− 第十章 −

 

 

 それからはアッサリだった。
 もう豪華客船の面影を全く失ってしまった「さざなみの貴婦人号」を背中に乗せながらゆっくりとグリフォンは地上に向かう準備だ。
 ちょっかいかけてきた航空機もサンダーが睨みを利かしているので遠巻きに見ているだけだが、それもその内いなくなってしまう。
 その最中、ファイヤーに乗ってヒューイとリーナちゃん、そしてクレアちゃんがグリフォンに移ってきた。
「おねえちゃん!」
 トテトテと駆け寄ってきたクレアちゃんがあたしに抱きつく。
「おねえちゃぁん……」
 ぐしぐし泣き出したクレアちゃんの頭を優しく撫でる。一緒に来たスコッチも、彼女の足に頭を擦り付けた。
「ほら、スコッチもクレアちゃんがいたから助かったのよ。」
「うん……」
「それにさ、あたしも何ともなかったんだから、泣かなくてもいいんだよ。」
 顔を上げたクレアちゃんの涙をハンカチで拭う。
「ああ、そうだ。ラシェルはともかく、スコッチを助けてくれたことには私からも感謝しておこう。」
 いつものように、いつの間にかにジェルが背後に立っている。これまたいつものように小憎たらしいことを言ってきやがった。
「えっと、このおじさん……」
「おじさん?!」
 ジェルを見て言った言葉にジェルが一瞬固まる。
「おねえちゃんのこいびと?」
『…………』
 あたしも固まった。
「勘弁して下さい。」
「なんだとコラ。」
 ああ、乙女らしくない発言を。
「でも、おねえちゃんたすけてくれたんでしょ?」
「……そうですな。
 でもクレアでしたか? 憶えておきなさい。人は人をくだらない理由でも命をかけて助けることがあるのですよ。」
「???」
 分かるかそんなこと言って……
 あ、でも待って。じゃあ、ジェルはあたしを何故……?
〈博士、リーナさんが医務室に運ばれました。ヒューイさんはすぐに戻らなければならないようなので、治療をお願いします。〉
「む、それは一大事。」
 グリフォンが口(?)を挟むといつもの人を喰った口調でスタスタとコクピットルームを出ていく。
「りーなおねえちゃん?」
「うん、そうね。ジェルがいい、って言ったら見舞いに行きましょ。」
「うん!」

「そこであたしたちが見たのはセクハラしているジェルの姿だった。」
「もう終わった。」
 どっちがよ。
 突っ込みを入れる間もなく、リーナちゃんに包帯を巻き終わったジェルが手を拭きながら医務室から出てくる。
「単なる捻挫だから、面会謝絶でも何でもない。悪いがリーナの着替え手伝ってくれ。」
 面倒くさそうに言うと戻っていったようだ。
「ラシェルさん……っ!」
 足首に包帯を巻いたリーナちゃんがよろよろと立ち上がるとあたしに抱きついてきた。そのまま肩に顔をうずめるようにしてグズグズ泣き出す。
「あ〜 よしよし。」
 リーナちゃんも子供みたいに……
 あ、そっか。この子は身体はともかく、心は子供だった。
 きっと今まで研究所から外にほとんど出たことないし、親しい人間だっておそらくいなかったのだろう。そして親しい人間がいなくなるかもしれない、って経験も……
「大丈夫よ、あの変態科学者がいたんだから、危ない事なんて何も無かったわよ。」
 本当はそんなことないが、安心させるためにそう言う。これくらいの嘘、はいいよね?
 なんて話しているとクレアちゃんもリーナちゃんにしがみついて心配そうに目を上げる。
「おねえちゃんだいじょうぶ?」
「はい、博士に看て貰いましたので、あとは自然に治るのを待つだけです。」
「ごめんなさい。クレアが……」
 すまなそうな顔をするクレアちゃんの頭にリーナちゃんが優しく手を置いた。
「違いますよ。誰が悪いなんてことはありません。それに人は人を助けるときに何も考えないんです。」
「???」
 いや、それも分かりづらいって。
 でもジェルに育てられた(?)せいか同じような考え方するのね。でもあんな愉快にはならないでね、とあたしは心から思った。

 汗も汚れもひどかったので、三人してシャワーを浴びる。普通宇宙船なんて余程の豪華客船じゃなければロクなシャワーはついてない……らしい。らしい、なのは幸か不幸かその「余程」以下のに乗ったことがないんだけど。まぁ、でもこのシルバーグリフォンは個室も充実し、各部屋に十分な広さのシャワールームまで完備している。
 あたしとリーナちゃんの服の替えはあるのだが、クレアちゃんのはさすがにない。
 なんて思ったら、いつの間にかに用意されていた。ファイヤーに乗ったときにこっそり採寸して、作っておいたらしい。ファイヤー曰く、女の子はそういうことに気を使うものでしょ? と。
 見立てのセンスも良いことか、短時間で服を用意できたことか、そんな気が回るほどのAIだったのか、と驚くところは多いような気もするが、まぁそれはそれ。女の子はいつでも着飾らないとダメよね、うん。
 さっぱりしてコクピットに戻ると、いつもの奴がいつもの席で寂しそうになんか操作していた。
「リーナ、サポート頼む。」
 後ろも見ずに言うジェル。慌てて隣の座席に入ろうとするリーナちゃんを止めて、ツカツカとジェルの背後に回る。
「と・こ・ろ・で・さ、ジェル?」
「……一応仕事中なんですが。」
「いや、それがさ。」
 首の一つも動かさないジェルの頭を掴んで振り向かせる。
「……なるほど。」
 と、いきなりすっくと立ち上がりジェルが歩き出す。
「ラシェル、リーナに肩を貸してやれ。まだ余裕があるからいいが、そういうことは早く言ってくれ。」
 へ?
 あたしが何も言い返せないでいると、スタスタとコクピットを出ていく。慌ててジェルに言われたとおりリーナちゃんに肩を貸してもう一度医務室に。
 リーナちゃんをベッドに腰掛けさせて足首に包帯を巻き直すジェル。
「ちなみに謎解きは簡単です。
 私の首を捻ろうとしたときにボディソープの匂いがしました。シャワーを浴びたなら包帯は解いたでしょ?」
「…………」
 なんかメッチャ悔しい。
 何も見てない振りしてちゃんとこっちを見ている。とぼけたことばかりだが、必要なことは決して外さない。
 それがまるで手の中で踊らされているようで…… でもあたしのひいき目かもしれないけど、そういう態度をあからさまに取るのは……あたし、だけのような気がする。
「さ、一番面倒な仕事は終わりましたが、まだまだ仕事は残っています。
 研究所に戻るまでがお仕事ですから。」
 これまたスタスタと戻っていく。
 後を追ったあたしたちはいつもの席に。クレアちゃんは立たせておくわけにも行かないので、予備の席その二のあたしの隣に。
「リーナは軌道確認を。クレアには高度を読み上げてもらおう。ラシェルは…… レーダーでも見ていてもらえますか?」
 あーはいはい。
 おそらくはあたしもクレアちゃんも黙って見ているだけでもいいんだろう。まぁ、きっとそんな程度の理由に違いない。
「おい、ヒューイ。そろそろ突っ込むぞ。」
『了解した。
 そういえばクレアちゃんはそっちにいるのかな?』
「はい?」
 通信機越しにヒューイの声が聞こえてくる。いきなり名前を呼ばれてクレアちゃんが首をかしげる。
『ご両親を確認した。君のことを一生懸命探していたけど、無事を伝えといたから安心して良いよ。』
 ヒューイの報告にクレアちゃんが顔を明るくする。
『それと君のウサギも見つけたが…… 残念なことに怪我をしているようだ。でもそっちに名医がいるから後で見てもらうといい。』
 めいい? とまた首を傾げるクレアちゃんに、私にお任せ下さい、と言わんばかりにリーナちゃんが微笑む。
「うん!」
『こっちからはそんな感じだ。後はよろしく頼むぜ。』
 へいへい、と気のない返事で通信が終わる。
「固定はどうなった?」
〈少しお待ちを……〉
 画面の一部に新しいウィンドウが開くと、背中(?)の上で行われている作業の様子が映し出される。
 残骸になった「さざなみの貴婦人号」の余剰部分を更に削りながらワイヤーで固定しているようだ。タイガーと作業用の四角いロボットが細々と動き回っている。
 え〜と、ジェルの説明だと、動力を繋げて「さざなみの貴婦人号」の方も空調は動くようにしたらしい。それから高度を上げて空気が薄いところで風をあまり受けないようにして固定。それからゆるゆると高度を下げて着陸するそうだ。
「でもまぁ、居心地はこっちの方が間違いなく良いわけで。」
「ニャー。」
 ジェルのお気楽な言葉に尻尾をパタパタと振ってスコッチが応える。まぁ、図々しいというかなんというか、さっさとクレアちゃんの膝の上ですっかりくつろいでいる。
「作業が完了したようです。
 タイガーとキューブ達の収納を確認しました。」
〈軌道計算終了。気象条件が大きく変化しなければこのまま行きます。〉
「レーダーはどうですか?」
 え? えぇっ?!
 いきなりこちらに振られて慌てて自分の目の前のコンソールに目を落とす。
 三次元表示されたレーダーで周囲を探索って…… 何も映ってない……かな?
「たぶん大丈夫。」
「ほいほい。じゃあ、そろそろ行きますか。
 グリフォン、シールド展開。」
〈了解!〉
 正面のスクリーンに映る風景の青みが強くなる。そして風景がゆっくりと動き出した。

 高度を読み上げる声が流れる中、グリフォンが降下していく。あたしの担当のレーダーには何も、というか護衛のファイヤーとサンダーの光点しか見えない。
 そりゃそうか。(ジェルが言うには)テロリストの目的は一応は達成されたわけだし、これ以上ちょっかいかけても損をするだけだろう。
 さっきまでの慌ただしさが嘘のように順調。単なる予感だけど、きっともう何も起きないに違いない。
「ん〜 順調ですねぇ。」
 不満かどうか分からないが、まぁいつもの無駄口なんだろう。今までの経験から、何かに集中しているときは意味のない独り言が多いのがコイツだ。
「上」に影響を与えないようにゆっくりと降下、旋回していく。レーダーにも気になるような雲や気圧の変化などはない。
「地上の様子はどうだ?」
〈さすがに異常に気付いてますし、こちらも着陸申請を出したので、宇宙港はマスコミで溢れてます。〉
「……面倒ですなぁ。」
 え? いいでしょ? TVに出られるかも知れないでしょ?
「すかぽんたん。」
 振り向きもせず素敵なことを言って下さる変態科学者。
「腐っても捜査官が顔を売ってどうします。グリフォンだけならともかく……」
 あ。
 そりゃそうだ。TVに出たらとてもじゃないが大学に行けなくなるだろうし…… 捜査官というだけで身を狙われる、ってことも。
「軽率でした。」
「分かればよろしい。
 ……と、さて問題は、」
 小さく呟いてからクレアちゃんの方にチラリと視線を向ける。
 クレアちゃんの方は高度計に集中していて、見られたことに気付いていない。
 えっと、どういうことだ?
 …………
 …………
 あ、そうか。
 迂闊にうちらが顔を出したら、きっとマスコミに囲まれることは火を見るよりも明らかだ。ヒューイとカイルは着地前にファイヤーあたりで戻ってくればいいわけだが、クレアちゃんはそういうわけにいかないかな?
 どのみち背中に積んだのを下ろさなければならないだろうし…… どうしよう?
「調べはついたか?」
〈それはもちろん。どうとでもできます。〉
「……ふ〜ん、そうするか。」
 また一人で納得したように呟くと、パチリとスイッチを入れる。
「ヒューイ、」
『どうした?』
 まだ「さざなみの貴婦人号(一部)」の中にいるヒューイを呼んだようだ。
「クレアの両親に、彼女はこっちで送るからと、連絡先を聞いておいてくれ。」
『了解。』
「はい?」
 自分の名前がまた呼ばれてクレアちゃんが顔を上げる。
 そのままでいい、と手で制してから、ジェルが宇宙港で下ろせないことを説明する。
「ご安心を。チーム・グリフォンの名にかけて、リトルレディはご両親の元にお届けしますよ。」
「…………」
 一瞬言葉の意味を考えているような顔をしてから、クレアちゃんが立ち上がった。
 つい、とスカートをつまみ上げて、いわゆる社交界の礼をする。
「わたくしをしゅくじょとしてあつかっていただき、ありがとうございます。」
「いえいえ、」
 とジェルも立って、胸に手を当てて一礼。
 お?
「私もレディには礼儀を尽くす主義でしてね。」
 と言いながらクレアちゃんに気づかれないようにこちらに視線を向けて口元を小さく歪める。
 何が言いたい。
 ああ、一瞬でも格好いいじゃん、と思ったあたしがバカだった。ちぇっ。
 なんてやっている内にもう宇宙港が見えるくらいまで高度が落ちていた。そろそろ着陸するからヒューイ達も戻ってくるかな?
〈ファイヤーロック着艦を確認。〉
グリフォンの声と共に遠くから何か聞こえたような気がした。どうやらあのブルースブラザーズが戻ってきたらしい。
 しばらくしてコクピットルーム後ろのドアが開いた。
「お〜っす、ひさしぶ……」
「出直してこい。」
 血や埃や焼けこげだらけで入ってきた二人をあたしは一言で追い返した。

 まぁ、忙しいのも分かるので、着替えとシャワーだけで許すことにした。
 ヒューイとカイルがコクピットに入り、中が慌ただしくなる。着陸もグリフォンに任せていいのかもしれないが、パイロットの腕はやはりヒューイやカイルの方が上らしい。
 これはジェルの受け売りだが、どんな優秀なコンピュータでも人間の「勘」や反射神経には最終的には敵わないそうだ。〈そういう限界は弁えてますし、そもそも私は人間を越える気はありません。〉というのがグリフォンの弁でもあるのだが。
 まぁ、そんな人間の優位性を発揮することもなく降下していく。着陸床も見えてきた。
 ……なるほど、あれか。
 確かに作業用の車輌以外にも沢山の車輌や豆粒ほどの人影も見えるし、あっちこっちにヘリや何やらが飛び回っている。間違いなくこの「奇跡の救出劇」を撮りに来たのだろう。
 あそこまで大事になるならさすがに避けたい。
「ジェラード、後は任せるぞ。」
「ん、任された。」
 肉体労働専門のカイルの言葉にジェルが短く返す。ジェルの指がコンソールを踊って、ここから見える地上の様子を調べている……ようだ。
「よし、特に作戦に変更は無し。グリフォンとパンサーでガントリークレーンを支配(ドミネート)、ホーネットは周囲を警戒しつつ通信妨害。タイガーとグレイは『上』のお仕事。ファイヤーとサンダーはいつでも出られるように準備だ。」
 まるで紙に書いてあるのを読み上げたかのようにスラスラと指示を飛ばす。
《了解!》
 うん、分かってる。ホントにこいつは凄い奴なんだ、って。このお喋りも出来る七台のマシンもジェルの設計。おそらくは研究所の地下で作り上げたのだろう。それを可能とする財力だって半端じゃない。
 あたしは…… あたしはここにいていいの?
改めて考えるとジェルとあたしの距離は遠い。最初にあった事件の時にジェルが別れを言ったのは間違いじゃないんだろう。でもあたしは…… なんか意地になっている。
 理由は分からないから、考えない。だってきっと今は分からないこと。あたしかジェルが本気で嫌になるまではきっとこのまま。
 それでもいいか。今から後の事を考えてもしょうがないよね。うん。
 一人納得するころには、グリフォンは宇宙港の着陸床にゆっくりとその翼を休めるところだった。

 ここぞとばかりに取材陣が迫ってくるのか各部のカメラから見ることができる。それと同時に今ライブのTV番組がスクリーンの端に縦並びになっている。
《生中継か…… ご苦労様だね。でも、僕も仕事だから。》
 ホーネットの声がすると、生放送の画面が乱れると、一斉に砂嵐に変わる。外に見えるマスコミの動きに乱れが生じる。
《博士、カメラって高いですよね?》
「……そうだな。壊すなら電源部分だけにしろ。それなら安く済む。」
《了解。》
 物騒な会話と共に外のマスコミが更に慌てる。……何やったか知らないけど、放送機器壊しやがったな。
「今の内だ。さっさと上の物を片づけろ。」
《了解じゃ。》
《あいよ。》
 グリフォンの背中でタイガーと四角いロボット達がヒョイとアームを上げる。
〈クレーン準備完了。〉
《こちらもです。》
 それこそ宇宙船を吊り上げるのに使う巨大なクレーンが地響きを上げて近づいてきた。
《俺っちはこういう細々した作業は苦手なんだけどな。》
 ブツブツ言いながらタイガーが固定用のワイヤーを外し、吊り上げ用のワイヤーをかけ直す。左右からクレーンが近づくと、揺らさないように慎重にフックをかける。
〈シンクロシステム調整…… オーバー。〉
《ちょっと待って下さい…… オーバー。》
 左右のクレーンの動きを合わせると、ゆっくりと吊り上げていく。
《あたしたちの出番はなさそーでーす。》
《ファイヤー、報告はちゃんとしないと……》
 ファイヤーの声に同じような声が重なる。おそらくこっちは姉妹機のサンダーロックなのだろう。ファイヤーと比べて大人しそうで真面目そうな印象だ。
 クレーンのワイヤーが巻き取られ、各界のVIPが乗った元豪華客船の一部がグリフォンの背中から持ち上げられる。
「機関逆進。」
「おう。」
ジェルの声にカイルがコンソールを操作する。(おそらくは)スラスターを吹かしてグリフォンが後退する。全長の倍ほどは下がったのだろうか。正面にクレーンと吊り下げられた「さざなみの貴婦人号」が見えた。
「よし、クレーンの制御を解いて、タイガーとキューブを収納したら……」
 後ろからだからジェルの顔は見えないが、あれは間違いなくニヤリとしている。
「トンズラです。」
「よし、気合い入れて飛ばすから、しっかり掴まれよ!」
 ヒューイの手が目まぐるしく動くと、いきなり押さえつけられるような加速でグリフォンが垂直急上昇する。
 アッという間に宇宙港が模型みたいに見える高さになると、エンジンを全開にしてシルバーグリフォン号は蒼穹へと消えていったのであった。

 それから宇宙空間まで一気に行くと、レーダーに映らないようにステルスモードに移行。適当に時間潰しをして、夜闇に紛れて再び降下。そしてホーネットでコッソリクレアちゃんを両親が待つホテルに送っていった。その間に治療の終わったウサギさんは耳に大きな傷跡が残っていたので、あたしのリボンをプレゼント。
 別れは名残惜しかったが、このまま社交界に出てるなら、またいつか会えるのはそう難しい話じゃないだろう。いや、いつかまた会える。あたしはそう思う。
 だって、世界ってそんなものでしょ?
 一仕事終わったから、と何処か気怠さがただようコクピット。しかし、ヒューイとカイルの悲鳴が時折聞こえる。どうやら報告書を書いているみたいだが、やはりというか苦手らしい。
 あたしは部屋に戻る気もなんか起きずに、あちこちのテレビ番組をザッピングして見ている。どこの局でも同じニュースばかり。さすがにあたしの活躍(って言っていいのか?)は無く、グリフォンが降下してトンズラするまでが延々と映し出されている。超望遠のカメラか、古いタイプのカメラを使ったのだろう。
 たまーに他の番組を映しているところもあったが、どうしてもニュースに目が行ってしまう。
 ほんの数時間前まであそこにいたんだ、と思っても実感が湧かない。そう、さっきまで死ぬかも知れない、って状況にいたなんて。
 終わってしまえばそんな物かも知れないけど、知れないんだけど……
 なんか思考が迷路に入ったかも。うん、多分そうだ。きっとその理由も分かってる。
「……あれ?」
 気が付くと回りに誰もいなくなっていた。
〈気がつかれましたか? ずっと呼びかけても返事が無かったので。〉
「…………」
 よほど考え事をしていたらしい。
 薄暗くなった中、コンソールの光だけがあちこちで瞬いている。
「みんなは?」
〈もう部屋に戻りましたよ。博士はまだ格納庫ですね。〉
「格納庫?」
〈ええ、今回の仕事で破損した部分を今の内にチェックしておかないと気が済まないそうで。〉
「そう……」
 生返事だけすると、あたしもグリフォンを残してコクピットを出ていった。

 通路を一人歩く。
 出る際に聞いたグリフォンの説明によると、夜の内にワープして、明日の午前中には研究所に戻れるらしい。……まぁ、いいんだけど。宇宙って狭くなったものね。
 一度案内された記憶を頼りに「後ろ」を目指す。別に案内看板がある訳じゃないから迷いそうになるが――まぁ、客船って訳じゃないからね――グリフォンが気を利かせたのか、通路の照明が誘導してくれる。
 程なく格納庫の扉の前に到着。何となく豪華客船の中を走り回った事を思い出してしまう。あの船はやっぱり広かった。明日筋肉痛になったら嫌だなぁ……
 って、なんか余計なことを考えてる。やっぱ緊張しているんだろうか。自分でもこれからやろうとしている事がおかしいような気がするが、なんかこう…… やらないとスッキリしないというかなんというか。
 ああ、もう!
 半ばヤケになって叩きつけるように…… と思ったらタッチパネルだったので、一度深呼吸してから触る。
 プシューとも言わずに合金製と思われるドアが横にスライドする。その奥には広大な空間が広がっていた。
 六台のマシンが左右に並んでいて、四角いロボットに整備を受けていた。その中央で白い背中が据え付けられた端末の前に座ってディスプレイを見つめていた。
「…………」
 足が重い。声をかけようにも何を言えばいいのか分からない。
「一人でトイレに行くのが怖いのですか?」
「あたしは子供かぁっ!」
 振り向きもしないジェルの言葉に反射的にツッコミを入れる。あ、喋れるじゃん。
「それで、どうかしましたか?」
 椅子ごと振り返って立ち上がるジェル。
「別に……」
 言いたいことはなかなか言えない。そんなあたしの様子をおかしく思ったのか、ジェルが眉をひそめる。
「……子守歌が所望と?」
「違う……」
 らしくない。
 そうだ、こんなのあたしらしくない。
 大きく息を吸って吐く。
 よし、落ちついた。真っ直ぐ顔を上げ、正面から見つめる。メガネの奥の目が一瞬動揺するように揺れた。
「Danseriez-vous avec moi?」
「…………」
 あたしの言葉にジェルが黙り込む。意味を図りかねて、視線を僅かに宙にさまよわす。
「こういうときは『バカ』と言い返すのが礼儀でしたっけ?」
 ふざけた答え方で誤魔化そうとするジェルだが、今回ばかりは……
「一応ちょっと本気。」
「そう、ですか。」
 困ったように小さくため息をついてから、あたしに視線を突き刺す。眼鏡の奥の目が寂しさや悲しみの色に染まり、そしていつもの感情を表さない目に戻る。
「レディの誘いを断るほど無粋では無いつもりで。」
 向こうも開き直ったのか、舞台俳優じみた動きで白衣をマントのように翻して一礼。
「しかし、」
 観客に見せるかのように大きく手を広げて背後の無骨な格納庫を振り返る。
「素晴らしい楽団の調べも無ければ、きらびやかなドレスもございません。」
「いい。」
「加えて、この身には舞踏の心得も紳士の礼儀も備わっておりません。」
「足を踏まなきゃ文句は言わない。」
 そこまで言うと、こっちの本気に分かって、諦めたように息を吐く。
「分かりました。では音楽だけでも用意しますか。サンダー?」
〈あ、はい。〉
「聞いてたろ。何か一曲頼む。」
〈了解しました。では……〉
 青い戦闘機がそう答えると、スピーカーからスローなワルツが流れ始める。
「それではお手を。」
 スッと差し出された手を、見えないスカートの裾をちょいとつまみ上げてから優雅に見えるように取る。
 どこかぎこちなく手を組み、音楽に合わせて動き出す。ジェルの足運びも最初は怪しかったが、すぐに慣れたのかスムーズになる。
「……上手じゃない。」
「見よう見真似ですよ。参考にいたのが良かったのでしょうな。」
 足運びに集中して下を向いたままのジェル。
「上向け。」
 こういうときはお互いの顔を見るものよ、と顎を掴んで上げさせたところで視線が絡み合う。
「…………」
「…………」
 言葉と一緒に足も止まる。
 澄んでいて、それでも深い深い水の底を思わせる暗い瞳。その中に光を見出したい、って思うのはあたしのわがまま?
 ぽすっ。
 手を離して、ジェルの胸に体重をあずけてみる。けっして逞しくはないけど…… なんか落ちつく。
「…………」
 ジェルが固まってる。さすがにいつもの軽口を叩く余裕が無い。あたしも声には出さないが緊張していた。それと同時に何処か安らぎも。
 確信した。

 

 やっぱりあたしは……

 

 この口が悪く、ひねくれ者で、図々しくて、それでいていつも期待に応えてくれる頼りになる自称宇宙一の変態白衣科学者の事を……

 

 ……好きになり始めている。

 

 

- END -

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