「あれ…… なんでしょう?」
「俺の記憶が正しければ…… グリフォンのところにいたホーネットじゃないのか?」
「ヒューイさんもそう思いますか?」
「ああ。」
二人の視線の先にはビルの壁に機首を向けてへばりつくようにホバリングしているヘリコプターの姿があった。人々が指をさしているのが見て取れる。
「何やってんだか……」
〈あれじゃないですか? 博士は演出に凝りますから……〉
「……ったく。ジェラードめ、何考えてんだか……」閑話休題(それはさておき)。
バラバラバラバラ……
背後から風を切るような音が聞こえる。あたし達の後ろは支えるものもない空である。
「それ」が近づいてきた。叩きつけるような風が巻き起こる。黒服達の間に動揺が走った。
夕日が作り出す長い影に別の巨大な影が重なった。
後ろを振り返る。
夕日をバックに逆光でシルエットしか見えない何かがそこにいた。
回転するローター。機首に見える銃のようなもの。あたしの知識がそれを戦闘ヘリと判断する。
〈動かないで! 抵抗するなら撃つよ!〉
まだ若い、少年のような声がそこから聞こえてきた。黒服達があらわれた新たな敵に手に持っている武器を向ける。
ヘリコプターの機首の武器――おそらくガトリング砲と呼ばれるものだろう。きっと――が閃光を発した。その光は空気中に一筋の線を描き、黒服の足元に炸裂する。タイルが割れ、破片が飛び散る。そして小さなクレーターができた。その破壊力は人間を破壊するには十分であることを砕かれた床が物語っていた。
銃声が響く。しかし、黒服達の放った銃弾やレーザーはそのヘリコプターに傷一つ負わせることができない。
戦闘ヘリがあたし達をかばうように黒服達との間に割り込んでくる。そして再び銃弾がそれの表面ではじかれる。
威嚇射撃が男達を建物の中へと追いつめる。姿が見えなくなった。
〈はやく乗って!〉
目の前でヘリの左右の扉が開いた。ジェルが右、あたしが左のドアへと体を滑り込ませる。銃弾がドアにあたる。しかし、あたしまで届かない。
ジェルが右手で操縦捍を握り、左手で別のレバーをつかむ。あたしが席についたのを確認すると左手のレバーをいっぱいに引いた。
ヘリが急上昇する。あたし達は機上の人になった。あれ……?
何かおかしい。あたしは妙な違和感を感じていた。何が変なんだろう。
ふと横を見る。ジェルがのんびりと操縦捍を握っている。……あ!
「ジェル、ひとつ聞いていい?」
「どーぞ。」
「さっきさあ…… このヘリ、ちゃんと飛んで、なおかつ中から声が聞こえたよねえ。」
「そうですねぇ……」
とぼけているふりをしているが、ジェルは何か隠しているような気がする。
自動操縦、という手がないわけではないが、今の人工知能コンピューターでは簡単な動きはできても、さっきのような芸当ができるとは思えない。
人が乗っていれば可能だが…… あいにくと狭い機内ではあたしとジェル以外の人間はどこにもいないように思われる。
さてさて……
「もしかして…… これって自分の意志ってやつを持っているコンピューターなわけ?」
その言葉にジェルはあからさまに驚いた表情をする。すぐに取り繕うように乾いた笑いをあげ、
「そういやあ、どうしてあの男を追っていたのか教えてもらってませんねえ……」
と、話題を変えようとするが、あたしは許さない。
「あたしの質問に答えるのが先!」
その声にヒィ、と一瞬、縮こまるジェル。情けない奴…… で、あたしの気迫におされたのか、諦めたように肩をすくめる。
「……ホーネット、ラシェルに挨拶しな。」
〈はぁい…… 僕はMIAIC−004。戦闘ヘリ、ブラックホーネットです。どうぞよろしく。〉
どこからともなく声がした。さっき聞いた声と同じである。
「……と、いうわけです。何か質問は?」
……そんなこと言われても、にわかには信用できるものじゃあないわね。ま、いいでしょう。どうあれ、助かったのは事実だ。あいつらがしつこいと言っても空までは追いかけては来ないだろう。
しかし…… すごいコンピューターである。自分の意志を持ち、人並の感情をも有しているようだけど…… こんなAIがあるとは聞いたことがない。いったい、誰が造ったのだろうか…… ジェルなんだろうか?
「どうします? せっかくですから少し遊覧飛行でもしていきますか?」
ジェルの声で我にかえる。すでに日は落ちて、夜のとばりが街に下りてきている。
街の光がまるで宝石をばらまいたように美しく輝く。……久しくこんな風景を見ていないような気がする。
急に胸が締め付けられるような気分になる。今日の一連の事件のせいで弱気になっちゃったんだろう……
「あのさ、ジェル……」
その弱気があたしにことの次第を話させた。クリスが知り合いの女の子を探していたこと、あたしに伝言を残して行方知れずになったこと、そして…… 死んだことを。
顔は外を向いたまま。今の自分の表情に自信が持てない……
「だから、だから…… あたしはクリスの仇をとりたいのよ!」
あたしの心からの叫びも窓ガラスの中のジェルの表情を変化させている様子はない。でもあたしは構わず続けた。
「そうじゃなきゃ…… そうじゃなきゃ、何のためにクリスは……」
涙が喉につまったかのように言葉が出なくなる。自分の無力さが悔しかった。クリスを止めれなかった自分が悔しかった。
「ラシェル……」
ジェルがいつもの口調で口を開く。
「心中、お察しします……」
ムカッ。あたしはジェルのその淡々としたしゃべり方に腹がたった。
「あんたに何が分かるの!」
きっとあたしはこの時、情緒不安定になっていたんだろう。気づくとジェルにそう怒鳴っていた。
「あんたになんか親友を殺された悲しみなんか分かるわけ……」
「そうですね。私は親友を殺されたことがないですから、それは分かりませんね……」
あたしの言葉をさえぎったジェルの声は小さかったが、深淵とも言えるほどの深い悲しみが感じられた。
「ごめんなさい……」
自分だけが不幸の主人公と勘違いしていた。人は誰でも他人に言えない悲しみがあるのだろう。ジェルもきっと…… ごめん、ジェル。
「いえ、別にいいです。謝ってもらうほどのことではないですから。」
でも、その表情はいつもみたいにすぐには戻らなかった。あたしはジェルの素顔をかいまみたような気がした。突然、ホーネットの機体に衝撃が走る。一瞬バランスを崩したが、すぐに体勢を立て直す。
再び、衝撃がホーネットを襲う。ジェルの方の外で火花が光った。
〈銃撃です! おそらく二〇ミリくらいの機関砲だと思います!〉
切羽詰まったような声を出すが、ジェルは動じる様子がない。こいつって神経が尋常でないほど太いんだろうなあ。意外と脆い一面があるけど。
「二〇ミリ? そんなもんなら何万発来ようとも怖くないな。」
マジかいそれ。単なる自信過剰なのか、それとも本当なのか…… きっと後者なんだろうなあ。
ガガガガガ……
銃弾がホーネットの表面ではじき返される。大丈夫だと分かっていてもちょっと怖いぞ。
「うるさいですねえ。」
〈相手はAHシリーズの最新鋭機のAH−87Jタイプの武装ヘリみたいです。〉
ホーネットが分析結果を報告する。
武装ヘリだあ?
どこにそんなものがいるのよ。
「戦闘準備。」
〈了解。〉
本気? ジェルの余裕を見る限りでは負けない自信があるようだが……
「しかし……」
ジェルがボソリと口を開く。
「墜とすわけにはいきませんねぇ。」
そうぼやいている間にも銃弾がこっちに襲いかかってくる。相変わらず装甲にはじかれてるようだが……
正面にライトに照らされてヘリコプターがその姿をあらわす。
さっき、チラッと見たホーネットの外観と比べ、凶悪そうなフォルムをしている。その両翼に下げられた丸い筒(あとで聞いたところによるとバルカンポットというものらしい)から弾丸が発射される。狙い違わず、正面のガラスに当たり、激しい火花を散らす。
……ひび一つ入ってない。丈夫ねえ。
衝突コースに入る寸前に目の前のヘリが急上昇をかけ、視界から消える。ゲームセンターなどに行けばあるヴァーチャルリアリティは比べものにならないほどの迫力と…… 恐怖感がある。
「ジェル! 何とかならないの!」
「たたき落とすのは至極簡単なのですが……
それでもいいですか?」
思いだした。ここはまだ街の上空である。そんなところにヘリが墜落したら大惨事になるのは目に見えている。それに…… 相手は悪人かも知れないが、それでも命を奪うというのはさすがに抵抗がある。……あたしは。ジェルはどう考えているか知らないけど。
「さてさて……」
困ったような声を出して、こっちに意味ありげな視線を向けるジェル。
……もしかして、あたしを試しているのかな? ……決めた……
「ジェル、誰も死なないように…… 何とかできない?」
「そうですねぇ……」
あたしの言葉にジェルの表情は変化しなかったが、何となくジェルが納得したような、または満足したような気がした。
「……後ろのローターを壊したらどうなる?」
〈テイルスピンを起こして墜落します。パイロットがよほどの腕でないと不時着できません。〉
「じゃあ、ダメか……
……何かいいアイデアありませんか?」
あたしに振らないでよ。ヘリコプターに乗ったこと自体始めてなのに…… あんたはどうか知らないけど、あたしは単なる一般人なのよ。分かってるのかしら……
「困りましたねぇ。」
おい、顔が全然困ってないぞ。
気づくと海の近くまで来たようだ。街の明かりのかわりに濃い青が視界に入ってくる。月の光が海面に反射して、銀色の光にかわる。まるで人魚でもでてきそうな雰囲気である。
「海ですか……」
下を見ると海岸沿いの道路を走る車がまるでおもちゃのようだ。下からはここの光景が見えるのだろうか?
ヘリコプターはしつこく追いかけてくる。あたし達を狙っているのは間違いないようだ。 しつこい…… いったい、あたしが何をしたというのよ?
「どうやら当たり(ビンゴ)どころか大当たり(ジャックポット)のようです…… あのキザな男は何をやってるんでしょうねぇ?」
そうだ…… あたしがちょっと付け回しただけでヘリまで持ち出す大騒ぎである。よほどのことをやってなきゃあ……
「ま、いいでしょう。」
よくないって。
「詳しいことは研究所に帰ってからですねぇ……」
「その前にあれはどーすんのよ!」
あたしの指が後ろからネチネチ追ってくるヘリコプターをさす。
「ああ…… 忘れてました。」
いい加減、殴るぞ……
〈博士! ミサイルです!〉
ホーネットの声とともに後ろからなにか火を吹きながら飛んでくる物体が見えて……
なにぃぃぃ! ミサイルっていうと、命中するとボカンといくやつでしょ! そんなものが当たったら……
「よけて。」
ジェル…… あんたっていつでもマイペースなのね……
誰の手も触れていない操縦捍が勝手に動いて、後方から接近してくるミサイルを何の苦もなく避ける。
へぇー、ホーネットやるじゃない、と言いかけたとき前方で小さくなりかけたミサイルの炎が再び大きくなってきた。
……戻ってきた?
〈へぇ…… いいの使ってるなあ。今度僕にもつけてくださいよ。〉
「でも高いんだろうなぁ……」
「ちょっとぉぉぉ! あんたらぁぁぁ!」
あたしの怒りがひとり+一機を直撃した。こう叫んでいる間にもミサイルはこちらに接近してきている。ううぅ、やだよぉ……
「緊迫感ていうものはあんたらにはないわけ? さっきからあたし一人だけ驚いてばかりで、馬鹿みたいじゃない!」
まわりは知っていても自分だけ知らないことがあるというのは歯がゆいものがある…… 今のあたしの心境というのがこれである。
「……そうですねぇ。じゃあ、もう少し余裕を持って観戦できるよう努力しますか。」
できるなら早くやってよね。
〈あの…… 後からもう一本来ているようですが……〉
ホーネットの報告にあたしは確かに自分の血の気が引く音を聞いた。
「もうだめ……」
思わずそんな言葉が口をついてでる。
「ホーネット、前のはレーザーで、後ろのはジャミングをかけて墜とせ。」
〈了解。〉
ジェルが指示を出す。まだあたしの不安は拭いきれない。素人考えではミサイルは外れないものと思っている。多少、高性能にできていても……
「おや?」
〈あれ?〉
唐突に二人揃って奇妙な声をあげる。
「……今度は何が起きたの。」
うんざりとした声があたしの口からもれる。半分感覚が麻痺したような気分で、騒ぐ気力も失せかけている。
あたしの疑問にジェルは黙って上を指さす。ヘリの構造上、上の方は見づらいのだが……
おや? あの光は……?
赤い光が二つほど上に見えた。だいぶ、小さくなったところでその光がはじけた。地味目の花火のように光が爆発すると、数瞬遅れて爆音が聞こえてくる。
もしかして…… さっきのミサイル?
そのことを言うと、ジェルは同意するように頷いた。
追いかけてくるヘリも動揺したような動きを見せる。
ピーッ!
通信機(と思われるところ)から電子音が鳴り響いた。それは一瞬のことで、すぐにスピーカーから女の子の声が聞こえてきた。
『博士! だいじょうぶですか?』ジェルを博士と呼ぶところを見ると…… いったい誰だろう? ホーネットとは違って機械的な声ではない。どう聞いても普通の人間の声である。
「パンサー! そこにいるのか? すまんが後ろのヘリに水浴びをさせてやれ。」
《了解しました。》
ジェルが通信機を通して別の誰かと話している。相手はホーネットのようなコンピューターボイスだが、全く違う声だ。ホーネット並の高性能マシンが近くにいるのか……?
不意に、後ろのヘリの動きに変化が生じる。あたし達を追いかけるのを止め、海に方向を転ずる。海の上に出たかに見えた瞬間、半分落下するような感じで高度がおちる。
おやっ、と思っているうちに派手な水しぶきをあげて、ヘリはあっけなく水没…… まではしない。この辺の海は浅いらしい。斜めになったまま身動きがとれなくなったようだ。メインローターがゆっくりとその動きを止める。
《内部回路を破壊しました。警察に連絡します。》
「ほい。」
「いったい…… 何をしたの?」
今日になって何度目かの質問があたしの口から出た。はっきりいって今日起こったことの半分くらいはまだ理解すらできてないような気がする……
「そうですねぇ…… 下に黄色い車が走ってませんか?」
どれどれ…… あ、いた。黄色のホイールカーがこっちと並ぶように走っている。ホーネットのスピードを考えると向こうも結構なスピードじゃないのかな?
「……それがですね、やっ! とミサイルを操り、ヘリに海水浴をさせたわけです。」
……全然答になってないって。まあ、いいや。世の中にはよく分からないことが多いということで。
「これから研究所…… いや、私の家に戻りますが…… まだ聞きたいことがありますので一緒に来てくれますね?」
ジェルの目が少し厳しくなる。言葉は丁寧だが、その口調には逆らいづらいものがある。断れる雰囲気ではない。
あたしが行くことに同意すると、ジェルは顔をほころばせた。おい、さっきの鋭い表情は何処へ行った。
「それはうれしいな、っと。じゃあ、リーナに客が増えたことを言っておこう。」
独り言のように呟くと、通信機のスイッチを入れた。するとさっきの少女の声が返事をする。
「私だ。すまんがお客さんが一人いるから…… そうだ、カイルにも連絡を入れてくれ、みんなで晩餐をしよう。」
『あ、あの…… ヒューイさんは……?』
「ヒューイ? ほっといても来るでしょう。どーせ、お前の隣にいるんだし……」
下を走るホイールカーが一瞬動揺するかのように左右に揺れた。……よくわからんが、ジェルはリーナって娘か、隣に座っているらしいヒューイって奴のどちらかの心臓に悪いことを言ったらしい。なんなんだか……
「ま、そういうわけだ。こっちは少し遊覧飛行していきますから先に帰っててくださいなと。はい、通信終わり。」
相手が何か言う前にさっさと通信を切るジェル。なんか意地の悪い笑いをその顔に浮かべている。
「どーりで朝からいないと思ったら…… ヒューイが連れ出していたか……」
「誰なの、それ?」
固有名詞が続けざまに出て、あたしは思わずそう聞いていた。別に隠したりごまかしたりする素振りもみせず、正直に答えてくれた。
「リーナはうちの住み込みの助手で、ヒューイとカイルってえのが私の古い友人です。ま、今晩、紹介してあげますよ。」
口ぶりからすると、古い友人はともかく、リーナって娘には何か思い入れがあるようである。ははあ……
「リーナって娘、あんたの彼女かなんか?」
あたしの自分でもくだらないと思うツッコミにジェルは鼻白む。
「……私はあの娘の保護者なだけです。」
ふーん。意外とつまらない。なんとなく会話が間延びしたのであたしは窓の外へと目を向けた。
ホーネットは再び、街全体を見渡せられる程の高度まで上昇した。あたし達のまわりには闇しか無く、眼下の街は光にいろどられていた。
夜の闇だけは人々に平等に与えられる。人は闇を恐れる。何がいるか分からないからだ。そのため、人は明かりでその闇をはらう。街の明かりはそんな人の恐怖心の集まりだ、というのを何かで読んだことがある。
明かりのないところには人がいない。そういうことが空の上から見ていると理解できた。逆を言えば、明かりのある所に人が住み、生活を営んでいる。いい人も悪い人も……
いい人ほど早く死にやすい。そんな言葉が頭をよぎった。でもね、クリス。あたしは心の中でもういない少女に呼びかける。あなたは早すぎた…… そうじゃないの?
「……ェル、ラシェル。聞こえてますか?」
ふとジェルの声が遠くから聴こえてきたような気がした。実際は狭い機内のすぐ隣にいるのに。また心がどこかにいってたらしい。最近、そう、クリスのことがあって以来、こんな風にぼんやりしてしまうことがしばしばあった。あたしはいまだに彼女を止められなかったことを後悔していた。
「あ…… ごめん、何?」
かぶりを振って、自分の世界から抜け出す。と、その時、風景の激変に気づいた。何かの建物の中にいて、ホーネットは停止している。あれ、もしかして……
「一晩、ここで過ごしますか? 私は降りますが。」
あ…… ジェルがあたしを皮肉めいた目で見ている。左右のドアが音もたてずに開く。半分飛び降りるような格好でジェルが硬質の床に足をつける。それにならってあたしも降りた。
広い……
ホーネットが着陸していたのはとてつもなく広い空間の一部であった。何かが動く音がそこいらから聞こえてくる。
立方体に手足がついたようなものが動きまわっている。わけのわからん機械類がゴロゴロしている。
ジェルのあとをついていきながら宇宙船らしきものや装甲車らしきものを横目で眺める。並大抵の施設ではない。へたな宇宙港のドックではどう見ても太刀打ちできない。
しかも窓のたぐいがないところを見ると、どこか地下のようだ。ますますジェルの正体が気になってしまう。
ジェルはエアロックのような扉を抜け、エレベーターのような空間に入る。慌ててあたしも中に飛び込む。
さっきから「〜のような」が多いが、それはしようがない。分かんないんだもん。
どうやらあたしの予想は当たりであったようだ。軽い圧迫感をともなって部屋自体が動いている感覚がする。内部のパネルの文字がB5、B4、B3と変化していく。
チン。
エレベーターらしきものがB2で停止した。また頑丈そうなドアが開き、当たり前のようにジェルが出ていく。
あたしのことを意識しているのかどうか知らないが、終始無言である。
B2はコンピュータールームらしい。見たこともない端末と、映画館にでもありそうな特大のスクリーンが、部屋の一面の壁を支配していた。まわりの壁にはいたるところでランプが点滅を繰り返し、部屋全体に低いハム音が流れる。
正面の端末の前に据え付けられた座り心地の良さそうな椅子に座り、ジェルは手にした買い物袋を置き、端末に手を触れた。
ブーンとハム音が大きくなった。周囲の機械が命を吹き込まれたように起動するのが感じられる。
スクリーンに文字の羅列が飛び交い、あらわれては消えることを繰り返す。文字の洪水とハム音の嵐がしばらく続いた。そして、それが止んだあと、四角いカード大のものがスリットの一つからはきだされた。
「はい。」
ジェルが出てきたそのカードを手渡す。表面にはあたしの名前が書かれた…… これはIDカード?
「前のカードは無効にしておきましたから、今度からはこれを使用して下さい。」
……あたしの記憶があってれば、IDカードって複製はおろか、偽造はほぼ不可能なはずだけど……
「その通りです。しかし、私にできないことなど…… たくさんあります。」
急に気弱になるんじゃない。
「ま、とりあえずお礼は言っとくわ。」
自分でも感謝の気持ちがこもってないような気がするが…… いいとしよう。
「そんなことより、上に行きましょう。そろそろリーナ達が帰ってきているはずです。」
さっきのエレベーターで1Fに移動した。廊下を通り、あたしはリビングへと案内された。