉ。
『とりあえず設計図は一通り頭に入っているな? 簡単でいいから、おかしいところがあったらチェックしといてくれ。』
「はい、分かりました。」
さすがに「仕事」と言われて表情を引き締めるリーナちゃん。でも…… ホントに「仕事」?
『ヒューイもカイルもあちこち見回ってるから、飽くまでも怪しまれないように。
……それこそ、興味本位でうろつき回っている雰囲気でいから。』
「は、はい!」
目一杯力をこめて返事をするリーナちゃん。いや、傍目から見ても力入りすぎ……
「頑張ります!」
『……まぁ、頼りないラシェルと、頼りになるスコッチもつけましょう。』
「おいこら。」
『ん? なんですか? 仮にリーナが暴漢に襲われて何とかできる自信がありますか?』
あるかい、そんなもん。
いや、それはそうだけど……
『まぁ、冗談はさておき、ラシェルは伊達にお嬢様やってないから、こういう無駄に豪華な場所や社交界、ってやつにそこそこ詳しいですし。』
な〜んか、決して褒められてはいないわね。
「ま、いいわ。行こ、リーナちゃん。
星空ばかり見ていても仕方がないし。」
「は、はい……!」
あちゃー。リーナちゃん、「仕事」と思ってなんか緊張しているみたい。ジェルのことだ、「適当に見回ってこい」と言っても聞かないから、って思ってのことだろうけど、ここまで真剣に考えるとは…… う〜ん。
あ、そうだ。
「ねぇねぇ、リーナちゃん。さっきジェルが言ったことホント?」
「え……? 博士の……?」
「そ。この船の設計図憶えてるってホント?」
「あ、はい……」
結構リーナちゃんって、集中すると他が見えなくなるタチだから、考え込んでいるときは話題を変えてやるとコロッとそういうことを忘れることがある。ある意味単純、ある意味真っ直ぐ…… なんだろうけどね。
「物覚えはいい方なので……」
……ふつーは多少物覚え良くたって豪華客船の設計図なんか丸々憶えられないぞ。
まぁ、リーナちゃんだからそういうのもありかな? ……たぶん。
「あ、でもそんなに記憶力良いなら、大学でも入れるんじゃない? リーナちゃんって、一応十七歳でしょ? 受験してみたら? それこそ飛び級だって行けるんじゃない?」
おお、我ながらナイスアイデア。
「あ、でも……」
リーナちゃんが顔を曇らせる。半分は予想してたんだけどね。
「まぁ…… リーナちゃんもあのボケの世話しなきゃならないしねぇ。」
『一応確認しておきますが、私のことですか?』
「ハッキリ言わないとダメ?」
『……止めておきます。どうせ言われることは見当ついてますし。』
「賢明な判断よね。」
いつものやりとりを繰り広げていると、隣でリーナちゃんがクスクス笑っていた。ちょっとホッ。さっきから緊張して顔が強張っていたし。
「さ、適当に船の中を回るわよ!」
『あ、ちなみにエンジンブロックとか危険そうな所はあの二人に任せてあるので、とりあえず人が集まりそうな区画を見て回ってくれ。』
「はい。」
「はいは〜い。」
ま、結局は船内観光してこい、ってことね。
さぁ、レッツゴー!うわぁ……
いや、案内図を見て知ってはいたんだけど、ホントにプールまであるとは思わなかった。 こんな事なら水着でも持ってくれば良かった…… 一泊二日程度の旅程なのに、水は並々と蓄えられていて、しかも泳いでいる人もいる。いや……
「あたしも水着持ってくれば良かったなぁ。」
「え……?」
「ま、いいや。お仕事お仕事」
「はい。」
娯楽室。
「……って、これってどちらかというとカジノ、って言わない?」
「すごいですね……」
少々テーブルとか置いてあってカードができたり、ビリヤード台があるかな、と思いきや、スロットマシンからルーレット台、ポーカーテーブルはいくつあるのやら。下手なホテルのカジノよりもずっと大きい物だったりする。
「……もうため息しか出んわ。」
ホントにこの船に乗るにはいくらくらいかかるのやら…… 少なくとも自分のお金で乗ろうなんてまるで思わないわね。
「……次行こ。」
なんか疲れてきた。でも…… 何か仕掛けようと思ったらいくらでも仕掛けられそう。
あたしたちみたいなのがちょっと見回ってどうにかなるのかな……?
「どう思う?」
不意にあたしがリーナちゃんに聞くと、思った通りわけが分からない、って感じに小首を傾げる。
「ん〜 いやね。あたし達がちょ〜とジタバタしてなんとかなるかな、って……」
「でも…… 私は博士達を信じてますから。」
あらら、キッパリ言われちゃったよ。
やっぱりリーナちゃんは純真と言うか、なんというか…… うらやましいな。
「……どうかしましたか?」
「ううん、別に……」
小さくかぶりを振る。
そうだ、あたし達から諦めてどうする。……いや、そりゃあたしはリーナちゃんみたいに何かできるわけでもないし、ジェル達のような真似は逆立ちしてもできない。
だからといって、何もできない理由にはならない。って、ことだよね、きっと……
……まぁ、はなっからジェルはあたしに期待はしてなんだろうけどね。
『あ、そうそう、』
人がちょっと浸ってるときにコイツだよ……
「で、なに?」
『あぁ、いえね…… 出航時間も遅れたから忘れていたのですが…… そろそろ部屋に戻って、着替えた方が良いのでは、と私は提案するものでございますのですが。』
延々と遠回しな言い方でございますこと。
……着替え?
「あ、もしかして……」
「え? なになに?」
「いや、もしかしたら、ってことなのですが……」
あー、じれったい。こういう性格だ、ってぇのは分かっているんだけど……
とリーナちゃんは自分の腕時計に目を落として、思った通りです、って感じに笑顔を浮かべた。
「ええ、あと一時間ほどで、先程ラシェルさんがため息をついていた、『懇親会』の時間なので……」
「あー、そうなん……
なんだってぇ!!!!」
「きゃっ。」
あたしの大声に思わず小さな悲鳴を上げるリーナちゃん。こーゆー悲鳴がきっと男に庇護欲を刺激するよねぇ、きっと。
……じゃなくて。
後一時間!?
ちょっとちょっと! ただでさえ女の子の準備は時間がかかるんだから、しかも今回はドレスを着なきゃならないし、リーナちゃんはこういう服装に慣れてなさそうだし……
「急ぐわよ!」
「え? ええっ?」
よく状況を理解できていないリーナちゃんの手を引き、自分たちのあてがわれた部屋に走る。
スコッチが(おそらく)呆れたよ全く、って顔をしてついてくる。……しょうがないのよ。
乙女にとっては戦争みたいなものなんだから。