− 第八章 −

 

「ねえ…… ジェル…… 冗談でしょ?
 ねえ…… なんとか言ってよ……」
 まるで熟睡してしまったかのように反応がない。頬にそっと手をあててみた。わずかだけど、ほんとにわずかだけど冷たい感触がした。
 嫌な予感が更にあたしの中で膨れ上がった。白衣の上から心臓の位置に耳をあてる。普通なら聞こえていいはずの音が聞こえない。
「う、うそ……」
 絶望感に押しつぶされそうになる。再び、心に恐怖が舞い戻ってくる。そして誇張抜きに視界が真っ暗になる。
 目の前で人が一人死んだ。それも半分は自分のせいでだ。
「い、いや……!」
 震えて声すらまともに出ない。自分ではそう言ったつもりだけど、それは空気を振動させることはなかった。
 その場に座りこみ、顔を膝の間にうずめ、上目遣いで動かなくなったジェルを見つめていた。視界がぼやけてくる。あたしも彫像のように動けなくなっていた。

「おーい、リーナちゃん。」
『はい、なんでしょうか?』
「ジェラードからの連絡は?」
『まだです。』
 ヒューイはパンサーの運転席のリクライニングシートに寝そべりながら、遠くに見える廃ビルを眺めていた。
『遅えなあ…… あいつ一人で俺の楽しみをみんな奪ったんじゃねえか?』
 リーナとは別な場所から通信が入る。その不服そうな声はカイルだ。
「そんなことないだろう…… あいつが暴れ出したら少なくともホーネットのセンサーに引っかかるんじゃなかったっけ?」
〈それはそうですが……
 それより、ちょっと気になることがあったんです。〉
「気になること?」
〈はい、おそらく間違いと思うのですけど、一瞬、博士の死亡通知信号(デス・シグナル)をキャッチしたんです。〉
「本当か?」
〈はい……〉
 自信なさそうにホーネットが呟いた。
『大丈夫だって、あのジェラードがそう簡単にくたばるわけねえだろ。
 あいつは昔、恒星に放り込まれても死なねえ、って言われてたじゃねえか。』
「そうだなあ……」
 カイルの言葉にジェラードのデス・シグナルが何かの間違いであることを確信したヒューイだった。
『で、でも……』
「安心しなリーナちゃん。そんなことあるわけないでしょ。」
 それに…… あいつが死ぬようなら、すぐ分かるようになっている。
 ヒューイは口に出さずにそう呟いた。

「ジェル…… お願いよ…… もう一度、目を開けてよ…… あたしにできることならなんでもするからさ……」
 こんな時ばかりはゲームの世界が羨ましかった。誰が死のうとも、呪文一つで生き返るからだ。TVでもいい、主人公ならば愛だのなんだので生き返ることが珍しくない。
 神でも仏でも悪魔でもいいからすがりつきたい気分だった。人間というのはいかに無力なのかを痛感した。
「お願いよ…… ジェル…… 目を開けてよ……」
 あたしの呟きには何も力がこもっていない。
「ねえ…… 何でもするからさあ……」
「本当ですか?」
「そうよ…… あたしにでき……」
 は?
 い、今、誰か返事をしなかった?
 顔をあげたとき、あたしの目に弱々しく身を起こしかけているジェルの姿がうつった。
 あ?
「な、なんで……?」
 呆れて、というか、別な意味でのショックで言語中枢が壊れたかのように言葉が口から出ない。
「なんで、とはご挨拶ですねぇ…… 大体、私も馬鹿じゃありませんから、自分の薬で死ぬような真似はしませんって。
 飲んだときは言い損ねましたが、あの薬は肝機能を増加させるために一時的に体を冬眠状態にする解毒剤なのです。
 ですから……」
 バキッ。
 ジェルが最後まで言い終わる前に、手が出ていた。今までの恐怖や絶望感などが怒りに転化される。
「この、くそボケたわけが!」
 再びあたしはジェルを殴りつけていた。
「ひ、ひどい。なにするんですか……」
「やかましい! あたしがどれだけ心配したか分かってんの!」
「いやぁ…… 全然分かってません。」
 ボカッ。
 更に殴ったあとに、あたしはクルリとジェルに背を向けた。この男はヘタに勘が鋭そうだから今顔を見せるわけにはいかない。
「やれやれ……」
 後ろで体をはたくような音が聞こえる。何となく気配でジェルが立ち上がったことを知った。
「ま、私も動けるようになったことですし、さっさとボスの首ねっこをとっつかまえに行きますか。」
 ふらつきながらも立っているジェル。なんだかんだ言っても薬の影響は残っているらしい。さっき使ったバトンの刃を消して、再び白衣の裾に戻す。
「ほらラシェル。逃げる準備をして下さい。」
 肩に手がおかれた。
「これからは体力勝負です。ラシェルは足に自信がありますか?」
 逃げるかあ…… さっきの例もあるからなあ…… でも、もう一度やると言うからには何か考えがあるんだろう。
「足? まあ…… 人並には体力はあるし、走るのも速い方だけど……」
「そうですか…… 私は自信がないんですよ……」
 ふう……
 どうやらジェルは状況も考えずにつまらないジョークを言うのが趣味らしい……
「私のとっておきの作戦その二です。」
 ちょいちょい、とまたジェルが指先であたしを呼んだ。そして耳元で囁く。
 …………、…………、…………。
「……待てい。さっきは三文芝居で今度は強行突破だあ? あんたねえ、作戦作戦って言ってるけど実は何も考えてないんでしょ?」
「失礼な……」
 あたしの言葉に憮然とした表情を見せる。
「私だってちゃんと考えてますよ。大体、さっきのやつは敵の練度と人数を把握するためにやっただけで、今度の作戦が本番というわけなのです。」
「へえ……」
 ちょっとばかり感心した。
「……と言うと、なんとなくそれっぽく聞こえるでしょ?」
 前言撤回。
「それはジョークとしても、今度はちょいと本気を出しますからね……」
 フッフッフ、と不気味な笑みを浮かべるジェル。やっぱり不安になってきた……

「よっこらしょ。」
 ジェルは白衣の内懐から長い…… えーと、これは…… そうそう、見た目ショットガンのようなものを取り出した。
 おや?
 あたしがこれを着ていたときはこんなものがあった記憶がないんだけど…… どこに入ってたんだ。
「何それ。」
 至極自然な疑問が口をついて出る。あたしの質問にニヤリと笑ってから誇らしげに説明を始めた。
「これは私の発明品の一つ、スタンプガンです。なんと! これにインクをセットして……」
 と言いながら内ポケットから手で軽く握れるくらいの筒を出して、それをそのスタンプガンとやらに取り付ける。そして、おそらく銃口と思われる部分を壁に向けた。
「スタンプをつけたい物に向けて引き金を引くと……」
 パシュ!
 圧縮空気のような音が聞こえたかと思うと、壁に「J.M」とジェルのイニシャルが黒くついた。
「このように、記憶させてあるマークなどを印刷することができます。」
「ほお……」
 気のない返事をするあたし。
「しかもインクは最高三本までセットできて、手元のセレクターで交換が可能……」
「ふーん。」
「しかも…… ってつまらないですか?」
「一つ聞いていい……?」
 たまってきたイライラを我慢しながらジェルを睨みつける。
「そんなもん、何の役に立つのよ!」
「あれ? 言いませんでしたっけ? これはインクを交換するこ……」
「殴るわよ。」
「まあまあ、」
 ジェルが懐から別のインクカートリッジを取り出して再び、スタンプガンにセットした。
「例えばこれは爆裂インクと言いまして……」
 親指でセレクターを操作して、銃身の下にあるポンプを引いた。
「吹き飛ばしたいドアなどに向けて射ちますと……」
 ひょい、とジェルはあたしとドアの間に入って銃口をドアに向ける。その頃になってやっと見張りがこちらの様子に気がついた。
 慌ててドアの鉄格子から小銃を向けるが、それよりも早くジェルは無造作に引き金を引いた。
 スタンプガンの銃口から黒い液体がほとばしる。ドアの真ん中にイニシャルがついたのは一瞬のことだった。
 次の瞬間、そのインクが爆発して、ドアを吹き飛ばし、爆風を中と表の双方にまき散らした。ジェルの陰にいたおかげであたしには爆風の影響はない。
 はあ……?
 あまりのことに声が出ない。
 目の前で起きた一瞬の非常識であたし達の前に門扉が開かれた。
 ドアの前にいた見張り二人はドアとともに壁にたたきつけられ気を失っている。ジェルがちょっと不満げな顔で頭をかいた。
「指向性が甘いなぁ……」
 何を言ってるのか分からなかったが、どうやら今の結果に満足していないようである。けれど「ま、いいか。」の一言でスタスタと歩き始めた。慌ててその後を追う。

 両手でスタンプガンを構えながら駆け足で走るジェル。走りながら適当な方向に向けて何度も引き金を引いた。爆発音とともに壁の一部ががれきに変わる。
 前方の曲がり角から足音がいくつか近づいてくる。爆発音に引かれてきたんだろう。急にジェルは立ち止まり、あたしを手で制した。また懐からインクカートリッジ(って言っていいんだろうか?)を出して、スタンプガンにセットした。
 親指でセレクターを切り替え、ポンプを引いた。足音の主が数人現れる。そいつらに向かってこれまた無造作にインクを連射した。
 男達の顔や手、足、腹などにイニシャルがうたれた。何の効果が起こったのかは分からないが、パタパタと目の前で倒れていく。
 さ、いきますよ。とジェルはのんびり言ってるが、相変わらずこの男のやることは見当がつかない。ま、人生って所詮、こんなものよね。
 哲学的なことを考えながら粉砕されかけた通路を走る。時折、思いだしたかのように人に出会うが、あいにくと挨拶をする暇もなければ義理もない。大体、銃を突きつけての挨拶なんぞ聞いたこともない。相手には悪いが、ジェルに頼んで安らかな眠りについてもらっている。
 さっきからジェルのぶっぱなしているのは、強力麻酔インク(ここまでいくと、インクって言うこと自体、間違いのような気がするが)というもので、興奮して寝付かれない相手でもグッスリ寝かせると…… 何のために作ったんだか……
「おや、これはいかん。」
 調子よく先を走っていたジェルがとぼけた声をあげる。取り外したカートリッジを眺め透かして、それをポイ、と投げ捨てた。
 環境保護のためにもポイ捨ては推賞できないところだが、誰も文句を言いそうな人がいないので敢えて口は開かなかった。
「ハハハ…… どうやらインク切れのようです。はい。」
「予備は?」
「今日は忘れてきました。ま、これも運命ということで……」
 と、不吉なことを平気な顔でいいながら、出したのと同様に不思議なやり方でスタンプガンを白衣の中にしまいこむ。
「で、今度誰か銃を持って来たらどーすんのさ?」
「どうしましょう…… ま、何とかなるに違いありません。気にせず進みましょう。」
 気にしろって。でもあたしが何か言ったところでジェルの態度は変わりそうにないし、何かあったらって…… その時は絶体絶命のピンチなわけなのよね…… ううっ、やだよお……

 長い通路に入った。見通しはいいが、両側から襲われたらひとたまりもない。
「!」
 不意にジェルがあたしに飛びかかってきた。そのまま硬い床の上に押し倒される。抗議の声をあげようとしたが、それは銃声にかき消された。
 ジェルが邪魔で見えないが、前から銃声とレーザーの発射音が独自の音楽を奏でていた。当然ながら音だけでなく、銃弾と光線も襲いかかってくる。
 あたしの横を当たると痛いものが数多く通り過ぎていく。直接当たるはずのものはジェルに遮られてここまで届かない。
 辺りをうかがう余裕もなく、目を閉じ、耳をふさぎ嵐が過ぎるのを待った。弾切れかエネルギー切れか知らないけど、始まった時と同じように唐突に音が止んだ。
「目標を射殺いたしました。」
 男の声が聞こえる。おそらく通信機かなんかに言ってるんだろう。
 目を開ける前に体の上の重圧がなくなる。視界が戻ったときに見えたのは、相変わらず白いジェルの背中だった。
 あれ……?
 その白い背中には傷一つついていない。
 疑問を理解できないうちにジェルが動いた。右手にいつの間に出したのか知らないけど数枚のカードがあった。それをスナップを利かせ投げつけた。
 カードは何かに操られたかのように、半ば呆然としている敵を二名ほど切り裂いた。無理もない。倒した、と思った相手が何事もなかったかのように立ち上がり、何か投げつけてきたのだから。
 カードが命中した直後、ジェルが腕のコンピューターのボタンを押す。これは何度か見た光景である。
「ブレイク!」
 カードが閃光を発し、見えない力を解放させた。それらが固まって立っていた男達を吹き飛ばす。
 あたしが立ち上がって賞賛の声をあげようとするが、それはジェルの鋭い視線で止められた。
「まだいます。その場で動かないで下さい。」
 片手であたしを制すと、どういう走り方をしているのか知らないが、足音をまるでたてないで、半分飛ぶようにジェルが向こうに走っていった。
 倒れている男達には目もくれず、獲物を待つ狩人のように曲がり角の直前の壁にへばりついた。別な男達が曲がり角の向こうから不用心に姿を見せる。
 再び、ジェルが動いた。
「スタンブレード!」
 その右手が一瞬霞むように動くと、次の瞬間には何度か見たバトンを手にしている。それにはさっきと違って、青白い光が封じ込まれたような刃を持っていた。刃の内部で光がはじけるようにうごめく。
 ジェルの足が硬質の床を蹴った。不意をつかれて反応しきれない敵の真ん中に入り込み、バトンを振り回した、と思う。速すぎて何がなんだか分からない。
 わずかに痙攣すると、これまたバタバタと敵は倒れていった。
 つまらなそうに肩をすくめるとジェルはあたしの方に戻ろうと、のんびり歩き始める。が、その表情が険しくなった。視線が通路の反対側に向く。
 あたしもジェルにならって反対側を振り返った。そこにはロボットのような風貌を持つ人型のもの…… 噂には聞いたことがあったが、実際にみるのはこれが始めてだった。
 そう、それはパワードスーツとか呼ばれるものだった。まるで宇宙服にゴテゴテと色々飾りたてたようだが、その腕には太い筒を構えている。確かめるまでもなく、なにか強力な火器なのだろう。それの銃口は正確にあたしを狙っていた。
「ラシェル! 伏せろ!」
 背後から足音とともにジェルの声が聞こえた。反射的にその声に従う。
「サンダー・ストライク!」
 伏せた頭の上を電光が走っていく。しかし、パワードスーツを貫くと思われた稲妻は空中で霧散した。おそらくサンダー・ストライクの射程はそんなに長くないのだろう。
 後ろでハッキリとジェルの舌打ちが聞こえた。足音が近づいてくるが、向こうが撃つ前に来るのは不可能だろう。それぐらいはあたしにも分かった。
 それからはまるで時間がゆっくりと流れているように感じた。
 パワードスーツの金属におおわれた指が引き金らしきものにかかる。銃口の奥に光が見え、それが大きくなり、迫ってくるのが見えたような気がした。
 人は死ぬ前に走馬燈のように自分の過去を見ることができるというが、今回はそれを見る暇もなかったらしい。悲鳴もあげられずに襲いかかってくる破壊エネルギーの光を見つめていた。
させない……
 こんな状況にありながら、その声はハッキリ聞こえた。ジェルの声のようだが、本質的な何かが違っていた。
させるものか……
 自分の死を覚悟したせいか、あたしは奇妙なほど落ち着いていた。背後の声を観察する余裕もできていた。
 背後の声には様々な感情が入り交じっているように感じた。怒り、恐怖、悲しみ…… そんな負の感情に包まれていた。
 クリス、ごめん。仇はとれそうにない……
 あたしが最後に感じていたのはそんなことだった。
 いや! まだ死にたくない!
 あたしが心で叫んだ瞬間、「それ」が起こった。

 目の前に突如として白い壁が立ちはだかった。見直すまでもなく、それはジェルだった。
 その現れ方は走ってきた、とかいうような物理法則に則っ(のっと )た現れ方ではなかった。そう、言うなれば空間を飛び越え、テレポートやワープをしたような…… そんな感じの現れ方だった。
 ジェルがあたしを一瞬、振り返る。その時になってジェルの変化に気づいた。
 ジェルは髪も目もアジア系のような黒っぽい色をしていた。しかし、今は目のさめるような銀色の光を放っていた。
 ジェルはゆっくりと――これはあたしの目の錯覚かも知れないが、ゆっくりなわりには動きに沿って残像が見えたような気がした――両腕を前に突き出す。そして……
サイコ・ブラストォォォッ!!
 ジェルが、いや、ジェルの姿をしたものが激しく吼えた。
 その瞬間、世界が青白い光に包まれた。

〈強烈なエネルギー反応です!〉
 上空を飛んでいたホーネットは思わずそう叫んでいた。
「あれは…… いったい……?」
 廃ビルの内部から一本の青白い光が壁を貫いて噴き出した。ホーネットの中のリーナも
その光に対して意味のある言葉を紡ぎだせなかった。
〈……あのような光はいかなる兵器からも発せられません。それどころか、まったく分析不可能です。〉
「博士…… ご無事で……」
 ジェラードの安否を気遣うリーナのもとに、突然パンサーからの通信が入った。
『リーナちゃん、聞こえるか! 緊急事態だ! ただちに作戦行動に入ってくれ!』
「ヒューイさん! で、でも、博士からの連絡がありま……」
『そんなの構わん! 早くしないと、取り返しのつかないことになるかも……』
 切羽詰まったヒューイの声にリーナは彼が何か知っていることを悟った。
「ヒューイさん…… 何か知っているんですね?」
『…………』
 ヒューイの沈黙は肯定の意を暗に示していた。辛そうに返事が返ってくる。
『あれは…… あの光は……
 ジェラードの…… 最後の隠し芸だ。』
 声に苦いものがまじる。そしてヒューイは一方的に通信を切った。
「ホーネット…… 作戦行動に入って下さい……」
 しばらく黙った後に、リーナはゆっくりと口を開いた。手で顔を覆い、泣き出しそうになるのを堪える。細い肩が小刻みに震えた。
〈リーナさん……〉
 少女のことを気遣いながらもホーネットは急降下を開始した。

 ジェルの放った光の光量はけた違いなものだったに違いない。しかし、あたしの目にはそれは眩しくともなんともなかった。何か人を落ち着かせるような優しい光に見えた。けれど、その光があたしの視力を一時的に奪ったのも事実である。
 目の前が白黒から色のついた世界に戻る。その時あたしが見たものはこっちに背を向けて立っているジェル。そして…… それ以外に動くものは見えなかった。
 通路の壁も床も天井も大きく抉られ、突き当たりの壁には何でつくったか分からないほどの大穴があいていた。ジェルとその穴の間には何一つなかった。
 さっきのパワードスーツはその一部分も落ちていない。そして理解した。欠片も残さずに消滅したことを。
 グラリとジェルの体が傾いた。あたしの目の前でゆっくりと倒れる。
「ジェル!」
 倒れるまで、そして倒れてからも少しの間、動けなかった。銀色の髪も水が染み込むようにもとの色に戻っていく。
 硬直がとけてジェルのもとに駆け寄る。息はしているが、とても苦しそうだ。全身が震え、いや、痙攣をおこしている。
「ジェル! しっかりして!」
 とっさに仰向けにして、膝枕に寝かせる。こういう時に応急処置の仕方を習っていればよかったと後悔する。何もできぬまま、呼びかけ、見守るしかできなかった。
「ジェル!」
 何度か名前を呼んでいると、痙攣が少しおさまってきた。苦しげながらもうっすらとジェルは目を開いた。
「ラシェル…… 無事でしたか…… それはよかった……」
 力ない声が切れ切れにジェルの口からもれる。さっき以上に目の光が鈍い。声を出すことすら辛そうだ。
「なーに…… 少し休めば…… 動けるようになるでしょう……」
「バカ! あんたはバカよ! 何でそこまでして……」
 目の端から涙が溢れそうになる。本人曰く、自己満足の為、だけど、それにしてもやりすぎよ……
「私ごときの為に…… 涙を…… 流さないで下さい…… 女の子を…… 泣かせないのが…… 私のポリシー…… なんですから……」
 そう言いながら、無理矢理に体を起こして立ち上がろうとする。完全に足にきているらしく、ふらついて足元がおぼつかない。今にも倒れそうになる。
 ……そのまま殴ってでも寝かしておきたかったが、本人の意志を尊重することにした。ジェルのよろめく体をわきから支える。
「ラシェル……?」
「さっさと行くわよ。クリスの仇をとって、事件が解決したら真っ先にあんたを病院に放り込むんだから……」
「そうですね…… さ、参りましょう……」
 弱々しくジェルが微笑む。
 と、その瞬間、足元と天井からから何かが爆発するような音とともに激しい揺れがあたし達を襲った。
 今度は何なの?
 ジェルの目がキラリと光った。いつもの不敵な笑みを浮かべる。
「どうやら…… 騎兵隊の…… 登場のようです……」

 

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