第一四話 現実の悪夢(前編)
「奴らめ。戦う度に強くなっていくな。そうでなくては面白くない。」
「若、そのようなことは……」
「いや、いいのだ。あれくらい強くなくては俺の出る幕がない。俺も武人、強い奴とは戦いたいものなのだよ。」
「お気持ちお察しいたします。
しかし、そろそろ例の実験が始まるころでございますが……」
「そうだな。成功すれば戦いの舞台が広がることになるな。さて、どうなることか……」
楽しそうな笑いが闇の中に響いた。
ガラッ、
いきなり入ってきた人物に保健室の中の三人は人差し指を唇に当てて「静かに」の表現をする。
「あ、ああ、すまねえ…… 橘……は?」
「まだ目を覚まさないわ。」
「そうか……」
おそらく走ってきたのだろう。体力自慢の隼人にしては珍しく息を切らせている。
謙治の計算が間違っていなければ、病院と学校の距離と彼らがダイブアウトした時間を考えると、一歩間違えれば短距離走並の速度で走ってきたことになる。
隼人が椅子を引き寄せると、疲れたようにそこに座り込む。再び沈黙が辺りを支配した。
「あ、そうです。」
不意に小鳥遊が声を上げる。
「さっきから何かを忘れているような気がしましたが、スターローダーのチェックを全然してませんでした。
謙治君、研究所に戻った方がいいとは思いませんか? あんなことの後ですから、もう保健室に用がある人もいないでしょう。」
「え? あ? で、でも……」
小鳥遊の意図に気づいて、麗華は乱暴に謙治の足を踏みつけ黙らせる。
「あ、そうだわ。私もメインパイロットなんかやったからちょっと疲れているのよ。悪いけどお先に失礼させてもらうわ。
謙治もスターローダーの修理を早くすませないと、夢魔に対処できないわよ。」
妙にセリフが空々しいのだが、美咲の様子が心配な隼人はまるで気づいていない。謙治もやっと二人の言おうとしていることに気づき、慌てて帰り支度を始める。
「あ、ああ、そうですそうです。はやくスターローダーをなおさないと。」
麗華以上に棒読みで怪しいことこの上ない。その点では最年長の小鳥遊が一番自然にゆっくりと立ち上がる。
「それでは我々は一度戻らせてもらいます。美咲さんのことは申し訳ありませんが、お任せしますね。」
「あ、ああ……」
生返事をする隼人をしり目に三人は保健室を出た。保健室を出ると不意に麗華が足下をふらつかせた。ちょうどその場にいた謙治が反射的に手を伸ばし、彼女を支える形になる。いきなりのことで思わず手を離しそうになるが、そうすると彼女が倒れてしまうような気がして、半分これ幸いとそのままでいることにする。少しの間呆然と仕掛けたが、すぐに麗華の異常に気づくことになる。
「神楽崎さん! しっかりして下さい!」
校医と心理学者の二足のわらじを履いている小鳥遊が麗華の様子を調べる。運良く、というか、よく見たことのある症状なので、すぐに原因に思い当たる。代表的な患者は美咲、つまり精神的な衰弱状態である。
「麗華さんもなかなか頑固ですね…… そこまで平気を繕わなくても良かったのに。」
「……美咲にはこんな姿、見せたくなかったのよ。かといって、いないとあの子が寂しがるだろうし。美咲が目覚めるまでは、と思ってたけど…… そろそろ限界ね。立っているのも辛いわ。」
そう言われれば確かに顔色も悪いような気がする。めまいを振り払おうと小刻みに頭を振るが、一向に治まりそうにない。
「……ふう。駄目ね。悪いけど謙治、肩を借りるわよ。」
疲労で半眼になりながら、麗華が少年の方に身をもたせかけ肩に手をまわす。
「え? あ? ちょちょちょちょっと…… あの、その……」
舞い上がる謙治に麗華が冷たく釘を刺す。
「勘違いしないように。あんたの肩を借りるのは、小鳥遊さんじゃ背が高いからよ。それに校門まで。迎えが来ているから。」
「はあ…… はい。」
落胆したような返事をしながらも、謙治は少しの間至福の時を過ごすのであった。
「…………」
しばらく黙ったままでいた隼人だが、意を決したように衝立の方に足を向けた。その奥にはベッドで寝ている美咲がいる。
近づくにつれ歩みが鈍るのだが、それを力でねじ伏せ、ベッドの側まで行く。シーツの白がまず目に入ってくる。その中で美咲が静かな寝息を立てていた。
近くの椅子に音を立てないように腰掛け、少女の寝顔を見つめる。どんな夢を見ているか分からないが、その安らかな寝顔を見ていると隼人の心にジワジワと罪悪感が広がってくる。
夢魔が強かったせいもあるが、もっと早く彼が駆けつけていれば美咲もここまでダメージを受けることもなかったはずだ。誰もそのことを指摘もしないし責めもしない。しかし隼人だけはそのことで自分自身を責めていた。
彼の指先が寝汗で湿った美咲の前髪を軽く払う。それが分かったのかどうかは知らないが、少女がわずかに表情を動かした。熱いものに手を触れたかのように慌てて手を引っ込めた。
またしばらく沈黙の時間が流れる。沈黙を破って隼人が口を開いた。
「すまねえ…… 俺が自分のことばっかり考えていたせいで、橘を傷つけてしまったな…… すまねえ……」
顔を伏せる隼人に小さな声がかけられる。
「ううん、そんなことないよ。
だって…… 隼人くん、ちゃんと来てくれたもん。隼人くんの声…… 聞こえたよ。」
「お前がそう言ってくれるなら、俺も多少は気が楽に……」
言いかけた隼人が驚いて顔を上げる。美咲が少し恥ずかしそうに彼の方を見ていた。気を落ち着けるように二、三度深呼吸すると椅子に座り直す。
「すまんが…… いつから起きていた?」
「えーとね。寝ていたら何だか優しそうな気配がしたから、隼人くんかな? と思ったんだけど、きっと夢なんだな、と思ってそのまま寝てたの。
でも髪をなでてくれたり、声が聞こえたからやっぱりいるんだな、と思って……」
「…………」
「あれ、どうしたの? 何か顔が赤いよ。」
「い、いや、何でもねえ。
……それより、どうする? 歩けるなら帰った方がいいし、まだ無理ならもう少し休んだ方がいい。」
「え〜とぉ…… 多分大丈夫だと思うんだけど……」
チラチラ隼人の方を見てから恥ずかしそうに顔を赤く染めると、鼻の下くらいまでシーツを引っ張り上げる。
「あのね、できたらでいいんだけど……」
「なんだ?」
「言っても怒らない?」
「……内容による、と言いたいが、お前なら大したことは言うまい。言ってみろ。」
「あの…… おんぶしてくれる?」
「あ?」
全く予想もしない言葉に隼人は聞き返すが、パタパタと手をバタつかせ言ったことをかき消そうとする。
「あ、ウソウソ。ゴメン、ボク今なにも言ってないからね。聞いてたとしても忘れて!」
「ま、それだけ元気なら大丈夫だな。そろそろ暗くなるから帰るぞ。」
「うん。」
美咲はスルリとシーツから抜け出すと枕元のカバンを引き寄せる。隼人も自分のカバンを手に取ると、保健室のドアに手をかける。外に出ようとして、思いついたように足を止める。
「どうしたの?」
隼人は返事の代わりに無言で膝を折る。美咲が不思議そうに首を傾げる。
「乗れ。」
「え? で、でも……」
「早くしろ。」
「う、うん……」
恐る恐る美咲は隼人の背に手をかけると、飛び乗るようにしがみつく。隼人は自分の首に手がまわるのを確かめるとゆっくり立ち上がった。背中の少女の頭を入り口にぶつけないように屈んで通り抜ける。
「高いだろ。」
「うん。隼人くんてこんなふうに世界をみているんだ。」
「……そうだな。」
予告も無しに美咲が身を乗り出し顔を近づけてきた。吐息まで感じるほどの接近に隼人の鼓動が速くなる。
「和美ちゃんが羨ましいな……」
「…………」
「ボクにも家族がいたらな……」
「橘……?」
いきなり気になるセリフを言われて美咲を振り返るが、少女は背中で安らかな寝息を立てている。心の中だけで肩をすくめると、起こさないようにゆっくりと歩いて彼女の家路に着くのであった。
「あれ? 大神君、どうしたんですか?」
「いや、どうしたと言われてもな。それより神楽崎はいないのか?」
「はあ?」
小鳥遊の研究所。謙治は地下でスターローダーの修理――ブレイカーマシンは基本的にドリームリアライザー内のデータだから修復と言った方が正しいかもしれない――を行っていた。そこにフラリと隼人があらわれ、そんなことを聞かれたのだから変な受け答えになったとしてもしかたがない。
「珍しいですね。橘さんでなくて神楽崎さんのことを気にするなんて。」
「あ?」
「いえいえ、こちらの話です。でも本当にどうしたんですか。」
「実はな…… なんて言っているとおっさんが急にあらわれそうだな。」
隼人が背後の物陰に目を向けると、会話に入る機会をうかがっていた小鳥遊がそこから苦笑いを浮かべ、顔を出す。
「やれやれ、隼人君にはお見通しでしたか。」
「ああ、気配がしたんでな。
……やっぱり神楽崎はいないのか。困ったな。」
「困ったな、てアレですか? リビングで寝ている美咲さんのことですか?」
「ああ、まったく起きないんでな。どうしようかと思ってとりあえず持ってきた。」
一回は起きたものの、また眠る美咲であった。ここまでくると疲労だけの問題でもないらしい。
「分かりました。謙治君は作業を続けて下さい。私は毛布でも持ってきますね。で、隼人君はそろそろ帰りますか?」
生返事をしてから、ふと思いついたように口を開く。
「いいのか? 橘の家に連絡しなくても。」
問われて小鳥遊は何か言いかけて、直前で慌てて言葉を変える。
「いえ、あ、いや、ああ、私が後で連絡しておきますよ。」
「意味あるのか?」
「え? それはどういう……」
「前から気にはなっていたんだが…… 橘の家には誰かいるのか? あいつ…… 両親がいるのか?」
小鳥遊はどうやって誤魔化そうか一瞬考えたが、諦めたようにため息をつくと説明を始める。
「ご想像の通り、美咲さんの両親は亡くなっています。今はお爺さんがいるそうですが、いないことの方が多いそうです。」
沈黙があたりを支配する。
「つまり…… あの家の中で橘さんは独りぼっちなんですね……」
「おっさん、俺…… もう少しいるわ……」
隼人の言葉に小鳥遊が軽く微笑む。
「優しいですね、隼人君は。」
「か、勘違いするなよ。俺は…… そう、昼間の戦闘で疲れているんだ。だからちょっと休んでいくだけだ。」
「そうですね。じゃあ、これお願いします。」
とニッコリ笑ったまま小鳥遊は隼人に毛布を手渡す。うまい反論が思いつかず、押し切られるような形になって毛布を受け取る。言い返す言葉も思いつかないのか、黙ったまま隼人は地下室を出ていった。
「データの修復の方はどうなってます?」
「ええと…… 他の機体には目立った破損はないですね。スターローダーはあと…… 二四時間くらいですか。新しく組んだプログラムがうまく働いてますから。」
「そうですか…… じゃあ、今手が空いてますか?」
ディスプレイに表示されたプログラムの稼動具合を確かめてから謙治は頷いた。
「それはよかった。ちょっと見て欲しい物があるんですよ。うまくいけば画期的なシステムになるはずです。」
「へえ……」
謙治の目に好奇心の光が宿ったのを見て、小鳥遊は満足な顔をすると、地下室の一番奥へ足を向ける。そこには夢魔に対抗するために一番最初に作られた夢を実現する機械(ドリームリアライザー)が置いてある。椅子の一つに腰掛けると、コンソールを操作する。
「普通、実体化(リアライズ)は夢幻界でしか出来ません。夢幻界にある精神的エネルギーを自分の思うように変化させて物を作り出すわけです。それの増幅触媒としてドリームティア、補助装置としてリアライザーがあるのですが……」
小鳥遊の説明に謙治の脳裏に一つの可能性が浮かび上がった。
「まさか小鳥遊博士…… 現実世界でもリアライザーを使おうと考えているんでは……?」
謙治の言葉に小鳥遊がつまならそうな顔をする。その表情に間違えたかな、と一瞬考えたが、実は違った。
「……どうして皆さん、そんなに私の言葉を先取りするんですかねえ…… 見せ場というものがまるでないではありませんか。」
「そういうつもりではないんですが……」
「ま、ともかく、現実世界と夢幻界の違いは空間に存在するエネルギーの質と量ですね。これを変化させることは難しいので、私の考えた方法というのは……」
「俺はなんでさっきあんなこと言ったんだ…… 分かんねえな。どうも橘相手だと調子が狂う。」
ブツブツぼやきながら階段を上がる隼人。しかも気にかかるのが、そんな状況を彼自身そんなに嫌っていないということだ。
「おっさんにマインドコントロールされているんだろうか…… おや?」
かぐわしい香りが隼人の鼻孔をくすぐる。それが空腹を刺激した。夕食の時間にはちょうどいいくらいだ。
香りは当然ながらキッチンの方から漂ってくる。さっきまで謙治と小鳥遊が地下に、麗華は家にもどっている。となれば……
「あ、隼人くん、ちょうどいいとこに。」
予想通り、エプロン姿の美咲が夕飯の準備をしていた。冷蔵庫の中にあった物を適当にフライにして、大皿に盛りつけていた。味噌汁も四人分用意されている。
「あのさ、博士と謙治くん呼んできてくれない? そろそろごはんにするから。」
「お、おう…… 大丈夫なのか、お前?」
「え? 何が?」
美咲の表情から疲労の度合いを見て取ることは出来ない。無理をしているが表に出してないだけ。隼人はそうも考えたが、自分も似たようなやせ我慢をするので考えないことにする。事実、前に痛めた右足首はまだ若干しっくりこない。
「……分かった。ちょっと待ってろ。」
美咲の明るい返事を背に、さっき上った階段を下りる。その時になってまだ毛布を手にしているのに気づき、面白くなさそうに踊り場に投げ捨てる。
「おっさん、田島、メシだ。喰うなら上がって来い。」
更に面倒くさくなったのか、階下に声だけかけて上に戻る。聞こえたら来るだろうし、聞こえなかったら確認のために来るだろう。
(来なかったらその時だ。)
そしてその時というのは美咲と差し向かいで(そうでないかもしれないが、少女の性格を考えると十中八九そうなると思われる。)食事になる、ということなのだが、隼人はすっかり失念していた。
幸か不幸か、四人揃っての夕食になった。
そして食後、テーブルを囲んで茶をすすっている時に小鳥遊がいつものように口を開く。
「ええと…… 謙治君のお陰で何とかめどがつきそうです。で、簡単な実験をしたいのでが……」
そこで小鳥遊の視線が美咲と隼人の上に止まる。
「謙治君には悪いですが、今のシステムではまだまだ不完全で効率が悪いのですよ。ですから基礎精神力が少なくとも隼人君以上でないと起動しないようなのです。」
「何だ一体?」
「ええ、最終的には現実世界でもブレイカーマシンを実体化(リアライズ)させたいのですが……」
「おいおい、おっさん。世界征服でもするつもりか?」
隼人の茶化すような言葉に小鳥遊は憮然とした顔を見せる。
「冗談でも止めて下さい。私が言いたいのは、もしも夢魔がこちらにも現れたら、という可能性です。」
謙治と隼人が何か言いかけるが、それを遮って言葉を続ける。
「可能性、とは言いますがあなた達だって同じことをしているのです。向こうにも…… 出来ないとは私には断言できません。」
「ねえ、ねえ、ボクやってみていい?」
話の深刻さを理解しているのかどうかは不明だが、美咲が話に割り込んでくる。止める間もなく、左腕のドリームティアを構える。何かに集中するように目を閉じ、クリスタルが光を放とうとしたときヒョイと隼人が横から少女の腕を掴む。
「橘、間違ってもライトクルーザーを呼ぶなよ。それにやるなら話は最後まで聞け。」
「えぇ…… でもぉ……」
美咲が軽く手を振ると、その指先に一枚の布が現れる。明るい色のバンダナのようだ。柄は素っ気ない物だが、想像で作ったにしてはいい出来だろう。
スルリと今着けているやつを外すと、手の中のバンダナを頭に巻く。
「ほら。ねぇ、どう?」
「……まあ、そんなもんじゃないか?」
隼人のやる気のないような言い方に、ちょっと拗ねたような顔をする。
「ダメだよ隼人くん。こういうときはそう思ってなくても『似合うよ。』とか言うもんだよ…… って麗華ちゃんが言ってた。」
「……難しいな。じゃあ、そう思ってたときはどう言えばいいんだ?」
「え……?」
「おやおや、隼人君もなかなかにくいこと言いますねえ。」
ポロッともらした言葉にすかさず小鳥遊がツッコミを入れる。謙治も隣でニヤニヤしている。気づいていないのは美咲だけのようだった。
「阿呆、早く実験の結果とやらを調べろ。」
「ああ、そうでした。すみませんが…… そのバンダナ渡してもらえませんか?」
「あ…… そうだよね……」
まるで自分の大切な宝物を取られるような悲しそうな顔をされると、罪悪感が先に走ってしまいそうだが、その瞳の誘惑にも負けずに渡されたバンダナを手に…… 取れない。不意に四人の前でその布きれが空気に溶けたかのように消え失せる。
「あらら……」
しみじみとバンダナの消えた虚空を見つめる小鳥遊。不意に思いついたようにポンと手を打つ。
「なるほど。美咲さん、今、『自分の物で無くなる。』なんて考えませんでしたか?」
「うん…… だってぇ……」
「それでは解説しましょう。」
つまり、実体化リアライズというのは何かを必要とする場合に行われる。そしてリアライズを行った者が意識的にも無意識的にも必要としている間は何があっても消滅することはない。ただし精神力を著しく消耗している場合は別である。その逆に必要性を失ったり、また本人が所有を諦めた場合、自然消滅してしまう。
「……と思われます。」
「博士…… 分かんない。」
「まあ、戦闘中は気にすることではないと思います。」
大して興味がなさそうに聞いていた隼人はフラリと体重を感じさせない動きで立ち上がる。首を左右に動かし、少しこった肩をほぐす。
「話は終わりだろ。」
「……そうですね。」
「じゃあ、俺は帰るわ。どうせいたってすることないだろう?」
さすがに「メシは喰ったし」という言葉は飲み込む。そこで口を閉じかけて、あることに気づいて口を開き直す。
「橘、お前も帰るなら近くまで送るぞ。神楽崎に『か弱い女の子をどうとか』なんて言われたくないからな。」
と皮肉めいた表情を浮かべる。隼人の態度に小鳥遊と謙治が顔を付き合わせてヒソヒソ話をする。
(ほら、私の言ったとおりでしょう?)
(見たことはないですけど、妹さんをダブらせているんじゃないですか?)
(ああ、いうなれば専門用語でシ……)
「そこの二人!」
鋭い回し蹴りが二人の髪一本だけを切り飛ばす。隼人が本気で狙っていたら自分に何が起こったのか理解できないままに首が飛んでいたかもしれない。
ちなみに美咲は隼人の「送るぞ」発言の後、茶碗洗いに行ったので、このやりとりの近くにはいない。仮に見ていたら…… きっと隼人は睨むだけで済ましていただろう。
「くだらねえことは考えない方がいい、と俺は思うぞ。」
彼の足が床の上に戻ってから、初めて小鳥遊と謙治が驚いて首をすくめた。それを見て、更に呆れたように唇の端を歪める。
「情けねえなあ。少しは鍛えねえと。」
その言葉にいじたような声が返ってくる。
「いいんです。私はしがない心理学者なんですから。」
「僕もいいんです。もともと僕の機体は射撃戦を想定している機体ですから。」
恨めしそうに言う二人の様子に、隼人は楽しそうに笑った。小鳥遊が驚いたように軽く目をみはる。
(隼人君もこんな表情をするようになったんですね……)
「片づけ終わったよ。隼人くん、帰ろ。」
かけていたエプロンをたたみながらチョコチョコと美咲が戻ってくる。まだ笑みを顔に残している隼人に、少女が小さく首を傾げた。
「あれ? どうしたの隼人くん?」
「別に。」
「あー、気になる気になる。」
手をバタバタさせて好奇心を表現する美咲に素っ気なく、それでいて邪険にならないように隼人は手を伸ばし頭を押さえる。
「大したことじゃねえよ。行くぞ。」
「あ、うん。」
バタバタと動き回る美咲と対照的に無駄な動き一つしない隼人。それでいながらどこかしらでテンポが合って、二人揃ってリビングを出ていく。
「謙治くん、博士、またねぇ。」
美咲が代表して挨拶すると、研究所は数時間前と同じに小鳥遊と謙治の二人になる。
「……最近、大神君変わったと思いません?」
「隼人君だけじゃない。麗華さんも君も最初から比べるとだいぶ変わったと思いますよ。」
「…………」
「ま、私の人のことは言えませんね。でも美咲さんの明るさと、あの真っ直ぐな心にみんな感化されましたね。」
「でも……」
謙治がニヤリと笑みを浮かべる。
「やっぱり一番は……」
「大神君ですね。」
「ええ。」
「橘。」
「ん〜 何?」
星を見上げていた美咲が名前を呼ばれて視線を横に動かす。同じように上を見上げている隼人が見える。秋も近くなってきて星空も高く感じられるようになってきた。隼人は美咲同様、星を眺めているように見えたが視線がわずかにさまよっていた。このとき隼人はある質問を言うか言わないか迷っていた。意を決して口を開く。
「お前…… 寂しくないのか?」
ピタリ、と美咲の足が止まる。真っ直ぐ見つめ返してきた顔は今にも泣き出しそうにも見えた。すぐに自分の発言に後悔する。
「わりい……」
どうやって言い繕うか悩んだが、結局言えたのはこの一言だけだった。そんな不器用にしか態度を表せない隼人に美咲がぎこちなくながらも笑みを向けた。小さく首を振る。
「今まで黙っててゴメン。でも、ボク…… 変な同情されたくなかったし、途中で言ってみんなのボクを見る目が変わったらイヤだったから……」
しばらく天の仰いで美咲の言葉を反芻する。隼人は膝を折りうつむいた少女の視線を正面から受け止めた。その顔にわずかに悲しげな影が走る。
「見くびるなよ。そんなに俺達は薄っぺらじゃねえぜ。」
「…………」
「何でも言え、なんて思い上がったことは言わねえが、それでも…… 辛いときや寂しいときは言え。それだけでもだいぶ気が楽になるもんだぜ。」
美咲が一歩、二歩、と近づいてきて、フワリと隼人に抱きついてきた。耳元に少女の囁きが聞こえてくる。
「隼人くん…… 優しいんだね……」
「あ、阿呆。何言ってんのか分かっているのか? お、俺はお前の思っているようなそんな人間じゃねえ! そ、それよりも早く離れろ。……は、恥ずかしいだろ。」
「お願い、もう少しこのままでいさせて。」
真剣な声に隼人は動きを止めた。何も出来ず、何の声もかけられずに彫像のように固まって動けない。
どれくらいの時間が経っただろうか。
近づいてきたときと同じようにフワリと離れてもまだ隼人は動けなかった。美咲が数歩先にいる。
「ねえ、隼人くん。」
少女の呼びかけに隼人は視線だけ上げて美咲を見る。
「さっきの答えだけどね…… やっぱり寂しいよ。でもね、昔ほどじゃないんだ。
だって…… みんながいるから。ボク、寂しくないよ!
じゃあ、もう家近いから。またね!」
はずむような足音が遠ざかっていく。少女の背中が視界から消えてから初めて硬直が解けたように膝をつく。片手を顔にあてると、わずかに開いた唇の隙間から呻くような声がもれる。
「参ったな…… 情けねえな、俺……」
夜の闇までもが今の隼人には重くのしかかるようだった。自分の中に沸き上がる不思議な感情に少年は困惑していた。
謙治も帰り、時計の針が一日の終わりを通り過ぎた位の時間。小鳥遊は一人地下でコンピューターの相手をしていた。
「ふむ…… 何とか実用化できそうですね。美咲さんの精神パターンがこうですから…… よし、これでいい。このエネルギー効率ならブレイカーマシンでも実体化できるでしょう。まあ、実験できないのが残念ですが。」
どんな理由をつけたところで何十メートルもある巨大ロボットを虚空から出しても無事に済むはずがない。どっかブレイカーマシンを隠せるほどの広い建物があれば別だが、そんな場所を借りれるあてもない。
「そのうち秘密基地でも欲しくなるんでしょうねえ……」
子供の頃見たアニメをふと思い出してしまう。そうなると自分は司令官か博士にでもなればいいのか、なんて小鳥遊はくだらないことを考えていた。
キーを叩き、画面を切り替える。いくつかのメニューを選択すると、白い車両が映し出された。
修理中のスターローダーである。機体の至る所に赤いマークがついている。それの一つが黄色から青、そしてもとの白へ色を変えていく。謙治の作った修復プログラムが機能を回復させているが、何しろ破損部分の多さと深刻さが並大抵ではない。一カ所一カ所直しているが、時間もその分かかってしまう。
突如、甲高いアラームと共に、修理画面に重なるように緊急事態を知らせるレッドアラームが表示される。
「夢魔の反応!」
謙治ほどではないが、それでも早いと思われるスピードでキーボードの上を指が走る。夢魔のエネルギーの発生点を特定する為にあらゆるセンサーが夢幻界を探る。
反応はネガティブ。つまり、夢魔の気配すら無いということだ。
「そんな…… じゃあ、今のレッドアラームは……
まさか…… まさか!」
叫んで反射的に小鳥遊は天井を見上げた。
「若、始まりますぞ。」
「面白そうだ。俺も行ってみよう。」
「何ですと! 若、おやめ下さい。まだ実験段階ですぞ。」
「大丈夫だ。俺にはこれがあるからな。」
その声の主は相手に左腕のブレスレットを見せた。その中心で黒い水晶が光を放つ。
「しかし……」
もう一人が口を開いたとき、周囲の空間に変化が起きた。闇一色の中に一カ所だけ光の点があらわれる。そこを中心に闇が回転すると、光の穴が徐々に大きくなる。
「ほう……」
「これがゲートでございます。まずはゲート通過及び、向こうの世界での能力の変化を調べるために偵察用の獣魔を送り込みます。」
「では俺も行って来る。」
「は、お気をつけ下さい。」
若と呼ばれた男が軽く笑みを浮かべた。
「もう止めないのか?」
「はい。若がやるとおっしゃったからには私が何を言っても無駄でございます。」
その言葉に楽しそうに笑うと、長身の男は身をひるがえして空間の穴に飛び込んだ。
そして次に巨大な物体が穴を通り抜ける。残された老人は身じろぎもせずに、若の帰りを待つのであった。
再び闇。
自衛隊機によるスクランブルは最初の通報から二時間経ってからやっと始まった。原因といえば、その未確認物体がレーダーにまったく反応しなかったからだ。しかし、現地の警察からの連絡もあり、確認の為に発進したのだ。
「隊長、巨大な鳥なんてホントにいるんですかね?」
『作戦行動中だ。無駄口は叩くな。
ま…… 俺も半信半疑だが、確認しないわけはいかないだろ。
よし、そろそろ現場だ。全機、警戒せよ。レーダーには映らないとのことだから、速度を落とし、視認せよ。」
「了解。」
訓練飛行のようにシェプロンを乱さずに夜の中を飛ぶ戦闘機。不意に先頭の機体がバランスを崩したように傾いた。
『な、何だアレは……!』
驚いた声が通信機から流れる。
上空から見て、街の明かりが一カ所ポッカリと失われている。まるで巨大な何かが覆い隠しているかのように。
恐慌にかられたのか、一機が機関砲を発射した。巨大な物体の表面で火花が散る。閃光がその姿を闇に照らし出した。
そしてそれがゆっくりと翼を広げた。
「ほう…… ここが奴らの世界なのか。」
黒い衣を身にまとった長身の若者が高層ビルの屋上から眼下を眺めている。空に現れた未確認物体のため、にわかに街は騒がしくなり、いたるところで灯りが慌ただしく動き回る。それを見た男は皮肉めいた笑みを唇の端に浮かべる。
「これしきのことでパニックを起こすとは人間の心とは実に弱い物だ。しかし中には……」
脳裏に白のマシンが思い出させる。
「早く来い、ブレイカーマシンども。まだ戦えないまでも俺の前に姿を見せろ。」
期待に満ちた表情で男は待っていた。
「乗れ! 橘!」
ほとんどブレーキをかけずに美咲の家の前を横切る隼人の自転車。通過した後にはちゃんと美咲が乗っている。
「隼人くん、夢魔ってホント?」
「お前…… テレビも何も見てないのか?」
「だって、こんな深夜だよ。」
美咲が小さくあくびをする。それとは対照的に不意に隼人が真剣な表情で星空を見上げる。一瞬遅れて美咲も気配を感じる。
「上?」
「つかまれ橘っ!」
隼人は自転車を横倒しにすると、美咲に覆いかぶさる。何か巨大な物体の風切り音、それを追うように突風が巻きおこった。風は鋭い刃となって周囲の建物に、そして二人にも襲いかかる。
風が止んだ。
遠くで爆発音のようなものが聞こえるが、二人のまわりには静寂がおとずれる。ムクリと隼人が身体を起こした。
「大丈夫か。」
「うん…… ボクは大丈夫。隼人くんは?」
「俺はなんともない。」
街灯はさっきのカマイタチや他の影響で全て壊れてしまった。雲が切れ、隙間からわずかに月がのぞく。美咲が息を飲んだ。
「隼人くん…… ケガしてる。」
服は何カ所も切り裂かれ、出血しないまでも細かい切り傷が全身に見られた。しかし、左腕の傷は意外と深く、そこから一筋の鮮血が流れる。
「ああ、カスリ傷だ。急ぐぞ。」
「待って!」
珍しく鋭い声に隼人が足を止める。美咲がすぐさま駆け寄ると頭のバンダナを外した。
「……もしかしてボクのこと、かばってくれたの? でもどうして?」
腕の傷にハンカチをあて、バンダナを巻きつけながら小さく呟く。彼女の言葉通り、美咲には髪の毛一本ほどのケガもない。
「どこのどいつだったっけ? 勝手に人をかばって、その上『気づいた時には体が動いているんだもん』って言った奴は。」
何となく照れくさそうにそっぽを向く隼人。左腕のバンダナも何となく気恥ずかしい。
「…………」
次に少女が発しようとした言葉は爆音と閃光にかき消される。彼女たちの後方の空に炎の赤が広がっていた。
二人には分からないのだが、この時夢魔を追跡していた戦闘機の一機が翼を引っかけられ、内部の燃料に引火したのだ。パイロットは恐怖にかかれ、その場で脱出。炎の固まりのなった戦闘機は落下するのであった。
「まずい! こっちに向かってくる!」
この辺は住宅地である。謎の大型飛行生物の出現のニュースに周囲の住民はあらかた逃げ出していた。つまりここに残っているのは余程のノンビリ屋か運の悪い人間だろう。そして美咲と隼人は後者に分類されるらしい。
言葉を発した直後、隼人は美咲の手を掴んで走り出した。さっきまで乗っていた自転車はカマイタチのせいでズタズタになっていた。
逃げる二人を追いかけるように火の玉が飛んでくる。実際はそうではないのだが、二人から見ると戦闘機の残骸が意志あるもののように迫ってくる。
走る隼人の手に不意に抵抗がかかった。後ろの少女が足を止めたのだ。
「おい、橘……?」
声をかけても美咲は振り返らない。目がガラス玉のようにうつろになっている。
「橘! おい、橘!」
前から両肩を揺さぶるがまるで反応がない。少女の瞳は隼人を通り越して、遠くの火の玉を見つめている。
『隼人くん、危ないから下がって。』
「橘?」
力の感じられない声が美咲の口から漏れるように聞こえる。何か逆らいがたいものを感じて隼人は言うとおりにした。
『この街は…… みんなは…… ボクが護ってみせる。』
美咲がゆっくりと左腕を胸の前に上げる。目に見えない力が少女に集中していくのが分かる。
開いていた左手を握りしめると、左手首のブレスレット――ドリームティアを胸の前に構えた。
両の目に意志の光が輝く。美咲の口から裂帛の気合いの声が発せられた。
「ブレイカーマシン、リアライズ!」
次回予告
隼人「フラッシュブレイカーは夢魔と戦っている、俺達の目の前で。おっさん! 俺には何もできないのか? このまま橘が力尽きるのをみているしかないのか?
なに、そんなことができるのか? よし、やってやる。待っていろ、橘!
夢の勇者ナイトブレイカー第十五話
『現実の悪夢(後編)』
自分の夢は絶対叶えてみせる。」